EF50 8号機(マイクロキャスト水野 小改造)

(実車解説)

EF50形は、1925年(大正14年)の東海道本線、東京〜国府津間の電化開業用にイギリスのイングリッシュ・エレクトリック社とノースブリティッシュ社の合作により、

1924年(大正13年)に8輌が製造・輸入されたもので、日本では初のF級電気機関車である。

形態的な特徴としては、角ばった箱型の車体、車体下部の側梁に開けられた9個の丸穴、先台車が外側軸受け式である事、などが挙げられる。

そして何より特筆すべきなのはその雄大なスタイルで、全長21mは現在に至るまで日本のF級電機では最長であり、1400mmの動輪径と相まって

実に堂々たる姿で、「デッカー」の愛称で当時のファンに親しまれる事となった。

輸入当初は螺旋連結器にバッファー付き、側面ベンチレーターは3列、パンタグラフは大型のEEタイプと呼ばれるものを装備していた。

(連結器は大正14年の一斉交換で自動連結器に、ベンチレーターは4列に増設、パンタは戦後までにPS14に交換されている)

輸入当初は故障も多く、蒸気機関車を後部に連結したいわゆる「電蒸運転」を行っていたが、やがて技術力も向上し、性能も安定して来る様になると、東海道本線の

優等列車を多く牽引する様になり、後輩にあたるEF51・52・53・55等と共に戦前の電機黄金時代を演出した。

EF50の所属は戦後まで一貫して東京機関区であったが、1952年(昭和27年)4月の上越線電化に際して、EF53形などとともに高崎第二機関区に5両が転属した。

高崎線でも快速「はるな」「あかぎ」、急行「十和田」の牽引にあたり、その活躍ぶりは相変らずであったが、EF58が流線型車体に鞍替えし、その性能が安定して来ると

さすがに衰えが目立つ様になり、1954年(昭和29年)にはついに廃車が始まり、1956年(昭和31年)11月18日の急行「十和田」牽引で第一線を退いた。

その後も入れ替えや小運転等で細々と運用に就いていた様だが、1958年(昭和33年)に最後の一両が廃車となり形式消滅した。

マイクロキャスト水野のメーカー未塗装完成品を、2007年に戦後仕様として一旦仕上げたもの。

2011年に全般検査を行い、さらに戦後スタイルに近付ける加工を行なった。

すでにパンタグラフは前回の加工時にPS14に交換していたのだが、今回の全般検査ではさらに

・前照灯を天賞堂のイルミネライト(LP42)に交換、モデルシーダーのLEDライトを用いて点灯。

・KSモデルの窓サッシを用いて運転台後ろの窓枠を追加。

・機関士側のワイパーを移設、機関助士側にワイパーを追加。

・車体内側を淡緑色で塗装。

等の追加工を行ない、より戦後スタイルに近付く様に仕上げた。

 

なお、完全な戦後仕様にするにはデッキ手摺りの高さ変更、軸箱を省型に交換、ブレーキシリンダーの追加、開放テコの交換、

等の加工をしなければならないが、手持ちパーツと自分の工作力を考慮し、今回は下回りの加工は見送りとした。

今回の全般検査でナンバーは7号機から8号機に変更。塗装にはガイアカラーぶどう1号を用いたところ、艶の抑えられた落ち着いた色調に仕上がった。

退役間近、という感じが出ていて個人的には好みである。

2007年に改造竣工した時の姿。

参考までに、購入時の姿。

 

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