相応和尚伝3



この滝つぼ(三の滝)で不動明王を感得したと伝えられる。現在、滝つぼまで降りられない。マムシに注意。



相応と葛川息障明王院

貞観元年(八五九)、相応和尚が二十九才の時、比叡山無動寺を出て、更に幽深の山地に修験の地を求め、比良連峰に入った。当時の比良山には、いくつかの精舎(出家修行者が居住する寺院・僧院)が開かれていて、諸国の行者たちが集まり、常に修験の道に励む者が多かった。    
和尚は、比良山の西側、阿都川(現在の安曇川)の水源地区に探り入った。ここで、一深谷を発見して草庵を構え、生身不動明王の出現を祈念し続けた。七日目の満願の日、古い地主神である思古淵明神が、一老翁と化して現れ、「第三の霊瀑の霊地へ」との夢告を得る。相応はそこで、更に七日間、閉眼合掌、全ての飲食を絶って参籠に徹し、満願の日、瀑水のうちに火焔を帯びた不動明王の色身を感得した。この瞬間、生来の念願成就を果たした和尚は、思わず深い滝壺に飛び込み、不動明王の御体に抱きついたところ、それは一本の桂の古木であった。和尚は、その古材に一刀三礼の不動明王像を刻み、安置する小堂を建立した。これが明王院の起こりである。
 なお、無動寺の「聖の記」という書物には、霊木をもって三体の不動明王が彫られたとあり、その三体は、無動寺の明王堂、葛川息障明王院、叡山延暦寺の末寺で、修行道場でもあった湖東の伊崎寺にそれぞれ祀られているとある。
相応和尚は、延喜十八年(九一八)に入滅している。

参考文献 葛川明王院 叡山文化総合研究会編集