大津祭りにて思うこと

〜この文章は月宮殿保存会が公募したものに寄稿した文です〜


 わたしにとって10月10日は特別の日である。物心がつく前(それが何歳なのかは、物心がついていない本人にはわからない)から父に連れられ、毎年大津祭りを見ていたらしい。以来、45歳になるこの年まで、曳き初め・宵山・巡行と一度もかかさず見続けている。
 わたしがこれほどまでに大津祭りが好きになったのは、父親の影響である。父は大正の末から戦争で祭りが中断するまでの間、西王母山の囃子方をしていた。そして父も相当な祭り好きであった。その父から常々祭りに関するいろんなエピソードを聞かされた。宵山の晩は柴屋町に繰り出し、祭り当日はそこから出勤(?)した話、東方朔の人形の衣装でいつも酒を飲んだ後の口を拭っていたことや、船をチャーターし酒を飲みながら囃子を奏で、浜大津から石山まで下った話など、今では考えられないような豪快な話に、幼心なりにロマンを感じ、胸をときめかせた。そうしているうちに知らず知らずの内に大津祭りにのめり込んでいってしまったのである。
 それほどまでに大津祭りが好きになれば、次は「山に乗りたい!」と思うのが自然のことである。父は「いずれ山町に家を買って住むようになったら乗せてやる」と言っていたが、おそらく頑固で意地っ張りな明治人間だった父は、囃子方のリーダーをしていた自分がかつての部下(こういう言い方はおかしいが、父はそう思っていたようだ)に対して自分の子どもを乗せるために頭を下げるのがイヤだったのだろう。そう言う父に、わたしは自分の口から乗せてほしいとは言い出すことはできなかった。結果、今日に至るまでわたしは外から大津祭りを見続け、そして愛し続けてきた。しかしたとえ外からでも大津祭りを愛する気持ちは、大津祭りに直接かかわっている人々のその思いにも決してひけをとらないつもりである。
 ところで毎年朝から晩まで祭りのおっかけをしていると、わたしと同じような人がたくさんいることがわかる。何年も前から毎年、曳き初めの日にも、宵山の日にも祭りの日にも必ず顔を合わせる人がいる。おそらく相手もわたしの顔を見て「こいつもまた来てるな」思っていることだろう。機会があればゆっくりと大津祭りについて語り合ってみたいなと思う。このごろでは顔を見ることで、おたがいの健康と無事を確認している自分に気がつく。生前の父が、祭りが終わると「来年もまた無事に祭りを見ることができるだろうか」とよく口にしていたが、わたし自身も年齢を重ねるにつれてその気持ちが少しわかるようになってきた。ことしも彼らのまた顔を見ることができるだろうか。
 大津祭りを始め、全国の曳き山祭りのルーツは京都祇園祭である。その祇園祭は観光行事として巨大化してしまい、祭りの当事者とそれを見る側のあいだに距離を感じるようになってしまった。それに比べて大津祭りでは、京都では見られなくなった粽投げによって、曳山の上と下との間に一体感が生じ、見る側も祭りに参加しているという共有感を持つことができるところがとてもいい。  そういいながら、実はわたしは縁あって京都祇園祭の大船鉾の囃子に参加させていただいている。大船鉾は幕末の禁門の変に際して被災し、今日まで復興できていない、いわゆる焼山(鉾)である。大船鉾の囃子は、その町の人々が、鉾の復興は無理でもせめて囃子だけででもお祭りに参加したいという熱意によって、3年前に復興したものである。大津でも、さまざまな事情があり難しいのは承知の上で言えば、幻の山と呼ばれる「神楽山」やかつて巡行に参加していた練り物の復興、また「しょうもん」の声をかけたり、辻での大回しなどがなんとか復活できないものかと思う。

 札の辻をまがった曳山が、西日をいっぱいに浴びて「流し」を囃しながら国道161号線を上りはじめると、大津祭りは大きなクライマックスを迎える。囃子方や曳山に携わる人々の異様な盛り上がりは、祭りのフィナーレが近いことを伺わせる。やがて夕闇の迫る寺町通りに出た曳山は「宵山」や「戻り山」で各自の町へと戻っていくのであるが、このときわたしには曳山そのものまでが囃子に合わせて踊っているように見えてしまう。フィナーレの盛り上がりの中に、祭りが終わってしまうことへの哀感を大津の街全体が感じているようだ。大津祭りの中でもこの札の辻から後の祭りの雰囲気を、わたしはとくに好きである。今やわたしはこのときの感動を得るために、祭りの日には早朝から大津の街に出かけていくのである。そしてすっかり日が暮れ、曳山がシートで覆われることでわたしの大津祭りの一日が終わるのである。
 今年も「特別な日」10月10日が近づいてきた。聞けば残念なことに来年から体育の日が移動することにより、大津祭りの日も動くそうである。そうなれば10月10日を「特別の日」と呼べるのは今年が最後となる。すこし寂しいが、今年も心ゆくまで大津祭りを満喫したい。