「啓介さん・・・お願いがあるんですけど・・」
プロジェクトDでの遠征中。
拓海は二人きりの時を狙って啓介の耳元にささやいた。
「なんだよ?」
すこし怪訝な顔をしながら啓介は聞き返す。
「ゴールデンウィーク。開けといてほしいんですけど。もう、何か予定入れてたりします?・・・その時期は遠征も無かったですよね?」
違いましたっけ?と付け加えながら。
「いや、別にこれといってはねえよ?どうすんだ?」
「旅行。行きたいかなって・・・思ってるんですよ」
拓海は啓介の顔をじっと見つめる。
「啓介さんと二人っきりでどこかに・・ね」
そして、恐らく啓介しか見たことのないであろう笑顔を浮かべてにこやかに微笑んだ。
「・・・っ。別に・・・いいけどよ・・・」
拓海の笑顔から、視線をはずすようにしながら、ポケットの中のたばこを探る。
「で?どこ行くんだ?」
火をつけて大きく吸い込んだ煙を吐き出しながら尋ねる。
「え、いいんですか? 即答しちゃって・・・」
少し驚いたように拓海は聞き返した。
まさか、こんなにすぐ返事がもらえるとは思っていなかった。だから、どこに行くかなんてまったく考えていなかった。
「いいもなにも・・・オレの日程だろ? オレが良いってんだから、いいんだよ」
なにいってんだよ・・・お前・・・と目が語る。
それに、お前から『お願い』なんて、めったにないことだしな、なにせいつもは強引に決めちまうんだしなぁ。ま、たまにはいいよな。『お願い』されるってえのも。なんだかちょっといい感じじゃねえか?
「・・さん! 啓介さん!」
と、ちょっとぼんやり考えながら、煙を眺めていたところを拓海の呼び声で引き戻される。
名を呼ばれたことに気づいて拓海の方を見るとまるっきり反対方向を指さしている。
「涼介さん、呼んでますけど・・・?」
「あ、ああ、今行く!」
あわてて煙草をもみ消して、振り返って返事をする。
そして、拓海の方をむき直すと、
「とにかく! 連休は開けとくからな!」
そういって念を押すと、小走りにその場を後にした。
「オッケーもらったのは良いけど・・・どこに行こうかなあ・・・」
その場でしばらく佇みながら、拓海は少し困っていた。
やっぱり、行ったことのない所へ行ってみたいかなあ?
俺としては、啓介さんと二人っきりでとこかに行くってのが一番の目的なんだし・・・別にどこでもいいんだけどな・・・ま、明日にでも本屋に行ってガイドブック探してこよう・・・
そう決めると、拓海は少し離れたところへおいていたハチロクへと足を向けた。
次の日。
本屋のガイドブックのコーナーでどれにしようかと考える拓海の姿があった。
・・・どこにすればいいんだ?
目の前には全国津々浦々の名を冠したガイドブックが並んでいる。それぞれの地名の物を適当に手にとってぱらぱらとめくってみた。
・・・よくわからないな・・・どれもこれも・・・
行ったことのない所の写真を見てもピンとこないのは当たり前なのだが、それをみただけで、行きたい場所はやはり決まらない。
面倒になって、拓海は数冊のガイドブックをまとめて手に取り、目をつむっておもむろに一冊引き抜いた。
「これでいいや・・・」
本当に適当な決め方だったが、これといって行きたい場所があったわけでもない拓海にとっては、それで十分だった。
「・・・大阪? くいだおれの街?」
引き当てた一冊のガイドブックには『大阪』とでかでかとかかれていた。
ま、いいか、大阪で。行ったことねえし・・
これ以上考えるのも面倒くさくなった拓海は、そのままその本を持ってレジへと向かった。
「あ、啓介さん、これ」
待ち合わせたファミレスでひとしきり話した後でそういって渡された本屋の紙袋。
「? なんだ? これ」
がさがさと袋を開け中の物を取り出す。
「ガイドブックと・・・なんだ?これ封筒?」
封筒の中に入っていた物は、新幹線のチケット。
「約束してたでしょ? 五月の連休。俺と一緒に旅行に行くって。で、行き先は大阪にしました。あとは啓介さんが決めて下さい」
いいながら、にっこりとわらう。本当はガイドブックをみてても、これといって行ってみたい場所があったわけでもなく、決めるのが面倒になったから啓介に決めてもらおうとしてただけだったのだが。
「ああ?で、なんで新幹線のチケットが入ってんだ?車で行くんじゃねえの?」
啓介がチケットを表裏としげしげ眺めながら、尋ねる。
「せっかくの『旅行』ですよ? たまには車に乗らなくても良いじゃないですか。それに、連休中なんて、どこもかしこも渋滞でしょうから・・・」
めずらしく(?)頭をつかった拓海の言葉に、啓介はうなずく。
「そっか、国民大移動の時期だもんな・・・車で行くのはちょっと大変かもな?」
特に渋滞に引っかかったら・・・と、啓介はその場合を想像したのか、眉をよせて難しい顔をして見せた。
「で、こっちは?」
指されたのは、『大阪』ガイドブック。
「行き先です。大阪。行ったこと有りますか? 俺はいったことないんですけど・・・?」
少し不安げに拓海は首を傾ける。
「いや、大阪は俺もないな・・・修学旅行で京都は行ったことは有るけどな」
寺ばっかりでつまんなかったぜ・・
と、過去の記憶を探ってつぶやく。
「じゃ、大阪で良いですね。変更なしってことで。」
すこしにこやかに拓海は微笑んだ。
もしも、イヤだといわれたら、また、チケットを取り直したりしなければならないので、ちょっと面倒だな〜と思っていたのだった。
「行きたいところ。物色しておいてくださいね」
それじゃ・・・と、いって拓海は伝票に手を伸ばす。
「あ?もう帰んのか?」
啓介の声が引き留める。
「ええ、明日も配達ありますから・・お休みなさい」
と、伝票をひらひらさせながら手を振る。
「あ、伝票」
いいながら啓介は手を伸ばすが、その手は見事に無視された。
「コーヒー代くらいならおごりますよ」
たまには・・・ね?
啓介はまあ、たまにならと、その言葉に甘えることにして、一足先に店の外へと出た。
煙草に火をつけて一息ついたとき、拓海が店から出てくる。
「おまたせしました。今日はどうするんですか? この後・・・」
ハチロクの鍵を取り出しながら駐車場へ向かう。
「ん〜〜〜・・そうだな・・秋名でも流して帰るかな」
「おれは、もう帰りますね。事故、しないように気をつけてくださいね?」
心配する必要もないことだが、一応念を押しておく。
「あったり前だろ? 俺だぜ? 何言ってんだよ」
啓介も笑いながら答える。
「それじゃ、お休みなさい」
「ああ、お休み」
そういって、拓海はハチロクに乗り込もうとしたとき、ふと思い出したように、啓介の元へと戻ってきた。
「あ? どした? 忘れモンでもしたか?」
怪訝そうな顔をして啓介が尋ねる。
「ええ、ちょっとね・・・」
そういうが早いか、拓海は啓介の顎をとらえて、軽く口づけた。
「・・・っ!」
びっくりして目を見開く啓介に拓海は笑いかける。
「忘れ物。お休みのキス」
ね? と首を少しかしげてあっさりという。
「お前! 誰かみてたらどうすんだよ!」
あわてて、周囲を見渡したけれど、幸いにも人影をみることはなかった。
「そんなこと・・確認済みですよ」
拓海の笑顔は底が知れない・・
啓介はがっくりとうなだれ、拓海を追い払うようにして手を振った。
「あ〜・・・もう、とっとと帰れ!」
「啓介さんもね」
いいながら、ハチロクに乗り込み、エンジンをかける。
そして窓から軽く手を振りながら駐車場を去っていく。
啓介はそのまま、ハチロクのテールランプを見送り、それが見えなくなると、自分もFDに乗り込み、秋名経由の帰路へとついた。
「藤原ァ! お前遅い!」
待ち合わせ場所に姿を現した拓海に向かって啓介は指を突きつけて指摘する。
「え? そうですか? 十分間に合うじゃないですか」
拓海が到着した時間は、新幹線が出る十五分ほど前だった。ちなみに、啓介との待ち合わせに十分遅れていた。
「遅いって! 弁当買ったりしてたら間に合わねえよ!とにかく急げ!」
いいながら、啓介は人混みの中を突き進んでゆく。
途中途中で人にぶつかって謝りながら進む啓介の後ろを、拓海は器用に人をよけながらついてゆく。
「啓介さんって車よけるのは上手なのに、人となると下手だね。なんでぶつかるんだろう・・」
ぼんやり思いながら歩みを早める。
改札を通り抜け、売店へ向かう。
少し迷いながら駅弁・その他イロイロを入手して、ホームに上ったときには、すでに乗る新幹線は乗車口を開けて待っていた。
「おら! 急げ!」
言いながら、ひとまず、乗り込むのが先決と乗車口に飛び込む。
「おしゃ! 間に合った〜」
デッキの奥に入り、一息つく。
そして、手にした切符をみて、自分の乗る車両が2両ほど後ろなのを確認する。
「あ、後ろの車両だな・・」
荷物を持ち直し、車両の移動を始める。1両を通り過ぎたときに発車のベルが鳴った。
・・・余裕で、乗れてるじゃん・・
拓海はそう思ったが、何も言わずに通路を突き進む。
「ええと・・あ、あった。ここだな」
二人がけのシートの番号をみて確認し、ひとまず荷物を置く。
「俺、窓側な」
いいだろ? と、啓介の目がそういってる。
「いいですよ。俺別にどっちでも良いですし」
それに、あんたが窓際の方が、俺がそっちのほう向いて眺めてても、不自然じゃないし。
心の中で、こっそりと思惑通りにコトが運んでいるのを確認する。
「荷物かせよ。上に乗せるから」
自分の分はさっさと乗せてしまった啓介が手を差し出して待っている。
「あ、はい」
と、渡した鞄に啓介が驚く。
「お前、こんだけ? 荷物。もう一つあるんだろ?」
ほら、とあいてる方の手を差し出してくる。
「いえ? それだけですよ? 荷物」
不思議そうに答える。
「ええ? こんなかに全部入ってるのかよ?」
「全部って・・それで十分ですよ。一泊二日の旅行なんて」
棚の上に乗せられた自分たちの荷物を比べるとその大きさの差がよくわかる。
啓介の荷物の方が遙かに大きかった。
「啓介さんこそ・・何がそんなに必要なんですか?」
お互い不思議そうな顔をして荷物を見つめる。
「ま、いろいろ入ってるからな〜」
ま、いいやと啓介はシートに座り、弁当を取り出す。
「飯。食おうぜ? 俺ハラへってんだ」
拓海も座り直して、弁当を出す。
「いただきます」
と、手を合わせて食べようとしたときふと、横からの視線に気づいた。
「何ですか?」
ごはんを口に入れ、そっちの方を見る。
「いや、おかず。比べてるだけ」
「はあ?」
そういわれてのぞき込んだ啓介の弁当。
確かに、いくつか重複しているものはあるが、半分は違っている。
「ああ、取りかえっこしますか?」
そういって、啓介の方に弁当を差し出してみる。
「うわ! いいのか?」
啓介の背後に一瞬光を見たような気がする。どうやら、嬉しいらしい。
「あ、でも全部はダメですよ? 俺の分が無くなってしまうから」
・・・なんか、こういうとこ無邪気でかわいいよな・・この人・・
そう思いながら、釘を指す。
「わかってるって。ほら、お前も半分にしろよ?」
いいながら、啓介は自分のおかずをすべて半分に分けている。
「俺っておかず食いなんだよな〜。おかずが多いと何か嬉しくならねえか?」
嬉々としながら不器用に箸を動かす。
「そうですか? おれは飯が食えればそれで良いですからね・・」
なんせ、あの親父の飯だったから・・ひどいときは豆腐だけってときもあったしな・・
「はい、これでいいですか?」
弁当のふたの上におかずを乗せて啓介に差し出す。
「お、サンキュー」
いいながら、拓海の弁当の中に、おかずを入れてくる。
「ほら。これでいいよな?」
にこにこしながら、啓介は弁当に口を付ける。
それを見て、拓海ももう一度手を合わせ食べ出した。
食べている間は不思議と無言で。どちらとも話そうとしない。
「はあ、ごちそうさまでした」
満足そうに言って、弁当のからを袋に片づける。
そしてお茶を飲んで一息つく。
「そういえば、啓介さん。行きたい場所決めてくれましたか?」
その瞬間、しまったという表情を浮かべ、啓介は窓の方を向く。
「・・・決めてねぇ・・」
そっぽを向いているのに、啓介が動揺しているのが手に取るように判る。
「え? どっこもですか?」
「いや、ミナミっての? テレビとかでよく見る・・あそこは行ってみたいなって思ってんだけどな。それ以外はまだ決めてねぇ・・」
「それで十分ですよ。最初はそこへ行きましょう。後はまた、それから決めればいいじゃないですか」
全く決まってなかったわけじゃないと拓海は安心した。
「でも! せっかくの旅行だぜ? それでいいのかよ」
くるりと啓介は拓海の方をむいて驚いたように言う。
「俺、言いませんでしたっけ? 啓介さんと二人っきりで旅行したいって。俺と啓介さんだけですよ? 別にそれで良いんじゃないですか?」
ね? とばかりに微笑み、さらに啓介の手をぎゅっと握る。
「・・・っ」
啓介は、顔を少し赤らめ、自分の手を引き寄せると、窓の方を向いてしまう。
「そんなに照れなくても良いじゃないですか」
拓海は啓介の方に身を寄せると耳元でささやく。
「お前な! 大人しく座ってろ!」
いいながら、肘で拓海を押し戻す。
そして、また、窓の方に向き直ってしまう。
・・・まったく、かわいいよな・・この人って。
そう思いながら、拓海は窓の外を見てる振りをして啓介を眺めることにした。
あ、髪。少し伸びてるね。色が違ってる。睫毛長いし。
頬も・・気持ちよさそう。耳も。なんか、全部が色っぽいって言うのかな? この人。
と、ぼんやりしながら、眺めていた。そして、しばらくすると、啓介の変化に気づいた。
なんか、揺れてる・・・ひょっとして寝てたりする?
そおっと身を乗り出して、顔を覗いてみる。
「あ、やっぱり。寝てるよ。この人・・・」
たしかに、ほかほかとした良い陽気で。お腹も満足していれば、眠たくもなるだろう。
・・・寝顔もかわいいな。うん。
今だけとはいえ、この寝顔を独り占めしたかと思うと、なんだか幸福感につつまれる拓海だった。
しばらくの間寝顔を見た後、自分も一寝入りしようと、目をつむった。
・・・・なんだかざわざわしてる・・?
そう思って目を開けた拓海は、自分の横に知らない人が立っているのに驚く。
あ・そうか新幹線・・・
一瞬後に理解すると、次は少し焦る。
・・・ここどこだ?
きょろきょろと周りを見渡す。
自分の右にはまだ眠っている啓介がいる。
・・よかった、置いて行かれたわけじゃない。
視線をさまよわせると、車両入り口上の電光掲示板が目に入った。
『京都』『KYOTO』と、電光掲示板は交互に点滅していた。
あ・京都か・・・よかった乗り過ごしたんじゃなくて。
ほっと、ため息をつき、シートに座り直す。
しばらくすると列車は京都駅のホームに滑り込む。
通路に立っていた人たちが車外へ流れ、入れ替わりに数人が入ってくる。
うん、次が新大阪。
と、駅の案内板で、次の停車駅を確認する。
しばらくざわめきが続いた後、車内はまた静かになる。
・・・さて、そろそろ啓介さんを起こさなきゃね。
と、拓海は啓介の体に手を伸ばす。
「啓介さん、起きて? もう次で到着だよ?」
言いながら、体を揺さぶる。
「・・・ん? んん〜〜〜・・」
啓介は薄目を開けながら、こちらを向く。
まだ、焦点が合っていないらしい。
「ああ? ここどこだ?」
「新幹線の中。もうすぐ新大阪ですよ。起きてくださいね」
くすくす笑いながら、つん、と頬をつついてみる。
「あ、なんだよ? 起きてるって・・・」
そういいながら、大きく伸びをする。
「ふあぁ〜〜〜」
それと同時に大きなあくびも。
「もう着いたのか? 早いな〜」
「もうって・・・啓介さん、半分以上寝てましたよ?」
自分も同じぐらい寝ていたのだが、それは啓介には伏せておく。
「なんかさ、電車の揺れっていうのも気持ちいいよな。車の振動も良いけどさ」
少し頭がすっきりしてきたのか、たわいもない話を始める。
そうしている内に、目的地新大阪に到着していた。
「おお! やっぱり空気が違う?」
列車を降りて、荷物を肩に掛けながら、大きく深呼吸してみる。
「やっぱり違うところにこなきゃ旅行じゃ無いんじゃないですか?」
いいながら歩いていると改札が見えてくる。
そして、改札を抜けてしばらく歩いたところで、拓海はぴたっと立ち止まった。
「さて、こっから、ミナミ・・・でしたよね? 啓介さん、ガイドブックは?」
いいながら、手を差し出す。
「あ? ああ・・・」
がさがさと鞄をさぐり、取り出した本を拓海に渡す。
「ええっと・・」
ぱらぱらとページをめくり確認する。
「ええと、こっからは・・地下鉄御堂筋?で、難波で、そっからは歩きですね」
ぱたんと本を閉じ、あたりを見回す。
「あ、あった、あれ」
拓海が指さす方を見ると、赤い印が入った掲示板が見える。
「あれが、御堂筋みたいですね」
いいながら、そちらの方へ歩き出す。
啓介もあわててその後に続いた。
しばらく歩くと、改札が見えてくる。そして、その横に切符の販売機が並んでいる。
「ええっと・・・難波?」
初めてみる大阪地下鉄の料金表にとまどいながら、目的地を探す。
「あ、あった」
先に拓海の方が見つけたらしい。指さすところを見ると、難波という駅名が見て取れた。
「あ、あれか・・・」
と、啓介が見ている内に拓海は切符を買う。
「はい、啓介さん。これ使いましょう」
そういって渡された切符には、「一日乗車券」と書かれていた。
「一日乗車券? なんで?」
拓海の行動が判らない。
「なんでって・・・いちいち切符買うの面倒じゃないですか。これだったら、地下鉄でどこに行っても切符買わなくて良いじゃないですか。無くさないでくださいね」
そういいながら、拓海は、地下鉄の改札をくぐった。
カシャン、と切符が出てくる。そこには大きく日付が刻印されていた。
・・・それに、普通の切符って回収されちゃうし。これなら、記念に残るしね・・
変なところで頭の回る拓海だった。
ホームで待つことしばし。電車がやってくる。
止まるまではそんなに混んでいなさそうだったのだが、乗り込んでみると、結構、人がいた。
「混んでるな・・」
つり革を握りながら、啓介は周りを見渡した。
そして、次の駅、『梅田』に着いたとき。乗客の半数以上が降りて、先ほど降りた人以上の人数が乗り込んできた。
「うわ、すっげえ人・・・」
人に押されながら、啓介も拓海も必死でつり革を握っていた。
いくつかの駅がすぎ、列車の人口密度もかなりの高さになったときに、難波駅に着いた。
人に押し出されるようにして電車を降りた。
そして、人の流れに流されるように、出口へと向かう。
目の前にあった改札を抜けたはいいが、いま、自分たちがどこにいるのかがさっぱり判らない。
周りを見ると、「出口」と書いてある看板が見えた。
その看板を頼りに階段を上り、地上に出た。
目の前を車の列が行き交っている。
「ええ? いったいどこに出たんだ?」
啓介はあたりをぐるっと見渡す。それと同時に拓海はガイドブックの地図のページを開いた。
「ええっと・・・あれが高島屋? ここかな?」
方向がいまいちつかめずに地図をくるくる回している。
「あっちが北」
ふいに上から声がする。
「え?」
と顔を上げると啓介が指を指している。
「だから、あっちが北だって。だから、こうだろ?」
そういって、地図を合わせる。
・・どこかに書いてあるのかな?
確かに今啓介が会わせた地図で方向は合っていた。
でもなぜ?
「・・・俺の特技なんだよな・・」
ポリポリと頬を書きながら、啓介が言う。
「はあ? 何がですか?」
意味がよくつかめなくて拓海は聞き返した。
「何がって・・・方向。俺、どこに行っても方角だけは分かるんだよな・・・別に目印とか無くても・・」
結構便利だろ? と、啓介は笑って見せた。
「確かに・・・こういうときは便利ですね」
「ただな〜・・難点が有るんだよ。地下。っていうか屋根? 天井があるともうダメなんだよな〜」
・・・屋外限定特技? 不思議なモノもあるもんだと思いながらも、地図で確認した。いま、目の前を走っているのが御堂筋らしい。
「あ、じゃあ、こっちですね」
啓介が指さした方角に向かって歩き出す。
しばらく歩くと、啓介がいきなり声を上げた。
「あ!たこ!」
その声につれられるように見たビルの壁には、足をうごめかす、大きなたこが張り付いていた。
「どうやら、ここが道頓堀らしいですね」
たこのついたビルのある通りをみて、拓海は言った。
目の前に大きな地球に『道頓堀』とかかれた大きなオブジェ(?)がどどん☆と立っている。
「あ、蟹もある!」
その斜め向かいに大きな蟹がこれまたビルの壁にくっついていた。
「このへんか〜。よくテレビで写ってるところって」
ずっと奥の方まで、派手で個性的な看板がずらりと並んでいる。
その看板を見ながら、道頓堀を歩いている内にあるところで啓介の足が止まった。
何か起きたのかと振り返る拓海は、啓介の目線をおって不思議そうな顔をした。
そこには、人の列があったからだ。
「啓介さん?」
「なあ、藤原ぁ・・・ハラ減らねえ?」
どうやら、小腹がすいてきたらしい。
「なんですか? いきなり。少しは減ってますけど?」
「あれ、たこ焼き。食いたくねえ?」
啓介が指さす所を見ると人の列だったが、その先を辿ると、たこ焼きの屋台に続いていた。
「あ、たこ焼きですか。良いですよ? でも、あれに並ぶんですか?」
少なく見ても十二、三人は並んでいる。
「う〜ん・・いいや。並ぶ」
そういうと、啓介はその列の最後尾にくっついた。
しばらく待つと列が動く。そして、エプロンをした女の子が声をかけた。
「はい、オニイサンいくつにします?」
「ええっと?」
とまどう啓介を後目に拓海が返事を返した。
「一番大きいの2つね」
「はい、お次大皿、二つで〜す」
と、女の子の声が飛ぶ。
「それぐらい食べるでしょ?」
そう、啓介は細い割にたくさん食べるのだった。
拓海の問いに啓介は返す言葉もない。
「まあ、それくらいは平気だけど・・」
そして、しばらく待つと列が動き出す。どうやらたこ焼きが出来たらしい。
「はい、オニイサン、大皿二つね。ありがとうございました〜」
舟形の入れ物に乗せられたアツアツのたこ焼きと、大盛りの花かつお。それを受け取って列を離れる。
たこ焼きの熱と風に乗って花かつおがふわふわと踊る。
「おいしそうですね」
いいながら、拓海は一つを口に入れる。
「あ、あつあつ・・」
はふはふしながら、食べていると、啓介が、花かつおをつまんで食べているのに気づいた。
「? 何してるんですか? 食べないんですか?」
おいしいですよ?
と拓海が不思議に思って声をかけた。
「いや、おいしそうなんだけどな・・このままじゃ食えねえ・・もうちょっと冷めてから・・」
ちょっと、決まり悪そうに眉をひそめて啓介が答える。
「あ、そうでしたね、啓介さん、ネコですもんね。ゆっくり食べてください。いいですよ?」
道ばたで立ちながら食べるのもはばかられる気がしたが、周りがみんなその場で食べているので、気後れしながらも、たこ焼きを半分にしてさらに冷ましてから、口に入れた。
「あ、あつ・・」
拓海からすれば、もうそれほど熱くないたこ焼きだが、猫舌の啓介にとっては、非常に熱いモノだった。
拓海が食べ終わる時間の倍をかけて、啓介はたこ焼きを必死に食べ終えた。
その間、拓海は啓介が食べているところをじっと見つめていた。
こんな啓介さん、めったに見られるものじゃないしね。
「はい、お茶。飲みませんか?」
そばの自販機で買った冷たいお茶を差し出すと、啓介は無言でそれを受け取った。
「おいしかったですよね?」
「・・・うまかった。うん」
お茶を飲み干してしまうと、それをたこ焼きの入っていた舟といっしょに捨てる。
そして、また、道頓堀を歩きを始めた。
一通り見て、また蟹のある交差点まで戻ってくるとそのまま、目の前にある橋を渡ってさらに北へと進む。
その橋から見える景色は、まだ明るいと地味だが、夜になって電飾がつくと、派手な看板となる大阪の名所の一つだった。
「これって、やっぱ夜にみてこそ、かなあ?」
後ろを振り返ってグリコの看板を見る。
「また、夜になってからきたらいいじゃないですか」
時間はまだ3時をすぎたところだった。
そのまま通りを歩き、角に地下鉄の駅の案内があったので、地下鉄に乗って違うところへ行くことにした。
ガイドをめくり『通天閣』に言ってみることにする。
御堂筋で天王寺方面に向かって、動物園前で降りるらしい。
御堂筋に乗り込むと、たまたま、目の間の席が空いた。拓海は啓介に座らせ、自分はその真っ正面に立つ。
観光ガイドをめくる啓介を拓海は、つり革にぶら下がりながらじっと眺めていた。
上から見る少しうつむき加減の啓介の顔は滅多に見られることの出来ない角度で、拓海は自分の中で何か複雑な感情が沸き起こるのを感じていた。
…キス…したい、な…
でも、ここは電車の中で。そして結構周りは混雑していて。啓介は観光ガイドに気をとられてる。
ここが電車の中という、公共の場でさえなければ、迷うことなく、行動に出ていただろう。
「どうですか? 他にいいとこ、あります?」
ぶらさがった、つり革はそのままで。腰を曲げて、啓介のひざの上の観光ガイドを覗き込む。
…フリをして、啓介に顔を近付ける。キスできないなら、せめて間近で顔をみていたい。
ささやかな願望を実行に移しながら、啓介に話しかけた。
「うん、やっぱり通天閣?」
ガイドを指さしながら、啓介が顔を上げた。
「うわ!」
目の前に拓海の顔が合ったので驚いた啓介はつい、声を上げてしまった。
「なんですか?」
顔がにやけてしまう拓海だったが、それを押し殺して、意地悪く尋ねる。
「・・なんでもねえよ」
そういって、また、ガイドに目を向ける。
そして、動物園前駅でおりた二人の前には、通天閣が少し離れたところにそびえ立っていた。
「へえ〜・・あれが通天閣かあ・・展望台があって上れるんだよな? 確か・・行こうぜ?」
そういって、通天閣の入口に入った二人はエレベーターの前の人だかりにうんざりしてしまった。
「何か、人いっぱいだな・・」
そして周りを見回した二人の目にあるモノが写った。
「藤原ァ・・・あれ。」
指さす先には張り紙が一枚。
「二階へはこちらからも行けます、だってさ。二階なら、近いんじゃねえか? あれで行こうぜ? あっちの方が速そうだし」
そういって、啓介はそちらへ向かう。
その段階で、周りをよく見ておけば良かったのだ。
そうすればこの周囲が妙にすいていた訳も察せられたであろう。
その張り紙から、数歩入ると、目の前には螺旋階段が立ちはだかっていた。
「螺旋階段か〜・・これって、目ぇ回ってくるよな?」
そういいながら、トントンと調子よく上っていく。そのすぐ後ろを拓海は無言で着いていく。
そして、ある程度まできてぴたっと立ち止まる。
「どうしたんですか?」
後ろを振り返って、誰も来ていないのを確認してから拓海も立ち止まった。
「まだ、着かねえ?」
振り返って拓海に尋ねる。
「まだって・・啓介さんが着いてないのに俺が着く訳ないでしょう?」
何を言ってるんだろうと拓海は思ったが、確かに、自分の中の感覚ではもう2階についてても良いはずの段数を上っている。
そうする内に下から声がする。誰かが上ってきたのだ。
「啓介さん、下から他の人来てますから、速く上ってください」
そういって、啓介をせかす。
「うう〜・・まだかよ・・」
ぶつぶつ言いながら、啓介はさらに足を動かす。
けれど、いつまでたっても、見えるのは階段と壁ばかりで、展望台は見えてこない。
もう、どれくらい上ったのか、途中から拓海がじれて啓介の腰をおして、上っていくようになっていた。
上の方が明るくなり、唐突に展望台へと出た。
「あ、着いた!」
急に目の前に広がる空間に一瞬驚く。
薄暗い中を上ってきた目に、展望台の明るさはまぶしかった。
しばし、目をしばたかせて、目が慣れるまで待つ。
目の前にベンチが見えた。
「藤原、俺ちょっと休む・・・」
そういってベンチへ座り込む。
「ほんと、啓介さんって車乗りですね、これくらいで疲れるなんて」
そういう拓海も、座り込みはしないものの、少しだけ、息が荒くなっている。
しばらくしてから、展望台からみることにして、入場料を払う。
その横をみると、へんなとんがり頭のこびとのような像が、足の裏をみせて座っていた。
「あ、これがビリケンさんですね」
そういいながら、拓海はその足の裏をくすぐる。
「こうすると幸せになるそうですよ?」
横に書いてある看板にそう、書いてあった。
「へえ、くすぐられて幸せになるのか・・変な奴だな」
いいながら、啓介もちょっとだけその足の裏をくすぐってみた。
そして、展望台を一周してみる。
東京タワーほど高くはないが、結構な高さのある通天閣からの眺めは、天気が良かったせいもあって、見晴らしは非常に良かった。
「けっこう遠くまで見えるな。ふうん・・あ、あれ! 藤原!あれ!」
啓介が必死になって指さす先をみると、建物の角からレールが延びているのが見える。
「あ? あれですか? ジェットコースターですね。えと、フェスティバルゲートっていうらしいですね。その横がスパワールド。温泉があるみたいですね」
案内図を見ながら、拓海が答える。
「まだ、大丈夫だよな? あそこに行ってみねえか?」
日は大分傾いてきていたが、子供のように無邪気にはしゃぐ啓介を見て断れるはずがない。
「はい、じゃあ、行きましょう」
そういって、ぐるりと一周してから、エレベーターの前で立ち止まる。ここも少し混んでいた。
「どうします?」
と、意地悪く拓海は笑う。
「そんなの、待つに決まってるだろ!」
上るよりも階段は降りる方が楽なのだが、イヤなイメージがある啓介は、多少時間混んでいても、待つ方を選んだ。
エレベーターで下りると、時間はかからず、階段を延々と上った二人にとってその時間はとても短かった。
「なんか、あっという間だったな」
いいながら、出口を出て、ふと、上を見る。
頭上には通天閣がそびえている。そして頭上には展望台と思われる広い天井がある。
「・・・なあ、藤原ァ、2階って展望台のことだよな?あれがそうだよな?」
何を思ったのか、突然、頭上にある先ほどまでいたと思われる場所を指さす。
「ええっと、そうなりますね・・・」
「あれ、普通2階っていうか? 横のビル見て見ろよ!5階ぐらいで、同じ高さだぜ? ってことは何か? 俺ら5階の高さまでえんえん階段上ったってのか?」
なんだか、よくわからないが怒ってるらしい。
「ま、確かにこの状態ではあれは2階になりますね、嘘はついてませんね」
上っちゃったものはしょうがないでしょう。
変に割り切った感のある拓海はそういいながら、啓介を促し、フェスティバルゲートへと向かう。
そして、目的であるジェットコースターの乗り場のある5階へ。
「俺さ、ジェットコースターって好きなんだよな〜」
チケットを買いながら、うきうきと啓介は話す。
「俺のFDの方が速いと思うけど、あの、スピード感とか、Gの係り方とか、結構好きなんだよ」
「俺も結構好きですよ、ジェットコースター」
いいながら、列に並ぶ。そんなに待たなくても良いような長さの列だった。
順番待ちの間流れるビデオをじーっと見ている。
「これさ、なんか馬鹿っぽくねえ?」
一通り見ると、そう、耳元でつぶやいた。
「大阪の人にはこれでいいのかもしれませんよ?」
いちおう、周りに気を遣って小声で会話をする。
そのうちに列が動き、順番が来る。
荷物を棚に乗せると、シートに座り、バーをおろす。
発車のベルが鳴った。
「うひょ。ここも写真やってるんだ」
乗り場の左側で、会場の人が大声を上げている。
手に持っている札には、『トンネル出口左を見て』と、大きく書かれていた。
あくまで、楽しむことを忘れない啓介だった。
カンカンカン、と独特の音を立ててジェットコースターは、レールを上っていく。それにともない、眼下に薄闇に包まれ、光を放ちだした大阪の街が広がっていく。
目の前には、先ほど足でのぼった通天閣が見える。
「ほら、啓介さん、夜景。結構きれいですよ?」
そういって、拓海と啓介は周囲を見渡す。
そ宇している内に、カーブをまがり、目のにある塔をくぐると、一瞬車体は動きを止め、そして落下を始める。
「おお! これ結構おちる?」
そういってる間にも、加速をつけて落下は続く。
まだ落ちるのか? と思ったときに不意にGがかかり、上りながらカーブへと突入する。
「はは! いい感じ!」
後ろの方では、女の子の悲鳴が響いている。
そうするうちに、車体は光が点滅するトンネルへと突入した。
「藤原ァ! 左! 左見ろ!」
そういう啓介の声につられて、左をむく。
その目に光の点滅がまぶしかった。
そして、トンネルを出ると、車体はホームへと向かい、減速し出す。
プシュー・・・と音を立ててバーのロックが外される。
「結構、面白かったよな・・これ」
そういいながら、階段を下りる。
降りた先では小さなモニターがいくつか並び、先ほどのジェットコースターの写真を写しだしていた。
その中の一つに目を付けて啓介が指を指す。
「お、あれ、結構いい感じじゃねえ? 俺買ってくるかな〜」
そこには、きっちりカメラ目線の拓海と、笑顔の啓介がしっかりと映し出されていた。
カウンターで番号をつげ、プリントを待つ。
そして手渡された物をそこにあった鋏で半分に切る。
「ほら半分。いい顔してるだろ? それにカメラも持ってきて無かったし、こんなの滅多にとれないだろ?」
そういって、照れくさそうに拓海に渡す。
拓海は、啓介を抱き締めたい衝動を押さえるのに必死だった。
そして、その後、啓介が電飾のついた夜のグリコを見たいと言い出したので、また、ミナミへと向かうことにした。新今宮から一駅JRで天王寺へ向かい、御堂筋線に乗り変え、また、難波でおりる。今度は二度目だったので迷うことなく戎橋まで辿り着いた。
「おお、やっぱり、夜の方が派手だな」
昼に見た時よりも電飾がついて格段に派手派手さがましている。それに、周りの広告も相乗効果となっている。
一通りの光のパレードを見終えると、おもむろにお腹を押さえて拓海に訴えた。
「藤原ァ・・・俺、ハラ減った・・・」
もう、日も暮れてきている。確かに夕食の時間は近い。
「そうですね、結構歩き回ってますからね」
その時までは、そんなに空腹だとは思っていなかった拓海だったが、啓介のその声で、おもむろに空腹感をましていた。
「で、何食べましょう? 食い倒れの街のど真ん中ですから、どこで食べても大丈夫だと思いますけど・・」
そういう拓海に啓介は笑って答えた。
「ファミレスは嫌だからな。大阪まで来たんだから、大阪らしい物を食べたいかな」
「タコ焼きは早速食べましたしね」
歩きながら、店を物色する。
「あ、お好み焼き! それにしよう!」
「お好み焼き・・・また大阪な物を出してきますね」
拓海は苦笑する。
そして啓介が路地を覗いた時に小さな看板を発見した。
「あ、あそこお好み焼き! あそこでいいよな」
と、拓海の返事も待たずに、その店の扉をあけた。
「いらっしゃい!」
こぢんまりとした店にL字型のカウンターがあり、兄ちゃんが元気よく迎えてくれた。
どこに座ったらいいのかと迷っていたら、
「好きなところに座っていいよ」
といってくれたのでカウンターの角を陣取って座る。
「何にしましょ?」
そういいながら、コトン、と水を置いてくれる。
「あ、定食がある。お好み焼き定食と、鉄板焼と・・・チューハイの梅。藤原は?」
「俺、豚すじこんにゃくと、レンコン塩焼き」
それぞれ一品をつけてオーダーを出す。
そして、たわいのない会話をしていると、グラスが出て来た。
「はい、チューハイ梅ね」
「あ、どうぞ、先に飲んで下さい」
拓海がそういう。
「いいのか? じゃ、お先に。いただきます」
うくうくと、三口ほど飲む。
「へへ、車が無いと安心して飲めるよナ?」
「ま、俺は飲みませんけどね。でも、ちゃんと宿まではつれていきますから」
そういって話す二人の前で、兄ちゃんは手際よくお好み焼きを焼いていく。
そして、その横ではもう一人の兄ちゃんが野菜と肉をいためている。
「あ〜いい匂いしてる」
啓介が鼻をうごめかす。
たしかに、店の中は、ソースのこげる良い匂いが充満していた。
「こういう匂いしてると食欲でますね」
そういっていると、目の先にレンコン塩焼きと鉄板焼きが並べられた。
「うわ、旨そう」
啓介の目が輝く。
「いただきます」
割り箸をパキンと割って、口に運ぶ。
「ん、旨い」
はくはくと食べる啓介の前に、茶わんに大きく盛られた御飯と味噌汁、お漬け物が並べられる。
「はい、これ、定食の御飯ね」
そこで、ぴたっと、啓介の箸がとまった。
「御飯? なんで御飯?」
不思議に思って拓海に小声で訪ねる。
「さあ? 全部出てきたら判るんじゃ無いですか?」
そういいながら、拓海はレンコンを一つ、啓介の前にある小皿に乗せた。
「レンコンも旨いですよ?」
にっこりと微笑む。
「ん、サンキュ」
目の前に置かれたレンコンを頬張る。
「あ、ほんと、旨いな、これ」
適度な歯ごたえが美味しいレンコンだった。
「ん、これも食う?」
行儀悪く、箸で目の前の鉄板焼をさす。
「あ、いただきます」
拓海はそういって手をのばす。
「はい、これが、豚すじこん、こっちは定食のお好み焼きね」
そういって、二人の前に二枚のお好み焼きが置かれる。
「なあ、藤原・・・?」
お茶碗を持って、箸をくわえて、藤原の方を見つめる。
「これって、やっぱりおかしくねえ?」
「何がですか?」
拓海は鉄板の上のお好み焼きをへらで切り分けている。
「だってよ、お好み焼きと御飯だぜ? 味噌汁はともかく、普通、お好み焼きとサラダとかなんかおかず一品とかじゃねえか?」
少し不満げに頬を膨らませる。
「ううん・・・大阪ですからね。同じ感覚じゃダメなんじゃ無いですか?」
「そんなもんなのかなあ・・」
拓海は切り分けた一つを啓介の方に差し出す。
「はい、豚すじこん。たべるでしょ?」
なかなか、啓介の扱いに慣れてきたようだ。
「おう、食べる。俺のも少しもっていけよ?」
なんだかんだ文句を言いながらも、御飯とお好み焼きを交互に食べはじめる啓介だった。
そしてきれいに全部平らげる。
「あ〜、旨かった。ごちそうさま」
その横では、拓海が啓介が食べ終わるのを待っていた。
「他にまだ食べますか?」
にこやかに訪ねる。
「いや、今んとこはハラ一杯だし。へったら、また、どっかで食べればいいだろ」
そういって、荷物をとり、店の兄ちゃんに声をかける。
「ごちそうさまでした」
「はい、まいど。ちょうど3000円ね」
はいよ、と啓介が支払いを済ませ、店を出る。
「啓介さん、大丈夫ですか?」
アルコールの所為でちょっと、顔が赤くなっている。
「ん? 大丈夫だって」
へらっと笑いながら、そう答えるが、その笑顔がなんだか妖しくて、拓海は心配になる。
「そろそろ、ホテルに向かいますか? チェックインもしなければいけませんしね。それから、付近ならもうちょっとうろうろしても大丈夫ですし」
そういって、啓介を促し、地下鉄の駅に向かう。
「藤原ァ・・・ホテルってどこにあるんだ?」
すこしろれつの回らない口調で啓介が訊ねる。
「え? 梅田です。駅からちょっと歩くんですけどね」
ちょっとふらふらしている啓介を支えながら答える。
「梅田? どこだ? それ」
「ええっと、御堂筋でいけるところですよ。そんなに遠くないですよ」
そして、目の前に見えて来た心斎橋の駅で、御堂筋線に乗り込んだ。
そして、車両の端のところへ行き、そこへ啓介をもたれかけさせる。
「啓介さん? 大丈夫ですよね?」
啓介の顔を覗き込んで確認する。
「何が?」
くすくすと笑いながら、少し上機嫌な返事がかえって来る。まだ、酔いは覚めていないようだ。
とにかく、心配なので拓海は啓介のそばに立って、一応、体を支えていた。
何とか、無事に梅田に辿り着き、改札を通ろうとする。
拓海はそのままするッと通り抜ける。
ピンコーン!
直後に音がして、啓介が引っ掛かった。
「ええ? 啓介さん?」
慌てて振り返る拓海の前で途方に暮れる啓介の姿があった。
「藤原ァ・・・切符どこやったんだ?」
拓海はあわてて、今出た改札から、また入る。
こういうとき、一日乗車券って便利だな・・・ まったく関係ないことだが、そんなことを思いながら、啓介の所へと戻る。
「啓介さん!」
もどって、啓介の通ろうとした改札の切符を入れるところを見たが、何も出ていない。切符が出てくるところにも、何もない。
「あんた、切符どうしたんですか? 乗ったときにはありましたよね? で、どこに入れたんですか?」
拓海が矢継ぎ早に聞くのに対し、啓介の答えは非常に曖昧だった。
「・・・わかんねぇ・・・」
「とにかく、ひとまず、ポケットとか鞄とか、全部見てください」
そのことばで、啓介は自分の体をぱたぱたと探り出す。
ズボンのポケット、上着のポケット、鞄のポケット、思いつくところはすべて見てみた。
けれど、ないのだ。
ポケットの中には、特にカードらしきモノは一つたりとも入っていなかった。
「ないぜ? どうしよう・・・」
困惑する啓介を前に、拓海も一瞬考え込んでしまった。
「仕方ないですね。窓口で言うしかないでしょう」
ほら、乗ったのは心斎橋ですからね。
そういって、拓海は啓介を有人改札へと押しやった。
そして、自分は一足先に改札を抜け、有人改札の方へと走ってくる。
啓介はうなだれながら、改札の駅員に切符を無くしたことを告げる。
「すいません、切符無くしたみたいなんですけど・・」
そういって、声をかける。
「どこから乗ったの? いくらだった?」
駅員は、そう尋ねる。
「え、乗ったのは、心斎橋で、一日乗車券だったんですけど・・・」
「一日乗車券ね。ま、通っていいよ。今度から無くさないようにね」
駅員はにこやかに笑って改札をそのまま通してくれた。
「啓介さん!」
「藤原ァ・・・よかった、通してもらえたよ」
素直に喜ぶ啓介だった。
もしも、普通に払っていたとしても二百三十円だったのだが。
とにかくこの事件で、啓介のほろ酔い気分はすっかり冷めてしまった。
「でもほんと、どこで無くしたんでしょうね?」
約十分歩くというホテルへの道を歩きながら、拓海は不思議に思って口にする。
「もう、それはいいよ! 忘れろ!」
と、啓介は拓海をにらみ付ける。
自分でも不思議だったのだ。本当に、どこに入れたのか覚えていないのだ。
それを、拓海に言われるというのも何となく腹が立つ。
「啓介さん、啓介さん」
後ろから何度か呼ばれる名を、わざと無視して、一本道を先に歩く。
「もう、啓介さんってば!」
じれた拓海が追いつき、腕を引っ張る。
「なんだよ?」
すこし拗ねたように返事を返す。
「ほら、あれ。あそこですよ。泊まるところ」
そういって、指さされた先には、見た目にも高そうなホテルがそびえ立っていた。
「おい、藤原? あれか? 何か高そうなホテルじゃねえか?」
いぶかしげに啓介の顔がゆがめられる。
どうみても、自分たちにはふさわしくないようなホテルだ。
「ええ、あそこですよ」
しれっとして肯定する。
「良いじゃないですか。俺が決めたんだから。俺が啓介さんと一緒に泊まる所ですよ? 少しくらい奮発しても良いでしょう?」
拓海は自分の初給料のなかで、使える分を啓介とのために使うと決めていたのだ。でも、そんなことは啓介にはいえない。というか、言うつもりもなかった。
ね? といつもの曖昧な笑顔を浮かべて、ホテルへと足を踏み入れた。
フロントでチェックインを済ませる。
「高橋様と藤原様ですね? ご案内いたします」
案内されたホテルの部屋の内装に、啓介は驚いた。
入ったところからは見えなかったのだが、部屋の中には大きなキングサイズのベッドが誂えてあった。
「・・・藤原?」
一歩足を踏み入れたホテルの部屋を見て、思わず、啓介の動きが止まる。
そして怪訝そうな顔をして振り返る。
その手は、ベッドを指さしている。
「藤原?・・これ・・」
「まちがってませんよ?おれ、この部屋を予約したんですから!」
にっこりとほほえむ拓海と、少し眉を顰めた啓介・・この二人の前にあるのは、キングサイズの大きなベッドだった。
「・・なんで?」
啓介の声が不思議そうにその原因を尋ねる。
拓海はクロゼットに荷物を投げ込むと、ベッドの方に足をむける。
「え・なんでって・・キングサイズのベッドおいてるのが、ここだけだったんですよ。だから・・って、啓介さん!別にそんなこと気にしないでイイですよ。 ほら、凄く気持ちよさそうでしょ?」
そういいながら、拓海は靴をするっと脱ぎ捨て、目の前の大きなベッドに向かってダイビングした。
その大きなベッドは悲鳴を上げることもなく、ぽふん、と優しく拓海を受け止める。
「ほら、おいでよ。俺がここにいても、まだこれだけあるんだよ? ね?」
ぽふぽふと、自分の横を軽くたたきながら、啓介をベッドに誘う。
たしかに、拓海がごろりと、寝ころんでいるその横には啓介が寝ころんでもまだ余裕があるだろう空間があった。
「でもよ・・」
啓介は所在なげに立ちつくしながらまだとまどっている。
「啓介さん・・いま、俺達二人っきりですよ? 誰も見てません。だから・・」
ね? と優しく微笑む拓海の顔をみて、啓介はためらうことをやめた。
そのまま、何もいわず、拓海の横へと身を投げ出す。
「うわ、・・」
啓介が身を投げ出した反動で、ベッドは二人の身を軽々と浮かせる。
その反動で、二人の体が密着する。そのまま、揺れが収まるまで二人お互いの体を抱きしめて・・ゆらゆら・・もうすぐ止まるかな・・と思ったときに、振動が増した。
拓海が啓介を抱きしめていた腕をほどき、体勢を入れ替えた。
気づけば、体を並べ、肘で顔を挟むようにして拓海は啓介の顔をのぞき込んでいた。
「・・俺、嬉しいですよ。ホント。啓介さんと二人っきりで旅行出来るなんて・・」
そして、唇を軽く触れ合わせる。
最初は軽く・・そして徐々に深く、長くなってゆく・・
拓海の手が啓介の服を脱がせ、その肌へとすべりおりる。
戯れるかのように、自分の肌の上をはい回るその手に、啓介の体温が高められていく。
「ん・・」
身をよじるようにしながら、快楽を受け止める啓介を見て拓海の心拍数も跳ね上がる。
ともすれば突っ走りそうな自分を押さえながら、拓海は啓介の敏感なところを攻めていく。
初めは指で・・そしてその後を舌先が辿っていく。
「ふ、あ・・ふじ・・わら・・つ」
なにかを求めるかのように差し出された手を自分の方へと引き寄せながら拓海は反論する。
「けいすけさん・・いまは『拓海』って呼んでよ・・」
いいながら、腕の内側にもキスを落としていく。
「あ・・た・くみ・・」
照れくさいのか、その名をクチにしたとき、啓介の顔が赤く染め上がる。
拓海はその声をきいて、満足そうに微笑み、行為に没頭していく。
思うがままに啓介の体をむさぼり、煽っていく。
「ふ・・うぁ・・ん・・」
与えられる快楽をこぼすことなく受け止める啓介にいっそう愛しさがましてゆく。
「啓介さん・・ココ・・いい?」
無意識に浮かび上がったのであろう涙をなめとりながら、拓海の手は後ろを刺激する。
「うぁ・・は・・」
口を開けば、言葉にならない・・啓介はこくりとうなずくことで、肯定を示す。
それを見て拓海は自分を啓介のそこに押し当てるとゆっくりと身を進める。
「あぁっ!・・くうー・・」
少し苦しそうに頭を振る啓介に、伸び上がりながら口づける。そして、顰められた眉を解きほぐすようにしながら、額に張り付いた髪を後ろへとなでつける。
しばらくすると、啓介の顔から苦痛の色が抜けたことがみてとれる。それをみて拓海はゆっくりと動きはじめた。それは二人がともに絶頂を迎えるまで中断することはなかった。
行為の後のけだるさに身を任せたまま、しばらくの間、現実と夢の間をさまよってる。
ふ・・・と、目を開けた拓海は隣にあるぬくもりを確認して微笑む。
そして、そろり・・と身をはなすとベッドからおり、バスルームへと向かう。
軽くシャワーをあびてから、バスタブに湯を張る。
濡れた髪を拭きながら、まだベッドの上で夢の住人となっている啓介の元へと戻る。
するっと頬を撫でて、覚醒を促す・・・が、啓介は起きてくれない。仕方なく、肩を掴んで大きく揺さぶる。
「啓介さん・・起きてくださいよ・・ほら、風呂・・入ってください・・ね?」
うすぼんやりと瞳をあけたまま、じ〜っと拓海の顔をみている啓介にほほえみかける。
「え?・・なに?」
聞き返してくる啓介の額にちゅ。と口づけ、髪を梳きながら、もう一度いう。
「風呂です。・・いま、お湯ためてますから・・ね?」
やさしく、抱き起こしながら、目元にもキス。
「藤原ぁ・・ここも・・」
指さされたのは、薄く色づいた唇。とまどうことなく、そこへと顔をよせていく。
しばらく、キスを愉しみ、そしてベッドからおりると、バスルームへとともに向かう。
扉を開けた瞬間、目の前が真っ白になる・・
「あ、しまった・・換気扇・・」
あわててスイッチに伸ばされた手を遮ったのは啓介の手で。それはするりと拓海の首にまわされ、え?と思っている間に、啓介が口づけてくる。
いきなりの啓介の行動に一瞬とまどったものの、啓介のするがままに任せておく。
「藤原ぁ・・・」
ねだるその声に心のうずきが抑えきれない。
おもむろに啓介を抱き上げると、バスタブへと向かい、啓介をそのバスタブの中に落としこんだ。
「うわ!」
いきなり湯の中に入れられた啓介は驚いて声を上げた。
さらに、救いを求めて手を伸ばす。
伸ばされた腕をつかみ、自分の首に回し、そして自分はバスタブの縁に腰をかけ、啓介の首を支える。
「暴れないで?」
にっこりとほほえみ、ちゅ、と額にキスを落とす。
そして、啓介が大人しくなるのを待って、そっと、手を離す。
「ふじ、わら?」
不思議そうな顔をして、啓介が見上げてくる。
「何ですか? 啓介さん、続きは後で、ね」
そして、バスタブの横から、シャンプーを取り出し、啓介の頭にかけて洗い出す。
啓介はもう、拓海にされるがままになって、大人しくバスタブの中に収まっている。
「啓介さん、上向いて? 目は閉じてくださいね」
手に持ったシャワーノズルを器用に動かして、頭の泡を洗い流す。
啓介は目を閉じて気持ちよさそうにしている。
「啓介さん・・そんな無防備な顔・・俺以外の誰にもみせちゃダメですよ?」
「ばっか・・誰がお前以外と二人っきりでなんて風呂に入るかよ・・」
啓介の整った眉が顰められる。
「ええ、ぜひそうして下さい」
拓海の手は優しく、泡を洗い流してゆく。けれど、それだけではなく、時折、首筋や、耳の後ろなどを、さりげなくふれていく。そのたびに啓介の体はびくりと波打つ。その反応を愉しみながら、拓海は手際よく洗い終えると、バスタブの栓を抜いた。
お湯が流れるにつれ、啓介の体のあちこちに泡がのこっていく。拓海は手を伸ばし、シャワーを使いながら、その泡も洗い流していく。そのついでとばかりに肌に触れることも忘れない。
そして、新たにお湯を張りながら、柔らかいタオルで啓介の顔をぬぐい、髪の毛をわしわしと拭いていく。あらかた水分をぬぐってしまうと、髪を後ろへとてぐしでなでつける。
何時もと違う髪型に啓介の美貌が引き立って見える。
「啓介さん、体どうします? 俺洗ってあげますよ?」
拓海は啓介に尋ねる。
「・・・もういい のぼせた・・」
にやつく拓海を上気した顔で軽くにらみ、バスタブから出ようとする。
バスタオルをひろげ、それごと啓介を抱くように包みこむと、ぽふぽふと、優しく水滴を拭う。
「ほら、腕・・」
バスローブを肩にかけ、啓介の腕をとって着せかける。その間、啓介はぼんやりと立ちつくしたままだった。
「はい。でていいよ?」
拓海がバスルームの扉を開ける。部屋の中の空気がさあっと流れ込んでくる。外から流れ込む冷たい空気が火照った体に心地よい。
少しフラフラしながら、啓介はベッドまでたどり着くと、そのままぽふっと倒れ込んだ。
そして、そのまま、シーツに懐いてしまう。
「あつ・・水・・飲みたい・・」
ぽそっとつぶやいたときに、ふいに横に拓海が座り込む。なんだ?・・と思ってそちらを向くと、不意に顎をつかまれ、くちづけられる。
「ん!・・」
冷たい物が咽を通ってゆく。
「はい、お水」
にっこり微笑みながら、拓海がペットボトルを手に横に座り込んでいた。
「素直にそっちをよこせばいいだろう!」
手に持っていたボトルを奪い取ると、咽をならして、一気に飲み干してしまう。
「は〜・・うまかった・・」
ことん、とベッドサイドにからになったボトルをおくと、ころり・・と横になる。
ベッドのシーツの冷たさが気持ちよく、そのまま動くのがおっくうになってしまった。
そして、それにつられるままに意識を落としていく。
「藤原ぁ・・おやすみ〜・・俺寝る・・」
いうだけいって、啓介は眠りに落ちていった。
そんな啓介を見て、拓海はため息をつく。
「・・・ちょっとやりすぎたのかなぁ?」
そういって、裾の濡れてしまったバスローブを脱ぎ、自分のTシャツに袖を通すと、そのまま、啓介の眠る横に滑り込む。
「お休みなさい。啓介さん・・」
そして、啓介の背中に手を伸ばし、少し抱き寄せるようにして、拓海も再び眠りについた。
翌朝。カーテンの隙間から差し込む光で目を覚ました拓海は、腕の中にいる啓介を確認して、再びゆっくりと抱きしめる。
そして、はっと気づいたように枕元の時計を見る。
その時計はもうすぐ九時を指していた。
あわてて、飛び起きると、啓介を揺さぶり起こす。
「啓介さん! 時間ヤバイですよ! もう九時です! ここ、チェックアウト十時です! 起きて?」
「ん? ああ?」
ぼや〜んとした顔で啓介が目を開ける。
「おはよう・・・藤原ぁ」
そういって、手を伸ばす。
その手に誘われるように、拓海は啓介の上に身をかがめ、軽くキスをする。
「おはようございます。啓介さん。それはいいとして、早く起きてくださいね? 結構時間ヤバイです」
伸ばされた手にもちゅ、としてそして、拓海は洗面所へと姿を消した。
啓介はしばらくベッドの上でぼんやりとし、それから、のろのろと着替えるために自分も洗面所へと向かった。
「あ、啓介さん、もうすぐ場所、変わりますから」
そういって、拓海は髪の毛を梳かす手を早める。
別に、そんなことをしなくても、目の前にある洗面台は二つあり、身繕いに困ることはない。
啓介はいつも通りに身繕いをし、そして、洗面所から出ると、そこに拓海の姿はなく、机の上にメモが置いてあった。
『先にチェックアウトしてきます。ロビーにいます』
あまり、きれいとはいえない癖のある字でそう書かれていた。
「なんか、せっかちなんだか、悠長なんだか、わっかんねえ奴だな・・」
啓介は、ごそごそと鞄の中から出した着替えに着替えると、荷物を整理してロビーへと向かった。
ロビーでは拓海がソファにもたれかかって、ガイドを眺めている姿があった。
後ろから近づいて、ピンと、頭をはじいてみる。
「って!」
そういって、拓海が振り返った所を、笑顔で答える。
「よ、待たせたな」
「何するんですか? いきなり」
ソファから立ち上がり、拓海は荷物を取り上げる。
「まあ、別に、そんなに待ってませんから。さ、ご飯食べて、どうするか決めましょう?」
啓介の背中を押して、ホテルの出口へ向かう。
今日もいい天気になりそうだった。
「さて、朝ご飯? それとも早めの昼ご飯? どっちでも良いですけど、何か食べません?」
昨日通った一本道を、歩きながら、拓海がそういった。
「ん? そうだな、朝ご飯かな? 俺的には・・」
二人は梅田駅近辺の地下街へと潜り、何処かいい場所はないかと、うろうろする。
食べ物街の通りは、それこそ、和洋中、なんでもあって、いろいろ目移りする。
そして、不思議に角のうどん屋の前で足を止めた。
「藤原、ここ。何となくここ」
啓介はその店ののれんをひょいっとあげて、中を見る。
他に客はいないようだった。
「いらっしゃい」
おばさんがにこやかに言いながら、こっちへどうぞと、案内してくれた。
その席に座り、メニューを見て、お茶をすする。
「俺、木の葉定食」
「俺はしっぽくで良いです」
二人が注文を言うと、おばさんはメモしながら、
「定食のごはんは、いなりと炊き込みご飯どっちにしますか?」
と聞いてくる。
「あ、炊き込みご飯で」
「はい、ちょっとまって下さいね」
そういっておばさんは奥の方へと消えていく。
「あんた、朝からよく食べますね・・・」
拓海が感心したようにそういう。
「ん? そうか? 別にこれくらいは普通だと思うけどなぁ?」
この旅行中で食べたものは、絶対啓介の方が拓海よりも三割ぐらい多いだろう。
「啓介さん、燃費悪そうですね・・」
「何? どういうこった?」
拓海の言葉に啓介は怪訝な顔をする。
「だって、俺よりたくさん食べてるのに、俺よりもハラ減らすの早いです。アンタの車と同じ?」
最後の方はぼそっとつぶやくように言ったのに、啓介はその言葉を聞き逃さなかった。
「あ! 何言うんだよ! 確かにFDは燃費良くはねえけど・・俺まで一緒にすることないだろ?」
そういって、机の上に置かれた拓海の腕を指先でつねる。
「はい、定食としっぽくね」
おばさんが、かたん、とそれをテーブルの上に置いた瞬間に、啓介は今までのことを忘れて、そちらの方へ注意が向いた。
「・・・何か、色薄い・・・味ついてるのかな?」
ちょいちょいと、うどんのどんぶりをかき混ぜてみるが、中に入っている出汁の色は変わらない。
「ん、啓介さん、これ、色薄いですけど、味ちゃんとありますよ。それに美味しい」
一口出汁を口に含んだ拓海がそういう。
啓介も出汁を飲んでみようと思ったが、熱くてそれはまだ出来なかった。
うどんを少しずつ冷ましながら食べる。それでも、味がちゃんと付いていると言うことは啓介にも判った。
「うん、確かにうまいな。味ちゃんと付いてる」
そして、また、二人は無言のまま、黙々とその朝食を食べ続けた。
そして、二人とも最後まで出汁を飲んでしまう。
お茶をすすりながら、一息ついた。
「関西って色ないけど、味はあるんですね」
「そうだな、ちょっと驚いたな」
「じゃ、そろそろ行きますか?」
いすから立ち上がり、支払いを済ませ、外へ出る。
店にはいる前とは違って、その地下街には、人があふれていた。
「なんか、混んでねえか? ここ・・・」
「うう〜ん。もう、お昼近いですからね。人もたくさん出てきてるんでしょう」
周りを見ながら、拓海がいう。
「そうかもな」
「どうします? 帰りの新幹線は2時すぎですから、あんまり遠くは行けないですよ?」
時計を見ると、あと残された時間は2時間半ほどだ。
「そうだな、この地下街うろついて、何か土産でも探すか?」
「そうですね。俺はともかく、啓介さんはいろいろ土産がいりそうですしね」
そういうことで、地下街をうろうろし出す。
関東にはない、珍しいモノ・店が結構あったりする。
複雑に入り交じった地下街を当てもなく、歩いていく。
ふと、雑貨屋のような店が目に付き、入ってみる。
「うわ、たこ焼きが付いてるストラップがある!」
笑いながら、啓介は拓海に見せる。
「大阪らしいですね。あ、こっちには筆記用具もある」
「ん〜、これ面白いな。俺これ自分で使おう」
そういって啓介はたこ焼きの付いたストラップを手に取る。
そしてふと横を見ると、紅白の派手な袋が並んでいる。
「なんだこりゃ?」
興味を引かれ、手に取ってみる。
「あんプリン?」
拓海も横からのぞき込んでいる。
「大阪名物だってさ。なんか、考えるのめんどくさくなった。ここで適当に買っていこう」
啓介は適当に、目についたお菓子を腕の中に抱え込んでいく。そんな啓介を笑いながらも、拓海は、啓介が買うと言ったストラップと同じたこやきが頭に着いた筆記具と地域限定と大きく描かれた箱菓子をいくつか購入していた。
そうこうする内に、昼の時間は過ぎ、気づけば一時も近くなっていた。
「おい、藤原ぁ、そろそろ新幹線の駅に向かおうぜ?」
すこし早い気もするが、拓海は啓介の言葉に従い、駅へとむかった。
連休半ばとはいっても、GWである。新幹線のホームは結構な人でごった返していた。
その人混みを相変わらず下手に横切って啓介は進んでゆく。さらに、その後ろには器用に横切る拓海がいて、二人のその手にはきっちりと駅弁が握られていた。
「お、今回は列車より速く着いたぞ」
啓介はホームに着くと嬉しそうに掲示板を見る。啓介たちがのる列車は次々発となっていた。
「そんなに急がなくても十分間に合うじゃないですか」
拓海は、列車待ちの列の後ろに並びながらつぶやく。
「ええ? こういうのは余裕を持って待ってるもんじゃねえの? お前、バトルの時と言い、今回の旅行の時と言い、本当に時間ぎりぎりに来る奴だよな〜」
しみじみとしたように啓介はいう。
「え、結果的には間に合ってるからいいんじゃないですか?」
思うようにすれば良いんじゃないか? ということで、よくわからないままに、その話は違う話へと変わっていった。
そして、拓海たちが乗って帰る新幹線がホームに着く。
それにつられるようにホーム上の人がざわざわとうごめく。そして拓海たちも、その人の流れに流されるように列車の中に吸い込まれていく。
そして、帰りの電車の中で、また、二人の弁当のおかずは半分ずつに分けられた。
いつもと違う休日は、何か、いつもと違う事を気づかせるいい機会かもしれない。
そう。誰にとっても・・・
END?
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