秋も完全に終わり、冬が顔を出して来たある日、アイリスはテーブルの上に、ケーキを乗せた皿を一つと、カップ一杯の紅茶をカウンターに乗せた。……それは、受け取る者のいないバースデーケーキ。一日も置いておけば、もう食べられるものでは無くなってしまうであろうが、アイリスはそれを片付けはしなかった。
自分にとって、半身ですらあった“彼女”が居なくなってから、もう半年も経ってしまった。だから、もうあの場所に未練はないのだが……それでも思い出のたくさん詰まったあの場所は、失いたくないものでもあった。
(……いいえ、違います。本当に失いたくなかったのは、“あの時”だったんです……)
そう、“あの時”は、本当に充実していたと、アイリスは目を閉じ思い出す。旅に出たいと言った“彼女”に付き添って、大陸の反対側まで行って出会った“彼”。その“彼”のおかげで、“彼女”は初めて自分以外の者に本当の自分をさらけ出し、そして“彼”を追っていった。
……本当は今だって不安なのだ。“彼女”が、いくら“彼”が居るとはいっても、右も左もわからない世界で、本当にやっていけるのかと。
「大丈夫だよ。私、これでも成長したんだから。もうアイリスが居なくたって、泣いたりしないんだから……」
別れる直前、最後の会話。語尾が震えて、涙をいっぱいに溜めて言った、精一杯の“強がり”。それを信じてみよう、そう何度も思うのだが、いまいち自信が持てなかった。
(いけない、信じて差し上げなくては……あの方はきっと今、幸せですもの……)
そしてアイリスは、再び開店の準備に取り掛かった。今日だってきっと、自分の紅茶を楽しみに来てくれる人がいるのだから……。
しばらくして、開店の時刻になった。まるで目の前で待っていたかのように、とたんにドアベルが鳴り、今日一番のお客が入ってくる。アイリスはカウンターの一番端―――先ほどのケーキと紅茶が置いてある所―――に、『予約席』と書いた札を置きながら、席に就こうとする客に、少し遅れた挨拶を送る。
「いらっしゃいませ」
その笑顔は、誰にも真似出来ないほど、美しく輝いていた。
遠く離れていても
レミットが“彼”を追って異世界に行った事を、マリエーナ国王に告げた時、アイリスは処刑される覚悟すらあった。いくら王位継承権が無いとはいえ、一国の王女の側役をしていながら、城を飛び出し旅に出たレミットを止めるどころか協力し、それどころか、見ず知らずの男を追って、異世界に行く事に反対すらしなかった。いくら放っておいたとはいえ、体面を何より気にする王室だ。お咎め無しと言う事は無いとわかっていたからだ。
しかし、最初に国王が発した言葉は、
「あいつは……レミットは、その事に後悔しないと言えるのか?」
と言う質問だった。アイリスは戸惑ったが、思った通りの事を告げた。
「姫様は……レミット王女は、決して後悔なさらないと、私は心から誓えます。
もちろん、王女も人間です。ケンカをしたり、寂しくなったりして、後悔する事もあるかもしれません。でもそれは……ご自分のその時の行動を後悔しているはずです。王女は、私と共にした旅の中で、とても大きく成長いたしました。ご自分の失敗は、ご自分で拭えるほどに。
それに……私も王女の側で、あの方を見ていました。あの方は、決して……決して王女を不幸になさったりしません」
国王はアイリスの言葉を、一つも漏らさず聞いていた。そしてすべてが終わって、沈黙が場を支配した時、こう告げた。
「アイリス・ミール」
それは確かに、一国を治める王の顔だった。王の声だった。アイリスは覚悟を決めて、返事をした。
「はい」
「そなたを、レミット・マリエーナ側役の任より除名する」
そして国王は、側近から一つの包みをアイリスに渡した。それには、一つの土地の権利書と営業許可証が入っていた。。
「国お……」
「それは、今まで尽くしてくれた退職金代わりだ。エイミーより聞いた。そなた、店を開こうと思っていたとな。それで不足なら、いくらでも申し付けるがよい」
「でも、私は……」
国王はここで、一人の父親の顔になって言った。
「私は、あの子に何もしてやれなかった……。私は、そなたの言葉を信じる。これは……レミットにしてやれなかった、親としての行為だ。代わりに受け取ってくれ……」
もちろんアイリスは、この申し出を断ろうとした。しかし……
「これは、王の命である。それでも受け取ってはくれぬと申すか?」
そして今、アイリスはこのtea cafeを経営している。それは別に、命令だからとか、何だというわけでもなく、純粋にアイリス自身の意志だった。
だが一つだけ、どうしても忘れられない言葉―――もしかしたら自分を突き動かしているもの―――それは、アイリスの退室際に聞いた一言。聞こえるかどうか怪しかったが、何とか聞き取れた言葉。
「ありがとう」
その言葉は今も、アイリスの心に突き刺さって、離れなかった。
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店を経営するというのは、思ったよりキツイものだったが、毎日色々な人々と会うことが、こんなにも力になるものだと、アイリスは最近知るようになった。
“あの日”から数日。四季の無いマリエーナでも、多少気温の下がる季節になった。……とは言っても、薄着でも十分過ごせるほどなのだが。
「アイリスさん、お代わりお願いします」
その中でも、例の旅で知り合ったメイヤー・ステイシアは、そう思わせる力が強い者の一人だ。
彼女は紅茶のお代わりを頼みながら、何やらレポートと向かい合っていた。
アイリスの入れている紅茶は、マリエーナでしか取れない『ティターニア』という高級茶葉なのだが、メイヤーはそれを知ってか知らずか、まるで水のようにお代わりをする。もちろんツケだが。
「はい。……メイヤーさん、最近はますますお忙しそうですが……もしかして何か……?」
彼女は2ヶ月ほど前、マリエーナ近郊で発掘された『城塞都市ハイローナ』の遺跡調査隊の一員として、このマリエーナにやってきた。
現在は発掘も終わり、調査段階に移行しているが、それにもメイヤーはもちろん参加し、朝と昼にここに食事に来る以外は、他の研究者と共に必死に何かを調べている。
「はいっ、どうやらここ2,3日が山場のようです。今は『ハイローナの宝物庫』の鍵を開ける呪文を解読中なのですが、どうやらそれだけではいきそうもなく、何やらパズルのような仕掛けがあるようなのです」
メイヤーは器用に、食べ物を食べながらも、まったく喉どころか、言葉さえも詰まらせずに言葉を紡いでいる。
「それは大変ですわね」
「もちろんです。しかし、先ほど申した通り、この2,3日でどうにかなります」
メイヤーはここで、初めてアイリスの方を向いて話した。
「何と言っても、“奇術師”アームルさんが到着しましたからね。彼なら如何なる仕掛けも、たちまち解いてしまうんです!!!」
力説するメイヤーにどう答えて良いかわからずに、困り顔のアイリスだったが、“奇術師”アームルという名前は、聞き覚えがあった。何年か昔に、マリエーナ城に招待したことがあったからだ。
あの時でも、すでにかなりの高齢だったので、今では90歳を超える年齢ではないだろうか?
どこから来たのかは知らないが、道中大変だったろうと、アイリスは思った。
その時、どこからかメイヤーを呼ぶ声が聞こえた気がした。
「あらっ?」
「どうかなさいましたか?」
どうやらメイヤーには聞こえなかったようだ。それとも空耳だったのかとも思った時、今度ははっきりと聞こえた。
「メイヤーさーん!」
姿は見えぬが、店内にもはっきり届く声を、アイリスは聞き覚えがあった。
メイヤーにいたっては、急に苦虫を潰したような顔になり、すぐに窓の外を見渡しながら言った。
「……こ、この馬鹿でかい声は……アイリスさん、私、帰らせていただきます……」
声の主が見えたのか、突然隠れるかのようにして荷物をまとめながら、紅茶の残りを音を立てて一気に飲み干した。
それからしゃがみこんで、窓の外をうかがいつつ、ドアの方へ歩み出した。
「アイリスさん、今日のはまた、つけといて下さい」
そう言ってから、ささっと一気にドアまで近づき、少しだけ開けて周りを見渡す……そこでメイヤーの動きが止まった。
「あっ、メイヤーさん! 探しましたよ〜」
「はっ、ははっ……ファミリアさん、御機嫌よう……」
そう言いながらドアを閉めるメイヤーのことはお構いなしに、ファミリアと呼ばれた少女は飛びつくようにドアの方に駆け寄ってきた。
一瞬、店内が大きく揺れた。もちろん、ファミリアがメイヤーの閉めたドアにぶつかった……と言うよりも、突っ込んできたのである。
さすがに店の方には、被害が無い様だが、ファミリアの方は鼻血を出していた。ファミリアは鼻血を止めようとしてるのか、上を向き鼻を押さえながら、ドアを開けた。
「はははっ、ドジっちゃいました。……あっ、そうそうメイヤーさん……?」
「メイヤーさんなら、あなたが入って来るときに出て行かれましたけど……」
先ほどのファミリアの突進に唖然としていて、やっと我に返ったアイリスが口を開いた。
「えっ!? そんなぁ、せっかく『ハイローナの宝物庫』が開いたことを、お知らせしようと思ったのに……」
「はぁ……」と返事をしようと思ったアイリスだったが、頭の中でファミリアの言葉を理解したとき、それは驚きの声へと変わった。
「えっ? だって、メイヤーさんの話では、2,3日は掛かるみたいなことを……」
「そう! それなんですよ、驚きはっ! さすが、世界一と恐れられる“奇術師”アームルさんですっ! 私たちが見ている前で、どんどん仕掛けを解いていかれたんですよ」
ファミリアは上を向いたまま、鼻を押さえてるためか、少し苦しそうに、しかし一気にしゃべった。
そしてアイリスの手を取ると、上を向いたまま走り出した。
「メイヤーさんがいないなら、仕方ありません! あなた、一緒に来て下さい!」
「はいっ?」
まったく事情が飲み込めず、されるがままだったアイリスだが、一つの事に気づいて声を上げた。
「ファミリアさん、前っ!!」
「はいっ?」
再び、店内が揺れた。上を向いていたため、顔はぶつけなかったが、ファミリアはまたドアにぶつかってしまったのだ。
「あの……とりあえず、その鼻血が止まってからの方が……」
「大丈夫、さぁ行きましょう!」
結局アイリスは、なされるがままに、ファミリアに連れて行かれる羽目になった。お店開けたままで、どうしましょうと考えながら……。
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ファミリアと言う少女は、出会った時からこうだったとメイヤーは思い出した。半年前、レミットを異世界に送るための旅が終わった後、とある遺跡で罠にはまっていたのだが、その理由というのが
『なんか目の前に宝石みたいなのがあったので、触ろうとしたらこうなっちゃいました』
と言うことだ。初歩のトラップに引っかかってしまったらしい。
つまりは“目的が見えたら、とにかく突き進むのみ”と言う性格なのだ。“誰か連れてこい”と言われれば、“誰でも連れてきてしまう”らしい。
「だからって、無関係者を連れてこなくても良いでしょう……」
うまくファミリアの目を盗んで外に出たメイヤーは、他の研究者と偶然会い、仕掛けが解けたことを聞いた。
そこで見たのが、アイリスを連れてきたファミリアだったのだ。
「ははっ、まぁ良いじゃないですか」
ファミリアの言葉には、誰一人反応しなかった。仕掛けが解けたことによって、すでに解呪に入ってしまっているため、いちいちかまってられないのもあるだろうが。
ちなみにアームルは、老体のため、仕掛けを解くとすぐに宿に戻ったらしい。
「アイリスさん、すみません」
メイヤーが笑うファミリアの代わりに謝った。しかし、大した事はないと、アイリスも笑って許した。
(でもファミリアさんのこういう所……昔のメイヤーさんに似てなくもないですね……)
もちろん、その事を口に出しはしなかったが。そう考えると、メイヤーも人間的に成長したらしい。かつての彼女ならば、この場で謝るよりも、解呪のほうに気がいってしまっていただろうに。それが、あの旅のおかげなのか、それともこの少女の存在なのか、アイリスに確かめる方法はなかった。
「開くぞ!」
ふと聞こえたその声に、すべての者の視線が扉に集まった。それはしだいに、ゆっくりと開いていく扉の中へと代っていった。
だがそこには、何一つ入っていなかった。空虚な石造りの部屋。誰もが疑問を口にし、それはしだいに大きくなっていく。その時だった。
「……!」
部屋の壁になっている石の一つが光ったかと思うと、次々と他の石も光り出し、そしてそれは、光の洪水になっていった。
視界も、思考も、全て光で覆い尽くされていく中で、アイリスは一つの映像(ビジョン)を見た。
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夕暮れの中、アイリスは一人自分の店への帰路に就いていた。まだ少し、夢見心地だったが、さすがに店の前にくると、重大なことを思い出し、我に返った。
「あっ、そう言えばお店を開けたままで……」
ドアに手を掛け開くと、中より聞きなれた声がアイリスを呼んだ。
「こらこら、仕事をほっぽりだして何をしてたの?」
「えっ……? あっ、エイミーさん……」
かつての自分の上司が、カウンターに座っているのを認めて、アイリスは驚きを禁じ得なかった。
国王にアイリスのことを頼んだ本人であることもあって、どんな事をしてもお礼をしたかったのだが、店の忙しさもあって、最近はすっかり忘れていた。
「ほらほら、何をしているの? 今日はお客としてきたんですから、早く注文を聞いてちょうだい?」
「あっ、えと……はい。ご注文は何になさいますか?」
その言葉を聞くと、エイミーはやさしく笑いながら、ショートケーキと紅茶を2つずつ注文した。
「えと……、後でどなたかいらっしゃるのですか?」
不思議そうに聞くアイリスに、エイミーは少し意地悪く笑った。
「いえ、もう来ているわ」
店内を見回しているが、エイミーの他には自分しかいない。エイミーが“CLOSED”にしておいてくれた為か、誰も入って来てないようだった。
ふと、アイリスは思い直す。エイミー以外に居るのは……自分だけだという事を、もう一度認識する。
「もしかして……」
「そう、あなたよ。もしかしなくても、あなた、自分の誕生日なんて忘れてたでしょう?」
そう言われた事で、ようやく思い出す。今日が自分の誕生日なのだと。
どうして良いのかわからないアイリスに声をかけ、自分も手伝いながらとりあえずケーキと紅茶を用意するエイミー。彼女はその時に、一つの事が気になった。
「変な事を聞いても良いかしら?」
「はい?」
エイミーは少し考えて、自分の勘違いでない事を確かめてから、改めて口を開いた。
「最近、なにかあった?」
「えっ? ……どうしてですか?」
「なにかね、心の中の心配事が消えたって顔なのよね、今のあなたは」
さすがに、人を見る目がある方だとアイリスは思い知らされた。この人には敵わないなと思いながら、先ほどの『宝物庫』でのことを語り始めた。
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瞬間、アイリスの脳裏に膨大な数の映像(ビジョン)が映し出された。
家族で過ごす食卓、路地裏で遊ぶ子供たち、空を見上げている青年、恋人を思う少女……
幾千の……いや、幾億もの映像に、アイリスは一瞬、我を忘れてしまっていた。
「これは……この町の人々の……思い出?」
どこに居るのか見えなかったが、メイヤーの声が聞こえ、アイリスは気がついた。そう言われてみればそうかもしれない。何気ない毎日……だがそれさえも、長き時間の後には思い出となってしまうのだから。
(だとしたら、この街の宝って言うのは……)
そう、間違いないと感じたとき、アイリスは一つの映像に気づいた。
そこには、写真を見ている年老いた女性がいた。その写真には、その女性の若き頃と、一人の少年が写っていた。おそらく彼女の息子だろう。
「……」
老女が何かをつぶやいた。おそらくその子の名前なのだろうと、アイリスは思った。
「……最近は元気にしとるのかねぇ? 連絡の一つもよこさんと、いったいどこにいるのやら……」
そうつぶやく老女。旅にでも出ているのであろうその息子を思いながら、何を考えているのだろうとアイリスは考えを巡らせた。
寂しい? 悲しい? 心配?
しかし、そのどれにも当てはまっていないとアイリスは気づいた。何故なら、老女の言葉には、少しも悲壮感がなかったからだ。
どんな時でも、自分の息子を信じているのだと、アイリスは思った。
「でもたまには、帰ってきて欲しいねぇ……」
その時始めて、老女の顔に悲しさが表れた。だがそれも一瞬で消える。そして写真を置くと、また日常に帰っていった。
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「それで?」
その短い話がまだ終わりでない事は、エイミーはわかっていた。何といってもこれでは先ほどの回答になっていないからだ。
「私は……別れてからずっと、姫様を心配していました。国王様の前では、あんな事を申しましたけれど、本当は私、ずっと不安でした。
でもそれは、姫様を信じていなかったんです。『大丈夫』だと申された姫様を。本当に信じているのなら、少しも不安にはならないはずなんです。もちろん、悲しくなったり、寂しくなったりもします。
でも……姫様や“あの方”を信じていれば、不安になる事はないと、わかったんです」
「それが……その映像を見て出した答えなの?」
コクンと、アイリスはうなずき、続ける。
「もちろん、それが正しい答えとは限りません。でも、私が信じてあげなくては、姫様もきっと幸せになれないと思うんです」
エイミーはアイリスの背中越しの言葉に、心の中で頷いた。そして会話を打ち切りアイリスを急かした。
「さぁっ、その話はもうおしまい。早くしなきゃ、今日が終わってしまうわ。あなたの誕生日を今日祝わないでいつ祝うというの?」
アイリスは微笑みながら紅茶の準備を急いだ。遠い、あまりにも遠く離れた場所で、レミットが幸せである事を感じながら……
END.
あとがき
ぺこっ。
どうも、P’sです。
今回はアイリスさんの誕生日という事で、私P’sが、役不足ながら一つの物語を綴らせていただきました。
呼んでいただければわかりますが、この作品は「レミット帰還ED」後の、レミットの母国マリエーナでのお話となっています。
……国王なんて、CDドラマと比べるとずいぶんカッコよくなってますが(笑)
作中では回想でのみ出てきたレミットは、某所の姫様お誕生日記念に差し上げたSSに書いたのですが、主人公と幸せに過ごしている事になっていますので、ご安心を。もちろん、私の中での事ですが(笑)
さてさて、あんまりこういうのを書くのって苦手なので、そろそろ終わりとします(笑)
でわ最後になりましたが、
アイリスさん、お誕生日おめでとうございます
P’s