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![]() Elvis News (July 2015) (Compiled by Haruo Hirose) |
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(July 31, 2015)
「故郷への道を教えて」 (Where Do I Go From Here)
先の「ラヴィング・アームズ」の記事で、 トム・ヤンスの葬式で、 ポール・ウィリアムスが 「ラヴィング・アームズ」 を歌ったと書いてる時、 偶然にも、 NHK-BSで クリント・イーストウッド主演の映画 「サンダーボルト」 (Thunderbolt And Lightfoot) が放送されていまして、 ポール・ウィリアムスの主題歌、 「故郷への道を教えて」 (Where Do I Go From Here) が聞こえてきました。
ポール・ウィリアムスは有名なシンガー・ソングライターであり、 俳優であり、 よくテレビに出ておりました。 (wiki)
「故郷への道を教えて」は、ポール・ウィリアムスの 1972年発表のアルバム "Life Goes On" のために書かれた曲で、 エルヴィスは 72年3月の 「バーニング・ラヴ」 と同じセッションで、 この曲を録音しました。 1973年7月発売のアルバム 「フール」 で発表されました。 このすぐ後に、 エルヴィスは ポール・ウィリアムスに 会っております。
1973年8月、ポール・ウィリアムスは、 ラスベガスのリビエラ・ホテルの ライザ・ミネリ・ショーの 前座として 出演していました。 そこで、 ライザ・ミネリを 訪ねて来た エルヴィスと 楽屋で会うことが できたのです。 この時のことを ポール・ウィリアムスが 語っています。
私から声をかけた。「僕の曲をレコーディングしてくれて有難う」とね。 エルヴィスは 「いいんだ。 いいんだ。 ところで、 何て曲だい?」 と言ったので、 「"Where Do I Go From Here" ですよ」 と答えると、 「良い曲だね。 ところで、 どのアルバムに入ってるの?」 と訊いてきたので、 私は 「知らないよ。 そんなことまで 把握してらんないよ (I don't know, I don't keep track of things like that.)」 と言ってしまったんだ。 すると、 エルヴィスは レッドと顔を見合わせて、 「今の聞いた?」 ってね。 エルヴィスは このような ぶっきらぼうな 物言いが 好きだったんだ。 後で、 レッド・ウエストと "Wild, Wild West Revisited" で共演した時に、 彼から このことを聞いた。 エルヴィスは みんなと同じように 扱われたがっていたんだ。
ポール・ウィリアムスは1968年にバンドを結成して、 サイケ・ミュージックの アルバム
1973年8月6日のエルヴィスのオープニング・ナイトに ライザ・ミネリ がやってきました。 ショーの途中で エルヴィスは 彼女を紹介しました。 「今夜は客席に リサ・ミネリさんが お越しです。」 よく名前を間違われる ライザ・ミネリは、 前年に "Liza with a Z" という TVスペシャルを 作っていました。
Where Do I Go From Here (take 6) - Elvis Presley
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Where Do I Go From Here 故郷への道を教えて (意訳)
![]() ![]() ![]() ![]() (* 繰り返し) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
(July 29, 2015)
<エルヴィス関連 テレビ番組のお知らせ>
■ 7月31日(金) 19:00〜19:57
(内容)
(注: この時間、関西テレビでは 「快傑えみちゃんねる」 が放送されます)
パームスプリングスと言えば、 私が中学生だった頃、 映画「パームスプリングの週末」 (Palm Springs Weekend) の主題歌で、 主演のトロイ・ドナヒューが歌う 「恋のパームスプリングス」 (Live Young) が大ヒットしました。 この映画には レッド・ウエストが 端役で出ており、 ここで共演した ロバート・コンラッドが その後の レッド・ウエストの映画人生に 大きな影響を与えました。
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(July 28, 2015)
Loving Arms - Elvis Presley (Undubbed Master)
「ラビング・アームズ」 (Loving Arms)
発売当時よりも、今の方が評価が高くなった曲って ありますよね。 "Always On My Mind" が良い例ですが、この「ラビング・アームズ」 (Loving Arms) も そのような曲でしよう。
オリジナル盤は、 結婚したばかりの クリス・クリストファーソン、 リタ・クーリッジ夫妻 によって、1973年9月に 発表されました。 そして、 ドビー・グレイの シングル盤が 1973年に 全米61位の マイナー・ヒットしました。 多分 エルヴィスは ドビー・グレイ盤を 聴いたのでしょう。 1973年12月13日に スタックス・スタジオで録音。 翌年、 1974年3月に、 アルバム「グッド・タイムス」で 発表されました。
作者のトム・ヤンス (Tom Jans) のレコードは ドビー・グレイ (Dobie Gray) の ヒットを受けて、 1974年に 発表されました。 トム・ヤンスは バイク事故が 原因の病気で 1984年に 36才の若さで 亡くなりました。 そして、 彼の葬式では、 親友のポール・ウィリアムスが この「ラヴィング・アームズ」を 歌ったそうです。
いろいろと聞き比べてみると、 また新たな 発見があるかもです。
このような名曲が生まれたがために、 消え去る曲もあります。 この "Loving Arms" の出だしの部分 "If you could see me now"、 これと同じ曲がありました。 ジャズの スタンダード・ナンバーの "If You Could See Me Now" です。 今はもう 聴くことはなくなりました。
ミュージカル「キャッツ」の "Memory" が素晴らしいがために、 エルヴィスの "Memories" も、 ほとんど 聴かれなくなりましたね。
昔、私が持っていたバーブラ・ストライサンドのアルバムの 1曲目に入っていた "Yesterdays"。 この曲もジャズの スタンダードなんですが、 ビートルズの "Yesterday" によって、 消されてしまいました。
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Loving Arms ラヴィング・アームズ(意訳)
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(July 26, 2015)
<エルヴィス関連 テレビ番組のお知らせ>
■ 7月31日(金) 9時00分 〜 10時20分 (80分)
(内容)
■ 8月16日(月) 14時00分 〜 15時00分 (60分) 初放送 8月20日(木) 18時30分 〜 19時30分 再放送 8月22日(土) 06時00分 〜 07時00分 再放送 8月24日(月) 14時00分 〜 15時00分 再放送 スカパー! ミュージック・エア (Ch.638 その他) エルヴィス・プレスリー: ラスト・デイ(日本初放送)
(内容)
■ ミュージック・エア、 8.16 エルヴィス・プレスリー命日特集
"キング・オブ・ロックンロール" エルヴィス・プレスリーの 8月16日の命日に、 日本初放送ドキュメンタリーを含む エルヴィス・プレスリー 6番組を一挙放送。
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(July 21, 2015)
Suspicious Minds - The Ventures (feat. James Burton on Sitar)
大発見! ジェームス・バートン + シタール = サスピシャス・マインド
これには驚きましたね。 ジェームス・バートンが 「サスピシャス・マインド」 (Suspicious Minds) を録音していたのです。 それも ザ・ベンチャーズの 名義なんですよ。
1969年9月にザ・ベンチャーズは 「スワンプ・ロック」 (Swamp Rock)
ジェームス・バートンが弾いたのは アルバムの中の 「サスピシャス・マインド」と 「柿の木族」 (Plaquemines Parish) の2曲だけらしいです。 このことは ザ・ベンチャーズについて 詳しい本 "Walk-Don't Run"
ジェームス・バートンとジェリー・マギーが近くにいたというのは、 ザ・モンキーズの ファースト・アルバム "The Monkees" の セッション・クレジットを見れば、 よく分かります。 アルバムの3分の2を ジェリー・マギーが弾いて、 残り3分の1を ジェームス・バートンが 弾いてます。
上記のスノーバード (Snowbird) のライブ録音が 気になりますね。 これは FTDのCD "The Impossible Dream" で発表されたものですが、 スタジオ録音盤の シタールに似せた音を ジェームス・バートンは 出しています。 でもやはり テレキャスターでしょうか?
これは間違いなく、 ジェームス・バートンが シタールを弾いてるって曲が 1曲あります。 それは、 リック・ネルソンが 1967年に発表したアルバム "Another Side Of Rick" |
(July 20, 2015)
![]() (エレクトリック・シタールを弾く ジェリー・マギー) エレキ・ブームから50年、 夏の風物詩となったベンチャーズ日本公演
ベンチャーズのオリジナル・メンバーの一人であるドン・ウィルソンが、 健康上の都合から、 今年を最後に 日本ツアーから引退すると 発表しました。 そんなこともあって、 今回のツアーの チケットの売れ行きは 例年にも増して 良いようです。 (ベンチャーズ 2015 スケジュール)
ベンチャーズのコンサートは レパートリーの幅がとても広く、 すごく楽しめます。 下の
クラシカル・ガス (Classical Gas) - メイソン・ウイリアムス (Mason Williams) 1968年発表の曲。 ギター・インストの曲としては 異例の 全米2位の 大ヒット曲になりました。 ジェリー・マギーは、 「セット・リストの中で 一番好きな曲ではあるが、 一番難しい曲だ」 と言っております。
さて、ここからが本題となります。 エルヴィスがシタールを使った曲はあるのか? もちろんあります。 恐らく初めて シタールを使った曲は、 「ハイ・ヒール・スニーカーズ」 (Hi-Heel Sneakers) ではないでしょうか。
ここでシタールを弾いてるのは ハロルド・ブラッドレィ (Harold Bradley) です。 でも、 出だしの部分以外 シタールの音が 聞き取れないので、 あまり効果的だったとは 言えないでしょう。 「ハイ・ヒール・スニーカーズ」は 米国ではシングルで 発売されたのですが、 日本では発売が 見送られました。 あの当時、 日本では ホセ・フェリシアーノの 「ハイ・ヒール・スニーカーズ」 がよく流れていたので、 もし エルヴィス盤が出ていれば、 ヒットしたと 私は思っています。
69年のメンフィス・セッションでシタールを弾いてるのは レジー・ヤング (Reggie Young) です。 上記の2曲は シタールの音が顕著です。 彼のインタビュー記事 を読むと、 もっと他の曲でも シタールを使ってるような 気がします。
エルヴィスの曲で一番 シタールが効果的に使われてるのが スノーバード (Snowbird) ですね。 1970年9月22日のセッションは エルヴィスが頼りとする ジェームス・バートンが 参加できず、 代わりに エディ・ヒントンが呼ばれ、 録音されました。
しかし、これではダメだと思ったプロデューサーの フェルトン・ジャーヴィスは 後日、 ハロルド・ブラッドレィ を呼び寄せ、 リード・ギターの部分を シタールに差し替えたのです。 これが 素晴らしい効果を 生み出しました。
Snowbird - Elvis Presley (Master take with Harold Bradley on Sitar)
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Snowbird (意訳)
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(July 19, 2015)
![]() 「もしかしてだけど・・・」 (どぶろっくじゃねえよ)
映画「トラブル・ウイズ・ガールズ」のエルヴィスが "Clean Up Your Own Backyard" を歌う場面を見てください。 バックの三人は 左から Leonard Rumery, Kathy Rainey, Bill Paris。 当時、 "Sunshine and Gentle Rain" という名前で、 バンド活動していた UCLAの学生たちです。 (ここに 彼らの写真と 映画に使用された音が アップされてます) もちろん、 この場面では 彼らは実際には 弾いてません。 前もって録音された 音に合わせて、 エアー演奏してるだけですが、 右端のビル・パリスに 注目してください。 ギターを横にして、 ドブロ・ギター のように、 左手でスライド・バーを 動かしながら 弾いてますよね。 これは明らかに、 実際の スタジオ録音時に、 ドブロ・ギターが 使われたことを 意味してるのです。
"Clean Up Your Own Backyard" のスタジオ録音で ドブロ・ギターを弾いたのは、 現在、 日本をツアー中の ザ・ベンチャーズの ジェリー・マギー (Gerry McGee) です。 (エルヴィスのセッション本には Jerry McGee と書かれてますが、 Gerry McGee が正しいです) ジェリー・マギーは ルイジアナの出身で、 同じルイジアナ出身の ジェームス・バートンが ジェリー・マギーを口説いて、 ロスに呼び寄せました。 エルヴィスが 出演を断った B・ストライサンドの 「スター誕生」 の中に出てくる クリス・クリストファーソンの コンサート・シーン。 ここでは当時 バンド・メンバーだった ジェリー・マギーが 実際に ギターを弾いています。 1974年の クリス・クリストファーソン & リタ・クーリッジの 来日公演にも ジェリー・マギーは 一緒に来日しました。
ジェリー・マギーがドブロを弾いてる映像を探したのですが、 ありませんでした。 その代わりに、 ジェームス・バートンの ドブロ演奏が 見つかりました。 下の豪華メンバーによる 貴重映像です。 2:30 辺りに ジェームス・バートンの ソロが入ります。
"Uncle Pen", Glen Campbell, Jerry Reed, etc. (feat. James Burton on Dobro)
ジェームス・バートンはジミー・ドブロ (Jimmy Dobro) の別名で シングル盤を出すほど、 ドブロを 得意としています。
ですから、 もしかしてだけど、 エルヴィスのレコーディングに於いて、 ジェームス・バートンが ドブロを弾いた曲があっても 不思議ではないのです。 エルヴィスの 60年代後半の レコーディングには、 ドブロに似た音を出す スティール・ギター奏者の ピート・ドレイク (Pete Drake) が 必ず 参加していましたから、 彼に代わる人が 必要だった筈なのです。
"Clean Up Your Own Backyard", Elvis Presley (feat. Gerry McGee on Dobro)
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Clean Up Your Own Backyard (意訳)
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(July 18, 2015)
![]() 前2列が空席だったハワイ公演
1972年11月のハワイ公演。 実際に行けるかどうか 分からなかったのですが、 私は とりあえず チケットだけは 手に入れておこうと、 アメリカの ハウンド・ドッグ・エルヴィス・ ファン・クラブの会長に ハワイのファンを 紹介してもらいました。 その人が ラブリ・ペネローザさん。 前の記事の 写真の中の 右端の女性 (フィリピン系アメリカ人)です。
72年9月の初旬に 現地ではエルヴィスのチケットが 発売される予定でしたが、 日本の旅行社が 買い占めるという 噂がたち、 急遽 発売延期になりました。 そして、 一人4枚以内の限定付の 窓口販売に 変わりました。 ですから、日本人は ほとんど良い席を 手に入れることが 出来なかったのです。
上の写真の左3枚の使用済みチケットが 実際に私が使ったものです。 右の未使用のチケットは 旅行会社から 渡されたものです。 AAブロック 14列9番(12番)とは、 アリーナAA席の 前から14列目 ってことですよね。 ところが、 実際は 16列目だったのです。
会場に入った私は、まず自分の座席を確認してから、 ステージを見に行きました。 そして 最前列を何気に見ると、 座席番号が 振ってなかったのです。 2列目も振ってなく、 3列目にやっと 1列目の座席番号が 振ってありました。 その時、 自分なりに考えたのが、 多くのファンが ステージに殺到して、 混乱するのを避けるため、 空席を設けた。 それとも、 2か月後に 衛星中継が 予定されていたので、 テレビ局や レコード会社の関係者が 座れるように、 座席を空けたおいた、でした。
しかし、後になって解ったのですが、 最前列の席からでは、 エルヴィスが 見えなかったのです。 上のラブリーさんが写した 写真を見てください。 あれは 数列目から エルヴィスを 撮ったものです。 エルヴィスの足元が 写ってないでしょ? 1972年11月の ハワイ公演のステージは すごく高く 作られていました。 床から 1m80cm位は あったと思います。 あれでは、 最前列に座ると、 エルヴィスの下半身は ほとんど 見えなかったと 思うのです。 そのことに気づいた 関係者が、急遽、 前2列を空席にして、 3列目から座るようにした のだと思いました。
私の座席の14列目というのは、 本来は AAの前方ブロックの 最後列だったのです。 ところが、 そこから2列後ろに 行くってことは、 単なる2列ではなくて、 アリーナを横切る 通路を越えて 2列目の席になる ってことですから、 本来の席からだと、 5mぐらい後ろに 追いやられた形に なるのです。 ああ残念!
エルヴィス公演が行われた会場、 HICの座席表は こんな感じでした。 AA, BB、CCのブロックが アリーナ席。 この部分と その回りの 階段状に作られた A〜Rブロックの席が10ドル。 2階の前2列のバルコニー席が 7ドル50、 その他の固定席が 5ドルでした。 赤色の楕円形の印の部分が、 私が実際に 座っていた席です。 ピンク色の丸印は、 旅行会社から渡された チケットの場所です。
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(July 16, 2015)
![]() カメラのレンズを通して見た エルヴィスのコンサート
1972年のハワイ公演が唯一、私が見た生のエルヴィスなのですが、 その時の印象が 何故か薄いのです。 と言うのも、 私の右目は 8mmカメラの レンズを通しながら、 左目は 普通に開けて エルヴィスを見ていたので、 全くコンサートに 集中できてなかったのです。
1本、3分20秒の8mmフィルムを、 3回の公演で 20本は使いましたから、 合計で約65分間、 エルヴィスの公演の 3分の1は、 カメラを回していた 計算になります。 実際には撮影してない時も、 カメラのレンズを覗きながら、 スタンバイしてましたので、 コンサートの半分以上は カメラを構えながら 見ていたことになります。
ハワイに行く時に8mmカメラを買いました。 これがフジカ・シングル8、 Z400です。 Z450の上位機種も あったのですが、 予算の都合で、 泣く泣く これになりました。 カラーの8mmフィルムも、 ASA50の屋外用と ASA60の室内用の 2種類が売られており、 私は ASA60の室内用を 選びました。 これが失敗だったのか、 感度が良すぎて、 スポットライトに エルヴィスの顔が ハレーションを起こし、 表情がよく 撮れなかったのです。 もし ASA50のフィルムだったらと 悔やまれます。
このハワイのフィルムや 他に私が海外から集めたフィルム・コレクションのほとんどは、 横浜のS良さんと共同で テレシネして、 ビデオ化しました。 そのS良さんという人は、 74年、75年、76年の ラスベガス公演を 撮影された 有名な方です。 そして、その テレシネしたビデオを、 S生という S良さんの知り合いが、 米国の海賊ビデオの 売人であった Larry Patrick に高い値段で 売りつけたのです。 その結果、 私のフィルムは 全世界に広まることになりました。
昨年でしたか、私のハワイのフィルムの内の2、3本が、 アメリカのオークション・サイトに 出品されていました。 これはもちろん私の原版ではなく、 コピーしたものです。 米国の有名なコレクターであった Jim Curtin が、 2、3年前に 彼のコレクションを全て 処分したのです。 その中に私が送った これらのフィルムも ありましたから、 それらが オークションに 回ったのでしょう。
そして、約10年前、ジョン・ウィルキンソンの来日に合わせて、 私が撮ったハワイの8mmフィルムを フジ・フィルムに発注して、 DVD化しました。 これには 7万円もかかって、 驚いたのですが、 このDVDにも 私が音を付けました。 今では こちらのDVDの方が、 "Blue Hawaii 1972" とかのタイトルが付いて、 広く世界で 売られています。
上記のように、私が作った映像をそのままアップする分には、 私は何も思わないのですが、 世の中には 酷い奴がいるもので、 私が作った作品を示す 画面の右上の EWJ の文字を消して、 8mm と書き替えたDVDを、 東京近郊で上映したり、 売ったりしてる人が いるようです。 私が唯で あげたものなのにね。
1972年のハワイ公演の初日のショーの 最後の最後で、 私は フィルム・チェンジに 失敗して、 エンディングの 「好きにならずにいられない」から ケープを広げて ステージを去る部分を 撮ることが 出来ませんでした。 ですから、 上記の
上の
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(July 14, 2015)
「エルヴィス、ザッツ・ザ・ウェイ・イット・イズ」(極音)上映
立川シネマ・ツー (JR立川駅より徒歩6分)
毎月19日は「立川エルヴィスの日」続映決定!!
■ 「ELVIS: That's The Way It Is」
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(July 13, 2015)
![]() 1970年 - 「オン・ステージ」が公開されるとは思わなかった頃
私がエルヴィスのレコードを集め出したのは、 1967年5月の エルヴィスの結婚からでした。 その当時、 エルヴィスのLPレコードは まだ20数枚しか 出ていませんでしたから、 全てのレコードを 買い揃えるのに、 そんなに お金も時間も かかりませんでした。
1969年にエルヴィスのファン・クラブに入る前は、 レコードを聴いて、 映画が見られるだけで 十分だったのですが、 ファン・クラブに入ると、 エルヴィスの知識が豊富な、 すごい人たちばかりで、 私はショックを受けました。 その頃はまだ エルヴィスに関する書籍や文献は ほとんど出てなくて、 エルヴィスの情報を得るには、 輸入雑誌を 立ち読みするか、 英国で発行されていた 「エルヴィス・マンスリー」 を買うしかなかったのです。 でも、 これでは情報が遅いので、 米国の2,3のファン・クラブに 入りました。
1970年になって、オランダのハンス・ラングブルック (Hans Langbroek) という人が、 エルヴィスの サン時代のことを 調査、研究した "The Hillbilly Cat" という 60頁の小冊子を 出しました。 これがファンの間で 面白いと評判になり、 私はオランダに手紙を出して、 著者から直接、 この冊子を 手に入れることが 出来ました。 この冊子 "The Hillbilly Cat" が原因で、 私は エルヴィスの泥沼に はまってしまい、 抜け出すことが 出来なくなったのです。 まさに、 "We're caught in a trap, I can't walk out" 状態になりました。
"The Hillbilly Cat" - この冊子には 色々と興味深いことが書かれていました。 パーカー大佐が オランダ出身であることを 世間に広く知らしめたのは、 80年代になって出た アルバート・ゴールドマンの 本ですが、 実際はこの "The Hillbilly Cat" がパーカー大佐が オランダ人であると指摘した 最初の文献なのですね。 著者のハンス・ラングブルックが オランダの人ですから、 パーカー大佐の家族に 直接 取材をしたと思います。 パーカー大佐は オランダのブレダ出身で、 1929年に英国に渡り、 そこから インド経由で 米国に渡ったこと。 1936年に パーカー大佐から オランダの家族宛てに 近況報告の手紙が届いたこと。 それ以降、 パーカー大佐と 音信不通になったこと などが書かれています。
また、この冊子には、 エルヴィスのサン時代の曲、 "I'm Left, You're Right, She's Gone" のスロー・バージョン のデモ・レコードの 存在についても 書かれていました。
しばらくして、 エルヴィスの最初の海賊盤が発売されたことを 知りました。 それが "Please Relese Me" というLP盤と "My Baby Is Gone" というシングル盤でした。 "My Baby Is Gone" は上に書いた "I'm Left, You're Right, She's Gone" のスロー・バージョンのことで、 海賊盤業者が "My Baby Is Gone" と 勝手につけたタイトルです。 この "I'm Left, You're Right, She's Gone" のスロー・バージョンが RCAから正式に 発表されたのは、 1984年発売の "A Golden Celebration" というボックス・セットでしたが、 それはこの海賊シングルを そのままコピーした ものでした。 (その後、1987年発売の "The Complete Sun Sessions" で初めて、 サン・レコードの 元テープからの音源が 発表されました)
これらの海賊盤が発売されたのは、 映画「エルヴィス・オン・ステージ (オリジナル版)」 の中に出てきた、 ルクセンブルグで 1970年9月に開かれた エルヴィス・ファン大会の 会場だったのです。 何とかこの海賊盤を 手に入れたいと 思った私は、 オランダの ハンス・ラングブルックが 何らか関わりを 持ってるだろうと 推測して、 彼に手紙を出しました。 案の定、 事は簡単に進みまして、 海賊盤を 手に入れることが 出来ました。
1970年当時は 現在のように簡単に 円を外貨に両替出来ませんでしたので、 どのようにして 外国のものを 手に入れたかと 言いますと、 それは物々交換なのですね。 当時も今も、 日本のレコードは 海外で人気がありました。 特に豪華見開き仕様のアルバムは 大変人気がありましたので、 皆さん 容易に交換に 応じてくれたのです。
その時のやりとりで手に入れたものは 海賊盤だけでなく、 大変に貴重な コンサートの録音テープも ありました。 最近知ったのですが、 この1970年8月19日と20日の 録音テープは、 リック・レニー (Rick Rennie) という人が 客席で録音したもので、 音が大変良いのです。 (カセット・テープが 普及する前の リールのテープです) 1990年代の CDの時代になって やっと 海賊盤で出ましたが、 このテープは長く 世に出てませんでした。 このテープを 大阪のファン・クラブの集会で 皆さんに お聞かせした 覚えがあります。 まだ 「エルヴィス・オン・ステージ」の 映画公開など 夢にも思わなかった 時でしたから、 1970年の11月頃だったと 思います。
丁度この頃、カナダのファン・クラブの会長の クロード・ラリベルテ (Claude Laliberte) から、 1970年8月24日のテープを 海賊盤で出すから、 買わないかと 言ってきたのです。 リック・レニーのテープが すごく良かったので、 海賊盤にしたいほどなら もっと音が良いだろうと 思い込んで、 回りの人たちも巻き込んで、 20枚ぐらい 注文したでしょうか。 "The Hillbilly Cat Live" という 2枚組の海賊盤になって 送られてきて、 初めて聞いた時、 音がこもっていて 悪かったのには ガッカリしました。 この海賊盤に入っていた "When The Snow Is On The Roses" という曲は、 2001年に発売された "Live In Las Vegas" という ボックス・セットで、 海賊盤の音のまま 初めて公式に発表されました。 "When The Snow Is On The Roses" は エド・エームス (Ed Ames) のヒット曲で、 この時彼が エルヴィスを 見に来ていたのです。 でも、その前からこの "When The Snow Is On The Roses" は エルヴィスの レコーディング候補に リスト・アップされていた 曲でした。
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(July 8, 2015)
"Gentle On My Mind" - ジェントル・オン・マイ・マインド
ボケ防止を兼ねて、時々、エルヴィスの歌の和訳に 挑戦してるのですが、 ひと目歌詞を見ただけで、 「これは無理だ」と 放棄するものも 数多くあります。 「ジェントル・オン・マイ・マインド」 なんて歌は 文字数が多くて、 これはとても私の 手に負えるものではないと 思っていました。 でも タイトル部分の "Gentle On My Mind" だけでも、 良い訳は無いものかと ぼんやりと 考えていたら、 ふと、 鶴岡雅義と東京ロマンチカの 「君は心の妻だから」 が浮かんできたのです。 もしかして、 "you're gentle on my mind" って、 「君は心の妻だから」と 意訳できなくもないと 気付いた途端に、 この歌の景色が 目の前に広がり、 一気に和訳が 出来上がったのでした。
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Gentle On My Mind (意訳)
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(July 3, 2015)
![]() USPS to release new Elvis Presley stamp
Postal Service Previews Elvis Presley Forever Stamp
WASHINGTON -- The U.S. Postal Service previewed the Music Icons: Elvis Presley Commemorative Forever stamp today and joined with Sony Music's RCA/Legacy Recordings in announcing the upcoming debut of an exclusive music CD titled ELVIS FOREVER that includes an Elvis song, as you've never heard it before. The CD will be available online and in select Post Offices beginning August 12 - on the same day as the Elvis Presley stamp dedication ceremony.
Priscilla Presley will join Postmaster General Megan Brennan in dedicating the stamp on the morning of Aug. 12 at Graceland in Memphis as part of this year's Elvis Week celebration. The public is encouraged to tweet about this news using #ElvisForever.
The Postal Service is proud to announce the offering of an exclusive CD of 18 Presley hits titled, ELVIS FOREVER, which includes a new performance of Elvis' inspiring song "If I Can Dream" as you've never heard it before. "If I Can Dream" has been selected from a forthcoming Fall 2015 Elvis Presley album release. Customers can get this track first by picking up a copy of ELVIS FOREVER at their local Post Office location or pre-order the stamps and the commemorative $9.99 CD now at this link for delivery shortly after August 12.
Launched in 2013, the Music Icons series consists of beloved musicians whose blend of sound and way of life broke musical boundaries. The first inductees were Lydia Mendoza, Johnny Cash and Ray Charles. Last year's inductees were Jimi Hendrix and Janis Joplin.
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