ゲームと運
さて、世の中には多種多様なゲームが存在し、広く遊ばれている。パチンコなどのようなものから、スポーツ・コンピュータゲーム(以下Cゲーム)のような物まで。人生に娯楽は付き物で…といった人生論は横に置いておくとして、「ゲーム」は何故面白いのか? 今回はそこの部分について考えてみた。 「ゲーム」を面白くする共通要素というもの。それは、「腕」と「駆け引き」と「運」だと私は考える。「腕」と「駆け引き」については、大体分かっていただけると思うが、一番無視されそうなファクター「運」について少し掘り下げてみよう。 「運」。おそらく、この世界で一番不確定な要素だと思われるこの要素は、「ゲーム」にも深く関わっている。スポーツでもCゲームでも、確実にクリアできるハードルを偶然失敗してしまった、逆に出来なかった技ががたまたま成功した、ということはままある話。「偶然」「たまたま」という表現に「運」は当然ながら介入している。 「ゲーム」の中の「運」はもちろん不確定だ。が、不確定であるからこそ、「ゲーム」を面白くしている。もちろん「腕」と「駆け引き」の要素も重要だが、それは努力と経験でカバーできる部分で、ぶっちゃけた話、「腕」と「駆け引き」の要素は「運」を「確率」まで引き上げる道具(決してその2要素を否定しているわけではない)と解釈しても過言ではないかもしれない。「確率」とて100%かというと、「ルール」に接触するかプレイヤー間によほどの実力差がない限り誰も保証できない。よくスポーツとかで「一か八か」な決断があるが、それが「運」といえよう。 「ゲーム」における「運」の占める割合は、そのゲームの種類や相手などの状況によって変化するので、「運」の少ない・多いを判定するのは難しいといえるが、一般に「運の要素が少ないもの」は如実にバランスが反映され、逆に「多い物」は博打性が高い物になる。 私の好きなCゲームの世界でも「運」は重要だ。対戦ゲームなら、相手に関係する運がついてまわるし、RPGなら敵味方のクリティカル攻撃の運や敵が落とすアイテムの運もある。クイズゲームにしても、自分が分かる問題が来るか?の運と、当てずっぽうで押した答えが当たる運が存在する。サイコロ類を使うゲームにしては、言わずもがなである。 つまるところ、「運」を楽しむ気持ちがなければ、「ゲーム」を完全に楽しむことは出来ないと私は思う。「ゲーム」をプレイすることを職業にしている人にとっては、楽しむとか以前の問題であるが(そりゃぁ生活かかっているでしょうから)、そういう方々は「運」を「確率」に引き上げる努力をしているのでまぁよいとして、あくまで一般娯楽の範囲で「ゲーム」を遊んでいる方々には、「運」も「ゲーム」の内、と納得して広い心で「ゲーム」ライフを送っていただきたい。 少なくとも、Cゲームでレアがでないからって改造ツールで不正してる人や、パチンコで全然当たらないからって台を叩いて店に文句言う人や、スポーツで勝てないのを道具のせいにしている人みたいに見苦しいまねはしないように。 |