「俺はこの部屋に居るよ。ずっと……ここにいる。美月と一緒に」 「本気……ですか」 「いつか終わるんだろ? 美月のこの苦しみも。終わるんだよな?」  水森綾はそんな言葉を俯きながら聞いていた。  ”美月と残る”―――その言葉を云うであろうことは判っていた。  覚悟はしていた。  だからと云って、どうにかなるわけでもないのに。  「お、終わりますけどっ…いつか、なんて…それがいつ終わるかなんて…見当もつかないんですよ?」  そんな風に返したところで、何の意味も無い。  綾の言葉には弘耶の決意を変える力もない。 「でも……それでも、終わりがあるなら、待ちたいんだ」   ―――矛盾していると判っていても、無謀でも。無意味でも。なんだって構わない。    そんなことを訴える瞳で。  強い、命に満ち溢れた輝きを帯びて。   「俺がこの世界に永遠の命を持って生まれてから、意識を持ってから、1週間とちょっとしか経っていない。それは聞いたばかりのことだ。つまり…俺にとっての偽でない本物の記憶はその1週間のみでさ…その1週間の中で唯一鮮明に残っている存在は―――」  たどたどしい言葉で、弁明するように。  そんな言葉は聞きたくなかった。  どうせ同じ結果なら。 「俺にとっての現実は…美月だけなんだよ」 「っ……」 ―――なら、自分はなんだったのか  そんな事を頭の片隅で考えたところで、意味の無いこと。  だったら、今は目の前の男の最後の告白を聞いておくのが、多分自分にできる最善のこと。  水森は悲しみに支配された意識の中でそう結論を出した。  割りきることにした。 「……なんか、ちゃんと謝らなきゃいけない気がするんだ。水森にも、もっと他の色んな人や物にも」  でも――― 「ごめん」  涙は止まらずに。 「ば…馬鹿じゃないですかっ」    そんな悪態をつくのが精一杯で、その悪態すらも様になってなくて。  自分がどんどん惨めになっていく。   「馬鹿だよな。おまけにガキだ」 「ホント、子供ですよ…我が侭で、勝手で…どうしようもなく………」  どうしようもなく、愛しくて。   「…神條さん」 「……何だ?」 「美月は…呼んでましたよ。うわ言のように、あなたの名前を」  この部屋に美月が幽閉されて間もない時、彼女はまだ意識を持っていた。  やがてその意識は失われて、表情さえも彼女から消えていった。  そして最後に残っていたのは、ほんの僅かな言葉。  たった八文字の、人の名前。 「少し、悔しかったです」  その言葉と共に、綾は笑った。  自分では笑ったつもりだった。  でも、涙でぼやける視界の中で弘耶の困ったような顔を見て、まともに笑えていないのだということに気付いた。 「そっか」    そのままぎこちなく笑う弘耶。 「…………」 「…………」  互いに情けない表情のままで、少しの時間を言葉無しで過ごす。  機械の音も、自然の音も、この地下空間には存在しない。  限りなく無音に近いこの場所の中で、ただ二人立ち尽くすだけ。  それがひどく無意味でもあり、ひどく重要な意味を持つようでもあった。 「………」 「………」  もう少しそのままで居たかったのかもしれない。    でも、自らの唇がゆっくりと言葉の形を描いていくのを、綾は他人事のように感じながら。   「さよなら、神條さん」  耳の痛くなるような静寂の中で、その声だけがやけにはっきりと響き渡った。