直線上に配置

三輪神社
ドジョウ寿司

(琵琶湖の周辺(56))
(平成21年5月4日撮影)                    

5月3日に,滋賀県栗東市の三輪神社で春祭りがありました。

午後1時になると氏子の人々や,女の子たち(いずれも6年生だそうです)がうやうやしく,鳥居をくぐって境内に入ってきました。拝殿のところに並んで神主からお祓いを受けた後,女の子達3人ずつが「乙女の舞」と「浦安の舞」を舞いました。

この神社では,神饌として
ドジョウ寿司が捧げられます。しかし,ドジョウのなれ鮨を漬けるのは,全国でもここだけのようです。






<再生ボタンを押してください><音声あり>
「乙女の舞」,「浦安の舞」奉納

ドジョウ寿司登場
舞が奉納されている間,拝殿横にはドジョウ寿司が試食用として出されていて,訪れた人達が食べたり,用意されていたパックに詰めたり(これは持ち帰り用)していました。ドジョウ寿司は黒く,しかもご飯粒を数粒取ってみると,それだけで臭い匂いがただよってきます。私を含めて,おそらく今回初めて見た人達は,遠巻きにして食べようとはしませんが,多くの人は気にならないようでした。
(注,黒く見えるのは蓼
(たで)の色と思います。.蓼の葉は非常に辛く,古来から薬草や香辛料として使われてきました。 ⇒<参考>ずいき祭りでの蓼寿司の例)
慣れた人には人気です
ナマズの切り身も入っています
正真正銘ドジョウです
(撮影会です)
(私は遠慮しましたが)
食べた女性にたずねたところ,
ピリッとして(蓼
(たで)が入っているので)
チーズのようで(ドジョウが),
『酒のアテに良い』そうです。
(本当かなぁ〜)
皆さんもいかがですか?(^^)

ドジョウ寿司について
<由緒書き(左)の概要>(三輪神社とドジョウ寿司の由来が書かれています)
『この神社はオオナムチのミコト(大物主命)を祀っている(天平16年<726年>勧請)。また,三輪神社という名は,第59代宇多天皇に仕え,この地(大橋)出身の伊賀守源信という者が,三輪神社に御参りして子を授かり,三輪若丸と名付けたが,建武元年に死亡,この地に葬ったことに基づく。

この神社の神の使いは白蛇であり,例祭に人身御供を要求したことがあり,その代わりに今では“「
生きたドジョウ」を漬けこんだドジョウ寿司”を神饌として捧げることになった。』
 
<ドジョウ寿司のできるまで>(注)1の参考文献より。)
(a)スシツケ・カイドリ(漬け込み):9月23日
 
三輪神社に続く南北の道を挟んだ東西2戸が「当家」(=当番)となり,それぞれこの日に,ナマズと「生きたドジョウ」の漬けこみが行われます。
 塩をした生きたドジョウ,乾燥させた蓼
(たで)を混ぜたご飯,それとナマズを順に桶に重ねていき,最後に「神」と刻まれた石の重しが置かれます。そして,桶にはコモが巻かれ,しめ縄がかけられます。
(b)口開け:5月1日
 初めて蓋が開けられる日です。できあがったドジョウ寿司をまず神前に供え,その後,宮世話を交えて東西の当家と濃い親戚のみで試食が行われます。
(c)春祭り:5月3日
 
昭和36年までは,5 月10日でしたが,現在は5月3日に固定されてるようです。
この日に準備されるお膳を
左上写真に示します。方形の膳の中央にミゴクと呼ばれる四角形の型で押したご飯が置かれ,豆腐2丁,芋を串刺しにしたもの,干し鱈を串刺しにしたものが置かれます。
 この他,田作り2匹,大根,大豆を載せ,ドジョウ寿司が置かれます。なおドジョウ寿司は土器に盛りつけ,ワラ縄の鉢巻きをし,上にナマズの切り身が乗せてあります。

 
左下写真:祭り終了後,拝殿での直会(ナオライ)の様子です。氏子の皆さんでドジョウ寿司を頂きます。

<参考文献>
1 「近江学」(創刊号):成安造形大学附属近江学研究所発行,2009,1,11,P.50 
 水と祭 −近江における井堰灌漑地域の祭祀構造に関する試論2−(和田光生)
トップ アイコン トップページへ戻る 前のページへ次のページへ