スラヴォイ・ジジェク『暴力−6つの斜めからの省察』(2010年・青土社)
中途半端な読書を繰り返している。でもひとつはじめから最後まで読めた。スラヴォイ・ジジェクの『暴力−6つの斜めからの省察』。ラカンやカントなどを引用しながら次から次へと逆説的な例え話をくりだすジジェクは当たり前のことを言わない哲学者でそこがおもしろい。
この本では「寛容さ」というものの価値が疑われていた。リベラル・コミュニスト(≒みんなの自由を尊重するおもいやりのある人たち)と、暴力を爆発させる分別をうしなった原理主義者が表裏一体の関係にあると書かれていた。なぜならリベラル・コミュニストたちこそが宗教的原理主義者やテロリストが生まれ出る世の中を作っている「構造的暴力の主体」だからそうだ。そして身近なレベルでは、善良な人たちは礼儀正しくすることによってうっとおしい他者と真に関係することを避けている(「敬意は、仲良くできない相手への敬意としてのみ意味をもつ」p160)。礼儀正しさこそが相手を人ではなく、時には拷問したり殺したりできるモノにしているらしい。
94ページに僕に刺激的におもえた個所があった。ふつう、差別というのは強い偏見だとされているし僕もそうだと思っている。たとえば白人も黒人も、人間としての存在そのものは同じだ。だから白人が黒人を差別するのは白人が社会的に偏ったものの見かたをしているからだ、と考えている。でもジジェクはこの考え方は甘いとしている。「この黒人の劣等性と黒人の存在との穏便な区別は、人種主義のきわめて辛辣な側面を見逃している。すなわち、黒人の『存在』は社会的−象徴的である、ということを。黒人が白人によって劣等人種として扱われるとき、これによって黒人はまさに社会的−象徴的アイデンティティのレベルにおいて劣等人種となる」。行為遂行的な言葉は相手の「存在の核」にまで影響する、ということのようだ。「存在の核」などあるのか。なにが<ほんとう>なのかがわからなくなってきておもしろい個所だと思う。
こんなことも書いてあった。「リベラルな世界観全体を支える基本的な対立図式は、文化に支配されたひとたち、自分の生まれ落ちた生活世界に完全に規定されたひとたちと、文化をたんに『エンジョイ』している人たち、文化の上に立って文化を自由に選択するひとたちとのあいだの対立である」p174。「ヴェールをかぶるムスリム女性に対する、リベラリストの標準的な態度の制約も、ここでみえてくる。(リベラリストにとって)女性がヴェールを身に着けることがゆるされるのは、それが夫や家族から強いられた選択ではなく、女性自身の自由選択である場合である。しかし、女性が個人の自由選択を実践するために、そう、たとえば自分の精神を表現するためにヴェールをつけた瞬間、ヴェールをつける意味はまったく変わる。それはもはやムスリム・コミュニティへの所属のしるしではなく、自分の特異な個性の表現となるのだ。この差異は、それが昔からつづく自分の村の習慣であるために中国料理を食べる中国の農民と、自分の意志でチャイニーズ・レストランに行ってディナーをとる西洋の大都市の住民との差異と同じである。自由選択を基礎にした、われわれの世俗的な社会において、宗教に実質的に帰属しつづける人々がおとしめられる理由は、ここにある。そうした人々が信仰をもちつづけるのをゆるされるとしても、この信仰は、あくまで個人独自の選択あるいは意見として『許容される』のだ。彼らが、自分たちにとっての信仰の意味を表明したら、そう、たとえば信仰とは実質的な帰属の問題であると表明したら、その瞬間、彼らは『原理主義者』だと非難される。これはなにを意味するのか。西洋の『寛容な』多文化主義でいうところの『自由選択の主体』が現れるには、特定の生活世界から引きはがされるという、つまり、自分のルーツから切り離されるという、きわめて暴力的な過程をへなければならない、ということである。」p180
「つねに心に留めるべきことは、この暴力が社会的因習からの解放をもたらし、そのおかげでわれわれは自分の文化的背景を偶発的なものとして経験できる、ということだ。」「原理主義は、歴史的に規定された偶発的な特性を『自然化』あるいは『本質化』する。」p181
「近代的な職業概念には、わたしという個人はその社会的役割にふさわしく『生まれた』わけではない、という自己経験が含意されている。わたしがなにになるかは、偶発的な社会的状況とわたしの自由選択とのあいだの相互作用によって決まる。」p184
「有無をいわさず強制されたものをみずから望む、あるいは自由に選択するというこの逆説、自由選択がないのに、それがあるかのようにふるまうというこの逆説は、空虚な象徴的身振りという概念、拒絶されるのを見込んでなされる身振り―申し出―という概念と、もちつもたれずの関係にある」。「『あやまる必要はない』という言葉が可能になるのは、あくまで、わたしが謝罪を申し出たあとなのである。この結果、形式的にはなにも起こらなくても、そして謝罪は必要ないといわれたとしても、最終的には得るものがあり、おそらく友情は救われるのである」p199
最後のほうで、カントの「あらゆる倫理的行為は不純な動機(欲望)にもとづいている」という考えかたがひっくり返されていて面白かったけど、なんでそうなるのかいまいちわからなかった。
「ラカンの関心はむしろ、欲望そのもの(つまり、おのれの欲望にしたがって行為すること)がもはや『感性的動因による』関心や動機にもとづかず、ゆえにカント的な倫理的行為の基準に合致したものになり、その結果、『欲望にしたがうこと』が『義務を遂行すること』と重なり合うという、そうした逆説的な逆転にあるのだ。」「主体にとって真にトラウマ的なことはなにか。純粋な倫理的行為は(おそらく)不可能であるということ、自由は(おそらく)見かけであって、その根底にはわれわれの知らない自分の行為の真の動機があるということではない。真にトラウマ的なのは、自由そのもの、つまり、自由は可能<である>という事実である。われわれが必死になんらかの『感性的動因による』規定を探し求めるのは、この事実を避けるためなのだ。」p238
2012年5月20日(日)
見合い
先週の日曜日に結婚相談所の紹介でお見合いをした。ホテルのロビーで待ち合わせ、自己紹介して、そのあと短くドライブして、返事はそれぞれ担当の相談員に伝えようということにして別れた。別れぎわ相手の女性に「またよろしくお願いします」と声をかけると愛想よく「はい。またよろしくお願いします」と返ってきた。僕は見合いが終わってからわりとすぐに相談員の人に電話して「お付き合いしたいです」と伝えた。相手が今までになく良い人だったからだ。女性は近くの大学をでてから近くの聞こえのいい会社にずっと勤めてきた人だった。二日後、相談員のおじいさんから断りの電話が入った。「気が合わない」というのが理由みたいだった。
その夜両親に見合いが駄目だったことを伝えると母は「おまんも今までほうやって断ってきたんやでしょうがないな」と慰めるような咎めるようなことを言った。父は「気が合わない」という理由はきっと方便で、その言葉を真に受ける必要はないというようなことを言ったけど、すると「気が合わない」より言い難い本当の理由があるという話になってきて全く僕を慰める言葉になっていないと思った。
母が言ったように、僕は何度も見合いをして、何度も断ってきた。数えてみると、相談所の紹介で4回、そのほかの紹介で2回、合計6回見合いをしている。そのうち僕が付き合いたいと思った相手は今回を含めて2人だけだ。ほかの4人は断ったけど、その人たちも僕を断っていたかもしれない。ただはっきりわかるのは、見合いに限っていえば、僕は2回傷ついて、僕を良いと言ってくれる人を1回傷つけた。
2012年5月17日(木)
無駄な買い物
バイク用品を専門に扱う店は少ない。滋賀北部長浜の僕はきのう滋賀南部草津のバイク用品店「2りんかん」まで高速道路で車を飛ばした。通勤に使えるバイクシューズが欲しかった。店に行ってみると、欲しかった黒色は僕に合うサイズがなかった。黒と赤と白の三色柄のものならちょうどいいサイズがあった。僕は『これもなにかの縁かもしれない。黒しか駄目だとこだわり過ぎるのが僕の悪い癖だ。何事にしてもそうやってこだわるから自分の殻から出られないんだ』と考え三色柄のものを買った。家に帰って試し履きしてみると三色柄はどうにも変で、この派手な靴を履いて毎日工場に通うのはストレスになると感じた。それでさっきその目障りな靴を、買ったときの十分の一の値段でハードオフに売り、あらためてアマゾンで黒色を注文した。僕は馬鹿だ。
2012年5月14日(月)

東北一人旅
東北一人旅、いってきた。
1日目 滋賀県長浜から新潟県まで高速道路を走りつづけた。ひと気のない河原で車中泊したせいか、朝方外から懐中電灯で車内を照らされ嫌な気持ちになった。
2日目 新潟から青森まで海岸沿いの下みちを走り続けた。一日の終わりに青森弘前城の桜を満喫できてラッキーだった。前日の反省から道の駅駐車場で車中泊することにした。
3日目 下北半島の恐山を見学。無料の温泉にはいり硫黄臭い体になった。寺山修司記念館→八戸キャニオン→盛岡と南下し、岩手県奥州市の道の駅で寝た。
4日目 津波被害地域の陸前高田や気仙沼の様子を見た。そのあと松島で遊覧フェリーに乗るなどしたあと仙台市で青葉城址ほかを見学。山のなかのダムに隣接するさびしい道の駅で寝た。
5日目 トロッコに乗れるというので期待していた高玉金山が臨時休業でがっかり。猪苗代湖では赤べこの絵付けに失敗(個性を出そうとして)。会津若松の鶴ヶ城、とくにさざえ堂が見れてよかった。新潟まで突っ走って寝る。
6日目 早朝から高速道路で新潟から滋賀長浜まで帰った。何度も仮眠をとりながら、でも昼過ぎに家に帰りついた。
総走行距離 2480キロ
使ったお金 ¥57,700 (内ガソリン代¥20,600)
夜の道の駅駐車場はどこも他に車中泊の人たちがいてキャンプ場のような雰囲気だった。言葉は交わさなかったけど心強かった。おおまかに東北を一周できたので満足感はある。初日の夜に新潟の書店で買った文庫本、益田ミリ『47都道府県女ひとりで行ってみよう』の、楽しくなくても、人見知りで他人とふれあえなくてもとにかく旅してみるという姿勢に励まされた。でもこの本はアマゾンのレビューで旅好きの人たちから酷評されている。食事はコンビニやすき家で済ました。唯一ためした名物、松島での「ずんだ団子」は口に合わなかった。立体写真をたくさん撮った。今回使ったカメラにはセルフタイマーがついてないので何度か知らない人に撮ってもらった。GPSロガーで道のりを記録した。出発前にサンシェイドや銀マットで作った車内隠しのおかげで割と安眠できた。ためしにヒゲをずっと剃らなかった。弘前で占い師のまえを通ったら「いい眉毛してますね」と声をかけられたので笑ってしまった。帰り道その人に手相と観相を見てもらった。とくに衝撃的な予言は聞けなかった。「いい眉毛してるけど、左右の眉毛のあいだをもうすこし広げたほうがいい」と言われた。僕は眉毛がつながり気味だからだろう。占い師というよりカウンセラーだった。旅から帰ってくると自分の住んでいるところが束の間だけど外から目線で見えた。湖北はけっこういい所に見えた。毎日寝るまえにメールで両親に無事を知らせた。職場のOさんやMさんにも隔日くらいで報告した。イオン、しまむら、コメリはどこにでもあった。お金の使いどころとケチりどころの見極めが難しかった。
2012年5月6日(日)

GWの予定
あさってから大型連休だ。ありがたいことに僕が通う工場では9連休がもらえる。一年前、広島方面へ一人旅したときのように、今度は東北のほうを車中泊しながら巡ってみたいと考えている。なんとなく恐山、仙台、宇都宮には行ってみたい。それから津波で被害にあった町も見てみたい。
後ろ髪ひかれる思いもある。旅行などせず家にいたらお金を使わずにすむだろうなとか、職場のMさんが友達といくと言っていた霊仙山登山に同行できただろうなとか、FMラジオの祝日の特別番組をもらさず録音できただろうなとか、あとはバイクでキャンプツーリングも行けただろうなとか。でも、この先いつもらえるかわからない9連休を一番活かせるのは東北旅行だと思うのでそれを断行したい。
バイク通勤を続けている。仕事の始めと終わりに約20分の楽しみができた感じだ。バイクは危ないけど軽くていい。自動車の場合、人が一人通勤するのに1トンくらいの金属塊も一緒に運んでいることになる。それはすごく異常なことにも思える。自転車がいちばんいいと思う。そしてみんな家から近いところで働いたり買い物すればいいと思う。
それから僕はまだウイリーをあきらめていない。人目につかない広い駐車場と、一緒に練習してくれる人がいたらけっこうはやく上達すると思うけど両方ない。
他人に迷惑をかけたらあやまるのがふつうとされている。でも「あやまって済むとおもうなよ」という文句もあるように、あやまったからといって何がどうなるわけでもない。深刻なトラブルの場合はへたにあやまりにいくと「詫びなどいらない。帰れ」と言われたりもするようだ。だったらあやまらなくてもいいのかというとそういうわけでもないようだし、僕はそこら辺りの機微がわからない。
2012年4月26日(木)
やりたいことができない理由
職場のひとにビーチバレーをしてみないかと誘われた。僕はしばらく考えていってみますと答えた。そのよる市民体育館にいくと誘ってくれた職場のOさんがジャージ姿でやってきた。そのあと続々とママさんたちが子どもを連れてやってきた。ママさんたちはたぶん僕とよく似た年なのだろうと思った。4人のチームが3つできた。男は僕とOさんを含めて4人だけだった。そばで子どもたちが鬼ごっこみたいなことをして騒いでいた。バレーは楽しかった。点をとられるとママさんたちは口々に「ごめんなー」と言った。点をとってもとられてもみんなで手をタッチしあった。「スポーツをするときれいな心になる」。むかしテレビで誰かが言っていた。ビーチバレーがおわったあとママさんの一人から「よお動かあるね。なんかやってやあったん?よかったらまた来て」と声をかけてもらった。
あとでOさんから「おつかれさま」というメールがきた。僕は「ありがとうございました。楽しかったです。でも入会するかどうかは決めかねてます」と返事をした。次の週にOさんと会ったとき「どうや?ビーチバレー」と訊かれた。僕は「ビーチバレーじたいは楽しかったですけど、あそこに混じってくのがちょっと・・・」と答えた。僕はスポーツは好きだ。ビーチバレーでもバドミントンでもフットサルでもやってみたい。でもそんなことをやっている集まりでは必ず人付き合いをしていかなくてはならず、僕はそこの部分でストレスを感じてしまいそうなのでやりたいことができずにいる。
僕はスポーツならわりとなんでもできる体を授かった。ありがたいと思うけどその体を十全に活かせているとは思えないので御先祖様に申しわけない。
とうとう思い切ってバイクで通勤した。オフロードバイクで通勤は恥ずかしいのでためらっていたけどやってみてよかった。仕事中に『帰りにバイクに乗れる、帰りにバイクに乗れる』と考えると元気がでた。
2012年4月19日(水)

ライブと探検
土曜日は山本精一という人のライブを見に彦根に行ってきた。早く着いたので彦根城の桜を見た。ライブは彦根城前のスミス記念堂という小さくて古い和風教会のようなところであった。山本精一さんはバンド活動(ボアダムス、想い出波止場など)のほうではそうとう激しい音楽をやっている人だけど、ソロだともの静かなフォークシンガーという感じだった。でも歌詞がヘンでそこが面白かった。「がんばろう」でも「かなしい」でも「キミがすきだ」でもなくて、宙に投げだされてただそこにあるだけの歌詞だった。僕はとちゅうで居眠りしてしまった。僕は今までライブというもので楽しいと思ったことがない。このライブがあることを教えてくれた近所のM君は仕事で来れなかったので僕一人だった。お客さんは全部で30人くらいだった。
バイクで行っていたのでライブの帰りに寄り道した。ひとつめは佐和山のふもとのお寺が集まっている辺り。ふたつめはその近くの佐和山遊園(佐和山トンネルを彦根側に抜けてすぐ左)。佐和山遊園はお金持ちのおじさんが山の斜面に趣味でつくった庭で、小ぶりな五重の塔や東大寺南大門かなにかの偽物や、とにかくそういうまがい物でいっぱいの場所だ。入り組んだ小道が楽しかった。近年ではアウトサイダーアートとしても捉えられているようだ。ずっと前から行きたいと思っていたけどようやく行けた。また友達に教えてあげたい。三つめは、国道8号を彦根から長浜方面へ帰っていたら左手に京都の清水寺みたいなところを見つけたので寄ってみた。近江町のドラッグユタカを少し南に行った所だ。どうやら岩脇という村の善光寺というお寺みたいだった。清水寺みたいに崖っぷちに建物が建っていて桜もきれいだった。バイクをおりて登っていくと建物には入れなかったけど見晴らしのよい小山のてっぺんに出た。尾根づたいに歩くと国道8号と国道21号との交差点が下に見えて、ああこの山だったのかと気がついた。山を下りると立ち入り禁止の洞窟が二つあった。なんだこれはと思っていると由来の書いた立て札があった。太平洋戦争のとき蒸気機関車を隠し空爆から守るために掘られたらしい。こんなのがあるとは今までまったく知らなかった。
2012年4月17日(火)
旅レコ
GPSロガーというものを買った。フィルムケースくらいの大きさで、カバンにでもつけて登山やツーリングをすると、辿った道筋が記録され、あとで家でパソコンにつなげるとその道筋がグーグルマップに表示されるという代物だ。僕が買った旅レコというGPSロガーとその再生ソフトは出かけた先で撮った写真も地図上に関連付けて見せてくれる。土曜日に岐阜の揖斐川町、日曜に滋賀の多賀町と、旅レコをぶらさげてバイクで山の中を探索してきた。そして家に帰ってパソコンで見てみるとちゃんと道筋が表示されたので感動した。揖斐川町では林道東津汲線というのを見つけたし、多賀町では北原(きとら)竜宮や住友セメント鉱山跡の位置がはっきりと確認できた。これからもっといろんなところに行ってみたいと思うようになった。
お金の使い過ぎだけどバイク用のジャケットも買った。僕はずっとバイクに乗るときの上着が定まらなくて弱っていた。そして今回はじめてバイク用に作られた上着を買った。あまりバイクバイクしてないデザインだけど生地が丈夫そうだし、肘とか背中にパッドが入っていて今のところ気に入っている。通販で買ったけどサイズも合っていた。
まえのまえの金曜の夜に姉や甥姪たちと焼肉を食べて、そのあと家に帰ってから甥姪たちと絵しりとりをした。それがけっこう盛り上がって楽しかった。
文芸雑誌『群像』を図書館で借りた。連載中の高橋源一郎『日本文学盛衰記 戦後文学編』、阿部和重『クエーサーと13番目の柱』を読んだ。日本文学盛衰記のほうは戦後文学とルソーの一般意志論について論じられていて、「いいわけと怒り」の話にも通じるところがあり興味深かった。『クエーサーと13番目の柱』は、はじめスパイアクション小説かと思ったらパパラッチの話で可笑しかった。今のところ意味のわからない小説だ。両方とも続きを読んでみたいと思った。
今はいちおう『ハマータウンの野郎ども』という本を寝るまえに少しずつ読んでいる。イギリスの不良たちへのインタビューや、彼らがどんなふうな意識できつい肉体労働の仕事にすすんで就いていくのかということが書かれている。けっきょく僕の人間関係面での問題は、どうやってやんちゃな人たちと付き合っていくかということに尽きるのかもしれないと思った。
先日にぎやかだったブラジル人のE君が辞めた。給料が少ないのが不満だったみたいで「アイツらカネパクリすぎや」と派遣会社の悪口を言っていた。代わりにきのうから三ヶ月間という契約で日本人の男の子が入ってきた。噂では芸術大学にいっていたらしい。すこし心がかき乱されている。
2012年4月11日(水)
いいわけと怒り
ある人にお金を貸した。けっこう大金だ。でもその人は約束の日が過ぎても返してくれない。その日以降、いつまでに返すということも言わない。車が当て逃げされたとか、友達からお金を返してもらったら返すとか、本当かどうかもわからない理由をつけてくる。僕は態度や言葉には表わさなかったけどすごく腹が立った。返せない理由をいくら言われてもそれは僕には関係ない。「絶対返すから」とかいう言葉も信用できない。とにかく、ここに、貸したお金を返してくれ、という気持ちになった。
いいわけするのはそんなに悪いことなんだろうかと僕はずっと疑問に思っていた。うまくいかなかった理由を迷惑をかけた相手に説明するのはむしろ必要なのではないかと思っていた。実際いいわけが必要なときはあると思う。玉突き事故の結果うしろから追突されたのなら、すぐうしろの運転手に全ての怒りをぶつけるわけにもいかない。でも『すべてに理由がある』という考えを受け入れてしまうと誰にも怒れなくなる。もし相手を怒りたいのなら、相手の背後にある様々な因果関係を無視するか、全ての因果関係の責任を相手に負わせなければならない。
2012年4月2日(月)
本谷有希子『ぬるい毒』(新潮社・2011)
本谷有希子『ぬるい毒』という小説を読んだ。以前新聞の記事で本谷さんは「突き詰めると、誰とでも構わないんじゃなくて『つながりたい人とつながりたい』というのが人の本音なのでは。そこには人間の嫌な部分がすごく含まれているんです」と発言していて印象的だった。
どこかの田舎で実家暮らしをしながら長距離トラックの配送事務をしている熊田という女性が主人公で、彼女のもとに向伊という見知らぬ男子大学生(東京の大学に通っているけど正月だから帰省している)から「高校時代に借りた5000円を返したい」と電話がかかってくるところから話がはじまり、そのあと熊田と向伊が付き合うようになっていくけど、向伊は魅力的ながらキレイゴトを嘲笑う性質の信用ならない男で、ことあるごとに熊田は向伊に屈辱を覚えさせられ怒りを爆発させかける。それでもかっこいい男に認められたいというどうしようもない思いから熊田は向伊の言いなりになってゆき、両親をだましてまで向伊を追って上京するけどそこで向伊やその友人たちにひどく笑いものにされてしまう、というような話だった。
「浅いと思われたくない(バカにされたくない)」「かっこいい男と付き合いたい」「若さを失うまえに何かをつかみたい」。田舎の美女のそういう気持ちに焦点をあてた小説だった。あとは向伊とその友人たちの、他人を嘲るのが大好きないやーな感じもよく伝わってきた。また主人公は自分に好意を寄せている原というナルシスト気味の男―自分のことを深いと思い込んでいる男―については『こんな男に好きになられる程度の自分は嫌だ』として拒絶している。小説は熊田が画家アンリ・ルソーの「バカにされて生きる」生きかたに興味をもつところで終わった。以下そこのところからの引用。
「ルソーはその独特すぎるスタイルから、どこに画を出しても嘲笑はとどまるところを知らなかった。1885年に公的な展覧会に出品したとき、世間の人々は涙を流さんばかりに笑い転げたものだった。画家仲間もたびたび、まことしやかに彼を担いだが、自分の運命を恨んでいたルソーは、この世に対する望みをすべて絵画で埋め合わせしようとした。たとえ人からあざ笑われようとも、自分を無名の存在から救い出してくれるなら、どんな状況でも利用して、自らピエロになろうとさえした・・・・云々。」
「段々と、笑われているくせに生きている自分に、人間は不思議な愛おしさを感じるようになる。自分の存在に張りが出る。ルソーとまではいかなくても、それを利用していいんじゃないかという気にさえなってくる。いまも一人だし、この先も誰かと繋がれる気はしないけど、私はそう思う。」
2012年3月25日(日)
ボーリング De 婚活
‘ボーリング De 婚活’が終わった。ボーリングは余興で、そのあとの昼食会が本番みたいな感じだった。テレビなどに出てくる女性はみんなきれいだけど、その会には‘リアルな女性たち’が集まっていると感じた。僕は悔いが残らないようにと、松田聖子に似たいちばんきれいな人のところにいって話をした。でも感じが合わず話もはずまなかった。それでも最後に気にいった人の名前を書くときにはその人の名前を書いた。そのあとの発表式でその松田聖子似の人は別の男の人と結ばれていた。
僕は終盤疲れきってしまいずっと黙り込んでいた。誰かと連絡先を交換する気力もなくし早く家に帰りたくなっていた。総勢30人で5組のカップルがいちおう出来あがっていた。その人たちを見ているとみんな相手を外見などで判断していないようだった。それは僕にはすごく難しいことだと思った。僕は身のほども知らず美人というものにこだわりすぎている。「美人」とか「外見」てなんなんだと思った。
どんな人でも自分にとって自分は特別な存在だとおもう。僕は自分のことをすごく特別だと感じている。でもその気持ちだけがいくら強くても社会的に特別な存在とは全く見てもらえない。
最後に。もしこのホームページをご覧の方で田辺と気が合うかもという女性がいらっしゃればお気軽にメールをください。agisai@mx.bw.dream.jp
2012年3月18日(日)

歯医者バイク創価学会クロード・ヤングお見合い武士道
土日はいろんなことがあった。
土曜日の午前中は歯医者にいき、口の中を掃除してもらった。次は一ヶ月後でいいとのことだった。
午後はバイクで近くを探索し発見があった。ひとつは、長浜のゴルフのショートコースの辺りに林道を見つけたこと。でも途中で木が倒れていて先へ進めなかった。とっさに『ノコギリが欲しい』と思った。もうひとつの発見は日撫山ハイキングコースを見つけたこと。中腹までバイクで登れてしまった。もっと上までバイクでいけそうだったけど危ないのと登山道を荒らしてしまいそうだったのとでやめておいた。バイクを降り歩いて日撫山を登った。展望台に男の子がひとりいた。カメラのシャッターを押してもらえませんか?と頼んできっかけをつくり話をした。男の子は新潟から新幹線を撮るためにここまでやってきたということだった。この日撫山の展望台は新幹線の撮影ポイントとしてネットで紹介されているらしい。驚いた。でもたしかにすごく見晴らしが良かった。帰りにコメリに寄って折り畳みのできる小型ノコギリを買った。800円ほど。でもこれになんだか‘モノ’として魅了されてしまい、その夜は枕元において寝た。これを持ってもういちどショートコースの林道に行こうと思う。
その夜は僕がずっと勧誘を受け続けている創価学会のKさんがはるばる草津からやってきた。米原の集会に一緒にいってきた。集会といっても広い畳の部屋でみんなでビデオを見るだけ。久本雅美さんのスピーチが面白かった。久本さんは入会してもう20年ほど経つそうだ。かわいい服を着ていた。帰りの車のなかでKさんに感想を訊かれた。久本さんのスピーチは面白かったけど、みんな元気すぎて異和感を感じる。しらふでないみたいだと僕は答えた。
Kさんが帰ると僕はジュラシックというオシャレバーに向かった。その夜その店にデトロイトテクノのクロード・ヤングがやってくるという話をM君から聞いたからだった。僕は正直なところクロード・ヤングと言われてもピンと来なかったけどけっこうすごい人らしいことはM君の説明と話しぶりでわかった。店の隠し階段みたいなところを上がるとそこはいわゆるクラブみたいになっていてM君もいた。M君はサムさんという外国人と一緒に来ていて驚いた。サムさんは英会話の先生だけどクラブミュージックに興味がありDJもしているとM君は教えてくれた。ずいぶんぶりのクラブ体験だった。僕はどうしていいかわからずほとんどの時間壁際に置かれた椅子に座っていた。ときどき立って踊ろうとしたけどだんだん自意識過剰になり、恥ずかしくなってきてまたすぐに座ってしまった。クロード・ヤングのかける音楽はかっこよかったと思う。でも楽しめなかった。昼間バイクで山道を走っていたときのほうが楽しかったと思った。他のお客さんも少なくて、踊る人もどんどん減っていって、クロード・ヤングがもったいなかった。
そして次の日曜がお見合いだった。結婚相談ボランティアTさんの仲介で。話しているうちに、来週おこなわれる婚活ボーリングに相手の人も参加するということがわかった。もう一度そこで顔を合わすわけだ。気まずいというかなんというか。
家に帰って録画しておいた囲碁を見て、そのあと『武士道』についての教養番組を見た。国連で働いていた明石康さんが出演していて「武士道では『命は鴻毛よりも軽し』というけれどいま学校ではふつう『命は地球よりも重い』と習う。そのあいだでバランスをとっていくしかないと思います」というようなことをおっしゃっていて考えさせられた。「主君のためなら自分の命など羽毛より軽い(捨てても惜しくない)」というのもひとつの突き詰められた美学だと思うし、「命は地球より重い」というのも間違っているとは思えない。
2012年3月12日(月)
フェイスブック
ほったらかしになっているとはいえ僕はいちおうフェイスブックのページを作ってある。そうしたらこのまえ高校の同級生の男の人から「ひさしぶりよろしく」というメールが来た。それでその人のページを開いたらその人には「友達」が100人以上もいて、そのなかに肩書が「△△△△ CEO」となっている元クラスメイトがいて驚いた。さらに<この人知り合いかも?>という欄に僕がよく一緒に登校していた山岳部の先輩(ちょっと変わっていた)の写真がでていて見てみると東京大学卒と書かれていてまたびっくりした。調べていけばもっといろんな事実がわかるだろうけどそれ以上は見なかった。
先日高校の同級生のN君が来たときにそのフェイスブックの話をして「あれを見てると自分の人生のペースが乱されるわ」と言ったらN君は「お前はオレぐらいをみとけ」と言った。すでに結婚して子供もいるN君はゴミ収集会社に勤めていて小遣い稼ぎのために宅配ピザのバイトもしている。最近N君は家庭の話をあまりしない。
2012年3月6日(火)
素直
金曜日に職場の飲み会があったので参加した。係長と話をしたけど、係長は僕をあまり高く評価していないらしいことがわかった。「これからに期待してるわ」と笑って言われた。正社員になるのは難しいかもしれない。二次会でカラオケに行った。僕は車で何度も聴くなどして自分のなかであたためてきた曲を歌ったけどみんなの反応はいまひとつだった。カラオケの選曲では我を捨てなければいけないとあらためて思った。カラオケも修行だ。Oさんという年上の人が僕を気に入ってくれたみたいで連絡先を交換した。スケベな話の好きな人だ。
土曜の夜遅くに高校の同級生のN君が電車で来てくれる予定だった。そのまえに小中の同級生Y君Z君と飲むなりゆきになってしまった。それではじめの飲み会を早めに終え、Z君を乗せて長浜駅までN君を迎えにゆき、その足でZ君を家まで送り、そのあと僕とN君だけで再び昭和食堂に行く、という行程になった。短い時間だったけど初対面でタイプの違う高校同級生N君と小中同級生Z君が相乗りするかたちになり僕はどうなるんだろうと思った。駅でN君を待つあいだにZ君が後ろの座席に移ってくれたので僕はありがとうと思い礼を言った。車内ではN君がよく喋ってくれた。N君はさいきんガンダムロワイヤルというモバゲーにはまっていると言った。
BSで放送された映画『いつか晴れた日に』を見て面白かった。ジェーン・オースティンの『分別と多感』という小説を原作にした恋愛ドラマだった。
このところ本を読みあぐねている。何を読んだらいいのか、何を自分のテーマとしたらいいのかわからなくなっている。
N君とは素直さについて話したのがいちばん面白かったと思う。たとえば飲み会などで髪の毛が際立って薄い人が現われたとき、『薄いですね』と言ったほうがいいのかどうかという話で、僕は言ったほうがいいと思うと言った。はじめに感じたことを感じたタイミングで言っておかないと後々気まずい思いをすると思うからだ。でもN君はそんな見たらわかることをわざわざ言ってもしょうがないと言って笑った。素直な気持ちということでいえば、小学校のときの席替えで「○○ちゃんと隣りになりたい」とか「△△君と隣りになりたかった」などと言ってはいけないと先生が注意していたのを最近よく思いだす。先生はその理由として、誰かを好きと言うことはそれ以外の人を傷つけることになるからだと説明していた。僕はその先生の言葉をきいてなるほどと思った。でも最近は本当にそうだろうかと思うようになってきた。他の人を多少傷つけても好きな人には好きだ一緒になりたいと言ってもいい気がしている。「みんなと仲良くできると思うなよ」と高校のときの先生は言っていた。
2012年3月4日(日)

歯石をとった
母親に、竜王のアウトレットパークで栗原はるみの雑貨店を見つけたと言ったら連れてってほしいと言われたので二週連続になるけどまた行ってきた。母は70歳に近いけど栗原はるみさんが好きなようだ。僕は別の店で背の高い湯呑みのようなものを買った。
今のままでは7月に使えなくなるということだったので携帯電話を新しいものに交換した。まずケータイかスマートフォンかを決めなければいけないし、料金プランの組み合わせも選ばなければならなかった。スマートフォンにすると通信料が毎月6000円くらいいるみたいだったので普通のケータイにした。でもいちおう月々1000円のパケット通信定額制を加えてみた。
とつぜん思い起って歯医者に行った。だいぶまえから歯ブラシを当てると奥歯が痛かゆかったからだ。近所の歯医者をインターネットで探すと立派なホームページのところがあったのでそこに決めた。行ってみると集落と田んぼのきわに建つその歯科医院はインターネットで見るほど目立たなかった。予約せずに行ったので気がとがめた。治療椅子に座ると目の前に液晶テレビがあってテレビを強制視聴させられているようだった。僕の口のなかには歯石がいっぱい溜まっていて年の割に歯ぐきが腫れすぎていると先生に言われた。先生は機械をギャンギャンいわせて歯石をひととおり取り除いてくださった。けっこう痛かったけど先生を信じるしかないと思って我慢した。口をすすぐと吐き出した水が赤かった。最後に歯ぐきにとても気持ちの悪いパテのような薬を塗られた。先生の話では、虫歯はそんなになくて、奥歯の痛みは歯ぐきの炎症からきているのだろうということだった。来週も行くことになった。
来月の婚活ボーリングに申し込んだら参加できることになったので今はけっこうそのことで頭がいっぱいになっていて、哲学っぽいことや宇宙全体のことが考えられないでいる。僕はスケベといっていいくらい女性に興味がある。
2012年2月26日(日)

日本の音楽
ここのところ一時間以上の残業が毎日続いて疲れている。でも家に帰って一日を振り返ると空っぽだったと感じる。
帰りがけに同じ派遣会社の、塗装グループで働くシチリ君が「アー!」と言って声をかけてくれた。そんなに親しかったかなと思ったけど嬉しかった。シチリ君は小柄なおばさんみたいな男の子だ。毎日私服の下に作業着を着てくるのでロッカーで着替えるのがすごく早い。僕も彼には興味があるので機会があったら連絡先を交換したい。
先週の金曜夜は前に勤めていたH工業の人たちと夕飯を食べた。あの人もいた。あの人もいた。こんなこともあった。という思い出話をした。
土曜夜には消防団の新年会があった。これも忘れられない夜になった。
日曜日は久しぶりに近所のM君と会い竜王のアウトレットパークまでドライブした。僕はその日の昼、元パンクロッカー町田康さんが出演するラジオ番組を録音予約していたのにあとで見てみるとまったく録音できていなかった。たぶん録音開始直前までM君が僕の部屋のコンポをいじっていたせいだと思いすぐM君に電話して「録音できてなかった」となじりたいほどだったけどこらえた。おもしろい曲がかかっていたのに。忘れよう。
最近は新旧日本の歌謡曲やポップスに興味がある。ラジオから録音して聴き気に入ったものを挙げると、河合その子「青いスタスィオン」、斉藤由貴「AXIA-かなしいことり-」、コンプレックス「1990」、レッド・ウォーリアーズ「ルシアン・ヒルの上で」、和田アキ子「悩み無用!」、でんぱ組.inc!「Kiss+kissでおわらない」、tengal6「ルービックキューブ」、由紀さおり「Is
That All There is?」、森進一「年上の女」、モップス「朝まで待てない」、サンボマスター「新しく光れ」、五輪真弓「少女」、吉田拓郎「春だったね」、松任谷由美「DESTINY」。
NHK−FMで毎日昼間にやってる『歌謡スクランブル』の録音をはじめたので今年はこれからどんどん掘り出し物に出会えそうな気がする。チェックが大変だ。
タカラトミーの「3Dショットカム」を買った。買って説明書を読んでみると左右のレンズでシャッターが切れるのに時間差があることがわかりがっかりした。でも使ってみるとその時間差は感覚的にいって0.3秒以下くらいだったので、たとえば走っている車を近くで横から撮るとか、せわしなく動いている子どもや動物を近くから撮るのでなければまずまずいけることがわかった。ペンタプリズムも液晶画面もないので思ってもない構図で撮れていたりして刺激がある。フラッシュはないけど自動で明るさを調整するみたいで、夜の室内でも照明の明かりで撮れた。もちろん期待どおり、Lサイズで印刷すればそのまま平行法で立体視できた。ちょっとした宝物になりそうだ。
2012年2月23日(木)
動揺をつかまえたい
休み時間に隣りに座る二人の人たちが一緒にスキーに行くことになった。次の日の休み時間に「田辺くんも行く?」と訊かれて僕も行くことになった。
他の二人はスキーだったけど僕はスノーボードだった。急な坂では僕は板を横向きにしたままズルズル降りることしかできなかった。二人はすごく上手だったので一緒に滑るといっても追い越されるときに一瞬すれちがうだけということが多かった。すごく混んでいてリフトの待ち時間が長かった。4人がけリフトでは知らない人と一緒になった。その人たちは職場での人付き合いについて話していた。誰々とはキャラが違うしはじめムカつく奴と思ってたけど最近はからかったりできる仲になったと男の人が言うと先輩らしき女性が大人になったやんと言っていた。奥伊吹スキー場の雪景色はとてもきれいだった。びっくりするくらいの急斜面が超上級コースとして作られていてびっくりした。行き帰りはMさんのハイラックスサーフに乗せてもらった。車の中で要らないことを喋りすぎたみたいで「田辺くんて地味そうやけどけっこう我が強いな」と言われた。Mさんは年も近いし山登りもするしバイクにも乗るということなので仲良くしたいと思った。
フェイスブックをたまに見ると、そこでは僕の友達が僕の知らない人たちと楽しそうに書き込みのやりとりをしている。僕はそういうのを見ると落ち着かなくなり立ち去りたくなる。
日記には自分が動揺したことを書けばいいんだと気がついた。大小はあるけど一日に何度か僕はうろたえる。そこをぱっとつかまえればいいんだと気がついた。僕は動揺すると恥ずかしくてそれを忘れようとすることがあるけど、それはもったいないことだった。
また欲しいものが増えた。昨年タカラトミーから発売されていたデジタル3Dトイカメラ。5000円ほどと安い。でも僕の持っているフジの高級3Dデジカメよりいいかもしれない。そのトイカメラは普通のLサイズでプリントして立体視が楽しめるように作られているからだ。僕は『そこそこ!』と思った。そこが大事だと思う。
夕食のとき母に「また欲しい物が増えた」と話すと意外にも「いいことや」と言われた。僕は遊びにお金を使うのは能のないことだという考えを持っているけど、そうでもないのかと思った。
2012年2月12日(日)
豊田と岡崎
近くに住む友人が愛知県豊田市で一人暮らしをはじめたので様子を見てきた。友人は夜中まで続く隣りの部屋の物音に悩んでいた。僕も寝袋をもっていって一泊させてもらったけどやっぱり物音が気になった。どうやらとなりには子供がいるみたいだった。
次の日は二人で観光をした。といっても僕に思い当たるのは美術館しかなかった。豊田市美術館はまえに行ったことがあるので「おかざき世界子ども美術博物館」と「岡崎市美術博物館」、それから岡崎公園にも行ってみた。子ども美術館は子どもの絵がたくさん見れるかと思って行ったけどほとんどそれらしい絵がなかった。作って遊ぶ体験型の施設のようだった。でも外にあったヘンテコな遊具は少し面白かった。建物も遊具も古びていた。岡崎市美術博物館は建物がかっこよかった。村山槐多(むらやまかいた)の展覧会をやっていた。岡崎公園では凧揚げをして楽しかった。猫がいた。
行きは関ヶ原ICから名神→東名高速道路を利用して1100円だった。帰りは伊勢湾岸自動車道から新名神を使った。帰りはかなり遠回りだったけど1500円で済んだ。
滋賀だと琵琶湖があったり山があったりして行動が制限されるけど、豊田や岡崎のあたりはだいたい平野で東西南北どの方向にでも行けてしまう。そこが大きく違うところだと思った。
家に帰ってみやげ話をしていると、母が、地域主催の婚活パーティーのチラシをM君のお母さんからもらったと言った。チラシを見ると「ボウリング De 婚活!」と書かれていた。定員は男女各15人。男はすぐに埋まってしまうだろう。申し込むなら早いほうがいいと思った。
2012年1月31日(火)

おそれと無視
職場にE君というブラジル人の男の子がいる。E君は自分の仕事に余裕があるみたいで仕事中に口笛を吹いたり、大きな声で「トマエー」と意味のわからないため息をついたりしている。きのうそのE君が少し離れた棚の向こうで「なんでオレを無視する? おまえオレのことがコワいんやろ」と言った。組立て作業をしていた僕はドキッとしてE君の顔を見た。E君はすぐに横を向いてしまったのでそれが誰に言われたものだったのかはっきりしなかった。でも僕は自分に言われたのかもしれないと思ってそのあとずっと、家に帰ってからも、次の日になっても気に病んだ。僕はたしかにE君が怖い。ビビっているのかもしれない。
こんなこともあった。僕は休憩時間を手洗い場のベンチに座って過ごしている。そこはE君たち南米外国人グループも休憩していてポルトガル語が騒がしい。僕が作業場に戻るため立ち上がって歩きだすと、潰れた紙コップが手洗い場を勢いよく滑ってきて僕の横で大きな音を立てた。僕がびっくりして振り向くとE君たちが大笑いしていた。僕もつられて笑いながら紙コップを拾ってゴミ箱に捨てようとすると「いいよいいよ。自分で捨てるから」とE君が止めた。でも僕はそのままE君の紙コップと自分の紙コップを一緒にして捨てた。
高校のときのことを思いだした。僕はあるていど付き合いのある不良と一緒に駅で電車を待っていた。その不良は駅の待合室に座っていたもう一人の見知らぬ男子高校生を理由もなく睨みはじめた。男子高校生は目をそらし続けた。不良は男子高校生の目の前までいってしゃがみこんでじっと睨んだ。不良は僕のところに戻ってきて「あいつオレを見ようらん。なんでやろ?」ととぼけた。電車がきたので乗った。不良は男子高校生を探して別の車両に向かった。しばらくするとまた不良が僕のところにやってきて今度は興奮したようすで「あいつムカつく。殴ったりたい。絶対目合わせようらん」と言った。
2012年1月26日(木)


本当に好きなこと
仕事の休み時間にスキーが好きな人の話を聞いた。一人だったり家族だったりと毎週くらい出かけているみたいだった。その人は嘘偽りなくスキーが好きそうだった。ふりかえって自分のことを考えたばあい、本当の本当に好きなものは案外少ない。音楽も映画も読書もバイクも哲学も本当に好きか怪しい。好きだと言ったとしてもどこかで無理をしている気がする。でもただひとつ囲碁だけは完全に好きだと言える。でもそれならもっと勉強してもよさそうなので好きといってもその程度かもしれない。
「休みの日は何してるん?」と訊かれることがある。今日きかれた。でもいつもうまく答えられない。読書と答えると賢こぶってるみたいだし実際休日にそれほど読書していない。囲碁はするけど休日をつぶすほど時間をかけてはいない。いろいろしてます、とかテレビ見てます、と答えると面白くないやつだと思われそうだ。日記をつけてます、というのも恥ずかしい。本屋に行ったりしてます、というのがいいかもしれない。今日は「バイクとかに乗ります」と答えた。「でも冬は寒いやろ」「そうですね。冬はあんまり乗りません」と答えて会話は終わった。
先週の日曜日に思い切ってバイクで雪道を走った。小谷山の裏の山道だ。それがけっこう楽しかった。モトクロスタイヤをはめているせいか膝下くらいの積雪の中でもけっこう前に進んだ。やっぱり後輪が滑る感触があると楽しい。登山靴にコメリで買った安いスパッツを合わせたらほとんど水が浸みてこなかったのも嬉しかった。ただズボンには浸みてきたのでアルペンで安いスキーズボンを買おうかと思っている。防寒ズボンにもなるし。
父が70歳になっている。パン屋の配達のアルバイトを少し、よし笛、卓球、レイカディア大学の集まり、カラオケサークル、町や寺のボランティア、テレビ視聴、そんなこんなで毎日を過ごしている。家のなかで父を見るとあまりいい気はしない。朝起きて洗面所を使おうとしたら父がいたり、新聞を読もうと思ったら父が新聞を広げだしたりする。食事の時間に顔を見るのも避けている。父はいわゆる「どや顔」が多い気がする。僕はその顔を見るのがすごく嫌だ。母にたいして横柄なのが一番僕の気に障る。それから鼻をすごい力で啜ったあと痰を切るように「カァーッ」とやるのがものすごく嫌だ。父が鼻をすすると僕は次に「カァーッ」がくると思って身構えるほどになっている。ついに一度も注意ができないまま10年くらい経ってしまった。家のなかで暇そうにしている父はだいたい虚ろで不機嫌な印象がある。でも父が生気をとりもどす時がある。それは壊れた物を直すときと、僕と囲碁をしているときだ。囲碁をしているときの父の顔は見れる。囲碁を中断して夕飯を食べているときなども露骨に機嫌がいい。それに僕に負けてもわりと平気そうなところはすごいと思う。今日も僕が勝ったので、次からは父のハンデを五子に増やすことになった。数年前はハンデなしでやっていた。僕が強くなっているのか父が衰えてきているのかはわからない。
年が明けて僕の携帯電話への迷惑メールがすごくなった。一晩で90件とかの猛攻撃を受けた。それで止むなくメールアドレスを変えた。通知したのは男友達ばかりだった。数年前合コンなどに誘ってもらっていたときに連絡先を交換した女性たちはいる。でもたいがいそれはその場かぎりのことでメールのやりとりなどしなかった。お見合いをして連絡先交換した人もいる。いつか、なにかの拍子に彼女たちからメールが来るのではないかという可能性が今回のメアド変更で消えさった。
2012年1月13日(金)

年末年始のできごと
年末年始のできごと。
・消防団で、年末恒例らしい夜警というものに参加した。火事や事件に備えて夜8時から深夜3時まで村の集会所に7人が集った
・でも実際は事件など起きないのでマージャンをして過ごした。僕はマージャンを知らないので教えてもらったけど面白いと思えず眠くなった
・年賀状をつくった。全体を12の枠に分けて、去年の1月から12月までの出来事をそれぞれイラストで描いた。いつものようにパソコンのペイントだけで作った
・部屋の片づけができた。本やDVDをブックオフで売った。売れなさそうなものは紐で括った
・3DSでダウンロードした「ひらり桜侍」というゲームにハマった。悪役侍たちをただ斬っていくだけだけどとても面白いアクションゲーム。それをやりながら紅白歌合戦を見て年を越した
・1日の夜遅くに東京から里帰りしてきたT君と会って僕の部屋で3時間ほど話した。近々子供が生まれるそうだ
・2日の昼は兄家族・姉家族と集まって鍋を食べた。そのあと古いアルバムを見たりテレビゲームをしたり皆でウノをした
・2日の夜に京都から里帰りしてきたY君がやってきた。実家で風邪が流行っているということでウチに泊まっていった。3DSのスターフォックスやマリオカートで対戦して遊んだ
・BSで作曲家・筒美京平を特集した番組を見た。「サザエさんのテーマ」「ブルーライト・ヨコハマ」「ギンギラギンにさりげなく」「ロマンティックが止まらない」などを作曲した人だった
・ラジオでは松任谷由美を特集した番組を聴いた。「ひこうき雲」「デスティニー」「晩夏」「埠頭を渡る風」「卒業写真」「リフレインが叫んでる」「アニバーサリー」など。おぼえてカラオケにいきたくなった
・5日・6日と仕事だったけど、7日・8日・9日とまた連休で幸せに感じた
・父親と何度か囲碁をした。僕のほうが強いのでいま父とは四子のハンデをつけてやっている。さいきん囲碁感覚が磨かれてきているように感じる
・年賀状を送ったけど返ってこない人たちがいる。年賀状は挨拶と同じで、だすかださないか、するかしないかという見極めがとても難しい
・BS週刊ブックレビューの年末スペシャルを見てミステリ小説『ねじれた文字、ねじれた路』とSF小説『ジェノサイド』が読みたくなり両方買った
・今日は近所のM君と多賀大社にいった。そのあと彦根駅近くの‘初恋レコード’という面白い中古レコード店を教えてもらった
・連休中に一度はバイクに乗りたいと思いつつも寒いので先送りしている。明日は連休最終日なのでバイクででかけて少し雪の上を走ったりしてみたい
・今は無性に速いバイクが欲しい。かっこいいバイク用ジャケットが欲しい。そして雪の上を歩けるスノーシューが欲しい
・同級生のT君やY君が訪れてくれたのはありがたいことだと思う。よい正月だった
2012年1月8日(日)