sweet little devil
珍しく涼介は夕方の混雑に紛れていた。
帰宅途中の沢山の車の中に彼の愛車がつかまっている。
そろそろ解放してくれてもいいだろう‥?
涼介の呟きがわずかに空いた窓の外へ。
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「涼介も啓介も遅いわねえ‥緒美ちゃんごめんなさいね。折角のお誕生パーティなのに‥」
キッチンの叔母の隣でくるくると動き回っていた緒美は
カナッペの味見をしながらにこっと笑った。
「忙しいのに無理言ったのは緒美だもの、叔母様」
絶妙のタイミング。
玄関の空く音。
あっ、涼兄だ!
パタパタと駆けていく後ろ姿。
緒美の母と叔母が見送る愛らしい少女。
すぐに長身の青年が緒美に追い立てられるようにして入ってきた。
「押さないでくれよ、緒美」
苦笑顔の青年‥医学生の涼介‥は 何かの包みを脇に抱えてのご帰宅の様。
彼が上着を脱ぎながらネクタイを緩めて座ったリビングのソファが キッチンから死角なのを良いことに 今日の女王様は済まして「そこ」へ座った。
「…『そこ』は勘弁してくれ、緒美」
額に手をあてて、 学部イチ(ということは大学イチ)の秀才は弱り果てた。
緒美はそ知らぬ顔で涼介の胸の中に すっかり自らの重みを預けてしまう。
…彼の膝の上で。
そして首を反らせて彼を見上げた。
二つのてのひらを上に向けて。
諦めの表情で青年はソファの隣に座らせた先程の包みを取りあげる。
「‥先におめでとうを言わせてくれよ。 ―緒美。十九歳のお誕生日おめでとう」
はい、と乗せられた包みを緒美はじっとみつめた。
可愛い包装紙の上から二本の親指でむにむに、と感触を試す。
それから黙って包みを開け、 緒美は 「りょうにいっ」
怒って振り向いた。
なんなのっ、これは!
「‥気に入らなかったか? 前にほしいって言ってたじゃないか‥。
秋田限定なまはげキティちゃん…」
「ほしいとは言ったけどっ… だって十九歳のお誕生日なんだよ!?」
涼介はおごそかにうなずいた。
「いかにも」
「いかにも、じゃないよっ‥あーもうしんじらんない。
普通十九歳の誕生日って言ったらさ、 私の左薬指にぴったりな指輪とか、
印鑑ついた市指定の用紙とか」
待ってくれ緒美。
「…いつからオレと緒美はそういう仲になったんだ‥?」
冷や汗をじんわりかきながら涼介が言った。
そう。この二人、決してそういう仲では無い。
「………もう涼兄なんて知らないッ」
ご機嫌を損なわれて緒美はぷいっとそっぽをむいた。
……ただし涼介の脚の上に座ったまま。
なまはげ猫をぎゅっと胸に抱き締めて。
涼介は内心思わず焦った。
「悪かった、緒美‥ 何かほしいなら今からでも聞くけど‥ だから機嫌を直してくれないか‥」
優しくなだめられて緒美は頬を膨らませたまま 涼介を見(というより睨みつけ)た。
「‥約束する?」
ああ、するとも。
いきおいで彼は頷いた。
今何より欲しいものがあるの‥。
半身をひねって見上げる上目使いの瞳がきらりと光った。
「聞かせてご覧」
涼介の指はいつも優しく髪を撫でて行く。
「あたしが欲しいのは‥一番欲しいのは……キス…よ。 りょうにいの‥キスよ」
優しい指は動きを止めた。
それを惜しいと緒美は思った。
「な‥んだっ、て?ごめん、聞き違えたかもしれない」
涼介の形の良いみみたぶを引っ張って
破天荒な少女は繰り返した。
「キスだってばキス!!!その唇あたしにちょうだい!!」
‥くどい様だがこの二人、ただのイトコ同士でしかない。 ……今はまだ。
「何言って…つ、つぐみ‥そんなものは 恋人同士でするものだろう!?」
さすがの鉄面皮も音をたててはがれ落ちたかに見えた。
戸惑う二十四歳の青年に迫る十九歳新人の美少女は
その胸板にピシッと人指し指を突きつけた。
「あたし、いずれ誰と付き合おうが結婚しようが
初めてのキスの相手は涼兄って決めてたの。
大体、万年モテまくりで二十四年の間に 何百回、何千回として、
これから寿命で死ぬまでに何万回とするキスのうちの
たった一回や二回、あたしにくれたっていいじゃないケチ」
一気にまくしたてられ思わず身を引く涼介は必死に抵抗した。
「それは無茶苦茶だよ、緒美‥」
ムチャクチャどころか、それでは涼介はキス魔のようである。
キッ、と涼介を見上げて緒美は奥の手を出す。
「じゃ、いいわ。叔母様に涼兄にいぢめられたって言うもの」
それはまずい、と涼介は青ざめた。
女の子が欲しかったのだという母親は
緒美をまるで実の娘のように可愛がっている。
その娘に訴えられたなら涼介の無実をネジ曲げ、
隠蔽してでも報復を謀るであろう。
最悪の事態であり、
阿鼻叫喚そのものだ。
高橋家の住人は殊更緒美に弱かった。
涼介は諦めて伏し目がちに
「後悔しても知らないぜ」と言った。
「ん‥‥」
緒美はわくわくとその瞬間を待っている。
薄幸の医学部生は、わびしい溜め息をつつましくひとつ落とし、
そっと緒美の頬に指先を添えた。
ゆっくりと顔を近付けながら、 緒美の身体中が心臓のように早鐘の鼓動を打つのを感じる。
ふれ合った少女の唇はふっくらと柔らかく、 春の風が唇に舞い降りたように、
触れていることにも気付かない程だった…。
甘い花の香りに頭の芯は痺れ‥‥、
蝶々の羽がかすめるようなくちづけから目覚めた緒美は
瞳をぱちり、と瞬いて小首を傾げた。
「……オレの…ファーストキスを奪った感想は?」
万年モテ介のあまりにも衝撃的な程意外な告白に
緒美はキスの名残を惜しむように甘く微笑みながら応えた。
「‥知ってるよ、そんなこと」
もし本当に好きでないなら、いくら院長夫人をタテにしたって、
キスなんかしてくれなかっただろうことだって。
緒美は何でも知っている。
脱力してソファの背もたれに彼は倒れ込んだ。
「ぼやっとしてると、今度は緒美から奪いに行くんだから
‥涼兄の気持ちも、キスだって」
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キャンドルの火を消してお願い事をして!
弾んだ声が主役を急かす。
一生懸命にケーキの上の小さな火を吹き消して、
緒美は素早く隣の愛すべき従兄へ耳打ちした。
「‥本気だから。りょうにいのこと!」
部屋の灯りがつくと、
緒美は素知らぬ顔でケーキを切り分けている‥。
あれは夢だったのだろうか…。
一瞬振り向いた緒美の瞳がいたずらそうに笑んだ。
夢じゃないよ…そんなふうに。
HAPPY BIRTHDAY !! tsugumi...WITH MUCH LOVE.
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