古稀の随感
国井医院 国井洋一
今年11月10日70才の誕生日を過しましたところ、早速市役所より老人医療券交付の通知をうけ、これで人並みの老人になったと実感してましたら、大学医局からの電話で、70才になられたので同門会費は免除されるとのこと、何だか有難い様な寂しい様な気分で居ました。又医師会より古稀の感想についての寄稿依頼があり、重々の通達で年老いた感、更に深まりました。元来文書苦手ですが、毎年先輩諸先生も書いておられる由、頑張ってする事にしました。
今から7年前総胆管結石で閉塞性黄胆を併発し止む無く手術をうけ無事終了しましたが、寄る年波と持病の糖尿病の増悪で、可成り体力の低下をきたし、止む無く学校医等免除して頂き、診療時間も短縮して頑張ってゆく事にしました。その頃から、なんとなく懐旧の念、頻りとなって昔話をよくする様になり、若い頃老人の患者さんから昔話をよく聞かされ、逃腰状態で診療していた頃を思い出し、苦笑しています。昔話に関連して古代からの人間の歩んで来た歴史等に興味を覚へ、不勉強で、うろ覚えの事が多いので、改めて復習整理してみました。そこで印象深かったのは、15世紀中より始まるヨーロッパ諸強国でのルネッサンス、羅針盤、火薬、活版印刷の発明、改良による大航海時代を経て、現在に至っての驚異的に発達した科学を背景としての経済力、軍事力による世界各国の変遷推移でした。そして現在も将来も、止む事無く進歩する科学技術に、或る種の恐怖をも伴う畏敬の念を持ってしまいました。がしかし反面大変に重要な事に気付きました。それは精神性の高い古典文学、哲学、各宗教等伝統文化の不変性と現在もその価値を保ち、将来も永遠に或るであろうこれらのものへの再認識でした。そこで、この永続性は何故であろうかと。それは千年弐千年の古代、更なる古代に既に、その創生期に永遠の真理を極め、完成されるものだからこそと悟りました。そして同時に人間の情感も永遠不変のものだと。之に反して、サイエンスの分野のそれは、遠く古代ギリシヤ時代、既に在ったのですが、やはり近世になっての各分野で、総合的学術の進歩と相俟っての急速な進歩を遂げて、更にこれからも発展変化して行くもので、発育盛りの成長期に在るものと理解し納得しました。(勿論、此様な単純な次元で比較結論づけるのは、多くの異論があると思いますが)。そこで自然科学の分野である医学医療も、50年100年前の医学医術、現在のものと更に50年100年後のそれと比較してみて、同じ様な事が言えるのではないでしょうか。ですから、僭越ながら、科学者(医学、医療者も含めて)は、より謙虚な自覚のもとに、事に当り虚してゆかねばならないと深く反省、想う所大でした。最近世間の人達は、自分も含めて、今の世は悪くなったとか、人情が薄れて冷い世の中になってとか嘆いています。之も文化と、急激な発展変化する文明との、歪みの所為かと。願わくば、古来幾多の困難を克服してきた人間の英知が、この両者の調和するもの、それの創造されん事を、偏に乞い願っております。
最近、親類、知人、友人等の冠婚、葬祭に出掛ける事が多くなって、此の世の無常を更に感じる様になりました。それでこれと深い縁のある佛教に関心が深まり、平易にして心暖く書かれている瀬戸内寂聴師の入門書を読んでみました。師によれば、佛典の一番のエッセンスのものは、般若心経だそうで、正式には摩訶般若波羅密多心経と言い、之は死後、如何にすれば彼岸、極楽浄土へ渡れるかの智慧の教へのお経だそうです。人間生きている限り、誰しも四苦、八苦(生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦)を背負っていて、やがて死を迎えるのですが、この死後の世界、あの世を信じる人は、現代では、殆ど無いとみなされていますが、無意識の内に、慣行として、諸々の佛事又、他宗教についても、理屈を越えて、従っているのを観れば、このお経の意義を認めざるを得ません。又有名な色即是空、空即是色、又親鸞上人の悪人正機説等、新入生で浅学で不可解ながらも、なんか心惹かれて、老後残り少い人生をこの教義を学ぶべく努力してゆきたいと目的もでき、お陰で退屈な日時が少なくなり喜んでいます。
とは言うものの、日常の雑事に追われて、今年も、あっと言う間に、過ぎてしまったと患者さんと共鳴して、暮らしている様なことです。
以上の様な戯言を、くどくどと言う様になった自分をみて、やはり古稀の所為なのかと感想頻りです。因に、古稀とは広辞苑でみますと、70才の称で(杜甫 曲江詩「人生七十古来稀」です。
蛇足ながら、永年親しく尊敬しておる80才の先輩医師殿が、計らずも私の患者さんとなり、通院しておられますが、私の古稀を知り「君は、若いからいいね」と言われ、ヤレヤレと有難く存じました。私も今となっては、還暦の人に「若いから、いいね」と言いそうです。
訃報
川島光三郎先生ご逝去
21世紀幕明けの年もあと僅かの日数を残して暮れようとしていますとき、私達は川島光三郎先生の突然の訃報に接し、唯驚ろきと悲しみのなかに佇んでいます。つい最近まで、お身体が少しご不自由になられてからも奥様のお支えでいろいろの会合に積極的にご出席になられ、お元気なご様子を拝見していました。この夏にもアナーバー市からの使節団を迎えて催された湖上での歓迎パーティにも、車椅子で参加され両市の友好親善に尽くされていたお姿が眼に浮かんでまいります。先生は昭和17年9月京都大学附属医専をご卒業になり、直ちに軍医として従軍され、昭和20年にご帰還後22年1月まで京都大学内科第二講座にご勤務されました。その後32年8月までの10年間を滋賀県衛生試験所長、草津保健所長などを歴任され、昭和37年6月から彦根逓信診療所長に就任、55年12月末迄ご勤務になりました。その後一時大阪逓信病院に移られましたが、59年5月本県にお戻りになり、滋賀県の地域医療に献身されました。亦、その間約30年間の永い間県立短期大学の非常勤講師として、看護婦養成に尽力されました。此らの永年に亘る先生のご業績により、昭和55年4月近畿郵政局長表彰、また平成5年4月には勲4等瑞宝章受章の栄に浴されました。川島先生は大変温厚篤実な方でありました。とくに私にとりましては同窓の大先輩であり、又、私が以前から関係しております彦根国際協会の熱心な会員であられ、数年前には親善使節団の一員として、彦根市の姉妹都市の米国アナーバー市を訪問されました。医師会でのお付合いの外にもいろいろご指導ご協力をいただいて参りました。生者必滅会者常離と云いますものの、いまこうして先生にお別れの言葉申し上げなければならぬとは、洵に残念至極であります。そして、又奥様はじめご遺族の皆様のご心痛を思いますとおなぐさめの言葉もありません。どうかこの上は先生のみ霊の安きを念じ心からのご冥福をお祈りして、お別れの言葉といたします。合掌。
平成13年12月10日 彦根医師会会長 岡田 彰
受彰おめでとうございます。
奥野文雄先生は平成13年10月3日保護司功労にて法務大臣表彰を、若松健一先生は平成13年10月31日学校保健功労にて滋賀県教育功労表彰を受彰されました。
保護司をつとめて
奥野小児科医院 奥野文雄
昭和55年に保護司の委嘱を受け何時の間にか20年が経過しました。保護司の任務は@保護観察対象者の指導、補導援護A犯罪予防活動B刑務所在監者・少年院在院者の環境調整C研修が主体です。対象者は1号観察(家庭裁判所で保護観察に付された少年)2号観察(少年院からの仮退院を許された者)3号観察(刑務所からの仮出獄を許された者)4号観察(裁判所で刑の執行を猶予され保護観察に付された者)5号観察(婦人補導院からの仮退院を許された者)ですが観察の期間も2年から残刑期間、執行猶予の期間、補導処分の残期間等さまざまです。未成年者や青年が大半ですが、終身刑の対象者や前科の多い成人も経験しております。実例をご参考までに記します。滋賀県以外の保護観察所長から被害者心情調査の依頼(指示)が来ました、A市内としておきます、私は早速B氏宅に赴き殺人犯に対する心情をお尋ねしました、ご子息は殺された母親様の子息ですが、他界された父親さまの遺言は「犯人が如何に反省し、詫びても許さない、この家にも入れないし、仏に焼香など断じて許せない」・・と告げられました。實は終身刑のCは仮出獄で更生し前科を秘匿して妻帯、マイホームもあり、子供に恵まれ真面目で外見は幸福な生活をしておりますが、会社の出張と偽り月二回はD市の保護司宅に来訪しています、被害者の心情が上記のような場合は終生刑に服することになります、そこで数回の交渉の末、B氏の帰依されているお寺で永代供養をCと勤めることを承諾していただき、保護観察所長に報告しました、後にD市の保護司とともに三人でE寺に行き法要を勤め帰宅していただきました、一月後恩赦が確定し本人から電話がありました『刑務所暮らしのつらさより妻や子供をだましてきたつらさのほうが苦しうございました』と泣き声で言いました…この人は模範囚だったのでしょう。
次は少年鑑別所の少年の手記です「警察につかまって、やつと僕も認められた」暴走族の収容者です、こうした少年たちは親に見放され、学校では先生や生徒に見放され、自分を認めてもらえる非行グループや暴力団の予備軍に入らざるをえない状況にあります。また家庭では父親が家庭を掌握できない家が多く、つい母親が口うるさく叱る家庭が多いのが保護司の共通した経験です。こうした青少年は75%は中学・高校の中退者です、薬物犯も入口は酒と喫煙です、学校で教師が喫煙して児童・生徒を指導しても効き目はないと思います。さて観察記録は毎月「保護観察経過報告書(甲)」に記載し、翌月の5日までに大津保護観察所に送付します。私の対応の基本姿勢は@同じ目線で懇談をするA「あなたも私もそんなに違う人間ではない、紙一重の違いです」B「誰でも長所がある」と話すことにしています。何とか長所を探すのですが…。更生の成功率は40%以下でしょうか。作家の藤本さんが言いました『仏壇や神棚がある家には悪いものは出ない』そうありたいものです。
付記:観察記録や犯罪歴、遵守事項等の書類などは観察終了時または事故中止時に全部観察所に返送します。保護司は専用のバッジと身分証明書がありますが平素はつけません。活動の妨げになります。また対象者のことを他の保護司に話すことはしませんが、同一事件の場合は情報交換します。
受彰にあたって
若松医院 若松健一
今秋滋賀県教育功労表彰を受けました。これは29年間学校医を大過なく務めた者に対する表彰だと率直に喜んでおります。またこの受彰に関係していただいた方々の顔も思いうかべて、ありがとうと言う気持でいっぱいです。学校医として初めて就任するに当って先輩の先生方にお教をいただいた中で思い出に残っていることは、上半身真裸にして身体検査をすることです。これを25年間続けました。小学校高学年及び中学生には大変不評で、養護の先生にも又管理職の先生方にも大変な負担となっておりました。しかし、時にはよかったと思うこともありました。又、これは管理職の先生に喜んでもらいました。
しかしある時友達より、心眼を見開いて健診すれば上半身真裸にせずとも十分に健診出来る。君の為にどれだけ多数の人が苦労しているのか分からないのかと言われて中止しました。しかし自宅の診察と同じようにしたいなと今でも思っておりますが、特に支障はないようです。
以前より考えていたことですが、今回の受彰で特にひしひしと考えるようになったのは、高齢になったので医者としての人生、私個人の人生も終盤に入っていると言うことです。
私の生方は変っておりました。皆々様に多大の御迷惑をふりまいて生きて来ました。その生方とは1+1/2+1/4+1/8…計2となる人生です。初めの1に20年を掛ければ40年になり、10を掛ければ20年になる。その20年、10年、5年間この間はほとんど生方を変えない。どう変えるかは次の期間のこととして生きていくと言うことです。平成15年3月より始まる5年間で医師の時間を次第に少なくし、農作業(畑作、鶏飼、花作り)、スポーツ(水泳、ゲイトボール、ゴルフ出来るかな)、趣味(将棋、囲碁、マージャン等)、旅行等の時間を増やそうと夢のような事を考えてノートに毎日記入しているのであります。
また、酒のおいしい、料理のおいしい、美人おかみがいて値段の安い飲屋捜しは、10年近くやっております。少しですが顔がきく所も出来ました。ここで老先輩、老同輩、老後輩と酒を飲みながら、ほとんど権力がなくなったなあ、あの時には大変お世話になってすまんかった、何の御礼もしなかったなあともう一杯注がせてとゆっくり一夜を過す日が、1年3ヶ月後より始まると考えると元気が出て顔もつやつやして来ます。
本日65才になりました。計画では私の人生はあと11年3ヵ月あるのですが、酒、タバコで一割引となりますとあと5年です。あと5年の人生を元気いっぱい生きよう、これが受彰の気持です。
フリーコラム
夏の思い出
彦根中央病院 山田 恭造
今年も暑い夏がようやく終わりかけようとしていますが、会員の先生方におかれてはいかがお過ごしでしょうか。編集委員の先生から原稿依頼を受けて以来、表題の夏の思い出について考えておりましたが、ひたすら勉強に打ち込んできた(?!)ため、思い出しては胸が痛む青春時代のせつない思い出などなく、夏と言えば甲子園、それも作新学園の江川と、対明徳(高知)の試合で全打席で敬遠された星陵の松井が思い出されます。江川のボールは本当に早く、3塁側のアルプスの最前席で見ていましたが、キャッチャーがボールを捕球して、やや間があってから「バシー」と音が聞こえるほどでした。明徳と星陵の試合はテレビで見ていましたが、勝利のみを優先した作戦で予定通り試合に勝った明徳ですが、常に優勝候補とされる明徳がこれまでに一回も優勝できていないのは、この試合がいまだに尾を引いていると、私は密かに思っています。さらに、今年の夏は、我が彦根市の近江高校の神懸かりともいえる活躍があり、湖国に初の準優勝をもたらしましたが、近江が勝ち進むにつれビールが増え、中性脂肪の値が気になる毎日でした。
さて、本来の夏の思い出ですが、やはり家族といったサイパン旅行が一番になります。来年は二人の子供が受験になるので、がんばって海外旅行にゆきましたが、この旅行は精神的に重いものとなりました。よくご存じのようにサイパンは、太平洋戦争での最激戦地であり、未だに戦車やトーチカが島の中に残り、海岸沿いには軍艦が座礁しています。確かに、大変美しい島で、たくさんの観光客が集まるにも関わらず海は透きとおり、魚が群れ、澄んだ空気の中に火炎樹が真っ赤に咲き乱れています。わずか60年ほど前に、この島の形が変わるほどに激しい爆撃がここに行われたことなど、全く想像もできない景色でした。しかし、私には、この美しい景色が介護病棟や療養病棟におられる患者さんの姿に重なりました。終戦後の混乱から立ち上がり、驚異的ともいえる経済発展を成し遂げた日本ですが、その中核をなしてきた方たちが、療養病棟や介護病棟ですごされる年代になっています。この世代の方たちに対する対応が、現状で十分に行われているでしょうか。身体状況に対する対応としては介護保険が始まっていますが、経済的負担からか保険の利用率は給付額の3、4割にとどまっていますし、社会的状況としてこの世代の方が活躍された昭和史が正しく伝わっているでしょうか。私をはじめとして妻も2人の子供(高校2年、中学2年)も太平洋戦争については3学期の授業時間が少なくなり、ほとんど学校では習いませんでした。受験勉強として太平洋戦争の事実は知っていますが、自分の国がどのように歩んできたかを教わる教育は受けておらず、そのような教育があれば高齢者に対する接し方も、自ずと変わるのではないかと思います。教育の荒廃がことあるたびに言われますが、自分の国を知ることが、もっとも大切な教育ではないでしょうか。火炎樹が咲き乱れる日本軍の司令本部跡を見ながら、少し昭和や教育について考えさせられた家族旅行でした。
第8回 これからの医療を考える会
平成13年12月12日夜に打上の会がありました。集まった先生方からは和んだ雰囲気の中最近の話題と自由なご意見があり、岡田会長からは現在の医療に対する警鐘とこれからの医療に期待する熱い思いを込めたお話がありました。
行事案内
◎学術講演会
日時:平成14年2月23日(土) 午後2時〜4時
場所:彦根医師会会議室
新入会員
◎彦根市立病院
平成13年11月1日付 鳥居 幸生 (内科)
◎近江温泉病院
平成13年12月1日付 亀谷 洋 (整形外科)
◎彦根中央病院
平成13年12月1日付 須山 嘉雄 (脳神経外科)
事務局より年末年始休みのお知らせ
平成13年12月29日(土)より平成14年1月6日(日)まで
平成14年度1月例会・新年懇親会
日時:平成14年1月17日(木)
例会 午後5時30分より
懇親会 午後6時より
場所:やす井
平成14年度2月例会
日時:平成14年2月25日(月) 午後2時より
場所:彦根医師会会議室
編集後記
古稀の随感をお願いした国井先生、また表彰を受けられお喜びの寄稿をお願いした奥野先生、若松先生にこの場をかりてお礼を申し上げます。ありがとうございました。予告になりますが、来年1月に“新年に思う”と題して会員の各先生に寄稿をお願いしたく予定していますのでよろしくお願い申し上げます。
岡田護、山下、三浦