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![]() (Nov. - Dec. 2015) (Compiled by Haruo Hirose) |
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(Dec.23, 2015) (Dec.17, 2015)
(映像サンプル) グレースランド・オークション、注目の一品
Complete Elvis Presley Concert Film from the Memorial Auditorium Show in Buffalo, NY - Shot by "Elvis On Tour" Director Robert Abel
ー> Complete Elvis Presley Concert Film (Auction at Graceland - Jan.7)
やっと出てきました。「エルヴィス・オン・ツアー」の監督、 ロバート・エイベルが撮影した バッファロー公演の ビデオ・テープ。 エルヴィスのコンサート・ツアーを 映画化するにあたって、 カメラマンや スタッフたちと エルヴィスの動きを 研究・打ち合わせするために 撮影されたものです。
旧式のビデオ・テープで、普通には見られないので、 高画質の映像で ダビングした ハード・ディスクも 付くそうです。 ビデオは白黒で、 クローズアップから ロングショットまで 含まれてるそうです。 フル・コンサートが 撮影されてるのですが、 テープ交換のために "Hound Dog" の後半と "Bridge Over Troubled Water" の冒頭の部分が 切れてるそうです。 スタート価格は $12,000. となってます。
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(Dec.21, 2015)
<エルヴィス関連情報>
残念! 知らなかった 昨日、ネットを検索していて、見つけたのですが、 10月24日に 京都大学人文科学研究所主催で 「Echoes of Elvis - グローバル・アイコンの軌跡」 というシンポジウムが 催されたようです。 シンポジウムの模様を伝える新聞記事 (11/11付読売新聞)
講演者のおひとり、佐藤良明さんを検索していたら、 なかなかに充実した 対談記事を 見つけました。
<エルヴィス関連 テレビ番組のお知らせ>
2015.12.21, 20:00〜 BS日テレ
2015.12.23, 12:00〜 テレビ東京系列(ハイライト)
2016.01.10, 22:50〜 NHK-BSプレミアム
2016.01.17, 15:30〜 スカパー、ミュージック・エア
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(Dec.13, 2015)
Elvis Presley Medley - Team USA 2 (Miami University)
教えていただいた映像で、素晴らしいです。 2015 World Synchro Championship から Team USA 2の フリースタイルの演技。 "Heartbreal Hotel" (Viva Elvis) 〜 "A Little Less Conversation" (JXL) 〜 "Blue Suede Shoes" (Viva Elvis)。 "Heartbreal Hotel" の Viva Elvis Mix が市販のものと 異なるのが 気になります。 |
(Dec.13, 2015)
Christmas In Memphis - Singing Christmas Tree
今では "Singing Tree" イコール "Singing Christmas Tree" として、 クリスマスの イベントのひとつに なっております。 毎年 メンフィスでは クリスマス時期になると "Singing Tree" を題材とした ミュージカル劇が 上演されるようです。 上のYouTubeの映像は その一部。
「シンギング・ツリー」とは、 合唱隊が クリスマス・ツリーの中に入ったり、 クリスマス・ツリーを 取り囲んで 歌うイベントのことです。
「クイーンズスクエア横浜」のクリスマス・ツリーは 昨年まで シンギング・ツリーと 呼ばれてましたが、 今年は 「恋のキューピッドツリー」 に改名されました。
エルヴィスの歌う「シンギング・ツリー」は クリスマスとは関係ありません。 エルヴィスが何故この歌を 録音したくなったか 分かりませんが、 1967年9月、 この時期のエルヴィスの 精神状態は穏やかだった ことだけは想像できます。
Elvis Presley - Singing Tree (意訳) (英語の歌詞はこちら)
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(Dec. 4, 2015)
![]() ルース・バチェラーはアメリカの "湯川れい子" か?
ルース・バチェラー (Ruth Batchelor) は、 ルイ・プリマのバックで ギターを弾いていた ボブ・ロバーツ (Bob Roberts) とのコンビで エルヴィスに 5曲 ("King Of The Whole Wide World", "Thanks To The Rolling Sea", "Where Do You Come From", "Because Of Love", "Cotton Candy Land")、 楽曲を提供した ソングライターです。
昔々、彼女が担当していた新聞のゴシップ・コラムに使われていた 彼女の小さな顔写真が、 ボビー・ジェントリーに 似た美人だったので、 私はずっと 彼女に興味を 持っていたのですが、 当時は何の情報も 得ることが できませんでした。
最近になって、「さいはての慕情」 (Where The Four Winds Blow) という曲が ルース・バチェラー / ボブ・ロバーツ の作品だと知って、 再び彼女に 興味が湧いてきました。
「さいはての慕情」は 1962年に日本でもヒットしたので、 覚えてる方も いらっしゃるでしょう。 オリジナルはリックとランス (Rick And Lance) という フォーク・デュオで、 日本語カバー・バージョンが 克美しげる、 伊藤アイコ、 ザ・ピーナッツの 競作になり、 克美しげる盤が 一番ヒットしました。 克美しげる盤が 見つからなかったので、 ザ・ピーナッツで 聴いてください。
ザ・ピーナッツ - さいはての慕情 (Where The Four Winds Blow)
エルヴィス側にも この曲のデモ・レコードは 渡っていたと思われます。 良い曲なので、 もしエルヴィスが 録音していればと 悔やまれますね。
ルース・バチェラー (Ruth Batchelor) は、 1934年ニューヨーク生まれ。 1956年に 航空貨物業で財を成した ジョージ・バチェラー と結婚。 現在、 テレビ伝道師として 大活躍している ダグ・バチェラー (Doug Batchelor) が 翌年に生まれます。
彼女は最初、恐らく女優を目指していたのでしょう。 1958年公開の 「大海賊」 (The Buccaneer、 ユル・ブリナー、 チャールトン・ヘストン主演)や、 1960年公開の 「逢うときはいつも他人」 (Strangers When We Meet、 カーク・ダグラス、 キム・ノバック主演) に 端役で出演しています。 その後、 音楽業界に方向転換し、 1962年には "Mr. Principal" という自身の曲で レコード・デビューしました。
エルヴィス以外にも多くの歌手に楽曲を提供しています。 "Gonna Get Some Records" (Sandy Selsie), "True Love" (Jimmy Lloyd), "How Do You Fall Out Of Love" (Burl Ives), "The Best Man Cried" (Clyde McPhatter), "I Will Follow" (The Brandywine Singers from "Stagecoach" 1965), "Haven't We Met?" (Carmen McRae), "He's Moving On" (Dionne Warwick from "The Love Machine" 1971) 等々。
1964年にはアカデミー賞受賞映画、 「トム・ジョーンズの華麗な冒険」 (Tom Jones) のミュージカル化にも取り組んでいます。 ここで その全曲を 聴くことができます。 1967年には シャーマン・エドワーズと "Who's Afraid of Mother Goose" という TV用のミュージカルを 書いています。
1970年に、彼女は "Reviving A Dream: Songs For Women's Liberation" という ウーマン・リブを題材とした LPを発表します。 1974年には英国で "Barefoot And Pregnant" と "Walk Away" の2枚のシングル盤を 出してます。 数々のTVスペシャルの ライターの仕事や、 ロサンゼルス・フリー・プレスの 映画コラムを 担当する傍ら、 1975年には、 「ロサンゼルス映画批評家協会 (Los Angeles Film Critics Association)」 の設立に尽力し、 初代の会長になります。 1981年には、 ロナ・バレットの後釜として、 ABC-TV の "Good Morning America" の芸能レポーターとして、 また、 晩年は マイアミのローカルTV局の 芸能評論家として活躍。 1992年に彼女は 58歳の若さで ガンで亡くなりました。
ここに 珍しいルース・バチェラーの インタビュー記事がありました。
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(Nov.27, 2015)
![]() エルヴィス、純朴な青年のままの人
人生の贈り物 私の半生 湯川れい子(79) 第8回
■ 湯川さんにとってエルヴィス・プレスリーは 特別な存在だそうですね。
はい。最初に聴いたのは1956年。FENから飛び出してきた 「ハートブレイク・ホテル」でした。 非常にワイルドで セクシー。 当時はまだ 「セクシー」 なんて言葉は 一般的ではありませんけども。 禁断の木の実を 昧わってしまった、 いけない世界を 知ってしまった という気分でした。 会ったのは 15年後。 '71年8月の ラスベガスのショーです。 もう蜜がしたたるような いい男になっとりまして(笑)。 どこから見ても 千両役者の風格があった。 曲も 「サスピシャス・マインド」とか 「この胸のときめきを」とかの 美しいバラード、 スケールの大きな歌。 ああ、 今あたしは 世界一のものを見てるんだ、 って気分になりましたね。
ショーの後で会ったら何とも言えない清潔感が漂う人で。 ちょっと牧師さんのような、 禁欲的な感じがしましたね。 はにかみ屋さんで。 汚れてないというか、 世間ずれしてないというか。
■ 15年前の印象とはずいぶん違いますね。
ええ。芸能人っぽいスレた感じが全然ないの。 「この人は内側に ミンクの毛皮を貼った 冷蔵庫の中に入れられてた ような人なんだな」 って。 そういう感じですね。 会話でも 男性には言葉の後ろに 必ず「サー」をつけますし、 あたしなんかにも 「イエス、マーム(マダム)」って 答え方をする。 南部の純朴な 青年のままでしたね。
インタビューの最後にキスをしてもらって、 それを帰国後に いろんな雑誌に書いたら 批判もされました。 でも私は 大好きな人にキスされて喜ぶ ミーハーであり続けたいと 思っていますから。
■ 結婚もエルヴィスのご縁だとか?
翌'72年のハワイ公演には日本から200人のツアーを連れて行きました。その参加者の1人と結婚することになったんです。'73年にラスベガスの教会で式を挙げて、その翌日にエルヴィスの楽屋を訪ねて結婚証明書に証人としてサインをしてもらったんです。夫と3人で記念撮影をして、最後にはまたキスしてもらいました。
■ エルヴィスの親友ともお付き合いがありましたね。
チャーリー・ホッジですね。兵役についた時、 エルヴィスは お母さんを亡くしたばかりで、 ドイツヘの船の 二段ベッドの下段で 毎晩 すすり泣いていたんだそうです。 その時に 上段にいたのが チャーリー。 エルヴィスを寝かせてやりたいと思って、 クスッと笑うまで 冗談を言ったり 小さな声で歌ったり したそうです。
チャーリーもゴスペルの聖歌隊にいた人だったので。 それが縁で 彼はその後 エルヴィスのバンドの サイド・ギターになって、 ステージでは エルヴィスの首に スカーフをかける係になったの。 エルヴィスが亡くなった日も、 チャーリーは 同じ家に住んでました。 その後も彼とは お付き合いが続いて、 日本に3回くらい お呼びして エルヴィスのいろんなお話を してもらいました。
(聞き手・篠崎弘) 朝日新聞 2015.11.12.
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(Nov.24, 2015)
マリインスキー・バレエ
昨日、びわ湖ホ−ルで観た「白鳥の湖」の リハーサルの模様が アップされてました。 いつも思うのですが、 第一幕ラストの この曲って、 「GI・ブルース」の中の 「マーチで行こう」 (Didja' Ever) に似てると思いませんか? きっと、 インスパイアされてますよ。
昨日のマリインスキー・バレエは 素晴らしかったです。 幕が上がった途端の コール・ド・バレエ (群舞)から 見とれてしまいました。 丁度、 上のビデオで 白鳥を踊ってるのが、 今年の9月に プリンシパルに 昇格したばかりの オクサーナ・スコーリク という マリインスキー期待の 若手ダンサーで、 びわ湖ホ−ルで 踊った人です。 初めて聞く 名前だったので、 来日前に YouTube で検索して 見ると、 これが素晴らしくて、 実際の昨日の舞台も すごく良くて、 楽しみな人が 出てきました。
11/23 マリインスキー・バレエ「白鳥の湖」 びわ湖公演レポート
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(Nov.21, 2015)
Graceland Lighting Ceremony
日本時間、11月21日(土)午前9時過ぎより、 人気歌手、 トリシャ・イヤウッドを迎えて、 グレースランドの クリスマス・デコレーションの 点灯式が行われました。 |
(Nov.14, 2015) (Oct.24, 2015)
調子を上げてきた ユリア・リプニツカヤ (Julia Lipnitskaia)
フィギュア・スケート、GPシリーズ、第4戦は 昨夜、 フランス(ボルドー)で行われ、 リプニツカヤは ショート・プログラムで、 G・ゴールドに次いで 2位に入りました。 この模様は 明日(11/15)、 16:30から BS朝日(BS151)で 放送されます。 (テロの影響で 今夜の フリー・プログラムは 中止になったようです)
ユリア・リプニツカヤ (Julia Lipnitskaia - 2015 GP Skate America. Ladies - SP)
現在のロシア、女子フィギュア・スケート界のトップ・スター、 ユリア・リプニツカヤが、 今シーズンの ショート・プログラムに 選んだ曲が、 エルヴィスの 「好きにならずにいられない」 (Can't Help Falling In Love) と「悲しき悪魔」 (Devil In Disguise) のメドレーなのです。 早速、 昨夜行われた GPシリーズ第1戦、 アメリカ大会で 披露してくれました (結果は5位)。 この模様は、 今夜(10/24) 9時から BS朝日で放送されます。 ユリア・リプニツカヤの 次回の出場は、 11月13日から始まる GPシリーズ第4戦、フランス大会となってます。
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(Nov.11, 2015)
Anything That's Part Of You - Elvis Presley with the Royal Philharmonic Orchestra
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(Nov.10, 2015) (Oct. 5, 2015)
<エルヴィス関連 テレビ番組のお知らせ>
■ 2015年11月13日(金) 22:00〜23:55 BSフジ 「八代亜紀 ブルース、魂の叫び」
(内容)
八代亜紀、ブルースの女王になる! 本場・米国メンフィスでライブ修行
八代亜紀がブルースを歌うアルバム「哀歌 -aiuta-」が、 10月28日に リリースされることが 決定した。 本作のコンセプトは、 八代が これまで歌ってきた 日本の"歌謡ブルース" と、 本場アメリカの 心を歌い継いできた "BLUES"。 寺岡呼人を プロデューサーに迎え、 "St.Louis Blues", "The Thrill Is Gone" といった アメリカの スタンダードナンバーや、 淡谷のり子 「別れのブルース」、 矢吹健 「あなたのブルース」 などの カバーのみならず、 書き下ろしの オリジナル楽曲も 収録される。
八代はアルバムの制作に、 レコーディングの合間をぬって ブルースの聖地である アメリカ・ メンフィスを訪れた。 エルヴィス・プレスリーの邸宅 「グレイスランド」、 伝説のスタジオ 「サン・スタジオ」、 さまざまなブルースマンが 日夜 腕を磨いてきた メンフィスの 「ビールストリート」 といった ブルースゆかりの地を回り、 「BBキング・ブルース・クラブ」では 現地ミュージシャンと 共演。 アルバム収録曲の 「The House of the Rising Sun」と、 自身のオリジナル曲 「もう一度逢いたい」を コラボレーションした。 この旅の模様は BSフジにて 今秋 2時間特番として オンエアされる予定だ。
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(Nov. 7, 2015)
プレスリー、全英チャート1位に = アルバム部門で12度目
【ロンドンAFP=時事】 1977年に42歳の若さで死去した 米ロック界の「キング」、 エルビス・プレスリーの アルバムが発売され、 全英アルバムチャートで 6日、1位となった。
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(Nov. 5, 2015)
この写真を拡散させたのは・・・ 私です
このエルヴィスが階段を上ってる 珍しい写真は、 ネバダ州レィク・タホーの サハラ・タホー・ホテルで、 1971年8月1日 (ミッドナイト・ショー)に 撮影されたものです。
サハラ・タホーのショールームは、 メイン・ステージの両サイドに、 バルコニーのように 高くなった サブ・ステージが 付いていました。 エルヴィスは 「サスピシャス・マインド」 を歌いながら、 サブ・ステージに 上がろうとしたのです。 1973年に 米国の有名なファンであった バージニア・クーンズさんから、 私は この貴重な写真を コピー禁止の約束で 頂きました。
1974年に、東京のエルヴィス・ファンの間で エルヴィスの写真集を 作ろうという話が 持ち上がった時、 写真の提供を頼まれました。 その時に、 コピー禁止の約束なんて すっかり忘れ、 提供したのが この写真でした。 もちろん、 インターネット上で この写真を広めたのも 私ですが、 バージニア・クーンズ さんに対して、 約束を破った負い目が ずっとありました。
この時のショーはファンによって録音され、 そのテープは 昔からファンの間で 広く出回っておりました。 YouTube にも アップされています。 エルヴィスが かなりのハイ・テンションなのは、 ポール・アンカが 客席にいたからです。
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