この話は遠い日本の歴史が始まった古代の話です。
古老の話によると、近江の国の伊香の郡、余呉の里の南の方に伊香の小江というところがありました。ここへ天の八人の乙女が白鳥となって降りてきました。湖のほとりにおりると、白鳥はたちまち美しい乙女の姿にかわり、着ていた羽衣をぬぎすて湖の南の浜辺でわれ先に、喜々として水浴をはじめました。
このとき、西の山の方から、伊香刀美(いかとみ)という男がこれをじっと見ていましたが、頭の上を飛んでいく白鳥を見て、どうもあの白鳥の形は体も大きく少し変わっているのでへんだなと思いました。もしかしたらこれが話に聞いている天女かもしれないと、後をつけてきました。
よくみると、それは思ったとおり天女でした。天女たちは見られているのも知らないで、楽しそうに語らいながら、水にもぐったりして、戯れていました。
伊香刀美は、天女達のあどけない汚れを知らない美しい姿に強くこころをひかれ、立ち去ることができません。遂に意を決し、連れていた白犬をつかって、八人の天女の中の一番妹の羽衣を盗ませました。この音に気づいた、天女達は一斉にかけあがり、羽衣を着ると空に飛び去りました。ところが一番下の妹は、一生懸命であたりを捜しましたが、どうしても羽衣が見つかりません。さがしあぐねた一番下の妹の天女は、空を仰いで天に帰ることもできなくなり、その場に座ると泣き出してしまいました。
伊香刀美も哀れに思いましたが、姉たちはもう遠くへ飛び去り姿も見えないので、一人で飛び立たせることも案じられ、家につれ帰りました。
この天女の水浴していた浜を、神浦といって今も残っています。
その後、伊香刀美は天女を妻として一緒に暮らしました。そのうちに二男二女の四人の子供が生まれました。兄を意美志留(おみしる)、弟を那志等美(なしとみ)、姉を伊是理比*(いぜりひめ)、妹を奈是理比売(なぜりひめ)となづけました。母の天女はその後、伊香刀美がかくしていた羽衣を見つけだし、それを着ると再び天に飛びさってしまいました。
この一族こそ伊香郡を開拓し、此の地に栄えた伊香連(いかむらじ)の祖先です。いま伊香郡の総社である伊香具神社の祭神である伊香津臣(いかつおみ)の命こそ伊香刀美のことであり、木之本の意冨良(おうふら)神社や、下余呉の呼弥神社の祭神になっている臣知人命(おみしるひとのみこと)、梨迹臣命(なしとおみのみこと)こそ意美志留、那志等美のことなのです。
(余呉町教育委員会昭和55年発行「余呉の民話」より)