天智天皇の頃、当地の山野は弓馬操練の地とされ、多くの牧士等の居住することとなりました。
たまたまこの地に天泉が湧出し、その水が清冽であったので天泉所と称し、ここに須佐男命、大己貴命の二桂を産土の神として祀り、今日に至りました。
その後天泉所は大泉大清水と改められました。
日本武尊が伊吹山で大蛇の毒を受けた時、その高熱をこの清水でいやしたところ
不思議にも高熱の苦しみが醒めたというゆかりの湧き水
役の行者が霊山三徴で大きな岩屋に向かって祈願され、弟子に斧で割らせたところ
十人住めば十人の水、百人住めば百人の水が、その自然石から流れ落ち、心身ともに健やかなお水とされている。