ゲームシナリオについての考察

1.Intruduction
 近年様々なゲームが今までに無いぐらい発表・発売されている。それに伴いゲームのシステムやシナリオ、演出効果も多岐に及んでいる。しかも、それらは進化していっており一所に留まっていない。ゲームのジャンルによっても全く違った作りになったりもする。ここでは、ゲームにおけるシナリオを中心として見たシステムや演出効果を取り上げていきたい。

2.ゲームシナリオの変化

2.1昔と現在のシナリオの比較
 昔のコンシューマで発売されていたゲームを思い起こしてみると、ゲーム中にはシナリオがなかなか見あたらない。大抵のゲーム(特に多かったアクションゲーム等)はシナリオはバックストーリーとして説明書に書いてある程度だった。ゲームには目的だけが配置してありスタートから目的までの過程は一直線でシナリオとはまた違ったものであった。もっとも、メディアによる制限もあったのだろうがゲームはシナリオを純粋に楽しむものではなくあくまで「ゲーム」としての操作を楽しむものと言う考えであったのだろう。ただ、例外もある。ゲーム性をゲームとして成り立つかどうかといったラインまで切り捨てられるアドベンチャーゲームである。ゲーム性を切り捨てることによりシナリオ中心としたものを作り上げることが出来るのであるがゲームと言うよりむしろ新しいメディアを通しての小説やコミックと言った形であった。シナリオとゲーム性あるいはシステムは相反する物であるようなイメージを受ける。しかし、その二つの丁度中間に位置するジャンルが近年爆発的な人気を保持しているロールプレイングゲーム(以降RPG)である。昔に発売されたRPGで代表的な物はウィザードリーである。もともとテーブルトークRPG(*1)の補佐をすると言う意味で作られたゲームであったためグラフィックやゲーム自体に含まれている文章などは極めて少なかった。あるものは謎を解く手がかりぐらいのものであった。概ねのシナリオは説明書で解説されており後はプレイヤーの想像力で補っていくもであった。日本で後に発売され80万本のセールスを記録したザナドゥ(日本ファルコム、1985年)も、ゲーム中にはシナリオはほとんど見られなかった。RPGと言うよりむしろパズルゲームに近い感覚であった。これと同時期にエニックスからドラゴンクエストが発売される。現在ではRPGのカリスマ的な存在になっているRPGである。今まであったRPGはウィザードリーを代表するようにグラフィックが余りなくプレイヤーの想像に任せる作りであった。それに対し、フィールドに草原、森、山、川、海、街などを配置しプレイヤーの想像をかき立てると言うよりもむしろ旅をしていると擬似的に体感させる作りになっている。説明書に書いてあるストーリーもあくまでほんのさわり程度になっておりゲーム中に街に居る人に対して話しかけて始めて次に何をするべきか初めて分かるようになっている。ゲーム中の文章によって明確に情報を得る事ができるようになったゲームであった。このゲームで現在のRPGの方向が決められたと言っても過言ではなかった。現在のRPGの方向を示したゲームは他にもある。シナリオの完成度が高く、軽快な操作性を持つYs(日本ファルコム、1987年)である。いきなり大きな目的が与えられず小さなシナリオを一つ一つ進めていく事により最終的な目的が明らかになっていく形である。シナリオを連ねていくことにより壮大なシナリオを作り上げている。この形式は今のRPGで基本として使われている。シナリオの量も格段に増えていっている。この時期からしばらくして出たゲームと現在のRPGのシナリオの数を比べてみると、極端な変化は見られないのではないだろうか。確かにCD−ROMの大容量を使うことによって容量の制限はかなり楽になったが、そのほとんどはゲーム中の音声や画像、動画に使われておりシナリオに厚みを持たせているもののシナリオ自体は長くなっている訳ではない。シナリオを「進めている」時間と「見ているだけ」の時間が変わらなくなってきている。シナリオ一つ一つの時間が長いのだが大抵それはコントローラーから手を離している、あるいは表示されている文章を送っているだけの時間がかなり長いはずである。その時間はRPGをしているというよりむしろ小説を読んでいる、または最近出ているサウンドノベルを読んでいる感覚ではないだろうか。演出などが効果的に使われ一つ一つのシナリオは立ってはいるものの、数自体を少し昔のRPGと並べて考えてみるとほとんど増えていないはずである。プレイ時間が圧倒的に増えてしまっているのは演出による時間が昔と比べて極端に長くなっているのだ。大容量を得ることによって昔では出来なかったことが可能になりシナリオ自体は大きく変化してなくても、かなり違った印象を受けるようになっている。では、昔作られたゲームを現在の技術を使って作り直した場合現在のゲームとして見劣りしないのだろうか。

(*1)テーブルトークRPG
25年前にアメリカで作られた現在のRPGの原型。コンピュータでシステムを制御するのではなく進行役もGMという人がする。大抵は4〜6人ぐらいでプレイする。一番最初に作られた物はダンジョン&ドラゴンズ(通称D&D発売元・新和 デザイナー・ゲイリー=ガイギャックスほか)である。初代ウィザードリーはこれを補佐するために作られた。

2.2アレンジされるゲーム
 今まで出ているゲームで多機種への移植、リメイクがもっとも行われたゲームの一つにYsが挙げられる。このゲームは1987年にPC-88シリーズで発売されて以来PC-98シリーズ、X68000シリーズ、PCエンジンCD‐ROM2システム、そして最近ではセガサターンやWindows95/98などに移植されていった。PC-98シリーズへの移植は日本ファルコムが直に行ったものでありPC-88と何ら変わることのない完全移植であった。X68000シリーズへの移植は日本ファルコムではなく電波新聞社が行ったものであり、機種の特性をいかし、色数などを増やして見た目にカラフルにするなどの改良が加えられていた。なによりも見た目の上で違ったのは主人公であるキャラクターが2頭身から4頭身ぐらいに変わり、主要キャラクターのバストアップのグラフィックが追加されたということである。しかし、グラフィックの追加は絵柄の関係もありあまり好評ではなかったようである。PCエンジンCD−ROM2システム版はさらにそこから一歩前に進み、CD−ROMの大容量を利用した画期的といえるものであった。ゲーム制やキャラクターの見た目はPC-88/98シリーズとほぼ同じで、X68000と同じくキャラクターのバストアップを表示し、その時に肉声を出している。発売されて以来、グラフィック、音声、シナリオのバランスがもっとも取れている作品として大きな評価を受けてきた。アメリカでも数々の賞を受賞した作品であった。そこまで過程でYsは最初発売されたときのシナリオは矛盾を修正するなどの細かい改良はあったが大きく追加されるなどの作業は行われなかった。おそらく、極めて短い間(約2年間ほどの間)に一気に移植、発売されたからではないだろうか。シナリオはその時の社会や流行を反映したものがよく使われるので短い期間であったがためにシナリオはほとんど変化しなかったのだろう。その後約7年の間を空けてセガサターンでファルコムクラシックス(日本ビクター 1997年)にYsを入れて発売された。原作をできる限り忠実に再現するというコンセプトで作られた為シナリオにはほとんど手を加えられていなかった。それでも、システム面での強化やグラフィックの強化など時代に見合った作りをしている。そして、今年になってWindowsシリーズで発売されたYs ETERNAL(日本ファルコム 1998年)はセガサターン版から更に踏み込み、Windowsの性能を最大限に引き出したグラフィックや画面効果などの更新やシナリオの大幅な改良を行った。シナリオの面では今までゲーム中にほとんど語られることのなかったサブキャラクターの話やオープニングの追加、メインの部分でも台詞の内容の追加などが行われ、元の内容と比べるとかなりのボリュームになった。それら、改良が重なり、ただの昔のゲームの焼き直しではなく古いゲームであっても決して古臭くないゲームになっている。原作をやった人にとっては懐かしいゲームであるが、現在始めてプレイする人にとっては極めて斬新な今風のゲームに仕上がっているのではないだろうか。
このように見てみると、ゲームは移植されるたびにその時代を反映した形に作り替えられ進化していきその時に発表される新作のゲームと肩をならべられるようになっている。

3.シナリオとゲーム性の調和

3.1シナリオを突き詰めていくとどうなるか
ゲームにおいてシナリオを突き詰めていくと、浮上してくるものはアドベンチャーゲームやサウンドノベルではないだろうか。先述したことであるが、アドベンチャーゲームがゲーム性を極端に排除したゲームであると考えられるので当然である。さらにそこからゲーム性を削りシナリオの面白さを読むことによって楽しんでもらうことを前提したものがサウンドノベルであると考えられる。それらはゲーム性が削られている(シナリオが多岐にわたらない)分様々なキャラクターの視点から話を進める事ができるマルチサイトシステムを採用して、シナリオに深みを持たすことができる。映画やTVなどではなかなかできないゲームならではの手法である。これにより今まで一人の視点で表現しきれずに、設定資料などでしか発表できなかった裏設定などを活かすことができるようになった。アドベンチャーゲームにはこのマルチサイトシステムを利用したザッピングと呼ばれるシステムもあり、使うことによって今まで排除しなくてはいけなかったゲーム性を持たすことに成功したゲームもある。ザッピングとは物語の途中でも他のキャラクターの視点に飛び移る事が出来るシステムである。複数のキャラクターの視点を作っておくことによって一つの話が詰まってしまった場合でも他のキャラクターの視点に移ることによって謎が解消されシナリオを進めるといった事が可能になる。つまり、アドベンチャーゲームにパズル的な要素を盛り込むことが可能になり、能動的にシナリオを進めてる感覚をプレイヤーに与える事に成功している。しかし、これには欠点があり他のアドベンチャーゲームに比べ容量が膨大になりそれに伴うプレイ時間も中途半端な長さでは無くなってしまうことである。最近発売されたサウンドノベル「街」(チュンソフト 1997年)をやっている人が今までチュンソフトが出していたサウンドノベルよりも圧倒的に少ないのは、この取っつきにくさから来るものがあると考えることもできる。

3.2ゲーム中のシナリオの不足分の補足方法
 現在のゲームはCD−ROMという大容量メディアを使って作られるようになったとはいえ、快適なプレイ追求によるCD−ROMの枚数の制限などによって細かな設定やもともとあったはずのシナリオが間引かれることも少なくない。昔から人気のあるゲームには後に設定資料集などが発売されそれにより収まりきらなかった設定や物語を知ることが可能であった。しかし、それはあくまで資料上の物であり動いているものではない。間引かれたシナリオの制作者が意図した表現は為されていなかったはずである。そこで、最近出始め定着しつつある方法としてドラマCDやラジオドラマといったシナリオを音声だけで構成する作品として、そのシナリオを発表していくことが多くなった。この背景には最近のゲームではキャラクターの台詞に声優による肉声をあてる事が多くなり、CDドラマなどの音声だけのメディアで話を作る場合でも同じ声優を起用するとほとんど違和感無くキャラクターを作り上げることができると言ったメリットがあるからだろう。そのゲームを一度プレイした人にとって非常にキャラクターをイメージするのが容易になるはずである。まれに人気が非常に高くなった作品の中でアニメ化するものも出てきた。しかし、それは大抵ゲームの内容の焼き直しや続編を作ったと言った感じのものであり不足部分を補うものではないようである。最近出たゲーム中の不足を補った作品の中には、ゲーム中のシナリオを全く別視点から展開されていく、いわゆる擬似的なザッピングを行っている作品もある。一つのシナリオを別視点から見ることによりプレイヤーが既に知っているシナリオで状況をつかませた上で今まで空かされなかった主人公から見て裏側のエピソードによるゲーム中の謎の解明を行っており、ただのシナリオの焼き直しでないと言うことがよく解る。

4.これからのゲームの方向性
 最近ではネットゲームなどの環境が整いつつあり、ウルティマオンライン(エレクトロニック・アーツ・スクウェア 1997年)の様に明確なシナリオがなく使っているキャラクターの人生や、他人のキャラクターとの些細な接触などがまさにプレイヤーにとってのシナリオになると言った変わったゲームも出始めてきた。ネットゲームでは多くの人と実際に話などのやりとりが出来ると言った特性を活かしたゲームである。このように明確なシナリオのないゲームがブレイクすると言うことはシナリオの凝ったゲームはもう限界に達しているのだろうか。最近発売されるシナリオを重視したゲームを見てみると大抵美しいムービーの使用によるイベントが挟まれている。シナリオの進行に花を添える点では非常に有効な手段ではあるのだろうがプレイヤーは見ているだけである。プレイヤーがしているのはゲームであり、ゲームをする目的は何もTVでやっているようなアニメーションなどを見るといったものでは無いはずである。ムービーを配置することによって容量が制限されシナリオが一本道になることも少なくない。シナリオを重視するあまりゲームがTV化していってるのではないだろうか。ゲームとしての楽しみが結果的に減ったことによる欲求不満が自由度の高いネットゲームやシンプルなパズルゲームをはけ口としているのではないだろうか。シナリオを追求する分、それによって出来てしまうプレイヤーがコントローラーを触らない時間ができるといった現象をなくすような方法を模索するべきである。ゲームのシステムと、シナリオを切り離して考えてはゲームとして成立しにくいはずである。これからはシナリオを能動的に進めることを前提にゲームを作って行くべきではないのだろうか。


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