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[東御前] 足仲彦尊(タラシナカツヒコノミコト)仲哀天皇

厄除開運

[中御前] 誉田別尊(ホンダワケノミコト)応神天皇

厄除開運・健康長寿の神

[西御前] 息長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)神功皇后

安産守護の神

 

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当宮は延久元年(西暦1069年)、源義家公が後三条天皇の勅願を受け、京都の石清水八幡宮

より御分霊を迎えて鎮座されました。それよりこの地は八幡の庄と称えられ庄内十一郷の産土

(うぶすな)の神として深く崇敬される事となりました。当時その社頭は三千石、一山七十三坊と

伝えられ、本宮の石清水八幡宮を凌ぐくらいであったといわれます。しかし、その後、しばしば

兵火にみまわれ、その社殿はほとんど消失されました。時は流れ、天正二年(西暦1574年)

羽柴秀吉公が長浜城主となるや、その大社の荒廃を惜しみ、社殿の修理造営をなし再興に

努めました。この史実は、長浜曳山祭の起源とも言われています。