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Jan. - Feb., 2008
(Compiled by Haruo Hirose)
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(Feb.27, 2008) (Feb.26, 2008)

 ポニーキャニオンから 4月16日に発売される エルヴィスのリミックス・アルバム、 日本語のタイトルは 「エルヴィス、イビザへ」ですが、 英語のタイトルが "Elvis Presley Spankox Re:Versions Volume 1" と判明しました。 このことから想像するに、 現在イタリアでヒット中の "Baby Let's Play House (SPANKOX Re:Version)" を含む SPANKOXによる エルヴィスのリミックス集だと思われます。 Baby Let's Play House 以外は まだ何処にも発表されてませんので、 日本が先行発売となるのか 興味のあるところです。 (SPANKOX とは Agostino Carollo というイタリアの人気DJ,音楽プロデューサーです)

曲目リストもわかりました。

エルヴィス、イビザへ、Vol.1
(ベスト・オブ・ エルヴィス・プレスリー・ リミックス)

Elvis Presley Spankox Re:Versions Volume 1
ポニーキャニオン 4月16日発売 PCCY-01873 \2520

Track Listing:

  1. Baby Let's Play House
  2. All Shook Up
  3. Blue Suede Shoes
  4. Jailhouse Rock
  5. Heartbreak Hotel
  6. Hound Dog
  7. Love Me Tender
  8. Don't Be Cruel
  9. I'm Left, You're Right, She's Gone
  10. That's All Right



(Feb.24, 2008) (Feb.21, 2008)

Lance LeGault Interview (2001)

ランス・ルゴー・インタビュー (2001年)
(エルヴィス映画のエキストラから、 本格的な俳優になる。 数多くの映画、 TVに出演。 中でも 人気TVシリーズ 「特攻野郎Aチーム」の デッカー大佐役が有名。)

Q : 名前を仰ってください・

A : 私の名前はランス・ルゴー。 フランス車のルノーに似た綴りだ。

Q : どのようにして エルヴィスに会ったのですか?

A : レッド・ウエストだ。 エルヴィスが除隊した時、 レッドが バンナイズの トニー・フェラの店、 クロスボーで 働いてたんだ。 そこは R&Bクラブで、 僕たちは 稼がせてもらってた。 良いバンドを持っていた。 ハル・ブレインがドラムで、 レオン・ラッセルがピアノ、 グレン・キャンベルがギター、 ジェリー・コールや ボストン出身の フランク・ジェームスが ベースって具合に 良いミュージシャンが 揃ってたんだ。 それもこれも、 毎日仕事があったからなんだが、 良いブルース・バンドだったんだ。 エルヴィスは まだ ハリウッドに来てなくて、 レッドは ドア・マンとして働く傍ら、 歌うこともあったんだ。 よい稼ぎだったよ。

ある日、 レッドが僕を ビバリー・ウィルシャーで エルヴィスを紹介してくれた。 彼は海外赴任から 帰ってきたばかりで、 「君は何をやってるんだ?」 と訊くので、 僕は 「ブルース・バンドをやってる」 と答えたんだ。 レッドは既に 彼に話してたんだろう。 「ランスは 良いR&Bシンガーだ」 って言ってくれたんだ。 レッドはいい奴さ。 これは後で知ったんだが。 それで、僕は 「聴きに来ないか? バルコニーがあって、 裏口から 上がれるようになってるんだ。 そこはプライバシーが保たれる」と。 彼は「行きたい」 と言ったんだ。 僕は聞き返したよ。 「何だって?」 彼は早口で、 「行きたい」と。 その夜、 彼が来るわけないだろう と思ってたら、 本当に やって来たんだ。 ロールス・ロイスが 裏口に到着した。 レッドが 入り方を教えたんだろう。 彼らは 裏の階段から バルコニーに 上がって行った。 そこは 厨房に通じる入り口もあって、 トニー・フェラは 簡単な料理や オードブルを 持って上がって行ったよ。 我々は演奏中で、 「ワオ!」ってもんさ。 エルヴィスが来たら 何を演奏して、 何は止めようと 考えていたんだ。 あれは受けそうもないから、 これをやろうってね。 それで、 B・B・キングや ジミー・リード、 レイ・チャールズの曲を やったよ。 我々は レイ・チャールズの曲は 上手かったんだ。 「ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー」とか 「ジズ・リトル・ガール・オブ・マイン」なんてね。 実際の話、 あの時の我々のギターは ドン・ピークでさ。 その後、 レイ・チャールズのバンドで 10年間も働いたんだ。 レイ・チャールズの曲は 何だって知ってたから、 一発で レイに気に入られたんだよ。 ドンは今だって弾いてるよ。

我々は2時まで演奏してた。 そして、 エルヴィスが降りてきて、 「やあ、久しぶりに 最高のR&Bを 聴かせてもらったよ」 と言ったんだ。 僕は「ありがとう」って。 彼は1年近く ドイツにいて、 出かけることは 無かったろうからな。 でも、 そこが彼の礼儀正しい、 良いところなんだ。

Q : それで 彼は あなたの演奏を しばしば聴きに来るように なったのですか?

A : 数回だろう。 彼は その時に共演してた女優を 連れてきて、 楽しんでたんだ。 そこは 彼にとって 安全な場所だったんだ。 そこでは何でもできたし、 我々からは見えなかった。 目を凝らしても ダメだったよ。 彼らは楽しんでたよ。 それで良かったんだ。

Q : それで、 彼の家にも招待された?

A : それはなかった。 彼は僕を 映画スタジオに 誘ったんだ。 彼は ジュリエット・プラウズと 撮影していた。 そこに訪問して、 次も次もって なったんだ。 僕たちは 夜は週に6、7日は 働いてたけど、 昼間は することがなかったんだ。 月曜はパロミノで演奏し、 日曜は朝まで ブルース・ジョイントで ジャムしてた。 そんなだったんだ。 働きすぎで、 日中に リハーサルもしなかった。 ショーが始まる30分前に 行くだけだったんだ。 それで、 昼の時間は自由だったんだ。

そして、次に 映画「ガール!ガール!ガール!」に 呼ばれたんだ。 ジャック・ニッチェ (Jack Nitzsche: フィル・スペクター・サウンドの 生みの親で、 ストーンズや N・ヤングなど 数多くのアーティストの キーボードや アレンジを担当。 妻のバフィ・セント・メリーと 共作した映画 「愛と青春の旅立ち」の主題歌 "Up Where You Belong" では アカデミー主題歌賞を 受賞する) がピアノで、 ハル・ブレインがドラムスを、 そして 僕にベースを弾かせ、 「心の届かぬラブレター」を歌わせた。 歌は 口パクってことだよ。 実際は ジョーダネアーズで 先に録音されてたから。 でも 映画では、 僕が アップライト・ベースを 弾きながら、 彼と一緒に 歌ってるんだ。 あれは すごく良かったよ。 だって ステージにいるのは 本物のミュージシャンたちだから、 動きも バッチリだったんだ。 確か、テナー・サックスは ジム・ホーンじゃなかったかな。 おぉ、懐かしい。

振付けは チャールズ・オカランなんだ。 彼はすごい人で、 パティ・ペイジと 結婚していた。 監督ができるぐらい、 何でも知ってたよ。 「心の届かぬラブレター」の後で、 彼から誘われたんだ。 「ランス、 この場面は 僕に任されてるんだ。 ちょっと 僕を手伝ってくれないか? そこの照明を 移動させてほしいんだ」って、 僕は撮影の 右も左も知らなくて、 チャールズ・オカランの動きを 注意深く見て、 多くのことを習ったんだ。 もちろん ハル・ウォリスの製作で、 彼からも 多くのことを習ったけど、 チャールズ・オカランの庇護の下で、 仕事を始めたんだ。 そして、 彼って 何でも知ってたし、 あらゆることを 教えてくれたんだ。 彼は エルヴィスのことも よく知っていた。 エルヴィスの ユーモアのセンスも 理解してた。 エルヴィスの 心の状態まで分かるんだ。 僕は 最初は 分からなかったんだが、 すぐに エルヴィスの考えが 読めるようになったよ。 彼が 気分よくしてる時は、 上手く行ってる時で、 ちょっとエルヴィスが いらついてる時は、 彼が不満に思ってる時なんだ。 それで、 彼の熱を冷ますために、 気分転換させたりする 必要があったんだ。

「アカプルコの海」について、 よく訊かれたんだ。 「牡牛と女闘牛士」の最後に ケープが エルヴィスの顔に 被さるだろう? うまくできてるんで、 「あれって偶然なの? 演出なの?」って。 信じてよ。 あれは偶然ではないんだ。 あれが チャールズ・オカランの良さでね、 エルヴィスのことを分かってるんだ。 彼の謙虚な面をね。 エルヴィスが ものの見事に ケープを振り回したあとに、 ちょっと失敗させる。 ケープが顔にまとわり付いて、 笑いを取る。 全てが チャールズ・オカランの 振付けなんだ。 そして、 メキシコの マリアッチ演奏家たち。 彼らは 英語がほとんど話せなくて、 リハーサルから コミュニケートがとれなくて、 困ったんだよ。 でも 音楽は万国の共通語だから、 何とか上手くいったんだ。

Q : あなたは 「キッスン・カズン」で 彼のスタンドインをやりましたね?

A : そうなんだ。 編集ミスも いいところだね。 僕が見えすぎちゃってるだろう。 「キッスン・カズン」で 可笑しいのは、 僕が エルヴィスの代役を やってることさ。 でも、 他のところでは、 エルヴィスの 代役をやるのは スタントの専門家だったんだ。 例えば 「青春カーニバル」で リーフ・エリクソンが バイクのエルヴィスを 跳ね飛ばすシーンは ハワード・カーティスがやってる。 僕には フェンスを突き破ることは できないし、 エルヴィスにも させられない。 怪我しやすいし、 保険会社が許さないんだ。 それで、 レッドが 代わりにやったりね。 ケンカのシーンだって、 エルヴィスが ケンカする相手は ほとんどが レッドなんだ。 レッドとエルヴィスは ああいうのは上手いんだ。 「ラスベガス万才」で 飛び込み台から落ちたのは 僕さ。 これだって、 ギターを持ったエルヴィスに 飛び込ませられないだろう。 ギターが水に跳ね返って、 彼の顔を傷つけることも 考えられるだろう。 それで、 僕がやったんだが、 実際は それほど多く 彼の代役は やってないんだ。

君が言いたい「キッスン・カズン」のシーン、 全ては 2度撮影されてるんだ。 そうだろう。 彼がひとりの役、 ジョッシュで撮影する、 そして、 かつらを付けて、 着替えて、 また同じ場面を 撮影するってわけさ。 僕の肩越しから 彼を撮る。 衣装を変えて再び 僕の肩越しから 彼を撮るんだ。 大変な作業量だったんだ。 でも キャストが素晴らしいんだ。 グレンダ・ファーレル、 ジャック・アルバートソン。 彼は "Subject Was Rose"(1969) で オスカーを獲ってるし、 "Chico And the Man" で エミー賞も獲ってるんだ。 アーサー・オコンネルもさ。 こういうのが喜びなんだ。 「青春カーニバル」の リーフ・エリクソンに バーバラ・スタンウィック。 役者を志す人たちにとって、 このような映画で働くことって 貴重なんだ。 だってそうだろう、 バーバラ・スタンウィックと 一緒になれるんだぜ。 エリクソンって凄い役者だったしさ。 「波止場」の彼を 思い出してみなって。 でも 「青春カーニバル」では 損な役回りでさ。 プレスリー映画で エルヴィスを殴ったり、 突き飛ばしたり しなければならなかったんだ。

Q : エルヴィスが 映画のセットでやった 悪戯を覚えてますか?

A : 止まることがなかったね。 彼は大した奴だよ。 彼は想像通りに 一緒に仕事がし易い奴だったよ。 彼には 記憶装置が付いてたんじゃないかな。 1,2度 手本を見せれば、 彼は自分のものにできたんだ。 彼が台本を読み直す姿を 見たことがなかったよ。 彼は 朝の8時から 6時に終わるまでの 一日の仕事分を 暗記してくるんだ。 台本を見てる彼を 見たことがなかった。 そして、 昼食の時間には、 シットダウン・ショーみたいな ジャム・セッションをやってるんだ。 彼は 記憶力が抜群なんだろう。 いつも準備ができてるんだ。 遅刻もしない。 遅刻をしたところを 見たことがなかった。 今、僕は 役者をやってるだろう。 台本は聖書のように しっかりと横に置いてさ、 昼食には 台本を持ち込んで、 セリフを暗記しないと いけないんだよ。 見落としはないかとね。

良い役者って ああなんだね。 ピーター・フォーク。 僕は「コロンボ」で 彼と共演してるんだが、 彼は20年間も 「コロンボ」をやってるのに、 リハーサルの時から 真剣そのものなんだ。 エルヴィスも同じだ。 愉快なことが多かったよ。 彼は MGMの門をくぐって、 ケン・ハリウッドにハイと言った時点で エルヴィス・プレスリーで なくなるんだ。 分かるかな? 彼は役になりきるんだ。 彼は役者なんだ。 「68スペシャル」の中で 時々 彼が言ってるだろう。 「僕のせいじゃない。 仕事なんだ」って。

Q : 「68スペシャル」について 話してください。

A : 彼のやる動きや振り付けを 全て僕がやったんだ。 音楽が入る合図や 照明など、 スティーブ・ビンダーの要求に 全て僕は応えたよ。

電話がかかってきて、 「スペシャルをやることになった」って。 僕は「すごい」って。 そして、 彼らが 僕のギャラを決めてきて、 僕も付き合うことになったんだ。 何でも屋さ。 シーンが上手く行くように、 現場が はかどるように、 助けを求められれば、 行くんだ。 必要ないときは、 離れたところで、 コーヒーをすすってた。 楽しかったよ。 あれには 僕は3週間 付きあったんだ。 1時間スペシャルに 2週間半か3週間だ。 シットダウン・ショーは 最初は 10分だけ使われる 予定だったんだが、 今では あれだけで スペシャル番組 「ワン・ナイト・ウイズ・ユー」に なってるんだ。 あれこそ 本物のエルヴィスさ。 あれがエルヴィス。 先に話しただろう。 映画のセットで 昼食の時にやってたこと。 ジャム・セッションさ。 レッドが弾いたり、 チャーリーが弾いたり、 そこのみんなが演奏できたんだ。 誰もがさ。 2本のギターだけで ジャムしたんだ。 あのシットダウン・ショーは 多分、 エルヴィス本人を知るのに 一番の作品だよ。 あのちょっと控えめな態度。 彼がガイ・ランバートを演じる時も あれが彼の基本姿勢なんだ。

大手の撮影スタジオに 一旦入れば、 そこは別の街なんだ。 記者はいない。 スパイもいない。 いるのは 俳優かスタッフ。 監督、 製作者、 脚本家。 何も外に漏れてはいけない。 プレスリー映画の撮影スタジオは 2重のセキュリティで、 エルヴィスは自分を忘れて、 役になりきることができたんだ。 ひとりの俳優であることを 楽しんでたよ。

Q : エルヴィスが 気に入ってた役は あったのでしょうか? 彼は演技について あなたに話しましたか?

A : それは無かったが、 彼に尋ねたことはあるんだ。 エルヴィスは 良い脚本を望んでいた。 それ以外のことは 話さなかった。 彼はスタジオに やってきて、 求められたことをやる。 遅刻せずに、 お金を貰い、 彼らの望むもので返す。 あんな映画だって、 金は稼いでたんだ。 悪い商売じゃなかった。 かかった費用以上の金が 自動的に 振り込まれてきたんだから。 どうして彼らは 作ってたと 思ってるんだい? 私は たぶん 14、5作品で エルヴィスと共演してるが、 1度たりとも イヤな思いを したことがなかった。 毎日が楽しかったよ。 「フロリダ万才」の時なんて、 6時の終業時間から、 9時に サンフランシスコのクラブに 出演するために 飛んで行ってたんだ。 週に6日、 朝7時に ロスに引き返してきて、 車を跳ばして MGMに出勤してた。 行ったり来たり、 行ったり来たり。

Q : エルヴィスと共演した 最後の映画は 何でしたか?

A : 「スピードウェイ」。 素敵なナンシー・シナトラと。

Q : プリシラが リサを産んだ頃ですね。

A : 違うよ。

Q : 覚えてませんか?

A : 記憶では 「スピードウェイ」じゃない。 その後だよ。 エルヴィスが 「スピードウェイ」のセットで 「プリシラと結婚するつもりだ」 と話したんだ。 僕は 「僕に秘密を打ち明けないでくれ」 と言って 笑ったんだ。 冗談だったが、 「僕に秘密を話さないで」は 本当のことさ。 だって、 ばれた時に 僕が洩らしたと 疑われるじゃないか。 とにかく、 仕事が終わって、 家に帰ろうと サンジエゴ・フリーウェイを 走ってる時に、 ラジオから 「エルヴィスとプリシラが まもなく結婚します」 とか何とか 流れたんだ。 「俺じゃないぜ!」って 叫んだよ。 とにかく、 パーカー大佐が 記者会見らしきものを 段取して 一件落着したんだ。 僕は知らなかった。 ただ「スピードウェイ」のセットで 一緒だっただけなんだから。

Q : 疑いをかけられたくなかった。

A : その通り。 俺に秘密を話すんじゃない。 知りたくもないし、 疑われたくもない。

Q : もちろん、 プリシラは ご存知でしたよね?

A : よくは知らない。 挨拶程度だよ。 本当の話、 プリシラには 「キッスン・カズン」のセットで 会ったんだ。 彼女は 僕の後ろ姿を見て、 エルヴィスと勘違いして、 寄ってきたんだ。 取り巻きのひとりが 「プリシラ、 そちらはエルヴィスではありません」 と言ったんだ。 僕は「ハロー」と 言っただけで、 プリシラのことは よく知らなかったんだ。 2,3度会ったきりさ。 でも、 プリシラは グレイスランドに関して 素晴らしい仕事をしてるよ。 グレイスランドには 2度行ったことがあるんだ。 ずっと昔のことだ。 エルヴィスと ビリヤードを楽しんだ。 今、 彼らがグレイスランドで 展開してることは 良いことだよ。 価値あることだ。 ファンや、 見たいと思ってる人たちのために 公開されてるってことが 嬉しいんだ。

Q : 大佐の思い出は ありますか?

A : いや、 大佐のことも知らない。 大佐は ビジネス全般をやっていて、 僕は現場が はかどることだけを 考えていたから。 彼は度々 セットにやって来て、 エルヴィスやジョーと話したり、 写真を撮ったりしていたが、 僕は映画会社に 雇われていて、 大佐に 雇われていた わけじゃないんだ。 エルヴィスに 雇われたこともないんだ。 だから 大佐とは無関係だったんだ。 僕は MGM、 パラマウント、 アライド・アーティスツに 雇われていたんだよ。

Q : エルヴィスとの 特別な思い出は ありますか?

A : 彼と仕事をした全ての日、 全ての時間において、 彼は特別だった。 彼は 最もユニークで、 チャーミングで、 人の心を和ませた。 彼と一緒に 仕事をしたことがないと、 彼の人間性は 理解できないと思う。 うまく言えないし、 嘘だと 思われるかもしれないが、 彼には、 みんなに一番の友達であると思わせる 天賦の才能があったんだ。 聞き上手なんだろう。 才能があって、 ユニークだったよ。

Q : エルヴィスに 真の友人がいたと 思いますか?

A : いいや、 いなかったかもしれない。 スーパースターには なりたくないもんだ。 彼らのそばにいたら、 1度や2度は考えるものさ。 スーパースターは 重荷を背負って 生きてるんだと。 エルヴィス程のスーパースターに 何人も出会ったことはないが、 大変な重荷だったろう。 家族と一緒にいたいと思っても、 家族が 足を引っ張ろうとするんだ。 重圧さ。 彼に友達がいたかって? いたと思うよ。 いたに違いないさ。 でも、 人気者にとっては、 難しいことなんだ。 あのような重圧を 僕は背負いたくないね。

Q : エルヴィスが亡くなった時に あなたは何処にいましたか?

A : バンナイズの仕事に 出かけようとしてた時だった。 僕のエージェントの スティーブ・ティッシュマンから 電話がかかってきたんだ。 その頃の僕は 昼まで眠ってることが多くて、 外で何が起こってるか 知らなかったんだ。 彼が「ニュースをみたかい?」 と言ったので、 僕は「どんなニュース?」って。 彼の話に、 僕は「あー、あー、あー」と 6度言ったんだ。 はっきり覚えてるよ。 6度だ。 そして、 妻が出てきて、 「どうしたの?」って。 まさに晴天の霹靂 (へきれき)だった。 信じられなかったんだ。 彼はいつだって 元気そのものだっし、受け入れがたい ことだったんだ。 ケネディが暗殺された時と 同じように。 そして、 MGMに向かう途中の ラジオでも聞いたんだが、 決して忘れられないことだ。

Q : 最後に エルヴィスに会われたのは いつでしたか?

A : 69年の カーコリアンの インターナショナル・ホテルの オープニングの記者会見に、 ファッツ・ドミノと僕が 一緒に行った時だ。 ファッツ・ドミノとは そこで 初めて会ったんだ。 二人はミネソタ・バイキングスの ランニング・バックだった トミー・メイスンに 紹介されて 意気投合したんだ。 それで、 一緒に 記者会見に出かけたんだ。 エルヴィスは すごく良かったので、 「良いショーだった」と言うと、 彼は「ありがとう」とだけ言った。 「良いショーだった。 お世辞じゃないぜ」と 言ったんだ。 彼は僕が お世辞を言う人間じゃないと 知ってたからね。 記者会見の後で、 エルヴィスとファッツと僕で 少し話すことができた。 そして、 記者連中が 写真を撮りたがったので、 僕は退いたんだ。 ランス・ルゴーの写真は 要らないと思ってさ。 ファッツとエルヴィスの写真を 撮りたいのだろうと 思ってさ。 でも、 今は このことを 後悔してるんだ。 エルヴィスとファッツと僕の 三人の写真を 撮っておけば 良かったとね。 でも 僕は退いてしまった。 僕は有名人じゃないからね。 ファッツとエルヴィス、二人の写真 が重要だったんだ。 この時が エルヴィスと僕が 言葉を交わした 最後になった。 世界中の記者が 集まっていて、 もちろん大佐もいたよ。

彼のショーは良かったよ。 ナーバスになってるようだったが、 かえって、 それが 良い結果を もたらすものなんだ。 しばらく 生の観客の前で 歌ってなかったから、 とても ナーバスになっていた。 でも 分かるかい? 彼がナーバスになることによって、 他のキャストを 和ますこともあるんだ。 僕だって、 ロンドンの舞台で シェークスピア劇に出たことがあって、 オープニング・ナイトは 怖かったよ。 でも、 僕が怖がれば怖がるほど、 他のキャストは怖がらなくなるんだ。 「何も怖がることはないじゃない」 と言ってくれる。 でも 僕はそんな効果を考えて ナーバスになってたわけでなく、 ただ怖かっただけなんだ。

しかし エルヴィスは 感受性が鋭くて、 シットダウン・ショーの時だって、 生の観客の前に 出て行く前は ナーバスになっていた。 オープニング・ナイトに ナーバスになるのは 自然なことだ。 でも、 カーテンが上がって、 始まって30秒もすれば、 彼からそれが消え去るのが 見て取れたはずさ。 ベガスだから、 別の理由から ナーバスになることもあるんだ。 世界中の有名人が 集まるところだからな。 ランス・ルゴー様だって、 最前列に座ってたんだぜ。 メイン・テーブルさ。 どうして あの席が手に入ったか 聞かれたよ。 エルヴィスか 大佐関連だろうと 思われたが、 実際は違ってたんだ。 僕の義父のハリー・ジョンソンが カーク・カーコリアンと 古くからの友達関係だったんだ。 それで、 ミスター・ジョンソンが カーコリアンに電話をして、 僕とミスター・ジョンソンは 真正面の席で 見ることができたんだ。 色んな面で 良かったから、 あの時の彼は 忘れられないんだ。

Q : エルヴィスは いつも 150%の力を 出してましたよね?

A : エルヴィスが笑う時は 誰よりも大きな声で 笑ってたし、 傷つく時も 誰よりも大きく 傷ついたんじゃないかな。 彼は どのような場合においても 150%だったように 僕は思えた。 彼が歌っていて、 気分が乗ってくると、 同じ事を何度も、 何度も 繰り返すんだ。 シットダウン・ショーの時の 「ベイビー、ホワット・ユー・ ウォント・ミー・トゥ・ドゥ」が 良い例だよ。 何度 あの曲をやったことか。 繰り返し、 繰り返し。 うまく行ってると 彼が感じていたからさ。 彼に 100%の力を出させれば 全て うまく行くと みんな分かってたんだ。

Q : 観客を喜ばせるために ナーバスになってる 振りをしたのでは?

A : 誰だって、 出て行くときには ナーバスになるものだよ。 「忘れないだろうか?」って。 ロンドンの開幕で、 シェークスピアの「オセロ」で 僕はヤゴを演じたんだが、 ナーバスに なったもんだ。 「忘れないだろうか?」 「評論家に何を言われるだろうか?」って。 それは自分の行動に 責任を感じてるからなんだ。 エルヴィスだって 誰だって、 2千人の観客の前で へまをしたくないだろう。 生活が掛かってることなら、 少しは ナーバスになるものだよ。 ナーバスにならないことは、 どうだっていいことなんだ。

Q : エルヴィスは あなたの生活を 変えましたか?

A : そうだ、 本当だ。 彼と関わりが無かったら、 今頃 何してることか 分からないよ。 先にも話したように、 僕は撮影のイロハも、 カメラのことも 照明のことも 何も知らなかったんだ。 僕はナイトクラブの歌手で、 レコード歌手になろうとも 思わなかった。 ナイトクラブの歌手 であること以外、 何も経験がなかったんだ。 その上、 レコード会社には、 人を騙すような ずるい連中が多いんだよ。 僕ら シカゴや ニューオリンズから 出てきた若者は すぐに そのことに 気づかされるんだ。 でも、 カメラの後ろで、 経験豊かなプロデューサーの ハル・ウォリスや ジョー・パスターナク、 監督のノーマン・ターログや ジョージ・シドニー、 俳優たち、 前に君に話した人たちと 働くことは、 決してお金では 買うことのできない 貴重な経験になったよ。 バーバラ・スタンウィックや 他の人たちの 仕事振りを見ることだよ。 カメラの後ろで見てきたことが、 どれほど 僕の強みになったことか。 そして、 MGMには 演劇学校があって、 入学するには 推薦が必要だったんだが、 僕はそこで 少し学ばせてもらえたんだ。 それが俳優を始めるのに 役立ったと はっきり言えるね。

(ランス・ルゴーのインタビューは ここで終わります)



(Feb.20, 2008)


"ELVIS PRESLEY: NEW YORK RCA STUDIO 1" CD - Book

"ELVIS PRESLEY: NEW YORK RCA STUDIO 1" が届きましたが、 これが DVD-Aディスクなしの 再発売ものでした。 ジャケット写真も 微妙に変えられてまして、 初版(写真:左)にあった The Complete Sessions の文字が 消されてます。 残念ではありますが、 本が予想以上に 良かったので、 DVD-Aのことは 忘れましょう。



(Feb.19, 2008)

"From His Roots" 3-CD plus DVD
Timeless Media Group

 数年前に発売された3枚組CD, "From His Roots" が DVD付で 再発売されました。 このボーナスDVDが 気になったので 買って見ました。 "Rock and Roll Royalty" というタイトルの 60分ドキュメンタリーDVD。 どこかで 同じものを 見たことがあるような、 ないような内容で、 初めて見る エルヴィスの映像も なかったです。



(Feb.19, 2008) (Feb.16, 2008)

Christina Ferra Interview (2001)

クリスティーナ・フェラ・インタビュー (2001年)
(サンディ・フェラの妹で、 元歌手、 女優。 現在は 俳優養成学校のオーナー。 "The 7 Steps to Stardom" という スターになるための ハウツー本も出している。)

Q : あなたが エルヴィスに会った時は まだ子供でしたよね。 その時のことから 話していただけますか?

A : 私がエルヴィスに会ったのは 4歳の時だったの。 両親とエルヴィスが友達で、 父の経営するナイトクラブに よく来てたの。 彼の友人の ランス・ルゴーのライブを 見に来たのが きっかけで、 時々、 ランスが 私をステージに上げて 歌わせたのよ。 まだ4歳の時よ。 私は歌うのが好きで、 冗談で ステージに上がって、 ランスと一緒に 歌ったりしてたの。 それが好評で、 毎回やるようになって、 エルヴィスも喜んで見てたの。 子供が歌うのをね。

それから、 エルヴィスは 私の父の命も 1度救ってるのよ。 クラブに強盗が入って、 父を脅かしたことがあったの。 エルヴィスは いつも 秘密のバルコニー席にいて。 そこは 父が彼の為に 特別に作った席で、 隠れてショーを見たり、 人目につかず デイトできたの。 そこから、 彼は父にナイフを突きつけてる 2人の男を見つけたの。 とっさに エルヴィスは降りてきて、 二人の強盗の頭を 鉢合わせさせて、 父の命を救ったの。 彼らは本物のごろつきで、 殺人の前科もあったの。 そのことは 後日知ったんだけどね。

とにかく、 二人はすぐに友達になって、 私たちは 家族のようになったの。 休みの日には 彼の家に行くようになって、 彼は 私の母にアドバイスを 求めるようになったの。 母親のイメージを描いてたの。 彼は母親を亡くして、 寂しかったの。 母に何を着たらいいかとか、 悩みを相談してたの。 1度、 映画で 馬に乗る必要があって、 彼は乗馬が得意でなかったので、 母と相談していたわ。

私は 家族と行動を共にしてたので、 私なりに エルヴィスを見てきたの。 私は今まで エルヴィスについて 話したことはないの。 全ての思い出は 心の中にしまっておいたわ。 彼について話すのは これが初めてなのよ。 子供の目から見た彼よね。 純粋で、 利害関係のない立場から見た エルヴィス。 エルヴィスとロック、 エルヴィスとセックス、 エルヴィスとドラッグのことばかり 話題になるけど、 エルヴィスには 別の面があるの。 愛すべき、 成長する、 強い、 素晴らしいエルヴィスの一面。 そして、 強いスピリチュアルな面。

Q : あなたが エルヴィスから貰った本、 「インパーソナル・ライフ」 は あなたの人生を 変えましたか?

A : エルヴィスは ジョセフ・ベナー著書の 「インパーソナル・ライフ」という 薄っぺらなスピリチュアル本を よく読んでたの。 彼はいつも 「魂の真理」(spiritual truth)を 追究してたの。 わたしは エルヴィスの この面について詳しいの。 彼は私の姉、 サンディに この本を読むように 薦めた。 そして サンディが私に 「クリス、 あなたもこの本を読みなさい」って。 私が13の時よ。 あの本が、 エルヴィスの推薦だから ってこともあるけど、 書かれてる内容に 私の人生は変えられたわ。 神に対する考え方や、 この世における自分の役割、 他人に対する関わり方。 初めて影響を受けた本なの。 私はカトリック教徒 だったんだけど、 何か はっきりしないものがあったの。 でも、 あの本は ひとつの宗教観で書かれてるわけでなく、 魂の真理について 書かれてるのね。 彼のおかげ。 当然、 彼は知らないでしょうけど、 私の人生に強い影響を与えたの。

演技を始めた当時、 私が13の時、 本に書いてあった ひとつのことは、 エゴを取り払って、 神に仕えることだったの。 そして、 ブロードウェイで 大役を得た。 アメリカ中のみんなが この役を求めて オーディションに集合したの。 もちろん、 演技の勉強をして、 歌の勉強をして、 あらゆる準備をして 臨んだんだけど、 同世代の人たちの中から 私が選ばれた理由が はっきり分かったの。 私は緊張しなかったからなの。 私は知ったばかりの 魂の真理に のめり込んでいて、 彼らに仕えるために あの場に召されたと思ってたの。 私は 7回のオーディションを受けて、 全て合格してるの。 私は俳優になって 神に仕えるために この世に生を受けた。 エルヴィスの力強さの一部は 彼の信仰心であり、 神への信頼だと思ってるわ。 それが 人々を引き付ける 彼の魅力なの。 人々は 彼の腰の振り方とか、 素敵な声とか、 セックス・アピールとか 言うけど、 私の見方では、 エルヴィスの最大の魅力は 彼のスピリチュアル力であり 信仰心だと思う。 神の伝道師なの。 人々は いつでも そのパワーに 引き付けられるの。 私はロスに アクターズ・エッジという 学校を経営してるんだけど、 エルヴィスから教わった 魂の真理を 沢山の生徒に教えてきたの。 私の瞑想の一部分は エルヴィスから教わったもので、 この点において 彼に感謝してるわ。

Q : 実際に エルヴィスか ラリー・ゲラーと スピリチュアルについて 話されたのですか?

A : それは無かったわ。 いつだって エルヴィスの家では 陽気にバカ騒ぎしてたから。 本については 「はい、これ読んでみない。 これはどう?」 ってな感じで、 私の回りには いつもスピリチュアル本は 転がっていて、 それが 私に影響を与えたの。 聖書を読み返したり、 霊的な行動をとったりしたのは、 彼の周りに それが転がってたからなの。 でも 彼の家では いつだって 楽しいことばかりだったわ。 彼は私を ひざに座らせて、 可愛がってくれたの。 子供の時よ。 大きくなってから 彼のひざに座ったことは ないわよ。 4歳から 7歳ぐらいまでよね。 家族全員で訪れた時は、 彼が私に食べさせてくれたのよ。 バナナ・スピリットとか ピザ。 彼はピザの 縁の硬い部分が 嫌いだったの。 そう、 ピザを食べた時、 彼が縁を全部取り払ったので、 大量の縁の部分だけが ピザの箱の中に 残されてたわ。 そして 中身の部分を 私に食べさせてくれたの。 中の部分は 好きだったの。 楽しいことばかり、 いつだってね。 私に歌ってくれたり。 簡単な歌よ。 私が詩を読んだり。 子供の時のことよ。

楽しいことばかりだった。 彼がベガスに出てる時も、 至れり尽くせりだったの。 彼は気前が良くて、 母がひと言言えば、 「エルヴィス、 素敵なランプね」 なんて言えば、 彼は 「要るなら、あげるよ」 なんだもの。 母は「要らないわ」 「じゃ、車は? あげるよ」なんて。 彼がベガスに出てる時は、 部屋代から 食べ物、 ギフト・ショップまで 彼のつけで済んだの。 驚くわね。

Q : ベガスのエルヴィスを 初めて見たのは いつですか?

A : 日付は覚えてないわ。 私って日付に弱いのよ。 彼が初めて出た時のことは確かよ。 彼が来て欲しいと 望んだの。 私たちって 彼の頼りの綱だったのね。 頼りにしますフェラ一家。 本当の 家族のようだったの。 私たちも ショー・ビジネスの世界にいたし、 彼が私たちに会った時、 安全な場所に 見えたんじゃないかしら。 暖かくて、 愛すべき場所だと。 私たちは 純粋に 彼が好きだったことは 彼も認識してたから、 居心地が 良かったんだと思う。 それで、 ベガスでは、 彼が望んだからでもあるけど、 私たちには 至れり尽くせりの もてなしだったの。

Q : 最初のベガスの オープニング・ナイトのことを 覚えておられますか?

A : 彼は神経質になってた。 それは 彼の神経質に ならなくてもよいという 精神的原理と 反することだったんだけど、 神経質になってた。 私の母に どの色の衣装を着ればいいか 尋ねたの。 いろんな違った色の 衣装があったからよ。 そして、 黒いのを着たの。 彼がジャンプスーツを 着たのはいつ? ベガスには 毎回行ってたから はっきり思い出せないの。 オープニングだったかしら?

Q : 彼は最初に 黒のジャンプスーツを 着たのです。

A : 分かったわ。 彼が母に尋ねたの。 「どう思う?」って。 母は 「白がいいんじゃない」と 言ったので、 次のショーでは 白を着たの。 彼は白のジャンプスーツが よく似合ってたわ。 彼はオープニングでは とても緊張していたの。 しばらく 一般公演から 遠ざかっていたから。 映画のセットでの彼は とても 穏やかな表情だったけど、 ベガスでは 緊張していたの。

Q : どんな映画のセットに 行かれたのですか?

A : 私って子供だったので、 まるで何も見てなかったの。 でも、 よくセットに 連れて行かれたわ。 姉が彼の映画で 踊ってたでしょ。 サーカス物もあったわね。 私と母が セットに 閉じ込められたことがあったの。 彼を訪ねていって、 何が原因か 知らないけど 閉じ込められて、 真っ暗なサーカス小屋だったの。

Q : パラマウントの 「青春カーニバル」かな?

A : そうだわ、 きっと。 ベガスで ロケ中の彼を 訪問したこともあったわ。 母が姉を連れて行ったの。 姉は十代の頃、 彼とデイトしてたの。 それで、 いつも母は 姉をセットに 連れて行ってたの。 何度も行ってるんだけど、 どの映画か 思い出せないわ。 確か「アカプルコの海」の時よ。 母がシャツを 彼に買ってあげたのよ。 彼の誕生日プレゼント。 ピンストライプのシャツで、 彼が映画の中で それを着たので、 母は とっても喜んでいたの。 それから、 両親は 彼から 大量の衣類を貰ってるの。

Q : その頃あなたは どのような映画に 出演されたのですか?

A : ほとんどはTVなの。 多くのシリーズ物に出たわ。 いつも ゲスト出演。 ゲストって ギャラがいいのよ。 いつも、 ホーム・ドラマの 息子のガールフレンド役ね。 「ブラディ・バンチ」とか 「おばと教授」。 映画も出てるけど 有名なものはないの。 大作には 出たことがないんだけど、 良い暮らしはしてた。 「ワイルド・パーティ」って 低予算の映画。 私たちは ハワード・ジョンソンに 泊まってたんだけど、 彼らはいつも 金勘定ばかりしてたわね。 アカデミー賞を取った 「眺めのいい部屋」にも 出てんのよ。 でも ほとんどが 知られてない映画ばかりなの。

Q : エルヴィスは あなたの出演作品を見て 何か言いましたか?

A : エルヴィスは 私が父のクラブで歌うのを 見に来てたのよ。 大変に名誉なことでしょ。 今まで考えたことも なかったんだけど、 彼が私のキャリアに 興味を持っていたと 想像すると、 嬉しくなるわ。 彼みたいな偉大な人がよ、 父のクラブにやってきて、 私がロックン・ロールを歌うのを 見てたの。 私は12、3歳から ロックを歌い始めたの。 最初は ブロードウェイの ショー・ナンバーを 歌ってたんだけど、 父のクラブに合わなくて、 ロックに変えたの。 私がロックを始めた時、 エルヴィスも 力になってくれたんだけど、 問題があって、 あのクラブには 秘密のバルコニー席がなかったの。

Q : どのクラブのことですか?

A : レッド・ベルベット。

Q : お父さんが経営されてた クラブですよね。 他にもクラブがあったでしょ?

A : そう、 私の両親は 沢山のクラブを経営してたの。 8箇所ぐらい持ってたと思うわ。 今は 父は亡くなって、 母は引退したけど。 エルヴィスが 初めて私を見たのは、 ランスと一緒だったとき。 ランスが冗談で 私をステージに上げたんだけど、 楽しかったわ。 4歳の時から ステージで歌ってたの。 エルヴィスも 楽しんでくれてたの。 レッド・ベルベットで 本格的に歌い始めた時も エルヴィスは やってきて、 サポートしてくれた。 けっこう 盛り上がってたわ。 でも、 エルヴィスは 来るのを嫌がったのね。 レッド・ベルベットには 隠れられる バルコニー席が 無かったからなの。 一般席と同じ場所になるのよ。 それで 彼は もみくちゃにされるので、 私が歌い終わると、 彼は帰らねばならなかった。 そのことが 新聞に載ったりして、 めちゃくちゃに。 「エルヴィス、 クラブで秘密のランデブー」 なんちゃって。 私は子供だったし、 彼は私の力に なろうとしてたの。

Q : ジョージ・クラインの タレント・パーティに 出演しましたよね。 話していただけますか?

A : 私は ワーナー・ブラザースと レコード契約して、 レコードの宣伝ツアーに出たの。 そして ジョージ・クラインの タレント・パーティに出て、 レコードの宣伝のために 歌ったの。 エルヴィスは その場には 来られなくて、 彼はロケに出てたからなの。 でも、 彼の義弟が 人々を集めてくれたの。 親切でしょ。 義母のディーと 子供たちが 来てくれたので 嬉しかったわ。 彼って 協力的だったの。

それに、 私は詩を書いていた。 生活のためじゃないわよ。 どんな詩だったか 忘れちゃったけど、 たくさんの詩を 書いてたの。 エルヴィスは、 両親の前で 私を立たせて、 その詩を読ませるの。 彼はいつも 私にやらせて、 私も詩を書き続けたので、 学校で 詩を表彰されたこともあったの。 彼を喜ばせることも あったわ。 ビートルズが出てきた時のこと。 レコード・セールスで 彼はビートルズと 比べられることが あったりしたの。 私はビートルズについて 何か詩を書いて、 彼の方がずっと良い と書いたの。 彼は気に入ってくれて、 何度もそれを私に読ませたわ。

Q : 彼らは4人で、 エルヴィスはひとり。

A : その通り。 ビートルズは偉大だけど、 エルヴィスはひとりだもん。

Q : エルヴィスのイタズラを 覚えてますか?

A : 最初に思い出したのは、 母と姉と私とで 彼を訪問した時のこと。 イースター・サンディだったと思う。 はっきりしないけど、 夏の日だったことは確かよ。 ビバリー・ウィルシャー・ホテルに エルヴィスを訪ねたの。 いつものように 彼の周りには たくさんの少年たちがいて、 大騒ぎしてた。 入るやいなや、 私たちに 水がとんできたの。 辺りは水浸しだった。 彼らは 水風船を投げ合ってたの。 水風船合戦よね。 そして、 エルヴィスが 母を見つけるや、 それは直ちに中止になったの。 エルヴィスは 母の前では 一切 悪ふざけはしなかった。 母を尊敬してたので、 アルコール類が出てたら、 すぐに片付けたし、 母の前では 飲んだことがなかった。 そこが 彼のいいところね。

Q : 彼は あなたを演出して、 ビデオ・テープに 撮ったそうですね?

A : ええ、 そんなこともあったわ。 まだ彼には子供がなくて、 私が一番小さかったの。 彼は子供が好きで、 私は彼の 半分養女みたいだったの。 彼は いつだって 私を援助してくれたしね。 それで、 私が 詩を読んだりするところを、 「ビデオに撮ろう。 大きな机のところに 座らせて」って。 私が7歳ぐらいの頃よ。 「椅子に座らせ、 机に電話器を並べて、 これをビデオに撮ろう。 音楽もかけて」って。 ビデオ機器が 出てくる前のことよ。 MTVも何も無い頃。 でも、 彼は 最先端を行ってたから。 彼の思いつきで、 これはいかすと 思ったんじゃない。 私を重役か何かに見立てて、 机に電話機を並べて。 まるで 今の私よ。 私は学校を経営していて、 毎日、 5、60件も 電話を受けてるから。

Q : レッド・ベルベットでの ミッキー・ドレンツ (モンキーズ)の 思い出はありますか。

A : ミッキーって 創造力があって 型破りな人だったわ。 彼は 父の店で 駐車係りをやってたの。 彼は 俳優になりたがってたの。 よく学校で 生徒たちに 話すことなんだけど、 「成功した俳優も 時として ダメ人間に見える時がある」って。 私が実際に目撃したことから、 例えば、 ミッキーは 俳優として成功したけど、 その前は 父の駐車係だったの。 ある時、 彼って イタズラをしたの。 ひとりの男性が 真新しい ロールス・ロイスで やってきたの。 その男は 高慢ちきで、 ミッキーに 偉そぶってたのね。 そして、 たまたま 次にやってきたのが、 オンボロの ロールス・ロイスなの。 そして、 ミッキーが 高慢ちき野郎に車を返すのに オンボロ車の方を乗ってきたのよ。 その時の彼の顔ったら 言葉にならないわ。

彼のユーモアのセンスは 自然なものなの。 芝居や演技で できる人はいても、 ミッキーは私生活からして ユーモアに溢れてるの。 ずっと彼を見てきてるし、彼の娘のエミーとは お友達なのよ。 彼は とても才能がある男。 BBCのディレクターに なったわね。 多才なの。

Q : ミッキーと エルヴィスの思い出って ありますか? レッド・ベルベットでの 他の有名人でもいいんですが。

A : 二人が同じ時期に クラブに来ていたのは 確かなんだけど、 特別に思い出すことは無いわ。 私は 毎週 そこで歌ってたし、 エルヴィスと仲間たちのブースに いたの。 両親は私を 他の場所に行かせなかったの。 私は未成年だったし、 お酒を飲んでる人たちのところには 行かせなかったの。 安全と考える場所にだけ 行けたの。 エルヴィスとミッキーが 二人でふざけてるのを 見たことはないわ。 でも 二人の ジョークのセンスから 考えれば、 大いにありうることだわ。

エルヴィスには こんな面があったの。 彼は母親を 懐かしんでたの。 母親が好きだったのね。 彼の 私の母親に対する 接し方を見て、 彼が母親を亡くして どう感じていたか 分かったわ。 彼が私の母に ねだる姿は、 まるで 実の子供が 母親にねだるようだったの。 エルヴィスには たくさんの愛すべき友達が いつも廻りにいたんだけど、 その人たちが まるで彼が有名人だから、 彼を利用しようとしているように 見えたものよ。 寄生虫のように 彼から搾り取ってるように 見えたの。 晩年の彼には もっと愛が必要だったのに、 彼を助けることが できなかったの。

Q : エルヴィスの望み だったのでは?

A : 彼にはもっと 原点を思い出させる人が 必要だったの。 魂の真理を 思い起させる人たち。 彼が 困った状況に陥った時は 私は十代だったし、 彼が亡くなった時、 私は二十歳だったの。 私が18か 19の時だったわ。 母と私は ロスに住んでたんだけど、 母が悪夢を見たって 言ったの。 エルヴィスの母親が 夢の中に出てきて、 「息子を助けて、 息子を助けて」と 言ったの。 それで 私たちは エルヴィスに何かあると思って、 ベガスに飛んで行ったの。 エルヴィスに 会いたかったのに、 初めて エルヴィスは 私たちを中に入れてくれなかったの。 彼らは 「彼は病気で、 今は誰とも会わない」 と言うばかりで、 事態は悪くなってると 感じたの。 もっと 私の母が 彼のそばにいられたらと 悔やまれるわ。 彼には もっと 女性的な 心遣いが 必要だったの。 多くの人が 彼を気遣っていたけど、 彼に遠慮してたの。 彼らは 上っ面な気持ちで 彼の周りにいただけなの。

Q : エルヴィスの周りで、 彼に忠実だったのは誰でしょう?

A : ソニー・ウエスト。 ソニー、 レッド、 私の目では 彼らはエルヴィスを 好きだったわ。 本物の友達だった。 彼の父親もだけど。

Q : ジョー・エスポジトは 子供の目に どのように映ってましたか?

A : ジョーのことは よく知りえなかったの。 ジョーは 賢いビジネスマンだったことは 認めるし、 他の連中とは違っていた。 彼には ビジネス・センスがあって、 いつも スケジュール帳を持ち歩いていたし、 他の連中は ただエルヴィスに まとわりついてただけで、 ジョーは 小切手帳を 持ち歩いていて、 エルヴィスにサインさせたり、 小切手を手渡したり、 注文したり してたの。 彼が金銭管理をしてたの。 ビジネス面を任せてた。 そのためか、 ジョーとエルヴィスの 友情を表す光景は 見たことがなかった。 「俺だけは エルヴィスの仕事をしてるんだ」っていう 態度だったの。

エルヴィスが私たちに TCBネックレスを くれるって時に、 実際は TLCなんだけど、 私は TLCは要らなかったの。 TLCは 彼の女友達が 持っていたので、 私はTCBが 欲しかった。 彼に 「TCBを頂戴」って 言った時も、 彼はジョーに任せたの。 ジョーは 日々の雑用も こなしてたの。

Q : エルヴィスの薬瓶を 見つけた時の話を していただけますか?

A : ええ。 私は子供だったんだけど、 家族で エルヴィスの家に行った時、 あの時の家は確か ベラージオ通りだったわ。 母と姉が エルヴィスに 聞こえないように、 小声で 言い争ってたの。 姉がバスルームで 処方薬を見つけたからなの。 それは 睡眠薬のようなもので、 私たちは 薬の使用は 厳しく制限されて 育てられていて、 アスピリン以外の薬は 使ったことがなかったの。 とにかく、 母と姉は エルヴィスが 処方薬類を使ってると知って 困惑したの。 それで、 姉は エルヴィスに そのことを問い詰めたら、 彼は「処方薬にすぎない」 と言ったの。 ここで はっきりさせないと いけないことは、 エルヴィスは 世間ずれしてない 田舎の少年であって、 医者は 彼にとって 尊敬する立場の人 だったの。 それで、 もし 医者が処方した 鎮痛剤なら 彼は疑わずに 飲むの。 私が思うに、 大佐が医者に 最初に薬を処方させたのは 彼が不眠症だったからだと 思うわ。 とにかく 彼って 元気旺盛だったの。 水風船合戦にしても、 他の遊びにしてもね。 彼に鎮静剤を与えるのが 一番 手っ取り早いと 考えたのでしょう。 それに、 あの頃はまだ 一般に 睡眠薬が危険で 習慣性があると 認識されてなかったの。 エルヴィス自身 薬中毒になるなんて 望んでなかったはずよ。 決して彼は 「興味でやってる」とか 「実験してる」なんて 言ってなかったから。 彼は信用する医者だから 薬を飲んでたの。 それが中毒の原因なの。 睡眠薬を使って休み、 目を覚ますのに 興奮剤が必要だと 気づいた時には、 すでに身体は蝕まれて、 もっと沢山の薬が 必要になって、 中毒になり、 自暴自棄になるの。 処方薬から 知らず知らずの内に 薬中毒になり、 素敵な人を亡くすことになるの。 全く彼らは 医師免許を 剥奪すべきよね。

Q : ニコポロス医師は 免許を剥奪されましたよ。

A : 名前は言えないんだけど、 私が行ってた歯医者は エルヴィスの推薦なの。 ボールが顔に当たって 歯が抜けたので、 行ったの。 エルヴィスの医者なんだから、 良い医者なんでしょう。 でも治療台で 待ってても、 彼が出てこないの。 彼は裏の事務室で 看護婦と いちゃついてるの。 まるで 踊り子のように、 胸が大きくて、 白いミニスカートを 履いてたの。 その彼女と いちゃついてるの。 冗談みたいでしょ。 その間、 私は 歯科用ドリルの 掃除をしてたの。 見るからに 汚かったから。 何故 私がこんなことを しなければならないのって 思いながら。 でも エルヴィスのドクターだからって、 上手とは。 彼が治療した被せ物は すぐ取れたので、 エルヴィスを治療しに 飛んで行かねばならないと よく言ってたわ。 彼のような医者が エルヴィスの死に 貢献したの。 小金を稼ぎながら。

Q : その人の名前を言えますか?

A : ここでは言えないわ。 録画が終わった後なら 教えてあげる。

Q : 何が 彼を追い詰めたのでしょうか?

A : 沢山のことが 重なったんだろうけど、 振り返ると、 プリシラに 三下り半を 突きつけられ、 結婚に失敗したこと。 彼なりに 理想的な 結婚観を持ってたの。 理想の女性は バージンであって、 彼だけを愛すること。 結婚が失敗して、 家族が崩壊して、 子供に 常時会えなくなった。 それが 彼の元気を失くさせた 原因よね。 それだけで 十分なところにもってきて、 肉体的に 薬に依存するようになって、 年を取って、 衰えを感じる。 それに プライド。 恐らく 最期のあの姿で 公衆の面前に 出たくなかったと思う。 プライドが傷ついたの。 辛かったに違いないわ。 契約があって、 歌う義務がある。 でも、 体調が悪い。 外見も良くない。 誇りを持ってたイメージが 彼の内面をズタズタにした。 全ての世界が 崩れ落ちたの。 彼は成功したけど、 彼にとって必要なものも 失くしていたの。 母親をなくして、 代わりに、 男仲間たちと 家族関係を築こうとした。 何人かは 忠誠だったけど、 苦い結末を迎えた人もいたの。

Q : エルヴィスに最後に会ったのは いつですか?

A : 最後に 彼に会ったのは ベガスに 母と行った時で、 母が夢を見た時のこと。 夢の中に 彼の母親が出てきて、 「息子を救ってやって」と 言った時。 彼はラスベガスで 公演してたので、 会いに行ったけど、 会わせてくれなかったの。 あれが最後の接触で、 ジョーが出てきて、 「彼は本当に病気だから、 明日来てくれないか」 と言ったの。 でも、 帰らねばならなかったので、 ロスに帰ったのよ。 それまで いつだって ベガスに行って 彼を応援してたのに、 あの時、 初めて 彼に会えなくて、 それが最後になったのよ。

Q : エルヴィスについて話せる 特別な思い出は ありますか?

A : 初めに、 あの笑顔を思い出すわ。 あれは真似できない。 どんなに上手く 演技を教えることができても、 エルヴィスの笑顔だけは 真似できないわ。 ちょっと 悪戯っぽい笑顔なの。 私は子供だったし、 今は息子がいるんだけど、 子供と一緒にいる時に 現れる笑顔。 可愛い子供で、 あなたが子供好きならね。 彼が私と一緒の時の ちょとした笑顔。 私が何か言ったり、 何か可笑しなことをした時の 彼の笑顔は ずっと私の記憶に 残ってるの。 彼が話す言葉は 直接的でなかったわ。 「インパーソナル・ライフ」から引用した 文章だったりするの。 「私たちはひとつ」だったり、 スピリチュアル・メッセージなの。

Q : あなたのお気に入りの 1節はありますか?

A : ええ、簡単なのを。 ニール・ダイアモンドの歌で、 全てを言い表してるの。 「私たちがいて、 神がいて、 私がいて、 あなたの中に、 私の中に、 私たちはひとつ。」 これが私の お気に入りの1節。 あとは本を読んでみて。

Q : エルヴィスのことで ファンに知ってもらいたいことは ありますか?

A : ええ。 エルヴィスは 単に、 偉大なロックとか、 セックスとか、 ドラッグとかで 語られるべきでなく、 彼は強い精神力、 強い魂の持ち主だった。 母親を愛し、 家族を愛した。 内に燃えたぎる炎は 彼の精神的強靭さと 忠誠心から来てたの。 彼のゴスペル風 歌唱法は 内なる強い魂から 湧き出たものなの。 多くの人が 彼に魅せられ、 彼が生きつづけてるのは 彼が霊的だったからこそなの。 芸能界には 多くのハンサムな人もいるし、 才能ある人もいるわ。 でも エルヴィスはひとりだけ。 彼ほどの 精神力を持った人は ほとんどいないし、 変わらぬ忠誠心を持った人も いないわ。 不幸にも 彼が死んだのは、 彼の心が揺らぎ始め、 忠誠心を失くし、 スピリチュアルの本に 自分を見つけようとしてる時に、 多くの人が彼を貶めたのよ。

Q : エルヴィスは とてもインテリで 読書家でしたね?

A : エルヴィスは インテリで 読書家だっただけでなく、 スポーツ面でも 活動的だったの。 空手に はまってたでしょ。 ある時、 私の母を 心配させたことがあったの。 彼は 頭で木の板を 割ろうとしたの。 成功したけど、 彼の手は 空手の練習で いつも切り傷だらけだったわ。 それに、 彼は ピアノも上手なの。 エルヴィスが弾いたピアノを 持ってるのよ。 父のクラブに 置かれてたもので、 そのピアノは、 レイ・チャールズに マイケル・ジャクソン、 エルヴィスが演奏したの。 多くの人は 彼が多才なのを 知らないわね。

Q : 彼が亡くなったと 何処で知りましたか?

A : 家にいたの。 母と私は泣いたわ。 罪の意識があって泣いたの。 彼がトラブルを抱えてると 知ってたし、 彼は私の母を 実の母のように 慕ってた。 ずっと相談もしてきたの。 あの時、 帰らなければ、 ジョーが 病気だと言っただけで 帰ってきたことが 残念でならないの。 変えられたどうか 分からないけど、 可能性はあったでしょ。 何か悪いことが 起こってることだけは 認識してたので、 会えるまで 居座ればよかったの。

Q : エルヴィスと一緒の時を ひとつの言葉で表すことが できますか?

A : エルヴィスと一緒の時は いつだって エキサイティングな パーティのようだったわ。 イースター・サンディしかり、 ベガスのオープニングしかり、 エキサイティングだった。 エルヴィスは まるで 2、3歳の子供のように 絶えず遊び回って、 人生を謳歌していたの。 いつでも、 どこでも、 パーティのようだった。 まるで 初めての体験のように 飽きないの。 食べ物に関しても、 彼はやりすぎるの。 バナナ・スプリット・ フェスティバルのように、 全てのバナナ・スプリットを 注文するの。 彼って 何でも派手にやるの。 派手にやることが 好きだったの。 彼は私を ひざに乗せて、 彼のスプーンで 私にバナナ・スプリットを 食べさせてくれたわ。 私の母は潔癖症だったので、 「ばい菌が移るから 止めなさい」と 叱ったのよ。 私は楽しかったし、 彼だって 楽しんでたわ。

Q : エルヴィスと スプーンを共有したのは 珍しいことです。 今まで一度しか 聞いたことがありません。

A : 本当に?

Q : 最後に、 エルヴィスは あなたの人生を 変えましたか?

A : エルヴィスは 私の人生を変えた。 彼を知って、 彼の 魂の真理を追究する姿を見て、 私の神に対する概念や、 人生観が変わったの。 それは 他の人たちの人生も変えてるの。 私が学校で教えている 多くの俳優も 変わってるはずよ。 彼らに 「インパーソナル・ライフ」を 読ませてるし、 エゴを取り除く瞑想を 続けてるから。 そんな彼の遺産が 受け継がれていると思うと 気分が良くなるの。

Q : お忙しいところを 出てくださって ありがとうございました。

A : 彼を忘れないための 番組を作ってくださって、 感謝するわ。

Q : 成功をお祈りします。

A : ありがとう。



(Feb.14, 2008)

Mary Lou Ferra Interview (2001)

メリー・ルー・フェラ・インタビュー (2001年)
(ライブ・ハウス、 「クロスボー」や 「レッド・ベルベット」のオーナーで 元女優)

Q : どのような経緯で、 エルヴィスに会えたのですか?

A : エルヴィスに 初めて会ったのは 1960年のことよ。 彼が除隊して、 カリフォルニアにやってきた時なの。 彼の仲間のレッド・ウエストと、 当時、 私たちのライブ・ハウスの バンド・リーダーだった ランス・ルゴーが 親しくて、 当然のことながら、 私たちのクラブに エルヴィスを連れてきたの。 レッド・ウエストは 私たちのクラブの ドア係りで、 ランスは バンド・リーダーだったの。 そんなふうに エルヴィスと出会ったの。

エルヴィスが クラブに来るようになって、 私たちのことを知ってから、 きっと誰かが 彼に私の娘の写真を 見せたのね。 サンディのことよ。 (サンディ・フェラ、 現サンディ・マーチンデイル) サンディはまだ 14才だったの。 それで、 彼が家から 電話をかけてきたの。 夜の2時頃だったかしら、 私の娘に会いたい と言ったの。 私は 「ダメよ、 エルヴィス。 娘はまだ14才なの。 これだけは はっきりさせなくちゃ」 と言ったの。 最初は、 電話の相手が彼だと 信じられなかったわ。 彼は 「エルヴィス・プレスリーですが」 と言ったんだけど、 私は 「冗談はやめてよ。 エルヴィスじゃないでしょ」って。 彼は「本人です。 今すぐ、 あなたのクラブに行きますから」って。 「嘘ばっか言って。 あなたは誰よ?」って。 彼はエルヴィスだと 言い続けたわ。 それで、 納得して、 しばらくの会話のあと、 彼が、 会いたいから娘を クラブに連れてきて って言ったの。 私は 「ダメ、ダメ。 まだ14才なのよ。 夜も遅いし、無理よ」って。 彼は 「大丈夫、大丈夫」って。 彼って しつこいの。 私がOKするまで、 何度も、何度も 電話をかけてきたのよ。

それで、 娘をクラブに 連れて行ったんだけど、 夜の12時頃だったかしら、 彼は女連れで来たの。 チューズディ・ウェルド だったかしら。 忘れたわ。 とにかく、 彼はその女性を 放ったらかしで、 私の娘に 釘付けだったの。 私は思ったわ。 「14才の娘なのよ。 彼って病気?」 でも彼は 私には丁重で、 優しかったの。 そして、しばらくして、 彼は私たちを、 当時、 彼が宿泊していた ビバリー・ウィルシャー・ホテルに 招待してくれたの。 彼は私たちに 会いたがったのよ。 私は言ったわ。 「娘と会う時は、 いつも私も付いて行くから」って。 彼は 「いいですよ 。それでいいです」 と言ったの。 「本当にそれでいいのね?」 って訊いたら、 「ええ、 いつも あなたも一緒に 来てください」って、 「それならOKよ」 ってことになったの。

それで、 2,3日後に ビバリー・ウィルシャー・ホテルに 行ったの。 部屋に入ろうとした時、 彼らは 水鉄砲合戦の 真っ最中だった。 彼と男たちよ。 お互いに 水を掛け合って。 ひとりはドアの後ろに 隠れて、 別の者は ポットに水を入れて、 ドアから出てくるのを待って、 水を掛けるの。 私たちは 中に入れなくて。 すると突然、 誰かがエルヴィスに 私たちが来てることを 告げたのね。 「止め、直ちに止め!」 と言って、 彼がドアまで来て、 「全てを無視して、 中に入って下さい」 と言ったの。 いつもながら、 私たちを 親切に迎え入れてくれたわ。 私たちが 何か食べたいなら、 下に注文するって。 要らないと言っても、 彼は注文するの。 それがエルヴィスなのよ。 しばらくして、 大分 時間がたってから、 彼が言ったの。 「あなたと二人だけで 話したい」って。 「私と二人だけで?」 「さあ、こちらへ・・・」って。

ウィルシャーの最上階は アパートのように なっていて、 狭いキッチン・ルームがあって、 ベッド・ルーム、 ダイニング・ルームに、 すべて揃っていたの。 狭いキッチンに 彼は「行こう」って。 それで、 娘をリビング・ルームに 残して、 二人で キッチンに行ったの。 そこで彼が言ったの。 「今から言うことを、 あなたは 聞き入れて下さるでしょう」 私が「何のこと?」 と尋ねると、 彼は 「分からないのですか。 あなたと娘さんに グレイスランドに 移り住んで 頂きたいのです」 と言ったの。 「冗談でしょ。 どうして 私まで?」 と言うと、 彼は 「あなたは 娘さんと一緒にいたいと 仰いましたでしょ。 私は娘さんと グレイスランドで 暮すからです」って。 「彼女は若すぎるから、 今はダメよ、 エルヴィス」 と言うと、 彼は「いいんです。 私は何もしません。 彼女が成人したら、 妻に迎え入れたいだけです」 と言ったの。 「娘と同棲してから、 ・・・ですって」 と言うと、 「ええ、結婚します。 私の妻になるのです」って。 そして 「あなたも一緒で 構いません」 と言ったの。 私は「エルヴィス、 ごめんなさい。 それは無理よ」って。 すると彼は 「どうして?」って。 私は「私が了解しても、 主人の了解が得られない」って、 ああだこうだと言い争ったわ。 それで、彼は 「じっくり考えてから、 返事を下さい」 って言ったの。

同じように プリシラが 移り住む前のことだったの。 確か 61年だったと思うわ。 それで、 家に帰って、 主人に話したの。 「エルヴィスが・・・」って。 すると、 主人は激怒して、 狂ったように、 罵り、叫んだの。 私は「分かったわ。 私も反対する。 でも、 彼は私にも 来て欲しいって 言ったのよ」って。 それまで、 私の主人は 文句言いで、 いつも威張ってたの。 いくつかの ライブ・ハウスを 持ってたでしょ。 でも あれ以来、 彼は変わったわ。 家では 子供のようになり、 店では 人当たりが良くなり、 誰からも 好かれるようになったの。 それで、 とにかく 断ったの。 でも、 エルヴィスは 「僕がこちらに来た時は、 いつでも 会いに来て下さい」って。 その後も 彼は私たちのクラブに やって来たし、 私たちは とても良い友人関係になったの。

Q : サンディとエルヴィスが 付き合ってから、 彼らは何処に行きましたか?

A : 何処にも行ってないわ。 彼らのデイトの場所は ビバリー・ウィルシャー・ホテルか ベルエアの ペルージャ通りの家。 翌年に引っ越した家よね。 いつも 取り巻き連中と 一緒だったわ。 彼は外に出なかったの。 大佐が許さなかったのね。 彼は外出しなかったの。 エルヴィスに こんなことを言ったのを 覚えてるわ。 「エルヴィス、 あなたって 可哀そうに思える。 全ては 大佐の言いなりなのね」って。 彼は 「全てがそうじゃないけど、 彼の指示なしでは、 出ないことに してるんだ」って。 彼は住まいから 出なかったの。 おかげで、 私たちは よい友達になれたの。 彼は私たちを 招待してくれて、 「いつでも、 望む時に 来ていいんだ」って。 私たちは たくさんの時間を 彼と過ごすことができたの。 このことは 言っておかなくちゃね。 彼は素晴らしい人柄で、 素晴らしい男よ。 彼のような人に 会ったことがないわ。

彼は こんなことも言ってたわ。 プリシラと結婚した後でよ。 「女の子がいいな」って。 「女の子がいいって?」 彼は言ったの。 「男の子はいらない」 「何故なの?」って 尋ねると、 彼は「どれだけ 僕が我慢してるか 分かる? ジョーやソニーらに 我慢してるんだよ。 これ以上の我慢には 耐えられない。 ずっとだよ。 だから女の子がいいの」 って言ったの。 それで、 彼は リサ・マリーが生まれた時は、 とても喜んだの。 女の子だったから。 彼は女性が好きだったの。 このことは はっきりと言えるわ。 彼は母親を敬愛してたの。 母親が亡くなった時、 彼が言ったでしょ。 「僕も終わりだ」って。 私は言ったの。 「エルヴィス、 間違ってるわ。 終わりじゃないわ」 すると彼は 「そう、 いつかママと一緒になれる」 と言ったの。 彼は死ぬ前に こんなことを言ったの。 「いつかママと一緒になれる」 彼の言葉に 私は驚いたわ。 まだ私の娘は 子供だったし、 彼だって、 24、5歳だったでしょ。 もしもの話よ。 私の娘が彼と結婚してたら、 彼はまだ 生きてたかもしれない。 そう思うの。

Q : サンディも エルヴィスに 夢中になりましたか?

A : ええ、でも、 彼の寝室に入ることは ありえなかった。 彼は プリシラと暮らしてた時も、 寝室は 別だったのよ。 本当だと思うわ。 エルヴィスは グレイスランドの隣の 父親の家に プリシラを 住まわせてたの。 彼はよく言ってたの。 エルヴィスは 私を母のように慕ってくれていたから。 彼の実の母以外に、 私が唯一の母親という存在だとね。 彼はこんなことを 言ったことがあるの。 「僕がベガスから帰ってきた時、 プリシラが 僕のベッドで 寝てるんだよ。 それで、 彼女を追い出して、 彼女を部屋に戻らせたんだ」って。 彼は結婚まで、 プリシラと寝てないわ。

Q : あなたのクラブ内での エルヴィスの様子を 話していただけますか?

A : ええ、 彼がクロスボー (ライブ・ハウス)に やって来た時、 そこは ダンス・フロアの上に 狭いバルコニー席があったの。 エルヴィスは いつも友達と そこに座って、 下のダンス・フロアを 眺めていたの。 忘れられない出来事があったわ。 彼は2階で 羽目をはずしたり、 立ち上がって 踊ったりしてたんだけど、 誰も彼には気づかなかったの。 ある時、 ダンス・フロアの ひとりの男性が 連れの女性を殴ったの。 ダンスをしていて、 喧嘩になったの。 それを見たエルヴィスは 階段を駆け下り、 男に向かって、 「止めるんだ」と言ったの。 その行動に 彼自身 驚いてたんじゃないかしら。 だって、 彼は隠れてたのよ。 彼は 「僕がいるところで、 女性を殴るんじゃない」 と言って、 その男を殴り倒して、 すばやく 2階の席に 駆け戻ったの。 今でも あれが誰だったか、 私たち以外 誰も知らないでしょう。 彼を殴った男の正体は エルヴィスだったの。 こんなこと 想像できる?

Q : 彼は女性を 大切にしていましたか?

A : 彼は女性を敬ってたわ。 もう1度言わせて。 彼は結婚前には 誰とも寝ていない。 絶対よ。 この件で 私はよく 彼をからかったものよ。 彼は言ってたの。 「映画の撮影中は 疲れ切っていて、 そんなことは考えもしないよ。 夜更かししないんだ。 睡眠が必要だから」って。 それから、 彼は 私たちにピアノを弾いて、 聞かせてくれたこともあった。 彼って ピアノが上手だったの。 知ってた? ベガスのステージでは やったことがないでしょう。 彼って上手だったのよ。

Q : 最後のツアーでは やってました。

A : 最後のツアーでやったの? そのツアーのことは、 私は行ってないから 知らないわ。 でも、 彼が亡くなる前には そういうことも あったの。

Q : プリシラ自身は 映画界に入りたかったと 思いますか?

A : ええ、 彼女はスターになることを 望んでたの。 彼も知ってたわ。 取り巻きのひとりから 聞いたことだけど、 彼女は グレイスランドに 先生を呼んで レッスンを受けてたの。 彼女は スターになりたかったのよ。

Q : アン・マーグレットの印象は どうでしたか?

A : アン・マーグレットは いい娘よ、 いい人柄だったわ。 でも、 エルヴィスは 有名人を 家族に迎え入れたくなかったの。 彼は「結婚しない」 って言ってた。 彼女と続かなかったのは それが理由なの。 彼女がスターだったから。 彼は どんなスターでも 手に入れることが出来たにせよ、 スターを求めては いなかったの。

Q : 彼は プリシラが女優になることを 望まなかった。 それが理由なのでしょうか?

A : そう、 そこが二人の 決定的な違いなの。

Q : サンディは どうだったんでしょうか? エルヴィスの映画で 踊ってましたね?

A : エルヴィスは 彼女のダンスは 認めてたの。 それで、 彼女も エルヴィスの希望通りに 行動してた。 彼女って 良いダンサーだったのよ。 実際、 「ラスベガス万才」では、 アン・マーグレットより 彼女の方が 上手だったの。 そのために、 彼女はトーン・ダウンするように 監督に言われたの。 「アン・マーグレットより 上手く 踊って欲しくないんだ。 トーン・ダウンしないのなら、 出て行きなさい」 だって。 そのことを エルヴィスに話したら、 彼は 「サンディ、 トーン・ダウンするんだ」って。 それで、 サンディと エルヴィスと アンのシーンでは、 アン・マーグレットを 良く見せるために、 彼女はトーン・ダウンしなければ ならなかったの。 アン・マーグレットは 本物のダンサーじゃなかったしね。 彼女はトゥ・ダンスを好まなくて、 サンディと同じ振り付けで 踊っても、 全く違ったものに 見えたの。

Q : パーカー大佐は どのような印象でしたか?

A : 彼とは 喧嘩ばかりしてた。 小言ばかり言ってやったわ。 ラスベガス・ヒルトンで ある時、 彼の行きつけの コーヒー・ショップで 話してたの。 私が「大佐、 何故エルヴィスに こんなことをやらせるの。 もっと自由に させてあげて。 それに、 彼に処方薬を与えてるでしょ? どうして止めないの?」 って言ったの。 あの処方薬を始めたのは パーカー大佐なのよ。 「エルヴィスを自由にさせて、 処方薬を与えるのも止めて」 と言ったら、 彼は怒り出したわ。 彼は「黙れ! フェラ夫人、 静かにしないと、 2度とエルヴィスに 会えなくしてやる」って。 私は「分かった、 でも・・・」って。 それ以上は 言えなかったわ。

Q : 彼は偉そうでしたか?

A : ええ。 そのことを エルヴィスに話したの。 彼は「僕を どうしようっていうんだ?」って。 彼は私を いつも「フェラ夫人」と呼んでた。 彼はどんな時だって 礼儀正しくて、 「フェラ夫人、 大佐がいなければ、 僕はどうなってたと思う? 大佐がいなければ、 今の僕はありえないんだ」って。 私は言ったの 「何も変わらないわ。 エルヴィス、 誰だって あれぐらい出来たでしょ。 あなたの その声に、 歌い方に、 そのルックスがあれば、 あなたひとりで できたわ」って。 でも、 彼は、 「違うよ。 大佐のおかげだ。 大佐が全てなんだ」 と言ったの。 大佐がいなければ、 彼は処方薬に 手を出すこともなかった。 大佐の言いなりだったの。

Q : 大佐がエルヴィスに 内容のある役柄を与えなかったと お考えですか?

A : 間違いないわ。 映画の役柄を選んだのは 大佐なの。 エルヴィスには 成すすべが無かった。 エルヴィスは もっとアクションのある映画を やりたがってたんだけど、 大佐がさせなかったのよ。

Q : エルヴィスは そのことを あなたに話したのですか?

A : そう。 私って幸運だったの。 だって、 私自身が 母親でもあったから、 彼にとって 母親のような存在で あれたの。 彼は母親を亡くしてたから、 男友達に話せないことを 私には 話すことができたの。 ジョー・エスポジト、 ソニーや レッド・ウエストには 話せないことを、 私に話したの。 多くの人たちは 本当の彼を知らないと よく思ったわ。 彼は素晴らしい人なの。 彼って違うのよ。 スターだったけど、 最初は スターになれて 喜んだでしょう。 でも、 しばらくして、 そのことは 何の意味も無いことだと 分かったのね。 こんなことがあったわ。 ベルエアの ペルージャ通りの家に 行った時のこと。 私は部屋に入って、 「エルヴィス、 何て可愛いテーブルなの」って 誉めたことがあったの。 すると 彼はジョー・エスポジトに、 「ジョー、 それをフェラさんの車に積んで」と 言ったの。 私は 「違うの。 エルヴィス、 私は要らないのよ」 と言っても、 彼は聞き入れないの。 「欲しいんでしょ。 積んで」って。 ほんと、 彼の前で 物を誉めたり できなかったの。 何でもくれるんだから。 何でも、 彼は与えるの。 今でも 彼のパジャマの上を 持ってるはずよ。 エルヴィスが着ていた パジャマなの。 ある時、私、 言ってしまったのよ。 「それって 可愛いパジャマね。 それなら人前にも 着て出られるわ」って。 ごく普通のものだったんだけど、 彼ったら、 「これをあげるよ」って。 「下はだめだけど、上なら持っていきなさい」って。 これがいい例よ。 彼は何でも 私たちに くれようとしたの。

Q : エルヴィスの 周辺の男たちとも 友達になりましたか?

A : ソニーとはね。 レッドは付き合うには ガラが悪くて、 荒っぽかったの。 彼は 私の店で 働いてたんだけど。 そして、 ジョー・エスポジトとは 話したことはあるけど、 それ以上はなかった。 彼には エルヴィスとの会話の内容を 知られたくなかったの。 分かるでしょ。 プライベートなことは ジョーに 話さないことにしてたの。 ジョーは何でも知ってたわ。 いつも一緒だったから。 でも、 ある年の イースターのことは 忘れないわ。 イースターの日曜日に ベルエアのエルヴィスに 電話したの。 彼はひとりぼっちだったの。 「エルヴィス、 あなた 今 ひとりなの?」って言ったら、 彼は 「大佐が 打ち合わせに、 もうすぐに やってくるんだ。 でも、 今はひとりだ」 と答えたの。 「それじゃ、 私たち、そちらに 伺ってもいい?」って。 それで、 私と夫と 二人の娘とで イースターを 彼と過ごすことができたの。 エルヴィスと一日、 一緒に過ごせたのよ。 今、思い出したわ。 彼の好物の シーズ・キャンディを 持って行ったら、 彼ひとりで その1箱全部を 食べたのよ。

Q : あなたにとって、 エルヴィスの一番に 印象的なことは 何でしょうか?

A : いいこと。一番 印象的なことは 彼の尊敬の心。 女性に対する 尊敬の念。 女性に対する 振る舞い。 私は彼を 気取りのない ナイス・ガイに見えてたの。 これが本当の彼の姿よ。 でも彼って、 外出しなかったの。 こんなことがあった。 私はフランク・シナトラとも 親しくて、 フランクが ラスベガスのサンズ・ホテルで 誕生パーティを 計画してた時、 彼が 「エルヴィスを招待したい」って 言い出したの。 私は賛成したわ。 それで 彼はエルヴィスを 招待したの。 そしたら、 その時 私は エルヴィスと一緒だったの。 エルヴィスは言ったの。 電話だったかしら、 「僕は行かない」って。 私は 「どうしてなの?」って 訊いたわ。 彼は「行きたくないんだ。 有名人ばっかなんだろう。 行きたくないよ」 と言ったの。 私は言ったわよ。 「フランクは あなたを気に入ってるの。 彼の希望なのよ。 フランクって 他の歌手に 嫉妬するような人じゃないの、 応援できる人よ。 彼自身が歌手でもあるし、 分かるでしょ」って。 でも、 彼は 行かなかった。 パーティに 来なかった。 そして、 フランクに 理由を尋ねられたんだけど、 「誘ったのに、 彼は来ないのよ」って 答えるしかなかった。 彼は フランクの誕生パーティにも 来なかったの。

Q : シナトラは がっかりしたでしょう。

A : ええ、 フランクは 食べ物を イタリアから取り寄せてまで もてなしてたの。 本当のことよ。

Q : 水鉄砲合戦のことは話されました。 他に エルヴィスが 憂さ晴らしにやったイタズラを 覚えていますか?

A : ある時、 取り巻きの青年たちと、 ビバリー・ヒルズの公園で。 その公園は 今でもあると思うわ。 ベネディクト・キャニオンの コールドウォーターの先にあるの。 そこでの出来事なの。 エルヴィスは 青年たちと ふざけ合ってた。 ボクシングでもしてるようだった。 そして、 彼がダウンさせられると、 彼の上に 青年たちが 覆いかぶさっていったの。 彼は笑いながら 手を振ってたんだけど、 私は「まあ、彼が怪我しそうだわ」って 心配で 娘に言ったの。 「怪我するわ」って。 娘は「みんな、彼の背中に 乗りかぶさってる」って。 彼は身動き できなくて、 押さえつけられたままだったけど、 顔は笑ってたわ。

Q : エルヴィスは どのようなことを あなたに話したのですか?

A : 個人的なこと。 私の娘のことで 部屋に呼んだり。 こんなことも 彼は言ってたわ。 「男どもには うんざりする。 たまには休みたいのに」って。 「どうして?」って 尋ねると、 「休ませてくれないんだ」って。 「彼らのやること全てに 付き合うこともないでしょ。 疲れた時は 休めば?」って 言うと、 彼は 「それが出来ないんだよな」って。

Q : エルヴィスに 最後に会ったのは いつでしたか?

A : 彼に最後に会ったのは、 亡くなる少し前だったわ。 その時に 感じたんだけど、 彼はむくんでたの。 肥ったのと違うわ。 むくんでたの。 まるで皮膚を 空気で膨らませたようだったの。 私って正直でしょ、 「エルヴィス、どうしたのよ?」って。 すると、エルヴィスは 落ち着いた物腰で、 「何のことでしょうか?」って。

Q : エルヴィスが亡くなったと、 何処で聞きましたか?

A : 私は家にいたの。 そして、 グレイスランドでのお葬式に 招かれたんだけど、 気分が優れなくて、 行かなかった。 悪いこととは思ったけど。 他の人たちは みんな行ったので、 私も行けばよかったと ずっと後悔していて、 しばらくしてから、 グレイスランドのお墓に 参りに行ったの。

Q : あなたは 彼のことが好きだったと 分かりました。 個人的に 彼は あなたにとって どのような意味が あったのでしょうか?

A : 愛しい友人。 とっても残念で、 謝りたい気持ちなの。 よく泣いたものよ。

Q : 彼のことで、 まだファンが知らないことって ありますか?

A : ひとつ、 彼のファンに 知って欲しいことは、 彼は偉大な男だったってこと。 彼は普通の人が好きだったの。 彼に好かれるには、 お金も名声も必要でなかった。 彼はどんな人でも 好きだったの。 彼は 十字架を背負うはめになったけど、 それは 彼が望んだことではなく、 たまたま そうなっただけのことなの。 そして、 薬漬けにさせられても、 進むしかなかった。 彼は望んで行ったのかも。 あの言葉が忘れられないわ。 「ママと一緒になれる」って 言ったこと。

Q : エルヴィス伝説が かつてないほどに 大きくなっています。 理由は何でしょうか?

A : 彼が大きな存在になったのは、 プリシラが ビジネス手腕を発揮してるからよ。 事実、 彼女の決断で ビジネスを始め、 エルヴィスの名を使い、 グレイスランドで 催し物をやり、 お金をかき集めている。 人々に エルヴィスの偉大さを 知らしめている。 言い換えれば、 金儲けに 彼を利用している。 エルヴィスの名前と 人間性を使って、 金を稼ぎ出してる。 それだけのこと。

Q : 貴重な時間を ありがとうございました。



(Feb. 3, 2008)

EPEとマダシー・レコードが提携した コレクター向け ブリキ缶入りCD

The Very Best Of Love

Home For The Holidays

Elvis Karaoke
内容:
  • CD, The Very Best Of Love
  • DVD, Elvis Through The Years
  • Greeting Cards, 5枚(封筒付)
  • 32頁バイオグラフィー

 DVDは エルヴィスの カラオケ12曲を BGMに エルヴィスの写真 (350枚程度)が スライド形式で 5秒ごとに 移り替わります。
内容:
  • CD, It's Christmas Time
  • ギター形ローソク
  • 写真ハガキ, 6枚
  • ドア・ハンガー
  • 32頁バイオグラフィー

 バイオグラフィーは "The Very Best Of Love" のと 表紙を除いて 全く同じものです。
内容:
  • 3枚組カラオケCD
  • 24頁解説書・歌詞
  • ドア・ハンガー
  • 手紙のレプリカ

 カラオケCDは 各8曲入りで 演奏のみと ボーカル入りトラックが 入ってます。 エルヴィスの ボーカルでは ありません。
Go to: Elvis Collectible Tins
Go to: Madacy Music Tins



(Jan.18, 2008)


Elvis In Cleveland, 1955

エルヴィス関連 映画情報

"Alien Autopsy" (2006)
「宇宙人の解剖」


 映画「宇宙人の解剖」は、 '95年に公開された ロズウェルでの 宇宙人解剖映像に端を発した 一大騒動の 裏側を描いた作品です。
 この宇宙人解剖映像は、 英国人で ビデオの海賊版を売って 生活していた レイ・サンティリが エルヴィスの '55年の未公開映像を 米国に買い付けに行った時に、 他にも珍しいのがあるから 買わないかと 持ちかけられたものなのです。 この映画は そのレイ・サンティリ自身と 同行した映画会社ポリグラムの代理人、 ゲイリー・シュフィールドが 製作していることからして、 私は映画の内容に 非常に興味がありました。
 レイ・サンティリが 買いに行った映像とは、 1955年に "The Pied Piper of Cleveland: A Day In The Life Of A Famous Disc Jockey" というタイトルで、 クリーブランドの人気DJ、 ビル・ランドルの1日を 追いかけた 短編映画が製作され、 その時に撮影した エルヴィスの クリーブランド公演 ('55年10月20日) の映像なのです。
 映画では その時の模様が 再現されていて、 サンティリが エルヴィスの映像を見て 「保存状態が悪いし、 音も付いてない」 と言って 値切ろうとするのです。 音が付いてないとは、 映画の中の サンティリが 言ってるのですから 残念ながら 本当のことなのでしょう。 映画の中に出てくる エルヴィスの映像は 1957年の テュペロ公演ですが、 1955年の 本物の映像が 見たいものです。

 エルヴィスの映像を 買いに行った時の場面とは こんなのです。
「宇宙人の解剖」より (WMV - 9.8 mb)

 本物のレイ・サンティリと ゲイリー・シュフィールドも 出てきます。

 現在のレイ・サンティリは、 色んな廉価版DVDを 作ったりしてまして、 英国で発売された "Elvis, The Journey" や "Elvis, The Missing Years" などは 彼の製作によるものです。



(Jan.16, 2008) (Jan.15, 2008)


決定版 「エルヴィス at ルイジアナ・ヘイライド」
"Elvis At The Hayride"

 エルヴィスが '54年〜'56年にかけて出演した ルイジアナ・ヘイライドの ライブ音源CDは 無数に発売されてますが、 このCD, DVDと セットで発売されている 写真集、 これがすごく良いので 紹介することにしました。
 この写真集は エルヴィスのルイジアナ・ヘイライド出演に関する 関係者のインタビュー、 新聞の切り抜き、 契約書のコピーなど ありとあらゆるものを 集めたものです。 170頁で A4より少し大きめのサイズ。 写真は全て白黒ながら 印刷がとても綺麗です。

CD/DVD/Book Set - $52.98 / 6311円
(CD only - $10.98 / 1387円)

 商品紹介の写真が 間違ってるので 困るのですが、 価格の高い方が 写真集付きのセットです。 私は アメリカの から 買いました。 DVDは 関係者のインタビューや 写真のスライドショーです。 (但し、 商品購入に関する トラブルには 一切 私は関知しません。)

 P.S. このDVDは "Louisiana Hayride Scrapbook" というタイトルでして、 近日 単品で 一般発売されるようです。



(Jan.13, 2008)

エルヴィス関連 映画情報

The Outsiders, The Complete Novel (2005)
「アウトサイダー」


 「アウトサイダー」は、 オクラホマ州タルサの学生だった スーザン・E・ヒントンが 1967年に発表した小説を、 1983年に フランシス・フォード・コッポラ監督が 映画化し、 大ヒットしました。
 舞台は 1960年代中頃のタルサ。 下層階級の不良グループ 「グリーサーズ」と 上流階級の不良グループ 「ソーシュ」の 対立を中心に、 少年たちの友情を描いた作品で、 原作本は 1500万部以上も売れる 大ベストセラーとなりました。
 映画化に当たって コッポラ監督は、 当時の少年たちは どのような音楽を 聴いていたのかと 原作者のヒントンに尋ねたところ、 「グリーサーズ」は エルヴィスや カール・パーキンス、 「ソーシュ」は ビートルズを 聴いていたとの答えでした。 それで、 コッポラ監督は 映画のサントラ全曲を エルヴィス・プレスリーで やりたいと考えたのですが、 83年当時の状況では エルヴィスの曲を 映画で使用する許可が 下りなかったので 断念しました。 (82年 「ダイナー」で "Don't Be Cruel" が使われたのが 唯一の例外)
 そして 2005年に、 より原作に忠実な ディレクターズ・カット版 ともいうべき "The Outsiders, The Complete Novel" が作られた時、 オリジナル版 「アウトサイダー」のサントラ (コッポラ監督の父親である カーマイン・コッポラの作曲) を全面的に見直し、 60年代当時の曲を 多く使うことにしたのです。 全曲エルヴィスで という夢は 叶わなかったのですが、 エルヴィスの曲が 6曲も使われています。
 "Blue Moon" "Tomorrow Is A Long Time" "Mystery Train" "We're Gonna Move" "Milky White Way" "When It Rains, It Really Pours" の6曲。 "Tomorrow Is A Long Time" は 断片ながら 3箇所で使われています。
 このディレクターズ・カット版 "The Outsiders, The Complete Novel" は 日本では未公開、 DVDも 発売されていません。 唯一、 リージョン1の アメリカ版のみ から 手に入れることができます。



(Jan. 9, 2008) (Nov.19, 2007)

   映画祭のお知らせ

 チラシ拡大
 エルヴィスが一番 日本に近づいた日
「アロハ・フロム・ハワイ」
 35周年 メモリアル・イヴェント

<日時> 2008年 1月13日 (日)
<場所> 新橋 ヤクルトホール (地図)
     東京都港区東新橋 1-1-19 (03-3574-7255)
     JR新橋駅から徒歩5分

<TIME TABLE>
    12:00 ● 開場
    12:30 ● 開演
      ○「アロハ・フロム・ハワイ」 リハーサル・ショー
      ○トーク・ショー、「アロハ・フロム・ハワイ」の真実
        出席:湯川れい子、木崎義二、萩原健太
      ○「アロハ・フロム・ハワイ」
    18:00 ● 終演

<料金> チケット発売中! (全席自由席)
    エルヴィス・ソサエティ会員:3,000円
    一般前売:3,500円 (当日:4,000円)

<チケットのお求め>
    チケットぴあ (0570-02-9999) (Pコード 553-310)
    銀座タクト (03-3571-3939)
    ラブ・ミー・テンダー (03-3479-6229)
    エルヴィス・プレスリー・ソサエティ・オブ・ジャパン (03-3541-6503)
<主催・問い合わせ>
    エルヴィス・プレスリー・ソサエティ・オブ・ジャパン (03-3541-6503)
    銀座タクト (03-3571-3939)
<協力>
    エルヴィス・プレスリー・エンタープライズ、 BMG JAPAN
    湯川れい子音楽事務所、 ラブ・ミー・テンダー、 銀座タクト
<その他>
    会場にてエルヴィス・グッズ、CD、DVD等の発売があります
    木崎義二氏撮影の未発表写真集 「アロハ・フロム・ハワイ」 (予価:3,500円) 発売!



(Jan. 9, 2008)


 エルヴィスのステージ衣装を手がけた ビル・ビリュー氏が 亡くなりました。
彼のインタビューは ここに あります。



(Jan. 6, 2008)


 アクセス件数が、 2003年11月の100万件突破から 4年2か月で 200万件を超えました。 ということは、 ひと月約2万件、 一日約700件弱です。 今後ともヨロシク!



(Jan. 4, 2008) (Dec. 7, 2007) (Nov.26, 2007)


(写真拡大)
「エルヴィス、 ベスト・ヒッツ・パフォーマンス」 DVD 発売記念
ELVIS BIRTHDAY FAIR IN YAMANO 2008

期間: 2008.01.06(日) 〜 01.09(水)
会場: 銀座山野楽器本店 7F、 イベントスペース "Jam Spot"
時間: 10:30 〜 20:00 (入場自由)
  上映スケジュール(各日共通です)
  @ 11:00 〜 11:45  第1回 前編上映
  A 12:15 〜 13:00  第1回 後編上映
  B 14:00 〜 14:45  第2回 前編上映
  C 15:15 〜 16:00  第2回 後編上映
  D 17:00 〜 17:45  第3回 前編上映
  E 18:15 〜 19:00  第3回 後編上映

 2008年1月8日 (エルヴィス73回目の誕生日) に発売されるDVD 「ベスト・ヒッツ・パフォーマンス」の本編を 前編、後編に分けて、 迫力の大型スクリーンで 全て上映します。
 期間中会場にて、 エルヴィスのCD/DVDが 多数販売されます。 購入特典あり。



(Jan. 2, 2008)


(写真拡大)
待望の出版!

写真集 "Elvis, Aloha From Hawaii"
 木崎義二:撮影、 エルヴィス・ソサエティ:発行
 A4サイズ、 100頁、 \3,500.(税込)

 初めて日本人撮影による エルヴィス写真集が 発売されます。 1972年、73年の ハワイ公演 及び 記者会見のエルヴィスを 音楽評論家の木崎義二さんが 個人的に撮影したもので、 一部は 当時の雑誌等で 発表されましたが、 ほとんどが未発表の 写真集です。
 1月13日、ヤクルト・ホールでの映画祭に於いて 先行発売。 14日より エルヴィス専門店 「ラブミーテンダー」と エルヴィス・ソサエティのみの 販売となります。 (一般の書店には置かれません)


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