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![]() Jan. - Feb., 2008 (Compiled by Haruo Hirose) |
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(Feb.27, 2008) (Feb.26, 2008)
(Feb.24, 2008) (Feb.21, 2008)
![]() ランス・ルゴー・インタビュー (2001年)
Q : 名前を仰ってください・
A : 私の名前はランス・ルゴー。 フランス車のルノーに似た綴りだ。
Q : どのようにして エルヴィスに会ったのですか?
A : レッド・ウエストだ。 エルヴィスが除隊した時、 レッドが バンナイズの トニー・フェラの店、 クロスボーで 働いてたんだ。 そこは R&Bクラブで、 僕たちは 稼がせてもらってた。 良いバンドを持っていた。 ハル・ブレインがドラムで、 レオン・ラッセルがピアノ、 グレン・キャンベルがギター、 ジェリー・コールや ボストン出身の フランク・ジェームスが ベースって具合に 良いミュージシャンが 揃ってたんだ。 それもこれも、 毎日仕事があったからなんだが、 良いブルース・バンドだったんだ。 エルヴィスは まだ ハリウッドに来てなくて、 レッドは ドア・マンとして働く傍ら、 歌うこともあったんだ。 よい稼ぎだったよ。
ある日、 レッドが僕を ビバリー・ウィルシャーで エルヴィスを紹介してくれた。 彼は海外赴任から 帰ってきたばかりで、 「君は何をやってるんだ?」 と訊くので、 僕は 「ブルース・バンドをやってる」 と答えたんだ。 レッドは既に 彼に話してたんだろう。 「ランスは 良いR&Bシンガーだ」 って言ってくれたんだ。 レッドはいい奴さ。 これは後で知ったんだが。 それで、僕は 「聴きに来ないか? バルコニーがあって、 裏口から 上がれるようになってるんだ。 そこはプライバシーが保たれる」と。 彼は「行きたい」 と言ったんだ。 僕は聞き返したよ。 「何だって?」 彼は早口で、 「行きたい」と。 その夜、 彼が来るわけないだろう と思ってたら、 本当に やって来たんだ。 ロールス・ロイスが 裏口に到着した。 レッドが 入り方を教えたんだろう。 彼らは 裏の階段から バルコニーに 上がって行った。 そこは 厨房に通じる入り口もあって、 トニー・フェラは 簡単な料理や オードブルを 持って上がって行ったよ。 我々は演奏中で、 「ワオ!」ってもんさ。 エルヴィスが来たら 何を演奏して、 何は止めようと 考えていたんだ。 あれは受けそうもないから、 これをやろうってね。 それで、 B・B・キングや ジミー・リード、 レイ・チャールズの曲を やったよ。 我々は レイ・チャールズの曲は 上手かったんだ。 「ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー」とか 「ジズ・リトル・ガール・オブ・マイン」なんてね。 実際の話、 あの時の我々のギターは ドン・ピークでさ。 その後、 レイ・チャールズのバンドで 10年間も働いたんだ。 レイ・チャールズの曲は 何だって知ってたから、 一発で レイに気に入られたんだよ。 ドンは今だって弾いてるよ。
我々は2時まで演奏してた。 そして、 エルヴィスが降りてきて、 「やあ、久しぶりに 最高のR&Bを 聴かせてもらったよ」 と言ったんだ。 僕は「ありがとう」って。 彼は1年近く ドイツにいて、 出かけることは 無かったろうからな。 でも、 そこが彼の礼儀正しい、 良いところなんだ。
Q : それで 彼は あなたの演奏を しばしば聴きに来るように なったのですか?
A : 数回だろう。 彼は その時に共演してた女優を 連れてきて、 楽しんでたんだ。 そこは 彼にとって 安全な場所だったんだ。 そこでは何でもできたし、 我々からは見えなかった。 目を凝らしても ダメだったよ。 彼らは楽しんでたよ。 それで良かったんだ。
Q : それで、 彼の家にも招待された?
A : それはなかった。 彼は僕を 映画スタジオに 誘ったんだ。 彼は ジュリエット・プラウズと 撮影していた。 そこに訪問して、 次も次もって なったんだ。 僕たちは 夜は週に6、7日は 働いてたけど、 昼間は することがなかったんだ。 月曜はパロミノで演奏し、 日曜は朝まで ブルース・ジョイントで ジャムしてた。 そんなだったんだ。 働きすぎで、 日中に リハーサルもしなかった。 ショーが始まる30分前に 行くだけだったんだ。 それで、 昼の時間は自由だったんだ。
そして、次に 映画「ガール!ガール!ガール!」に 呼ばれたんだ。 ジャック・ニッチェ (Jack Nitzsche: フィル・スペクター・サウンドの 生みの親で、 ストーンズや N・ヤングなど 数多くのアーティストの キーボードや アレンジを担当。 妻のバフィ・セント・メリーと 共作した映画 「愛と青春の旅立ち」の主題歌 "Up Where You Belong" では アカデミー主題歌賞を 受賞する) がピアノで、 ハル・ブレインがドラムスを、 そして 僕にベースを弾かせ、 「心の届かぬラブレター」を歌わせた。 歌は 口パクってことだよ。 実際は ジョーダネアーズで 先に録音されてたから。 でも 映画では、 僕が アップライト・ベースを 弾きながら、 彼と一緒に 歌ってるんだ。 あれは すごく良かったよ。 だって ステージにいるのは 本物のミュージシャンたちだから、 動きも バッチリだったんだ。 確か、テナー・サックスは ジム・ホーンじゃなかったかな。 おぉ、懐かしい。
振付けは チャールズ・オカランなんだ。 彼はすごい人で、 パティ・ペイジと 結婚していた。 監督ができるぐらい、 何でも知ってたよ。 「心の届かぬラブレター」の後で、 彼から誘われたんだ。 「ランス、 この場面は 僕に任されてるんだ。 ちょっと 僕を手伝ってくれないか? そこの照明を 移動させてほしいんだ」って、 僕は撮影の 右も左も知らなくて、 チャールズ・オカランの動きを 注意深く見て、 多くのことを習ったんだ。 もちろん ハル・ウォリスの製作で、 彼からも 多くのことを習ったけど、 チャールズ・オカランの庇護の下で、 仕事を始めたんだ。 そして、 彼って 何でも知ってたし、 あらゆることを 教えてくれたんだ。 彼は エルヴィスのことも よく知っていた。 エルヴィスの ユーモアのセンスも 理解してた。 エルヴィスの 心の状態まで分かるんだ。 僕は 最初は 分からなかったんだが、 すぐに エルヴィスの考えが 読めるようになったよ。 彼が 気分よくしてる時は、 上手く行ってる時で、 ちょっとエルヴィスが いらついてる時は、 彼が不満に思ってる時なんだ。 それで、 彼の熱を冷ますために、 気分転換させたりする 必要があったんだ。
「アカプルコの海」について、 よく訊かれたんだ。 「牡牛と女闘牛士」の最後に ケープが エルヴィスの顔に 被さるだろう? うまくできてるんで、 「あれって偶然なの? 演出なの?」って。 信じてよ。 あれは偶然ではないんだ。 あれが チャールズ・オカランの良さでね、 エルヴィスのことを分かってるんだ。 彼の謙虚な面をね。 エルヴィスが ものの見事に ケープを振り回したあとに、 ちょっと失敗させる。 ケープが顔にまとわり付いて、 笑いを取る。 全てが チャールズ・オカランの 振付けなんだ。 そして、 メキシコの マリアッチ演奏家たち。 彼らは 英語がほとんど話せなくて、 リハーサルから コミュニケートがとれなくて、 困ったんだよ。 でも 音楽は万国の共通語だから、 何とか上手くいったんだ。
Q : あなたは 「キッスン・カズン」で 彼のスタンドインをやりましたね?
A : そうなんだ。 編集ミスも いいところだね。 僕が見えすぎちゃってるだろう。 「キッスン・カズン」で 可笑しいのは、 僕が エルヴィスの代役を やってることさ。 でも、 他のところでは、 エルヴィスの 代役をやるのは スタントの専門家だったんだ。 例えば 「青春カーニバル」で リーフ・エリクソンが バイクのエルヴィスを 跳ね飛ばすシーンは ハワード・カーティスがやってる。 僕には フェンスを突き破ることは できないし、 エルヴィスにも させられない。 怪我しやすいし、 保険会社が許さないんだ。 それで、 レッドが 代わりにやったりね。 ケンカのシーンだって、 エルヴィスが ケンカする相手は ほとんどが レッドなんだ。 レッドとエルヴィスは ああいうのは上手いんだ。 「ラスベガス万才」で 飛び込み台から落ちたのは 僕さ。 これだって、 ギターを持ったエルヴィスに 飛び込ませられないだろう。 ギターが水に跳ね返って、 彼の顔を傷つけることも 考えられるだろう。 それで、 僕がやったんだが、 実際は それほど多く 彼の代役は やってないんだ。
君が言いたい「キッスン・カズン」のシーン、 全ては 2度撮影されてるんだ。 そうだろう。 彼がひとりの役、 ジョッシュで撮影する、 そして、 かつらを付けて、 着替えて、 また同じ場面を 撮影するってわけさ。 僕の肩越しから 彼を撮る。 衣装を変えて再び 僕の肩越しから 彼を撮るんだ。 大変な作業量だったんだ。 でも キャストが素晴らしいんだ。 グレンダ・ファーレル、 ジャック・アルバートソン。 彼は "Subject Was Rose"(1969) で オスカーを獲ってるし、 "Chico And the Man" で エミー賞も獲ってるんだ。 アーサー・オコンネルもさ。 こういうのが喜びなんだ。 「青春カーニバル」の リーフ・エリクソンに バーバラ・スタンウィック。 役者を志す人たちにとって、 このような映画で働くことって 貴重なんだ。 だってそうだろう、 バーバラ・スタンウィックと 一緒になれるんだぜ。 エリクソンって凄い役者だったしさ。 「波止場」の彼を 思い出してみなって。 でも 「青春カーニバル」では 損な役回りでさ。 プレスリー映画で エルヴィスを殴ったり、 突き飛ばしたり しなければならなかったんだ。
Q : エルヴィスが 映画のセットでやった 悪戯を覚えてますか?
A : 止まることがなかったね。 彼は大した奴だよ。 彼は想像通りに 一緒に仕事がし易い奴だったよ。 彼には 記憶装置が付いてたんじゃないかな。 1,2度 手本を見せれば、 彼は自分のものにできたんだ。 彼が台本を読み直す姿を 見たことがなかったよ。 彼は 朝の8時から 6時に終わるまでの 一日の仕事分を 暗記してくるんだ。 台本を見てる彼を 見たことがなかった。 そして、 昼食の時間には、 シットダウン・ショーみたいな ジャム・セッションをやってるんだ。 彼は 記憶力が抜群なんだろう。 いつも準備ができてるんだ。 遅刻もしない。 遅刻をしたところを 見たことがなかった。 今、僕は 役者をやってるだろう。 台本は聖書のように しっかりと横に置いてさ、 昼食には 台本を持ち込んで、 セリフを暗記しないと いけないんだよ。 見落としはないかとね。
良い役者って ああなんだね。 ピーター・フォーク。 僕は「コロンボ」で 彼と共演してるんだが、 彼は20年間も 「コロンボ」をやってるのに、 リハーサルの時から 真剣そのものなんだ。 エルヴィスも同じだ。 愉快なことが多かったよ。 彼は MGMの門をくぐって、 ケン・ハリウッドにハイと言った時点で エルヴィス・プレスリーで なくなるんだ。 分かるかな? 彼は役になりきるんだ。 彼は役者なんだ。 「68スペシャル」の中で 時々 彼が言ってるだろう。 「僕のせいじゃない。 仕事なんだ」って。
Q : 「68スペシャル」について 話してください。
A : 彼のやる動きや振り付けを 全て僕がやったんだ。 音楽が入る合図や 照明など、 スティーブ・ビンダーの要求に 全て僕は応えたよ。
電話がかかってきて、 「スペシャルをやることになった」って。 僕は「すごい」って。 そして、 彼らが 僕のギャラを決めてきて、 僕も付き合うことになったんだ。 何でも屋さ。 シーンが上手く行くように、 現場が はかどるように、 助けを求められれば、 行くんだ。 必要ないときは、 離れたところで、 コーヒーをすすってた。 楽しかったよ。 あれには 僕は3週間 付きあったんだ。 1時間スペシャルに 2週間半か3週間だ。 シットダウン・ショーは 最初は 10分だけ使われる 予定だったんだが、 今では あれだけで スペシャル番組 「ワン・ナイト・ウイズ・ユー」に なってるんだ。 あれこそ 本物のエルヴィスさ。 あれがエルヴィス。 先に話しただろう。 映画のセットで 昼食の時にやってたこと。 ジャム・セッションさ。 レッドが弾いたり、 チャーリーが弾いたり、 そこのみんなが演奏できたんだ。 誰もがさ。 2本のギターだけで ジャムしたんだ。 あのシットダウン・ショーは 多分、 エルヴィス本人を知るのに 一番の作品だよ。 あのちょっと控えめな態度。 彼がガイ・ランバートを演じる時も あれが彼の基本姿勢なんだ。
大手の撮影スタジオに 一旦入れば、 そこは別の街なんだ。 記者はいない。 スパイもいない。 いるのは 俳優かスタッフ。 監督、 製作者、 脚本家。 何も外に漏れてはいけない。 プレスリー映画の撮影スタジオは 2重のセキュリティで、 エルヴィスは自分を忘れて、 役になりきることができたんだ。 ひとりの俳優であることを 楽しんでたよ。
Q : エルヴィスが 気に入ってた役は あったのでしょうか? 彼は演技について あなたに話しましたか?
A : それは無かったが、 彼に尋ねたことはあるんだ。 エルヴィスは 良い脚本を望んでいた。 それ以外のことは 話さなかった。 彼はスタジオに やってきて、 求められたことをやる。 遅刻せずに、 お金を貰い、 彼らの望むもので返す。 あんな映画だって、 金は稼いでたんだ。 悪い商売じゃなかった。 かかった費用以上の金が 自動的に 振り込まれてきたんだから。 どうして彼らは 作ってたと 思ってるんだい? 私は たぶん 14、5作品で エルヴィスと共演してるが、 1度たりとも イヤな思いを したことがなかった。 毎日が楽しかったよ。 「フロリダ万才」の時なんて、 6時の終業時間から、 9時に サンフランシスコのクラブに 出演するために 飛んで行ってたんだ。 週に6日、 朝7時に ロスに引き返してきて、 車を跳ばして MGMに出勤してた。 行ったり来たり、 行ったり来たり。
Q : エルヴィスと共演した 最後の映画は 何でしたか?
A : 「スピードウェイ」。 素敵なナンシー・シナトラと。
Q : プリシラが リサを産んだ頃ですね。
A : 違うよ。
Q : 覚えてませんか?
A : 記憶では 「スピードウェイ」じゃない。 その後だよ。 エルヴィスが 「スピードウェイ」のセットで 「プリシラと結婚するつもりだ」 と話したんだ。 僕は 「僕に秘密を打ち明けないでくれ」 と言って 笑ったんだ。 冗談だったが、 「僕に秘密を話さないで」は 本当のことさ。 だって、 ばれた時に 僕が洩らしたと 疑われるじゃないか。 とにかく、 仕事が終わって、 家に帰ろうと サンジエゴ・フリーウェイを 走ってる時に、 ラジオから 「エルヴィスとプリシラが まもなく結婚します」 とか何とか 流れたんだ。 「俺じゃないぜ!」って 叫んだよ。 とにかく、 パーカー大佐が 記者会見らしきものを 段取して 一件落着したんだ。 僕は知らなかった。 ただ「スピードウェイ」のセットで 一緒だっただけなんだから。
Q : 疑いをかけられたくなかった。
A : その通り。 俺に秘密を話すんじゃない。 知りたくもないし、 疑われたくもない。
Q : もちろん、 プリシラは ご存知でしたよね?
A : よくは知らない。 挨拶程度だよ。 本当の話、 プリシラには 「キッスン・カズン」のセットで 会ったんだ。 彼女は 僕の後ろ姿を見て、 エルヴィスと勘違いして、 寄ってきたんだ。 取り巻きのひとりが 「プリシラ、 そちらはエルヴィスではありません」 と言ったんだ。 僕は「ハロー」と 言っただけで、 プリシラのことは よく知らなかったんだ。 2,3度会ったきりさ。 でも、 プリシラは グレイスランドに関して 素晴らしい仕事をしてるよ。 グレイスランドには 2度行ったことがあるんだ。 ずっと昔のことだ。 エルヴィスと ビリヤードを楽しんだ。 今、 彼らがグレイスランドで 展開してることは 良いことだよ。 価値あることだ。 ファンや、 見たいと思ってる人たちのために 公開されてるってことが 嬉しいんだ。
Q : 大佐の思い出は ありますか?
A : いや、 大佐のことも知らない。 大佐は ビジネス全般をやっていて、 僕は現場が はかどることだけを 考えていたから。 彼は度々 セットにやって来て、 エルヴィスやジョーと話したり、 写真を撮ったりしていたが、 僕は映画会社に 雇われていて、 大佐に 雇われていた わけじゃないんだ。 エルヴィスに 雇われたこともないんだ。 だから 大佐とは無関係だったんだ。 僕は MGM、 パラマウント、 アライド・アーティスツに 雇われていたんだよ。
Q : エルヴィスとの 特別な思い出は ありますか?
A : 彼と仕事をした全ての日、 全ての時間において、 彼は特別だった。 彼は 最もユニークで、 チャーミングで、 人の心を和ませた。 彼と一緒に 仕事をしたことがないと、 彼の人間性は 理解できないと思う。 うまく言えないし、 嘘だと 思われるかもしれないが、 彼には、 みんなに一番の友達であると思わせる 天賦の才能があったんだ。 聞き上手なんだろう。 才能があって、 ユニークだったよ。
Q : エルヴィスに 真の友人がいたと 思いますか?
A : いいや、 いなかったかもしれない。 スーパースターには なりたくないもんだ。 彼らのそばにいたら、 1度や2度は考えるものさ。 スーパースターは 重荷を背負って 生きてるんだと。 エルヴィス程のスーパースターに 何人も出会ったことはないが、 大変な重荷だったろう。 家族と一緒にいたいと思っても、 家族が 足を引っ張ろうとするんだ。 重圧さ。 彼に友達がいたかって? いたと思うよ。 いたに違いないさ。 でも、 人気者にとっては、 難しいことなんだ。 あのような重圧を 僕は背負いたくないね。
Q : エルヴィスが亡くなった時に あなたは何処にいましたか?
A : バンナイズの仕事に 出かけようとしてた時だった。 僕のエージェントの スティーブ・ティッシュマンから 電話がかかってきたんだ。 その頃の僕は 昼まで眠ってることが多くて、 外で何が起こってるか 知らなかったんだ。 彼が「ニュースをみたかい?」 と言ったので、 僕は「どんなニュース?」って。 彼の話に、 僕は「あー、あー、あー」と 6度言ったんだ。 はっきり覚えてるよ。 6度だ。 そして、 妻が出てきて、 「どうしたの?」って。 まさに晴天の霹靂 (へきれき)だった。 信じられなかったんだ。 彼はいつだって 元気そのものだっし、受け入れがたい ことだったんだ。 ケネディが暗殺された時と 同じように。 そして、 MGMに向かう途中の ラジオでも聞いたんだが、 決して忘れられないことだ。
Q : 最後に エルヴィスに会われたのは いつでしたか?
A : 69年の カーコリアンの インターナショナル・ホテルの オープニングの記者会見に、 ファッツ・ドミノと僕が 一緒に行った時だ。 ファッツ・ドミノとは そこで 初めて会ったんだ。 二人はミネソタ・バイキングスの ランニング・バックだった トミー・メイスンに 紹介されて 意気投合したんだ。 それで、 一緒に 記者会見に出かけたんだ。 エルヴィスは すごく良かったので、 「良いショーだった」と言うと、 彼は「ありがとう」とだけ言った。 「良いショーだった。 お世辞じゃないぜ」と 言ったんだ。 彼は僕が お世辞を言う人間じゃないと 知ってたからね。 記者会見の後で、 エルヴィスとファッツと僕で 少し話すことができた。 そして、 記者連中が 写真を撮りたがったので、 僕は退いたんだ。 ランス・ルゴーの写真は 要らないと思ってさ。 ファッツとエルヴィスの写真を 撮りたいのだろうと 思ってさ。 でも、 今は このことを 後悔してるんだ。 エルヴィスとファッツと僕の 三人の写真を 撮っておけば 良かったとね。 でも 僕は退いてしまった。 僕は有名人じゃないからね。 ファッツとエルヴィス、二人の写真 が重要だったんだ。 この時が エルヴィスと僕が 言葉を交わした 最後になった。 世界中の記者が 集まっていて、 もちろん大佐もいたよ。
彼のショーは良かったよ。 ナーバスになってるようだったが、 かえって、 それが 良い結果を もたらすものなんだ。 しばらく 生の観客の前で 歌ってなかったから、 とても ナーバスになっていた。 でも 分かるかい? 彼がナーバスになることによって、 他のキャストを 和ますこともあるんだ。 僕だって、 ロンドンの舞台で シェークスピア劇に出たことがあって、 オープニング・ナイトは 怖かったよ。 でも、 僕が怖がれば怖がるほど、 他のキャストは怖がらなくなるんだ。 「何も怖がることはないじゃない」 と言ってくれる。 でも 僕はそんな効果を考えて ナーバスになってたわけでなく、 ただ怖かっただけなんだ。
しかし エルヴィスは 感受性が鋭くて、 シットダウン・ショーの時だって、 生の観客の前に 出て行く前は ナーバスになっていた。 オープニング・ナイトに ナーバスになるのは 自然なことだ。 でも、 カーテンが上がって、 始まって30秒もすれば、 彼からそれが消え去るのが 見て取れたはずさ。 ベガスだから、 別の理由から ナーバスになることもあるんだ。 世界中の有名人が 集まるところだからな。 ランス・ルゴー様だって、 最前列に座ってたんだぜ。 メイン・テーブルさ。 どうして あの席が手に入ったか 聞かれたよ。 エルヴィスか 大佐関連だろうと 思われたが、 実際は違ってたんだ。 僕の義父のハリー・ジョンソンが カーク・カーコリアンと 古くからの友達関係だったんだ。 それで、 ミスター・ジョンソンが カーコリアンに電話をして、 僕とミスター・ジョンソンは 真正面の席で 見ることができたんだ。 色んな面で 良かったから、 あの時の彼は 忘れられないんだ。
Q : エルヴィスは いつも 150%の力を 出してましたよね?
A : エルヴィスが笑う時は 誰よりも大きな声で 笑ってたし、 傷つく時も 誰よりも大きく 傷ついたんじゃないかな。 彼は どのような場合においても 150%だったように 僕は思えた。 彼が歌っていて、 気分が乗ってくると、 同じ事を何度も、 何度も 繰り返すんだ。 シットダウン・ショーの時の 「ベイビー、ホワット・ユー・ ウォント・ミー・トゥ・ドゥ」が 良い例だよ。 何度 あの曲をやったことか。 繰り返し、 繰り返し。 うまく行ってると 彼が感じていたからさ。 彼に 100%の力を出させれば 全て うまく行くと みんな分かってたんだ。
Q : 観客を喜ばせるために ナーバスになってる 振りをしたのでは?
A : 誰だって、 出て行くときには ナーバスになるものだよ。 「忘れないだろうか?」って。 ロンドンの開幕で、 シェークスピアの「オセロ」で 僕はヤゴを演じたんだが、 ナーバスに なったもんだ。 「忘れないだろうか?」 「評論家に何を言われるだろうか?」って。 それは自分の行動に 責任を感じてるからなんだ。 エルヴィスだって 誰だって、 2千人の観客の前で へまをしたくないだろう。 生活が掛かってることなら、 少しは ナーバスになるものだよ。 ナーバスにならないことは、 どうだっていいことなんだ。
Q : エルヴィスは あなたの生活を 変えましたか?
A : そうだ、 本当だ。 彼と関わりが無かったら、 今頃 何してることか 分からないよ。 先にも話したように、 僕は撮影のイロハも、 カメラのことも 照明のことも 何も知らなかったんだ。 僕はナイトクラブの歌手で、 レコード歌手になろうとも 思わなかった。 ナイトクラブの歌手 であること以外、 何も経験がなかったんだ。 その上、 レコード会社には、 人を騙すような ずるい連中が多いんだよ。 僕ら シカゴや ニューオリンズから 出てきた若者は すぐに そのことに 気づかされるんだ。 でも、 カメラの後ろで、 経験豊かなプロデューサーの ハル・ウォリスや ジョー・パスターナク、 監督のノーマン・ターログや ジョージ・シドニー、 俳優たち、 前に君に話した人たちと 働くことは、 決してお金では 買うことのできない 貴重な経験になったよ。 バーバラ・スタンウィックや 他の人たちの 仕事振りを見ることだよ。 カメラの後ろで見てきたことが、 どれほど 僕の強みになったことか。 そして、 MGMには 演劇学校があって、 入学するには 推薦が必要だったんだが、 僕はそこで 少し学ばせてもらえたんだ。 それが俳優を始めるのに 役立ったと はっきり言えるね。
(ランス・ルゴーのインタビューは ここで終わります)
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(Feb.20, 2008)
(Feb.19, 2008)
![]() | "From His Roots" 3-CD plus DVD
Timeless Media Group ![]()
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(Feb.19, 2008) (Feb.16, 2008)
(Feb.14, 2008)
![]() メリー・ルー・フェラ・インタビュー (2001年)
Q : どのような経緯で、 エルヴィスに会えたのですか?
A : エルヴィスに 初めて会ったのは 1960年のことよ。 彼が除隊して、 カリフォルニアにやってきた時なの。 彼の仲間のレッド・ウエストと、 当時、 私たちのライブ・ハウスの バンド・リーダーだった ランス・ルゴーが 親しくて、 当然のことながら、 私たちのクラブに エルヴィスを連れてきたの。 レッド・ウエストは 私たちのクラブの ドア係りで、 ランスは バンド・リーダーだったの。 そんなふうに エルヴィスと出会ったの。
エルヴィスが クラブに来るようになって、 私たちのことを知ってから、 きっと誰かが 彼に私の娘の写真を 見せたのね。 サンディのことよ。 (サンディ・フェラ、 現サンディ・マーチンデイル) サンディはまだ 14才だったの。 それで、 彼が家から 電話をかけてきたの。 夜の2時頃だったかしら、 私の娘に会いたい と言ったの。 私は 「ダメよ、 エルヴィス。 娘はまだ14才なの。 これだけは はっきりさせなくちゃ」 と言ったの。 最初は、 電話の相手が彼だと 信じられなかったわ。 彼は 「エルヴィス・プレスリーですが」 と言ったんだけど、 私は 「冗談はやめてよ。 エルヴィスじゃないでしょ」って。 彼は「本人です。 今すぐ、 あなたのクラブに行きますから」って。 「嘘ばっか言って。 あなたは誰よ?」って。 彼はエルヴィスだと 言い続けたわ。 それで、 納得して、 しばらくの会話のあと、 彼が、 会いたいから娘を クラブに連れてきて って言ったの。 私は 「ダメ、ダメ。 まだ14才なのよ。 夜も遅いし、無理よ」って。 彼は 「大丈夫、大丈夫」って。 彼って しつこいの。 私がOKするまで、 何度も、何度も 電話をかけてきたのよ。
それで、 娘をクラブに 連れて行ったんだけど、 夜の12時頃だったかしら、 彼は女連れで来たの。 チューズディ・ウェルド だったかしら。 忘れたわ。 とにかく、 彼はその女性を 放ったらかしで、 私の娘に 釘付けだったの。 私は思ったわ。 「14才の娘なのよ。 彼って病気?」 でも彼は 私には丁重で、 優しかったの。 そして、しばらくして、 彼は私たちを、 当時、 彼が宿泊していた ビバリー・ウィルシャー・ホテルに 招待してくれたの。 彼は私たちに 会いたがったのよ。 私は言ったわ。 「娘と会う時は、 いつも私も付いて行くから」って。 彼は 「いいですよ 。それでいいです」 と言ったの。 「本当にそれでいいのね?」 って訊いたら、 「ええ、 いつも あなたも一緒に 来てください」って、 「それならOKよ」 ってことになったの。
それで、 2,3日後に ビバリー・ウィルシャー・ホテルに 行ったの。 部屋に入ろうとした時、 彼らは 水鉄砲合戦の 真っ最中だった。 彼と男たちよ。 お互いに 水を掛け合って。 ひとりはドアの後ろに 隠れて、 別の者は ポットに水を入れて、 ドアから出てくるのを待って、 水を掛けるの。 私たちは 中に入れなくて。 すると突然、 誰かがエルヴィスに 私たちが来てることを 告げたのね。 「止め、直ちに止め!」 と言って、 彼がドアまで来て、 「全てを無視して、 中に入って下さい」 と言ったの。 いつもながら、 私たちを 親切に迎え入れてくれたわ。 私たちが 何か食べたいなら、 下に注文するって。 要らないと言っても、 彼は注文するの。 それがエルヴィスなのよ。 しばらくして、 大分 時間がたってから、 彼が言ったの。 「あなたと二人だけで 話したい」って。 「私と二人だけで?」 「さあ、こちらへ・・・」って。
ウィルシャーの最上階は アパートのように なっていて、 狭いキッチン・ルームがあって、 ベッド・ルーム、 ダイニング・ルームに、 すべて揃っていたの。 狭いキッチンに 彼は「行こう」って。 それで、 娘をリビング・ルームに 残して、 二人で キッチンに行ったの。 そこで彼が言ったの。 「今から言うことを、 あなたは 聞き入れて下さるでしょう」 私が「何のこと?」 と尋ねると、 彼は 「分からないのですか。 あなたと娘さんに グレイスランドに 移り住んで 頂きたいのです」 と言ったの。 「冗談でしょ。 どうして 私まで?」 と言うと、 彼は 「あなたは 娘さんと一緒にいたいと 仰いましたでしょ。 私は娘さんと グレイスランドで 暮すからです」って。 「彼女は若すぎるから、 今はダメよ、 エルヴィス」 と言うと、 彼は「いいんです。 私は何もしません。 彼女が成人したら、 妻に迎え入れたいだけです」 と言ったの。 「娘と同棲してから、 ・・・ですって」 と言うと、 「ええ、結婚します。 私の妻になるのです」って。 そして 「あなたも一緒で 構いません」 と言ったの。 私は「エルヴィス、 ごめんなさい。 それは無理よ」って。 すると彼は 「どうして?」って。 私は「私が了解しても、 主人の了解が得られない」って、 ああだこうだと言い争ったわ。 それで、彼は 「じっくり考えてから、 返事を下さい」 って言ったの。
同じように プリシラが 移り住む前のことだったの。 確か 61年だったと思うわ。 それで、 家に帰って、 主人に話したの。 「エルヴィスが・・・」って。 すると、 主人は激怒して、 狂ったように、 罵り、叫んだの。 私は「分かったわ。 私も反対する。 でも、 彼は私にも 来て欲しいって 言ったのよ」って。 それまで、 私の主人は 文句言いで、 いつも威張ってたの。 いくつかの ライブ・ハウスを 持ってたでしょ。 でも あれ以来、 彼は変わったわ。 家では 子供のようになり、 店では 人当たりが良くなり、 誰からも 好かれるようになったの。 それで、 とにかく 断ったの。 でも、 エルヴィスは 「僕がこちらに来た時は、 いつでも 会いに来て下さい」って。 その後も 彼は私たちのクラブに やって来たし、 私たちは とても良い友人関係になったの。
Q : サンディとエルヴィスが 付き合ってから、 彼らは何処に行きましたか?
A : 何処にも行ってないわ。 彼らのデイトの場所は ビバリー・ウィルシャー・ホテルか ベルエアの ペルージャ通りの家。 翌年に引っ越した家よね。 いつも 取り巻き連中と 一緒だったわ。 彼は外に出なかったの。 大佐が許さなかったのね。 彼は外出しなかったの。 エルヴィスに こんなことを言ったのを 覚えてるわ。 「エルヴィス、 あなたって 可哀そうに思える。 全ては 大佐の言いなりなのね」って。 彼は 「全てがそうじゃないけど、 彼の指示なしでは、 出ないことに してるんだ」って。 彼は住まいから 出なかったの。 おかげで、 私たちは よい友達になれたの。 彼は私たちを 招待してくれて、 「いつでも、 望む時に 来ていいんだ」って。 私たちは たくさんの時間を 彼と過ごすことができたの。 このことは 言っておかなくちゃね。 彼は素晴らしい人柄で、 素晴らしい男よ。 彼のような人に 会ったことがないわ。
彼は こんなことも言ってたわ。 プリシラと結婚した後でよ。 「女の子がいいな」って。 「女の子がいいって?」 彼は言ったの。 「男の子はいらない」 「何故なの?」って 尋ねると、 彼は「どれだけ 僕が我慢してるか 分かる? ジョーやソニーらに 我慢してるんだよ。 これ以上の我慢には 耐えられない。 ずっとだよ。 だから女の子がいいの」 って言ったの。 それで、 彼は リサ・マリーが生まれた時は、 とても喜んだの。 女の子だったから。 彼は女性が好きだったの。 このことは はっきりと言えるわ。 彼は母親を敬愛してたの。 母親が亡くなった時、 彼が言ったでしょ。 「僕も終わりだ」って。 私は言ったの。 「エルヴィス、 間違ってるわ。 終わりじゃないわ」 すると彼は 「そう、 いつかママと一緒になれる」 と言ったの。 彼は死ぬ前に こんなことを言ったの。 「いつかママと一緒になれる」 彼の言葉に 私は驚いたわ。 まだ私の娘は 子供だったし、 彼だって、 24、5歳だったでしょ。 もしもの話よ。 私の娘が彼と結婚してたら、 彼はまだ 生きてたかもしれない。 そう思うの。
Q : サンディも エルヴィスに 夢中になりましたか?
A : ええ、でも、 彼の寝室に入ることは ありえなかった。 彼は プリシラと暮らしてた時も、 寝室は 別だったのよ。 本当だと思うわ。 エルヴィスは グレイスランドの隣の 父親の家に プリシラを 住まわせてたの。 彼はよく言ってたの。 エルヴィスは 私を母のように慕ってくれていたから。 彼の実の母以外に、 私が唯一の母親という存在だとね。 彼はこんなことを 言ったことがあるの。 「僕がベガスから帰ってきた時、 プリシラが 僕のベッドで 寝てるんだよ。 それで、 彼女を追い出して、 彼女を部屋に戻らせたんだ」って。 彼は結婚まで、 プリシラと寝てないわ。
Q : あなたのクラブ内での エルヴィスの様子を 話していただけますか?
A : ええ、 彼がクロスボー (ライブ・ハウス)に やって来た時、 そこは ダンス・フロアの上に 狭いバルコニー席があったの。 エルヴィスは いつも友達と そこに座って、 下のダンス・フロアを 眺めていたの。 忘れられない出来事があったわ。 彼は2階で 羽目をはずしたり、 立ち上がって 踊ったりしてたんだけど、 誰も彼には気づかなかったの。 ある時、 ダンス・フロアの ひとりの男性が 連れの女性を殴ったの。 ダンスをしていて、 喧嘩になったの。 それを見たエルヴィスは 階段を駆け下り、 男に向かって、 「止めるんだ」と言ったの。 その行動に 彼自身 驚いてたんじゃないかしら。 だって、 彼は隠れてたのよ。 彼は 「僕がいるところで、 女性を殴るんじゃない」 と言って、 その男を殴り倒して、 すばやく 2階の席に 駆け戻ったの。 今でも あれが誰だったか、 私たち以外 誰も知らないでしょう。 彼を殴った男の正体は エルヴィスだったの。 こんなこと 想像できる?
Q : 彼は女性を 大切にしていましたか?
A : 彼は女性を敬ってたわ。 もう1度言わせて。 彼は結婚前には 誰とも寝ていない。 絶対よ。 この件で 私はよく 彼をからかったものよ。 彼は言ってたの。 「映画の撮影中は 疲れ切っていて、 そんなことは考えもしないよ。 夜更かししないんだ。 睡眠が必要だから」って。 それから、 彼は 私たちにピアノを弾いて、 聞かせてくれたこともあった。 彼って ピアノが上手だったの。 知ってた? ベガスのステージでは やったことがないでしょう。 彼って上手だったのよ。
Q : 最後のツアーでは やってました。
A : 最後のツアーでやったの? そのツアーのことは、 私は行ってないから 知らないわ。 でも、 彼が亡くなる前には そういうことも あったの。
Q : プリシラ自身は 映画界に入りたかったと 思いますか?
A : ええ、 彼女はスターになることを 望んでたの。 彼も知ってたわ。 取り巻きのひとりから 聞いたことだけど、 彼女は グレイスランドに 先生を呼んで レッスンを受けてたの。 彼女は スターになりたかったのよ。
Q : アン・マーグレットの印象は どうでしたか?
A : アン・マーグレットは いい娘よ、 いい人柄だったわ。 でも、 エルヴィスは 有名人を 家族に迎え入れたくなかったの。 彼は「結婚しない」 って言ってた。 彼女と続かなかったのは それが理由なの。 彼女がスターだったから。 彼は どんなスターでも 手に入れることが出来たにせよ、 スターを求めては いなかったの。
Q : 彼は プリシラが女優になることを 望まなかった。 それが理由なのでしょうか?
A : そう、 そこが二人の 決定的な違いなの。
Q : サンディは どうだったんでしょうか? エルヴィスの映画で 踊ってましたね?
A : エルヴィスは 彼女のダンスは 認めてたの。 それで、 彼女も エルヴィスの希望通りに 行動してた。 彼女って 良いダンサーだったのよ。 実際、 「ラスベガス万才」では、 アン・マーグレットより 彼女の方が 上手だったの。 そのために、 彼女はトーン・ダウンするように 監督に言われたの。 「アン・マーグレットより 上手く 踊って欲しくないんだ。 トーン・ダウンしないのなら、 出て行きなさい」 だって。 そのことを エルヴィスに話したら、 彼は 「サンディ、 トーン・ダウンするんだ」って。 それで、 サンディと エルヴィスと アンのシーンでは、 アン・マーグレットを 良く見せるために、 彼女はトーン・ダウンしなければ ならなかったの。 アン・マーグレットは 本物のダンサーじゃなかったしね。 彼女はトゥ・ダンスを好まなくて、 サンディと同じ振り付けで 踊っても、 全く違ったものに 見えたの。
Q : パーカー大佐は どのような印象でしたか?
A : 彼とは 喧嘩ばかりしてた。 小言ばかり言ってやったわ。 ラスベガス・ヒルトンで ある時、 彼の行きつけの コーヒー・ショップで 話してたの。 私が「大佐、 何故エルヴィスに こんなことをやらせるの。 もっと自由に させてあげて。 それに、 彼に処方薬を与えてるでしょ? どうして止めないの?」 って言ったの。 あの処方薬を始めたのは パーカー大佐なのよ。 「エルヴィスを自由にさせて、 処方薬を与えるのも止めて」 と言ったら、 彼は怒り出したわ。 彼は「黙れ! フェラ夫人、 静かにしないと、 2度とエルヴィスに 会えなくしてやる」って。 私は「分かった、 でも・・・」って。 それ以上は 言えなかったわ。
Q : 彼は偉そうでしたか?
A : ええ。 そのことを エルヴィスに話したの。 彼は「僕を どうしようっていうんだ?」って。 彼は私を いつも「フェラ夫人」と呼んでた。 彼はどんな時だって 礼儀正しくて、 「フェラ夫人、 大佐がいなければ、 僕はどうなってたと思う? 大佐がいなければ、 今の僕はありえないんだ」って。 私は言ったの 「何も変わらないわ。 エルヴィス、 誰だって あれぐらい出来たでしょ。 あなたの その声に、 歌い方に、 そのルックスがあれば、 あなたひとりで できたわ」って。 でも、 彼は、 「違うよ。 大佐のおかげだ。 大佐が全てなんだ」 と言ったの。 大佐がいなければ、 彼は処方薬に 手を出すこともなかった。 大佐の言いなりだったの。
Q : 大佐がエルヴィスに 内容のある役柄を与えなかったと お考えですか?
A : 間違いないわ。 映画の役柄を選んだのは 大佐なの。 エルヴィスには 成すすべが無かった。 エルヴィスは もっとアクションのある映画を やりたがってたんだけど、 大佐がさせなかったのよ。
Q : エルヴィスは そのことを あなたに話したのですか?
A : そう。 私って幸運だったの。 だって、 私自身が 母親でもあったから、 彼にとって 母親のような存在で あれたの。 彼は母親を亡くしてたから、 男友達に話せないことを 私には 話すことができたの。 ジョー・エスポジト、 ソニーや レッド・ウエストには 話せないことを、 私に話したの。 多くの人たちは 本当の彼を知らないと よく思ったわ。 彼は素晴らしい人なの。 彼って違うのよ。 スターだったけど、 最初は スターになれて 喜んだでしょう。 でも、 しばらくして、 そのことは 何の意味も無いことだと 分かったのね。 こんなことがあったわ。 ベルエアの ペルージャ通りの家に 行った時のこと。 私は部屋に入って、 「エルヴィス、 何て可愛いテーブルなの」って 誉めたことがあったの。 すると 彼はジョー・エスポジトに、 「ジョー、 それをフェラさんの車に積んで」と 言ったの。 私は 「違うの。 エルヴィス、 私は要らないのよ」 と言っても、 彼は聞き入れないの。 「欲しいんでしょ。 積んで」って。 ほんと、 彼の前で 物を誉めたり できなかったの。 何でもくれるんだから。 何でも、 彼は与えるの。 今でも 彼のパジャマの上を 持ってるはずよ。 エルヴィスが着ていた パジャマなの。 ある時、私、 言ってしまったのよ。 「それって 可愛いパジャマね。 それなら人前にも 着て出られるわ」って。 ごく普通のものだったんだけど、 彼ったら、 「これをあげるよ」って。 「下はだめだけど、上なら持っていきなさい」って。 これがいい例よ。 彼は何でも 私たちに くれようとしたの。
Q : エルヴィスの 周辺の男たちとも 友達になりましたか?
A : ソニーとはね。 レッドは付き合うには ガラが悪くて、 荒っぽかったの。 彼は 私の店で 働いてたんだけど。 そして、 ジョー・エスポジトとは 話したことはあるけど、 それ以上はなかった。 彼には エルヴィスとの会話の内容を 知られたくなかったの。 分かるでしょ。 プライベートなことは ジョーに 話さないことにしてたの。 ジョーは何でも知ってたわ。 いつも一緒だったから。 でも、 ある年の イースターのことは 忘れないわ。 イースターの日曜日に ベルエアのエルヴィスに 電話したの。 彼はひとりぼっちだったの。 「エルヴィス、 あなた 今 ひとりなの?」って言ったら、 彼は 「大佐が 打ち合わせに、 もうすぐに やってくるんだ。 でも、 今はひとりだ」 と答えたの。 「それじゃ、 私たち、そちらに 伺ってもいい?」って。 それで、 私と夫と 二人の娘とで イースターを 彼と過ごすことができたの。 エルヴィスと一日、 一緒に過ごせたのよ。 今、思い出したわ。 彼の好物の シーズ・キャンディを 持って行ったら、 彼ひとりで その1箱全部を 食べたのよ。
Q : あなたにとって、 エルヴィスの一番に 印象的なことは 何でしょうか?
A : いいこと。一番 印象的なことは 彼の尊敬の心。 女性に対する 尊敬の念。 女性に対する 振る舞い。 私は彼を 気取りのない ナイス・ガイに見えてたの。 これが本当の彼の姿よ。 でも彼って、 外出しなかったの。 こんなことがあった。 私はフランク・シナトラとも 親しくて、 フランクが ラスベガスのサンズ・ホテルで 誕生パーティを 計画してた時、 彼が 「エルヴィスを招待したい」って 言い出したの。 私は賛成したわ。 それで 彼はエルヴィスを 招待したの。 そしたら、 その時 私は エルヴィスと一緒だったの。 エルヴィスは言ったの。 電話だったかしら、 「僕は行かない」って。 私は 「どうしてなの?」って 訊いたわ。 彼は「行きたくないんだ。 有名人ばっかなんだろう。 行きたくないよ」 と言ったの。 私は言ったわよ。 「フランクは あなたを気に入ってるの。 彼の希望なのよ。 フランクって 他の歌手に 嫉妬するような人じゃないの、 応援できる人よ。 彼自身が歌手でもあるし、 分かるでしょ」って。 でも、 彼は 行かなかった。 パーティに 来なかった。 そして、 フランクに 理由を尋ねられたんだけど、 「誘ったのに、 彼は来ないのよ」って 答えるしかなかった。 彼は フランクの誕生パーティにも 来なかったの。
Q : シナトラは がっかりしたでしょう。
A : ええ、 フランクは 食べ物を イタリアから取り寄せてまで もてなしてたの。 本当のことよ。
Q : 水鉄砲合戦のことは話されました。 他に エルヴィスが 憂さ晴らしにやったイタズラを 覚えていますか?
A : ある時、 取り巻きの青年たちと、 ビバリー・ヒルズの公園で。 その公園は 今でもあると思うわ。 ベネディクト・キャニオンの コールドウォーターの先にあるの。 そこでの出来事なの。 エルヴィスは 青年たちと ふざけ合ってた。 ボクシングでもしてるようだった。 そして、 彼がダウンさせられると、 彼の上に 青年たちが 覆いかぶさっていったの。 彼は笑いながら 手を振ってたんだけど、 私は「まあ、彼が怪我しそうだわ」って 心配で 娘に言ったの。 「怪我するわ」って。 娘は「みんな、彼の背中に 乗りかぶさってる」って。 彼は身動き できなくて、 押さえつけられたままだったけど、 顔は笑ってたわ。
Q : エルヴィスは どのようなことを あなたに話したのですか?
A : 個人的なこと。 私の娘のことで 部屋に呼んだり。 こんなことも 彼は言ってたわ。 「男どもには うんざりする。 たまには休みたいのに」って。 「どうして?」って 尋ねると、 「休ませてくれないんだ」って。 「彼らのやること全てに 付き合うこともないでしょ。 疲れた時は 休めば?」って 言うと、 彼は 「それが出来ないんだよな」って。
Q : エルヴィスに 最後に会ったのは いつでしたか?
A : 彼に最後に会ったのは、 亡くなる少し前だったわ。 その時に 感じたんだけど、 彼はむくんでたの。 肥ったのと違うわ。 むくんでたの。 まるで皮膚を 空気で膨らませたようだったの。 私って正直でしょ、 「エルヴィス、どうしたのよ?」って。 すると、エルヴィスは 落ち着いた物腰で、 「何のことでしょうか?」って。
Q : エルヴィスが亡くなったと、 何処で聞きましたか?
A : 私は家にいたの。 そして、 グレイスランドでのお葬式に 招かれたんだけど、 気分が優れなくて、 行かなかった。 悪いこととは思ったけど。 他の人たちは みんな行ったので、 私も行けばよかったと ずっと後悔していて、 しばらくしてから、 グレイスランドのお墓に 参りに行ったの。
Q : あなたは 彼のことが好きだったと 分かりました。 個人的に 彼は あなたにとって どのような意味が あったのでしょうか?
A : 愛しい友人。 とっても残念で、 謝りたい気持ちなの。 よく泣いたものよ。
Q : 彼のことで、 まだファンが知らないことって ありますか?
A : ひとつ、 彼のファンに 知って欲しいことは、 彼は偉大な男だったってこと。 彼は普通の人が好きだったの。 彼に好かれるには、 お金も名声も必要でなかった。 彼はどんな人でも 好きだったの。 彼は 十字架を背負うはめになったけど、 それは 彼が望んだことではなく、 たまたま そうなっただけのことなの。 そして、 薬漬けにさせられても、 進むしかなかった。 彼は望んで行ったのかも。 あの言葉が忘れられないわ。 「ママと一緒になれる」って 言ったこと。
Q : エルヴィス伝説が かつてないほどに 大きくなっています。 理由は何でしょうか?
A : 彼が大きな存在になったのは、 プリシラが ビジネス手腕を発揮してるからよ。 事実、 彼女の決断で ビジネスを始め、 エルヴィスの名を使い、 グレイスランドで 催し物をやり、 お金をかき集めている。 人々に エルヴィスの偉大さを 知らしめている。 言い換えれば、 金儲けに 彼を利用している。 エルヴィスの名前と 人間性を使って、 金を稼ぎ出してる。 それだけのこと。
Q : 貴重な時間を ありがとうございました。
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(Feb. 3, 2008)
EPEとマダシー・レコードが提携した コレクター向け ブリキ缶入りCD![]() | ||
![]() The Very Best Of Love ![]() ![]() |
![]() Home For The Holidays ![]() ![]() |
![]() Elvis Karaoke ![]() ![]() |
内容:
DVDは エルヴィスの カラオケ12曲を BGMに エルヴィスの写真 (350枚程度)が スライド形式で 5秒ごとに 移り替わります。 |
内容:
バイオグラフィーは "The Very Best Of Love" のと 表紙を除いて 全く同じものです。 |
内容:
カラオケCDは 各8曲入りで 演奏のみと ボーカル入りトラックが 入ってます。 エルヴィスの ボーカルでは ありません。 |
Go to: Elvis Collectible Tins
Go to: Madacy Music Tins |
(Jan.18, 2008)
![]()
| エルヴィス関連 映画情報
"Alien Autopsy" (2006)
エルヴィスの映像を 買いに行った時の場面とは こんなのです。
本物のレイ・サンティリと ゲイリー・シュフィールドも 出てきます。
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(Jan.16, 2008) (Jan.15, 2008)
(Jan.13, 2008)
(Jan. 9, 2008) (Nov.19, 2007)
映画祭のお知らせ
![]() (チラシ拡大 ) |
エルヴィスが一番 日本に近づいた日
「アロハ・フロム・ハワイ」 35周年 メモリアル・イヴェント ![]() <日時> 2008年 1月13日 (日) <場所> 新橋 ヤクルトホール (地図) 東京都港区東新橋 1-1-19 (03-3574-7255) JR新橋駅から徒歩5分 <TIME TABLE> 12:00 ● 開場 12:30 ● 開演 ○「アロハ・フロム・ハワイ」 リハーサル・ショー ○トーク・ショー、「アロハ・フロム・ハワイ」の真実 出席:湯川れい子、木崎義二、萩原健太 ○「アロハ・フロム・ハワイ」 18:00 ● 終演 <料金> チケット発売中! (全席自由席) エルヴィス・ソサエティ会員:3,000円 一般前売:3,500円 (当日:4,000円) |
<チケットのお求め> チケットぴあ (0570-02-9999) (Pコード 553-310) 銀座タクト (03-3571-3939) ラブ・ミー・テンダー (03-3479-6229) エルヴィス・プレスリー・ソサエティ・オブ・ジャパン (03-3541-6503) <主催・問い合わせ> エルヴィス・プレスリー・ソサエティ・オブ・ジャパン (03-3541-6503) 銀座タクト (03-3571-3939) <協力> エルヴィス・プレスリー・エンタープライズ、 BMG JAPAN 湯川れい子音楽事務所、 ラブ・ミー・テンダー、 銀座タクト <その他> 会場にてエルヴィス・グッズ、CD、DVD等の発売があります 木崎義二氏撮影の未発表写真集 「アロハ・フロム・ハワイ」 (予価:3,500円) 発売! |
(Jan. 9, 2008)
![]() エルヴィスのステージ衣装を手がけた ビル・ビリュー氏が 亡くなりました。 彼のインタビューは ここに あります。 |
(Jan. 6, 2008)
![]() アクセス件数が、 2003年11月の100万件突破から 4年2か月で 200万件を超えました。 ということは、 ひと月約2万件、 一日約700件弱です。 今後ともヨロシク! |
(Jan. 4, 2008) (Dec. 7, 2007) (Nov.26, 2007)
![]() (写真拡大) |
「エルヴィス、 ベスト・ヒッツ・パフォーマンス」 DVD 発売記念
ELVIS BIRTHDAY FAIR IN YAMANO 2008 期間: 2008.01.06(日) 〜 01.09(水)
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(Jan. 2, 2008)
![]() (写真拡大) | 待望の出版!
写真集 "Elvis, Aloha From Hawaii"
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www.ElvisWorld-Japan.com |
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Definitive Elvis Interviews | ||
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