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夢をみている。
 夢が夢だと認識できるゆめ。
 ここは光の中。
 いつもの闇とは違う場所。

 ここでは、色が舞っている。 
 
 赤と。
 黄と。
 白と。
 …黒と。

 何処までも眩い光の中で、綺麗な色が舞っていた。
―――きみは なにいろ?

 俺は問いかけた気がした。
 答は無かった。
 下を見れば深い闇。おぞましい声が響くいつもの場所。
 放っておけば、その場所へ落ちていく気がして…
 
 俺は必死で瞳を開いた。

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「ぶぬぅ…」

 目覚めはあまり良いとは云えなかった。
 体を包む気だるさと、少しの頭痛。
 布団に執着するこの身を無理矢理に引き起こす。
 相変わらず気温は低く感じられた。

「おはよ、弘耶」
「ああ…おはよう」
「どうしたの、また寝不足?」
「そうかもしれん」

 と云っても昨晩、特に寝られなかったということはない。
 秋端と分かれたあと、寄り道もせずに帰宅して普通に夕食を摂り、風呂に入り、布団に入った。
 寝不足になる要因など思い当たらない。

「睡眠と休息はしっかりとらなきゃだめだよ?」
「おぅ、学校ではしっかり寝てるぞ」

 はぁ、と大袈裟にため息をつく美月。
 そこまで呆れなくてもいいだろう…

「水森さんに迷惑かけてない?」
「ぬ、水森を知ってるのか?」
「うん、友達だよ」

 むぅ、そうだったのか
 意外な事実だった。
 ということは、二人のツッコみ特性は互いに伝染しあった末の賜物なのだろうか。

「友達ってアレか、同じクラスだったとか?」
「んふふー、さーてどうでしょう?」
「別に隠し立てするようなことでもあるまいに」
「別にわざわざ云うことでもないもんね」

 ぐぬ、確かに正論だ。
 いちいちそんなこと問いただす程のことでもないので、俺内で元クラスメイトということにしておく。うむ、決定。

「で、迷惑はかけてない?って聞いてるんだけど」
「多分大丈夫だ」

 迷惑になるようなことはまだしてない筈だ。
 上靴に画鋲を詰め込んだり、スカートに頭を突っ込んだり、彼女の家に特上寿司出前30人分を勝手に注文したりはしていない。
 大丈夫、と云って間違いはない筈だ。

「大丈夫ならいいんだけどね」
「おう」
「弘耶たまに信じられないようなことするから…」
「否定はしない」

 そう云って美月の意見を肯定しつつ、鮭の切り身の最後の一口を放り込む。
 咀嚼しながら立ちあがると、一つの問題を思い出した。

「あ、今日もあの子校門の前で待ってるかな…」
「間違いないわね」
 
 ちなみに『莉依ちゃん』と云わなかったのは、そんな甘ったるい呼び方をした日には
 一日中美月に冷やかされること間違いないからである。

「観念して付き合ってあげたら?悪い子じゃないと思うわよ」
「それはわかってるんだがな」

 互いに施錠の確認をしながらも会話は続く。
 
「好きな子が他にいるとか?」
「別にそうでもない」

 最後に鞄を手に持ち、玄関を出る。
 質問と答えの応酬をしながらもいつものプロセスは変わることがない。
 プログラムされているかのように自然に進んでゆく。
 
「じゃあ付き合っちゃえばいいじゃん」
「でもなぁ…」

 別に彼女は嫌いではない。むしろあの朗々とした性格には好感がもてるくらいだ。
 別に誰か思い人がいるわけでもない。好意を持つ異性といえば少ないながらも存在するが、恋愛に至るまでではない。

「なんていうか、俺に彼女がいるっていう図がなんとも滑稽に感じられてな」
「ふぅん」
「自分でも想像できないんだよな」
「じゃこうしてみたら?」

 云うと美月は並んで歩いていた俺の腕をぐいっと自分の腕と絡ませた。
 突然の奇行にさっきまでの思考はどこかへ吹き飛んでしまった。
 
「あ、あ、あ、あの美月さん?」
「んー、やっぱりちょっと恥ずかしいね」
「…」
「こんな感じかな、カップルって」
「…どうだろうな」

 囁くように云う美月に、少しだけ心拍数が上がったような気がした。
 赤面していないか心配になる。今が夕焼けならば赤面も誤魔化せていいのに、と思った。
 
「弘耶、ちょっとドキドキしてない?」
「え、いや、まぁちょっとはな」

 俺でもさすがにこれだけ密着されれば動揺の一つもする。
 しかし、それを美月に見抜かれたことが余計に心拍数を挙げる結果となった。

「わたしも、ちょっとドキドキしてる」
「ん、ああ」
「心臓の音…聞こえる」
「そうか」
「…生きてるんだね、私達」

 不意に美月が切なそうにそう云った時、右腕から重みがすっと消えた。

「カップルごっこ、終わりっ」
「お、おう…」
「どう?自分に彼女がいる気分、味わえた?」
「お、おう…」

 そう聞かれたことで初めて、今の美月の行動の意味を理解することができた。
 なるほど、今のは俺の『彼女がいる図が想像できない』の一言によるものだったのか。
 腕を組んでいる最中は動揺でそこまで考えが回らなかった。

「いやー、まぁ、とにかく!弘耶はさっさと彼女作りなさい」
「うむぅ…」
「いいもんだったでしょ?腕組み」
「まぁ、悪いものではなかったが」
「でしょでしょ?」
「ただな」
「ただ?」
「胸がもう少しあればな」

 それまで妙にニコニコしていた美月の眉が釣りあがる。
 右手を見れば握り拳を形作っている。

「弘耶くーん」
「う…」
「云うんじゃないかとは思っていたけどね…」

 まて、落ち着け!
 あんなことされたらお約束じゃないかそれくらい!
 『シャコウジレイ』というやつだ、わかるだろっ!!

 しかし、心の叫びは恐怖に圧されて声にならなかった

「ご、ごめ…悪かっ…」
「一言余計なのよぉぉぉぉぉっ!!」

 さっきまでの女らしさは何処へやら、全身に殺気を纏わせながら襲い来る美月。
 逃げる俺。追いかける美月。逃げる俺。
 ……
 これが日常。
 平穏――ではないかもしれないが、決して嫌いではない日常。
 ただ心地よいこの生活のリズムを壊したくないのかもしれない。
 …このまま、『今』のまま、時が流れなければいいのに。
 それは我侭だろうか。

「弘耶ぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「だぁから、悪かったって云ってるだろぉが!」

 訂正。
 できればもう少し平穏な日常を希望する。

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「おはようございますっ」
「…おはよう」

 やっぱりというかなんというか、校門で莉依ちゃんと出会った。

「なんでお二人とも息切れてるんですか?」
「いや、朝からちょっと鬼ごっこをな」
「鬼ごっこですかっ!?」
「やらないぞ」
「ぶぅ〜」

 鬼ごっこと聞いた途端、莉依ちゃんがキラキラと瞳を輝かせはじめたので先に釘をさす。
 美月との戦闘の上に鬼ごっこまでやったら絶対に死ぬ。

「また今度やりましょうねっ!」
「あ、ああ…」
「藤堂先輩もっ」
「え、あたしもっ!?」

 まさか自分が呼ばれるとは思っていなかったのだろう、素っ頓狂な声を上げる。
 というか、本当にやる気なのか鬼ごっこ…

「別に鬼ごっこじゃなくてもいいんですけどね」
「あ、そうなのか」
「あたし、楽しければなんでもいいんですよっ」

 そう云ってあははと笑う彼女。
 楽しいことが好きという意見には賛成だ。
 一度思いっきり遊んでもいいかもしれない。
 そういえば、いつも圧倒されっぱなしでまともに会話したことが無いしな。

「んじゃ、また楽しいこと考えておくよ」
「デートですかっ!?」

 また瞳がキラキラモードになる。
 ぐぬ、言葉を誤ったかもしれん。

「デートかは分からないけどな、まぁそのうちに…」
「はいっ!楽しみにしてますっ!!」

 云いながら身を乗り出し、ぐぐっとガッツポーズをする。
 確かにこういうところは可愛いよな。
 …って、いかんいかん。
 デートじゃない、ただ遊ぶだけだ。何を邪なっ。

「おおっと、遅刻だぁ〜」

 自分の考えを振り払うように、大袈裟に声を上げてみた。
 かなりわざとらしい事はわかっている。

「行かなくてわぁぁ、じゃあなぁぁぁ」
「はい、私も教室に行きますね」
「おうぅぅぅぅぅぅ」

 大袈裟ついでというべきかなんというべきか、歌劇風の身振り手振りでくるくる回りながら校舎内に入っていく。
 もしかしたら一番恥ずかしいのは俺ではないかという疑念が沸いたが無視する事にする。

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「グッモーニン」
「はい、おはようございます」
「ちぇ、折角英語で挨拶してみたのに」
「どう反応して良いかわからなかったもので」
「そうか」

 まぁ、英語程度ならありふれたネタだしな。
 どうせならタガログ語やボスニア語にすればよかった。

「随分とウキウキのようですね」
「半日だからな。水森は違うのか?」
「はいはい、とってもウキウキです」

 ウキウキじゃないらしい。残念だ。

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 「ああああっ!」
 
 と云う間に授業は終わっていた。
 実質的にはたかだか二時間程度の短縮だが、飯をはさむか挟むか挟まないかで体感時間は大分変わってくるようだ。
 至極どうでもいい新発見メカニズムだ。
 筆記用具程度だけ鞄に詰めて、挨拶もそこそこに教室を出た。
 

 「わーい、午前授業だーい」

 ……
 さて、無意味に喜んでみたはいいが、予定が無い。
 午前で終わりといっても、別に午後の自由時間が増えることが嬉しいわけではなく、かったるい授業を味わう時間が少なくてすむのが嬉しいのかもしれない。
 家に帰ったところで特にやることも無いし、さてどうしたものか…


 悩みながら、フラフラと廊下に出ようとした俺は、小さな人影と衝突した。

「きゃっ」
「おっと、悪い!」

 軽く―――のつもりだったが、華奢な身体の相手はこちらが支える間もなく、尻餅をついていた。
 しまったな。完全にこちらの責任だ。
 怪我をしてないか、あいての顔を覗きこんだ。 
 
「…って、水森?」
「はい、水森です」

 答えながら、ポンポンとスカートについた埃を払って立ちあがった。
 
「大丈夫か?」
「はい」
「悪いな、フラフラ歩いてたこっちのミスだ」
「いえ、ボーっと立っていた私も悪かったと思います」

 そう云って同時に頭を下げあう。
 
 ごちん

「ぃてぇっ!」
「っ…!」
 
 さながらコントの一幕のようであった。
 今のはなかなか数字が…前にも云った気がするな、これ。
 
「と、とにかく、何ともないなら良かった」

 そこまで云ってから不意に、水森が何故こんな教室の出入り口で突っ立っていたのかという疑問が浮かんだ。
 いくつか仮定を立ててみても、どれもここで立っている理由にはなり得ない。
 
「…」
「…」

 水森は何も言わずにこちらを見ている。
 
「……」
「……」

 沈黙。
 彼女がその場から立ち去る気配は一向にない。
 二人してドアの前で棒立ち。
 …何をやっているんだろう。
 そもそも、俺はこれから何をしようとしていたんだっけか。
 んーと、放課後の予定を…って、ひょっとして
 
「なぁ、水森」
「はい?」
「一緒に帰ろうか」
「はい」

 彼女は口元を緩めて答えた。
 その表情からは先日のような拒否とか嫌悪は微塵も感じられない。
 
「今日は待っててくれたんだな、ドアの前で」
「し、知りません」
「サンキュな」
「し、し、知りませんっ」
「ミーナーちゃーん。サーーーンキュウーーー!」
「も、もうっ!」

 そうやって水森をからかいながら、午前での授業終わりにさわめく廊下を縫うように歩いていた。
 微細な幸せの飛沫と一緒に。 
 
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 『一緒に来て欲しい所があります』
 
 水森はそう云って、街路からそれた深い森へと足を踏み入れた。 
 仕方なく俺もその後に続く。
 
「なぁ、水森?」

 俺の呼びかけには答えずに、ひたすら歩き続ける。
 公道でもない、荒れた険しい道だというのに、水森は慣れた様子でどんどん奥へ進んでいく。
 
「水森、こっちの道って…」

―――俺も知ってる。

 そう、確かに知っている。
 昔から好きな場所。
 確か、もう少し歩いたら視界が明るくなって―――
 
 深い茂みを抜けると同時に、眼に光が飛び込んでくる。
 
「やっぱり…」

 そこはよく知っている場所だった。
 香る木々の匂い、辺りを漂う優しい風。
 俺の、好きな場所。
 
「…ここが、わたしの好きな場所です」
「奇遇だな。俺もここは好きなんだ」

 俺がそう返したところで、水森は別段驚いた様子もなく話を続ける。
 
「正確には、窓から見ていたこの場所の風景が好きでした」
「窓?」
「ええ、このベンチがまだ白かった頃、この場所に花が咲き誇っていた頃です」

 そう云って、哀しげな表情でいとおしむ様に視線をうつしていく。
 …彼女は”窓”と云った。
 ぐるっと身体を回転させてみるが、近くに建物は見当たらない。
 もっとも、木々が視界を遮って廻りに何があるかも判らない状態なのだが…
 
「窓って、どこの窓だ?」
「私が前に住んでいたところの窓です。今は木で遮られて見えませんが、向こうに」

 と、水森が指差した方向には確かに木々の緑しか存在なかった。
 
「…どうしてここに連れてきたんだ?」
「どうしてでしょうね」

 水森が、一歩こちらに歩みよる。
 
「あの頃、わたしが立ち入れなかったこの場所で―――」

 また一歩、二歩と、こちらの身体が密着しそうな距離まで近づいて来る。
 身体を離そうとしても、彼女の潤んだその瞳に俺の心は縛られて、胴に回された細い腕も、寄せられた華奢な身体も振り払う事は出来ずに。

 近づけられた唇と自分の唇が触れることさえも―――当たり前のように、拒む事はなかった。

 長いくちづけ。
 言葉はおろか、風の音も木々のざわめきも、二人の吐息でさえも、この瞬間には全てが失われていた。

「この場所で、私はすべてを裏切りたかったのかもしれない」

 動けない。
 水森が触れたこの唇も、腕が回された身体も、全ての感覚が無くなってしまったように動かない。
 ただ聴覚だけが、彼女の言葉だけを捉えつづける。
 
「このまま―――押し倒してしまいましょうか。何処かで見ている秋の精に見せつけるように…激しく、淫らに抱き合って……もっと、妬けるくらい…灼けるくらいの接吻(くちづけ)を交わせたなら―――」

 胴に回された手がゆっくりと腰の方に下りていく。
 微かに震える白い指先が―――淫靡だ。
 そんな風に思ってしまう自分に、ひどく嫌悪感を感じながら、やはり俺は動くことが出来なかった。
 指が、たどたどしくズボンのベルトにかかった時―――

「ほんの、戯れです」

 そう吐き捨てるように呟いて、水森は俺に背を向けた。
 同時に俺を縛り付けていた硬直もとける。
 俺が言葉を探して黙っている間に、彼女はもと来た方へ歩き始めていた。
 …何か、云わないと。
 
「み―――水森!」
「…はい」
「また明日、学校で!」

 そんなことを云いたかったんだろうか。
 何か、もっと他のことが…
 
「神條さん」
「なんだ?」
「馬鹿ですね。明日は休みです、学校。」

 たった一言、その言葉だけを投げて、彼女は常緑の緑の中に溶けていった。
 
 ………

「なんだったんだろうな…」
 
 自分の唇に手を当ててみると、今見た景色がよみがえった。
 泣き出しそうな水森の瞳、何の前触れもないくちづけ。
 そして、それをあっさりと受け入れた俺。
 冷たい唇、少し甘い髪の匂い、細くて折れそうな腕。白い指先。泣き出しそうな瞳。
 このセピア色の景色で見た水森の欠片たちは、眩暈がしそうなくらいに鮮やかだった。

 ………
 
「帰ろう…」

 一人呟いて身を翻した時だった。
 
「―――今の、彼女?」
「どあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 突然現れた少女に驚いて、弾かれたようにぶっ飛ぶ。
 …非常に滑稽ではある。 

「あ、秋端?」
「何よ、幽霊でも見たような顔して」
「…見てた?」
「ええ、ばっちりと、頭から」
「ぐぁ…」
 
 自分でも顔が赤くなっていくのが判る。
 背中から変な汗が吹きだしている。
 恥かしさで、すぐそこに立っている筈の秋端を直視できない。
 な、な、な、なんなんだ、この状況は?
 
「ねぇ弘耶」
「な、何だ?」
「あの娘のこと、好きなの?」
「ぶへらっ!!」
 
 相当派手に転ぶ。
 痛い。
 肉体的にも精神的にも、である。
 
「と、と、と、と、唐突に何を仰りますか?」

 さっきからドモってばかりのような気がする。
 …情けない。

「だって、キスしてたじゃない」
「あれは、向こうから…」

 だったよな…?
 頭が混乱していて、なにがなんだか判らなくなっていた。
 
「でも、拒まなかったでしょ?」
「うっ…」
「嫌じゃなかったんでしょ?」
「ううっ…」

 責めるような、からかうような秋端の質問―――尋問といった方が正しいかもしれない―――に、俺はこたえる術を持たなかった。

「…」
「…好きなのね?」

 問われて考えてみた。
 俺は…どうなんだろう?
 そもそも、『好き』ということの定義っていうものは…?
 
「よく判らないけど…」
「うん」
「ずっと一緒に居たいという気持ちを好きと置きかえるのなら…」

 水森への想い。 
 偶然席が隣で、ちょっと面白くて、ちょっと可愛くて。
 多分、それだけじゃなくて。
 だから、こんなにも気になって。 
 
「水森が、好きなんだと思う」
「…そう」
 
 なんで俺は秋端にこんな事云ってるんだろう。
 『懺悔』
 何故か頭に浮かんだその言葉を振りきるように、秋端の表情をみつめた。
 彼女の表情は、何かを悟ったような諦めたような、そんな複雑な表情だった。
 
「秋端?」

 どこか哀しさすらも漂うその表情が気になって声をかけると、彼女は取り繕ったみたいな、だけど優しい笑顔で云った。
 木々がざわざわと音を立てる。

「お幸せに、ね」
「なぁに云ってんだか…」
「フフ、照れてるのね」
「だあっ、何をまた…」

 その優しい表情のままでからかうように笑う秋端を見ていた。
 どこか胸の奥で突き刺すような、気にしない事にした。
 気にすればまた迷ってしまいそうだったから。 
 
「今日は良く喋るんだな、秋端」

 俺は話題を変えてみた。
 ちょっとした逃避でもあった。
 
「この間はもっと取っ付きにくかったような気がしたよ」
「そうかしら?」
「ああ。なんかあったのか?」

 無論、答えは期待していなかった。
 最初に出会ったときのような、曖昧な言葉で俺を煙にまくんだ。
 そう思っていた。
 だけど、秋端は考える様子もなく口を開いた。
 
「だって―――」

 まただ。
 その表情は、俺の胸を突き刺す刺(とげ)になる。
 きっと昔からずっとそうだった。
 昔から。
 
「あなたとこうして喋るのは、これが最後になるかもしれないから」

 黙り込む俺の代わりをするように、風が吹いた。
 常緑の木々を揺らし、哀しげな森の泣き声がこの場所に響く。
 俺は秋端のその言葉の意味も判らずに、去り行く背中に声をかけることもせずに。

 ―――何故か涙をこらえていた。

 



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