「そういえば美月は何処に消えやがったんだ…」  朝・昼の借りを返していない。  あれだけコケにされたからには、やはりそれ相応の例をしなければなるまい。  復讐―――どんな目に合わせてやろうか。  そもそもの恨みは莉依ちゃんとの騒動を放置されたことから成っている…つまりは羞恥プレイだ。  となると、ヤツにもそれなりの恥を味わってもらうのが妥当だ。  つまり、   「全裸!」        そう、俺が全裸になるのだ。  いつもヤツと一緒に登校する俺が全裸で登校してやれば一緒に登校するアイツは恥ずかしくて仕方ない筈。  藤堂美月は全裸で登校する男を幼馴染に持つ淫乱として世間から――― 「…ついに春先の温暖な空気のせいで頭まで春になった?」 「ぬぉ!」  背後から聞こえた冷ややかな言葉。  誰から発せられたか、そんなことは確認するまでもない。   「……美月」 「あのさぁ、廊下のど真ん中で『全裸!』なんて叫んで、恥ずかしくない?」  そう言われて周りを見渡せば、まだ沢山の生徒が校内に残っていた。当然廊下にも。  なんというか、行動を誤ったかもしれない。 「しかし、思っていることは素直に口に出した方がいい、と子供の頃―――」 「はいはい、つまらない釈明はいいから」  もはや慣れ切っているのか、ツッコミもどこか投げやりだ。  俺の言うことも、全て予想しているようにすら見える。   「俺たち、もう駄目かもしれない…」 「はいはい、判ったから」 「なんだかお前…変わったよな。昔はもっと…夜も毎晩おねだりしてさ…可愛かったよ」 「死ねっ!!」    ごふっ   「そうだ、それだ…良いパンチだぜ…」 「阿呆かっ!」    どげしっ    全身の回転を加えつつ、右手に持ったモップを思いきり振りまわす。  遠心力たっぷりの一撃が俺の脳天を直撃した。  モップの金具部分がクリーンヒットし、頭が割れそうな痛みが襲いかかってくる。   「だが…その痛みが俺に生きている実感を与えてくれるのさ…ああんもっとォ」 「気持ち悪いわよっ!」 「まぁ冗談なんだが」 「……もう。やることないんだったら帰ったら?」 「そのつもりだが。お前は帰らないのか?」  見れば、美月はまだ帰り支度をしていない。  ちなみにさっき俺を殴ったモップはそこの掃除用具置きから調達したようだ。 「あたし? これから部活があるわよ」 「ああ、そうなのか」 「忙しいの」 「つぅかお前、何部だっけ」 「うーんとぉ、ひ・み・つ」  と、言葉の終わりに投げキッス一つのおまけ付き。 「………」 「……………」 「………ゴメン、あたしが悪かった」  自分でも柄にない事をしたと言う自覚はあるのだろう。  後悔して、微妙に頬を赤く染めている。   「似てきたな、俺と。あまりやっていることが変わらん」 「………」   すごく嫌そうな顔をしている。 「とにかく! あたしは行くわよ! それじゃね」 「お、おう…」  無理矢理話を打ち切るようにして、足早に美月は去っていった。  …なんだか、無性に気になる不自然な態度だった。    「……」     俺も『帰る』とは云ったが、実際には帰ってするようなことも特にない。  もう少しアイツに構ってもらうことで時間潰しとしたかったのだが…   「探すか。どうせ暇だし」    しかし、結局アイツは何部なのだろうか。  空手部、剣道部、筋肉部、殺戮部あたりが所属先として怪しいのだろうが、この学校の何処で活動しているのか(一部においては存在しているのかすら)皆目見当もつかない。  ということは、やはり片っ端から探すしか……  どどどどどどどど…    「…?」 「神條センパーーーーーーイっ!!」 「ぐぉぉっ!?」    地鳴りと共に、奴が来た。  目を血走らせ、リノリウムの廊下の筈なのに何故か砂埃を巻き上げて。   「今日もやっぱり愛してまぁぁぁぁぁ〜」  ひょい   「す?」  どげしゃああああああああああっ    何かがひしゃげてねじ切れるような音がして(悲鳴も少々聞こえた気がした)身を避けた俺の目の前を人の形をした物体が転がっていき、ピクピクと痙攣した後で動かなくなった。    ………  ……  …   「…えぇと、美月の部活だったか。あっちの棟から適当に探すかな」 「神條センパイ、何してるんですかぁ?」 「うぉ!」  物体(というか莉依ちゃん)は何事も無かったかのように立ち上がり、いつものように俺の背後からひょっこりと顔を出した。   「あれ、どうかしました?」 「い、いや…美月をな、探してるんだけれども」 「美月センパイですか? わたし見ましたよっ」 「マジかっ!?」  はいっ! と元気よく頷いて、俺が行こうとしていた校舎とは反対の棟を指差して云った。   「えぇと、第3棟に入ったのを見ましたから……談話室、視聴覚室、家庭科室のどれかだと思うんですよ」  確かに第3棟にあるめぼしい教室はその程度だ。   「でも、運動部が活動できるような教室は無いぞ……?」 「運動部なんですか?」 「いや、知らん」  俺の勝手な推測に過ぎない。  莉依ちゃんは少し考えこんだかと思うと、突然ぽんっと手を打った。   「あ、屋上ならできるかもしれませんっ。野球とかはさすがに無理でしょうけど…」 「あぁ、なるほど」  空手や剣道なら屋上程度でも何とかなるだろう。  盲点だった。   「んじゃ第3棟云ってみるわ。ありがとうな、莉依ちゃん」 「え、あ、はいっ!」  莉依ちゃんは、俺が告げた言葉にさっきよりも元気よく返事をして、いつもよりも更に嬉しそうな顔になった。 「…俺、何かしたっけ」 「ほめられました。嬉しいです。てへへ」 「…はぁ」  やっぱりこの娘には敵わない、と思った。 ------------------------------------------------------  そして第3棟3階。  ちなみに1階の談話室には電気も消えていたし、鍵もかかっていた。  2階の視聴覚室にも同様に消灯・施錠済みだった。  ここから見える屋上への扉は大きな南京錠がかかっている上に、まったく人の気配がしない。  そして、今俺の目の前には電灯のついた家庭科室が存在している。  つまり―――   「家庭部?」  似合わない。  確かに美月は料理もできるし、意外と家庭的な面もあるのだが、似合う似合わないで云えば明らかに似合わない。  どちらかと云えば、エプロンに包丁よりも日本刀に甲冑の方がしっくりくると思うのだ。  いや待て。  それ以前に、家庭科室だからといって家庭部だという結論に達するのは急ぎすぎではないだろうか。  ひょっとしたら美月はこの中で日本刀の素振りをしているかもしれないし、ダンベル片手に筋トレかもしれない。  ―――結局はこの扉を開けるしか道は無いのだ。     ………  ……  … 「いくぞっ!」  ガラガラッ   「…え」 「……よぉ」  沈黙。 「え、え、え? こ、こ、こ、弘耶?」  そこには日本刀に甲冑―――もとい、包丁にエプロン姿の美月が存在していた。  今さっき散々シミュレートしてきた光景だが、いざ目の当たりにするとどうにも反応ができない。  そこで初めて気がついた。  長年幼馴染をやっておいて、俺は美月のエプロン姿―――調理している姿を見たことが無かったのだ。   「な、な、な、何で居るのっ!?」 「い、いや、特に、理由は、無―――」 「エッチ! スケベ! ヴァカッ!」    釈明をしようとするその前に美月の罵声が響いた。  それと同時に野菜やら鍋やら危険な器具が次々と飛んでくる。   「なんでスケベなんだっ! 誤解を生むからやめろ!」 「スケベったらスケベよっ! ばかばかばかばかばかぁっ!」  誤解を招きかねない声が廊下に響き渡るのは好ましくないので、飛来物を避けつつ後ろ手に扉を閉める。  そして、未だに冷静さを失っている美月の説得へ。  説得に失敗して右手に持った包丁を投げられたときが、恐らく俺の最期だ。 ------------------------------------------------ 「―――で、なんでこんな所でコソコソやってんだ?」 「う…えと、あの…」    俺の命をかけた説得により、死傷者はゼロで事無きを得た―――というか、家庭科室には美月以外誰一人として居なかったのだが。   「部員はおろか、顧問の先生も居ないところからして、勝手に部屋を使ってるみたいだな」 「いやぁ…あの…ねぇ?」 「答えにになっとらん……」  横にはまだ温かい鍋。  流しを見ると、野菜だかなんだかの残骸が物悲しげに積まれている。   「練習…してたの」 「日本刀の素振りか」 「違ぁうっ!」  すぱこーん   「ったく、こんなヴァカのためにコソコソと練習してたかと思うと…はぁ」 「ん、俺?」  しまった、とばかりに口を押さえる美月。  自分を馬鹿とは認めたくないが、この場合の『ヴァカ』というのは俺で間違い無いだろう。 「俺が、なんなんだ?」  俺と家庭科室の机をはさんで一対一―――誤魔化しはきかない状況。  美月は右へ左へしばし視線を泳がせていたが、即観念した。   「ああもぅ…格好悪いわ…」  そう呟いたあと、俺を睨むように見詰めながらやけに丁寧な口調で話し始めた。 「えぇと、ぶっちゃけた話がですね」 「はい」 「…練習してたのよ、料理の」 「それはさっき聞いたが」 「アンタ、いっつも同じメニューの食事するのは嫌でしょ? 栄養も偏るし。あたし、そんなに多くの種類は作れないから…だから、レパートリーを、増やそうと…ここなら広いし、多少散らかしても怒られないし…」 「…はぁ」  つまりは、俺のことを心配してくれていたという……そういうことなんだろうか?  返答に窮していると、美月は突如怒り出した。 「もう! もうもうもうもうっ!! だから格好悪いって言ったの! もうやだっ! アンタは明日から白いご飯に塩をかけたのを毎日毎日食べればいいわっ! あたしは毎日チーズフォンデュを豪華にいただくからっ!」 「な、何いきなり怒ってるんだよっ!?」 「だって! だって…」  怒っていたかと思えば、今度は机に突っ伏してブツブツと呟くように語り出した。 「すっごい恥ずかしいのよ…弘耶はあたしのこと元々料理ができる娘だと思ってたみたいだけど、本当は全然できないから…。練習した分の料理しか作れないから…」 「んなこと気にしなけりゃいいのに。というか俺は気にしてない」 「プライドってものがあるのよ」 「そ、そうなのか」 「そうなのよ」  俺には判らないが、色々あるらしい。 「ああ、もういいから帰るぞ!」 「ちょ、ちょっと!」  慌てる美月を背に、教室を出る。  なんとなく。  なんとなくだが、胸に湧いた愛しさの感情。  それの意味も判らぬままに、追いかけてくる足音をぼんやりと聞きながら。  俺は歩く速さを少しだけ落とした。