意識が沈んでいく。
 深い深い深淵の底。

―――俺は、人を殺した。

 意識が沈んでいく。
 代わりに混じりゆく、もう一つの意識。

―――私は、人を殺した。

 浮かび上がろうと手を動かしてみる。
 だが、身体は唯、沈みゆくだけ。

―――俺は、人を殺した。

―――私は、人を殺した。

 二つの事実が同調していく。
 そして息を吹き返しはじめる、今まで奥底に封ぜられし、もう一つの記憶。

 頭が痺れていく。思考が明確でない。
 自分が誰なのかということでさえ、迷い始める。
 
 俺は誰だっただろう。
 私は誰だっただろう。
 何をしていただろうか
 何処にいただろうか。
 

 …
 ……
 ………

 必死で深淵の中を手探りすると、自分を示す一つの記号がそこにあった。
 たった一つの手掛かり。それに向かって必死で手を伸ばす。

 "神條弘耶"

 ああ、そうだ。
 私は…神條弘耶。
 
 一人の科学者。
 罪深き、限りなく重い十字架を背負った、一人の人間。

 今日もこの施設で、この部屋で、人を殺して、繋ぎ合わせて、人形を作る。
 永遠に動きつづける人形を。


---------------------------------

 ビーーーーーーーーーーーー

 耳障りなブザーが部屋に鳴り響く。
 今日の勤務時間の終了を告げる、邪魔な音。
 まったく…研究を急がせるつもりなら勤務時間なんて指定しないでくれ。
 別に一日中この部屋に缶詰めでも構わない―――どうせ他にやる事もないのに。
 偉いヒトの考える事は分からないな。
 
「諸君、お疲れさまだ。後始末を追えた者から自室に帰ってよし」

 備え付けのマイクで、施設全体にお決まりの台詞を吐く。
 一応、代表者としての義務だ。
 放送のスイッチを切り、自分も今日の分の書類を片付け始める。
 
『報告書・人体モデル3体作成。<素材>を34体消費。脳にサンプル用の人工意識を埋めこんでみたが拒絶反応は見られず。引き続き様子を観察―――』

 そこまで書いてペンを置いた。
 <素材>ねぇ…まったく素晴らしい。
 同じ人間をそんな形容で呼べるなんて、つくづく残酷だな、私は。

 こうなり始めたのはアレを作り上げたのがきっかけだったか。
 えっと…なんといったか。
 私は『記憶電気化システム』とか『脳信号バックアップシステム』とか、そんな稚拙な名前で読んでたような気がする。
 もっとも今は、『永遠の魂』とか『永久脳』などと云うひどくファンタジックな名の方で通りが良くなっているが。
 とにかく、本業の暇にそんなものを開発して、ついに完成にこぎつけたのは数ヶ月前だった。
 そしてどこで嗅ぎ付けてきたのか、数日もしないうちに辞令が来た。

 ―――神條弘耶。
    新たに建設される国家研究施設への転属を要請する。
    この施設の派遣された研究員の統括者として、永久機関の開発・実用化を命ずる

    なお、研究の素材として街一つ、及びその住民を寄与する―――

 
 永久機関と呼ばれたそれは、永遠の命と同意義の研究である。
 前述の記憶のバックアップによって、理論上『魂』だけは永遠に生き続けることができる。
 (私が意図したのはそういった使用目的ではなかったが)
 それだけでは満足しなかったどこぞの権力者(恐らく国家レベルの)は、次に永遠の生態モデル。
 いわば、老朽化しない肉体を望んだ。
 永遠の『魂』は完成している。次は永遠の『器』だと、そういうことらしい。

 それは幾度となく行われてきた神への挑戦。
 それは私の罪の始まり。

 最初は、永遠の生体モデル、もとい『器』の材料に機械や化学素材を利用していた。
 しかし、出来上がったのは『出来の良い人体模型』にしかならなかった。
 機械等は生身のそれよりも老朽化は遅い。しかし、永遠ではないのだ。
 永遠に…無限に生命活動を続けるにはどうすればいいか。

 万物において、老朽化は免れない。
 とすれば、老朽化するそばからその老朽化し欠落した部分を、新たに自ら組成していけばいい。

 素材の模索は生物に映った。
 昆虫、水棲類、鳥類、類人猿、…ヒト。
 
―――なお、研究の素材として街一つ、及びその住民を寄与する―――

 その意味がやっとわかった気がした。
 国は最初から分かっていたのだ、永遠の生命を持つヒトを作るにはヒトの犠牲なしにあり得ない事を。


 そうして私は、ヒトを原料にヒトを作り始めた。
 

---------------------------


「ふぅ…」

 研究施設の中庭。
 新緑の芝、噴水、花壇、ベンチ。
 余計なものが取り払われた研究施設の中で、ここだけが彩りをたたえている。
 不釣合いでもあるが、ここにいると忘れていた人間としての感情を思い出す。
 だが、時に純粋な自然の風景が私を責めているようにも感じられる。
 そんな時はひどく居心地が悪い場所に変わってしまうのだが、それでも私は―――この場所が好きだった。

「もう何人殺しただろうかね」

 ベンチに腰を落とし、煙草を咥えながら誰とも無しに呟く。
 ここで休んでいると麻痺した筈の背徳感が顔を出す。
 素材を―――ヒトを―――切り刻んで、ヒトを繋ぎ合わせて、ヒトを潰して、ヒトを組み立てて。
 ”永遠の命を造る為、犠牲はやむを得ない”
 それがお題目。
 まったく、素晴らしい。
 正義の味方を気取った自己正当化の最たる形だ。

「そう思わないか、そこの君」

 二本目の煙草に火をつけながら、目の前に立っている少女にそう問いかけた。
 いつの間にか立っていた少女。
 唐突な問いにも微塵も動揺しないその少女はひどく幾何学的記号の様で、それでいて非現実的で。
 そう、たとえるなら透明。
 年は16か17か。見ようによってはもっと年上にも年下にも見える。
 この施設の関係者ではない、というは確かだ。

「神條博士ですね」
「博士だなんてやめてくれ。残念ながら博士号は取っていないよ。その前に此処に飛ばされたからね」

 無論、飛ばされなくとも取る気は無かったが。

「ちなみに先生もやめてくれよ」

 年頃の女の子に先生なんて呼ばれるのは、非常に背徳的であるからな、うむ。

「では、なんとお呼びすればよいでしょう」
「弘耶でいい。今はもう誰もこの名を呼んでくれないがね」

 殆どの研究員は主任か、リーダーと私を呼ぶ。
 私という人格は記号化され、神條弘耶という名前は書類に記述するときにしか思い出さない。

「では弘耶さん。私は貴方に用事があります」
「呼び捨てでいいし、敬語もやめてくれ。言動はコレだが、私は意外と若いつもりだ」

 彼女は私の言葉に一瞬眉を細める。
 だが、すぐに表情を戻し口を開いた。

「…弘耶」
「なんだい」
「私は秋端。忘れられた晩秋の切れ端。世界の咎を取り除く存在」

 自己紹介だろうか。秋端というのは彼女の名か。
 うむ、情緒を感じさせる暖かい名だな。素晴らしい。

「いい名だ」
「弘耶。―――私は貴方を取り除きに来た」

 しばしの沈黙。
 噴水の水音だけがその場を支配する音だった。
 しかし、たかが水音にこの場を任せておくには勿体無い。
 煙草を揉み消して、再び場所の支配権を取り戻した。

「なるほど、それは興味深い話だ」

 云いながら売店で買っておいた缶コーヒーを開けて、一口喉に通す。
 缶だけに安物の味だが、煙草の後味を洗い流すには十分だ。
 …この研究所に来てタバコとコーヒーの本数が増えたかな。
 
「…動揺しないのね」
「今一つ、理解できないからね」
「貴方を消す、ってことよ」
「ほぅ、それは『殺す』と同意義なのかな?」
「そうね」
「ほほぅ…ますます興味深い」

 おどけた顔をしてみる。 
 む、そっちこそ少しは表情を変えてくれてもいいだろうに。

「秋端――だっけ?君の話を聞きたいな」
「…」
「缶コーヒー、飲むかい?」
「…」

 手に持ったコーヒーを差し出すと、彼女は黙って首を振る。

「コーヒー、嫌いかな?」

 問うと、もう一度首を振る。
 そして、事も無げに続けた。

「間接キス…」
 
 ―――沈黙が訪れ、その日はそのまま別れた。
 正確には私を呼び出す放送が流れたために有耶無耶になってしまったのだが。
 最後の言葉は彼女なりの冗談だったのだとその日の夜になって気付いて、少し笑った。
 
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 その日も、生きたまま麻酔で眠らされた人が運ばれてくる。
 私は躊躇いなくメスを突き刺す。…死の瞬間。
 眠ったままの人の苦悶の悲鳴が聞こえた気がした。
 腹を切り裂き、臓物を取り出す。眼球を丁寧に刳りぬく。
 指を、足を、喉を、歯を。
 研究に適したパーツを助手に渡していく。
 渡したパーツは丁寧ながらも滑稽に――ディスプレイされた玩具のように――別室に運ばれていく。

 別室でそれらのパーツは私が築き上げた、「永久機関を搭載した生体の組成マニュアル」によって再編され、人間の形に復元される。
 神が生み出した、人間という生物としての最高傑作に私が手を加えて、永遠に稼動する入れ物となる。
 当初の計画―――老朽化するそばからその老朽化し欠落した部分を、新たに自ら組成していく無限の代謝活動―――
 それは『器』の完成

 の筈だった。
 
 出来あがった『器』にサンプル用の人工意識、もとい『魂』を脳に送りこむと、それは『ヒト』として生命活動を始める。
 運が悪ければモノの数分も経たないうちに停止し、運が良ければ一日程はヒトとしての生活をしてくれる。
 歩き、物を食べ、喋り、笑い、泣き…
 しかし、どれほど運がよくても2日も保たない。
 
 …まだ私の研究は失敗の域を出ていないのだ。

 失敗作となった『ヒト』の後処理も
 電池の切れた玩具のように停止するならまだいい。
 だが、生命活動は持続したまま脳の『データ』の方がおかしくなる場合がある。
 そうなったサンプルはヒトの形を模したままで、暴れまわったり奇行に走ったりする。
 
 さながらゾンビのようで、いたたまれない。
 
 廃棄室にそういった”ゾンビ”の屍骸が積まれていく。
 処理係が火をつけると脂くさい炎が舞い踊る。
 
 罪も無いのに、ここに連れて来られ、殺され、壊され、失敗作として再び殺される。 
 私達を―――私を恨んでいるだろうか?
 聞くまでもないが…

 ブーーーーーーーーーーーーーー

 耳障りなブザーが鳴った。

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 残念ながらというべきか、運の良いことにというべきか。
 この日もやっぱり彼女は私が煙草を一本吸い終わる頃、ベンチの前に立っていた。

「いらっしゃい。おっと、コーヒーぐらいご馳走するべきかな」
「遠慮しておくわ」
「飲みさしでよければ、ここに」
「…」
「失礼。とりあえずこっちに座ってくれないかな」

 促すと、彼女は私のとなりにちょこんと座った。
 間接キスは残念だったが、会ったばかりでそれはちょっとセクハラかもしれない。
 
「んじゃまぁ、昨日の続きを聞こうかな」
「…貴方が今している研究、それが世界に仇をなしているわ」
「永久機関、か」

 彼女は頷いた。
 なるほど、永遠の命・神への挑戦。
 …数え切れないほどの殺戮。
 罪。
 そう、私のやっている事は大罪以外の何モノでもない

「んで、君はその研究の責任者たる私を取り除こう、と」
「ええ。私はそのための存在」
「こんな可愛い子に殺されるならいいかもな」

 そういうと秋端は怪訝な顔をした。
 今の言葉は別にお世辞ではなかったのだが。
 そんな私の胸中とは裏腹に、彼女は別の疑問を問うた。

「あなたは」
「ん?」
「あなたは私の話に…私の存在に疑問を持たないの?」
「どういうことかな?」
「私は…」
「人間じゃない、ってことかい」

 当たり前のように返す私の態度に、彼女は少し驚いたようだ。
 
「自慢できた事じゃないが、ここ最近、幾つも人間を切り刻んで細部まで見飽きてるんでね。例外を見れば一目でわかる。白いスクリーンの中の黒のように。黒いスクリーンの中の白のように、際立って、な」
「…」
「綺麗だった。こんなに綺麗な子は人間じゃないと思った。それじゃ駄目かい?」
「…科学者のクセに、随分と非現実慣れしてるのね」
「ロマンティストでね。妖精とか天使とかには憧れてた」
「あら残念。私は天使でも妖精でもない―――死神よ」

 私の回答に納得したのか、冗談めいて少し微笑む彼女。
 ほら、やっぱり可愛いじゃないか。

「で、死神さんは私を今ここで殺すのかい?」

 話題を戻すと、彼女はまた冷たい表情に戻った。

「正確に云うと、殺すという表現は当てはまらないわ」
「ほぅ?」
「あなたの時を止める――永遠に眠ってもらうの」

 彼女という非現実のフィルターがある前提での一言なので、別段驚きはない。
 そういえば、私は昔から聞き分けはイイ子だといわれていたな。

「私の能力は時を司る力。生れ落ちたときから持っていた力ね。神からの授かりモノとでも云うのかしら」
「続けてくれ」
「内容は言葉通り。力を行使した対象の時を止める事ができるの。その対象は物体、空間、生物と特に例外はないわ」

 彼女はそう云うと、飲み終えたコーヒーを投げ捨てて、それに手をかざした。
 すると放物線を描いて落下していたコーヒー缶が中で静止する。
 無論、トリックの形跡は無い。

「ほぉぉぉ、こりゃすごい」

 ヒューと賞賛の口笛を鳴らすと、彼女は照れくさそうに笑いながら手を下ろした。
 カラン、と缶は落下する。

「勿論、この研究所の時を止める事もできるし、その中であなたと私の時だけを動かす事もできるわ」

 自分で自分の時は止められないけどね、と付け加える。
 …実際にこの眼で確認した以上、疑う余地など微塵も無いが、性分としてパラドックスだとかいらんことを考えたくなる。
 その辺は聞くのは野暮なんだろう。神の力だしな、うん。

「で、話を戻すとその力で私の命も止めてしまうわけだ」
「ええ」
「永遠に?」
「ええ」
「そりゃまいったなぁ…」
「普段から老けてるとか、その顔で一人称が”私”だなんて可愛くないとか云われているけど、これでもまだ25才だ。これから色々と楽しみたいお年頃でもあるのだよ」

 「あ、そう」とでも云いたげな視線だ。
 …この事に関しては冗談めいた口調は許されないらしい。

「ま、冗談はさておきだ…」
「そうして」
「私は死にたくないな」 
「…」
「正直云うと、この研究が人道からかけ離れている悪魔じみた所業だってのも気付いてるんだよ。世界からみれば明らかに敵だろうな、私は」
「だから私が来たの」
「そうだな。…ただ」

 足元に転がっている缶を蹴り飛ばす。清掃員の人に怒られるかもしれないな。

「悪魔の所業でも、完成させてみたい気はするんだよ…科学者の血かな。例え名も知らぬようなお偉いさんの為の研究でも、それがヒトとしてヒトを超えるようなものなら、新しい未来を見せてくれるような研究なら…最後まで…」
「それが、幾つもの犠牲を払っても…?」
「そうかもしれない、な」

 沈黙。
 忘れていたように三本目の煙草を咥える。
 火を点けようとして、やめた。
 レディの前で煙草はご法度だと一人の研究員に咎められたのを思い出しただけだ。

「ははは、ダメだ。どうあっても大罪だな」
「ごめんなさい」
「おいおい、随分愁傷になっているじゃないか。最初は問答無用で『殺す』なんて言い放ってくれたのに」

 ちょっと膨れる秋端。
 私の冗談に応えるように笑う。…少し寂しそうに。 
 そして、そのままで云った。

「私だって、好きでやってるわけじゃない…」

 結局、その日も「殺される」事はなかった。
 それは、私の罪がまた大きくなる事を意味する。



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 まるで息をするように人を殺す。
 
 食事をするように。
 
 睡眠をとるように
 
 殺して殺して殺して殺して殺して殺して…
 永遠の命のために研究の為に誰かの為に自分のエゴの為に。
 殺して殺して殺して殺して殺して殺して…

 慣れていた。
 だけど何処かで怯えていた。

 目を閉じると、苦悶の表情が、泣き顔が、怒りの表情がはっきりと浮かぶ。
 静寂の中にいると悲鳴が、泣き声が、呪詛が。
 
 子供のように夜中に目覚めて胃の中のものを吐き出す事も少なくない。
 今まで私が殺した人に、組み立てた模型に、囲まれ食いつぶされる夢を見て…

 無様だ。
 
 ―――私は、無様だ。

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「やぁ天使」
「こんにちわ」

 軽く手を振って挨拶とする。
 最初に出会った秋から時は過ぎ、今は冬。
 時の経過にもかかわらず、毎日のように私は秋端と会っていた。
 それは私の希望なのか、秋端の希望なのか。
 若しくはどちらでもないのか。

「ねぇ弘耶――」
「なんだい?」
「あなた、最近疲れてる」
「そうかな」

 頷く彼女。

「研究は、進んでいるの?」
「さっぱりだね。初期よりは『器』が活動してくれる時間は長くなっているが。永遠とは程遠いよ」

 ハハハ、と自嘲気味に笑う私をじっと見つめる秋端。
 やめてくれ。そんな眼で見られると…

「君は、私を殺さないんだな。もう出会って一ヶ月にもなるんだが」
「…それは…」
「?」
「…情がうつることもあるわ」
「なんだか、ペットみたいな云い方だな。私はペットか」
「嫌?」
「嫌だ」

 むしろ彼女をペットにしたいくらいだが、変態扱いされるのも嫌なので、黙っておく。
 その考えを読んでだろうか、彼女が訝しげな視線を送る。

「ま、まあ、アレだ。生き長らえるのなら、嬉しい」
「貴方ほど変な人は居ないわ。もう少し観察するのも―――」
「か、観察…」

 私が顔を引きつらせると、彼女はじゃあ云い直しましょうか、と姿勢を正して私を見つめた。
 この瞳に、私は弱い。
 自分が罪人であるという罪悪感からだろうか、それとももっと根底にあるもの―――人であることの罪悪感。
 そんなものが全て彼女の視線で照らされる焦燥感。
 そして、それとは逆の、見つめられることで浮きあがる、純粋な彼女に対する愛情、というか、特別な感情。
 二つの相反するものが私の中でぶつかり合い、非常にあやふやな気分になる。
 …それが心地良くもあるのだが。

 そして私は見つめられたまま、あやふやな気持ちのままで、彼女の言葉を待った。

「貴方と―――」

 クスッと。
 それが本心じゃないかもしれないわよ、と云いたげに。
 からかうように、透明な笑顔で。

「―――もう少し、一緒に居たいの」


------------------------------------------

 春が来た。

 以前、研究は進まない。
 だが研究は続く。
 人を素材にして。人を餌にして。
 今日も明日も明後日も、これからもずっと。
 エイエンのイノチとやらが完成するまで。
 私は人を殺しつづける。

 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ
 
 切り裂け引き千切れ臓物を引きずり出せ眼球を刳り貫け
 
 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ……!

 ―――神條弘耶を殺せ

 頼むから、殺してくれ…

------------------------------------------------------------------------------------

「弘耶…」
「やぁ」

 いつものベンチに向かい歩く私を見るや否や、駆け寄ってくる秋端。
 どうした、泣きそうな顔をしているじゃないか。

「弘耶!」
「え…」 
「顔色が、白い…ううん、土気…色」

 そんな、土気色だなんて。それじゃまるで死体じゃないか。
 死体は切り刻まないと、切り刻んで組み立てて永遠に生きる肉体に組替えないと。
 そうか、私は切り刻まれなくてはならない。メスはどこだ。殺せ。
 殺人鬼を、罪人を、私を殺せ。コロ…

「弘耶ッ!!」
「うぁ…」
「しっかりして…」
「秋端…君か…」
「大丈夫?」
「どうだろうな。少し神経が参ってるかもしれない」
「弘耶、だんだん弱っていってる気がする。最近特に」
「君と出会ってからかな。罪の意識というものが如実に育ってきているよ」

それは私を確実に苦しめる。

「私と出会ってから?」
「世界の咎。そう君に云われるとね、天使様から責められているような気になってくる。私のような悪魔は光に弱いのさ」
「…」
「秋端、多分人類が幾度となく繰り返してきた問答なんだが、聞いてくれるかい?」

 なにも云わず頷くのを確認して私は問い掛けた。
 そう、チープな歌の歌詞にもよく出てきた言葉。
 人類の最大にして最後の問い。
 そして、それは今―――私を苦しめるもの

「人は、永遠を手にいれることは出来るのか?」

 私の問いに秋端はあっさりと、そして微笑みと共に返答した。
 しばしの沈黙を予想していた私としては意表を突かれたものだった。

「ええ」
「そうか…」

 寒い。
 もう春だというのにこの寒さだ。
 雑誌や新聞はやれ異常気象だの、やれ宇宙人の仕業だのと騒ぎ立ててるが、全く世間はお祭り事が好きらしい。
 100年に一度はこんな気候の気まぐれだって起こるだろうさ。
 
「秋端」
「なに…?」

「私を―――殺してくれ」

「……」
「正確には”時を止める”だったかな」
「どうして急に」
「血にまみれ過ぎた私では人類の境地―――『永遠』に到達は出来ない。だから、残りは優秀な後輩達に託して私は引退しようかと思うんだ。『永遠の命』を見てみたい気もするが、何時の間にか諦めもついていたよ」
「…いいの?」
「それが君の使命だっただろ。君はそのために此処に来た」
 
 けじめとも云えば格好がつくかもしれない。
 殺してきた人々に対する償い、そう云えば。
 だが、実際は人を殺すことに嫌気がさしたんだ、人々の亡霊に苦しめられる日々から逃げたいんだ。
 …ひどく、格好悪い。
 研究を始めた頃は、別に何とも思わなかったのに。
 君のせいだよ秋端。
 君と出会った事で、私は人間らしい感情に目覚めてしまったんだ。
 
「諦め、というのは嘘でしょう?」
「嘘だよ」
「……何があったの?」
「人を―――殺してしまったのさ」

 そう、私は人を殺した。
 殺した。
 殺した。
 殺した…殺してしまった…

「…何故、私は気付かなかったんだろう」
「弘耶?」
「逃避でもある」
「……」
「弱いのさ、私は」

 じっと私を見つめる秋端。
 途端に罪悪感が押し寄せてくる。色々なものに対しての。
 やめてくれ。黙るくらいなら、何があったのか聞いてくれ。
 私には答えることは出来ないが、冗談ではぐらかすことはできる。
 また少しだけ日常の欠片を取り戻すことが出来る。
 
 しかし、彼女の口から出たのは、一気に終局へと飛ぶことのできる言葉だった。

「…世界の意思にしたがって神條弘耶、貴方の生命活動に永劫の静寂を与えます」
「ああ」

 確かに―――それでも構わない。

 風が強くなった気がする。
 …信じられないくらい寒い。
 寒いから早くしてくれ、なんて冗談めいた言葉まで浮かんでくる。

「さよなら」

 秋端が手をゆっくりと上げる。一度だけ見た、あの『時を止める』動作だ。
 私は覚悟を示すように、ゆっくりと目を閉じた。

 ……
 ………
 …………まだか?
 
 眼を開けてみる。
 上げかけていた秋端の手はだらんと力無く垂れ下がり、ぶるぶると震えていた。

「………寒いから、手が震えて…動かない」

 顔を上げて秋端の瞳を見つめる。
 その綺麗な瞳に浮かぶのは、涙。
 堪えるようにキュッと唇を噛み締めて、今までで一番悲しそうな顔で。
 
「ごめん、弘耶…今は、わたしには、無理…」
「そうか…」
「寒いからなの、それ以外に理由なんてないわ。だってわたしは弘耶を殺すために」

 言葉に詰まりながら謝罪の言葉を続ける。
 謝るのは君じゃない、私なのに。

「誰の意思でかもわからず、生れ落ちた時から、本能に刻み込まれた『咎人を取り除け』なんていう使命に突き動かされて…私は別に誰を殺したいとも思っていなかった。でもその使命だけが私を形作る要素だから…だから…」
「秋端」
「…わたしは弘耶を殺したくなんかないっ! 弘耶が居なくなるなら、わたしもっ」
「秋端、もういい」

 云って、秋端を抱きしめた。
 悪魔が天使を抱きしめる。滑稽な図である事は否定しない。
 でも、秋端も自分の事を死神といい、生まれた時からの使命を拒否しようとしている。
 世界を浄化する天使である事を辞めようとしている。
 …オーケー、堕天使と悪魔ならちょうどいい。
 永遠なんて、使命なんて、クソくらえだ。
 
 許されないのなら、二人でこの世界に別れを告げよう。


−−−−−−−−−−−−−


「ほら、この部屋は温かいだろ?」
「ここ、弘耶の部屋…」
「おおっと、あんまりジロジロ見ないでくれよ、散らかってるから」

 云いながら台所のコーヒーメーカーに豆をセットする。
 売店のコーヒーよりも、自分が作ったコーヒーの方がはるかに美味い。

「本当に寒いよな。こりゃ本格的に異常気象か」
「長い間巡りつづけていれば、季節もたまには気まぐれを起こすわ」
「同感だ。さっき私もそんな事を考えていた」
 
 イレギュラーな季節。イレギュラーなふたり。
 春先の冬は、私と秋端にピッタリの季節だと思った。
 いかん。またロマンティストになっている。

「なに笑っているの?」
「いや、別に」

 出来あがったコーヒーをカップに注いで秋端に渡す。
 彼女は両手で受け取ると、子供のようにふぅふぅと息を吹いて冷ます。
 …むぅ

「な、なに笑っているの?」
「可愛いな、と思って」
「会った時から思っていたけど、あなたって相当の女好きじゃないかしら?」
「へ?」
「初対面の女の子に間接キスを迫るわ、天使だの妖精だの…ひょっとして誰にでもそんな事」
「云わないよ」

 彼女の言葉を体全体で遮るようにその身を寄せる。
 まさに眼と鼻の先。

「君以外には云わない」
「…嘘」
「嘘じゃない。血に塗れた罪深き人殺し・神條弘耶と云う名の悪魔は、秋端という一人の天使にその身を捧げることを誓う」
「ば、馬鹿っ…よくもそんな恥ずかしい言葉が次々」

 もう一度彼女の言葉を遮る。
 今度は自らの唇で。

「ん…」
「…じゃあ、こう云おう―――好きだ、秋端」
「わたしは…わたしも、多分、これが初めての気持ちだと思うけど、、、きっと」

 聞き終えないままにもう一度口づける。
 さっきよりも少し長く、少し強く。
 そして―――
 悪魔は、天使の肌に手をかけた


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 内部の階段を使って屋上に出る。
 綺麗な星空を期待していたが、残念ながら空は雲に覆われていた。
 代わりに。

「うわ…雪だ…」
「すごい…」

 ちらちらと舞う白い結晶。
 黒いキャンパスから舞い降りる、雪。
 それも、とんでもなく季節外れの。

「寒いからって、雪まで降るかね…」
「そうね」
「こんな珍しい事、そうそうあるもんじゃないよな」
「100年に一度の異常気象、とかだったらロマンティックね」
「だな」

 100年に一度の夜のさよなら。
 ひどく幻想的ではある。

「なぁ…」
「何?」
「秋端は、死んだらどうなるんだ?」
「さぁ、死んだ事ないから分からないわね」

 事も無げに云ってクスッと笑う。
 いや、まぁそれはそうなんだが。

「多分、また咎が生まれたら…同じように何処からともなく産み落とされる。そう思うわ。だって私の存在はそういうことだもの」
「そっか…」
「私には、輪廻というものがあるのかな」
「日ごろの行い次第、ね」
「それは手厳しい」

 その理論を採用すると、私の再生は絶望的だろうな。
 なにしろ…まぁ、いい。

「永久機関―――永遠の命を完成させておけば良かったと今更ながらに思うよ」
「どうして?」
「君とずっと一緒にいられる」

 黙って微笑む彼女。
 多分、今までで一番優しい笑顔。
 何も云わずに私たちは屋上の柵を乗り越えた。

「この施設…意外と高いもんだな」
「怖い?」
「別にそうでもないさ。そういえば、幼少期に親の性行為を見てしまったものは高所恐怖症になるという俗説があるが―――」
「今更そんな話しなくてもいいわよ…」
「だな」

 では、行くか。
 …
 外界に一歩踏み出す。
 雪が夜の世界を彩る。幻想の宇宙。 

「綺麗ね」
「最後の景色としては申し分無い」
「そうね、素敵…」
「もし―――」
「何?」
「もし、また逢うことがあれば、こんな素敵なイレギュラーの日に」 
「ええ…約束するわ。これ以上の日に、これ以上に素敵な景色の中で」

 もう言葉は要らなかった。
 私は泣いていたかもしれない。笑っていたかもしれない。
 ただ、秋端の手の温もりだけが―――


 そして、私たちは、世界にさよならを告げて―――

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