黄檗宗・慧日山永明寺HP

 
黄檗宗資料集

   『黄檗文華』掲載記事索引 



  黄檗文華研究所が昭和48(1973)年に設置されて以来43年余が経ちます。

「黄檗禅」 や 「黄檗文化」 について関心が高まり、研究をされる方が益々増え、心強い限りです。
 
  この頁では、黄檗文華殿(黄檗文化研究所)が発行する紀要 『黄檗文華』 の掲載記事を各号ごとに紹介します。

  本掲載記事は、管理人(住谷瓜頂)の責任の下に掲載しています。

  なお、バックナンバー (有償) については黄檗文華殿へお問い合わせください。

                黄檗文華殿 ・ 〒京都府宇治市五ヶ庄三番割 黄檗山萬福寺内
                                         電話 0774-33-1199


 
         〔凡例〕 ・ 題名は、掲載順。 
               ・ 著者名空欄は、編集部執筆記事。
         

『黄檗文華』 掲載号数 目次
 1号 6号  11号 16号 21号  26号 31号 36号 41号 46号
51号  56号 61号 66号 71号 76号 81号 86号 91号 96号
 101号 106号 111号 116号 121号 126号 131号 136号 140号  

 
       
 号 数
(発行日)
題   名 著 者 名  摘   要 


S48/
  9/1
 文華殿開館記事    各月1回
発行

以降
28号迄 
 本当の仕事はこれから -玉田老師と黄檗文庫-  森本 三鎧 
 近世の大陸文化摂取  吉村 義懐 
 黄檗宗の呼称について  平久保  章 
 先人の遺産を守る -破壊する現在人は何を後生に遺すのか-  赤松 達明 
 これからの若人の課題 「老師の本質論」など  中尾 文雄 
 文華殿運営委員会名簿   


S48/
10/1
 「黄檗文華」の使命目標  森本 三鎧   
 遺偈について思うこと  林  雪光   
 文華殿によせて  大槻 幹郎   
 「禅は人間」を作る文化にめざめることである  奥田 仁芳   
 「山門偈」 (上)  中尾 文雄   
 黄檗山歴代住持 (その一)     
 行業純一  中尾 文雄    
 黄檗遺墨 (その一)     
 

S48/
12/1
 古黄檗・玉田老師 「祖蹟巡拝記」  森本 三鎧   
 黄檗高僧逸伝 (その一) 師友  奈加緒  中尾文雄
変名
 隠元の印章  林  雪光   
 禅問答について  中尾 文雄     
 鉄眼禅師に関するノート (その一)  鳥越 文邦   
 「山門偈」 (下)  中尾 文雄    
 黄檗山歴代住持 (その二)      
 黄檗文華殿開館     
 文華殿賛助者芳名     


S49/
1/1
 お正月のあいさつ  森本 三鎧   
 篆刻家としての蘭谷  林  雪光   
 黄檗高僧逸伝 (その二) 貧警  奈加緒   
 木庵・即非の関係について (上)  平久保  章   
 黄檗第十五代・再住十八代 大鵬正鯤禅師とその塔所開元寺について  吉村 義懐   
 若冲画に賛記している黄檗僧 (その一)  大槻 幹郎   
 仏殿偈 (上)  中尾 文雄     
 鉄眼禅師に関するノート (その二)   鳥越 文邦    


S49/
2/1
 後水尾法皇の画像  林  雪光   
 木庵・即非の関係について (下)   平久保  章    
 若冲画に賛記している黄檗僧 (その二)   大槻 幹郎    
 鉄眼禅師に関するノート (その三)    鳥越 文邦    
 黄檗高僧逸伝 (その三) 勤力、 慈生  中尾 文雄   
 仏殿偈 (下)   中尾 文雄   
 心経浄書の願い  森本 三鎧   
 文華殿のあゆみ  赤松 達明   
 黄檗遺墨 (その二)      
 

S49/
3/1
 断編残簡をお送り下さい  森本 三鎧   
 黄檗文華に寄せて  村瀬 玄妙   
 道者禅師と曹洞宗の禅僧  中尾 文雄   
 「鉄眼和尚行実」 (一) 赤松 達明  
 祖翁密雲禅師の禅機 厚見 文治 中尾文雄
変名 
 土地堂偈  中尾 文雄   
 普茶料理の歴史 (その一)  永田 泰嶺   


S49/
4/1
 文華殿の将来について  森本 三鎧   
 黄檗研究について  中尾 文雄   
 黄檗高僧逸伝 (その四) 清操  奈加緒   
 悦峰語録を読んで (一) 厚見 文治   
 考証と歴史学
 「鉄眼和尚行実」 (二)  赤松 達明   
 禅風を挙揚する檗門の人たち  野中  茂   
 祖堂偈 (上)  中尾 文雄   
 普茶料理の歴史 (その二)  永田 泰嶺   


S49/
5/1 
 讃観音大士伽陀集  森本 三鎧   
 悦峰語録を読んで (二)  厚見 文治    
 隠元語録・詩偈集の定本づくり  平久保  章   
 「鉄眼和尚行実」 (三)  赤松 達明   
 祖堂偈 (下)  中尾 文雄    
 普茶料理の歴史 (その三)  永田 泰嶺    


S49/
6/1 
 生誕三百年祭を迎え 明年五月売茶翁展を  森本 三鎧   
 少女も語る六祖壇経   野中  茂  
 黄檗高僧逸伝 (その五)  心地(一)  奈加緒   
 悦峰語録を読んで (三)  厚見 文治    
 「鉄眼和尚行実」 (四) 赤松 達明   
 拠室偈  中尾 文雄   
 普茶料理の歴史 (その四)  永田 泰嶺     
10

S49/
7/1
 
 具体化へ第一歩踏み出す -黄檗文化財の管理、施設-  森本 三鎧    
 隠元所蔵の「由拳集」について  林  雪光   
 黄檗高僧逸伝 (その六)  道徳  中尾 文雄   
 『普照国師広録』の編者  平久保  章   
 「鉄眼和尚行実」 (五)  赤松 達明   
 晋山式の偈を終るに当って  中尾 文雄   
 元旦偈  中尾 文雄   
 悦峰語録を読んで (四)  厚見 文治     
 普茶料理の歴史 (その五)  永田 泰嶺    
11

S49/
9/1
 悦峰語録を読んで (五) 厚見 文治   
 黄檗高僧逸伝 (その七)  忠節 中尾 文雄   
 独湛禅師の参禅と念仏観 中尾 文雄  
 黄檗という仏教 奥田 弘忠  
 「鉄眼和尚行実」 (六) 赤松 達明  
 解冬偈 中尾 文雄   
 茶料理の歴史 (その六) 永田 泰嶺  
 上堂のいろいろ 野中  茂  
 12

  S49/
10/1
      
 文華殿の内容を充実しよう 森本 三鎧  
 臨済録 野中  茂  
 黄檗高僧逸伝 (その八)  心地 (二) 中尾 文雄  
 高泉和尚の三関 中尾 文雄  
 独唱真機和尚略伝 鳥越 文邦  
 「鉄眼和尚行実」 (七) 赤松 達明  
 林屋友信 厚見  雄 中尾文雄 
 普茶料理の歴史 (その七) 永田 泰嶺  
 仏涅槃   清明 中尾 文雄  
 13

  S49/
11/1
 新方針で文華殿運営 森本 三鎧  
 吉永文庫所蔵の唐話(中国語)学習書 林  雪光  
 普茶料理の歴史 (その八) 永田 泰嶺  
 「鉄眼和尚行実」 (八) 赤松 達明   
14

 S50/
1/1
 将来に光明を求めて -落ち着いて進もう- 森本 三鎧  
 わが愛する檗僧の生涯 加藤 正俊  
 黄檗の書を求めて  坂田 浩法  
 「鉄眼和尚行実」 (九) 赤松 達明  
 普茶料理の歴史 (その九 ・ 終) 永田 泰嶺  
15

S50/
2/1
 宗祖の心事を今文華殿で-南太平洋慰霊航船中の打坐- 村瀬 玄妙   
 幻の寺医王山善福寺 寺院調査 その二 吉村 義懐   
 逸然の渡来年次について (上) 大槻 幹郎  
 忠円法橋刻の観音菩薩立像 -黄檗山万福寺の仏たち ①- 江口 正尊  
 黄檗山境内図の制作年代 (上) 桑原 雅道  
16

S60/
3/1
 後水尾法皇(上) 奧田 弘忠  
 忠円法橋彫刻の三尊 -黄檗山万福寺の仏たち ②- 江口 正尊  
 「鉄眼和尚行実」 (十) 赤松 達明   
 黄檗第廿一代大成照漢和尚塔銘 隆琦 祥道  
 逸然の渡来年次について (下) 大槻 幹郎  
17
 
S50/
4/1
 先ず現実に目を向けよう -四諦観の一解釈-  中尾 文雄   
 了翁道覚と本山修理金  平久保  章   
 独立性易とその医学について 山田 重正  
 後水尾法皇 (下)  奧田 弘忠   
 18

S50/
5/1
 万福寺文書について  岡井 毅芳   
 鉄眼道光  赤松 晋明   
 黄檗書画売人雑談  山添 三樹   
 黄檗書画譚  芸窗 林雪光 
 黄檗山境内図の制作年代 (下)  桑原 雅道   
19

S50/
6/1
 徳を明めんことを要せよ -木菴禅師の法語 『示徒』 - 中尾 文雄   
 瑜伽焰口科範に記載されている史実について  住谷 光泉  
 隠元禅師の垂語四則  野中  茂   
 黄檗の仏たち -仏像のなげき ① -  江口 正尊  
 陳賢帖の複製について  芝東散人  大槻幹郎 
 20
S50/
7/1
    
 住持は如何にあるべきか -黄檗宗でいう住職のあり方-  中尾 文雄   
 黄檗の仏たち - 仏像のなげき ② -  江口正尊   
 禅宗建築上における黄檗の特異性  黄檗京都青年会 吉村義懐
 黄檗書画譚 (続)  芸窗  
 黄檗念仏禅に参ぜよ -私の黄檗文化-  玉川 泰峉  
21

S50/
8/1
 黄檗宗の布教 -老師と布教師と布教-  中尾 文雄   
 黄檗宗旨考  林  文照   
 黄檗の施餓鬼 (一)  木村 得玄   
 宗祖の誓願を現代に-愛宗護法の念に燃えて-  山本 智丈   
 22

S50/
9/1
 木菴禅師の五章要緊の説話 -坐禅への態度-  中尾 文雄   
 「太和集」に見る宗祖大師の教化  岡田 亘令   
 黄檗の施餓鬼 (二)  木村 得玄   
 華道未生流で黄檗文華を  真田 広道   
 23

S50/
10/1
 独湛禅師の参禅と念仏 -『初山独湛禅師語録』より-  中尾 文雄   
 黄檗第二十六代妙庵禅師  渡部 雄晤   
 万福寺伽藍に関する覚書 (一) -いわゆる「原日記」について- 前  久夫  
 長崎崇福寺論考 -自著自賛- 宮田  安  
 24

 S50/
11/1
 『自寛政至天保 黄檗山宗門改人数帳』について  平久保  章   
 先民伝  林  雪光   
 木菴和尚と念仏  中尾 文雄   
 黄檗の施餓鬼 (三) 木村 得玄   
 提宗和尚の黄檗改派 栄  無得  
 25

S50/
12/1
 柳沢吉保公の念仏と参禅観 -染子の『胡紙録』を読んで- 中尾 文雄   
 黄檗の施餓鬼 (四) 木村 得玄   
 隠元和尚と越伝禅師  中尾 文雄   
 黄檗の仏たち -仏師松雲関係資料- 江口 正尊   
 鉄牛道機  森本 三鎧   
 稲生町明応山観音寺の文化財   森本 三鎧   
26

 S51/
1/1 
 梵唄の譜など完成を期す -積極的な気分湧き始める- 森本 三鎧  
 池大雅と黄檗僧 (一) はじめに 大槻 幹郎  
 黄檗の施餓鬼 (五) 木村 得玄  
 道永禅師の講話 堀木 宗詮  
27
S51/
2/1
 宗門発展の基底と条件 -一箇半箇の打出と大衆の教化- 中尾 文雄  
 黄檗の施餓鬼 (六) 木村 得玄  
 竜峰興禅天球三寺茶話 滝田 英二  
 28
S51/
3/1
 参禅と禅の大衆化 -『華頂禅師仮名法語』を拝読して-  中尾 文雄  
 黄檗の施餓鬼 (七) 木村 得玄  
 黄檗宗旨考 (その2) 林  文照  
29
S51/
6/1
 池大雅と黄檗僧 (二) 杲堂元昶 大槻 幹郎 この号から
3ヶ月
1回発行
 黄檗の施餓鬼 (八) 木村 得玄
 万福寺領 ・ 五ヶ庄 岡井 毅芳
 黄檗文化の再認識  -儀袋用途を正しく- 吉村 義懐
 30

S51/
9/1
 池大雅と黄檗僧 (三) 竺庵浄印 大槻 幹郎  
 黄檗僧の楷書と明朝体 (一) 竹村 真一  
 黄檗の施餓鬼 (九) 木村 得玄  
 黄檗文化の再認識 (二) 吉村 義懐  
 31

S51/
12/1
 松尾寺の高僧 戸並 東策  
 黄檗僧の楷書と明朝体 (二) 竹村 真一  
 黄檗の施餓鬼 (十) 木村 得玄  
 池大雅と黄檗僧 (四) 大鵬正鯤 大槻 幹郎  
 32

S52/
3/1
 池大雅と黄檗僧 (五) 伯珣照浩 大槻 幹郎 以降
奇数月発刊
113号迄
 黄檗に遊ぶ 木南 卓一
 黄檗の施餓鬼 (十一) 木村 得玄
 黄檗僧の楷書と明朝体 (三) 竹村 真一
33

S52/
5/1
 門外人の手探り 和田 金左  
 隠れた仏師 江口 正尊  
 池大雅と黄檗僧 (六) 悟心元明 大槻 幹郎  
 黄檗の施餓鬼 (十二) 木村 得玄  
 34

S52/
7/1
 池大雅と黄檗僧 (七) 終南浄寿 大槻 幹郎  
 黄檗管見 山本 千秋  
 黄檗へ改宗当時の舎利寺木庵禅師舎利寺鐘銘 小川 勝明  
 黄檗の施餓鬼 (十三) 木村 得玄  
 再び由挙集について 林  雪光  
35

S52/
9/1
 池大雅と黄檗僧 (八) 売茶翁(月海元昭) 大槻 幹郎  
 不許葷酒入山門 江口 正尊  
 黄檗山と桃について 福田 千文  
 黄檗の施餓鬼(十四) 木村 得玄  
 36

S52/
11/1
 池大雅と黄檗僧(九)鶴亭(海眼浄光) 大槻 幹郎  
 韓国の古寺に詣でて見たまゝ感じたまゝ (1) 林  文照  
 黄檗山と桃について (つづき) 福田 千文  
 黄檗の施餓鬼 (十五) 木村 得玄  
37

S53/
1/1
 池大雅と黄檗僧 (十) 聞中浄復(一) 大槻 幹郎  
 キリシタンの勃興と長崎 吉村 義懐  
 韓国の古寺に詣でて見たまゝ感じたまゝ (2) 林  文照  
 黄檗の施餓鬼 (十六) 木村 得玄  
38
S53/
3/1
 韓国の古寺に詣でて見たまゝ感じたまゝ (3) 林  文照  
 黄檗の施餓鬼 (十七)  木村 得玄
 黄檗の生んだ名僧河口慧海の「チベット旅行記」を読んで
       (筑摩書房一九六〇年刊 世界ノンフィクション全集6)
松田 俊道  
 普茶の研究資料に 岡田 亘令  
39

S53/
5/1
 池大雅と黄檗僧 (十一) 聞中浄復(二) 大槻 幹郎  
 黄檗の施餓鬼 (十八) 木村 得玄   
 中山道往来の檗僧 永明寺「天保三年日記」  住谷 光泉  
 40

S53/
7/1 
 黄檗に遊ぶ (二) 木南 卓一  
 スーフィズムと禅 松田 俊道  
 姫路仁豊野「慈眼菴」について 中村 秀晴  
 41

S53/
9/1
 長崎の興福寺について  宮田  安   
 禅は全  玉川 泰峉   
 黄檗禅と心学の関係について  玉川 克裕   
 黄檗外記 無著道忠撰 鏡島 元隆   
42
S53/
11/1
 黄檗宗開教史の一考察  潮音道海禅師の黄檗禅について  吉村 義懐  
 黄檗宗旨考 (その3)  広寿開山即非語録の中に見る禅の念仏  林  文照   
 黄檗外記 無著道忠撰  鏡島 元隆   
43

S54/
1/1
 福州府志にみえる古黄檗 (続) 大槻 幹郎   
 隠元全集を編集して思うこと  平久保  章   
 柳沢里恭(柳里恭)と発志禅院  山田 重正  
 黄檗外記 無著道忠撰  鏡島 元隆   
44
S54/
3/1
 福州府志にみえる古黄檗 (続)  大槻 幹郎   
 禅林課誦 (1)  木村 得玄   
 夢の国「ガンダーラ」 (一) 江口 正尊   
45
S54/
5/1
 禅林課誦 (2)  木村 得玄   
 夢の国「ガンダーラ」 (二) 江口 正尊   
46
S54/
7/1
 禅林課誦 (3) 木村 得玄   
 関口芭蕉庵と洞雲寺  玉川 克裕   
 夢の国「ガンダーラ」 (三) 江口 正尊   
47
S54/
9/1
 萬福寺住持の選任について (一) 大槻 幹郎  
 禅林課誦 (4) 木村 得玄   
 夢の国「ガンダーラ」 (四)  江口 正尊   
48

S54/
11/1
 萬福寺住持の選任について (二)    大槻 幹郎   
 禅林課誦 (5)  木村 得玄   
 九州書籍探訪について 中村 秀晴   
 大雄宝殿の木魚と私  富岡 俊英   
49
S55/
1/1
 萬福寺住持の選任について (三)  大槻 幹郎   
 禅林課誦 (6)  木村 得玄  
 道海禅師の坐禅論 (一)  堀木 宗詮  
50

S55/
3/1
 萬福寺住持の選任について (四)  大槻 幹郎   
 禅林課誦 (7)  木村 得玄   
 道海禅師の坐禅論 (二)  堀木 宗詮  
 涅槃図補修記  林  雪光   
51
S55/
5/1
 萬福寺住持の選任について (五)    大槻 幹郎   
 禅林課誦 (8)  木村 得玄   
 古黄檗拝塔記  吉村 義懐   
52
S55/
7/1
 萬福寺住持の選任について (六)    大槻 幹郎   
 相模と奥州に遺された高泉禅師の筆蹟  和田 金佐   
 媽祖堂考  岡崎 行応   
53
S55/
9/1
 萬福寺住持の選任について (七)   大槻 幹郎   
 黄檗宗旨考 (その4)  林  文照   
 中国旅行記 (一)  古黄檗拝塔のために  服部 祖承   
54
S55/
11/1
 興福寺の創建年次  宮田  安   
 細井平洲と大鵬禅師 小野 重伃   
 中国旅行記 (二)  古黄檗拝塔のために 服部 祖承  
55

S56/
1/1
 萬福寺住持の選任について (八) 大槻 幹郎   
 牡丹花下に消息を伝う  関  正道   
 『臘八の大接心を了って』  川口 秀文   
 中国旅行記 (三)  古黄檗拝塔のために  服部 祖承   
56
S56/
3/1
 萬福寺住持の選任について (九)  大槻 幹郎   
 千眼寺開山天祐海信禅師を偲んで  林  文照   
 中国旅行記 (四)  古黄檗拝塔のために  服部 祖承   
57
S56/
5/1
 萬福寺住持の選任について (十)  大槻 幹郎   
 台湾の仏門日課 木村 得玄  
 中国旅行記 (五)  古黄檗拝塔のために 服部 祖承   
58
S56/
7/1
 萬福寺住持の選任について (十一) 大槻 幹郎   
 仏師忠円試考 江口 正尊  
 短い横文字 吉村 義懐   
 中国旅行記 (六)  古黄檗拝塔のために  服部 祖承   
59
S56/
9/1
 萬福寺住持の選任について (十二) 大槻 幹郎   
 提宗と幽学  戸並 東策  
 中国旅行記 (七)  古黄檗拝塔のために 服部 祖承  
60
S56/
11/1
 萬福寺住持の選任について (十三) 大槻 幹郎   
 台湾の梵唄 木村 得玄   
 中国旅行記 (八)  古黄檗拝塔のために 服部 祖承  
61
S57/
1/1
 萬福寺住持の選任について (十四) 大槻 幹郎   
 仏師康祐考 江口 正尊   
 中国旅行記 (九)  古黄檗拝塔のために 服部 祖承   
62
S57/
3/1
 滋賀太山寺の募金趣意書 木村 得玄  
 中華民国の宗教 吉村 義懐  
 中国旅行記 (十)  古黄檗拝塔のために 服部 祖承   
 63
S57/
5/1
 萬福寺住持の選任について (十五)  大槻 幹郎  
 中国旅行記 (十一) 古黄檗拝塔のために 服部 祖承   
 宗祖真空大師遺誡の出典 (1)  木村 得玄  
64
S57/
7/1
 萬福寺住持の選任について (十六)  大槻 幹郎  
 黄檗本尊観 江口 正尊  
 宗祖真空大師遺誡の出典 (2) 木村 得玄   
 65
S57/
9/1
 萬福寺住持の選任について (十七)  大槻 幹郎   
 木魚 (一) 木村 得玄   
66
S57/
11/1
 図録「木庵」の編集を終えて 林  雪光   
 涅槃図補修記補 林  雪光  

67

   S58/
1/1


黄檗第二代
木庵禅師
三百年遠諱
記念特集


 木庵全集の編集について 平久保  章  
 木庵禅師の前半生をみる  吉村 義懐   
 木庵禅師と長崎 宮田  安  
 木庵の絵画趣味について 大槻 幹郎   
 木庵禅師と曹洞宗の禅徳 中尾 文雄   
 一度だけの出合い  -木庵禅師と心越興儔-  木村 得玄  
 木庵禅師とその和尚嗣法者 中村 秀晴  
 「木祖の心」に還りましょう  林  文照   
 木祖忌を迎えて 田谷 黙雷  
 鉄眼禅師假字法語の付記について 赤松 達明  
68
S58/
3/1
 萬福寺住持の選任について (十九)  大槻 幹郎  
 心越禅師の日本渡来の理由 木村 得玄  
 本山三十七代萬丈悟光禅師に想ふ事 林  文照  
 69
S58/
5/1
 萬福寺住持の選任について (二十) 大槻 幹郎  
 鉄眼と「柳」の一字  赤松 達明  
 心越禅師の日本における足跡 木村 得玄   
 独立禅師示寂の廣善庵  宮田  安  
70
S58/
7/1
 萬福寺住持の選任について (二十一)  大槻 幹郎  
 黄檗山隠元禅師伝来三十二卦について  中村 秀晴  
 黄檗造像様式の展開  江口 正尊   
 黄檗僧と曹洞宗の禅徳  中尾 文雄   
 71


S58/
9/1
 長崎崇福寺の末庵 - その一 -  宮田  安   
 廣寿山福聚寺末寺調  林  文照   
 鉄眼「森の法難」その顚末 赤松 達明   
 松尾寺境内上杉神社由来記  戸並 東策   
 弘戒法儀について  中村 秀晴  
 授戒説教  道永禅師・道隣和尚御遺稿の概要  堀木 宗詮   
 異教の「書」  山添 三樹   
 遠江(静岡県西部)に於ける独湛とその法系  白土 邫彦   
 黄檗宗の年中行事  中尾 文雄   
 画僧卓峰道秀 大槻 幹郎  
 仏師康祐論再考 江口 正尊   
 文華殿の十年を見て  森本 信光   
72
S58/
1/1
 萬福寺住持の選任について (二十二)  大槻 幹郎  
 長崎崇福寺の末庵 - その二 -  宮田  安   
 「仏師康祐」拾遺  江口 正尊  
 73
S59/
1/1
 「黄檗在家安心法語」の意義  住谷 瓜頂   
 潮音禅師と栄三禅尼  正満 英利   
74
S59/
3/1
 萬福寺住持の選任について (二十三)  大槻 幹郎  
 長崎崇福寺の末庵 - その三 -  宮田  安  
 中国古寺の聯額及び補壁 (一)  林  文照  
75
S59/
5/1
 長崎崇福寺の末庵 - その四 -  宮田  安   
 萬福寺住持の選任について (二十四) 大槻 幹郎   
 長崎地方の黄檗宗寺院建築における
      前面-間通り吹き放し部分と所謂黄檗天井-
山本 輝雄  
 中国古寺の聯額及び補壁 (二)  林  文照   
76

S59/
7/1
  長崎崇福寺の末庵 - その五 - 宮田  安  
  「惟心の浄土、 己身の弥陀」に就いて 鳥越 文邦  
 黄檗山仏舎利記を読みて  中村 秀晴  
 独立禅師の足跡を訪ねて  山崎 清子  
  戴曼公獨立禅師の日本淹留 塩原 はる  
 中国古寺の聯額及び補壁 (三) 林  文照  
77
S59/
9/1
 長崎崇福寺の末庵 - その六 - 宮田  安  
 「禅宗史上における禅と念仏とのかかわりに就いて」   鳥越 文邦  
78

S59/
11/1
 長崎崇福寺の末庵 - その七 - 宮田 安  
 黄檗宗での印可証明 (一) 中尾 文雄  
 潮音禅師の詩偈拾遺  正満 英利  
 黄檗四代独湛和尚攷-清海曼荼羅覚え書き-  松永 知海  
79
S60/
1/1
 長崎崇福寺の末庵 - その八 -  宮田  安  
 黄檗宗での印可証明 (二)  中尾 文雄  
 紫石禅師  林  文照  
80

S60/
3/1
 長崎崇福寺の末庵 - その九 -  宮田  安  
 大雄庵(現在の大雄寺)の創建と初期の布教活動  白土 邫彦  
 四天王像についての考察 -黄檗山天王殿- 江口 正尊   
 什物補修一覧 (昭和五十五年度~五十九年度)  林  雪光  
  81
S60/
5/1
 長崎崇福寺の末庵 -その十-  宮田  安   
 林道永老和尚の念仏禅  中尾 文雄   
 四天王像についての考察 -黄檗山天王殿- 江口 正尊   
82
S60/
7/1
 長崎崇福寺の末庵 - その十一 - 宮田  安   
 南筑後地方における黄檗宗寺院建築の展開  山本 輝雄   
83

S60/
9/1
 長崎崇福寺の末庵 - その十二 -  宮田  安   
 黄檗宗寺院におけるもう一つの門形式について  山本 輝雄   
 刻本の刻師についての紹介  竹村 真一   
 瑞光庵文書について  正満 英利   
84
S60/
11/1
 誕生日を祝うこと  宮田  安  
 隠元禅師の嗣法者 中尾 文雄   
85
S61/
1/1
 長崎崇福寺の末庵 - その十三 -  宮田  安   
 下向の名仏師 江口 正尊   
86
S61/
3/1
 長崎崇福寺の末庵 - その十四 -  宮田  安   
 鉄牛禅師と雲海和尚  - 鉄牛研究ノート ① -  中尾 文雄   
 南無関聖大帝菩薩試考 (一) 江口 正尊   
87
S61/
5/1
 長崎崇福寺の末庵 - その十五 -  宮田  安   
 鉄牛禅師の伝記 (一)  - 鉄牛研究ノート ② -  中尾 文雄   
 南無関聖大帝菩薩試考 (二) 江口 正尊   
88
S61/
7/1
 長崎崇福寺の末庵 - その十六 -  宮田  安   
 鉄牛禅師の伝記 (二)  - 鉄牛研究ノート ③ -  中尾 文雄   
 費隠禅師と其の著 五燈厳統 序~四  鳥越 文邦   
89
S61/
9/1
 長崎興福寺の末庵 - その一 - 宮田 安   
 鉄牛禅師の伝記 (二)  - 鉄牛研究ノート ④ -  中尾 文雄   
 費隠禅師と其の著 五燈厳統 五~七  (附図:仏心宗法脈図) 鳥越 文邦  
90
S61/
11/1
 長崎興福寺の末庵 - その二 -  宮田  安   
 鉄牛禅師の伝記 (ニ)  - 鉄牛研究ノート ⑤ -  中尾 文雄   
 潮音禅師の仏説護諸童子陀羅尼呪経  正満 英利   
 溪道元猊下暹羅国留錫と一切経目録について (一)  田中 智誠  
91
S62/
1/1
 長崎興福寺の末庵 -その三-  宮田  安  
 七条中仏所関係の一新史料 江口 正尊  
 溪道元猊下暹羅国留錫と一切経目録について (二) 田中 智誠   
92

S62/
3/1
 長崎興福寺の末庵 - その四 - 宮田  安   
 星巌寺(佐賀県小城郡小城町所在)本堂の平面について 山本 輝雄  
 黄檗宗末寺帳について (一) 竹貫 元勝  
 溪道元猊下暹羅国留錫と一切経目録について (三)  田中 智誠  
 93
S62/
5/1
 長崎興福寺の末庵 - その五 - 宮田  安  
 椿沼干拓新田開発考 五十嵐 富雄  
94
S62/
7/1
 長崎興福寺の末庵 - その六 -  宮田  安  
 黄檗僧の残した真言に関する文献について 中村 秀晴  
95
S62/
9/1
 長崎興福寺の末庵 - その七 -  宮田  安  
 黄檗宗末寺帳について (二) 竹貫 元勝   
 潮音禅師研究ノート (一) 新田一門の人々 正満 英利  
96

S62/
11/1
 長崎福済寺の末庵 - その一 -  宮田  安  
 潮音禅師研究ノート (二)
    隠棲の地に選んでいた「補陀山」  
    浅間山普賢寺の開創と道閑和尚
正満 英利  
97
S63/
1/5
 長崎福済寺の末庵 - その二 -  宮田  安   
 新知見の康伝在銘像について  江口 正尊   
98
S63/
3/5
 長崎福済寺の末庵 - その三 -  宮田  安  
 講演 「鉄眼禅師について」 林  文照  
 潮音禅師研究ノート  旧事本記大成経の一考察  正満 英利  
99

S63/
5/5
 長崎福済寺の末庵 - その四 - 宮田  安   
 講演 「鉄眼禅師について」 林  文照   
 聖寿山崇福寺における方形石敷き広場について 山本 輝雄  
 潮音研究ノート 黒滝山の開山と開基の人々 (一)、(二) 正満 英利  
100
S63/
7/1
 長崎福済寺の末庵 - その五 - 宮田  安  
 潮音研究ノート 黒滝山の開山と開基の人々 (三) 正満 英利  
 潮音禅師研究ノート  旧事本記大成経の一考察 正満 英利  
101
S63/
9/1
 長崎福済寺の末庵-その六-  宮田  安  
 森田久右衛門の見聞した黄檗山  大槻 幹郎  
 潮音禅師研究ノート  緑樹院夫人と霧海南針  正満 英利  
102
S63/
11/1
 長崎福済寺の末庵-その七- 宮田  安  
 潮音禅師研究ノート  円通徳翁良高禅師のこと 正満 英利  
 九州の黄檗宗寺院における2つの伽藍構成について (一) 山本 輝雄  
103
S64/
1/1
 長崎聖福寺の末庵 - その一 - 宮田  安   
 九州の黄檗宗寺院における2つの伽藍構成について (二) 山本 輝雄  
104
H元/
3/1
 長崎聖福寺の末庵 - その二 - 宮田  安  
 潮音禅師研究ノート 鳳山禅師の生涯と業績  正満 英利  
 逸然と画房東盧庵 錦織 亮介  
105
H元/
5/1
 
 長崎聖福寺の末庵 - その三 - 宮田  安  
 逸然と画房東盧庵 錦織 亮介  
 九州の黄檗宗寺院における選佛場の平面について 山本 輝雄   
106
H元
7/1
 長崎聖福寺の末庵 - その四 - 宮田  安  
 九州の黄檗宗寺院における選佛場の平面について 山本 輝雄  
 潮音禅師研究ノート  (十一)  潮音禅師末後の行脚 正満 英利  
107
H元
9/1
 長崎聖福寺の末庵 - その五 - 宮田  安  
 黒瀧十二景勝の詩 正満 英利  
 -『魔伽羅』起源とその名物考- 田中 智誠  
108
H元
11/1
 潮音門下の画工 陳玄興 正満 英利  
 -『魔伽羅』起源とその名物考- 田中 智誠  
109
H2
1/1
 崇福寺の媽祖堂門 宮田  安  
 潮音禅師研究ノート 黒滝派の仏工左京法眼康祐とその一族 正満 英利  
 高泉和尚語録を読む  (一) 中尾 文雄  
110
H2/
3/1
 高泉和尚語録を読む  (二) 中尾 文雄  
 玉毫寺本堂の屋根形について  (一) 山本 輝雄   
111
H2/
5/1
 玉毫寺本堂の屋根形について  (二)
      付 九州の黄檗寺院における大雄宝殿(土間式本堂)屋根形
山本 輝雄  
 潮音禅師研究ノート 潮音禅師「自賛の題」について 正満 英利  
112
H2/
7/1
 高泉和尚語録を読む  (三) 中尾 文雄 以後休刊
 黄檗禅を語る  林  文照
 鉄文禅師の捉えた萬福寺の伽藍構成 山本 輝雄
休      刊   
113

H5/
2/1
 喜多元規筆 魏之琰画像について (114号に追加資料) 宮田  安   復刊号
 二人の喜多長兵衛 -道矩と元規- 錦織 亮介
 唐寺・崇福寺天王殿について  山本 輝雄
 漱石の神経衰弱と救い  稲垣 瑞穂
 神戸と華僑-神戸の久米村-  辻田 忠弘
 香港ー植民地のなりたちと社会の特色  吉原 和男
 
 114

(1994)

H6/
3/31

黄檗文華殿
開館20周年
   
「黄檗文華」
発刊20周年
記念号
 明末における福州の仏教   -黄檗山寺を中心に-  林田 芳雄  以後
現在の
紀要形式 
 「黄檗版大蔵経」の再評価  松永 知海 
 近世日本の仏教美術における中国の影響  パトリシア・J・グレアム
 初期黄檗宗をとりまく逸伝画家たち  成澤 勝嗣 
  萬福寺における建物と面の関係 奥野 裕樹 
 九州の黄檗派寺院の建設に携わった大工達  山本 輝雄 
 鎮魂の伽藍 坂本 博司 
 伊予の黄檗宗  中山 光直
 黄檗の郡山、恭倹の法脈  -吸江下- 関  光彰
 神護山先聖禅寺沿革その他について  芹澤 保道 
 神戸関帝廟と福建省 辻田 忠弘 
 黄檗禅の研究について  ディター・シュワラー
 黄檗梵唄の記譜について  岩田 郁子
 吸江庵メモ  村田 亘丈 
 「黄檗様式」に魅せられて  江口 正尊
 炬燵禅 前家 寛二
 魏之琰画像追加資料   宮田  安
115


(1995)

H7/
7/31
 [特別寄稿] 『黄檗文華』に「温故知新」の現成を見る 飯田 利行   
 『黄檗清規』の唐音考察 張  昇余   
 六国史所見の地震記事と陰陽道 次田 吉治   
 黄檗声明の経本の成立と変遷 岩田 郁子  
 チベット旅行前後の河口慧海 高山 龍三   
 唐宣宗と黄檗禅師の瀑布聯句について 林田 芳雄   
 提宗和尚のこと    〔管理者注〕提宗とは提宗慧全のこと。 小谷 恵造   
 聖福寺(長崎市所在)天王殿の建築計画について 山本 輝雄   
 [史料紹介] 興田吉従記 『黄檗山雑記』について 河原 英俊   
 普化宗と虚竹の吸江庵について 村田 亘丈   
 キハダ 深谷  泰   
 陳賢筆 観音図画帖について 大槻 幹郎   
 [禅語解説] 「照顧脚下」 村瀬 玄鼎   
 [黄檗と樹木] 月と桂と 田中 智誠   
116


(1996)

H8/
12/21
 [特別寄稿] 宗教史博物館としてのギメ美術館 ヴェラ・リンハルトヴァ  
 〔研究ノート〕 「黄檗版大蔵経-版庫の移転を中心として  松永 知海   
 黄檗寺院の天王殿について 山本 輝雄   
 高岡山瑞龍寺に見る黄檗の影響 斎藤 善夫   
 播州黄檗開宗の祖 実伝道鈞とその弟子  高島 正昔   
 勢州医王寺の洞虚和尚と宝筺印塔を廻って 海住 春弥   
 隠元禅師の東渡と大陸情勢 河原 英俊   
 [宇治市歴史資料館 第27回歴史サロン講演録] 
   近世宮廷文化と宇治 - 特別展『隠元渡来』の展示解説にかえて -
坂本 博司   
 瑞厳寺新宝物館青龍殿の活動について 堀野 宗俊   
 寒天 京都生まれの世界的発明品、その産業と科学、その名前の由来 松橋 鐵治郎   
 木魚について 岩田 郁子   
 独立性易の書と学問  - 明書風受容の背景 - 石田 恭子   
 草創期黄檗の出版について 大槻 幹郎   
 黄檗山萬福寺の煤拂について 田中 智誠   
 黄檗梵唄の音楽的特徴について 滝本 裕造
周 耘 
 
 黄檗宗経典に於ける近世唐音の考察 張  昇余   
117


(1998)

H10/
4/20
 黄檗宗での嗣法について 中尾 文雄   
 逸然と探幽 錦織 亮介   
 黄檗寺院におけるその他の天王殿 山本 輝雄   
 『左京本家』と『法印位』 江口 正尊   
 河口慧海のみたチベット 高山 龍三   
 河口慧海についての一考察  - 得度の師希禅和尚の資料から - 正満 英利   
 漱石の東洋と西洋  - 「草枕」の用語から - 稲垣 瑞穂   
 魯王朱以海と建国公鄭彩 河原 英俊   
 〔研究ノート〕 幕閣からの書状 坂本 博司   
 伊勢の名刹景徳寺の資料 海住 春弥   
 〔史料紹介〕 「稲葉日記」に見える紹太寺と鉄牛道機 下重  清   
 黄檗宗了翁禅師再興の近世寺院「徳大寺」の歴史調査 井藤 暁子   
 山鹿素行の虚と実 村田 亘丈   
 「中国茶」 石川 登美子   
 隠元の書 西林 真紀子   
 黄檗十二景について 田中 智誠   
 黄檗宗の梵唄の旋律構造 岩田 郁子   
 黄檗梵唄の旋律分類及び音階考察 周  耘   
118

(1999)

H11/
5/1
           
 銭粛楽の黄檗山墓葬について 小野和子   
 河口慧海献上の蔵経を求めて  - 一九九八年ネパール報告 - 高山龍三   
 萬福寺伽藍における 廊下の機能に関する歴史的展開について 山本輝雄   
 黄檗文化 ・ 序論的覚書(黄檗、道元、隠元) ヴェラ・リンハルトゥ゙ァ
(赤松 明彦訳) 
 
 「富小路友学祖論攷」 江口 正尊   
 萬福寺にたどり着きて思うこと
        - 大鵬禅師と細井平洲、楚州禅師と碧潭和尚について -
細井 啓子   
 南九州・沖縄における媽祖像 錦織 亮介   
 三人の近世尼僧と黄檗 パトリシア・フィスター  
 大鵬禅師の墨竹画について 成澤 勝嗣   
 黄檗語録にみる加賀・越中  (一) 大槻 幹郎   
 隠元禅師と抗清勢力との関係 河原 英俊   
 萬福寺の塔頭に関する覚書 坂本 博司   
 中国画としての黄檗頂相 市村 真木子   
 独立性易の六義解釈について  - 王羲之批判を論点として - 髙井 恭子   
 「月」から観る  - 隠元の書 - 西林 真紀子   
 黄檗梵唄にみられる明清交替期の中国仏教音楽の遺産 周  耘   
 禅林課誦と中国日課経本 岩田 郁子   
 仏事梵唄讃の詞牌性 野川 博之   
 織錦観音大士像について 田中 智誠   
119

(2000)

H12/
5/1
 大慈普応禅師鉄牛道機老大和尚三百年大遠忌記念講演要旨 榊原 直樹   
 河口慧海のおもい
    - 大王への献上一切経調査 ・ 一九九九年ネパール報告 -
高山 龍三   
 画像逸然の交遊   - 七通の書簡 - 錦織 亮介   
 江戸時代の絵画における関羽像の確立 長尾 直茂   
 「文」と『黄檗清規』 髙井 恭子   
 国内における天王殿の実例補遺 山本 輝雄   
 黄檗語録にみる加賀・越中  (二) 大槻 幹郎   
 隠元隆琦撰銘の梵鐘 斉藤 善夫   
 魯王監国建国公鄭彩と琉球王国探問使平川 河原 英俊   
 「伽藍並びに寺領絵図」について 坂本 博司   
 島田宿と黄檗宗白岩寺末寿真庵について 徳田  格   
 仙台と黄檗宗   - 特別展「黄檗の書画」の開催報告にかえて - 尾暮 まゆみ   
 『融通円門章集註』に見える唐音をめぐって 野川 博之   
 月舟宗胡の明末清規の受容について新出資料『雲堂規』の紹介 本多 祖圭   
 萬福寺伝来の四臂観音像蔵文銘について 矢野 俊行   
 黄檗梵唄の和様化 周  耘   
 黄檗の五大法要ならびに二祖三佛忌について 田中 智誠   
120

(2001)

H13/
5/31
 〔特別寄稿〕  二十一世紀への提言 川喜多 二郎   
 黄檗開山普照国師年譜について 木村 得玄   
 『黄檗清規』序と梵行章第五を改めて読み直す 榊原 直樹   
 黄檗宗の陀羅尼の一考察 木村 俊彦   
 国内の著作にみる河口慧海  (一) 高山 龍三   
 国内における大雄宝殿の建築形態に関する非歴史性について  山本 輝雄  
 伏見 ー その地名の起源と歴史 白數  毅   
 二本松の廃寺 小島 徳二   
 鄭成功の日本請援と隠元禅師の江戸行化
    - 「華夷変態」所蔵 鄭成功援兵要請書の年代解釈について -
河原 英俊   
 煎茶陶磁をめぐる諸問題  - 日本の近世陶磁を中心として - 仲野 泰裕   
 鳴滝乾山窯址発掘について 西川 秀敏   
 黄檗梵唄の和様化の原因 周  耘   
 『集篆金剛般若波羅蜜経』をめぐって  - 経典と書跡の役割から - 髙井 恭子   
 「版偈」の成立経緯をめぐって 野川 博之  
 『先代旧事大成経』をめぐる黄檗人脈 野川 博之  
 世阿能楽論に見る月庵法語引用をめぐって 野川 博之  
 黄檗語録にみる加賀・越中  (三) 大槻 幹郎   
 山田道安と鶴峰廣大 四宮 美帆子   
 数で理解する黄檗文化 田中 智誠   
121

(2002)

H14/
6/30
  「禮佛發願文」 (怡山然禅師撰) 榊原 直樹   
 黄檗山萬福寺における仏舎利供養について  - 「法皇忌」とその関係から - 髙井 恭子   
 即非禅師の世系と林希逸  - 「老子口義序」と『福清県志続略』をめぐって - 長尾 直茂   
 明末清初肖像画の諸問題 黄檗画像の祖  - 曾鯨と張琦 -  近藤 秀實  
 黄檗派の禅における大雄宝殿の建築上の荘厳性について 山本 輝雄   
 国内の著作にみる河口慧海  (二) 高山 龍三   
 八丈島の近世中国仏教関連遺物 野川 博之   
 天如惟則の『浄土或問』について 谷村 純子   
 秋田県湯沢市黄檗宗『長亨庵』の記録 伊藤  正   
 黄檗語録にみる加賀・越中  (四) 大槻 幹郎   
 史料紹介『如幻三昧外集』に見える黄檗宗と伊達綱村  (一) 尾暮 まゆみ   
 南国の風そよぐ中で 山本 浄月   
 近世阿波における黄檗宗の展開とその特質
    - 鐵崖道空の動向を中心として -
三好 昭一郎   
 『宝鏡寺蔵『妙法天神経解釈』全注釈と研究』の紹介  - 黄檗宗と天神信仰 - 安原 真琴   
 曜光山月山寺蔵了翁寄進鉄眼版一切経について 渡辺 麻里子   
 「バタビィア城日誌」にみる萬福寺の西域木 河原 英俊   
 黄檗宗と浄土信仰について 田中 智誠   
122

(2003)

H15/
7/31
  『普照國師廣録』巻第十  榊原直樹   
 東京禅林寺の本尊 木村得玄   
 鐵崖道空の人脈形成と竹林禅院 - 阿波黄檗禅展開の基盤として - 三好昭一郎   
 加賀・能登における「黄檗文化史」の一考察
   - 豊財院・天徳院・献珠院・薬王院・那谷寺等の古蹟を訪ねて -
木村 武  
 台南黄檗寺考  - 古黄檗末寺の盛衰 - 野川 博之   
 国内における天王殿補遺  ~ その二 ~ 山本 輝雄   
 松隠堂修理の現場から (一) 浅井 健一   
 『黄檗清規』序文と「檀林清規」(融通念仏宗)序文との比較 谷村 純子   
 隠元と鄭成功との関係について 林  觀潮   
 萬福寺伽藍堂の華光菩薩像について  二階堂 善弘   
 華蔵寺経蔵調査と仏像再制作の経緯について 髙井 恭子   
 鶴洲霊翯続考 五十嵐 公一   
 [研究ノート] 渡辺崋山が所蔵した肖像画「為霖道霈像」と画家王任治 杉本 欣久   
 河村若芝筆十八羅漢図の特質 高橋 亜季   
 国内の著作にみる河口慧海  (三) 高山 龍三   
 黄檗山菊舎句碑について 岡  昌子   
 今は亡き ・ 平久保先生を偲んで 山本 裕彦   
 「我が懐かしのビルマ」 (一九八四~八八) 南  信夫   
 武蔵国自得山鳳林院の歴史と文化財 河原 英俊   
 嵋山元賢ノ天神信仰  - 道明寺天満宮蔵『瑠璃壺之詠歌百首』をめぐって 渡辺 麻里子   
 曹洞僧獨庵玄光の黄檗様頂相  大槻 幹郎   
 『魏氏楽譜』の解読について 楊  桂香   
 台湾における禅寺と修行僧の生活 洪  櫻娟   
 黄檗宗と、禅と浄土思想関係法系譜図 田中 智誠   
123

(2004)

H16/
7/31



             
黄檗文華殿
設立33周年
   
「黄檗文華」
発刊30年
記念号
     
 「萬別千差一掃空」抜粋 釈  聖厳   
 五灯全書にみる費隠の法嗣 木村 得玄   
 普照國師廣録巻第十  嗣法門人如一編 (4~5頁) 榊原 直樹   
 隠元隆琦と日本皇室  -『桃蘂編』を巡って 林  觀潮   
 「悦山道宗撰 『恭祝 黄檗開山祖翁隠元老和尚八十壽序』 について」 髙井 恭子   
 高泉禅師語録の解題 -詩文篇- 大槻 幹郎   
 〔研究ノート〕  「天真了翁禅師研究の課題」 松永 知海   
 近世中期の仏教界革新 ・ 佛教学興隆に貢献した黄檗僧了翁禅師
   - 東叡山勧学院の創設と台密禅二十一ヶ寺への一切経施経を中心に -
内山 純子   
 高野山真別処蔵了翁寄進鉄眼版一切経について 渡辺 麻里子   
 讃岐・塩飽牛島・極楽寺所蔵の黄檗版大蔵経 藤井 直正   
 黄檗派禅の信仰の修行空間としての確立時期に関する建築史的一研究 山本 輝雄   
 隠元・黄檗に係る梵鐘の形状と文様について 斎藤 善夫   
 大潮作「読玄瀾子詩」補注 高橋 博巳   
 黄檗宗と曹洞宗加賀大乗寺 虎井 吉雄   
 加賀藩・心空庵月峰道喜をめぐる人々 野村 昭子   
 為霖道濡禅師「道元伝」の特色 野川 博之   
 鐵崖道空による竹林禪院開基前史 - 阿波黄檗宗展開への道程 - 三好 昭一郎   
 天瑞道恩と王政復古祈願石 石渡 吉彦   
 伊吹山松尾寺と大原幽学
   - 幕末における生存権保障制度の萌芽に関わる
          松尾寺提宗和尚の果たした動機づけの意義
椎名 勤治   
 進藤端道略伝 岩田 𣇵   
 中国仏教における「禅浄双修」ニついて 洪  櫻娟   
 数字でみるタイ仏教の姿 松下 正弘   
 黄檗宗に魅せられて 尾暮 まゆみ   
 「愛心は権力より強し」  - 牧野虎次の生き方をふり返って - 永島 鉄雄   
 追想  平久保 美子   
 祖父の背中 松下 朋子   
 武蔵野国野中山圓成院の歴史と文化財 河原 英俊   
 成蹊学園創立者中村春二著『悟り方図解』(英訳版十牛図)紹介 田中 智誠   
 黄檗に関する欧文の研究文献について ジェームス・バスキンド  
 『魏氏楽譜』ノ解読について-明楽における中国の宮廷音楽と仏教音楽- 楊  桂香   
 野山の植物を食材に  - キハダの実(シケレペ)について - 北  美智子   
 アイヌ民族文化における黄柏二ついて -シケレペニの使い方- 堀田  清
江口 正尊 
 
124

(2005)

H17/
6/30         
 普照國師廣録 巻第十 嗣法門人如一編 (五丁左~七丁右) 榊原 直樹   
 黄檗派禅の開祖・隠元禅師と念仏の理解者
    ・独湛禅師の「信仰に関わる場所づくり」について
山本 輝雄   
 隠元隆琦の語録と編纂および傳記資料 林  觀潮   
 高泉禅師語録の解題  - 語録篇 - 大槻 幹郎   
 書道思想における道家思想の一端について
    - 王羲之から黄檗僧 獨立性易まで -
髙井 恭子   
 国内の著作にみる河口慧海  (5) 高山 龍三   
 [研究ノート] 長崎・崇福寺蔵 呉彬筆 「仏涅槃図」  - 水上の龍王 - 高橋 亜季   
 『名刹寺院の本尊遷座物語』 江口 正尊   
 日本の輪蔵についての一考察 野﨑  準   
 了翁が創建した東叡山勧学院 内山 純子   
 天真院客殿の建築史的変遷 客殿・経蔵保存修理工事に伴う調査結果から 丸山 俊明   
 了翁さん 道岡 日紀   
 福神漬の起源をめぐる一考察 野川 博之   
 史料紹介 『如幻三昧外集』に見える黄檗宗と伊達綱村  (二) 尾暮 まゆみ   
 〈研究資料〉 『江戸黄檗禅刹記』校刊と解題  (一) 江 戸
黄檗研究会 
 
 武蔵野国荏原郡下目黒村 黄檗宗 久林山浄覚寺 廃寺のこと 田村 太郎   
 曹洞宗正信論争について 竹林 史博   
 仏教と禅画との出会い 如玄 ノバク   
 ミャンマーの工場再訪 南  信夫   
 武州江嶋山寿昌院ノ歴史と文化財 河原 英俊   
 河口慧海没後六〇年顕彰碑建設の経緯 河原 英俊   
 隠元の詩文における書学思想についての一考察
    - 「閲懐素帖」を中心にして -
劉  作勝   
 十七世紀後半期徳島藩の動向と鐵崖道空
    - 藩主・仕置家老との関係を中心として -
三好 昭一郎   
 英文 ・ 「黄檗山畧記」改訂版の紹介と欧文表記について 田中 智誠   
 『黄檗文華』2004-2005 研究報告 「京都留学において」 ジェームス・バスキンド  
 萬福寺所蔵織錦観音大士像余聞 小野田 俊蔵   
 清楽における戯劇性  - 目連救母を例として - 楊  桂香   
 仏教音楽の世俗化の現場から宗教音楽の伝承と変容のルールを探求する 周  耘   
125

(2006)

H18/
6/30 
 [特別寄稿] 禅籍拾遺 -道温輯『緇門寶鑑』  長谷部 幽蹊   
 普照国師廣録巻第十 (第七丁~八丁) 嗣法門人如一編  榊原 直樹   
 隠元禅師来日の理由 木村 得玄   
 高泉禅師著作解題 編著部 大槻 幹郎   
 「月坡禅師の『記』『志』 ・大宅寺と隠元禅師の『新黄檗志略序』・ 萬福寺
     -江戸時代における「禅の場所」の在り方を考える- 
山本 輝雄   
 萬福寺の涅槃図の作者徳応について  渡邊 雄二   
 隠元墨蹟用印および遺印についての考察  劉  作勝   
 [研究資料]『江戸黄檗禅刹記』校刊と解題 (二)  江戸黄檗研究会  
 徳島藩初期改革の動向と大安寺住持の役割 (その一)  三好 昭一郎   
 加賀藩五代前田綱紀と黄檗第五代高泉禅師 虎井 吉雄   
 仙台「臨済院」考  「安永の書出」「伊達家文書」からの考察 石渡 吉彦   
 武蔵野国 黒金山祥應寺の歴史と文化財 河原 英俊   
 仙岩に登る -黄檗ゆかりの地 ・その一・ アモイ(廈門)- 林  觀潮   
 台南に黄檗寺の影を求めて 野川 博之   
 国内の著作にみる河口慧海(五) 高山 龍三   
 タイの個人僧坊 松下 正弘   
 梵唄から隠元へ  澤村 洋二   
 近世日本における普茶料理の受容と展開   ~江戸料理書を中心に~ 東四柳 祥子   
 花まつり -回想-  辻  祐弘   
 父 多々良孝宣と「めぐみの法乳」 多々良 由利子   
 「宗祖真空華光大師遺誡」新資料の紹介 田中 智誠   
 『黄檗清規』および『新黄檗志略』 各序文の英訳 ジェームス・バスキンド  
 初期日本黄檗における『華嚴經』 -宗旨と経典の関係を視点にして- 髙井 恭子   
126

(2007)

H19/
7/31 
 明淸佛教の源と流を探る ― 黄檗禪との関連において ― 長谷部 幽蹊   
 続隠元禅師来日の理由 木村 得玄   
 潮音を聞く ― 黄檗ゆかりの地 その二  浙江普陀山  林  觀潮   
 黄檗即非禅師の仏画論  ―逸然筆列祖図の批判―  錦織 亮介   
 初期黄檗文化の一側面  ―逸然性融筆「仏涅槃図」の位相― 藤元 裕二   
 曹洞宗寺院に伝わる黄檗系の宝物事例 本多 寛尚   
 独立禅師(黄檗山万福寺)と中国医学 辻田 登美子   
 準世代・即非禅師作『新黄檗志略序』を拝読して、
    日本人僧・鉄文道智禅師の「禅の場所への志向」との関連について考える 
山本 輝雄   
 黄檗山萬福寺松隠堂の変遷と建造物修理の歴史
    ― 松隠堂修理の現場から (二) ― 
浅井 健一   
 普照國師廣録巻第十 (第八~九丁)  嗣法門人如一編  榊原 直樹   
 『黄檗和尚扶桑語録』 二十巻本  大槻 幹郎   
 護国寺の由来と桂昌院について  小野 妙恭  
 黄檗版『大明三藏聖教目録』の成立と刊行 ― 日本黄檗と宗旨の関係から ― 髙井 恭子   
 西夏仏教文献『密呪円因往生集』について
    ― その鉄眼版収録までの足どりを中心に ―
野川 博之   
 〈研究資料〉 『江戸黄檗禅刹記』校刊と解題 (三) 江戸黄檗研究会   
 国内の著作にみる河口慧海 (七) 高山 龍三   
 西ネパールを歩く 大西  保   
 河口慧海口述チベット旅行記事と日本人のチベット・イメージ 高本 康子   
 梵唄から隠元へ (承前) 澤村 洋二   
 徳島藩初期藩政改革の動向と大安寺住持の役割(その二) 三好 昭一郎   
 摂津富田の廃寺 ・ 水月長福禅寺について 石渡 吉彦   
 豊岡京極氏と大雲山興国禅寺  瀬戸谷  晧   
 若冲逸話 南浦 邦仁   
 マカラ 阿部 和行   
 あがたさん 田鍬 到一   
 神田神保町あれこれ 島﨑 達男   
 「日本の民間放送テレビの源流」 神松 一三   
 中日両黄檗ノ風水的トポロジーについて 田中 智誠   
127

(2008)

 H20/
7/31              
 古郷の山へ、帰ろうかな   ― 黄檗ゆかりの地 その三 福清黄檗山 ― 林  觀潮   
 黄檗山萬福寺という「場所」の歴史的展開過程についての一理解 山本 輝雄   
 黄檗山萬福寺における建築的景観及びその維持に関する覚え書き 浅井 健一   
 費隠禅師のキリスト教批判   ― 『原道闢邪説』 岡本 さえ   
 近代仏教と黄檗の役割 マルティン・レップ  
 摂津国島上郡の黄檗廃寺について  石渡 吉彦  
 日野市百草山における二つの廃寺   ― 慈岳山松蓮寺と桝井山松蓮寺 ― 西村  勉   
 〈研究資料〉 『江戸黄檗禅刹記』校刊と解題 (四) 江戸黄檗研究会   
 『隠元和尚廣録』について 大槻 幹郎   
 鎮堂元傑禅師をめぐる推論 木村 得玄   
 宗統復古に捧げた加賀大乗寺二十七世 卍山道白禅師の偉業
       ・ その背景は黄檗禅の影響が多大であった
虎井 吉雄   
 初期日本黄檗における儀礼と儀規  ― 禅淨双修 ― 髙井 恭子   
 伊勢天華寺の石碑と大般若経 藤井 直正   
 日本の輪蔵についての覚書 野﨑  準   
 国内の著作にみる河口慧海  (八) 高山 龍三   
 慧海を世界の河口にしたふたりの女性 高山 龍三   
 梵唄から隠元へ  (三)  澤村 洋二   
 台北善導寺 過去と今 野川 博之   
 黄檗山萬福寺所蔵「十六羅漢図」の構成に関する一考察
       ― 伝詫磨長賀筆「十八羅漢図」の検討を兼ねて ― 
藤元 裕二   
 ブラジル日系人の文化の変遷 田中 実マルコス
(芳道) 
 
 高泉禅師年譜について 田中 智誠   
128

(2009)

    H21/
7/31
 『明僧渡来と本朝臨済禅の覚醒』 能仁 晃道   
 中国時代における隠元禪師の環境  林  觀潮  
 黄檗僧獨湛の自画像と肖像画 錦織 亮介   
 広南の茫爵 ― 新黄檗仏師范道生の父 林  正子   
 国内外の著作にみる河口慧海  (一) 高山 龍三   
 河口慧海ゆかりの東京 高山 龍三   
 悟心元明 ― 人と印学 鈴木 洋保   
 文豪川端康成と或る黄檗廃寺 石渡 吉彦   
 大石内蔵助良雄次男の徧参をめぐって 瀬戸谷  晧   
 三河龍渓院と華蔵寺一切経をめぐって
     ― 経典の取捨改刻と既成仏教との関係 ―
髙井 恭子   
 江戸黄檗禅刹記  巻九 江戸黄檗研究会  
 台北善導寺 過去と今(続)  ― 前稿発表後見い出した新資料 ― 野川 博之   
 書評・蒿吉靖著『了翁禅師』 伊藤  正   
 魯庵如道と小谷田勝五郎 ・ 池田冠山の関係についての一考察 西村  勉   
 隠元禅師語録について   (一) 大槻 幹郎   
 黄檗山萬福寺所蔵『黄檗開山塔院什物数』の翻刻と解題 藤元 裕二   
 古黄檗拝登をめぐる追懐 岡墻 健次郎   
 明清代、福建人に影響を与えた民間神とその信仰 宝迫 典子   
 中国の食文化と吉祥性  ― 七夕の縁起物「索麵」について 田中 智誠   
 中国天寧禅寺仏教儀礼音楽の研究構想  ― 「中国仏教音楽研究シリーズ」 周  耘   
129

(2010) 

H22/
7/31
 中国における寺廟の変革―茅蓬の創設をめぐって― 長谷部 幽蹊   
 来舶画士楊道真再考―渡来年・再渡来年― 錦織 亮介   
 隠元禅師語録について  (二) 大槻 幹郎   
 隠元禅師と福清黄檗山及び臨済宗黄檗派 林  觀潮   
 国内外の著作にみる河口慧海  (二) 高山 龍三   
 河口慧海著「黄檗実事録」解題  ① 岩田  𣇵   
 弐百両で売られた黄檗の寺 石渡 吉彦   
 黄檗僧了翁が創建した天台宗東叡山勧学講院
      ― 天台教学の変換期に焦点をあわせて ―
内山 純子   
 「了翁禅師研究会」について 富谷  弘   
 近世泉涌寺の再建―伽藍復興と精神の回帰 西谷  功   
 黄檗山萬福寺所蔵『黄檗什物帳』の翻刻と解題 藤元 裕二   
 柳川藩主立花家の墓碑考察 秋元 茂陽   
 日本黄檗を支援した大名をめぐって 髙井 恭子   
 永貞院の夢と信仰生活 北村 新比古   
 黄檗宗常用の西夏仏教遺文 野川 博之   
 ∴唵啞吽為□□□△△○○来受甘露味   田中 智誠  
 天寧禅寺と天寧梵唄の歴史について   ― 「中国仏楽研究シリーズ」之二  周  耘   
130

(2011)

H23/
7/31    
 惜字紙の俗とその流伝 長谷部 幽蹊   
 黄檗僧独湛筆 廬山十八高賢図  ― 萬福寺獅子林院所蔵 ―  錦織 亮介   
 了翁禅師と秋田蘭画 今橋 理子   
 高田敬輔の画業―黄檗絵画との接点―  國賀 由美子  
 黄檗山萬福寺所蔵・土佐光成筆「後水尾法皇像」について
     ― 法皇への追慕 萬福寺と土佐派の伝統 ―
藤元 裕二   
 隠元禅師の人格について 林  觀潮   
 隠元禅師語録について  (三) 大槻 幹郎   
 伊豆大仁の黄檗廃寺・高勝寺について   石渡 吉彦  
 国内外の著作にみる河口慧海  (三) 高山 龍三   
 河口慧海著「黄檗実事録」解題 ② 
     ― 補遺「明教新誌」 ①  補遺「明教新誌」に見る河口慧海の言論 ①
岩田  𣇵   
 西夏仏教文献の中原流伝に関する一考察
     ― 麗江土司・木氏と徐霞客とのかかわりを中心に
 野川 博之  
 萬福寺に建立された大名家の墓碑考察 秋元 茂陽   
 追悼 伊藤正先生 富谷  弘   
 黄檗宗萬福寺の伽藍建設とその大工棟梁秋篠家について 小川 温雄   
 黄檗宗に関する記述について 田中 智誠   
 「日本華僑社会に残された中国文化  ― 函館中華会館創立100周年 ― 」 小川 正樹   
 水陸法会の歴史的沿革と儀礼の構成についての研究
     ― 「中国仏楽研究シリーズ」之三 
周  耘   
 131

(2012)

H24/
7/31           
 宗派意識とその変成  -正宗の呼称をめぐって -   長谷部 幽蹊   
 隠元禅師に対する江戸幕府の政策について 林  觀潮   
 隠元禅師語録について  (四) 大槻 幹郎   
 鉄眼版大蔵経の出版とその利用 内山 純子   
 黄檗山萬福寺所蔵『華厳経疏論纂要』と、戦時下の日中文化交流 大野 公賀   
 河州の黄檗派廃絶寺院について 石渡 吉彦   
 萩藩主毛利家の墓碑考察 秋元 茂陽   
 新出 金龍山浅草寺所蔵・木庵性瑫讃「霊照女図」について 藤元 裕二  
 伊藤若冲筆 《動物綵絵 老松白鳳図》 における「もう一羽の鳥」
     -  閑古鳥と諫鼓鳥 -
中野 晶子   
 講談 『尼了然』 をめぐって 松村  恒   
 鄭廷玉撰「布袋和尚忍字記雑劇」試訳 (上) 北川 修一   
 南安小雪峰を舞台とする中国版「恩讐の彼方に」について 野川 博之   
 国内外の著作にみる河口慧海 (四) 高山 龍三   
 望月佛教大辞典編纂に従事した檗僧・服部俊崖 住谷 瓜頂   
 「木庵伽羅笠」(名古屋市千種区紫磨山長福寺所蔵)と、
       神農図に描かれた蓑について
三浦 重則   
 古黄檗「翠竹庵」と京黄檗「竹林精舎」について 田中 智誠   
 魏双侯は明楽を日本に齎した経緯を再考察
     - 永暦帝明王由榔との関連を踏まえて
楊  桂香   
132

(2013)

H25/
7/31 
 福清石竹山の仏教について
   「福清石竹山の仏教-黄檗ゆかりの地 その四 福清石竹山」
林  觀潮   
 隠元禅師語録について  (五)  大槻 幹郎   
 みちのくの黄檗廃絶寺院  石渡 吉彦   
 大堅元用の新田開発と圓成院について 西村  勉  
 大和郡山藩主柳沢家の墓碑考察 秋元 茂陽   
 国内外の著作にみる河口慧海  (五) 高山 龍三   
 補遺「明教新誌」に見る[黄檗騒動]と河口慧海の言論 ② 岩田  𣇵   
 鄭廷玉撰「布袋和尚忍字記雑劇」試訳 (中) 北川 修一   
 牛頭山弘福寺に伝わる兆渓元明(明兆渓)の仏画二題
    -「白衣観音文殊普現三尊図」と「五百羅漢図」
藤元 裕二   
 村瀬玄妙猊下『転んだら起きればいい』を拝読して 野川 博之   
 黄檗宗における絡子後拜の紋印 田中 智誠   
133

(2014)

H26/
7/31
 牛頭山弘福寺所蔵・喜多元規筆「稲葉正則(泰応)像」と伝稲葉正則筆「宝舟図」 藤元 裕二   
 魏双侯が日本に齎した中国宮廷音楽の再考察
   -『魏氏楽譜』六巻本と朱載堉『楽律全書』と
         朱熹『儀礼伝通解』との関連を踏まえて-
楊  桂香   
 鄭廷玉撰「布袋和尚忍字記雑劇」試訳  (下) 北川 修一   
 日本京都金光寺蔵『仏説目連救母経』の文法
    -動詞に後置する助字、介詞を中心として-
北川 修一   
 華蔵寺所蔵『黄檗版一切経』をめぐって   -黄檗版を支援した華蔵寺の事情- 髙井 恭子   
 済公活仏物語に見る注目すべき二つの特色
    -「父死子死孫死」の起源と心中物語-
野川 博之   
 国内外の著作にみる河口慧海  (六) 高山 龍三   
 小城藩主鍋島公の墓碑考察 秋元 茂陽   
 隠元禅師語録について  (六) 大槻 幹郎   
 伊勢松坂の黄檗廃絶寺院 石渡 吉彦   
 文化年間の正月行事 田中 智誠   
 『獅子巌志』標註 林  觀潮   
134

(2015)

H27/
7/31 
 黄檗画像画師・補遺  (一)  -喜多元規以外と以後の画師たち- 錦織 亮介   
 浅草寺境内を彩る書 -松平冠山『浅草寺志』に記録された聯と書額 藤元 裕二   
 仙台藩主伊達家の墓碑考察 秋元 茂陽   
 国内外の著作にみる河口慧海  (七) 高山 龍三   
 萬福寺功績歌碑にみる河口慧海の旅 高山 龍三
稲葉  香
 
 隠元禅師語録について  (七) 大槻 幹郎   
 佐賀旧鍋島藩の黄檗廃絶寺院について 石渡 吉彦   
 親鸞聖人「非僧非俗」をめぐる一考察
    - 宋代仏教の文献との関連性を視野に入れつつ
野川 博之  
 日本京都金光寺蔵『仏説目連救母経』の語彙 北川修一   
 「開山涅槃の疏」について 住谷瓜頂   
 昆布が伝えられた道 -そのコンブロードについて 田中智誠   
 黄檗參学記 呉 疆   
 齋雲道棟 『讃觀音大士伽陀集』 (上・下) 標註 林 觀潮   
135

(2016)

H28/
7/31
 黄檗画像画師・補遺  (二)   ─ 初期の画像画師・補遺 ─ 錦織 亮介   
 東京都台東区世尊寺所蔵・卓峰道秀筆「仏涅槃図」について 藤元 裕二
藤元 晶子 
 
 隠元禅師語録について  (八) 大槻 幹郎   
 出羽の黄檗廃絶寺院について 石渡 吉彦   
 淀藩主稲葉家の墓碑考察 秋元 茂陽   
 《新資料紹介》  黄連忠氏著「天童密雲圓悟禅師語録及其禅学思想研究」  野川 博之   
 黄檗の檀越 青木重兼 田中 智誠   
 人物書誌体系 『河口慧海』 補遺  (一) 高山 龍三   
 蘇州 《曲園》 訪問記  田中 昭三   
 黄檗参学記 (和訳)     ─ 隠元禅師ゆかりの寺院をめぐって ─ 楊  桂香 訳
林  正子 訳
田中 昭三 編 
 
 黄檗文化と魏氏楽譜の関連について
    漆明鏡著「《魏氏楽譜》的楽器、記譜法和宮調」の紹介を兼ねて
                            〔管理者注〕 「調」は簡体字。 
楊  桂香   
 安南と日本に通行する明の魏氏琰の事跡 林  觀潮   
136

(2017)


H29/
7/31
         
 鉄心道胖の文事 ─「聖福八景」詩原巻とその時代 若木 太一   
 泉州と紀州の黄檗廃絶寺院について 石渡 吉彦   
 近江における黄檗末寺の増加とその背景
     ─ 祐堂元蔭の萬年寺再興を中心に ─
松岡 久美子   
 瑞龍寺と河口慧海   高山 龍三  
 黄檗四年苦記について 故  林 雪光   
 詩で綴られた宗祖御一代記 『祖徳讃頌』 を繙く 住谷 瓜頂   
 萬福寺萬寿院所蔵・河島雪亭尚明筆「釈迦羅漢図」について
     ─ 江戸時代仏画における雪舟画の再生 ─
藤元 祐二   
 隠元禅師語録について  (九) 大槻 幹郎   
 続 ・ 仙台藩主伊達家の墓碑考察 (側室編)  秋元 茂陽   
 日本京都金光寺蔵 『仏説目連救母経』 関連表現 北川 修一   
 萬福寺文華殿建設の経緯と大正時代以降の文献目録 田中 智誠   
 伊藤若冲と魏皓の関連を探って  ─ 『鉄眼黄檗蔵』の開版の考察を兼ねて ─ 楊  桂香   
 人物書誌体系 『河口慧海』補遺 (2)  高山 龍三   
 天童密雲円悟禅師語録およびその禅学思想についての研究  黄連忠 著
(野川博之邦訳) 
 
 明の中天正円和尚の事蹟 林 觀潮   
137

(2018)


H30/
  7/31      
 朱舜水の肖像画をめぐって 田渕 義樹
錦織 亮介 
 
 大潮元皓の旅と文学  高橋 博巳   
 隠元禅師語録について  (十)  大槻 幹郎   
 北摂の黄檗廃寺補遺と讃岐高松藩の黄檗廃寺  石渡 吉彦   
 続 ・ 仙台藩主伊達家の墓碑考察 (子女編)  秋元 茂陽   
 最後のアジール ─ 大島宇吉の高野山真別所潜伏生活  野川 博之   
 古黄檗に関する由来の記述、並びに日本禅宗史文献について  田中 智誠   
 仏教音楽観と仏教音楽の美意識  周  耘
部  歓歓 
 
 伊藤若冲と魏皓の関連を探って
  ─萬福寺文華殿蔵 悟心元明『一雨余稿』(複写本)とその周辺の紹介を兼ねて 
楊  桂香   
 人物書誌体系 『河口慧海』補遺 (3) 高山 龍三   
 黄檗宗の僧と『彦山勝景詩集』について  林 觀潮   
138

(2017 

 2018)

R元/
 7/31  
 廃絶寺院誌・三河の善光庵と山城の廣済庵 石渡 吉彦   
 改訂 ・ 柳川藩主立花家の墓碑考察  秋元 茂陽  
 天王殿小考  佐々木 日暮里  
 無学祖元禅師臨刃偈再考  野川 博之   
 逸然性融作 「羅漢渡水図巻」 をめぐって ─その図像解釈と若芝本に見る特質  鈴木 洋保  
 『普照国師廣録』について   大槻 幹郎  
 晩課における蒙山施食文について  田中 智誠  
 人物書誌体系 『河口慧海』 補遺 (4) 高山 龍三   
 隠元和尚の禅風 林  觀潮   
 悠久なる故郷の響き ─黄檗声明の中国的要素─ 周  耘   
139

(2018 

 2019)

R2/
 7/31 
 黄檗文化とその現代性  林  觀潮  
 江戸時代の長崎来舶画人について  錦織 亮介   
 陳賢『観音図冊』を読む ─隠元 ・ 陳賢と観音像をめぐって  鈴木 洋保  
 什宝となった粉本 乾坤山徳蔵寺所蔵・
    狩野探幽原画「釈迦・阿難・迦葉尊者像」について
      ─萬福寺所蔵「釈迦三尊像」「十六羅漢図」との比較および
                   寛永寺の絵画鑑定の考察を踏まえて 
藤本 裕二   
 四代藩主伊達綱村と黄檗宗を繋ぐ人々   尾暮 まゆみ  
 伊予と阿波の黄檗廃絶寺院 石渡 吉彦   
 肥前鹿島藩主─鍋島家の墓碑考察  秋元 茂陽   
 明 ・ 紫柏大師所説「氷多水多」考
       ─源信・親鸞・白隠の用例をも視野に入れつつ 
野川 博之   
 東林派下梅嶺禅師湖東三ケ道場歴代表と
          容藤軒義祐老行業記並びに東林派下寺院表 
田中 智誠   
 隠元の悟境表現と臨済宗風 ─「打筋斗」と「獅子返擲」を中心に  賈 光佐   
 黄檗禅の打七と臘八接心  小川 太龍   
 140

(2019 

 2020)

R3/
 7/31
 隠元禅師大遠諱に際し檗門の再起を探る  松本 普成   
 費隠禅師書状の考釈  周  錚   
 宋版の黄檗断際禅師語録三種  林  觀潮   
 黄檗派の祖師源流図について  錦織 亮介   
 大潮元皓と売茶翁  高橋 博巳   
 摂津州の黄檗廃絶寺院志  石渡 吉彦   
 肥前鹿島藩主鍋島家の墓碑考察 (弐)  秋元 茂陽   
 求道者へのエール『擬寒山詩百詠』  住谷 瓜頂   
 日本書道史の思想的解明 (遺稿)  故 髙井 恭子  
 俳句に用いられた「祝国」 豊田穣の異国での一句をめぐって  野川 博之  
 隠元の嗣法とその精神について  賈  光佐  
 私が一切経収蔵庫で作業できた理由(わけ)  矢野 俊行  
 東明慧日と東明慧旵  田中 智誠  

141






宗祖
隠元禅師
350年
大遠忌
記念誌

      
 黄檗山と池大雅 佐々木 丞平   
 黄檗と日本の書  島谷 弘幸   
 隠元禅師の足跡を訪ねて  原田 博二   
 黄檗宗寺院の境致と池大雅 出光 佐千子   
 道義撐持、東西互照 ─ 隠元禅師を記念する   林  觀潮  
 隠元隆琦禅師の偉大なる行跡とレガシーを記念して  呉  疆  
 黄檗山萬福寺に隠されている隠元禅師東渡の真意を探る試論
    ─ 祝聖道場、龍目井及び明 陳賢筆列祖図冊等の紹介を踏まえて
楊  桂香  
  「唐僧隠元の将軍に拝謁」と「明暦の大火」 小林 良幸   
  「黄檗寺院志考」 ~記念誌によせて    石渡 吉彦   
 黄檗派の展開と宗教インパクト  松原 典明   
 未来永劫ではない大名墓の護持   秋元 茂陽   
 真言宗寺院の黄檗派関係文献  山﨑  淳  
 江湖漂白の記  森  慈尋  
 鉄眼禅師による大蔵経の出版  松永 知海   
 将来の文華殿  錦織 亮介   
 世の平和を祈る人 ─ 隠元書「萬国の春」  若木 太一   
 大潮元皓と売茶翁  髙橋 博巳  
 近世大阪の文人と黄檗文化  有坂 道子  
 「仏工兵部」とは何者か ─ 松隠堂釈迦如来立像について  楠井 隆志  
 滋賀・福寿寺釈迦如来座像について   桑野  梓   
 黄檗美術の広がり  藤元 裕二  
 東アジアにおける鳳凰図像の変遷 藤元 晶子  
 黄檗東林梅嶺禅師の人材育成と地域文化創成 (伊勢多気相可)  渡邊 正裕   
 宝珠を持つ阿弥陀如来像 ─ 正瑞寺の紙本墨摺阿弥陀如来像 佐々木 進   
 黄檗僧・海眼浄光としての鶴亭の絵画と交友  石沢  俊   
 鉄牛道機の三つの大願 ~黄檗草創期の事業  尾暮 まゆみ  
 了翁さんの世界 髙橋 三男  
 黄檗三筆と独立  山村  猛  
 費隠の字姿  劉  作勝  
 法堂の建造物修理事業について  竹下 弘展   
 ヒマラヤ、そしてネパール  薬師 義美   
 ライフワークを語りつつ深い感謝を込めて黄檗山の皆様へ   野川 博之  
 隠元禅師と寒天  湯澤 正芳  
 黄檗尼僧史研究の展望 ─ 近衛家香華所・一様院を中心に  仲田  侑加  
 黄檗僧尾崎晩成による『『明教新誌』』への寄稿文「授戒策進」 田中 智誠  
141

(2021 

 2022)

R4/
 8/31 
 隠元禅師と自平石について  林  觀潮  
 隠元禅師研究の未来  呉  疆  
 黄檗寺院旧蔵、現蔵の照山元瑤筆「後水尾法皇像」  中村  玲  
 松仙院蘭室性温夫人について
     ~萬福寺開山塔院「松隠堂」建立の意義と役割~ 
乾  貴子  
 近世黄檗宗の尼寺と尼僧に関する一考察
     ─ 洛北白毫山一様庵を題材にして  
仲田  侑加  
 『津送須知』における黄檗宗の津送儀礼
     ─ 済洞両宗との比較を視野に入れて 
楊  慶慶  
 達磨の面影 隠元の東渡の動機及びその意義について  賈  光佐  
 肥前鹿島藩主鍋島家の墓碑考察(參)  秋元 茂陽  
 普茶源流考  野川 博之  
 唐僧招請と古黄檗第十三代仲祺禅師  田中 智誠  
 

ただいま増殖中!


『黄檗文華』 掲載号数 目次
 1号 6号  11号 16号 21号  26号 31号 36号 41号 46号
51号  56号 61号 66号 71号 76号 81号 86号 91号 96号
 101号 106号 111号 116号 121号 126号 131号 136号 140号  
 
 
 HPトップ 他の黄檗関係資料  
 黄檗事典     黄檗僧名鑑     黄檗宗叢書目録    黄檗宗祖録漫解帖