いつかのように家庭科室の扉を開ける。  さすがに今回は異物が飛んでくることも無く、罵声を浴びせられることも無かった。  ただ机に突っ伏した美月が気だるそうに視線を俺に向けただけだった。 「ああ、弘耶…どしたの?」 「どうしたって、お前を探しに」  そう告げると、美月は口元だけで笑って目を閉じる。 「そっか…ありがと」  開け放した窓から風が流れこんでくる。  まるで温度を感じない、季節も感じない。退屈な風だった。 「風邪ひくぞ…」  退屈で不快な風を遮断しようと、窓際に向かう。  窓から見える景色は、何の変哲も無い住宅街だった。  夕暮れに映えるその景色には人気もなく、どこか寂しい気持ちに駆られる。  その景色をずっと見ているのが何故か辛くなって、俺は勢いよく窓を閉じた。  その後で大きく溜息をつく。 「…寂しいな」  思わず口に出してみると、意外にも美月から反応が返ってきた。 「ホント、寂しいね」 「…ん」  振り返っても、美月は机に突っ伏したまま動かない。  さっき吹きこんだ風で乱れた髪を直そうともせずに。 「寂しい…もう終わりだなんて、ね」 「どうした? なんか変だぞ、お前」 「変なのはみんな同じ」  その言葉に、なんだかうすら寒いものを感じた。  同意するように風が窓をカタカタと揺らす。   「弘耶…弘耶は今まで誰を見てきて、そしてこれから誰を見ていくのかな?」 「…」 「あたしは…」   俺が答えるのを待たず、ゆっくりと体を起こす美月。  ほつれた髪の毛も、ヨレヨレの制服も気にせずに振り返る。 「あたしは……今まで弘耶を見てきたの」  自分らしい言葉を選びながら、自分で確認しながら少しずつ言葉を紡いでいく。  俺は相槌すら打てずに、ただその場から動くことも無く立ち尽くすだけだった。 「と、いうか…弘耶しかなかった。…うん、本当に色んな意味で、弘耶が存在することがあたしの存在する意味で、そのためにあたしの生活は定義付けられて……弘耶の側に居ることだけしか意味はなくてね」  そこまで一息に語り終えた後、自嘲気味の微笑を浮かべる。 「だから、あたしがこんな気持ちになることは必然なんだろうなって…最初はそう思っていたけど。やっぱり違う…違うって思いたくて。やっぱりこの気持ちはこの1週間とちょっとの、ほんの僅かな時間もしれないけど、普通の高校生活の中で生まれたものだって…思いたくて」 「美月…悪いけど、もう少し、判りやすく…」 「あはは、大丈夫だって。そのうち判るから。今は…覚えておいて」  一瞬だけいつものあっけらかんとした表情に戻って、そしてまた憂いを帯びた表情に戻る。  その表情は、いつも見慣れた筈の幼馴染を別人のように見せるから、だから…ひどく戸惑う。 「藤堂美月は、あたしは…弘耶が好きだって」  窓がガタガタと騒ぎ立てる。  心臓が鼓動を早める。  家庭科室の蛍光灯がジリジリと音を立てる。  ―――うるさい。   少し静かにしていてくれ。  俺は、今の美月の言葉を。  もしかしたら、ずっと待っていたのかもしれない言葉を、心の一番奥深くに刻み付けたいんだ。  他の音は何も耳に入れたくない。   ただ、今は…目の前の、彼女の音だけを。 「ふぅ……あたしらしく……云えたかな?」  黙って頷くと、美月は照れくさそうに頬を掻いた。    「よかった…云えて」  安心しきった表情。  よく見ると、その指先は震えていた。顔も真っ赤になっている。  なんだか、胸がひどく痛んだ。    ―――俺も、云わなきゃいけないよな。 「美月、俺はな、ものすごく語彙が貧困だ。だから、お前を喜ばせるような奇麗な文句なんて云えたもんじゃない。だから、至って簡単な言葉しか云わない。云えない」  瞳を閉じる。  恥ずかしくて美月の表情なんて見ることが出来ないから。 「いいかっ! 覚悟して聞けよ! 俺は、神條弘耶はなっ―――」  唾を飲み込む。  拳を握り、言葉を紡ぎ出すべく覚悟を決めたときだった。 「あっ…うぁっ…ッ」  突然の苦しそうな声に、慌てて目を開ける。   「み、美月ッ!?」  全身を痙攣させて床に倒れこむ美月。  さっきまでの安堵の表情は欠片ほども見当たらない。    「っ、苦し……」 「おいっ、どうしたんだよっ!? 美月!」 「だ、だいじょぶ…放って…おけば……すぐ……ああああっ!!」    どう見ても大丈夫じゃない。   誰か人を呼んで……でもこの場に美月を放っておくわけにも… 「誰かッ!! 誰か居ないのかっ!!」  大声を出して助けを呼んでみる。  声を聞きつけて助けにきてくれる人が居ればいいがここは第3棟で、特別な授業でもない限り滅多に人が来ないような棟だ。   「はあっ…はあっ…はあっ…っっ」  美月の容態は全く善くなる気配が無い。  とりあえず俺の制服を被せては見たものの、症状が判らない限りは殆ど意味の無い行為だ。  ただ、震える美月の手を握ることしかできない。 「どうすりゃいいんだ…」  やっぱり誰か人を呼んでこよう、そう決めたときだった。 「美月…」  いつのまにか部屋の後ろ側の扉が開いていた。  そしてそこに、まるでずっとそこに居たかのようにして、水森が立っていた。 「水森、水森かっ!? 良かった。美月が急に苦しみ出して、どうなってるのか全然判らなくてっ…誰か人を呼んできてくれっ!」 「……」 「早くっ!」  だが水森は人を呼びにいくわけでもなく、後ろ手に扉を閉めて教室に入ってきた。 「…水森っ?」  俺の言葉には答えず、倒れている美月に近寄ると、そっと体を起こして何事か呟く。  苦しみにもだえながら、美月が小さく頷くのが見えた。 「神條さん…少し席を外してもらえますか?」 「ちょっ…今はそんな場合じゃ…」 「冷たい飲み物でも買ってきてください」  いつもと全く同じ調子でそう告げる水森の表情は、ここからは見えない。 「美月に何が起こっているのか、神條さんには判らない。でも私には判る。それだけのことですから」 「………」 「大丈夫です。神條さんが帰ってくるころには落ち着いてるはずです」  私が治しますから―――はっきりと、水森はそう云いきった。   一切の迷いを感じさせないその口調から、彼女に託せば何とかなると、根拠もなくそう思った。 「なら、頼む…」 「はい」   -----------------------------------------------  裏口から校外に出る。  ゆっくりと暗くなりつつある街に、まったく人の姿は見あたらない。  少し歩いた先に古びた自販機を見つけ、ポケットにあった僅かな小銭で二本ほどジュースを買う。 「って……俺のおごりかよ」  そんな言葉も出てくるくらいに、何時の間にか落ち着いていたことに気づく。  水森のはっきりとした口調からだろうか。  それとも―――判っていたのだろうか。  水森が『治せる』ことを。  体の奥深くが疼く気がする。何かを思い出せそうで思い出せない不快感。  音のしない街の景色が、更に苛立ちをつのらせた。  耳が痛くなるほどに静かな世界。  その中で聞いた美月の言葉がまだ耳に残っている。  最初から最後まで、一字一句漏らさずに、覚えている。忘れない。 ―――弘耶…弘耶は今まで誰を見てきて、そしてこれから誰を見ていくのかな? 「そんなこと……答えるまでもないっての」  自分自身の言葉に対して、顔が紅潮する。  なんだか馬鹿らしくなって、まだ冷たいジュースの缶を頬にあてた。 -----------------------------------------------  リノリウムの床を歩く音だけが響く。  もう生徒は殆ど残っていないのだろう。  そんなに遅い時間でもないんだけどな…まあ日もまだそんなに長くないし。  第3棟の廊下から見る本校舎はひどく殺風景で、居残りしてる生徒や教師も居るはずなのに、誰も居ないような錯覚に囚われた。  3階の廊下まで上がってくると、家庭科室の仄かな灯りが目に入る。  妙にほっとした。 「ただいま…って、あ…」  教室のドアを開けると、美月と水森が何事も無かったかのように座っていた。  …すっかり忘れていたが、さっきまではえらい騒ぎだったんじゃないか。 「おかえりなさい」  水森がこちらを見ようともせずに答える。  美月は… 「おかえり、弘耶」  こちらを振り返った美月は、いつもと変わらぬ様子だった。  もっとも、俺はさっきの―――美月が倒れる前の―――やり取りがまだ頭に残っていて、その顔を直視できなかったが。 「ジュース、買ってきたぞ。炭酸はさすがに遠慮して普通のオレンジジュースだが」  云って、二人に缶を手渡す。  そこでやっと美月の顔を見ることが出来た。 「おごり?」 「……まあ病人だし、仕方あるまい。」 「やった。ありがと」 「ありがとうございます」 「いや、水森は払えよ」 「ひどいですね。…というか最悪です、人間の屑です」 「…冗談だよ」     本当に何事も無かったかのようなやり取りを交わし、3人で少しだけ笑う。  なんだか、ものすごく久しぶりの笑顔のような、貴重な笑顔のような、そんな気がして…  聞きたいことは山ほどあったが、もうしばらくは脇においておこうと思った。 「水森と美月って知り合いだったんだな」 「前に云わなかったっけ?」 「聞いてない」  聞いたような気もするが覚えていない。  というか、前にそれを聞いたときははぐらかされたような気がする。 「いわゆる親友ってヤツ? だよね、綾」 「え…」 「だよね?」  綾と呼ばれた水森(そう云えば水森の下の名前はそうだった。すっかり忘れていたが)は、何故かその問いかけにひどく戸惑った顔をする。  ね? と美月がもう一度強い調子で問い掛けると、水森は笑っているような泣いているような曖昧な表情で答えた。 「そうですね。……わたしと美月は…親友」 「へっへっへー、羨ましいだろーっ?」  妙にテンションの高い美月が水森の肩を抱き、俺に見下したような笑みを向ける。 「弘耶くん。あなたには親友と呼べる人間が一人でもいますかっ?」 「うぐっ!」      薄々感じていたが。  居ない。  見事なまでに、居ない。 「ま、人徳ってヤツだよね?」 「神條さんは昔から人付き合いが悪かったですし」 「…ぐっ……」  落ち込む俺を見て、二人でクスクスと笑う。  そんな光景を見て俺もまた、複雑な気持ちのまま笑うのだった。 ----------------------------------------------- 「それじゃ、わたしはここで」 「おう、じゃあな」  正門の前でそう別れの挨拶を交わしたとき、辺りはもう完全に夜になっていた。  水森も一応女子であるわけだし、送ることを何度も提案したが、彼女は断固としてそれを受け入れなかった。  ただ『美月を送ってやってください』と繰り返すばかりで。 「美月も。また……明日」 「うん…明日、かな」 「明日です…恐らくは」 「そっか」   俺にはよく判らない会話を美月と二人で交わした後、水森は足早にその場を去っていった。  結局、美月の倒れた理由は聞けなかった。  本人には…少し聞きづらい。  その本人―――美月はそんな俺の心中など知るよしもなく、不安げにチラつく古びた電灯の下を、一人フラフラと歩いている。 「おい美月。置いていくなっ」 「ん、ああっと、ゴメン。忘れてた」  そう云って立ち止まる美月に、早足で追いつく。  住宅地から少し離れた街路は本当に真っ暗で、頭上の街頭だけが確かな明かりだった。 「忘れるなよ…」 「ちょっと考え事してたのよ」 「例え考え事しても、俺の存在まで忘れるなっての…」  呆れ顔でそういうと、美月は急に真面目な顔になってこっちに近づいてきた。  互いに息がかかるくらいの距離で向き合う。   「忘れない。弘耶の存在は絶対に…忘れないよ」 「……」 「今だって、あんたのこと考えてたの。家庭科室でさ、あたしが倒れる前…なんて云おうとした?」 「あ、あれは…」 「もう一回聞きたい」  どさくさで忘れていた事だった。  確かに俺は最後まで云っていない。  そうだ。あの時、俺が云おうとしたことは……  俺は2度目の覚悟を決めた。 「好きだ、美月」  触れ合うギリギリの距離で吐き出した六文字の言葉。  美月だけに伝えたかった。他の誰にも聞かれたくなかった。  夜の闇に吸い込まれて消えていくのが怖かった。  だから、この距離で伝えたかった。  美月は……受け取ってくれただろうか。   「…へへぇ、聞いちゃったわよ」 「聞かれちゃったぞ」 「……嬉しい」 「そうか……って、おいっ」     はじめて見る涙だった。  突然美月の頬をポロポロと伝い落ちる大粒の涙。  俺はどうすればいいのかも判らず、ただ言葉を失った。 「ひっく、っく、ごめんっ…」  いつの間にか俺たちは抱き合っていた。  俺が美月を抱きしめていたんだろうか。俺が美月に抱きしめられていたんだろうか。  どちらとも判らないままに、ただしばらくそのままで抱き合っていた。  古びた電灯と、その更に上に浮かぶ頼りなげな月の下で。   ----------------------------------------------- 「もう、落ち着いたわ」 「そりゃあ、いい加減落ち着いてもらわんと困る」  十分かそれくらいの時間、ずっと二人抱き合ったままでいた。  美月はずっと泣いていた。  客観的に見るとひどく滑稽だけれども、それでもなんとなく満たされた気分だった。   その後も、歩きながらなんとなく触れ合ってみたり、近づいてみたり、離れたり。  馬鹿みたいだった。 「はあーっ。そうかぁー、弘耶はあたしのこと好きだったのかぁ」 「口に出して云うなっ、恥ずかしいっ!」 「だってぇー、嬉しい事は何度口に出しても良いものだと思うしぃ」 「…むず痒いので嫌だ」  そんなやり取りを何度も繰り返しながら、いつもと同じ帰路を、いつもと少し違った気持ちで歩く。  本当に、馬鹿みたいだ   「……恋人、か」    言葉に出して呟いてみる。  自分には恐ろしく不似合いで、なんだか他国の言葉みたいだった。 「そっか……あたしと弘耶は恋人、かぁ」 「なんというか、実感が沸かん。ちっとも」 「はは、あたしもなんだか不思議な感じ」 「夢を見ているみたーい、なんて云うなよ。乙女じゃあるまいし」 「蹴っていい? ねぇ、蹴っていい?」  一言多かったようだ。   「夢というか、幻じゃないかって……そんなことは、ちょっと思う」 「幻じゃない。ほら、触ってみろ。この手は絶対に幻じゃないだろ?」  そう云って手を握らせると、美月はその手を自分の頬に持っていく。  俺の手に美月の熱が伝わった。   「手だけじゃ嫌だ、って……ちょっと思う」  そう云って美月は顔を近づける。  触れ合うほど近い―――いや、触れ合っていた。  美月からのキス。  俺は一切の思考を失って、美月の体に手を回すような気の利いたこともしてやれず、電信柱のごとく硬直していた。   「キスだけじゃ足りない…」    唇を離したあとも、美月は吐息のかかる距離で、ためらいがちに、だけどしっかりと言葉を紡ぐ。 「もっと……もっと、恋人みたいなことしたいって……すごく思った」 ---------------------------------------------------    何故だ。どうしてだ。  俺はどういう経緯で自室に美月と二人で居るんだ。  ああ、ええと、美月のあの言葉の後に、俺は頷いたんだったかどうだったんだか。  美月に手を引かれて来たんだったか俺が美月の手を引いてきたんだったか。  とにかく、この状況は、つまり… 「弘耶…」 「のおおおおお!?」 「ほら、ムードムード」  からかう用に笑う美月。  まだ照れがある口調で、俺は美月に告げた。 「俺は……美月のことが好きだから」 「うん…その言葉は嬉しい、かな」  そう言って顔を背ける美月。向こうも多分照れているんだろう。  だったら条件は同じだ。  必死で言葉を紡いだ。 「ええと、あの、だな…」  もうここまで来たら…やるしかない。  キザでも何でもいい。ただ心のままに。 「もっと…顔をもっと見せて欲しい」 「飽きるよ?」 「…飽きない。俺は飽きてない」  頬をそっと撫で、顔をこちらに向けさせた。  潤んだ瞳が、俺の胸の奥の方を熱くさせる。  俺は…そっとキスをした。 「あ…」  夜空の下で交わしたキスよりも、少し強く。  夜空の下で抱き合った時よりも、しっかりと。  今だけは美月を絶対に離さぬように、その存在をただこの場に繋ぎ止めるように。 「んっ…あふっ…」    どちらからともなく。  ただ自然にお互いを求めるように、舌を絡ませる。  俺達が吐く息と、唾液の絡み合う水音が、規則的に響く。  それが余計に互いの気分を高めていった。 「……触ってもいいよ。ううん、触って欲しい…弘耶に」 「あ、ああ。うん…判ってる」  何が『判っている』のだろうか。  適当に呟いた言葉は自分をいたずらに動揺させた。  今まで落ち着いていた筈の心臓が、急に暴れだす。 「なんか、すっげぇ妙な感じ。美月が…こうして…なんて云うのかな、変だ」 「あははっ、さっぱり意味が判んないよ弘耶」 「語彙が貧困なんだよ、俺は」    …全く。本当に足りない頭だと思う。  美月を喜ばす言葉の一つや二つも思いつければよいのに。  少し、悔しい。 「弘耶」 「ん?」 「弘耶に言葉なんて求めてないよ」 「……」 「触れて欲しい。今はただそれだけでいいから」 「判った」    今度は、本当に。   「……触る」 「一々申告するようなことじゃないってー」 「確かに」  俺は、壊れ物に触るように美月の胸にゆっくりと手を伸ばした。  震える指が、ひどく情けない。   「ん…」  制服の上からでも判る柔らかな感触が俺を更に動揺させる。  初めて触る、美月の… 「ど、どう?」 「あ、あ、阿呆かっ! んなこと俺に聞くなっ!」 「いや、さぁ…気になるじゃない。女の子としてはさ」 「い、いいんじゃないか?」  なんて感想だ。  当然のように美月は可笑しそうに身をよじる。 「そんな感想はないでしょー」 「全くだ」  どうも俺達は先に進めないようだ。  お互いの性質というか、気質というか、そんなものが邪魔をする。  でも、やっぱり触れたいと思うから…  どうしても触れたいと思うから。 「触れる」 「だからぁ、一々申告しなくても……あっ」  さっきよりも強く胸を触る。  優しく、円を描くように、美月が少しでも―――気持ちよくなるように。 「んん…あ…っ」  しばらく同じ動作を繰り返す。  美月はその間、切なげに声を漏らしていた。  その声を聞くたびに、俺はどんどんと邪な欲求に満たされていく。  押さえきれない衝動が 「もっと美月に触れたい。もっと美月の声を聞きたい。スケベな奴って思うかもしれないけど。俺は…もっと、したい」  欲望丸出しの俺の言葉に、嫌な顔もせず美月は笑顔で応える。 「わたしも…もっとしたいって思う」 「……うん」  二人して曖昧な笑みを浮かべ、目を逸らす。  相変わらずに不自然な空気が場を支配していた。 「服、脱ごうかな…っと」 「……じゃ、俺はあっち向いてる」 「脱がす?」 「そ、そ、そんなことできるかっ!」  照れ隠しに叫んで背を向ける。  恥ずかしいので目を瞑る。   「…弘耶に脱がして欲しかったけど」 「お、大人をからかうもんじゃない!」 「ばか」  目を閉じた暗闇。  衣擦れの音がやけにはっきりと聞こえた。  どうにも冷静さを保てそうにないので、両手で耳も塞いでみた。 「―――よ」 「……」    何も聞こえない。 「――いよっ」  俺が沈黙を保っていると、何者かの手が耳を塞いだ手を握り、一気に引き剥がした。  「いいよっ!」 「うおおっ」   耳元で張り上げられた大声に驚いて目を開ける。  光に慣れていない目に、蛍光灯の光が眩しい。  「鼓膜が破れ―――」  でかけた抗議の言葉を飲み込んだ―――飲み込まされた。  白い照明の下に存在するその不可思議な光景に。  美月が。  藤堂美月が薄淡い水色の下着を纏って。 「なによー、目も瞑って耳塞いじゃって。そんなにあたしが見たくないのぉ?」 「……」 「もしもーし?」 「い、いや、俺はもしかして幻覚を見ているのではないかという、無理もない疑念に囚われてな」 「…はぁ?」  綺麗だ。不自然なくらいに。  でもそれを云うときっと笑われるんだろう。  だから、情けなく震える身体で、示そうと思った。それしかないと思った   「ん…んんっ」 (中略) --------------------------------------------------  名残を惜しむように手を繋いでベッドに二人して横たわる。  美月の顔がすぐそこにある、それだけで幸せだった。 「お疲れー」 「なんかその台詞は違うぞ…」 「ははっ、まぁいいじゃない」    笑う吐息が感じられる。  美月がこんなにも近い距離に居る。  今までずっと隣にいた。こんなに愛しい想いはずっと側に在った。  なのに、何故今まで気づかなかったんだろう。 「美月」 「なーに?」 「野暮なこと訊くようだけどさ…美月っていつから俺のことを好きだったんだ?」  俺のそんな質問に対して、美月はまるで悩みもせずに答えた。    「生まれた時から」 「そ、即答だな…」 「そう? でも、大げさでも嘘でもなんでもないわよ」   そう云って優しく笑うと、急に身体を寄せてきた。  自然に抱き合い。自然に唇が触れ合う。  灯りも消された真っ暗な狭い部屋で。安物の狭いベッドの上で。  美月はささやく様に、ゆっくりと云った。 「あたしは…弘耶のために生きてるの」