FF批評!?
- INTRODUCTION
ファイナルファンタジーシリーズ1作目が発売されてから○年、対応しているハードウェアもファミリーコンピュータ〜スーパーファミコン〜プレイステーションと変わっていった。それとともに表現手法や、ゲームとしてのあり方も変化していった。
最近発売されたファイナルファンタジー[を中心に今までのシリーズの作品やその他のゲームを比較していきたい。1.プレイステーション内での比較 −今作[と前作Zとの比較−
1−1.時間によって生じる技術差の比較
今年発売となったファイナルファンタジー[(以降FF8と略す)は前作ファイナルファンタジーZ(以降FF7と略す)が発売されてから約2年後の発売となっている。例え同じハードウェアであるプレイステーションでの発売であっても2年間経っている以上技術的な差が発生する。幾つかあるが顕著な差が出ているものを挙げると、CGムービーとリアルタイムポリゴンの同期再生がある。背景にはCGムービー再生して表示し、それ以外の主人公や、中心となるキャラクターはリアルタイムに描画したポリゴンで表示するというものである。FF7でプレイステーションにハードウェアが移行し、試みとしては初めてものであった。それ故FF7ではCGムービーの方に多くのCPUの処理を取られリアルタイムポリゴンの描画のもたつきがかなり目立つ。この手法は大抵イベントで用いられる為、処理が行われるフィールドではあらかじめキャラクターの等身を縮め描画するポリゴンを少なくし、テクスチャーも随分と押さえられていたと考えられる。CGムービー中のキャラクター、戦闘中のキャラクター、イベントフィールドでのキャラクターのモデリングは全て違い、等身も変化していたわけである。出来るだけ違和感を感じないように作ってあるのだろうが、限界があったように感じる。
一方FF8ではキャラクターは全て同じ等身で統一されている。前作が3頭身でCGムービーと同期再生していたのに対し、6頭身で全てのCGムービーと同期再生している。高い等身にしてより実際の人に見えるようにするためには動かさなければならない間接が増え、テクスチャーも多く使うことになる。CPUにより多くの負担をかけるにも関わらずCGムービーとの同期再生中の1秒間当たりのフレーム数を見てみると、FF7と比べ格段に上がっているのが分かる。当然普段CGであらかじめ造られた2Dのフィールド内でのフレーム数と比べてみると少なくなりはするが、FF7より表示ポリゴン数が圧倒的に増えていることを考慮すると圧倒的な描画力ではないだろうか。
余談ではあるが、FF7でのムービー同期再生時など読み込むデータが多い場合に旧型のプレイステーションではCD-ROMからのデータ読み込みが非常に不安定になりゲームが完全にフリーズしてしまう現象がたびたび発生した。しかし、FF8では旧型のプレイステーションを使用してもそのような現象は起こらない。データ転送の方法を改善したと考えられる。1−2.共通の表現法及び問題点
FF7とFF8はゲーム中どちらともほぼ同じ表現方法を使っている。世界全体を見せるワールドマップではキャラクター、フィールド、乗り物を全てリアルタイムのポリゴンで、街やダンジョンと言ったワールドマップを拡大したような部分ではあらかじめ2Dに変換したCGを背景としてキャラクターをポリゴンで表示するといったものである。FF7以降多くのゲームに影響を与えた表現法である。特に後者の表現法はRPGなどで利用するには非常に有効な手段のひとつとして広く浸透している。背景をCGで造るということはプレイステーションで処理できない様なCGを先にワークステーションなどで作成して2Dに変換しているためスペックに関係なく美しいCGを表示できる。さらに、そこから同じソースから造ったCGムービーに切り替えることにより、あたかもワークステーション上でリアルタイムにCGを描画しているのと変わらない表現が得られる。
しかし、その表現方法には大きく2つの問題がある。FF7やFF8はキャラクターを全てポリゴンを利用し3Dで表現しているため、際限りなく小さくして表示することも、逆に大きくして画面一杯に表示することが可能であり、背景に合わせて奥行きを見せるために画面上では表示の大きさで表現している。もし2Dの背景が遠くのものまで表示しており、そこまで辿り着くことができたならキャラクターは通常のTV画面では確認できなくなるまで小さくなる可能性がある。実際FF7、FF8の両作は奥行きを付けすぎ、キャラクターが小さくなってしまう問題が以前から指摘されている。奥まで進むと手前に進んでいるのか奥に向かって進んでいるかすら分からなくなるのである。この問題はより細かくフィールドを分けていくと解消する問題ではあるのだが、フィールドが1枚の画像である以上プレイステーションのメモリー量では切り替わる毎に逐一読み込んでいかなければならない。それではゲームのテンポが非常に悪くなってしまいプレイヤーにストレスを与えてしまう。新しく性能の良いハードウェアで表現しない以上解消出来ない問題ではないだろうか。 もう一つはリアルタイムポリゴンで表現されたフィールドではないため視点の変更ができず、あらかじめ決められた方向からしか見ることができないといったものである。その為、制作者がベストと考えた方向からのカメラアングルしか存在しない。カメラアングルがフィールド毎に違えば、画面が切り替わる直前にキャラクターが向いていた方向を切り替わった後に向いているとは限らない。つまり、ずっと同じ方向にキーを入力し続けるとプレイヤーが意図した方向とは違う方向に進む可能性がある。最悪の場合元のフィールドに戻るおそれすらある。ゲームをスムーズに進める上では大きな障害となってしまう。この問題を回避するには擬似的な3Dとしての表現を捨て完全に上から見下ろした形で作っていくか、はやり性能の良いハードウェアでリアルタイムにCGを表示していくしかない。
この2つの問題を見ると、プレイステーションの限定された性能上での苦肉の表現方法であると考えることが出来る。2.ファイナルファンタジーとしてのシナリオ
ファイナルファンタジーシリーズ(以降FFシリーズと略す)は新しい作品が出る度に前の世界観を捨て全く新しい世界、設定を造って来ているのだが、FF1〜FF5までは共通して「クリスタル」と呼ばれる物がシナリオに大きく関わってきた。しかし、FF6以降はその共通点を捨て新しい物としてシリーズを構成していったようだ。FF5以前の世界はファンジー色の強い「剣と魔法の世界」であったのに対し、特にFF7以降を中心にSF色の強い「高度な機械文明をもつ世界」に変化していった。穿った見方をするならば2Dでは表現が難しかった機械などの金属質のオブジェクトを、ポリゴンやCGムービでなら表現しやすかったためにこのような変化を遂げていったと考えることもできる。
シナリオ自体もプレイステーションに移った後にかなり変わった。FF6までのシナリオはゲームが終わるまでにシナリオ上の謎などはほぼイベント等で解消されていたのた。しかし、FF7になってから明確な答えが出ないまま終了する。FF8に至ってはエンディングのCGムービーが流れている間は全く文字がでない。つまり、プレイヤーは足りない部分をプレイしてきたシナリオの中からヒントを見つけだし各々で補完していく必要がある。このように見るとシナリオを考えさせる作品になっているのがわかる。更に踏み込んで考えてみるとゲームの対象にしているプレイヤーの年齢が上がってはいないだろうか。プレイステーションになってから、人の心の内面を表現することが多くなった。両作とも主人公のアイデンティティーを確立していく話がある。恐らく、ただゲームのシステムだけを理解してひたすらに進んでいるだけでは把握しきれなくなる。プレイヤーの人生のでの経験に訴えかけて共感を得ようとしているのならば、年齢の低い子供達に対して考慮されているとは考えにくい。FF8ではとある場面では歌が挿入されており、TVドラマなどを意識した作りになっている。これはPSで発売することによりゲームの認知度が広がり、今までゲームを中心としてやってきた人以外にも認知され、その人達にも楽しめるシナリオや表現を用いた結果ではないだろうか。TVを中心としてきた人達に向けて造ってきたということは、映画やTVを意識して造っていく必要がある。その為、FF8ではロールプレイングゲームというより、むしろアドベンチャーゲームを中心とするインタラクティブシネマと呼んだ方が的確ではないだろうか。ただ、インタラクティブシネマのようにすることにより更にシナリオを中心としたゲームにすることができる。今まで他のロールプレイングゲームよりもシナリオに重みを持たせて造られてきたファイナルファンタジーシリーズとして正当な進化であるとは言える。3.ファイナルファンタジー[における戦闘イベント
ファイナルファンタジーはロールプレイングゲームという肩書きを持っている為戦闘の処理は当然取り入れられている。どのロールプレイングゲームにも言える事ではあるが絶対に通らなければならない様なイベントの戦闘以外は極力避けていくことが可能である。もっともイベントを配置した制作者が想定した強さに主人公達が達していなければそこから進めるのは難しいことである。しかし、FF8では敵の強さは主人公達の強さに対し相対的に設定されている。主人公達が弱ければその弱さに見合った強さに設定される。その為強制のイベント以外の戦闘は全て避けていっても問題はほとんどない。更に敵には全く遭遇しないようにする方法も設けられている。シナリオのみを追っていくことが出来るように造ってある、と解釈することができる。だが意図的に戦闘を避けることが出来るようにしてあるならどうして移動中などに敵と遭遇する処理をする必要があったのか。FF6でも同じ様に敵に遭遇しないような方法が存在したが敵の強さが絶対的でありゲームも終盤になってからであったのでゲームが苦手な人に対しての救済措置であると考えることが出来る。それに対してFF8では敵の強さが相対的である上に序盤から実行できるようになっているため、FF6の様な救済であるとは考えにくい。実際の所どう解釈していけば良いのか少々難しいところである。ただ、ゲームのプレイ時間を助長させるものであると考えるならばある程度は納得がいく。ゲームのシステムに関わってくることだが、FF8では魔法を能力値に装備(以降、この処理をゲーム上の名前に従って『ジャンクション』とする)して基礎になっている能力よりも高い力を得ることができる。魔法には個数があり、その数によって能力の上昇率は変化する。魔法を得るには概ね戦闘中に敵から奪う(以降、この処理をゲーム上の名前に従って『ドロー』とする)ことで可能である。同じ敵から決められた種類であればいくつでもドローするとができ、持つことができる最大量でまで続行することが可能である。どうしてもイベントの戦闘に勝てない場合は手頃な敵と遭遇して魔法をドローし続け、その魔法をジャンクションし勝てる強さになるまで繰り返せ、ということである。当然単調な作業が延々続くことになる。つまり、本筋とはあまり関係のないところで時間を消費させられるのである。事実、この作業を必要最小限に押さえ、敵に遭わないようにゲームを進めて行った場合軽く数時間単位の短縮が可能になる。