



2009年のまとめ
2009年の出来事
1位 アルミ鋳造をする職場に移った
2位 K君の結婚式と二次会の幹事
3位 3回ほどお見合いした。お見合いパーティーにも参加した
4位 7月の合コン
5位 会社の登山(愛宕神社参詣)
6位 車の運転時やテレビを見るとき眼鏡をかけるようになった
7位 3Dデジカメを買った
2009年に読んだ本
1位 『反解釈』スーザン・ソンタグ著
2位 『消しゴム』アラン・ロブ=グリエ著
3位 『定本 日本近代文学の起源』柄谷行人著
4位 『日本の家郷』福田和也著
5位 『廃車』松波太郎著
2009年に聴いた音楽
1位 『ラジオ2009』ラジオから好きな曲だけ録音した自作の音楽集
2位 『シフォン主義』『ハイファイ新書』相対性理論
3位 『イエローマジック歌謡曲』V.A.
2009年に見た映画
1位 『グラン・トリノ』(2008米)
2位 『砂と霧の家』(2003米)
3位 『デス・プルーフ』(2007米)
2009年に見たドキュメンタリー番組
1位 『さすらう18歳−中国・黄土高原に生まれて−』
2位 『麦客(まいか)〜中国・激突する鉄と鎌〜』(※2002年放送の再放送)
3位 『サンティアゴ 青春巡礼〜高校生 9日間250qを歩く』
2009年に考えたこと
1位 やりたくない仕事をすることは、修行と同じで崇高なおこないではないか
2位 欧米人や都会の人に同一化したいと思う心はなぜ生まれるのか
3位 思い出を大切にしようとおもった。写真を写真立てに入れて飾るとけっこういいということに気がついた
総評:だいたいにおいてあきらめ混じりの1年だった。びんびんくる本に出会えなかったし、有頂天になるような思いつきも浮かばなかった。ただ、さっき読み終わった内田樹さんの『日本辺境論』(新潮新書)はずいぶん面白かった。現代思想、ポストコロニアル思想、主体の問題、禅思想、あいさつ問題、学びと崇高の問題など、僕がわりと普段から気になっていた事柄がバシバシと論じられていた。仕事はたいへんだった。アルミ鋳造の仕事はいつ大やけどを負うかわからない危険な仕事だし、前の職場より前向きに取り組む姿勢が求められていて、ちょっとついていけない気味だった。趣味のラジオ録音のおかげでたくさんの音楽と出会うことができた。全89曲、5時間近い大作『ラジオ2009』が完成した。
2010年1月2日(土)
ニュー・スーパーマリオブラザーズ・Wii
きのうは姉のところの姪Nちゃん(小2)と兄のところの甥Tくん(小1)・姪Yちゃん(小3)がウチにそろって預けられたので、僕(30歳)は彼らと遊ぶことに休日を当てようと思った。
朝の9時頃だったか姉がNちゃんを連れてきた。Nちゃんは恥ずかしそうに四つん這いをしてずるずると居間に入ってきた。姉は「ほんならおねがいします」と言って仕事に向かった。居間で所在なさげにしているNちゃんに「クリスマスプレゼントはなんかもらった?」と訊くと「ポケモンパーク」と返ってきた。「へー今日もってきたんか?」と訊くとNちゃんはうなずいて自分のバッグからポケモンパークのケースをとりだした。ウィーリモコンも持ってきていたし『やる気まんまんやな』と思った。「ほんならやろか」と言って僕が居間のウィーを起動させようとしていると後ろでNちゃんが「あ、ない」と言った。見るとポケモンパークのケースの中が空っぽだった。Nちゃんはもう一度「ない」と言った。泣きだしそうな笑いかたをしていた。どうやら自分の家のウィー本体のなかにソフトを入れ忘れてきたらしい。「ほんなら取りにいこか」と言って僕は姉の家に電話した。電話にでたのはNちゃんの姉のHちゃん(中2)だった。僕はHちゃんに事情を説明してこれからポケモンパークを取りに行くと言った。姉の話ではHちゃんは今日は卓球部の友達の家に遊びにいく予定だということだった。Hちゃんは小さいころはよくウチに遊びに来たけど、ここ2・3年はあまり来なくなった。性格も複雑になって、なんとなくよそよそしくするので、僕は付き合い方がよくわからなくなっている。Nちゃんは僕の車の後部座席に乗った。姉の家までは車で10分ほどでいける。姉の家の玄関のドアは鍵がかかっていた。家の脇をのぞいたNちゃんは「ねえちゃんの自転車あるわ」と言った。チャイムを鳴らすと少ししてドアが半分だけ開き、髪をぼさつかせたHちゃんが顔をだした。はい、と言ってポケモンパークのソフトを差し出してくれていたけど、前方ななめ下を見たまま僕と目を合わさない。僕が「ありがとう」とだけしか言えずにいるとドアが閉まった。
「ポケモンパーク」は画像がとてもきれいな3Dアドベンチャーゲームだった。ピカチュウなどのキャラクターも愛らしいし舞台となる森や草原も美しく臨場感があった。ただし一人用なのに加えて、Nちゃんがあまりゲームを進めようとはせず、村や森をうろつきしょうもないことばかりしているので見ているのもつらくなってきた。
そのうち兄のところのTくんとYちゃんがやってきた。二人はやってくるとNちゃんが遊んでいる「ポケモンパーク」にしばらく見入っていたけど、やっぱり飽きてきたらしく各々のDSを開けてそれぞれクリスマスプレゼントでもらったらしいゲームで遊びはじめた。せっかく三人が集まったのにそれぞれがバラバラにゲームしている様子はあまり気持ちのいいものではなかった。そのうちTくんがDSを閉じて「ウィーでマリオがしたい」とつぶやいた。それは僕が思っていたことでもあった。僕は先週、まだ発売されて間もない「ニュー・スーパーマリオブラザーズ・Wii」を買っていた。TくんYちゃんとは一度それで遊んでいてとても楽しかった。僕は「ポケモンパーク」によってウィーを独占しているNちゃんに「マリオがしたいんやけど」ともちかけた。Nちゃんは承諾してくれたけど「わたしはマリオせん」と言った。Nちゃんはスーパーマリオに苦手意識をもっているらしい。ウィーのコントローラーは三つあった。僕の家のものが二つとNちゃんがもってきた一つ。YちゃんがしばらくDSを続けるみたいだったので僕とTくんと「せん」と言っていたNちゃんとで新しいマリオの3人同時プレイをはじめた。三人でステージを進めていこうとすると、助け合いというよりは足の引っ張り合いになる。キノコは取り合いになるし味方同士でぶつかるし、自分のキャラを間違うし、一人が死んだときに一瞬画面が止まるのでタイミングが狂ったりもする。でもそのゴチャゴチャ感が楽しく、時に大笑いする。あとでこのゲームのアマゾンのレビューを見たけど、やはりみんな複数人同時プレイでは大笑いしながら遊べると書いている人が多く、どの家でも一緒なのだなと思い、日本全国に笑いをふりまいたゲーム制作者の方々に畏敬の念をもち感じ入った。しかも難しいと思ったら泡になってプカプカ浮いていれば他のプレーヤーが全滅しない限りみんなについていけるので、Nちゃんのように少しテクニックが劣る人も楽しめるようになっている。
何人かで楽しくテレビゲームしているとたまにその時だけの流行語が生まれる。きのうはTくんが放った「ドンっ・ぐりん・ドーン!」というのが流行った。今度のマリオではみんなで同時にヒップドロップすると画面の敵を一斉にやっつけることができるのだけど、これはそのときのかけ声だ。しかしこれはTくん自身がのちに「ポヨンっ・ぐりん・ドーン!」に変形させてしまった。あとはゴロゴロと転がってくるトゲの付いた鉄球に苦戦していたとき、Tくんがその鉄球のことを「まるぼっちゃん」と命名しこれも流行した。ただしこれもあとでTくん自身が「まるぼっちん」に変形させてしまい僕は「まるぼっちゃん」のほうが面白かったのにと残念に思った。
ずいぶん前、コンビニで働くみんなで「ぷよぷよ」をして盛り上がったときW君が下手な人の無惨な様子を見て言い放ち流行した「みちゃおれん」というフレーズ。それから一昨年の正月だったか「バトルシティー」をしていてY君が放った「カチドキ」という言葉。僕はそれら記憶に残るはかない流行語のことを想った。ぜんぶその時その場所でその人が言い放つことでしか面白くない儚い内輪の流行語だった。
2009年12月27日(日)
怒られたことなど
12月は受注が少ないということで、週四日の勤務になった。でも一日につき三時間残業をしなければいけなくなった。
先週は夜勤だったけどよく怒られた。怒られた内容をざっと書きだしてみよう。
@週初めの始業点検をせずに機械を動かしたら怒られた
A機械が動いている最中に射出圧力を上げようとしたら怒られた
Bラドル用のコーティング塗料とアルミつぼ用のコーティング塗料を区別できずにいたら怒られた
C昼休みまえに製品を熱処理に入れようとしなかったら怒られた
D射出棒のチップを交換しようとして、外したチップを機械の金型のほうに押し出そうとしたら怒られた。200t以外は射出機自体を外して交換しなければいけないらしい
E全体的に、わからなかったら質問しなければいけない、といって怒られた
怒られるとやっぱりこたえる。あとで一人になったとき、惨めな気持ちになり泣けてきそうになる。
佐藤正午(著)『身の上話』という小説を読んだ。主人公の女性がある日突然、仕事も彼氏も何もかも放り出して逃げるという話だった。そのあと人に頼まれて買った宝くじが当選したけど、頼んだ人に内緒にしてお金をもらってしまったことから様々な騒動が起きる。まず主人公に何の問題もなく彼氏がいてしまうという設定で読むのがつらくなったけど、なんとかそこは我慢して読みとおした。ちょうどテレビで年末ジャンボ宝くじのコマーシャルをやっていたので、なにかの縁だと思い僕も物語のなかと同じ五千円分を買ってみた。
毎年この時期に僕は「ミュージック・マガジン」の一月号を買っている。その年のベストアルバムが紹介されているからだ。日本のロック部門で相対性理論の『ハイファイ新書』が一位になっていて僕は嬉しかった。おもえば今年の一月に偶然ラジオで「バーモント・キッス」を聴いてから好きになったのだった。また、最近ラジオで聴いて気になったばかりだったクレア&リーズンズというグループのアルバム『アロー』もアメリカのロック部門で五位になっていて『やっぱり僕の耳はいいのかな』と浮かれた。
休みの初日に甥っこたちと雪遊びをした。となりの家のリョウちゃんも遊びにきていた。甥っこたちとリョウちゃんとは仲がいいとは言い難く、僕があいだをとりもつ場面もあった。雪だるまを囲む子どもたちの立体写真が撮れた。子どもたちと遊ぶのも立体写真が撮りたいがためだったかもしれない。
今日、新しい作業服のズボンのすそをなおしてもらうために楽市に行ったらいつもの店がなかった。閉店したようだ。その場で母に他に裾直しの店はないかと電話した。たしか国道のスポーツ用品店の3・4軒南にあると母が言ったのでそこに行った。店は古く小さかった。誰もいないしがらんとしているのでやっていないのかとも思ったけど奥でミシンを動かしている人かげが見えたので「すみませーん」というと、意外に若い女の人がでてきた。喋りかたもゆっくりしていた。僕は以前テレビで見たひきこもりの女性を思い出し重ね合わせてその人がちょっと好きになってしまった。こんどズボンを取りにいくときにはちゃんとひげを剃って僕なりにおしゃれしていこうと思った。
2009年12月21日(月)
福田和也(著)『日本の家郷』(1993新潮社/2009洋泉社MC新書)
まえに読んだけど新書になっているのを見つけたので福田和也『日本の家郷』をあらためて読んだ。‘家郷’というのは‘かきょう’と読み、‘ふるさと’くらいの意味だそうだ。日本の近代小説や古典や批評をあつかった評論集で、全三章からなっている。手短にまとめてみたい。
第一章 日本の家郷−彷徨者の様式としての近代小説 小説論
出発地も目的地もはっきりしないなか外国文化にかぶれながら目の前の曖昧な‘くらさ’を描くのが「日本」の画であり小説だ。それは何でもない時、何もない土地に建立される鳥居に似ている。鳥居が建設されたあとで祠(ほこら)と村ができ道ができ家郷がでっちあげられる。画家の長谷川利行、高橋由一、作家の坪内逍遥、永井荷風、川端康成などがとりあげられていた。この章はハイデガーのヘルダーリン論に啓示をうけて書かれたとあとがきにあった。
第二章 生成する日本−文学という離宮 古典論
古事記など古代の日本の<文芸>には今の<文学>からは失われた「みやび」な場とそこから響く「うた」があった。桃山から寛永にいたる時期、秀吉の甥である豊臣秀次(1568−1595)と後水尾院(ごみずのおいん・1596−1680)のあいだに<文芸>と<文学>の分かれ目がある。安土桃山時代、豊臣秀吉の天下統一によって日本中が均一な政治空間に呑みこまれた。そのため「みやび」は極大化し消滅した。そんななか秀吉の甥・秀次はなおも「みやび」であろうとした。秀次は書の収集や茶の趣向で高いセンスをもっていた反面、気分しだいで農民や女を殺生するなど残忍でしかも好色だった。しかし秀次の放埓は秀吉の勘気に触れ、自害を余儀なくされただけでなく家来や妻・妾・子女にいたるまで皆殺しにされた。その惨劇は秀次最高の「みやび」な「うた」だった。後水尾院は天皇でありながら荒々しい書をものし立花を隆盛させ日本随一の名園とされる修学院離宮を造営した。さらに古典注釈に力を入れそれらをテクスト化することで「みやび」を解体した。後水尾院の古典注釈をひきつぎ、論語などの漢籍を聖典としてではなく資料として研究したのが儒学者・荻生徂徠だった。荻生徂徠はテクストを相対的に読むことで市井に「離宮」を建設した。そして文芸の離宮化としての<文学>を確立したのが本居宣長ら国学者による日本の古典の研究だった。国学は宣長のいう「真心(まごころ)」という巧緻な演技によって、日本そのものをテクストという離宮として造営した。
しかし今必要なのはテクストとして区切り名付けられた日本ではなく、生成としての流離としての「日本」を再興することであり、その時、文芸は再び「やまと歌」の持続と結びつく。作者不詳・成立事情不明の伊勢物語はそのことのヒントをあたえてくれる。
第三章 虚妄としての日本−モダニズムの地平と虚無の批評原理 批評論
いささか不体裁だった短い欧州旅行のあと、日本にはなにもない、自分にはケチな才能しかない、という認識にたどりついた横光利一は、作家であろうとする強い俗物根性や自意識から様々な「趣向」の小説を書いた。その心の動きはマラルメら同時代西欧のサンボリズム以降の作家たちの自意識とよく似たものだった。マラルメは作家や詩人の在りかたを問い、ポエジィを疑い、形式を詮索し言語そのものを疑い尽くしたすえ、人工的な造花園のような詩をかいた。小林秀雄は、日本に文芸が存立する環境を人工的につくりあげた菊池寛を日本最高のサンボリストとみなした。また一般に日本主義者として知られている批評家・保田与重郎が『万葉集の精神』などで浮かび上がらせたのも人工的な「日本」だった。正岡子規が提唱した「写生」という俳句の手法もいくつかある「趣向」のうちのひとつでしかない。<サンボリズムは「現実」への依拠を巧みにまぬがれて、「趣向」を意識的に操作し、様々な形式や構成を消費することで中空に「何処でもない場所」を描きつづける>。<自由詩のリズムが「自我のリズム」であると考えた詩人・萩原朔太郎は、西欧式の自我を持つことに努力を集中した。洋食を好み、土蔵を船室をおもわせる洋室に改良し、マンドリンとギターをつまびきコカイン中毒になった>。<その西欧式自我は、−(中略)−西欧との同一性を生きるという意思によって捏造された、隅々まで必然性を欠いた人工の自我にほかならなかった>。<無である日本を受け入れる朔太郎と、無にたいして無意味な意匠を積み上げる横光の態度は、表面的には甚だしく異なっているようでいて、実は大差はない。彼らは二人とも、日本の虚妄を認めた上でその不在を、怠け者や忙しがりといったやり方で耐えている>。
また<ファシズムとは、空虚な「ドイツ」という「何処でもない場所」を地上に建設する技術と意志の総称、つまり政治におけるマラルメ主義にほかならない>。
「日本」にしろ「自分」にしろ全ては失われている。人はその虚無に直面しなければならない。そのとき「日本」なり「自分」なりが幽かに顕れる。そんなメッセージを受け取った。文学上のサンボリズムやモダニズムが、「人工性」というキーワードを介してファシズムとつながってしまうところが面白かった。福田さんの第一作『奇妙な廃墟』をぜひとも読みたくなった。修学院離宮もいつか見てみたい。こうやってまとめると一度読みとおしただけでは分からなかったことが次々と分かってきて、まとめてみてよかったなと思った。
2009年12月21日(月)

せきしろ×又吉直樹(著)『カキフライが無いなら来なかった』(2009・幻冬舎)
BS週刊ブックレビューで紹介されていて気になったので、『カキフライが無いなら来なかった』という俳句集を借りて読んでみた。ふだん目にしていても気にとめない光景や、わきあがってきてはいてもあえて言葉にしない感情がわかりやすい自由律俳句になっていた。たとえば、
坊さんが大量にアイスを買っていた (又吉直樹)
人見知りを貫いた成果を見せる機会がない (せきしろ)
平日の午後友達の友達から隠れる (又吉直樹)
滑り台の終わりに水たまり (せきしろ)
ここがファミコンショップだったことを知らない世代 (せきしろ)
動物の死体だと思った毛布帰りもまだある (せきしろ)
二人の著者のうち、せきしろさんは1970年生まれの文筆家。又吉さんは1980年生まれで文学好きのお笑い芸人だそうだ。
お笑いの<あるあるネタ>というのは文学でいう<リアリズム>とか<自然主義>のことではないかと思った。
2009年12月11日(金)
行動と意識
図書館で雑誌『別冊太陽−小林秀雄』を見つけて家でざっと目をとおした。一か所だけ覚えておきたい文句に出会った。
ベルグソンは「創造的進化」のなかで、人間の意識を「可能上の行動と現実の行動との算術的差」と定義しております(p81)
可能的行為が一つしかなければ現実的行為との差は零である、このときには意識は発生しない、しかし可能的行為が複数あれば、現実的行為を一つに絞る過程で意識が現れる、さらに可能的行為が極大になれば現実的行為の選択肢も極大になり、それはかえって現実的行為が零に近づくことを意味する、意識の過剰が行動の動機を捕えにくくするからである、こうなると、観念と行為との算術的差が適量であることで「よく考えよく行う健康状態」は維持できない、そうなってしまった近代人としてラスコーリニコフ(ドストエフスキー『罪と罰』の主人公)は登場した・・・(p82)
簡単にいえば、行動的な人は意識が少ないし、意識が多い人は行動しない、ということか。ということよりもここで面白いのは、行動と意識を等価なものとみなす考えかただ。この考えかたでいけば、行動は意識のあらわれだし、意識は行動の一種だということになる。たとえば人間ほどの意識はもっていないであろう犬も、その素早い動き自体が彼の意識で、ミミズもその動き自体が彼の日記なのかもしれない。
2009年12月11日(金)

ジェーン・オースティン(著)『マンスフィールド・パーク』(1814英・中公文庫)
『日本語が亡びるとき』のなかで水村さんがジェーン・オースティン(1775-1817)が好きとおっしゃっていたので前から読んでみたかった『マンスフィールド・パーク』を読んでみた。J・オースティンは『高慢と偏見』や『エマ』が有名だけど、両方とも映画やドラマで見てしまっていたので、それならと全く内容の知らない『マンスフィールド・パーク』に挑んでみた。文庫本で680ページもあり読むのに一ヶ月半かかった。J・オースティンの小説は、せまい社会でいろんな個性の人がでてくるところがマンガの「ちびまる子ちゃん」に似ている。夏目漱石もJ・オースティンを読んでいたらしい。人物どうしの交際が軽妙に描かれるところがエリック・ロメールの映画に通じるところがあり(たとえば『友達の恋人』)、少しおしゃれな小説家というイメージがある。けっこう人間が差別的なまなざしで眺められていて、僕はそこに一番興味をもった。
あらすじ。主人公のおとなしいファニーは家が貧しかったので、マンスフィールド・パークという広い土地をもつ裕福な叔父の家にひきとられカッコよくて教育も受けたいとこたちと一緒に引け目を感じながら暮らすことになる。そこへ都会から洒脱な兄妹も越してきて、みんなで散歩したり素人芝居の練習をしたりするうち、誰が誰を好きなったとかいう話になってきていくつかの結婚話がもちあがる。ファニーは都会的なヘンリーから熱心に求婚されるけど、ヘンリーの人を傷つけがちな言動に不信感を抱いているファニーはすごく条件のいい話なのに拒み続ける。それにファニーが秘かに思いを寄せているのは叔父の次男で牧師になろうとしている生真面目な青年エドマンドだった。でもエドマンドはヘンリーの妹のメアリーにぞっこんで、兄と同様メアリーの人柄も好きになれないファニーは人知れず心を痛める。ところが最後にある事件がおこって全てはファニーにとって最高に幸せな形になっておさまる。そんな話だった。
2009年12月5日(土)

3Dデジカメを買った
先週3Dデジカメを買った。レンズが二つ付いていてシャッターボタンを押すと、同時に二枚の写真が撮れる。それをたぶんコンピューターが合成して、カメラのバックモニターでは裸眼で立体映像が見られる。けっこう高価だったので買うのは賭けだった。でも一週間で何枚もいい写真が撮れたのでひとまず買ってよかったと感じている。家でよく撮れたとおもう立体写真を眺めているとうっとりする。僕に囲碁で負けて反省する父、絨毯に座りこんで菜っ葉の茎をとっている母、朽ちかけた網フェンス越しの山本山、色づいた葉っぱが黄色く輝いている銀杏の木、犬と田んぼ道を歩くM君、K君が結婚式二次会の幹事たちを集めて開いた夕食会での集合写真、そして今日は姪っこが大根を手にして笑っている気持ちのいい写真が撮れた。ぜんぶ模型のようだ。でも残念なのはちゃんとしたプリント方法がないこと。メーカーのフジフィルムが推奨する3Dプリントは高価なうえにいうほど立体的に見えない。僕が理想とするのは二枚の写真をならべて平行法で立体視できるようにしたプリントだけど、それはどうやらできない。しかたなく左右の写真を別々にプリントして交差法で見てみようと考え、きのうプリントを申し込んだ。満足できるだろうか。
上のは、左の写真を左目で、右の写真を右目で見る「平行法」で眺めてください。遠くを見る感じでぼおっと眺めるのがコツです。二枚の写真が三枚に見えたら真ん中の写真が立体に見えていると思います。誤って左の写真を右目で、右の写真を左目で見る「交差法」(寄り目)で見てしまうと写真が小さくなり逆立体に見えてしまいます。
2009年12月5日(土)

パクさんが死んだ
きのう、同じ現場で働いていたパクさんが会社で突然亡くなった。朝早く出勤して機械の点検をしているパクさんの姿を見たと思っていたら、その直後にトイレで倒れたとのことだった。僕はびっくりした。パクさんは僕よりあとから今の現場にきて日本語もたどたどしかった。休み時間によくボーナスの話をしてきた。ほお骨がでていた。子どもさんがたくさんいると話していた。亡くなる前日に、空になったペール缶の蓋のはずし方と捨てかたを僕が説明したら「ほんまー、わしなんもしらんわー」と言って笑っていた。
ショックだったけど今日になるとパクさんが死んだことを忘れがちになっていることに気がついた。『いけないいけない、パクさんが死んだんだった』と僕は無理に意識しようとした。パクさんも韓国での少年時代には周りの人に可愛がってもらっていただろうし、長い時間を生きてたくさんの思い出を持っていただろうと想像すると悲しくなった。人が死ぬということは、その人がもっている思い出がこの世からスッポリ消えてしまうということなんだなと思った。
2009年11月21日(日)
人生の目標
NHKで‘素数’についてのテレビ番組を見た。素数というのは、2、3、5、7、11、13、・・・など、1とその数以外では割れない数のことをいい、数列上にまったく気まぐれにあらわれてくる。数学者たちは昔から素数のあらわれかたに法則を見いだそうとしては失敗してきたので素数に意味なんかないと考えるのが普通だった。でも18世紀スイスの数学者オイラーは、無限に存在する全ての素数を二乗したり割ったり足したりするとそれが円周率の二乗を6で割ったものに等しくなることを発見し、素数が宇宙の秘密に関係している可能性を示した。そして19世紀ドイツの数学者リーマンはオイラーの計算式を改変したゼータ関数というものを使って、どうやら気まぐれにみえた素数のあらわれかたには法則性があるかもしれないというかなり信頼できる予想をし、それはリーマン予想とよばれるようになった。以後、幾多の名だたる数学者がリーマン予想を証明しようとしてきたけど、失敗して恥をかいたり、精神病になってしまったりする人がでるばかりだった。ところが1972年にゼータ関数から導きだされる式と、原子核のエネルギーがとびとびに変化する間隔をあらわす式とがそっくりなことが偶然発見された。これは素数と、ミクロの空間や大宇宙の全ての現象を説明する究極の物理法則とに深いつながりがあることを示すものだった。これにより素数の謎が解けるとき「万物の理論」が完成すると考えることも可能になったらしい。
番組のなかで、リーマン予想を証明しようとして精神病になってしまった数学者を描いた映画『ビューティフル・マインド』(2001米)のなかの一場面が映しだされ、そこでその数学者は広場に集まるハトの群れの動きを真面目に数学であらわそうとして周りの人に失笑されていた。もちろん映画なので大げさに描かれているだろうし創作されたエピソードかもしれないけど、ハトの動きに数学的な法則があり、それがわかったらすごいことだろうなと思った。
もうひとつ、やはりNHKの「クローズアップ現代」では、最新のハリウッド映画でCG映像の制作を任され活躍している若い日本人が紹介されていた。その日本人はCGで水の動きを表現することに情熱を傾けていて、流体力学までかじったけど、それでもやはり水の表現は難しいとのことだった。その人は砂浜に立ち海を眺めながら「神ボタンというのがあって、この海のさざ波がそのボタンひとつで表現できたら楽なのに」というようなことを言った。このシーンを見て僕は大昔に見たテレビ番組のそこだけ覚えているある場面を思い出した。
その場面では、出演している普通の若者が「旅先で海を眺めているうちにある瞬間、海のさざ波が整然と秩序だって美しく見えた。そのときに迷いがなくなった」という自分の神秘的な体験のことを話した。するとコメンテーターの女性が信じられないという様子で「ものが秩序立つことが美しいとおもうわけ?」と質問してその青年の感性を疑っていた。僕はこの場面を見て、青年の感性がよくわかった自分を恥ずかしく思った。女性コメンテーターの、そのときは理解できなかった無秩序に価値を見いだす感性のほうが優れているように思ったからだ。
さっき母親と夕飯を食べたあと、僕はなにげなく「結婚できないかもしれない」という話をしだした。就職活動をしていたときと同じで、結婚活動にも意欲がわかない、と。すると母は僕が生きがいを無くしているように見えたのか、「なにか大きな目標をもったらどうや」と言ってきた。「たとえば?」と僕がたずねると「海外旅行とか」と返ってきた。「旅行はむなしいと思う。花火みたいにポンとそのときだけ楽しいだけやん」と僕は言った。でもあとから考えるとかなりまえから心に決めていた目標が僕にはあった。<宇宙の謎を解き明かす>というのがそれだ。半ば冗談、半ば本気で僕はこれを人生の目標に定めている。
海のさざ波も、ハトの動きも素数の並びかたも、この世はわからないことばかりだ。でもいつか死ぬまでに全部の意味や法則が知りたい。この日記もそういう意気込みで書きたい。
2009年11月21日(土)
電気グルーヴ
BSで電気グルーヴを特集した番組を見た。石野卓球さんの実家が見れた。卓球さんのとなりの部屋だった妹が小学校で「おにいちゃんの部屋のラジカセがうるさいけど怒って叩かれるからなにもいえない」という内容の詩を書いたら賞をもらったという話が面白かった。卓球さんが高校時代にやっていたメリーノイズというバンドの曲が少しだけ流れたけどカッコよかった。あとは、ピエール瀧さんは電気グルーヴで‘タキ’を担当しているという話も笑った。それから宇川直宏という人が、電気グルーヴをアウトサイダーアートだと言っていた。『N.O.』や『虹』のライブ映像が流れて感動した。
夜、近所のM君から電話があった。「電気グルーヴの番組みた?」と訊くと「録画したけどまだ見てない」という返事だった。たしかM君は電気グルーヴも好きだけどその前身バンド‘人生’も好きだと言っていた。「番組みてたらワイアーいきたいなー、とおもった」と言ったらM君は「うん、いこうや」と言った。電話を終えたあと、『どうやら来年はワイアーにいくことになりそうだぞ』と思ったらじわっと元気がでてきた。ワイアー(WIRE)というのは毎年夏に行われている大きなテクノ・イベントで卓球さん主催ではじまった。
2009年11月16日(月)
向田邦子
さっき、テレビドラマの脚本家で作家でもある向田邦子さんについての番組を見た。僕は向田さんが関わったドラマを見たおぼえもないし、本も読んだことがないけど、そのさっき見たテレビ番組には胸がぎゅっとなった。とくに彼女が三十代のころ付き合っていたカメラマンの男性が死んでしまうところは悲しかった。その男性が撮影したとおもわれる向田さんの肖像写真がたくさんでてきたけど、どれも向田さんがとてもきれいに写っていた。映画『マディソン郡の橋』を思い出した。向田さんはその後ずっと独身で、ある日飛行機の墜落事故で突然亡くなってしまう。
番組からうかがい知れた向田作品の特徴は、どうやら人間が丁寧に描かれているところにあるらしかった。いくつか紹介されたドラマの一場面ではたとえば、玄関先で家出しようとしている娘と揉めているのに、御近所さんが前を通るとひとまず愛想よく挨拶する母親とか、娘の連れてきた彼氏がぼそぼそと喋るので機嫌の悪い父親が「声の小さい奴にろくな野郎はいない」的なセリフを言い放つところも、そうかもしれないと考えさせられ面白かった。
僕もあるていど年を重ねたせいか一丁前に普段の生活のなかで生じる人間関係のあやとか心の動きに興味がでてきた。たとえば今日なんかは、休日出勤の仕事がおわったあと休憩所で僕をふくめて四人がコの字に並べてあるベンチに座っていたけど、二人はスポーツ新聞を見ながら競馬について話していて、ひとりは携帯電話で奥さんと長話をしていて、僕はかばんを脇に置いてひとり『はやく帰りたいなぁ』と思っていた。みんな別々のことをしていて、でもお互い一緒に帰るタイミングを見計らっていたりして、なにげないけど振り返ってみるとおもしろい状況だったと思う。そんなふうに考えだすとなんでもいちいち面白くなってくる。
ただ僕には、恋人とか夫婦、それから子どもを持つ感覚がわからない。浮気とか不倫とかだとさらにわからない。たとえばかなり遠慮なくものを言い合う夫婦を見かけると『そういえばもとは他人なのにこの二人はなんでそこまでの仲になることができたのだろう』と不思議におもったりする。
2009年11月15日(日)
休みがほしい
あした休日出勤することになった。あさっての夜から夜勤がはじまるというのに。休みがほしい。ゆっくりしたい。
会社勤めには終わりがない。三年通ったら卒業とかがない。そう思うと絶望して自分で終わらせてしまいたくなる。
辞めたくなる瞬間というのがある。おこられたときとか、突然休日出勤を頼まれたときとか。でも少し時間がたつとまあ我慢しようかとなる。だから本当に会社を辞めるなら、辞めたいと思った瞬間をとらえて上司のところへ駆け込み「やめさせてください」というしかない。それかもっと我慢して、辞めたいエネルギーが満タンになるのを待つかだ。
2009年11月13日(金)

会社の登山
会社が企画した、神社の御参り登山ツアーに参加した。京都の嵐山の近くの愛宕山(あたごやま)という高さ1000メートル弱の山で、頂上に割りと大きな神社がある。火の神様が祀られているそうで、工場の安全を祈願する目的で登った。今年は60〜70人の参加者があり、会社から二台のバスがでた。バスで僕は職場の年下の先輩F君のとなりに座った。F君はバスや電車が苦手だそうで、愛宕山に着くまでの二時間ずっとだるそうにしていた。僕は座っているだけで景色が変わるからか、バスや電車に乗るのは好きだ。愛宕山に着き登山がはじまると意外にも競走になった。僕はそんな頑張るつもりはなく最後尾あたりからゆっくり歩きはじめたけど、疲れだした人たちを一人一人追い越していくうちに駅伝的な興奮をおぼえて、一時間が過ぎたころにはものすごく早足で歩いていた。後半、こんな会社の登山には冷めた態度をとりそうな20代の不良っぽい社員たちに追い抜かれたときは悔しかったけど、彼らの熱くて無邪気なハートを感じて見方が変わった。頂上の神社に着くとどうやら僕は10番目くらいだった。先頭集団は若い人たちばかりで、その中にバスでだるそうにしていたF君もいたので驚いた。僕は一時間半かかったけど、トップの人は一時間弱で登りきったという話だった。昼食と集団安全祈願のあとだらだらと下った。
帰りに嵐山に寄った。<レストラン嵐山>での会食までに一時間の自由時間があった。僕はこういう時つるめるような人を見つけられなかったので一人で桂川の川べりに座り抹茶ソフトクリームをなめ、幼い姉妹二人が川に砂利をばらまいて遊ぶ様子を変人と思われない程度に眺めたりしていた。観光地の嵐山は家族連れや恋人たちで賑わっていて僕はやっぱり寂しくなり『だれか会社の人が後ろからきて肩をたたいて話しかけてくれたら嬉しいのにな・・・』とぼんやり考えた。もうあと20分ほどで食事がはじまるという頃、ほんとにそういう人たちが現れた。シミズさんとツジ課長だった。肩はたたかれなかったけど、二人は僕の横にきて一人で川を眺めている僕を温かくからかってくれた。とても嬉しかった。
会食も楽しかった。偶然僕のまえに事務所の女の子二人が座っていて、隣の隣にすわるシミズさんが「なにしてるん田辺君、注がんと」と言って僕に女性達とのコミュニケーションを促がしてくれた。帰りのバスではほとんどの人が疲れて静かにしていたけど、酔って気持ち良くなって元気よく喋っている人もいた。僕は起きていて会社の中の人間関係や権力関係について想いをめぐらせていた。
2009年11月6日(金)
絆の強度測定
新聞に、日本とアメリカの関係についてこうあった―「タフな交渉もでき、かつ、ぎくしゃくしない関係が、本来のはずである」。
僕は誰かとそんな関係をもっているだろうかと思った。そういえばまえから、人と人の結びつきの強さを計れたらいいなと思っていた。たとえば誰かと二人であまり会話もなくお店でご飯を食べていて、隣の席の見知らぬもう一組が楽しそうにお喋りしていたりすると、その隣の二人のほうが自分たちよりも強く結びついている気がして『負けている』と感じる。他人との結びつきの強さを計ろうと思ったらまず思いつくのは極限状況での実験だ。崖から落ちようとしているAさんの腕をBさんが握っていて、どこまでBさんが頑張れるかでAさんとBさんの結びつきの強さが計れるように思う。でもこれは単にBさんの体力測定になってしまうかもしれない。次に思いつくのは、悪口をいうか、無理なお願いごとをしてみる実験。浅い関係だと相手がちょっと気に障ることを言っただけで『もう喋らんとこ』と思ったりするけど、親しい仲だと我慢するか相手が言ったことの意味を深刻に受けとめたりすると思う。でもそれも、結びつきの強さというか、たんに片方の人の好さが計れるだけのような気もしてきた。二人の関係が対等なものか、主従的なものかでも話は違ってくるだろうし、わからなくなってきた。
2009年11月6日(金)

会社のなかの二極分解
一カ月ぶりに近所のM君と会った。僕は話したかったことを話した。話はたしかだいたい次の順序で進んだ。K君の結婚式や二次会のこと→お見合いのこと→テレビ番組のこと→音楽のこと→仕事のこと。
収穫だったのは「会社のなかで人は二極分解していく」というひらめきを得たことだった。やる気のある人は現場の仕事から離れ人に指示するがわにまわり、やる気のない人は現場のきつくて面白くなくて危ない仕事をさせられるがわにとどまる。そして社内で最下層を形成する一般作業員は会社の中で主体として存在することをたぶん半ば自ら破棄している。人に指示されてそれに従うだけ。たぶん僕も含めて多くの作業員はそれでいいと考えている。僕はここで、昔あった「プロレタリア」という言葉はこういう人たちを指すのではないかと思った。そして本当の、ラジカルな労働組合をつくるなら、こういう完全にやる気のない人たち、完全に人間を喪失した人たちを組織しないといけないのではないかと思った。そしてそれはパンクなことでちょっとかっこいいかもしれないけれど、不幸になっていくしかない考えかたかもしれないと思った。
それから頭の中の「会社率」と「自分率」ということも考えた。頭の中の会社率が高いほど人に指示できる。自分以外の人間を動かせるという超能力が使えるようになる。会社率100パーセントなのは社長で、会社の中の完全な主体だ。でも社長も対外的にはお客さんのいうことをきかないといけないので全能ではなさそうだ。それから会社率と自分率の比率がどんどん入れ替わっていって、自分率100パーセントなのが一般作業員だ。この人たちは自分で動かせるのは自分の体だけで人に指示できないかしない。会社の中で主体となることを拒み、自分がまるごと自分であることを夢みるロマンチックなこの層にこそ原理的で急進的な組合活動ができるように思う。
2009年11月1日(日)
敦賀
今日は先日お見合いした相手と二人で福井県の敦賀にいってきた。滋賀県北部からはそう遠くない。西福寺という寺の庭をみて、敦賀名物だというヨーロッパ軒のソースカツ丼を食べて、港の整備されてある辺りを歩いて、平和堂最上階の映画館で邦画『沈まぬ太陽』を見た。相手の女性は自分からは何も話さなかった。帰り着くまぎわに車内で「今日は一日いっしょに過ごしましたけど、どうでした?」とたずねると女性は「なんかぜんぜんしゃべれなくて・・・」とうつむいて言った。そして待ち合わせ場所だった駐車場に着くと頭を下げながらあわただしく僕の車を出ていった。
2009年10月25日(日)
他人を見下す特別な人
三週間前にお見合いをした。町の結婚相談所のトミナガさんという老人に紹介してもらった。明日その相手とはじめて二人だけで会う。僕の気持はニュートラルか、ちょっとひき気味だ。1から10までの数字であらわすなら4だ。結婚したいのかどうなのか自分の意思を確認しないままお見合いした。結婚するなら特別な人がいい。理由は僕が自分のことを特別な人間だと思っているからだ。たぶん特別な人は特別な人と結婚する。でもトミナガさんが紹介してくれる女の人たちは特別ではなく普通の人たちのように思う。僕がいう特別というのはけっきょく、いっぱい人がいるなかで自分で動かせるのは自分だけなので、その意味で僕は自分のことを特別な存在だと考えている、ということなのだろうか。そうだったら誰もが当人にとっては特別だということになり、僕は自分のことを特別だと思っている大勢のなかの一人ということになる。それはたぶん妥当な考えだけれどおもしろくないし本当でもない。やっぱり僕は自分のことを、自分のことを特別だと思っている大勢とも違う、とどこかで考えている。他の人たちを見下すようなしかたで自分のことを特別だとどこかで考えている。
僕は自らすすんで仕事から疎外されたがっているのかもしれないと気がついた。なぜそんなことをするのかというと、仕事から距離をとることで‘自分’というのがくっきりと姿をあらわすように感じるからだと思う。だから仕事を「風景」のままにしておきたいのだと思う。『日本近代文学の起源』風にいえば。
2009年10月24日(土)
水村美苗(著)『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』
少しまえに話題になっていたようにおもう英語が達者な小説家・水村美苗さんの論考風エッセイ『日本語が亡びるとき』を読んだ。
要約すると、いま世界では英語が<普遍語>になりつつあり、頭のいい人や才能のある人の多くが英語で学問したり、文学している。西洋列強の植民地になる運命をまぬがれた結果、日本は日本語を<国語>とする国になり、日本語で学べる大学をもつようになり、豊かな日本近代文学も生まれた。けれど、たとえば今の日本の文学に見られるのは「遊園地のように、すべてが小さくて騒々しい、ひたすら幼稚な光景」ばかりで、このままでは日本と日本語は世界の中から孤立し亡びてしまうだろう。もし日本が日本語とともに抱き合うようにして亡びてしまうのを避けようとするなら、つぎの三つの選択肢がある。T<国語>を英語にしてしまうこと。U国民の全員がバイリンガルになるのを目指すこと。V国民の一部がバイリンガルになるのを目指すこと。このなかで最も現実的で有効なのはVの道である。世界にむかって意味のある発言ができる少数の優秀なバイリンガルを育てたら、あとは、すべての国民が英語ができるようになればなるほどいいという考えをきっぱりと否定する。そして「気概もあれば才能もある人たちが書いた」日本近代文学をしっかり読み継がせ、すべての国民に日本語が故郷であるという感覚を身につけさせる。日本と日本語を救うにはその道しかないのではないか。
だいたい以上のような内容だった。それとは別に印象的だったのは、戦後民主主義教育によって教えられた平等主義でめくらまされているが、やはり充実した自国の近代文学をもっている非西洋の国は珍しいと書かれている個所だった。<「職業に貴賎はない」などという表現は、「働くという行為そのものの尊さ」を指す表現としてならわかるが、真に受けるように教育されてしまえば、まさに「職業に貴賎」がある現実に眼を閉じさせる。平等主義は、さまざまなところで、私に現実を見る眼を閉じさせた。日本文学について考えるときも、私は大人になっても長いあいだ平等主義的にしか考えられなかったのであった>(p96、97)。子供のころ、家で日本語の近代文学全集をよく読んだ著者はつづける。<もし自分がモンゴル人の少女だったら、自分と同じように『現代モンゴル文学全集』を読んでいたぐらいに思っていたにちがいない。だが、今、こうして振り返れば、当時一人のアジア人の娘が、自国の近代文学全集を読めた―いや、一九二六年に出版された自国の近代文学全集を読めたというのは、ほとんどありえないことだったのである>(p97、98)。<たしかなのは、そう思って世界を見回せば、日本のようにはやばやとあれだけの規模の近代文学をもっていた国は、非西洋のなかでは、見あたらないということである。そして、さらに、たしかなのは―たしかである以上に重要なのは、たとえ世界の人には知られていなかったとしても、世界の文学をたくさん読んできた私たち日本人が、日本近代文学には、世界の傑作に劣らぬ傑作がいくつもあるのを知っているということである。そのような日本近代文学が存在しえたということ自体、奇跡だと言える>(p103)。
僕も、せっかく自国語で読める日本近代文学があるのだから、もっとたくさん、味をかみしめて読まないといけないなと思った。
2009年10月18日(日)
K君の結婚式
K君の結婚式がおわった。披露宴や二次会には知っている人知らない人たくさんの人がやってくる。知っている人のなかには、ずっと会っていなかった小中学の同級生、K君が誘ってくれた飲み会で会ったことのある人、それから僕の会社の別の職場の人も偶然来ていた。別々だったはずの過去がいっぺんに合流してお祭り時間になった。二次会では僕が司会をやらさせてもらったけどあらかじめ作ってきた台本を読むのが精一杯でまったく面白いことを喋れなかった。新郎K君のアドリブトークとカラオケに救われた。K君が最後に歌ったT−BOLANの「離したくはない」という曲でみんな合唱して一番盛りあがった。三次会では僕のことを「きお」と呼んでくる変わった女の子がいた。以下、K君の結婚式に関わることで印象的だった出来事をかきだしてみる。
・二次会BGMづくりでは新婦側の推薦するJポップをたくさん借りてきて取り入れた。スキマスイッチ、絢香、ミスチル、木村カエラ、スーパーフライ、持田香織など
・新婦側の幹事3人と僕とで岐阜のおしゃれ雑貨店に景品の買い出しにいった。女の子3人とのドライブと買物は楽しかった。‘やくとく’とはまさにこのことだと思った
・しかし、最後に地元の電気屋で買ったヒーターと掃除機を、あとで僕がかってに充電機・電池セットとマイクロSDカードに交換してしまったことで騒動がおきた
・僕が、買い出し後にどうもしっくりこないので一人で店にいって品物を交換した、と伝えたら新婦側の幹事から怒りの長文メールが届いた
・他の新婦側幹事からも非難されたため僕は次の日すぐに電気屋にいってまたヒーターと掃除機に交換しなおしてもらった
・それでなんとかおさまったけど、この一件で新婦側幹事との信頼関係を失ったように感じた
・式の前日、僕といっしょに披露宴受付・2次会新郎側幹事をつとめるZ君と、わざとらしくスーツの胸ポケットからのぞかせるためのハンカチーフを探してまわった
・そしてそのあと新郎K君とその友人のSナミ君との4人で昭和食堂というところで飲み食いした。結婚前夜の男だけのパーティーだった
・結婚式当日。二次会幹事のメンバー5人はそのまま披露宴の受付係だった。僕は新婦側の3人にまず「景品の件はすみませんでした」と謝った
・受付ではお祝いを扇子の上に乗せて渡してくる人や、小さな風呂敷に包んで渡してくる人がいてとまどった
・受付していたら突然新郎K君からカメラを渡され披露宴の写真を撮ってほしいと頼まれた
・披露宴の受付、披露宴のカメラ係、披露宴の余興の助演、2次会の幹事と司会。「どんだけー」と思ったけど、頼りにされてるようにも感じて悪い気はしなかった
・披露宴では懐かしい小中学の同級生たちと相席だった。サキオ君、サトウ君、ミズキちゃん、マサユキちゃん
・特にマサユキちゃんは小中学時代とても仲が良かったので会えて感慨深かった。昔の恋人というのに会ったらこんな感じなのだろうと思った
・マサユキちゃんは結婚していた。しっかりした奥さんを連れてきていた。あんな奥さんがもらえたらいいなと思った。でも仕事嫌いの僕にはたぶん無理だとおもった
・会社の別の職場の人を見かけたのでビールを注ぎにいったらとても喜んでくださったように見えた。新婦の叔父さんという立場で夫婦で出席されていた
・新郎友人Sナミ君の考えた余興に僕も参加したけど、これはさっぱりウケなかった。僕がうまくノリノリで台詞を言えなかったせいもあるかもしれないと感じた
・披露宴の最後に新婦のお母さんの激しい泣き顔を見たとき僕もこみあげてきそうになった。新婦Mさんは一人娘さんだそうだ
・披露宴がおわると二次会まで40分ほどしか時間がなかった。場所は同じホテルの最上階だったけど、てんやわんやで準備した
・新郎新婦の入場曲パフュームの「ポリリズム」が鳴りだした途端お客さんたちがクスッと笑うのを見た。別に笑いをとろうと思って選曲したのではなかったけど嬉しかった
・二次会の出席者は40人ちょっとだった。司会は難しかった。余裕がなく、僕が全てをつまらなくしてしまっているように感じた
・それでも抽選会の2等、1等あたりはみんな注目してくれた。驚いたのは幹事のZ君と同姓同名の人がいたこと。2等だったのに僕はZ君と勘違いしてとばしてしまった
・とちゅうで新婦側幹事のKさんが「やっぱ二人をキスさせなあかん」と言ってきた。それで急きょ‘ホンモノは誰だゲーム’をした
・目隠しをした新婦が5人の男の腕を順番につかんでそのなかに混じった新郎を当てる、というゲームだった
・けっこうこだわって作ったBGMだったけど、司会進行に一生懸命でまったく聴いていられなかった
・最後に新郎K君がT−BOLANの「離したくはない」という曲を歌い、それがものすごく盛り上がった
・二次会がお開きになり、新郎新婦が出席者をお見送りしているとき気分の悪くなる出来事がおきた
・新郎K君の友人の一人が、僕がビールを注ぎに来なかったと言って、僕に聞えよがしにK君に怒っていた
・僕はたしかにその人を知っていて、二次会のあいだビールを持っていったほうがいいかなと迷いはしたけど結局いかなかった。この出来事は今でもかなりこたえている
・僕が泣きそうな気持で二次会出席者を見送っていると突然知らない女の子から「なあ、いっしょに写真とろっ」と声を掛けられた
・その後もその女の子は僕に「三次会のお金だして」としつこく迫ってきたりして、なれなれしい感じもしたけど正直やっぱり嬉しかった
・たしかK君のカラオケの時ひと際大きな声援を送っていた女の子できけば‘りえっち’と名乗った。僕がみきおという本名を名乗ると「そしたら‘きお’って呼ぶわ」と言った
・‘きお’なんて30年間呼ばれたことがなかったけど言われてみると面白いあだ名だと思った
・三次会は‘りえっち’が接待してくれたので楽しかった。とても親しげに話してくれるのでメアド交換を申し込んだら「ケータイもってきてない」と言って断られた
・新婦の会社の友人で、日系ブラジル人のサイトウさんという人がテキーラを注文したのでテキーラが流行した。僕も三杯飲んだらだいぶ酔った
・12時ごろだったか、サキオ君とミズキちゃんと三人でタクシーで帰った
2009年10月14日(水)

二次会の打ち合わせ
きのうの夜は僕の部屋でK君の結婚式の二次会の打ち合わせをした。畳の上に散らかっている本などを片寄せ、部屋の隅のほこりをそうじ機で吸い、見られたくないものは隠した。夜の7時半に新婦側の幹事である二人の女の子がやってきた。すこし遅れて僕と一緒に新郎側の幹事をやる男の子がきた。話は当日の予定プログラムをはじめからたどりながら紙の上に問題点を書き出していくというやりかたで進めた。途中で、カラオケを歌うことになっている新郎の友人に電話をかけ何を歌うつもりなのかを尋ねた。話をしているうちに彼も打ち合わせに来ることになった。女子二人男子三人で話しあいは楽しく進んだ。プログラムの最後、新郎新婦が退場するところまで話し合いが終わってしまうと、余興でおこなう抽選会の景品をどうするかに議題は移った。それも大まかに済んでしまうと今度はBGMをどんなものにするかを相談した。女の子たちが、二次会で使えそうな今の一般的なJポップの曲目を紙に書いて持ってきていた。僕は僕で「イエローマジック歌謡曲」というCDを使いたいと思っていた。女の子たちは好きにしてくれていいと言ったけど、僕は迷いに迷って一般的なJポップを主体にしようと決めた。そこまで決まってしまうともう話し合うことがなくなった。時間は10時過ぎだった。僕はよかったらこのあとみんなでご飯でも、という意味も含めて一人一人に「夕飯はたべた?」と尋ねたらみんな食べてきていた。この五人の集まりをこのままここであっさりと解散にしてしまうのは勿体ないと思ったけど「じゃあ、おひらきということで。おつかれさまでした。ありがとう」と僕は言った。一週間後にまたほぼ同じメンバーで景品の買い出しに行く予定なのでその日にちと時間と集合場所を確認した。みんなが帰ってから自分の部屋にもどるとお茶の飲みさしや母が差し入れてくれた梨の残りが目につき寂しかった。
2009年9月27日(日)
「新潮」10月号
中日新聞の文芸コラムで注目の新人と紹介してあった朝吹真理子という人のデビュー小説『流跡』が読みたくなり雑誌「新潮」10月号を買った。『流跡』という小説は名前も性別も定まらない人物が次々と場面転換する冥界のようなところを旅するという話で、つかのまリアリズム小説のようになるところもあるしつかみどころがなかった。おもしろいというか、こんなの書けるのすごいなと思った。
雑誌「新潮」には他に蓮實重彦さんのエッセイも載っていて儲けものだった。先日芥川賞をとった磯崎健一郎『終の住処』を評価するかたちで蓮實さんの物語論がいつもよりいくぶん解りやすく説かれていた。そのエッセイで蓮實さんは「語ること」と「語られているもの」とが無理なく調和しするすると読めてしまうレアリスム小説を、言葉を蔑視しているとして批判しているようだった。
僕も身のまわりの出来事をこの日記に書くときは、普通にするすると読めるようなレアリスム型の書きかたをしてしまっていると思う。でももっと一風変わった書きかたもできるものなら試してみたいと思った。
2009年9月22日(月)
仕事論
N君と会った。僕は最近考えている仕事論を説明した。働く人は二種類に分けることができる。前向きに働いている人と、嫌々働いている人。僕は嫌々働いている人のほうが尊いことをしていると思うと言った。なんでかというと前向きに働く人は自分の目的や欲に従っているだけなのに対し、嫌々働く人は自分がしたくないことをやらなければならないというとても困難な状況におかれているからだ。だから同じ内容であっても、嬉々として働く自己実現派の仕事よりも、嫌々働く自己疎外派の仕事のほうがより困難で尊いということになりはしないか? 僕はN君にそんな話をした。するとN君は僕とは反対のことを言った。自己実現派はモチベーションが高いので自己疎外派より質の高い仕事をする。たとえば10個つくるところを11個つくる。それは会社のためにもお客さんのためにも自分のためにもなる。確かにそうなると10個しかつくれない人の立場を悪くすることになるかもしれないが、それでもどちらが良いことをしているかは明らかだ、お前も10個より11個つくれる人のほうが偉いと思うやろ?と言った。僕は意地を張って同意しなかった。宇宙的な規模ではどちらが偉いかはわからない、と答えた。すると間髪いれずN君は宇宙的な規模って、いったいそれは誰や?とあきれて言った。僕は答えられなかった。ただ、嫌々仕事をしている人のほうが尊い、と考えることで、僕自身や嫌々働く人が救われることになると思うと言った。
実際には嫌々働く人も必ずいくぶんかは自分のために仕事をしている。お金のためとか、世間体のためとか、上司や同僚に怒られないためとか、あるいは、自分は尊いことをしていると酔いしれるためだとか(道徳的マゾヒズムというのかもしれない)。だから本当に尊いおこないを実行するのは不可能だ。
2009年9月21日(日)
嬉しかったことを書きつらねた
今日は夜勤明けで休日の入口だ。こういう日はネットで囲碁をしたくなる。ウキウキしていて普段よりも強い。さっき強さ1430くらいの人をやっつけてしまった。僕は強さ1380から1400になった。ヤフー囲碁の中級クラスの部屋でもやっていけると感じた。僕はネット囲碁でいい試合をして勝つとすぐにパソコン画面を携帯電話のカメラで撮る。そしてあとでなんども携帯電話をひらき、僕が勝った終局図を眺めては『あんなこともあったなぁ、こんなこともあったなぁ、でも最後は勝ったなぁ』とその一局を思い返し喜びを噛みしめている。
小中学校の同級生K君から、K君の結婚式の二次会の幹事を頼まれた。光栄なことで誇らしい。幹事はほかにも4人いて、このあいだK君の新しいアパートで顔合わせを兼ねた幹事会が開かれた。なんとなく僕が幹事長的な立場になり司会もやることになった。幹事は新郎の友人2人と新婦の友人3人で、僕はこれから打合せを重ねることで新婦側の女性たちと仲良くなれたらいいなと思った。その夜は新郎新婦のK君とMさんに寿司やお酒でもてなされて、みんな僕をもちあげてくれるので楽しいひとときだった。でもこれからがちょっと頑張らなければいけない。結婚式までの約1ヶ月でいろんな人と折衝したり決断したりスピーディーに行動したりしないといけない。
それで家に帰ってとりあえずBGMを考えた。新郎新婦の好きな音楽を、とも考えたけどやっぱり僕は自分を殺すことができない。コンポでいろいろ手持ちの音源のなかから聴いていたら『イエローマジック歌謡曲』という3枚組のCDを主体にしたくなってきた。80年代のテクノ歌謡ポップスが満載だ(でもこれは近所のM君からCDを借りなければならない)。それとレンタルショップで借りてきた結婚式用のピアノ曲集とを組み合わせ、最後は相対性理論のアルバム『シフォン主義』から「LOVEずっきゅん」というちょっと切ないロックナンバーで締め括ろうと思った。
音楽といえばもうひとつ。僕はラジオ番組でかかる曲を録音して気に入ったものだけを集める趣味をもっているけど、おとつい、NHK−FMの番組から録音したスザンヌ・ヴェガ(ベガ)という女性の曲がとても気に入り『これは残しておこう』と思ったのに誤って番組ごと消去してしまった。ハードディスクなので消去はあっというまに完了し途中停止はできなかった。僕は自分の部屋でひとり頭を抱えごろんとうずくまった。この悲しみはたぶん1年くらいは尾をひくような気がした。だから間もなく買おうと決めた。そう決めたら楽になった。さっそくアマゾンで調べたら『プリティ・イン・ピンク 恋人たちの街角』(1986米)という青春映画のサウンド・トラックCDにその曲が入っていることがわかった。そのサントラCDには僕が知っているものではニュー・オーダーとかスミスとかの曲も入っていて、どうやらソフトなニューウェーブ・コンピとでもいえそうな代物であることがわかり、思わぬ発見に興奮しさっそく注文してしまった。今日か明日かには届くとおもうので今がいちばん心が弾んでいる。
二次会の音楽はなんとなく日本の曲ばかりでやりたいと思った。新郎のK君のキャラもあるけど、そういう場所で英米の音楽がかかっているとちょっとうそ寒くなる気がしたからだ。昔から英語もわからないのに洋楽を聴いていることについてどこかやましいような気持ちを抱いてきた。『僕はたぶんカッコいい音楽を聴いている』という自負はあるんだけど簡単には他人に自慢できないと感じてきた。ポストコロニアル関係の本を読むなどして、僕が英米の音楽を聴いていることにはどうやら政治的な意味があるらしいとわかった今では、そのやましい気持ちを忘れなかったことは正しいと思うようになった。
2009年9月12日(土)

「日本の表現主義展」と帰りの電車
今日は「日本の表現主義展」という美術展覧会を見に一人で名古屋市美術館にいってきた。表現主義というのは20世紀はじめにドイツをを中心にして芸術の分野で盛りあがったムーブメントで、リアリティとか伝統とかをとりあえず無視し、とにかく自分の思いのたけを画布やら映画やら建築やらにぶつけて表現するという運動だったと僕は大ざっぱにとらえている。カンディンスキーの初期の抽象絵画とか、映画では『カリガリ博士』(1919年)や『メトロポリス』(1927年)なんかがよく引きあいに出される(僕はいまフリッツ・ラング監督の『死神の谷』(1921年)がとても見たい)。僕はその運動中に生まれた作品が好きだけど、考えてみれば表現主義は先日読んだ『日本近代文学の起源』で柄谷さんが分析しその起源を明らかにしようとしていた「自己表現」型芸術の最たるものだ。でも表現主義の作品には自己表現に溺れるのではなく、それを極端まで推し進めて異様な迫力を獲得したり、それを通り過ぎてなにか違うものになってしまったりしているものがあると思う。だから僕は表現主義の作品に僕自身の「内面」を突破させてくれるような驚きを求めているのかもしれない。
僕なりに立派な前置きを書いたけど「日本の表現主義展」は物足りなかった。もっとたくさん見たかったし、もっと激しいものが見たかった。代わりに一階の小部屋でこじんまりとやっていた「放課後のはらっぱ 櫃田伸也とその教え子たち」という展示が気にいった。なにより櫃田伸也(ひつだのぶや)という人の絵が好きになった。図録の解説に書いてあったから気がついたけどサイ・トゥオンブリの絵に似ていた。サイ・トゥオンブリがキュビズムっぽい歪んだ風景画を描いたらこんなふうになるかもしれないという絵だった。アルフレッド・ウォリスの港の絵とも歪みかたが似ていた。僕ももういちどキャンバスに絵を描いて県展に挑戦してみようかなと思った。
名古屋から滋賀県に帰る電車のなかは混んでいて長いこと入口の辺りに立っていた。近くにずっと抱き合っている若い男女がいて、何やら喋りながらときどきキスしていた。男の子は茶髪にダボッとしたジーパン姿、女の子は太ももも露わなホットパンツに、今よく見かける樹脂でできた穴だらけのスリッパを履いていた。他の立っている乗客たちは目を背け気味で、混んでいるのに二人から距離をあけていた。男の子は「(電車のなかが)静かやな。新大阪から大阪のあいだはうるさくてしゃあないけど」などと言って女の子を笑わせていた。僕は音楽を聴こうとおもっていったんウォークマンのイヤホンを耳にはめたけど、男の子が自動車部品工場での仕事の話をはじめたので再生ボタンを押さずに耳を澄ませた。男の子の働く工場は完全なライン式になっているみたいで、グループリーダー(‘ジーエル’と男の子は言っていた)がラインのスピードをコントロールしている。はじめはゆっくりだけど、そのうちグループリーダーが「よし、そろそろ(ライン作業者の)体があったまってきたなー」と言ってベルトコンベヤーかなにかのスピードをちょいと上げるのだそうだった。そうすると作業者はあわてると男の子は可笑しそうに話していた。グループリーダーの勝手さを女の子が笑うと、「でもジーエルになるには30年かかる」と男の子は女の子に諭すようにつけくわえた。二人は最後まで抱き合っていて大垣で手をつないで降りていった。
2009年9月4日(金)

自己疎外と崇高なおこない
今週から金曜日が休みになるかわりに毎日二時間の残業が義務づけられた。だからひさしぶりに10時間働くせいもあったと思うけどきのうの仕事はしんどかった。とにかく機械にトラブルが多い。そして僕はトラブルが起きていることに気づけない。一日がやっとのことで終わって、製品チェックをしてみたらある機械で鋳造した1000個近くの製品のうち半分が不良だったとか、そういうことがざらに起きている。
きのうは仕事をしながらひとつ気がついたことがある。自己実現の反対は自己疎外だということだ。人によって割り合いは違ってくるだろうけど、おそらくみんな100%自己実現と100%自己疎外とのあいだで仕事をしている。モチベーションの高い状態が100%自己実現、モチベーションの無い状態が100%自己疎外。僕はきのうの仕事の終わりごろ、機械の掃除ででたたくさんのアルミの端切れをコンテナのなかに放り込みながらその時の自分が完全な自己疎外状態にあると感じた。そしてこれだけやりたくないことをやっている人はそうはいないのではないかと一人で思いあがり少し悦に入った。100%やりたくないことをでもやる、そんなことが人間に可能なのか。遠いところからカントの定言命法のように「オマエはそれをやらなければならない」という厳命でもくだっているのだろうかと考えたら自分がとても崇高な行いをしているような気がした。
2009年9月4日(金)

柄谷行人(著)『定本 日本近代文学の起源』(2008岩波現代文庫)
『日本近代文学の起源』を読んだ。この本は1980年に単行本が出ていて、前に読んだことがあったけど本屋で新しく文庫になっているのを見てもう一度読みたくなった。「自己表現」とか「内面」とか、僕が素朴に信じていた事柄が実は日本では明治時代に発生したまぼろしかもしれないという話はおもしろかった。内面はまぼろしかもしれないけど、僕はその内面に閉じこめられていて外に出られない。
また同じ明治期に質的空間を等質化することで登山が可能になったという話もおもしろかった。僕は最近「質的空間」に興味がある。たとえば同じスーパーでも、近所の人にとってのその店と、旅行者にとってのその店とでは意味合いが違う。また同じ距離にあっても道が混むところは感覚的には遠いわけだし、高速道路でブッ飛ばせるのなら近い。サッカーをしている人にとってはコートが全世界だし、囲碁をしている人は碁盤が全世界になる。だから人間にとっての場所とか空間は等質ではなく、各点がそれぞれ違う意味をもち、拡がったり縮んだり、観念の世界にワープできたりする。僕は最近そういう質的な空間に興味がある。
以下抜書き。
<第1章 風景の発見>
山水画家が松を描くとき、いわば松という概念を描くのであり、それは一定の視点と時空間で見られた松林ではない。「風景」とは「固定的な視点を持つ一人の人間から、統一的に把握される」対象にほかならない。山水画の遠近法は幾何学的ではない。ゆえに、風景しかないように見える山水画に「風景」は存在しなかったのである(p21)
幾何学的遠近法は、客観のみならず主観をも作り出す装置なのである。しかるに、山水画家が描く対象は一つの主観によって統一的に把握されたものではない。そこには一つの(超越論的)自己がない。文学におきかえていえば、そのことは、透視図法のような話法が成立しないならば、近代的な「自己表現」という見方が成立しないということを意味する(p23)
たとえば、国木田独歩の『武蔵野』や『忘れえぬ人々』(明治三一年)においてはありふれた風景が描かれている。ところが、日本の小説で風景としての風景が自覚的に描かれたのは、これらの作品が始めてであった(p24)
ここには、「風景」が孤独で内面的な状態と緊密に結びついていることがよく示されている。この人物は、どうでもよいような他人に対して、「我もなければ他もない」ような一体性を感じるが、逆にいえば、眼の前にいる他者に対しては冷淡そのものである。いいかえれば、周囲の外的なものに無関心であるような「内的人間」
inner man において、はじめて風景が見出される。風景は、むしろ「外」をみない人間によって見出されたのである(p28、29)
同時にモナリザは、不可避的なことだが、風景から疎外された最初の人物(絵画における)である。彼女の背景にある風景が有名なのは当然だ。(中略)それは、中世の人間たちが知らなかったような自然、それ自身の中に自足してある外的自然であって、そこからは人間的な要素は原則的にとりのぞかれてしまっている。それは人間の眼によって見られた最も奇妙な風景である(p32)
たとえば、ヨーロッパにおいて、「風景の発見」が全面的な規模で生じたのはロマン派においてである。『告白録』のなかで、ルソーは、一七二八年アルプスにおける自然との合一の体験を書いている。それまでアルプスはたんに邪悪な障害物でしかなかったのに、人々はルソーが見たものを見るためにスイスに殺到しはじめた。アルピニスト(登山家)は、まさに「文学」から生まれたのである。(中略)柳田国男がいうように、登山は、それまでタブーや価値によって区分されていた質的空間を変形し等質化することなくしてありえないのである(p32、33)
私は、風景が実際の対象(美的な)を斥ける、またはそれに対してまったく無関心な「内的人間」によって見出されたと述べた。国木田独歩が示すのはそのような転倒である。だが、本当に重要な転倒は、崇高が対象の側にあると考えるときに生じる。いいかえれば、人々はそれが不快な対象であったことを忘れて、それ自体が美であると思いはじめるのである。そして、人々はそのような風景を描く。それがリアリズムと呼ばれる。しかし、それはもともとロマン派的な転倒のなかで生じたのである(p34,35)
「たとえば、デュシャンが美術展に「泉」と題して、ありふれた便器を提出したとき、カント的な問題を再提起したのである。われわれは便器を日常の用途によってしか見ない。しかし、もしそのような「関心」をカッコに入れて見るならば、便器はたとえば「泉」のように見えてくるだろう。(中略)近代文学は旧来の慣習的な見方を斥けてものを見ようとした。しかし、それは、旧来の文学に慣れた人たちにとっては、むしろ便器を提示するようなものであったにちがいない。ところが、いわば便器のようなものが間もなく尊敬の眼で見られるようになったのである」(p314中国語版への序文から)
ロシア・フォルマリズムの理論家シクロフスキーは、リアリズムの本質は非親和化にあるといっている。つまり見なれているために実は見ていないものを見させることである。したがって、リアリズムに一定の方法はない。それは、親和的なものをつねに非親和化しつづけるたえまない過程にほかならない。この意味では反リアリズム、たとえばカフカの作品もリアリズムに属する。リアリズムとは、たんに風景を描くのではなく、つねに風景を創出しなければならない。それまで事実としてあったにもかかわらず、だれもみていなかった風景を存在させるのだ。したがって、リアリストはいつも「内的人間」なのである(p35,36)
われわれが「現実」とよぶものは、すでに内的な風景にほかならないのである、結局は「自意識」なのである。小林秀雄がたえずくりかえしてきたのは、「客観的なもの」ではなく「客観」にいたろうとすること、「自意識の球体を破砕する」ことだったといえる。だが、そのことの不可能性を小林秀雄ほど知っていた者はいない(p40)
私がここでなそうとするのは、しかし風景という球体から出ることではない。この「球体」そのものの起源を明らかにすることである(p40)
<第2章 内面の発見>
国木田独歩にとって、内面とは言(声)であり、表現とはその声を外化することであった。このとき、実は「自己表現」という考えがはじめて存在しえたのである。それ以前の文学について、「自己表現」として論ずることはできない。「自己表現」は、言=文という一致によって存在しえたのだ。だが、独歩が二葉亭のような苦痛を感じなかったのは、「言文一致」が制度であることが意識されていなかったということである。そこでは、すでに「内面」そのものの歴史性・制度性が忘れさられている。いうまでもなく、われわれもまたその地層の上にある。われわれを閉じこめているものが何であるかを明らかにするためには、その起源を問わねばならないが、その鍵は、「言葉」が露出すると同時に隠蔽されたこの時期をさらに検討することにある(p46,47)
スタロバンスキーは『透明と障害』のなかで、多義的なルソーのテクストに、一つの明確な視点を与えた。それは「透明」という問題にかかわる。ルソーにとって、自己意識だけが透明なものだと、彼はいう。それは自己自身にとっての直接的な現前性のみが透明で、それ以外のものは二次的であいまいで不透明だということである(p72)
これは『牛肉と馬鈴薯』では、もっと極端にあらわれている。主人公の岡本は、「驚きたい」という「不思議なる願」をもつ。彼の願いとは、「宇宙の不思議を知りたいといふ願ではない、不思議なる宇宙に驚きたいといふ願」であり、「死の秘密を知りたいといふ願ではない、死てふ事実に驚きたいといふ願」であり、また、信仰そのものではなく「信仰無くしては片時たりとも安ずる能はざるほどに此宇宙人生の秘儀に悩まされんことが僕の願」なのである。
国木田独歩は、自分が自分から隔てられているように感じている。そこに不透明な「一種の膜」がある。「驚く」ということはそれを突破することであり、「透明」に到達することだ。そこには、まるで「真の自己」なるものがあるかのような幻影が根をおろしている。この幻影は、「文」が二次的なものとなり、自分自身にとって最も近い「声」―それが自己意識である―が優位になったときに成立する。そのとき、内面にはじまり内面に終るような「心理的人間」が存在しはじめるのである(p75)
2009年8月31日(月)

絶交の危機
盆休みの間ずっと近所のM君から連絡がなかったので気になり、休みが明けてから「最近どうしてるー?」とメールしてみた。すると二時間後に「最近は勤務続いて休みも寝てます。このあいだ、哲学日記を過去3年くらい読んで凹んでます。迷惑かけてマスナ」という返事がきた。僕はまずいと思った。絶交の危機だと感じた。このホームページの日記にはM君への悪口ともとれる文章をけっこう書いている。このホームページを始めたころに一度M君から自分の事は何を書いてもらってもいいという言葉質をもらっているとはいえ、そのとき本人はたぶん軽い気持ちで答えただけだったと思う。僕はおそるおそる「だいぶ疲れてるみたいやね。日記読んでくれたんや・・・。ありがとう。失礼なこと多く書いてごめん。また遊んで」とメールした。すると「哲学日記は、今まで通り書いてクダサイ。実際、間違いは無いと思うので。仕事はシンドイけど、やっていけそうやし」という返信があった。僕は「ありがとう。仕事がんばって。余裕ができたらまたどっかいこ(笑顔)」とメールした。「仕事がんばって」という言葉は自分で送っておいてそらぞらしい気がした。7月30日の日記で僕は最近介護の職に就いたM君について「頑張ってほしいけど辞めてもほしい」と書いているからだ。本当に反省していたら過去の日記を読み返し、そういう部分を削除するのだろうけど僕はしなかった。
次の日の夜にM君から電話があり会うことになった。僕がM君の家に行くと、これからH君の家にいこうと言われた。H君はM君の友達で小学校中学校で僕も一緒だったので知っている。体が大きくて優しくて僕も気楽に話せる子だ。米原のH君の家に着くと誰も使っていないという離れに招かれ、そこでゆるい会話を2・3時間楽しんで帰った。「やっぱ三人で喋ると話がおもわぬ展開しておもしろいな」と帰りの車を運転しながらM君は言った。お互い最後まで日記の件については触れなかった。
2009年8月25日(火)
盆休みの思い出
一週間近くあった盆休みが終わる。考えたくないけど今晩から夜勤がはじまる。
盆休みの一番のハイライトは木曜日だった。昼からいろいろあって、とにかく最後に僕の部屋で、Y君とT君とT君の奥さんと僕とKさんという人とで話をしたり、絵を描いたりして遊んだ。絵のお題は「未来の人間」「未来の服」「ドラゴンボールのシェンロンがこんなだったら」の三つだった。三つ目のシェンロンのお題が終わったらもう深夜三時頃だったのでお開きになった。
きのうの土曜日は夜にY君が再び来てくれて主にゲームをして過ごした。ウィースポーツリゾートとか。夕飯を食べに近くの中華料理店に行った。小さな店で、料理人と給仕係の若い女性の二人だけしかいない。二人とも中国人だと思う。でも安くてメニューも多く、流行っていないけど居心地のいい店だと思っていたのでY君を誘った。「給仕の女の人になんか愛嬌がある」と僕は店に入る前にY君に言った。店に入り席に着くとその人が水を持ってきてくれた。彼女が去っていくとY君が「あれか? ・・・柴田理恵やん。もっとかわいいかと思った」と言った。全然気づかなかったけどたしかに柴田理恵にそっくりだと思って笑ってしまった。焼きビーフンを辛さひかえめと言って注文した。しばらくして給仕の女性が焼きビーフンを運んできた。そして「ヤきビーフンでース。ぜンゼンからくナイかもしレナイ」と言ってニコッと笑った。彼女が去るとY君は小声で「ヤきビーフンでース。ぜンゼンからくナイかもしレナイ」と口真似したあと「たしかに癒されるかもしれん」と言った。
2009年8月16日(日)
対局時計を買った
対局時計を買った。まえまえから父親と囲碁をやるのに対局時計があれば盛り上がるだろうし、早打ちの練習にもなると考えたからだ。さっそくさっき父と持ち時間30分でやってみたら、時間が気になって碁盤が広く見渡せない気がした。ほかにも全然関係ない気がかりなことがあったので時計のせいばかりではないと思うけどあまりゲームに集中できなかった。二回戦って一勝一敗だった。
今回買ったのは、12時のポイントに小さなクサビがぶら下がっているアナログタイプの対局時計で、分針が12時に近づくとだんだんクサビが針によって持ち上がり、過ぎると落ちるような仕掛けになっている。もしクサビがぶら下がっていなかったら、いつ針が12時のポイントを通り過ぎて時間切れになったのか毎回哲学的な議論が必要になるかもしれない。制限時間内に<一瞬>を足しても制限時間内に変わりないのだからこの世に制限時間の外はない。これは「ハゲの人に髪の毛を一本足してもハゲに変わりはないのだからこの世にハゲでない人はいない」という考えさせられる屁理屈の変形だ。そんな屁理屈を問答無用にしてしまうのが、12時のポイントにぶら下げられたクサビで、だから、あのクサビというのは一体なんなんだろうなと思う。連続した時間を断ち切るカミソリのようなものなんだけど、そこで本当に時間は切れたと言いきれるのか、ナゾが残る。
2009年8月8日(土)
村上春樹(著)『1Q84』(2009新潮社)
とても売れていて話題にもなっている村上春樹の新作長編小説を買って読んだ。二つのストーリーが代わる代わる進行していくというつくりで、1984年のある日に時間のポイントが切り替わり、それぞれのストーリーの主人公二人がどこか偽物っぽい「1Q84年」に迷い込んでしまうという話だった。家庭内暴力を憎む資産家の老婦人や、宗教団体「さきがけ」と全てを見通すそのリーダー、そして「さきがけ」から逃げてきて不思議な物語を語るふかえりという少女が登場するなど賑やかな内容で、SF、ファンタジー、スパイ小説、形而上学、ほかいろんなものが一杯詰まった総合的な小説だった。また文章が簡単で使われる言葉に偏りがなく、巧みなたとえが連発されるのも特徴だと思った。後半、「さきがけ」のボスと主人公が対峙する場面は映画『地獄の黙示録』のクライマックスみたいでもあった。ただ、登場人物がみんな都会的で清潔なので(牛河という男は例外かもしれない)、こぎたない田舎者の僕はこの小説から除け者にされているように感じた。
作中に出てくる二つの言葉が気に入った。「物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない」(下巻p33)。もうひとつは「説明しなくてはそれがわからんというのは、つまり、どれだけ説明してもわからんということだ」(下巻p181・182)。ああそれともうひとつ、小説の冒頭に掲げられている「ここは見世物の世界/何から何までつくりもの/でも私を信じてくれたなら/全てが本物になる」という言葉もいいなあと思った。
2009年8月5日(水)
キス
・近所に住む幼なじみのM君がとなり町の介護老人保健施設に就職した。僕が四日でへこたれた仕事だ。頑張ってほしいけど辞めてもほしい。
・とある人たちとヘルスというところに行った。知らない女の人と抱き合いたくさんキスをした。キスが好きになった。
・映画を借りて見た。
『デジャヴ』(トニー・スコット監督2006米) 四日前が見れたり行けたりする装置を使い「起こってしまった犯罪」を防ぎとめようとする話 ★★★
『ゾディアック』(デヴィット・フィンチャー監督2006米) 実際にあったサイコ的連続殺人事件を、主に警察や記者の側からリアルに描いた作品 ★★★
2009年7月30日(木)
火傷
アルミ鋳造の仕事をはじめて二か月と経たないのに二か所火傷をした。左腕と首すじ。火傷の傷あとは一生消えない。そう思うと取り返しのつかないことをしてしまっているようで悔しくなる。と同時に、もう30歳だし、いずれ死んで焼かれるのだからもうあきらめようと考えたりもする。
2009年7月21日(火)

仕事の失敗と合コンのてんまつ
頭の中が離散的になっていてなにも重要なことが考えられない。なにが重要なことかわからない。
先週は夜勤の週だった。その週の最後の最後に後味の悪いことが起こった。夜勤の者は朝方、一度機械を停止させ、生産物の数を切り、簡単に機械の周りを掃除し、再び機械をたちあげ、日勤の人にバトンタッチすることになっている。その日の僕もそのとおりに事を進めたけど、機械をたちあげた時にひとつ重要なスイッチを入れ忘れていた。生産物の中心に大きな穴を開ける装置のスイッチだ。たちあげ時に生産物をじっくりチェックしていたつもりだったのに、その大きな穴が開いていないことに全く気づかなかった。バカだ。ぬけている。さいわい、たちあげて約30分後に自分で気づくことができたけど、主任にすぐ機械を停めるよう指示され、穴のない生産物の混じりこんだパレティーナに要選別の赤看板をかけてどかすよう言われた。もう朝礼も終わり、日勤とのバトンタッチの時間も過ぎていた。再び機械をたちあげてから帰ろうかとも思ったけど、すごく疲れて帰りたくなっていたし、再びたちあげ時にトラブルを起こしてしまうことも考えられたので、日勤の人に「もう帰ってもいいですか」と尋ねたら、「そう言われるとちょっと待てよと言いたくなる。こういうときは『おさきっ』ちゅうて帰ってもたらええんや」と言われた。怒られているのか優しくされているのかわからなかった。それで僕はいろんなことを放っておいたまま帰ることにした。帰れば土日の休日が待っていたけど、なにせ後味が悪い休み入りになった。
先日、とある合コンに呼んでもらった。はじめて母親に「合コン」と言って出かけた。僕はここ3、4年で何度か合コンを経験したけど、いつも不毛に終わっている。たぶん僕の、人と接する姿勢に問題があるような気がしている。たとえばみんなは自己紹介のとき、下の名前だけを名乗る。「サナエです」とか「タケシです」とか。僕はそれが恥ずかしいのでつい「田辺です」と言ってしまう。これでまずみんなとの距離が生まれる。そしてどうしても、同い年でも年下の人にでも敬語を使ってしまう。これもまずいようだ。
その日の僕の向かいの席には二人の可愛らしい歯科衛生士さんが座っていた。25歳。5歳年下。歌手グループのエグザイル、なかでも丸坊主の隣の人が好きだと言っていたけど僕にはわからなかった。僕らのときは光GENNJIだったと言ったらちょっとウケた。雑誌キャンキャンを読み、よく名古屋に買い物にいくと言っていたので、「そういえばその巻き毛が名古屋っぽい」と言ったら、<巻き髪>と言うのだといって笑われた。合コンがそろそろ終わりに近づき、なんだか携帯番号交換タイム特有のそわそわした空気になってくると、二人は横を向いてお喋りをはじめた。どうも僕から携帯電話を差し出されることを恐れているようだった。でもさっきまで、男だったら自分からいかないとだめですよと僕に忠告さえしていた二人だったので、勇気をだして「よかったら番号交換・・・」と小さい声で切り出してみたらそっぽを向かれた。店の外にでて、せめてお別れの挨拶でもと思って近寄ったけど、そこでも目を合わせてもらえなかった。
おわりに幹事さんから、今バーベキューをやっている知り合いがいるので行かないかと誘われた。合コンからは僕を含め5人がそこに流れた。琵琶湖畔のその場所にいってみると、あずまやの中で40歳くらいの、ケンカの強そうな男の人たちが三人で酒を飲んで喋っていた。お昼からはじまっているらしい。ランタンやらバーナーやら虫よけやらテントやらのキャンプ用品が豊富にそろえられていた。僕が立ちすくんでいると、合コンから一緒に来た男の人が「おじゃまします」と言ってあずまやに入っていったので彼を男らしいと思った。合コンからやってきた5人のうち、一対の男女はすでに親密になっていた。別のもう一人の女性はとてもイケイケでおじさんたちにうまく調子を合わせていた。そして僕のたった一人の知り合いである男の幹事さんは疲れきって半分寝ていた。だから孤立無援となった僕はしばらくあずまやの隅に座って押し黙り、このバーベキューに来たことを強く後悔した。するとしばらくして、長髪を後ろで束ねた怖い顔の男の人が途中参加してきた5人を順番に眺めたあと僕を指さし「この子だけ虚弱体質みたいやな。おまえ大丈夫か?」と言って笑った。そのうち筒に入ったポテトチップスがまわってきた。僕が数枚取り出そうとすると「おいタイシツッ、おまえは食べるな」と言われた。僕はびっくりしたけど、「こういうふうに言われるの好きやろ、ガハハッ」と付け足しがあったので救われた。そのあとは、その長髪の人が僕の話をいろいろ面白がって聞いてくれた。僕も調子に乗ってかなり恥ずかしいことまで打ち明けた。20代の半ばを過ぎるまで就職せずぼーっとしていたことや、さいきん一念発起しソープランドにいったけど達することができなかったことなど。そんなこんなで思いのほか楽しく時間が過ぎ、深夜一時半になった。幹事さんの疲労と眠気がもう限界で家に帰るというので合コン組は全員引き上げることになった。こわもての男性たちへの礼儀から印程度にテーブルの上を片づけていると、不意に「気が合うかもしれん」という言葉とともに女性から携帯番号の交換を申し込まれた。親密カップルの女性だった。僕は喜んで携帯電話をさしだした。赤外線通信がうまく通じないのがとてももどかしかった。
それから二日間はその女性が気になってばかりいた。それで我慢できなくなって食事に誘うメールを送ってみた。いろいろな折衝があり、結局その女性と僕と高校の同級生N君の三人で今度ごはんを食べることになった。でもその女性はやりとりの中で「付き合っている人がいる」とはっきり宣言した。
合コンというと俗っぽい感じがするけど僕は面白いと思う。それぞれ異なるしかたで生きている人たちが一同に会しお互いを値踏みしあい気の合う人を探す。参加者それぞれの意識の流れを精密に描いた合コン小説があったらたぶん面白いと思う。
2009年7月12日(日)

何本か映画を観た
『映画の頭脳破壊』という本のなかにでていた映画を中心に何本か借りて観た。
『デス・プルーフ』(クエンティン・タランティーノ監督2007米) 「耐死仕様」のスポーツカーに乗った男が、若い女性たちの運転する車に体当たりしたりされたりする ★★★
『石の微笑』(クロード・シャブロル監督2004仏) 妹の結婚式で出会った正体不明の女の虜になり怖い目に会う会社勤めの青年
★★★
『タロットカード殺人事件』(ウディ・アレン監督2006米) 記者志望の女子大学生とウディ・アレン扮するマジシャンが殺人事件の真相を探るコメディ映画 ★★★
『ジェリー』(ガス・ヴァン・サント監督2002米) アメリカの荒野になぜか分け入り方向を見失った二人の青年が意識も朦朧としてくるなかひたすら歩き続ける ★★
『マラノーチェ』(ガス・ヴァン・サント監督1985米) 好きになったメキシコ人青年になかなか受け入れてもらえないアメリカ人男色青年の話 ★★
『ブラック・スネーク・モーン』(クレイグ・ブリュワー監督2006米) セックス依存症になってしまった女性が孤独な黒人農家に出会い立ち直る
★★
僕の無感覚のせいもあるだろうけど、最近はなかなか『あーおもしろかった』とか『すごいっ』と思える映画に出会えない。今回もそういうのはなかった。でも『デス・プルーフ』の車同士が正面衝突するシーンには驚いた。四人の美女の一瞬の死を、時間を前後させ一つ一つスローモーションで見せる趣向が面白かったし、足がもげたり、タイヤに顔面が削がれたりする映像も酷かった。交通事故はこわいと思った。
2009年7月4日(土)
草刈りボランティア
土曜日は休みだったけど、会社のボランティアで朝の2時間、近くの川の堤防の草刈りをした。まえにいた3課では草刈りボランティアへの参加は任意だったけど、今いる1課では月ごとに参加者が割り当てられているので半ば強制だった。部長さんなども含め30人ほどが集まっていたとおもう。なかに僕がちょっと気になっているけど話したことのない若い女性社員の人もいた。鎌と草刈り機が用意してあった。僕は草刈り機を選んだ。みんなで琵琶湖側から会社のほうへ草を刈りながら堤防を進んだ。はじめは最後尾あたりで恐る恐る草刈り機を動かしていたけど、あとのほうでは周囲に人のいない最前線の未開拓地でおもいきり草刈り機をふりまわした。草刈り機を使うのは今回が二度目で、前回は刃に草がよくからまり思うように動かなかった。でも今回は草刈り機がよかったのか、からまってきてもすぐにほどけた。だんだん夢中になってきて、草刈り機に愛着が湧いてきた。ちょっとだけ自分の草刈り機が欲しくなった。草刈り機はエンジンもついているしバイクに似ている。高級品を買って部屋に飾るのもいいかもしれないとふざけて考えた。途中で10分間の休憩があった。気になっている女性社員から無言でお茶を受けとり、ひとり対岸を向いて腰をおろし飲んだ。背後では会社の人たちが気の合う者どうし柵に腰かけ談笑している。3年以上いるけど会社で仲のいい人は少ない。自分を、国際社会で孤立している北朝鮮のように感じるときがある。後ろで「さーほんならそろそろはじめよか」という部長さんの声が聞こえた。僕はお茶のペットボトルをズボンのポケットにねじ込んで一番最初に立ち上がった。なんとなく会社にケンカを売るような気迫で草を刈ったけど誰も気づかなかったと思う。
土日月と両親は北海道旅行に出かけていた。食べ物がすごくいい加減になった。母親がご飯を一食分ずつラップに包んで凍らしておいてくれていたので、それをレンジで温めて、ときにはイカの明太子あえと、ときには兄夫婦の差し入れの餃子などとで食べた。洗い物は一切しなかった。冷たいジュースを飲み過ぎて下痢になった。居間で寝そべってテレビを見ながらオナラをしたらパンツに下痢がついた。
月曜の朝(今朝)は、仕事に出るのがとても億劫だった。もう会社を辞めたいと思った。でもなんとか歯磨きしてヒゲを剃って、自分でご飯を解凍してイカの明太子あえとで食べて家を出ることができた。ロッカーで作業服に着替えて現場に向かっていたら向こうから係長が出勤してきた。辞めたいですと言おうかとも思ったけどおはようございますと言った。僕はやっぱり全然だめだと思った。三つ子の魂百までだと思った。僕は保育所に行くのも嫌がって母親を困らせた。朝、自動車で保育所まで送ってもらうとき、すでに遅刻なのに泣いて頼んでまわり道をしてもらった時のことを思い出した。
2009年6月29日(月)
アラン・ロブ=グリエ(著)『消しゴム』(1970新潮社、仏での原書は1953年)
アラン・ロブ=グリエの第一作『消しゴム』を読んだ。消化不良気味だけどまずはあらすじ。
運河と港のある、ある地方都市で夜、デュポンという大学教授が自宅でガリナッティという男に銃撃される。デュポンは軽傷だったけど、知り合いの医師や政治家に頼んで自分は死んだことにしてもらう(理由はわからない)。デュポンが死んだものと考えている警察署長は、この事件を、自殺か、近ごろ起きている無政府主義テロ組織による政治要人連続暗殺事件に関わるものだと推理する。そのおり首都からワラスという秘密警官が一人この事件の捜査にやってくる。ワラスは事件現場近くの酒場に宿をとり、幼いころ母親と一度訪れた記憶があるその街をさ迷い、近隣の住民や関係者に話を聴いたり、なぜか、よく消える特定の消しゴムを探し求めたりする。ワラスは調査を続けるうち、殺されたデュポン教授が過去に低い階層の女性と交際したことがありその女性との間に隠し子もいるらしいことがわかってくる。ワラスは事件のちょうど24時間後、<組織>の何者かがもう一度事件現場に現れると考え、デュポン教授の家に潜入する。同じころ、知り合いの医師に匿ってもらっていたデュポンは遠方へ逃走するまえに、こっそり自宅へ重要書類を取りに戻る。事件現場の暗闇のなか、ワラスは予想どおり現れた何者かを射殺するが、それは重要書類を取りに戻ったデュポン教授だった。そのとき、丸一日止まっていたワラスの腕時計が再び動きはじめる。
率直な感想は、まず読むのが疲れた。そして、同じ著者の後の作品で僕が唯一読んだことのある『迷路の中で』と共通するエッセンスがあった。『消しゴム』の面白いところはやはり、ストーリーや作中人物の正体が、もう少しではっきりしないところだろう。教授を殺したのは<組織>なのか息子なのか、ワラスは教授の隠し子だったのではないか、そしてあるいはかつ<組織>に操作されていたのではないか。またガリナッティというのはワラスに先行する影のような存在で、小説で描かれる24時間は虚の時間だったのではないか、とか。実は読んでいるうちにどうでもよくなってきてしんどかったけれど、以下、作中に示される暗示的な言葉、それから原書の裏表紙に書かれていたらしい作者自身によると思われる解説も興味深いので書き写してみる。
≪ときとして、人は犯人を発見しようと熱中するあまり・・・≫人は犯人を発見しようと熱中するが、犯罪は起こっていないのだ。人はそれを発見しようする・・・・(p287)
「ここで問題になるのは、簡明で、具体的で、本質的な一事件、つまり一人の男の死である。これは探偵的な性格を持つ事件だ−つまり、犯人と、探偵と、被害者がいるわけだ。ある意味では、彼らの役割は尊重されてさえいる。犯人は被害者に発砲し、探偵は疑問を解決し、被害者は死ぬ。だが、彼らを結び合わせる関係は、最後の章が終るまで、それほど単純ではない。なぜなら、本書は正しく拳銃の一発と死との間に流れる二十四時間の、つまり、弾丸が三、四メートル走るのに要した時間の−<余分の>二十四時間の−物語であるからだ。」(作者本人によるとおもわれる解説より)
ガリナッティはワラスでもあるし暗殺者でもあるし秘密警官でもあるし犯罪組織に操られてもいるし被害者の息子でもあるかもしれない。また物語は一瞬の出来事だったかもしれないし24時間の出来事だったかもしれない。だから全ては在ったかもしれないし無かったかもしれないし、僕もこの本を読んだのかもしれないし、読んでないのかもしれない。
2009年6月25日(木)
お見合いパーティーに参加した
さっき町の結婚相談所が主催する「ふれあいパーティー」から帰ってきた。町内のとある喫茶店で午前中の11時から3時ごろまであった。男が8人、女性も8人来ていた。はじめに緊張をほぐすため、みんなでタイミングを合わせて手をたたくゲームをやった。そのあと配られた名刺カードに自分の氏名と趣味などを書き、それをネタに席を交替しながら全ての異性と3分間ずつ話した。僕は名刺に名前と、趣味は囲碁、読書、日記、と書いた。気になった人は2人いた。1人は、たまたま向かい合わせで昼食を食べた年上の女性で、漫才コンビ・こだまひびきの口調で「それはないやろ〜」というセリフを言うなどして僕や周りの人を笑わせてくれた。彼女は僕のことを気持ちよくいじってくれて馬が合いそうだと思った。その人は同じ会社の無口な女性と一緒に参加していた。無口な女性はつまらなそうにしていて、パーティーの途中で2人は中座した。僕が気になったもう1人は、一番はじめに向かい合わせになって話した人で、参加女性のなかでたぶん一番若く、きれいで目立っていた。名刺の趣味欄に、散歩、読書、と書かれていた。お互いどんなのを読むか尋ね合った。僕は「まじめな感じの小説とかを」と答えた。相手は「東野圭吾」と答えた。その人も先輩のような友達のような人と一緒に参加していた。先輩はスタイルがよく、活発ではきはきものを言う感じの女性で、余興として行われた子供か老人向けと感じられるゲームにずっと苦笑していた。3分間トークと昼食のあとに、牛乳パックの輪切りを積むゲームやビンゴゲームがあった。一度フリートークの時間もあったけど、1人の男性を除いて誰も席を移動しなった。その男性は僕が気にしていたきれいな女性の向いに座った。
そして最後に、みんなで気に入った人の名前をこっそり紙に書いて、世話役の4人に渡した。僕はこだまひびきの人に心の中で謝りながら、きれいな人の名前を書いた。世話役の人たちは集めた用紙全てに目を通し、1組成立したと発表した。その1組は僕と若い女性、ではなかった。発表を待つ間も話が盛り上がっていた隅のテーブルの2人だった。主催の方が、成立しなかった人もこのあと想いを直接相手に伝えてくださって結構ですよとおっしゃったけど、とてもそんな気にはなれず、『あーふられた』と思いながらパーティーのお開きと同時にそそくさと喫茶店を出た。わずか数分で家に帰ると明日からのきつくて危険な仕事のことが思い出され無惨な気持ちになった。
先日、円F空太郎さんという方からリンクしたというお知らせをいただきました。ありがとうございます。
僕のほうからもリンクさせていただきます。→http://sisaku.iza-yoi.net/
2009年6月21日(日)

男
今日は休みで、また滋賀県立図書館にいってきた。バカのひとつおぼえかもしれないけど、国道八号線を二時間かけて南下し同じ道を帰ってくるだけのドライブが、音楽もたっぷり聴けるしけっこう気晴らしになる。今日はアラン・ロブ=グリエの小説を数冊借りてきた。たぶん返却するまでに一冊読み切るのがせいぜいだろうけど、いまその数冊の冒頭と解説だけをぺらぺら見ていたらけっこう影響されて、僕もヌーヴォー・ロマンを真似して日記をつけたくなった。
朝の8時、男は暗がりのなかの階段をおりてきた。左手に開かれた雑誌を持っている。階段をおりきると男は障子やら柱やらを避けるため小刻みに向きを変え誰もいない二つの部屋を横切った。玄関を取り巻くように二度くの字に曲がっている廊下をすすむと左側に二つの白いドアがある。男はためらわずに二つ目のドアを開け中に入ると一対の男女が描かれた青色の履物に足を入れた。部屋は狭く四方と床が緑のタイル張りになっている。男は手にしていた雑誌を窓べりに伏せて置き、部屋の中央にある穴の空いた陶製の椅子のふたを起こすとすぐに体を反転させ、柔らかい化学繊維でできたズボンと下着を膝のうえまでおろしてから白い陶製の椅子に尻をつけた。男は下腹部に力を入れるのと同時に窓辺に右手を伸ばし先ほどの雑誌を手にとった。雑誌の開かれたページには細かな文字が幾筋も縦にならんでいて、左側のページのはじめに一行だけ大きな文字で‘ロブ=グリエについて’とある。男はしかし読みかけたとみえた雑誌をまた開いたまま窓べりに置くとその下のタイル張りの壁から突きでている円筒形の紙の束に手を伸ばし、表面に浮いている薄い紙をひっぱって五回折りたたんでからちぎった。男は上半身を左前方に傾け、もちあげた右の尻と陶製の椅子との隙間に紙を持った手を差し込んだ。男は放心したように前方の壁に吊るされた厚手の光沢紙に目をやっている。光沢紙の上半分はおそらくどこか欧州のよく手入れされた庭園の写真であり、下半分には30前後の数字が規則的に並んでいる。男は尻と椅子との隙間から右手を抜くと一瞬手にした紙の汚れに目をやり、立ち上がりざまにその紙を椅子の内側の空洞に投げ入れた。紙は空洞の底に溜まっている水の面にしばらく浮かんでいたが、やがてそのいくらかの水とともに下方の暗がりのさらに奥へ吸い込まれていった。
部屋には暗い灰色をした合皮のソファーと、ひざ丈の四角いテーブルと、テレビが置かれた横に長い木製棚が見える。ソファーの上には毛布が畳まれずに置かれているし、四角いテーブルの上には広告やら村のお知らせの紙やらが乱雑に積み重ねられている。天井から吊るされた時代遅れのシャンデリアは5つの丸い蛍光灯からなっているが今は3つしか点けられていない。その明かりの下で男が軽く握った両手を床につき正座して、絨毯のうえに広げられた新聞に目を落としている。男がそこから15キロと離れていないM市のし尿中継槽のなかで汚泥を吸って死んだ若い女の写真を見ていると(女は工場勤めの派遣社員で、何者かに激しい暴行を加えられたあと雑排水槽のなかに落とされたらしい)、男の右前方のドアが開き年老いた女が現れた。女は男に何か言った。男は女に質問した。女は隣のG県の植物公園で催されている世界のバラ展を見に行きたいと言った。男は今日は一日かけて遠方の県立図書館にいきロブ=グリエの本を借りようとひとり意気込んでいたのでバラ展には行けないと断った。そこに、部屋のもう一つの入口から女と同じくらい年老いた男が現れた。年老いた男は午後からであれば自分が年老いた女をバラ展に連れて行けると言った。年老いた女は年老いた男から解放されたいと考えて自分に声をかけたのではないだろうか。男は再び絨毯のうえに広げられた紙片に目を落とすと、今度は左上隅の怠け者の少女が主人公の四コマ漫画を読みはじめた。
2009年6月14日(土)
鋳造の仕事
アルミ鋳造の仕事を四日間終えた。とても大変な仕事だった。マシンの操作もなかなか覚わらないし、掃除や品質確認などの作業に時間がかかり過ぎて教えてもらっている人をイライラさせてしまうし、もうだめだやめたいと何度も思った。
鋳造マシンはいくつかの機械の寄せ集めだった。@アルミを700度に熱して溶かす大きな鍋→Aそこから必要な分のアルミをすくい運ぶ給湯機→B給湯機から注ぎこまれたアルミ湯を金型に押し込む射出機→C金型→D金型で固まったアルミ製品をつかみとる取り出し機→E製品に付いた不要部分を裁断するプレス機→Fそして不要部分を再び鍋に投入する仕掛け。だいたいその7つの機械が順序よく動くことで製品ができる(7つの機械はそれぞれに危険で足場も悪い)。いちおう全自動だけど、ひとり2〜4台のマシンを任せられるし、鍋のなかのアルミ湯の温度・量の管理や、バリを噛んだりしてよく止まるプレス機の世話、製品の品質チェック、機械のチェック・掃除などを人間がしなければならない。
そのほか人付き合いの問題もあるし、来週の夜勤はどうなるか不安だ。
2009年6月11日(木)
鋳造にいくことになった
僕はこのあいだ不景気に伴う人員の異動で製造3課から製造1課に移った。そして製造1課のなかで仕上げ・検査の仕事を三か月ほどしていたけれど、明日の夜勤から鋳造の仕事をすることになった。まだよく知らないけれど、アルミを溶かしたり固めたりする熱くて危険な仕事のようで、外から見ていて壮絶な現場なのでなるべくやりたくないなと思っていたけれど、課長からいってほしいと言われて断ることもできなかった。
今日は土曜日だったけど休日出勤をした。仕上げ・検査の仕事をするのも今日で最後だった。アクセラ・フロントプレートのバリ取りとハクリ削りを僕がやり、それの最終仕上げと検査をTさんがやる。二人で黙々と8時間そればかりやった。昼ごはんは近くのセブンイレブンでパンを三つ買って工場構内のベンチに座りひとりで食べた。休日の工場は人けがなく静かだった。最近はまっている耳栓をはめるともっと静かになった。
朝7時30分ごろ、仕事にいくため家の玄関を出ると、ちょうど小学校にでかける甥と姪に出会うことがある。このまえ僕が二人に「おはよう」と声をかけたら無視された。でも甥はしばらくいったところにある兄の車の陰で待ち伏せしてくれていて、僕が自分の車に乗り込み出発すると後ろから現れ早足で付いてきた。甥が付いてこれるのは車の多い県道に出るまでの短い間だけだったけど、ルームミラーに映る甥のニタニタした顔が嬉しかった。
2009年6月6日(土)
スーザン・ソンタグ(著)『反解釈』(ちくま学芸文庫・1966)
スーザン・ソンタグ(著)『反解釈』を読んだ。スーザン・ソンタグ(1933−2004)はアメリカのかっこいい女性批評家で小説も書いていたらしい。この『反解釈』には、批評、文学、演劇、映画、文化現象などについて彼女が書いた短い文章が20篇以上収められている。批評の素材は多岐にわたるけど、ソンタグのラディカルな考え方や美意識は一貫していると思った。僕の好きな蓮實重彦さんと好みやなんかがとても似通っているとも思った。
特に面白かった文章の内容をまとめ感想を書いてみる。
「反解釈」
芸術とは、それがたとえ抽象作品であっても主体的な表現であっても、けっきょくは現実の模倣であり、その結果<内容>と<形式>をもつので、鑑賞とはそれら芸術作品の<内容>(=言いたいこと)を解釈することだ、という考えかたが批判されている。ソンタグの理想とする芸術は「作品の表面がきわめて統一的で明晰であり、作品の運動がおそろしく迅速であり、作品の訴えかけが実に直接なので、作品はついに・・・・まさにそれ自身となる―そういう」作品であり(例:昔のハリウッド映画、ヌーヴェルバーグの映画)、また理想の批評は「内容への考察を形式への考察のなかに溶解せしめる種類の」ものか(例:パノフスキー、バルト、アウエルバッハ)、「作品の外形を真に正確に、鋭く、共感をこめて描写する」種類のものらしい。
こんな言葉があった。「透明−これこそ今日芸術において、また批評において、最高の価値であり、最大の解放力である。透明とは、もの自体の、つまりあるものがまさにそのものであるということの、輝きと艶を経験することの謂である。これが、たとえばブレッソンや小津安二郎の映画の、あるいはルノワールの『ゲームの規則』の、偉大さにほかならない」
「ナタリー・サロートと小説」
アラン・ロブ=グリエ、ミシェル・ビュトール、クロード・シモン、ナタリー・サロートら、1950年代以降フランスに登場した「新しい小説」(ヌーヴォー・ロマン)の書き手たち。彼らの小説も興味深いけれど、彼らの作品に刺激された批評的エッセイのほうが価値があるかもしれないとソンタグはいう。そんななかナタリー・サロートの書いたエッセイ集を叩き台にして、未来の小説のありかたが探求される。未知の現実を追い求めるのが小説家の務めだとするサロートの考えにたいして、ソンタグはアラン・ロブ=グリエの急進的な小説理論を引き合いに出し、小説というのは「現実」を描くものではなく、科学やスポーツに近いものになっていくべきだとする立場を一応はとっているようだ。
僕はヌーヴォー・ロマンの小説はアラン・ロブ=グリエの『迷路のなかで』以外読み通せたことがない。でも『迷路のなかで』は面白かった。今度は彼のエッセイを読んでみたくなった。
「≪キャンプ≫についてのノート」
ここでソンタグがキャンプと呼ぶものは、山の中でテントを張って行うあれのことではなくて、不自然なまがい物をおもしろがる感性か、そのような感性に好まれるまがい物ことをいう。日本で<キャンプ>という言葉は広まっていないけれど、キャンプ的な感性は普通に広まっている。似た意味の言葉としてドイツ語の<キッチュ>がある。ソンタグの挙げているたくさんの例からなんとなく分かるものをいくつか抜き出すと、映画『極楽特急』『マルタの鷹』、ティファニーのランプ、『白鳥の湖』、キューバのポップシンガーのラ・ルーペ、昔のフラッシュ・ゴードンの漫画、そして特定の日本製SF映画『ラドン』『地球防衛軍』『美女と液体人間』にはキャンプ性があるらしい。今の日本でいえば、ゆるキャラを面白がる感性などが当てはまると思う。そういうものは、おもしろいものとおもしろくないものとの境界がとても際どい。ソンタグは「素朴なキャンプと意図的なキャンプとは区別せねばならない。純粋なキャンプは必ず素朴である。自らがキャンプであることを知っているキャンプは、普通は純粋なキャンプほど面白くない」と言っている。面白いキャンプには素朴さと真面目さが欠かせないというのは参考になるし耳に痛い気もした。
「キャンプ−大衆文化時代のダンディズム−は、珍しいものと大量生産で作られたものとを区別しない。キャンプ趣味は、複製に対する嫌悪感を超越する」(p445、446)。いい文句だと思った。
2009年5月28日(木)
Y君ちにいった
金・土・日と三連休だった。金曜日に京都に住む幼なじみY君のところに車で行った。京都市内を一人で車で走るのは初めてだったのでどきどきした。難しく感じたのは山科から京都に入るときの分岐の多い下り坂と、そのあと京都市内へ入る堀川五条の大きい交差点だった。京都に入ると車線が多いばかりでなく、他の車の動きのテンポが速いと感じた。京都は僕が気楽に車で行ける範囲を超えたところにあり、今回はその自分の限界を超えてみようと思っていた。結果は、京都を克服したというよりは、逆に恐怖心を持つようになった。
昼過ぎにY君の家に着くとY君はプレステでサッカーゲームをしていて、僕に「なんで急に来ようとおもったん?」と訊いた。僕は「こないだ会ったときまた家を見にきてっていうてたやん」と言った。「そうやったっけ」とY君は言った。京都のY君のこの家に来るのは1年半ぶり2回目で、前回は引っ越しの最中だったし、Y君が結婚する前だった。家の中ではY君の物たちと奥さんの物たちとが入り混じりせめぎ合っているように見え、結婚するというのはこういうことなのかと思った。奥さんのTさんは仕事で今晩は遅くなるということだった。同じ会社に勤めるY君は有給休暇をとっていた。昼ごはんを食べに外に出た。小さな洋食店に入ってY君おすすめのピネライスというものを食べた。チャーハンにカツカレーを乗せたその料理を食べることを京都ではピネると言うとY君は言った。店内には矢沢永吉のポスターが何枚も貼ってあった。Y君は「たぶんこの店のひとは矢沢永吉のファンやと思う」と言った。
Y君宅に戻るとウィーでボンバーマンのネット対戦をした。Y君と僕と、そのほか知らない人たちと遊ぶことができた。でもほかの人たちはみんな強くて僕は途中で勝つ気が起こらなくなった。Y君は僕よりは善戦していた。みんなアイテムを取りパワーアップするのが速くて、速くなった足で器用に爆風から身をかわし爆弾をたくさん仕掛けてきた。僕は自分が頭の回転が遅い劣った人間であるような気がした。ボンバーマンに疲れると、ちょっとそこらをサイクリングしようかとなりかけた。でも実行には移さず、Y君が録画していた競馬のレースとお笑い番組を二つ見た。そしてまたボンバーマンをしてから夕飯を食べにお好み焼き屋に行って、それで僕はもう帰ることにした。「けっきょく何もせんかったな」と二人で確認しあった。「こういう日もあっていい」とY君は言ったけど、僕はこういう日ばかりのような気がした。別れぎわに「家に着いたら連絡入れてくれ」とY君は言った。帰りもやはり堀川五条の交差点と山科へ抜ける道が恐かった。滋賀に入ってからローソンの駐車場で20分ほど仮眠した。家に着くと夜の1時だった。「今無事家に着きました。サンキュー☆」とメールしたけど返事はなかった。
2009年5月24日(日)

できるようになった
おとついは苦手だった作業がうまくできるようになり嬉しかった。手のひらほどの大きさのアルミ部品の二つの座面をボール盤を使って一つずつ平らに削る作業だ。まえはどうしても、平らでなければならない場所が波打つようにデコボコしてしまった。高速で回転する刃物を座面に当てるとき、品物がわずかに振動するのが原因で、いわゆる「ビビり」という現象だ。このまえ(4月15日の日記)はだいたい800個中70個以上を駄目にしてしまった。いらい上司や周りの人もその作業については僕をだいぶ不審がるようになったけど、「このままできんのは嫌やろ」と言ってまた任せられた。僕以外の二・三の人たちはみんな簡単そうにやっている。はじめの内はやっぱりなかなかうまくいかなかった。ビビらないよう、品物を押さえる手に力を入れても、品物の向きや持ち方を工夫しても駄目だった。周りの人からは、「長く削ってるとビビる。ちょっと削れたなと思ったらサッと(刃物を)上げなあかん」とアドバイスされる。誰に聞いてもそれだった。だから言われたとおりかそれ以上にサッとしているのにどうも座面がきたない。きたないのでもう一度削り直すと余計きたなくなる。泣けてきそうになった。ヒントはNさんの手本を見たとき得られた。Nさんは上手いし百発百中なのにすごくゆっくり刃物を下ろしていた。僕はそれを思い出し、1個を不良にする覚悟ですごくゆっくり刃物を下ろしてみた。そしてサッと上げる。仕上がりを見ると、♪パッカパカパー!、きれいだった。そのやり方でやると次の物も大丈夫次の物も大丈夫、どれだけやっても座面はきれいだった。『僕はコツをつかんだ』と実感し晴れ晴れとした気持ちになった。Nさんが見に来たときに僕は顔を上げて「できるようになりました」と報告した。Nさんは「な、言うた通りやろ」と言った。Nさんからは品物を持つ向きを変えるよう指示されていた。僕は『ちがうんですちがうんです、刃物をそっと下ろすことがコツだったんです』と涙目になって思った。
2009年5月16日(土)

「この世界で大人になった」
BS20周年記念として放送された、BS世界のドキュメンタリー「シリーズ この世界で大人になった」(全三回)がおもしろかった。
第一回『瓦と砂金−働く子供たちの13年後−』
ペルーの山岳地帯にあるピニパンパ村で子どもの頃から瓦を作る仕事をして育ったサントスとウィルベル。サントスは家族と暮らし一家で働いていたけど、ウィルベルは他所の村からの家出少年で雇われ人だった。29歳になったサントスは、13年前にテレビの取材が入ったときと変わらず瓦を作り続けていたが、ウィルベルは10年ほど前に村を出て、山を下り、アマゾン流域の村ワイペで苛酷だが収入の良い砂金掘りの仕事をしていた。27歳になっていたウィルベルには18歳の妻と幼い息子がいたけれど、体を壊してからというもの仕事もせず毎日酒場に通い飲んだくれていた。見かねたサントスの辛抱強い説得の結果、ウィルベルの体の治療のため彼と家族はしばらくピニパンパで暮らすことになった。しかし間もなくウィルベルの息子が車にはねられて死んでしまい、ウィルベルは妻と二人でまたアマゾンに戻ってしまった。
第二回『さすらう18歳−中国・黄土高原に生まれて−』
中国北東部・黄土高原のなかほどにある石頭溝村に育った丁翠(ていすい)は成績優秀だったけれど家が貧しく中学進学のための学費が払えなかった。そのつらい日々を取材した番組が2003年に日本で放送され反響を呼び、多くの視聴者から寄付が集まった。その寄付金で丁翠ほか三人の生徒が中学進学を果たしたけれど、町の中学の高いレベルについていけずしだいに丁翠の成績は落ちていった。中学を卒業した丁翠は高校進学をあきらめ、西安にある観光ビジネスを教える専門学校に通いはじめる。しかしその専門学校は講師を先輩学生が務めるなどいいかげんな授業内容だったので学生たちは次々と辞めていき、彼らに合わせるように丁翠も退学してしまった。娘が大学に進学すると強く期待していた家族は失望し、職も定まらない丁翠につらく当たるようになる。家に帰っても居場所のない丁翠は延安郊外の自動車販売店で居候をはじめた。その店(日産)では中学時代の先輩李くんが一人で住み込みの店番をしている。丁翠と李くんは昔その店で一緒に働いたときに知り合い仲良くなった。丁翠がリストラで店を辞めてからも二人の付き合いは続いているが、丁翠の家族は李くんの家が貧しい農家であることから二人が付き合うことに反対している。番組取材中、丁翠は李くんの紹介でホテルの客室係のアルバイトをはじめた。けれども一ヶ月の研修期間後、不景気を理由に採用を見送られてしまう。その後丁翠は新たにレストランで働きはじめたらしいと語りの女性が伝えて番組は終わる。
第三回『僕たちの居場所−コロンビア・平和の戦士たちは今−』
南米コロンビアでは天然資源やコカイン栽培の利権をめぐって左翼ゲリラと政府軍、そしてその他の武装勢力らが半世紀に渡って内戦を続けている。首都ボゴタには戦闘の激しい農村から逃れてきた避難民が多数暮らしているが、彼らは貧しく、避難民の子供たちは幼い頃から働きづくめの生活を強いられている。そんななか、子どもの権利を守るため、子ども平和活動という運動がはじまった。番組は9年前にその運動の中心を担っていた少年少女たちに再び会いに行くという内容だった。9年前と同じようにボゴタの市場で働く24歳になったエルナン。同じく24歳のビリーは単科大学で経営学を学んでいるがまだ卒業後の居場所が定まっていない。平和活動のリーダーの一人で大学を卒業したマジェルリは25歳になった今でも飲料会社で働きながら週末は避難民が多く暮らす地区で地域の問題を話し合う集会を開いている。幼い頃から平和活動の先頭にたち注目を集めていた少女ディリアは現在、国際的な人権活動家になるためイギリスのロンドンに留学し華やかにみえる都会生活を送っていた。「コロンビアのことを忘れたのではないか?」と質問する取材班にたいしディリアは「コロンビアで私を信じてくれている人たちのためにも私は勉強し努力し続けなければいけないけれど、同時に私は楽しんだりするひとりの若者でもいたいんです・・・」と泣きながら答える。
僕は第二回の、中国のさすらう18歳の話に一番心を揺さぶられた。学力不足で親を失望させてしまったやるせなさは僕も同じような経験をしているのでなんとなくわかるし、なにより、アディダスに似たロゴの入った黒いダウンジャケットを着込みほこりっぽい土地を歩く丁翠の表情とたたずまいがとても悲しく孤独だった。
2009年5月8日(金)

三冊読んだ
新書を三冊読んだ。
佐藤勝彦(著)『宇宙論入門−誕生から未来へ』(岩波新書・2008)
相対性理論からはじまりビッグバン理論、最新のブレーン宇宙モデルなどここ100年の宇宙研究の成果が急ぎ足で紹介されていた。時間と空間と物質・重力が一体のものであると説く相対性理論はやっぱり面白いと思った。さらにそこからひとつ進んだ力の統一理論が出来上がったら宇宙のごく初期の様子がわかるらしい。そして現在その統一理論の有力候補となっている超ひも理論とそこから導かれるブレーン宇宙モデルでは、僕らの宇宙は10次元か11次元の時空に浮かぶ膜(ブレーン)のようなものだと考えられているらしい。いま現在たくさんの人が生きているこの宇宙がその始まりも終わりも含めて薄い膜のなかでしかないというのは途方もない考えだと思った。細かい理屈はさっぱりわからなかったけれどイラストの助けもあって最新宇宙理論の壮大なイメージがなんとなくつかめた。
F・パッペンハイム(著)『近代人の疎外』(岩波新書・1960)
「疎外」という言葉に興味があったので読んでみた。普通には疎外は他人によそよそしくすることや除け者にすることをいうみたいだけれど、この本を読んでどうやらそれは様々な「裂け目」のことをいうらしいと思った。本に載っている例では、労働者と仕事との裂け目(マルクス)、兵士と戦争との裂け目(兵士の「俺はここで何をしてるのだろう?」という思い)、個人と共同社会との裂け目(ゲゼルシャフトとゲマインシャフト)、そして自分と自分、自分と世界との裂け目(実存主義)。僕もオリジナルの例えを思いついた。自分と友達との裂け目、自分と自分の着る服との裂け目、自分と自分の言葉との裂け目、コンビニ店員とお客との裂け目、退職後の父と趣味との裂け目、など。そしてどうやら本書を読むかぎり、そういった疎外を克服する簡単な「自己実現」の方法はないようだ。安易な自己実現に飛びつくと逆に自分を見失う。だからいつ何をしている時でも「俺はここで何をしてるのだろう?」という疑いを忘れてしまってはいけないということだろうと思った。
なだいなだ(著)『権威と権力−いうことをきかせる原理・きく原理−』(岩波新書・1974)
精神科医である「私」が、うまく学級をまとめられないと悩むクラス委員の高校生A君と、権威や権力について話し合うという内容だった。以前どこかで「権威と権力の場所がずれたときに無政府状態が生まれる」といういうような言葉を聞いていらい、権威と権力の違いが気になっていた。この本にはそれぞれに納得のいく簡単な定義がしてあった。「権威は、ぼくたちに、自発的にいうことをきかせる。しかし、権力は、無理にいうことをきかせる」(p62)。他にも気に入った言葉を抜き出しておく。
「権威は、権威を持っているといわれるものの中にはなく、権威を感じるものの内部にあるもの(不安)が投射されたものだといえる」(p68)
「自分の意思というものがなければ、いうことをきくということはなりたたない」(p76)
「自分たちが判断することをあきらめて、誰かに判断をゆだねる。そこに権威のはいりこむすきができる」(p111)
「つまり、権威とは、命令とか服従とか、信じるとか信じないとかの、そういう人間関係を支えているなにかなのだ」(p52)
けっきょく最後A君は、学級を無理にまとまらせようとすることに問題があったと考えるようになる。
2009年5月5日(火)
滋賀県立図書館にいってきた
連休初日のきのう近所のM君と車で滋賀県立図書館に行ってきた。片道二時間なので一日がかりだ。
@春團冶と遅刻
朝の9時に出発しようと前の晩に電話で決めた。当日の朝、8時20分ごろにM君から次のようなCメールが届き、短いやりとりがあった。
M君<お願いがあるケド、貸してる春談冶の収録してるmdの春談冶だけでいいからusbに入れといて最初から2つ目まで>
僕 <わるい。いまラジオ録音中やし、時間もかかると思うのでできんわ。小さなMDプレーヤーない?MDウォークマンがベスト>
M君<壊れているからいいわ。昨日電話したときに言うべきやった>
僕は怒りをこらえながらこのやりとりをおこなった。僕はそれほど落語が好きではない。なんでM君のために道中の車内で聴くための落語を準備しないといけないんだ、昨日お願いされていても迷惑だ、と。しばらく間を置いて僕は次のようなCメールをM君に送った。
<ほんなら9時にフィットのとこまで来てくれるかい?車内で待ってるわ(「笑顔」マーク)>。返事がなかった。
9時まえに自分の車に乗ったけど、9時10分になってもM君が現れないので電話した。でない。僕はいらだった。するとその直後に急ぐ様子もなくM君が現れた。ミッキーマウスがプリントされた青いトレーナーを着てくすんだ緑色のズボンを履き、手に膨れた黒い手さげ鞄を持っていた。助手席に乗り込みながらM君は「ごめん。メールきてたの気づかんかった。畑にいってた」と詫びた。そして鞄の中から小さなテープレコーダーを取り出し、「仁鶴さんの落語もってきた」と言った。鞄の中には県立図書館でM君が借りているたくさんの本と桂南光のCDとバナナが入っていた。
A木陰
県立図書館では別行動をとった。僕は長い時間雑誌コーナーにいた。M君は先に用を済ませてから現れて僕に「キー貸して」と言った。車の中で休みたいらしい。僕も借りたい本を借りて後から車に戻るとM君は窓を開けて後部座席に横になっていた。「日陰に停めといてよかったなぁ」とくつろいでいる様子のM君を見て僕は言った。図書館に到着したとき僕は木陰にこだわって駐車した。「いや、もう日も落ちてきてるし日なたでも変わらんけど」とM君は答えた。「いやまだ日も照ってるし、日なたは暑いやろう」と僕は言った。『なんで素直に「やっぱ木陰は正解やわ」と言って僕を気持ちよくさせないのだこの子は』と感じて腹がたった。
B安土城跡
帰りに安土城跡に寄りたいと僕は言った。まだ訪れたことがなかったからだ。行ってみるとまず500円の駐車料金が必要だった。地元のおじいさんたちが数人で駐車場の管理をしていた。僕は思わず料金係のおじいさんに当たりそうになった。なんで車を停めるのにお金を払わないといけないんだ、と。でもこらえた。それどころかお金を渡したあと頭を下げた。白い砂利の駐車場に車を停めるなりM君が「なんで安土城なん?」と問いかけてきたので僕はまたむかついた。なんとなくその発言には、安土城跡に来た責任を全て僕に負わし、今の500円についてM君は一切払わなくてもいいような立場を作る意図があるような気がしたからだ。『言われなくても500円は僕が全て出すよ』と僕は思った。車から降りて安土城跡の入口に向かうと、どうやらそこでも一人500円を徴収されるらしいことがわかってきた。僕はM君が渋るだろうなと思った。それに出入り終了になるまで1時間半しかなかった。他のお客が問い合わせているのを盗み聞いたところでは安土城跡にたどり着くためにはそこから1時間かかるらしい。2つのことを考え合わせてやっぱり引き返すことにした。安土町内を走行中「なんか500円がもったいなかったな」とM君が言った。
Cレジデンツ
帰りの車中ではM君に運転を交代していた。桂南光さんの落語を聴いていたら眠くなってきたからだ。「最近なんかCD買った?」とM君が訊いてきた。僕はレジデンツの新しめアルバムを今アマゾンで注文していると答えた。ラジオでそのアルバムの中の一曲を聴いて気に入ったからだと説明した。「♪わたしは牛になりたい」と少女がたどたどしく歌っている可愛らしい曲だった。M君は「僕はレジデンツは1stがあればそれでええけどな」と言った。レジデンツのCDを何枚か所有している僕はM君が憎たらしく思えた。「なんせキャプテン・ビーフハートに関係したプロデューサーにテープ送って断られた人らやから」とM君は会話の流れに関係なく言った。『そんなウンチク訊いてない』と僕は思った。
以上M君に腹が立ったエピソードだけを切り取ってみた。僕とM君との付き合いは長い。そして年をとるごとにだんだんとM君とだけしか付き合えなくなってきているような気がする。偶然同じ年に同じ村に生まれたというだけなのに。M君はいま平和堂の配送センターでアルバイトをしている。
以下よかったエピソード。
・M君は暇なとき面白い新聞・雑誌記事や写真を切り抜いて支離滅裂なスクラップブックを作っているらしい。誰に見せるわけでもないのに5冊たまっているとか
・仁鶴さんの落語は面白かった。「貧乏花見」というのと、もうひとつ、店の主人に無理な注文をしてお金を使わずに遊ぶ話。金物屋で「引き出しのついタライちょうだい」とか
・M君は田舎のショッピングセンターのなかの寂れたどうしようもないCD店を見ると「その気持ちわかる。わかるわぁ」とそのCD店に共感するらしい。僕は笑った
・僕が「僕はアスペルガー症候群やからマニュアルがないと動けない」と言うと、M君はとても腑に落ちた様子をした(僕がアスペルガー症候群だというのは自己診断)
2009年5月3日(日)
映画『グラン・トリノ』(2008・米)
クリント・イーストウッド監督・主演の新作『グラン・トリノ』を近江八幡まで観にいってきた。白人の気難しい独居老人(イーストウッド)と隣に越してきたアジア系モン族の物静かな青年との関わりが軸になって話が進んでいった。冒頭で、白人老人とその息子家族、モン族青年とその家族、メキシコ系不良グループ、アジア系不良グループ、と異質な集団が次々にあらわれるので、話が一体どっちへ転がるのか予想できずドキドキした。中盤では、老人とモン族家族との交流や、老人が青年に男道を教える様子がユーモラスに描かれ、終盤では青年とアジア系不良グループとの諍いが報復合戦へと発展し悲劇を生む。そんな映画だった。
人種差別、男道、生と死、憎しみと許し、いろんなテーマが読みとれる映画だったけど、僕が一番つよく感じたのは「人は違う」ということだった。映画の登場人物たちは人種が違うし、年齢が違うし、性格が違うし、乗っている車が違う。そういういろんな種類の「違い」がリアルに描かれていることが一番おもしろかった。
それとやっぱり僕ももう少し男らしくしないといけないような気がした。昔コンビニでバイトしていたころ、気になっていた常連女性客についに声をかけられなかったことを思い出した。それから劇中の老人と散髪屋のように遠慮なくののしりあえる友達も僕にはいないと思った。最近ビデオで見た『ぜア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007・米)、『ノー・カントリー』(2007・米)よりはっきりと面白かった。
2009年4月27日(月)
パナソニックの草津工場
今日は朝から新しい職場の課長と係長に連れられてパナソニックの草津工場まで行ってきた。僕らの職場で作っているカーエアコンの部品にクレームがついたからだ。部品の四隅に開いている位置決め穴の内側にバリというかカエリが出ていてパナソニックのラインの治具にうまくはまらなかったらしい。約3000個の部品を、上の二人と僕とKさんの4人で修正した。二つの穴に電動ドリルをさっと通すだけなので、1個5秒ほどでできるけど朝から始めて昼過ぎまでかかった。4人のうち1人は修正が終わったものをパレティーナに詰める作業にあたった。午前中は僕がその役だったけど、午後からは僕もドリルを通した。やってみると穴の内側に傷がついたりしてなかなか難しく、その傷が新たな不具合を生むのではないかと一人不安に思った。
修正が終わって車に乗り込み、挨拶のため遅れている課長を工場の出口で待った。「ここで一日立ってたら一人くらいはお姉ちゃんつかまるかもしれんぞ」と係長が後部座席の僕に話しかけた。パナソニックの工場出入口は立命館大学の通学路と交わっていて、目の前を徒歩や自転車の学生がひっきりなしに行き交っていた。僕は「あ、女子大生ですか。うーん・・・、ふふ、そうですね」と答えた。係長は「田辺くんはおとなしいね。もうちょっとヤンチャにならな」と言った。僕が返事の言葉を探してぐずぐずしていると「女の子と付き合ったことはあるんか?」と続けて尋ねられた。僕は「ずっとないです」と答えた。少し考えて『係長が僕の年にはどうでした?』と切り返そうとしたら課長が戻ってきたので話はそこで終わった。やっぱり僕はポンポンポンと返事ができない。すごく跳ね返りがわるい壁みたいなのでボールを打った人はいらいらするだろうと思った。
課長が哲学者の名前や用語をけっこう知っていた。デカルト、カント、フッサール、ハイデガー、ヤスパース、実存主義、プラグマティズム・・・、30年前の受験勉強で覚えただけだと言っていたけど、フッサールやプラグマティズムなんてなかなか出てこないだろうと思って驚いた。今度の職場の課長は話好きなようだ。ダジャレ混じりの軽い冗談をよく飛ばす。家に帰ってネットでプラグマティズムについて調べた。やっぱウィリアム・ジェームズは読みたいな、と思った。
2009年4月23日(木)
小林秀雄
いま僕のなかで評論家の小林秀雄(1902−1983)が流行っている。小林秀雄は文学や音楽や絵画やベルクソン哲学を論じ、考えることで自己表現する「近代批評」を確立した。今日はびわ町立図書館で小林秀雄を特集したムックを見つけて、それを読んでいたらはっとする記述を見つけた。小林についての著作がある前田英樹さんがインタビューに答えて言っている。長くなるけど引用する。
砂糖水を飲みたいと思ったら、砂糖が水に溶けるのを待たなくてはならない、これが教えだ、とベルクソンは言っていたでしょう。小林はこの一節を繰り返し引用していますね。あれは何を言っているのかというと、つまりもともとベルクソンは砂糖が水に溶ける溶解過程を同時性の数に還元するというニュートン力学の考え方で済ませたかった、それがとても得意な人だった。溶解過程は、いっぺんに拡げられて見渡せる同時性の数ですから、それを待つという行為はどこにも入ってこない。ところが、もし砂糖水をこの自分が飲みたいと思ったら、待たなきゃならない。そのことに突然自分は気づいたというわけです。飲みたいのに飲めないのはいやなことでしょう。でも、ニュートンの力学は全然待たない。あとから同時性の数を数えるわけだから、待つという経験がない。しかし、我慢して待つという、ここにこそ時間が在るのではないのか、待たれなければ時間はない。だから、ニュートンの力学には時間が欠落している、スペンサーの進化論はそれと同じになっている。時間が欠落しているから、待つ身のつらさというものがない。そうすると、時間は人が思考する上の大きな障害として現れてくるわけで、哲学者ベルクソンの出発点はそこにあった。
(中略)。ベルクソンの天才性はそこにあります。科学も形而上学も一貫して無視してきた<時間>という障害物がそこで発明されるとさえ言える。(『小林秀雄 はじめての/来るべき読者のために』より)
あと小林秀雄の本や噂からは、論理についても考えさせられる。一般に論理とは<1+1=2>とかの疑いえない考えのことをいう。でもだからといって桁数の多い計算をあっというまにこなす計算機は人間より頭がいいということにはならないと思う。僕は計算機は考えていないと思う。だから暗算が得意な人も、これはひがみも混じっているかもしれないけど、それほど頭がいいとは思わない。そうではなくて、たとえばはじめて<1>というかたまりを頭のなかで作るときに、人は一番頭を使うのではないかと思う。かたまりさえできてしまえば、それを積み上げたり差し引いたりするのには実はほとんど頭を使わないのではないか。よくわからないけどそんなふうに思う。
それから小林秀雄は、自意識や私小説についても考えさせてくれる。僕もこういう日記をつけていて『なんで僕は日記をつけるのだろう?』と思う。また『なんで小説が書けないし、書く気が起こらないのだろう?』とも思う。僕のなかに小説を書く自然な意欲があれば、できたものを新人賞なんかに送ることができて、有名になれる可能性も生まれてくるのにと思う。小説というものを雑誌で募集しているから、だから小説なるものを書く、というのは僕にもできないことはないかもしれないし、時折それで頑張ってみたい誘惑にも駆られるけど、やはり不自然だ。理由はわからないけど僕にはやはり「日記」が自然で、そこで自意識をこねまわすのが自然な欲求にそっている。
普通の小説と、日記や私小説とは何が違うかというと、作者と作品の関係が違う。普通の小説は作者と作品が分かれているけど、日記や私小説では作者と作品は未分化な状態にある。僕にはその未分化な感じがメビウスの輪めいていて、存在論的に面白いと思う。
2009年4月18日(土)

人に言えない理由
今日びわ町の図書館に行ってきた。びわ町の図書館は僕の住む虎姫町立図書館よりも本の数が多いし、おっと思うような本が置いてある。そうしたら偶然同級生のZ君を見かけた。声をかけて少し立ち話をした。僕がなんでびわ図書館にいるのかと尋ねたら、滋賀銀行に寄るついでにぶらっと立ち寄ったということだった。僕はそのときはふーんと思ったけど、あとで『虎姫町にも滋賀銀行はあるのになんでわざわざびわ町の滋賀銀行に行く必要があるのだろう?』と疑問に思った。気分転換にいつもと違う支店を使ってみたかったのだろうか。なんだかコソコソしていたし、僕はZ君のなかに何か回り道をした、人に言えない理由があるのではないかと思った。
僕も思い当たる。10年近く前の話。Mイ君という同級生と車で高月町の図書館にいった。図書館に着いて車を降りるとき、僕は首まで上げていたジャンパーのジッパーをさりげなく胸の辺りまで下ろした。そのときMイ君が「いまなんでチャック下ろしたん?」と鋭く訊いてきた。僕はうろたえた。僕がジッパーを少し下ろしたのは暑いからではなく、その方がかっこいいと考えていたからだからだ。これから人の多い図書館に入るのだから少しかっこつけたかった。でも僕はそうやって小さくかっこつけている自分が恥ずかしくて本当のことをMイ君に言えなかった。
Mイ君とは高校に通学しているとき電車の中で会うこともあった。そのときMイ君は僕の腕時計に目をつけ「なんで金属のベルトに変えたん?」と訊いてきた。僕はやっぱりうろたえた。でもそのときは『この子に嘘を言ったらだめだ』と感じとっさに「最近みんなこういう腕時計してるしマネした」とぶっちゃけた。「正直やな」とMイ君はにやにやして言った。「Mイ君のまえでは心が裸にされてるみたいや」と僕は言った。Mイ君とはそのとき辺りから交流がはじまった。Mイ君はレッチリやニルヴァーナなどを聴く洋楽ファンだったし僕の哲学っぽい話にも興味を示してくれた。
もうひとつMイ君とのやりとりで覚えていることがある。「たとえばみんなでラーメンを食べにいったとき、一番に『うまい!』と言えん」とMイ君は悩みを打ち明けるように言った。僕は「えーなんで?どういうことかわからん」というような返事をした。そうしたらMイ君は「オレだけか・・・」とつぶやき、でも心の中では『いま田辺は嘘をついた。オレの言うことがわかっているのにかっこつけてわからんと言った』と批評されているような気がした。Mイ君が言いたかったのは、何ごとも自分だけで価値を判断することができない。人の意見を聞いて、それを自分の意見にしているだけだ、田辺わかってくれるかい、という話だったのだと思う。僕は「あーわかる」と答えられなかったのを今でも悔やんでいる。
2009年4月18日(土)
カバーC
今日は僕の仕事上のミスが発覚するなどして頭の中がとっちらかっている。整理してみよう。
先週の土曜日に豊公園で花見があった。新しい職場の人のことがだいぶわかった。柔道をやっていた人、ラグビーをやっていた人、ガンダムが好きな人、入社して間もない人、県外出身の人、結婚している人、僕と家が近い人、たくさんの職場を経験している人、よく喋る人、いろんな人がいたし名前も覚えた。また僕のほうも、たとえば囲碁が好きであることなどをみんなに知ってもらうことができた。はじめに「お酒は強いのか?」と訊かれて「けっこう飲みます」と答えてしまったので嘘つきだと思われないために地味に焼酎をたくさん飲んだ。桜の花は満開で、花見客も賑やかだし、コップに花びらが落ちたりして、花見っていいなと思った。
仕事上のミスとは、以前僕はアルミ部品の座グリを先の平らなドリルで薄く削ってきれいにする作業をしていたのだけれど、その中の十分の一ほど(60〜70個)がビビってしまっていたことだ。それが今日の昼、次工程の人に指摘された。それで修正するよう言われたけれど、どうやってもさらにビビりがきたなくなってしまい、『こんなんだったら修正しないほうがまだましやな』と思い、TさんやNさんや係長に指示を仰ぐとみんな言うことがまちまちだったりして混乱した。結局いちばん偉い係長の考えにそってもう一度平らなドリルで薄く削ったけど結果はやはり駄目で、やっぱり廃棄しようかということになった。
そんなふうでおろおろしていたらNさんから「カバハシをCCに取りに行ってポンチ打ちをやってくれ」と頼まれた。終業一時間前だ。それで座グリの問題は保留ということにして、フォークリフトでCCラインまでカバハシを取りに行った。そうしたらカバハシは置いてあったけど入れ物がなかった。近くの人にパレティーナ(網かご)を貸してくださいと頼むと上から三段目のやつを使ってくれと言われ、狭い所をフォークリフトで苦労しながら引っ張り出すと、こんどはちょっと偉い人が出てきて、やっぱり四段目のやつにしてくれと言われた。それで四番目のパレティーナを出したけど、内側に貼り付けてあるプラ網を外して使ってくれと言われた。「外したプラ網はどこに返せばいいですか?」と質問するとCCの現場に返してくれと言われた。パレティーナを借りたばっかりに事態が複雑になってしまって時間もないので焦った。カバハシをパレティーナに積むと急いで自分の職場に戻った。そして係長に置き場を訊いたときに僕がなんとなく「カバハシ」と呼んでいたものが実は「カバーC」という名前だったことがわかった。それでようやくそのカバーCのポンチ打ちを始めたけど、パレティーナの内側のプラ網が気になったので先にそれを外そうと思ったらハサミが要る。ハサミなんてどこにあるかわからないので急いで前の職場に戻り自分の物入れからハサミを取ってきた。そうしてプラ網とパレティーナを結んでいるナイロンバンドを切っていたらハサミの取っ手が割れて使えなくなった。それでしかたなく慣れない職場の道具置き場で頑丈なハサミを見つけ、ようやくプラ網を外すことができた。外したプラ網をCCまで返しに行った。事情を何も知らないCCのパートのおばさんに経緯を話したら迷惑そうだったけどなんとかプラ網を引き取ってもらった。そしてまた現場に戻ってポンチ打ちを再開したけど五分後に終業のチャイムが鳴った。残業を覚悟してNさんに「ポンチ打ちぜんぜんできてません」と打ち明けると、「明日でええわ」と言ってもらった。今は不況の関係で残業してはいけないことになっている。まだ座グリの問題がきちんと解決していないのが気がかりだ。だから気分が悪いし今日は疲れた。
昨夜、小林秀雄の「様々なる意匠」という論文風エッセイを読んでいたらよくわかった。「様々なる意匠」はそれほど長い文章ではないし有名なので過去に2度ほど読んでいたけどよく意味がわからなかった。それが昨夜はよくわかった。特に「宿命」というキーワードがよくわかった。それは僕の理解している「実存」と同じ意味だった。また私小説とプロレタリア文学の関係もはっきりした。2009年1月8日の日記が使える。つまり「小さな実存」を扱っているのが私小説で、「大きな実存」を扱っているのが「プロレタリア文学」なのだろうと思う。
2009年4月15日(水)

淡墨桜
金・土・日、と三連休だった。
1日目 読書の日と決めて、県立図書館で借りておいた本を読んだ。
2日目 母親と二人で岐阜県の淡墨桜(うすずみざくら)を見にいく。帰りに寄った道の駅で桜の盆栽が欲しくなったけど買わなかった。大垣のジャスコにも寄った。悪天候のせいで母の具合がよくなかった。
3日目 午前中車のエンジンオイルを交換してもらう。午後は囲碁を見た。謝 依旻(しゃ いみん)女流本因坊が勝った。ロシアとグルジアについてのドキュメンタリー番組を見た。
近所の○○ちゃんはアメリカで暮しはじめて三年以上経つ、という話を聞いた。アメリカの田舎だそうだけれど、そんなところで三年間も生活したら英語もできるようになるだろうし、さぞかしたくさんの人生経験を積んで大きい人間になるだろうなと思った。
明日から仕事だ。先週、「ロシアのフロント・プレート」と呼ばれるアルミ部品をこれからは一日800個仕上げるように言われた。僕の今までの最高記録は一日700個だ。それでもかなり無理をしたのに。もし800個できなかったらどうなるのだろうか。不安だ。
今度の土曜日に職場の花見がある。僕は出欠をとりにきた人に参加しますと返事をした。まだまだ新しい職場では孤立に近い状態にあるので、なんとか花見でみんなと知り合いたい。でもはしゃぎ過ぎてはだめだ。次の日職場で辻褄が合わなくなる。
2009年4月5日(日)
小森陽一(著)『ポストコロニアル(思考のフロンティア)』(岩波書店・2001)
人と人との優劣関係や差別に興味があるので、ポストコロニアルについて書かれている本を読んだ。僕は2007年2月27日にも『ポストコロニアリズム』という本を読んでいる。あちらは新書で、ファノンやサイードなど海外の理論家の仕事が紹介されていた。今回読んだのは<思考のフロンティア>シリーズの中の一冊で、日本の帝国主義の歴史がポストコロニアルな視点から考察されていた。
一番おもしろかったのは、「帝国主義的中心(実体としてはどこにもない)は、植民地化された地域の人々にとって、一方では決して同一化できないにもかかわらず、同一化を目指しつづけなければならない他者として機能しつつ、他方では世界を認識するための基準点となり、すべてのイデオロギー的な言説シフトの要となる。したがって被植民地的主体は、隅々まで、この帝国主義的な他者の監視と凝視のまなざしに曝され、かつ刺し貫かれることになる」(「はじめに」)というところ。
僕はとても思い当たるところがあった。僕もたとえば「都会人」のファッションや行動や考えかたをなんとか模倣しようとしているからだ。精神分析の用語では、その僕にとっての「都会人」は「象徴界」を統括する「大文字の他者」と呼ぶらしい。
二番目におもしろかったのは、「自己植民地化」(p8)という言葉。幕末から維新後にかけて、日本は欧米列強に領土を奪われまいと、自分たちで自分たちの習俗や頭の中を「自発性を装いながら」改変した。そのことを著者は「自己植民地化」と呼ぶ。このことは日本人の頭の中に被支配者と支配者、つまり「植民地的無意識」と「植民地主義的無意識」が同時に存在しはじめたことを意味する。
これも思い当たる。僕の頭の中では、「都会人」が「僕」を植民地化している。
三番目におもしろかったのは、夏目漱石の『坊っちゃん』(未読)や特に『門』には「階級と植民地主義の関係が明確に刻印されている」(p66)という指摘。『坊っちゃん』の主人公「おれ」の田舎蔑視の態度は甚だしいみたいだし、『門』では、作中人物の生いたちや人間関係、また伊藤博文暗殺の挿話などに、大日本帝国による韓国植民地支配の影響が色濃くうかがえるそうだ。
全体の感想。一番おもしろかったところをもう少し突っ込んで考えてみたいと思った。僕の中にもある、架空の中心に同一化したいと思う心はなぜ生まれるのかが知りたい。それが全ての差別意識の元凶だと思う。巻末の基本文献案内によると、ホミ・バーバという人の論文(『越境する世界文学』所収)やジャック・ラカンの精神分析学を調べるのがいいみたいだ。
2009年4月1日(水)

高室山
多賀の高室山(817m)に一人で登ってきた。新しい登山靴を使いたかったからだ。ふもとの佐目という村の神社から登りはじめた。一時間ほど急な尾根道を登ると車も通れる林道との分岐点があらわれ、さらに30分ほど熊笹をかきわけて登っていくと誰もいない頂上に出た。山頂からの見晴らしがよかった。ほんとに360度の見晴らしだった。 伊吹山、霊仙山、御池岳、びわ湖はもちろん、金糞岳や御在所岳も見えていたかもしれない。でも寒かった。雪が一センチほど積もっていた。おにぎりを食べて下りた。林道のほうから下りてみることにした。軽トラのおじいさんとすれ違った。佐目に帰るために林道を外れて登山道を進んだ。その登山道が細く頼りなげで本当に合っているのか不安になった。道が分かれていた。勘で左に進んだら倒木が道を塞いでいたし先が薄暗かったので引き返した。自分が山の中で迷っていると感じ、首の後ろがぞがっとした。腕時計を見ると1時だったので『まだ時間はある。いざとなったら引き返して尾根道を下ればいい』と自分に言い聞かせた。さっき左に進んだところを右に進んだ。一瞬鉄塔が見えた気がした。ガイドブックには鉄塔があると書いてある。道をそのまま進むと本当に鉄塔のところに出た。さらに進むと桜の木とお地蔵さんがあった。これもガイドブックに書いてある。もう間違いないと思って安心した。あとは急な坂をそろそろと下りたら谷に出て、佐目に着いて、自分の車のところまで帰ることができた。2時だった。10時に登りはじめたので4時間かかったことになる。いい山だったけど一人では寂しかったので今度誰かを誘ってまた登ろうと思った。
2009年3月31日(火)

金華山
毎週NHK杯テレビ囲碁トーナメントを見ている。今日は準決勝で、武宮正樹九段と加藤充志八段が戦っていた。なんとなく大らかな碁を打つイメージの武宮九段が今日はとても気合いの入った打ち方をしていて、これは世界戦レベルではないかと感じた。加藤八段ははじめそんな武宮九段のがんばりに押され気味だったけれど、中盤でトリッキーな攻撃を仕掛け武宮九段の黒地を荒らし試合をわからなくした。でも今日の武宮九段はヨセに入ってからも年齢を感じさせない集中力を見せ、結局は加藤八段に三目半勝ちした。僕は武宮九段を応援していたのでとても嬉しかった。武宮九段は次回の決勝で結城聡九段と対戦する。
武宮九段は60歳に近いけど、スキンヘッドに出っ歯という外見がユーモラスで解説も楽しい。30歳代の結城九段は、昔はその神経質な口調の解説に戸惑いを覚えたけど、この頃は彼の真面目さと碁の強さに心を打たれ好きになった。いまプロフィールを見ていたら特技の欄に「口笛」とあり笑ってしまった。おもしろい人だ。でもどちらかというと武宮九段に勝ってほしい。
今日は、最近お祖父さんが亡くなった関係で彦根の実家に帰っている高校の同級生N君のところへ行った。多賀の高室山(約800m)に登山をしようと言っていたけれど、雨が降っていたのでやめた。高室山はガイドブックを読むかぎり手軽で見晴らしのいい山みたいなのでまた登ってみようと思う。N君のところへ行くと居間へ通された。はじめてのことだ。そこにはお母さんとお姉さんとその娘のサエちゃんがいた。N君の家は古くてコンパクトできちっとしている。居間も狭いけれどきちっとしていた。それに僕の家とは違って和風の調度品に一貫した趣味があるように思った。いつもロングスカートを穿いているお母さんが豆でコーヒーを入れてくれた。サエちゃんの遊び道具としてマグネット式のお絵かき玩具「せんせい」がひとつだけ置かれているのも渋いと思った。「おまえ絵うまいしサエちゃんの顔描いたら」とN君が言ったので「せんせい」でN君のひざの上にいるサエちゃんをクロッキーしてみたらほっぺたのふくらみなどがけっこう上手く描けて、ウケたお姉さんがすぐに写メを撮り旦那さんに送信したようだった。「紙に描いてもらったらよかった」とまで言ってもらい僕は嬉しかった。振り返ってみるとこの出来事のおかげで今日一日、今に及ぶまでテンションが高かったのだと思う。
そのあとは二階の、むかしN君の部屋だった部屋で、僕が持ってきたWiiで遊んだ。ダウンロードしておいたファミコン時代の「テニス」と「バトルシティー」を二人用でやったら盛り上がった。この二つのゲーム、絵はギザギザだけど傑作だと思う。たとえば「バトルシティー」で味方同士の弾が当たると無傷でもなく即死でもなく一定時間動けなくなるというルールのさじ加減は絶妙だと感じた。バトルシティーはほんといつまででもやっていたかったけど、一応お昼を区切りにやめた。お母さんが出して下さった寿司を食べた。
午後は、僕の登山靴を買うのにN君に付き合ってもらった。僕は事前にネットで調べて、比較的安価でデザインにクセのないアシックスの登山靴に目をつけていた。遠いけど岐阜の「好日山荘」という店までドライブした。アシックスの登山靴は好日山荘ですぐに見つかった。そのあとは岐阜市が一望できるはずの金華山のロープウェーに行ってみた。でも天気が悪く上がっても全く景色が見えないだろうということで直前で取りやめた。代わりに金華山のふもとを散歩した。城下町風に町並みを整備してある一帯を歩いた。悪天候のためか観光客がまったく見当たらなかった。でもひとり、所在なさげに歩いている女の人を見かけた。僕らはお茶屋風の喫茶店に入った。中には若い女性客がいっぱいいて驚いた。N君も僕もコーヒーを飲んだ。僕は誰かと飲食店に入ると何か話さないと周りのお客さんに引けをとるような気がする。だからN君の好きな日本史の話をした。僕は幕末や明治維新に興味があると言った。N君は戦国時代に興味があると言った。そして僕は、さっき女の人が一人で歩いていたけど、寂しそうだったし、声をかけてみたくなった、と打ち明けた。それで一緒にこの店に入って喋ったらいい出会いか思い出になったやろうな、と言った。N君はすでに結婚しているためかどうでもよさそうな返事をした。
2009年3月22日(日)

『いじめてくん』
3連休だった。初日の夕方に結婚相談会社「ブライズアカデミー」から勧誘の電話があった。一度京都にある相談所に見学に来ませんかと誘われた。僕は断って電話を切ったけど、どうせ明日もあさっても休みで予定もないのだから行くと言っておいてもよかったと少し後悔した。
きのう本屋で『「婚活」時代』という新書に目がとまった。「就活」同様今は「婚活」しなければいけいない時代だ、とか、モテる人とモテない人の二極分化が進んでいる、とか、男女相互の生活習慣・美学の「すり合わせ」が重要だ、とか、結婚相談所の種類や利用の仕方なども書かれていた。立ち読みしていたら僕も自分から結婚活動しなければいけないような気になってきた。僕は去年の暮れに簡単なお見合いをしたし、実はいま地元の無料の結婚相談所に登録しようとしている。でも、もっと積極的に、「ブライズアカデミー」にお世話になるとか、「ヤフー縁結び」を見るだとかしたほうがいいのだろうか。
休み中にしたこと
・新しい職場で必要なので腕時計を買った。カシオの1500円ほどの物。5気圧防水で曜日・日付表示があり、ストップウォッチ機能もついている
・母と観翠園(かんすいえん)にいった。草花の苗や種がたくさん売られているその店の中では母が少し生き生きしているように見えた。僕が本屋やCD屋の中にいるときと同じことだろう
・姉の家と義姉のところにバレンタインデーのお返しをもっていった。セブンイレブンで売られていたチョコとクッキー
・そのあと姪と甥と兄と僕の4人で、家の前でミニサッカーをして遊んだ。甥がボールの独占欲が強く全くパスをしなかった。まだ園児だからか、僕にはない資質だとおもった
・春めいてきて久しぶりに登山がしたくなったけど、登山口までいくのにオフロードバイクがあればいいなと考えてしまい、そうしたら登山はどうでもよくなり、オフロードバイクで頭がいっぱいになった
・ザ・ティンティンズのCDを買った。でもラジオで聴いた2曲以外はそれほど面白くなかった
・ちくま文庫になっていた漫画『いじめてくん』を買って読んだ。見ると誰もがいじめたくてしょうがなくなる変な生き物が主人公の不条理漫画
2009年3月16日(月)
新しい職場
先週新しい職場で3日間働いた。新しい職場では「バリとり」の仕事をやっている。同じ課の別の棟で鋳造されたアルミ部品のバリをヤスリで削り落とす仕事だ。前のところとは違って扱う物が軽くて手のひらほどの大きさしかない。でも数が多くて一日に300個ほど処理する。ヤスリは細い棒の形をしていて、けっこう力を入れて握るので一日やっていると右手の親指と人差し指がしびれるように痛む。そのうちマメができたり皮が厚くなったりするかもしれない。仕事場はまえのところに比べればきれいで片付いている。油を使わないのと、人やモノが決まった動きしかしないからだろう。そこで働いているのは僕を含めて7人で、3人が女性。僕がひっついて仕事を教えてもらっているのは定年が近いらしいTさん。体が細くて少し厳しい感じの人。初日に僕がTさんに付くと「わしがもりか」と隣のおばさんに向けて愚痴をこぼした。目下のところ、Tさんの機嫌を損ねないように動くことに一番気を使っている。7人のうち2人とはまだ挨拶以外は口をきいていないし名前もわからない。2度ほど、前の職場のM主任が夜勤の帰りに様子を見に来てくれた。いろいろ喋りたかったけどそばでTさんが黙って作業しているので自制した。
職場が変わるということは、仕事も人間関係も一からはじめなければならず、僕は今精神的にちょっとしたクライシスの状態にある。
2009年3月16日(月)
職場が変わる
木曜日に母が強い目まいを起こした。義姉と近所のキヨノさんに連れていかれた診療所で母は点滴をうけた。母は7・8年前にも同じような目まいを起こして動けなくなり救急で見てもらったらメニエル病だと診断された。母くらいの年齢の女性にメニエル病は珍しくないし致命的な病気でもないらしい。今回の発作もそのメニエル病に起因するものだったみたいだ。
明くる日の金曜日、再び同じ診療所に、今度は僕が母を連れていった。母は二時間近く点滴を受けていてそのあいだ僕は待合室で長椅子に座って待っていた。待合室では10人前後の人が診察や支払いを待っていて少しずつ入れ替わっていた。思ったのは、いろんなお母さんがいるということ。おしゃれをして始終笑みを絶やさない人もいれば、疑い深そうな顔をしたジャージ姿のお母さんもいた。待合室の片隅には子どもの遊び場が設けてあって、そこでそんな全然違うお母さんの子ども同士がニアミスしていた。遊び場に見知らぬ子が入ってきたと見てとるや自分の周りに玩具を囲ってしまう子や、そんな子にプラスチックのホットケーキを皿にのせて差しだす子、さらにそこに大きな体をした小学生の女の子が割り込み本棚から名探偵コナンを抜き取るかとおもえば、離れたところでは年寄りが知り合いを見かけて話しかけたりしている。もちろんそこには老いた母親に付き添ってきた30歳の男僕もいて、狭いけれども異質な人生が交差しあうおもしろい場所になっていた。
明日から職場が変わる。一時的なものかもしれないし、もう前のところには戻らないかもしれない。新しい人たちのなかにうまく馴染めるかどうか不安だ。
2009年3月9日(月)
太陽の塔を見てきた
眼鏡をかけたら運転がしやすくなったので遠くまで行きたくなった。ひとつ京都か大阪までドライブしてみようと思った。まえに、南へ出かけることがあったら連絡してと瀬田に住むKさんが言っていたので、これから行きますとメールしてから出発した。虎姫から瀬田までは三時間くらいかかった。Kさんを車に乗せると、どこに行こうかということになった。僕は漠然と京都に行きたい、そしてできたら京都を突き抜けたい、・・・太陽の塔とか行けますか?と言ったら、行けるよと言われたので、大阪府吹田市の万博公園にある太陽の塔を目指すことになった。
まずビッグボーイで昼食を食べた。それから傍にあったマルブランシュというお菓子屋さんがここらへんでは有名だとKさんが言うので、そこで早くもお土産を買った。車に乗り込んで国道一号線を少し進むと左折して外環状線というのに入った。外環状線というのは混雑する京都市内を南東方面に迂回できる道でKさんは「そとかん」と呼んでいた。僕は本当は京都市内を一号線に乗って正面突破したかったのでちょっと拍子抜けした。でもKさんは夜の7時から用事があってゆっくりしていられないので仕方がなかった。「そとかん」をずっと進むと京都市の南で国道171号線にぶつかり、そこを左へ折れた。あとはその171号線を南進すれば万博公園の近くまで行ける。国道171号線は「イナイチ」と呼ばれている、と教えてくれたKさんは助手席で退屈そうだったので運転を代わった。万博公園に近づくとすぐに太陽の塔が見えた。大きいので驚いた。万博公園の中央駐車場はエキスポランドと共用になっていて1200円だった。でもエキスポランドはジェットコースターの脱線事故があったので閉園になっていた。「首が落ちたらしい」とKさんは事故の凄惨さを伝えてくれた。たしか死んだのは滋賀の若い女性だった。太陽の塔に近づくには有料の万博公園に入場しなければならず、もう夕方だったこともあり、門の外で写真だけ撮って引き返した。お客のほとんどが家族連れかデートの人たちだった。トイレ横のごみ箱を浮浪者が漁っていた。帰り道は混んでいて、7時から約束のあるKさんは焦っていた。だから高速道路に乗ってしまった。Kさんは120キロで飛ばしてあっというまに大津に着いた。Kさんは持ち主である僕よりフィットの潜在能力を引き出していた。
少し時間があったのでKさんの家に上がらしてもらった。いつもながら創価学会を勧められた。創価学会の教えは基本は仏教だけど西洋哲学なども取り込んでいてなかなか言い負かすことができない。ただ、創価学会は「全ての人の自主性を大切にする」らしいので、会員になりたくない僕の自主性も尊重してほしいと思った。
Kさんは彼女ができたと言った。写真も見せてもらった。とてもいい感じの人に見えた。
2009年3月2日(月)
同じ種の劣った個体
代わりに謝ってもらう、という場面がある。先週の夜勤で、僕は作業中着ていたジャンバーを台車に掛けたまま帰ってしまった。運悪くその日の昼間に現場の見回りがあり、僕の置いたままのジャンバーが見回り係の人に見つかってしまった。それでとりあえず日勤の人が僕の代わりに謝ってくれた。その話を聞いた僕は次の日に日勤の人に「すみません」と謝った。「すみません」のリレーだなと思った。
テレビで『マーティ』という古い映画を見た。35歳のもてない男マーティの話だった。僕はあらすじだけを見て、この映画を見れば気持ちが慰められるかもしれないと思った。でも実際に見てみると逆に気持ちが沈んだ。いい年をして親と同居していたり、同性の友達たちとだらだらつるむのはみっともない、というメッセージが読み取れたからだ。
「世界にたった一つだけの花」という歌がある。僕が塞ぎこんでいるとその歌を持ちだしてきて励ましてくれる人がいる。母がそうだ。
父がお寺の会報に載せる文章を依頼された。父はにわかに仏教関係の本を借りてきて読みはじめたけど、「この世を苦しみ・迷いの世界と見る」仏教の大前提が受け入れられないと夕飯の時に漏らした。僕は「お父さんは生きることは苦しみやと思わへんの?」と訊いた。父は「思わん」と答えた。「いろいろ嫌なこととかあるやろ?」と僕はさらに追求した。父は「ない」と答えた。「達観してるのか、嫌なことから目を背けてるのかどっちかやな」と僕は言った。そんな問答の最中に母が僕に慰める調子で「『世界にたった一つの花』っちゅう歌があるやろ」と言ってきた。
僕はその時は母の発言を無視したけど、あとから「世界にたった一つだけの花」という歌というか言葉について考えた。簡単にいえば<人と自分を比べるな>という意味だと思う。たしかに人と自分を比べなかったら苦しみもないかもしれない。でもやはりちょっと嘘っぽいと思う。そんな境地に達してしまえば苦しみもない代わりに喜びもないのではないかと思う。だから「世界にたった一つだけの花」という歌があるなら、「同じ種の劣った個体」という歌も作ったほうがいいのではないかと思った。
数年前から遠くが見づらくなってきていたので今日とうとうアルプラで眼鏡をつくってもらった。かけてみるとほんと遠くがはっきり見えるので嬉しくなった。
2009年2月27日(金)
書きたいことはまるい形をしている
実際の出来事にしろ、観念的な思いつきにしろ、書きたいことというのはまるい形をしている。でも文章というのは横に伸びた線なので、書きたいことを文章にするということは、まるい形のものを一本の線にしていくことだと思った。まるい形のときは、はじまりも終わりもクライマックスも記憶のなかで混じり合っているけど、文章にするならひとつひとつ腑分けして順番をつけていかなければならない。
2009年2月22日(日)
松波太郎(著)『廃車』(雑誌「文学界」2008年12月号)
連休なのに何もできない。今日も家の中でぶらぶらしていたらだんだん憂鬱になってきた。
まえに齧り読みして面白いと思った松波太郎という人の『廃車』という小説(第107回文学界新人賞)をあらためて読んだ。猫木という自己中心的な男が、乗っていた中古の軽自動車ミラを中国人留学生に譲り渡したことから起きたトラブルの話だった。筋立てよりも、猫木という思慮の欠けた人物の言動がリアルでおかしく、その猫木と付き合っている宝田という恋人との、対等ではない関係も面白かった。不意に中国人差別の問題も出てくるので作者はたぶん人と人との力関係に興味があるのではないかと思った。ただ話が佳境に入ってくるあたりから、猫木のキャラクターが真面目なしっかり者になっていくのでそこが少し物足りなかった。舞台は栃木県の宇都宮市で、さっきテレビで見た漫才コンビ「U字工事」のネタの中にも登場してきたので、どんなところなのか行ってみたくなった。
対等な人間関係なんてなかなかない。たいていどちらかが威張っていたりどちらかが劣勢だったりする。対等に見えてもそれは取り繕われたものであったり、偶然パワーバランスがとれているだけの危ういものだったりすると思う。そこのところに敏感な小説や映画がいいなと思うし、「差別」が描けるとしたらそういう小説や映画だけだろうと思う。
2009年2月22日(日)
津村記久子(著)『ミュージック・ブレス・ユー!!』(角川書店・2008)
津村記久子(著)『ミュージック・ブレス・ユー!!』という小説を借りて読んだ。勉強があまりできなくてパンク音楽ばかりを聴いている大阪の女子高生アザミの話だった。高校時代に洋楽にのめり込んで困ったことになっているアザミやおたくな感じの男子トノムラに自分を重ねた。○○というバンドの一枚目のアルバムが好きで何度も聴いているとか、○○の誰々は一枚目のあとに脱退してしまって△△というバンドを始めたとか、そんなどうでもいい洋楽の話をだらだらしたあとでアザミが「だからなんやってことはないんやけど、あたしはそういうことばっか考えてる。それが哀しいなあ、とか、それも人生なんやなあ、とか、両方ともがんばって欲しいなあ、とか、自分は自分がいちばんいいと思える時期のそのバンドのCDを聴けて良かったなあ、とか、でもやっぱり哀しいなあ、とか」と感慨をのべるところで、聴いている音楽は違うけど洋楽オタクには変わりないトノムラがはじめてアザミに共感する場面がいちばんよかった。
最近『ポトスライムの舟』(未読)という作品で芥川賞を受賞した著者は僕が中退した大谷大学を卒業している。『ミュージック・ブレス・ユー!!』の中でアザミとトノムラが受験する「国語と英語だけでいける」京都にある大学とはたぶんその大谷大学のことだろうと思った。僕は滋賀から大谷大学にいったけど、アザミやトノムラは大阪から大谷大学に目を向けている。僕が大学のクラスでまったくうまく立ち回れなかったのは、大阪や地元京都からやってきていた、たとえばアザミやトノムラみたいな都会出身者たちに対する劣等感が強く作用していたからでもあるので、今回のこの大阪中心の物語は僕にはそういう、大げさにいうとポストコロニアル的な視点からも読むことできた。
それにしても僕は都会がどうとか田舎がどうとかそういうことを気にし過ぎるからダメなんだなとも思うし、でもやっぱりそういうことには敏感でいたほうが面白いような気もする。
2009年2月15日(日)
映画『おくりびと』を観た
景気が悪くなり、会社が休業日というものを設けるようになった。今週などは3日働いて4日休みがあった。
先週の週末に近所のM君と会った。現在は平和堂の出荷倉庫でアルバイトをしているM君は将来を悲観してだいぶ弱っているようだった。職場が家から遠く、交通費がかかるので仕事を変えたいと言っていた。でも片言の日本語でいま流行りのエロ詩吟を聞かせてくれるという同僚の中国人青年の話がとても面白かったので、倉庫の仕事は辞めないほうがいいのではないかと思った。
おとつい一人で服を買いに出かけた。冬もそろそろ終わりということで安売りされていたセータージャンパーのようなものと靴を買った。靴はけっこういいものが買えたと思う。メレルというアウトドアメーカーのジャングルモックとかいう名前の靴でどうやら人気商品らしい。ヒモがなくて脱ぎ履きが楽にできるのがとてもいいし、外見も僕が求めていたものに近い。
きのう母と映画『おくりびと』を観てきた。僕はY君から面白かったと聞いていたし、母は近所の人たちから勧められたらしい。父はどうせ寝てしまうからと言って来なかった。東京から山形に妻を伴い帰って来た男性が死体を棺に納める納棺師の仕事をはじめるという話だった。女装趣味の男性だとか、死後数週間経っていてとても臭いものとか、死体にもいろいろあるみたいだった。納棺師が、吉行和子さんが演じるおばあさんを棺に納めるとき、生前彼女が気に入っていたスカーフを再び首に巻いてあげるシーンでは涙が出そうになった。僕の母親も寒いときにオシャレも兼ねて似たものを身につけているからだ。
きょうは昼間に甥・姪と遊んだ。家の中でビーチボールを使ってサッカーをした。その後は昼食をはさんで外で宝探しをした。一人が宝物の人形をどこかに隠して、残りの二人がそれを探すという遊びだ。誰かが宝物に近づくと隠した人が手にしている棒を上げる。それがセンサーの役割をしてヒントになる。小学生のころだったか、Y君と似たような遊びをした。そのときは棒を上げる代わりに口で「ピッピッピッピッ・・・・」と言っていた。探す人が宝物にもっと近づくと「ピピピピピピピピ・・・」と音を激しくさせていた。
しばらくその宝探しで遊んでいたら近所に住む姪の友達が遊びにきた。「どうしよう・・・。あの子も一緒に宝探しやってもらうか?」と姪と甥に尋ねたら、二人は僕に人形と棒を返してきた。僕は、「ほんならもう僕はさよならするで」と言って家の中に入った。そのあいだ姪の友達は兄の家の犬を無言でかまっていてちょっと気まずかった。
2009年2月15日(日)

仏壇と人
朝トイレで、新聞に挟まっていた仏壇のチラシを見た。家にもある、お寺の模型に金色の賑やかな飾りがしてあるタイプの物がほとんどだったけど、なかにはほとんど装飾のない食器棚のような仏壇も売られていた。それを見たとき『仏壇ってなんだろう』と感じた。僕は仏壇を一度も真剣に拝んだことがない。これは断言できる。法事のときは形だけ真似をしている。でも真面目に仏壇に向かって手を合わせている人たちの信じる心はたぶん本気だと思う。そうやって本気で拝める仏壇をもっているという、その在り方にはちょっと興味がある。
NHKの平成シゴト図鑑という番組で、「土木工事の現場監督」という仕事が紹介されていた。中部地方の山奥に、土砂崩れを防ぐためのコンクリートの大きな階段を作るのがその人の仕事だった。僕とほぼ同い年のその人が、朝早く出勤して現場を測量したり、五・六人の作業員に厳しい注文をつけたりしているのを見て、自分とその人との間に大きな、存在論的な隔たりがあるような気がした。その人は作業服を脱ぐと今どきのちょっとかっこいい若者で、家には可愛らしい奥さんと幼い子どもがいた。
仕事中、上司に何か指示された時などによく「はい」と言う。あれは機械のオンみたいなものだと思った。もし「いいえ」と言えばオフになる。そんなことを考えていたら大昔は「はい」という言葉はなかったかもしれないと思えてきた。
2009年2月9日(月)
Yっちゃんと会った
二か月前、年末の時期に反対番(日勤⇔夜勤)の人たちがM-H50Dという加工機械のヘドロ掃除をやってくれた。加工機械の中は大量の切削油が循環しているけど、その切削油はどんどんドロドロになってくるので一年に一度くらいは油を抜いてヘドロ掃除をしたほうがいい。反対番の人たちは切削油を抜いてヘドロ掃除をし、抜いた油をドラム缶の中に入れて機械の後ろに置いた。「年が明けてまたM−H50Dを動かすときにその油を機械に入れてくれ」と僕のところに伝言が来ていた。年が明けて、さてM−H50Dを動かそうというときに僕は迷った。機械の後ろに置いてある使い古しの油を入れようか、それとも新しい切削油を買ってもらってそれを入れようかと。僕は新しい切削油を入れることにした。でも問題なのは、古い油をどうするかだった。会社のルールで、汚れた油や使わない油は廃油用のドラム缶に入れて廃油置場に持っていくと決まっている。だから機械の後ろの油を捨てるには、まず廃油用のドラム缶に移し替えてから、廃油置場に持っていかなければいけない。『どうしよう面倒だなあ』と思いつつ、古い油は約2ヵ月間機械の後ろに放ってあった。そしてついに今日、朝の30分間の掃除の時間にその油を捨てることができた。廃油置場から空の廃油用ドラム缶をもってきて、そこに手回しポンプで油を移し運び出した。ドラム缶が無くなると機械の後ろが広くなった。僕は嬉しくなって仕事中いつもよりよく体が動いた。
さっき仕事が終わってからコンビニに行ったらYっちゃんがいた。僕が「元気にしてる?」と声をかけるとYっちゃんは「元気ちゃうわ。クビになった」と大きな声で言った。Yっちゃんとは保育所、小学校、中学校と一緒だった。そういう子は僕らの小さな町では珍しくないけど、Yっちゃんは家も近くて優しい子なので、会社に勤めだしてからも一度か二度電話で話をした。最後に電話で話したときに釣りに誘われたけど、僕はあるようなないような用事を言って行かなかった。それから後にも何度か電話がかかってきていたけど、僕はちゃんとは掛け直さなかった。そうしたら電話はかかってこなくなった。だから久しぶりの再会は少し気まずい感じもした。Yっちゃんは刺しゅう入りの赤いジャンパーにジーパンという服装で、薄い髪の毛の一部を長く伸ばし金色に染めていた。耳たぶに赤いピアスが二つ見えた。店の外の灰皿のまえでタバコを吸いながら話をした。Yっちゃんには少しどもりがあって、少し引っかかるように喋る。
Yっちゃんは半年前に、派遣社員として長く勤めていたニチデンを辞めた。そしてそのすぐあとに別のびわ町の工場で、やはり派遣社員として働いたけど、つい四日前に突然解雇を言い渡されたということだった。だから今は無職で、パチンコするか家でファイナルファンタジー7をしていると言った。そこからファイナルファンタジー7や他のゲームの事細かな内容の話が続いた。僕が「僕やったらとりあえずハローワークに行くかな」と言うとYっちゃんは「いや俺も仕事探してるけど、社長も探してくれてるし、Kも心配すんな俺に任しとけと言ってくれてる」と言った。社長というのは派遣会社の社長のことで、Kというのは僕も知っている同級生のことだ。貯金がないとのことなので心配したけど、Yっちゃんの周りには支えになってくれる人がいるみたいで僕はほっとしたし、K君の言葉には胸が熱くなった。話を聞いていると、どうもYっちゃんの働く態度もあまり良くはなさそうだったので、工場としては不況を言い訳にしてYっちゃんのクビを切ったという側面もありそうだった。Yっちゃんもそのことになんとなく感づいていて(工場はYっちゃんをクビにした直後に人員を募集していた)、「木刀もって工場殴り込みにいこかと今社長と喋ってた」と冗談ぽく言ったので僕は笑った。そろそろお別れかなという時に、Yっちゃんはこのあと僕と遊びたそうな素振りを見せたけど、僕は明日仕事もあるし遊べないという雰囲気を作った。「また金が入るようになったら遊ぼう」とYっちゃんが言ったので「うんそうやな、また」と言ってさよならした。
2009年2月6日(金)
エーリッヒ・アウエルバッハ(著)『ミメーシス ヨーロッパ文学における現実描写(上・下)』(1946独、1967筑摩書房)
蓮實重彦(著)『赤の誘惑 フィクション論序説』という本のなかで取り上げられていていて興味をもったので、アウエルバッハ(著)『ミメーシス』を読んでみた。紀元前から現代までのヨーロッパ文学が論じてあり、それぞれの文学作品の現実描写の変遷を追うことがこの本の大きなテーマになっているみたいだった。全二十章で、各章のはじめにテーマとなる作品が部分的に引用され、そのあとにアウエルバッハの緻密な読解が続く、という構成だった。『ボヴァリー夫人』と『灯台へ』以外は読んだことのないものばかりだったけど、ヨーロッパ文学史がどんな作品から成るのかがおよそわかった。上巻辺りは作品が古いのでなかなか理解しづらかったけど、均一で奥行きのない『オデュッセイア』と光と影が際立つ『旧約聖書』との対比などはなんとなく面白かった。下巻に入るとだいぶ普通に読めるようになってきて、18世紀以降の作品論はどれも面白く読んだ。アウエルバッハはそれぞれの作品の文章を絵でも見るように読んでいるようだった。僕ももっといろいろな文章が読みたくなった。でもたしかに、文章で現実を模写(ミメーシス)するとはどういうことなのだろうかと思った。
第一章 紀元前 ホメーロス『オデュッセイア』、『旧約聖書』
第二章 1世紀頃 ペトロニウス『サテゥリコン』、タキトゥス『年代記』、『新約聖書 マルコ伝』
第三章 2〜4世紀頃 アンミアヌス・マルケリヌス『歴史』、アプレイウス『変身譚』、ヒエロニュムスの手紙、アウグスティヌス『告白』
第四章 6世紀頃 トゥールのグレゴリウス『フランク人の歴史』
第五章 11世紀頃 作者不詳『ロランの歌』、『アレクシウスの歌』
第六章 12世紀後半 クレティアン・ド・トロワ『イーヴァン』
第七章 12、13世紀 アダム劇、ベルナルドゥスの書簡、アシジのフランチェスコの書簡と逸話、ヤコポーネ・ダ・トーディの受難詩
第八章 14世紀 ダンテ『神曲 地獄篇』
第九章 13、14世紀 ボッカチオ『デカメロン』、中世フランス語の笑話、サリンベーネ・デ・アダムの年代記
第十章 15世紀 アントワーヌ・ド・サール『マダム・フレーヌのなぐさめ』、作者不詳『結婚十五の歓び』
(以下下巻)
第十一章 16世紀 ラブレー『ガルガンチュワとパンタグリュエル』
第十二章 16世紀 モンテーニュ『エセー』
第十三章 16、17世紀 シェイクスピア『ヘンリー四世』『マクベス』など
第十四章 16、17世紀 セルバンテス『ドン・キホーテ』
第十五章 17世紀 ラ・ブリュイエール『カラクテール』、モリエール『タルチュフ』、ラシーヌ『ベレニス』『エステル』など、コルネイユ
第十六章 18世紀 アベ・プレヴォ『マノン・レスコー』、ヴォルテール『哲学書簡』『カンディード』、サン=シモン『回想録』
第十七章 18世紀 シラー『たくらみと恋』、ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスター』
第十八章 19世紀 スタンダール『赤と黒』、ルソー、ユゴー、バルザック『ゴリオ爺さん』、フローベール『ボヴァリー夫人』
第十九章 19世紀 ゴンクール兄弟『ジェルミニィ・ラセルトゥー』、ゾラ『ジェルミナール』、ドイツ文学、ロシア文学
第二十章 20世紀 ヴァージニア・ウルフ『燈台へ』、プルースト『失われた時を求めて』
2009年2月1日(日)
吉田修一(著)『さよなら渓谷』(新潮社2008)
年末年始のNHK-FMの特別番組をいくつか録音した。Jポップを紹介する番組で次のような歌詞の曲を聴いた。
「♪わたしもうやめた 世界征服やめた/きょうのごはん考えるのでせいいっぱい」
相対性理論というグループのバーモント・キッスという曲で、女性の囁き声が可愛らしかった。そのあとも「二重生活やめた」とか「破壊工作やめた」とか、気持ちのわかる歌詞が続いていて気に入ったのでCDを注文した。
きのう三重県立美術館に山口薫展というのをひとりで見に行ってきた。新しい車で遠出してみたいという思いもあった。まえに模写した(2007年10月24日)「十和田紀行」という絵の本物があった。大きな作品だったので驚いた。他にもネットで見て気に入った「ノートルダァム」という絵もあった。ミュージアムショップで1800円の図録を買った。山口薫は「モダンな造形感覚で日本的抒情を描いた」作家だと図録の解説にあって的確な説明だと感心した。「ノートルダァム」のポストカードを買っておけばよかったと家に帰ってから悔んだ。
でも僕はなにか、美術館に出かけて絵を見ることに嘘くさいものを感じている。今回も嘘くさいと思いながら三重県まで行ってきた。今の時代はそんなところに行かなくても、印刷物やテレビなどでたくさんの絵やイメージを見ることができるからだろうと思う。僕はけっこうそれで充分だと思うほうだ。
新しい車の調子は良かったけど、カーナビの調子が悪かった。大垣の辺りでプツンと切れて再起動が繰り返された。朝一の始動時に衛星をキャッチできず、自宅近辺を迷走したあげく瀬戸内海やら仙台沖にワープするという症状も気になっていたので家に帰ってネットでその新発売のカーナビの評判を見てみたら僕のと同じような症状を訴えている人がいて問題の多い商品だということがわかった。車を買った店に返品できないか尋ねてみようと思った。
今日、ちょうど一カ月点検の頃合いでもあったので自動車店にいってカーナビの不調を訴えた。「できたら返品したい」とお願いした。車の点検のあいだ店の中で待っていた。すると僕の担当のM塚さんがやってきて向い側に座った。M塚さんはたぶん僕より年下で感じのいい人だ。でもこうやって目の前に座られるとホストクラブみたいだと感じて照れた。「燃費いいですね、20キロってでてましたよ」とM塚さんが切り出した。僕は、普段は13、4キロですけどきのう遠出したのでと答えた。どこに?と訊かれたので三重県にと答えた。遊びに行かあったんですかと訊かれたので、まあ・・・そうですと曖昧に答えた。寂しい変人だと思われたくないので一人で美術館に行ったとは言えなかった。そのあとは今年は雪が少なくていいですねといった話をしているうちに点検が終わった。カーナビの件よろしくお願いしますと言って店を出た。M塚さんはなるべく返品の方向でメーカーに問い合わせてみますとおっしゃった。
前に別の店で中古デミオを買ったときの担当は45歳くらいのOさんだった。数週間前レンタルビデオショップに行ったらOさんがいた。Oさんが瞬時に目をそらせたので僕も目をそらせてすれ違った。デミオを買ってから三年くらいの長い付き合いをしたし、二か月前の事故のときには特にお世話になった。でも目をそらせてしまった。僕は一緒にいるみたいだったOさんの家族を見てはいけない気がしたし、Oさんは僕がいやらしいDVDでも借りに来たと思って気づかってくれたのかもしれない。僕はそのときユーリズミックスのスイート・ドリームスという曲が入ったCDを借りた。店を出るときまたOさんに出くわし気まづい思いをした。やっぱり最初にタイミングを逃さずこっちから挨拶したほうがよかったかなと後で思った。
一週間ほどまえ、父がデジタルカメラを買ってきた。僕は、また説明書を読んでパソコンにソフトを入れて云々・・・という面倒に関わりたくないと思ったのでちょっと本体を見せてもらってすぐに父に返した。そして今日になって、そのカメラの記録媒体がSDカードではないので家のパソコンに挿すことができないということがわかった。内心『わからないのに相談もしないで難しいものを買うからそうなる』と思った。父は「また店にきいてくるわ」と言った。僕に、教えてくれ、説明書を見てくれ、とは言わない。僕は父が気を落としている様子を見て「デジカメの説明書は?」とついに言った。たぶんUSBケーブルとかいうのでデジカメとパソコンを繋げられるのでないかと思った。僕の前の古いデジカメはそうだった。父は気が動転しているのか説明書をどこにやったかもわからない。僕は「箱のなかちゃう?」と言って箱を開けたらその中に説明書とケーブルが入っていた。予想は当たってそのケーブルでデジカメとパソコンをつなぐことができた。
最後に。吉田修一(著)『さよなら渓谷』を読んだ。犯罪小説のような純文学のような話だった。『悪人』もそうだったけど、人の描かれ方がリアルだった。
2009年1月18日(日)

二つの人間観
BSハイビジョンでイギリス人が撮った「ナオキ」というドキュメンタリー番組を見た。山形で郵便保険関連のアルバイトをして原付バイクで走りまわっているサトウ ナオキさんの生活を追った作品だった。ナオキさんは若いころ政治活動をしたり、会社やバーを経営していた時もあったけど、バブルがはじけたときに全てを失い家族からも縁を切られた。今は20才以上年下の彼女と狭いアパートで暮らしている。テーマがいくつか混在していたように思った。「日本の新しい貧困」、「年間で約三万人の自殺者を生んでいる日本社会の病理」、「ナオキさんと恋人との関係」、「ナオキさんと恋人の家族との関係」など。だからナオキさんという、英語が堪能だったりしてちょっと変わってはいるけど特に特別な何かをもっているわけではない人物に取材することで、色々な問題やテーマが見えてくる、そういう作りのドキュメンタリー作品だった。
人を、年齢とか学歴とか出身地とか外見などで判断してはいけないということがたまに言われる。でもそうやってその人にとって「本質的でないもの」をひとつひとつ剥ぎとっていったら一体最後には何が残るのだろうかと最近おもう。だから反対に、ある人の性格はもちろん、年齢も学歴も仕事も家族も出身地も外見も恋人も過去も、その人をとりまく全てのものがその人を構成していると考えると、今度は日本社会やグローバル化した世界経済や世界史や銀河系やビックバンまでその人に含まれるということになってくると思う。
「実存」という言葉はたぶん前者の意味で使われることが多いと思うけど、後者の意味で使うこともできて、その小さな実存と大きな実存のあいだを行ったり来たりして考えると面白いように思う。
2009年1月8日(木)
吉本隆明さんの芸術言語論
詩人・文芸評論家の吉本隆明さん(83歳)の講演を要約したテレビ番組を見た。
吉本さんは若いころ熱心な主戦主義者だったので、日本が戦争に負けて人々の価値観が一変したときとても大きなショックを受けた。それでもっと根本から世界を把握する方法を見つけないと生きていられないと思い、古典経済学を学ぶことにした。アダム・スミスやマルクスを読んだ。アダム・スミス『国富論』のなかの次の例え話が引かれていた。「Aさんがあるリンゴを木に登って採ってきたら、そのリンゴの価値はAさんが木に登って採ってきた労力に等しい」(労働価値説)。この話にはいろいろ考えさせられると吉本さんは仰っていた。文学青年でもあった吉本さんはその後、芸術言語論というものを唱える。それによれば、言葉には「自己表出」と「指示表出」という二つの機能がある。花を見て『きれいだ』と思うときの言葉の機能が自己表出、花を見て他人に「きれいだね」と伝えるときの言葉の機能が指示表出。その二つは縦糸と横糸のようになって言語を形成し切り離せないけれど、重要なのは自己表出のほうだと吉本さんは言い切る。また自己表出の多く含まれた言葉、詩、小説ほど、その言葉を発した人の「精神構造が収縮して」こめられているし、その人の「宿命を指さして」いるらしい。そうした「芸術言語」を生み出すには、人類が一番はじめに言葉を発した瞬間と同じような集中力が必要になる。また芸術言語の価値は、その言語がどれだけ多く自己表出の部分を含んでいるかで計られ、労働価値説では説明できない。
だいたい以上のような話だった。
2009年1月8日(木)

正月
あけましておめでとうございます。このHPを見てくださっている方々、また、過去にメールを送っていただいた数人〜十数人の方々、本当にありがとうございます。今後もできたらよろしくお願いいたします。
年が明けた。二日の晩に、里帰りしてきたY君とT君と会うことができた。僕の友達は四つか五つのグループに分けられる。
@Y君T君たち町を出ていった小中同級生グループ
AS君K君たち地元の小中同級生グループ
B近所のM君(小中同級生でもある)
C草津に住む高校の同級生N君
Dそしてたまに瀬田のKさん(就職活動中に知り合った)
Aのグループとは12月27日に忘年会と称する飲み会があって、それに呼んでもらい会うことできた(10年ぶりぐらいにS男君に会えた)。BのM君とは、30日に僕の部屋で少しだけ会った。CDの人たちとはしばらく会っていない。本当はそんなグループ分けなんかしないで、みんなで一斉に会えたらいいけどなかなかそうもいかない。でも結婚式と葬式にはみんなで集まって田辺祭りをしてもらいたいと思っている。でも結婚式はいつになるか、あるかないかもわからないし、葬式はせっかく集まってもらっても僕がいない。
話がそれた。二日の晩に、里帰りしてきた@のグループで集まることができた。Y君とT君だ。僕が一人ずつ車で迎えにいき、それぞれの家に上がらせてもらいご家族に御挨拶したりしながら、最後は僕の部屋で語り合った。一通りの近況報告が終わると、去年自分の中でヒットしたものを一人ずつ発表しようということになった。T君は展覧会で見た尾形光琳の絵がよかったと言った。Y君は、社内のコミュニケーションを活発化させるために職場を異にする人たちが話し合う集まりが面白かったと言った。僕は去年の暮れに思いついた殺人と自殺の理論を二人に説明した(だいたいの内容は去年の11月29日の日記に書きました)。T君は僕の殺人理論について腑に落ちないところがあるみたいで、それで長いこと議論した。T君とはオシャレのことでも議論になった。僕が、オシャレをするのは自分を偽ることではないか。またオシャレでない人に対して優位に立ちたいからではないか、と言ったら、T君は、そういうのもないとは言い切れないけど、根本にあるのは自分が気持ちいい服を着ていたいという気持ちからだと言った。僕は服はだいたい近くにあるユニクロや無印良品などで買っている。Y君やT君はそういうポピュラーな店もいくけど、僕の知らないブランドの服も買ったりしているらしい。途中で、この服の話は音楽の話と同じ形をしていると気がついた。みんなは洋楽というとあまり聴いていない。聴いていたとしてもマドンナとかガンズ・アンド・ローゼスとかの、洋楽の入口にあるものであることが多い。そしてそこで興味が止まってしまっている。でも僕はその入口から少し奥に入ったところの音楽を聴いている。そこのほうがより自分が気持ちいいと思える音楽があるからだ。でもそこには服の場合と同じように自分を偽る心や虚栄心のようなものも働いているのかもしれない。だから結局オシャレについてY君やT君を攻撃することは、同じだけ自分を攻撃することになるということに気がついた。
そのあとは、Y君が会社でやったという、一人一人に「強みキャッチコピー」をつけるという遊びをした。まず自分で自分の強みをいくつか書き出し、それを他の人に見てもらい議論しまとめてもらって、その人の人となりを象徴するキャッチコピーをつけてもらう。このゲームみたいなものもなかなか面白かった。これが終わるともう朝方で、みんな眠くなってきたので、本当に寝てしまうまえに車で二人を家に送った。
2009年1月6日(火)