西暦 | 天皇 | 日本暦 | 中国暦 | 円 仁 誕 生 以 前 | 参考事項 |
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574 | 敏達 | 敏達3 | 陳太建6 | 日本、聖徳太子生れる | |
577 | 6 | 9 | 中国、南岳大師慧思入滅 | ||
597 | 推古 | 推古5 | 隋開皇17 | 中国、11月24日、天台智者大師入滅 | |
600 | 8 | 20 | 第1回遣隋使出発 | ||
607 | 15 | 大業3 | 聖徳太子、法隆寺創建 7月3日、第2回遣隋使出発。小野妹子ら派遣 | ||
608 | 16 | 4 | 9月11日、第4回遣隋使出発。小野妹子を大使とし、多数の学問僧・留学生を派遣。翌年9月、『法華経』などの仏典を携えて帰国 | ||
615 | 23 | 11 | 聖徳太子撰「三経義疏」完成 | ||
622 | 30 | 唐武徳5 | 聖徳太子寂す | ||
630 | 舒明 | 舒明2 | 貞観4 | 第1回遣唐使出発 | |
646 | 孝徳 | 大化2 | 20 | 大化改新詔 | |
688 | 持統 | 持統2 | 垂拱4 | 唐、鑑真、揚州江揚県に生れる | |
708 | 元明 | 和銅元 | 景竜2 | 鑑真、長安実際寺で、弘景より具足戒を受ける | |
710 | 3 | 景雲元 | 平城京遷都 | ||
742 | 聖武 | 天平14 | 天宝元 | 鑑真、栄叡・普照より日本渡航を求められ、聖徳太子の話を聞き、渡日を決意する | |
752 | 孝謙 | 天平勝宝4 | 11 | 東大寺大仏開眼 | |
753 | 5 | 12 | 鑑真、12月20日、6回目の渡航で、ようやく日本に到着。翌年入京 | ||
755 | 7 | 14 | 東大寺戒壇院建立 | ||
761 | 淳仁 | 天平宝字5 | 上元2 | 下野(栃木県)薬師寺・筑紫(福岡県)観世音寺に戒壇院を建立 | |
763 | 7 | 広徳元 | 5月6日、鑑真、唐招提寺に寂す | ||
766 | 称徳 | 天平神護2 | 代宗大暦元 | 最澄、近江国(滋賀県)滋賀郡に誕生(度牒) | |
771 | 光仁 | 宝亀2 | 6 | 円澄、武蔵国(埼玉県)に生れる | |
778 | 9 | 13 | 最澄、行表の弟子となる | ||
779 | 10 | 14 | 光定、伊予国(愛媛県)に生れる | ||
780 | 11 | 徳宗建中元 | 11月12日、最澄得度 | ||
781 | 桓武 | 天応元 | 2 | 義真、相模国(神奈川県)に生れる | 4月3日、桓武天皇即位 |
782 | 延暦元 | 3 | 唐、荊溪大師湛然寂す | ||
783 | 2 | 4 | 最澄、度牒を与えられる | ||
785 | 4 | 貞元元 | 最澄、4月6日に東大寺で具足戒を受ける 7月17日、比叡山に入る。『願文』を著す | 近江国分寺火災 | |
788 | 7 | 4 | 最澄、一乗止観院を創建し、自刻等身の薬師仏を安置する | 円澄、道忠に師事する |
西暦 | 天皇 | 日本暦 | 年齢 | 慈 覺 大 師 円 仁 事 蹟 | 参考事項 |
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794 | 桓武 | 延暦13 | 1 | 下野国(栃木県)都賀郡に生まれる。父は壬生公首麻呂、兄は秋主(熊倉系図) | 平安遷都。桓武天皇比叡山に行幸し、延暦寺初度供養会を行う |
796 | 15 | 3 | 円澄、最澄に入門 | ||
802 | 21 | 9 | 兄に従い経史・俗典を学ぶ。また、大慈寺広智菩薩に従って、仏教を学ぶ | 最澄、入唐請益僧となる | |
804 | 23 | 11 | 最澄・空海入唐 | ||
805 | 24 | 12 | 最澄帰朝し、灌頂を高雄山寺にて始めて修す。広円、灌頂を受く | ||
806 | 平城 | 大同元 | 13 | 1月、天台法華宗開宗 3月、桓武天皇崩御 5月、平城天皇即位 | |
808 | 3 | 15 | 広智に従って比叡山に登り、最澄に入門する | ||
809 | 嵯峨 | 4 | 16 | 4月、嵯峨天皇即位 | |
810 | 弘仁元 | 17 | 最澄に入門した説(三千院本慈覚大師伝) | 九月、藤原薬子の変起こる。 弘仁と改元 | |
813 | 4 | 20 | 12月、得度のテストに合格する | ||
814 | 5 | 21 | 正月、宮中金光明会に得度 | 円珍、讃岐国(香川県)に生れる | |
816 | 7 | 23 | 東大寺に具足戒を受ける。夏、大小2部の戒本の講義を受ける | 空海、高野山を開く | |
817 | 8 | 24 | 最澄の東国巡礼に隨行する。上野国(群馬県)緑野寺において、最澄より伝法灌頂を受ける 3月、大慈寺(栃木県)において、徳円とともに円頓菩薩戒を受ける | 最澄『照権実鏡』を著し『仏性抄』を破す 5月15日、最澄、広智に両部灌頂を授ける | |
818 | 9 | 25 | 7月27日、最澄、諸弟子に四種三昧を配し、円仁に常坐三昧を修行させる | 最澄、小乗戒を棄捨し、六条式・八条式を制す 最澄『守護国界章』を著す | |
819 | 10 | 26 | 最澄、四条式を制す | ||
820 | 11 | 27 | 最澄『顕戒論』を著す | ||
822 | 13 | 29 | 4月19日、最澄より一心三観の妙義を受ける(付法文) 6月4日、最澄入滅。11日、大乗戒壇勅許 | ||
823 | 淳和 | 14 | 30 | 4月14日、大乗円頓菩薩戒の授戒会に教授師を勤める。 嵯峨天皇は光定の戒牒を記す。この年、最澄の本願にもとづいて籠山行に入る | 延暦寺号勅許 淳和天皇即位(4月16日) |
824 | 天長元 | 31 | 九月、大講堂供養において右方讃衆となる | 義真、初代座主となる | |
827 | 4 | 34 | 5月、義真・円澄らとともに鐘一口を鋳造する | 延暦寺戒壇院建立 | |
828 | 5 | 35 | この年、籠山行を中止する。夏、法隆寺において『法華経』を講義する | 円珍、比叡山に登る | |
829 | 6 | 36 | 夏、四天王寺において『法華経』『仁王經』を講義する。 この年、関東・東北方面への巡礼を始める | 横川首楞厳院建立 | |
830 | 7 | 37 | 閏12月16日、広智、三種悉地の印信を徳円に付す | ||
831 | 8 | 38 | 9月15日、義真を屈して十種供養を遂げる | 相応、近江国に生れる | |
832 | 9 | 39 | 12月16日、伝燈満位を授けられる | ||
833 | 仁明 | 10 | 40 | この年、病気にかかり、横川の草庵に籠り、如法写経を修す(一説に天長6年、一説に天長8年) | 円珍、円頓受戒し籠山に入る 7月、義真寂す |
834 | 承和元 | 41 | 3月30日、西塔院供養において右方梵音衆となる | 円澄、第二代座主となる | |
835 | 2 | 42 | この年、入唐請益僧となる | 3月、空海寂す |
西暦 | 天皇 | 日本暦 | 中国暦 | 年齢 | 慈 覺 大 師 円 仁 事 蹟 | 参考事項 |
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836 | 仁明 | 3 | 文宗開成元 | 43 | 4月2日、「首楞厳院式」および「首楞厳院諸院預」を制定する 5月14日、遣唐使とともに難波から出発 7月2日、太宰府から出発したが、逆風のために漂廻し、太宰府にもどる |
法華三昧堂建立 10月、座主円澄寂す(一説に承和4年) |
837 | 4 | 2 | 44 | 7月22日、松浦郡旻楽埼を目指して太宰府から出発したが、再び逆風に遇ってもどる | 光定、四王院を建立 | |
838 | 5 | 3 | 45 | 6月13日、円行・円載・常曉らとともに太宰府
を出発し、唐へ向かう 7月2日、揚州海陵県白潮鎮桑田郷東梁豊村に上陸する。入唐 8月9日、揚州開元寺に住する 9月、遣唐副使小野篁が入唐しなかったことを聞く この年、長安から揚州に来ていた宗叡に悉曇を学ぶ |
7月、遣唐副使小野篁、渡航を拒否する 12月、小野篁、隠岐に配流される | |
839 | 6 | 4 | 46 | 閏正月19日、15才前後の頃、天台山で最澄に会ったことがあるという天台山禅林寺の敬文と会い、以後しばしば交際する この月、嵩山院の全雅から「金剛界諸尊儀軌」などを借りて書写する。また金剛界大法を授けられる 4月20日、『入唐求法目録』1巻を撰し、海州東海県の岸上に留まる。唐に留住する決意をする 6月16日、登州に着き、山東半島文登県清寧郷赤山村の赤山法華院に入る。 |
8月、遣唐大使藤原常嗣ら帰国する | |
840 | 7 | 5 | 47 | 2月19日、赤山法華院を出て登州府に向かう この間、赤山神に求法の本願が遂げられるように祈願し、帰国後に禅院を建立することを誓う 3月、登州府に着き、開元寺の僧伽和尚の堂内北壁に日本国使の願による西方浄土および補陀落浄土の画を見て、そこに書かれていた日本国使の人名を書き留める この月、登州から莱州・密州等を経て青州に至り竜興寺に住し、節度使判官の蕭慶中に面接する 4月、五台山に向い、劉使普通院などに宿る 5月1日、五台山に着く。竹林寺に入り、諸院を巡礼する。その後、大華厳寺に入り、志遠に会い最澄帰国後の日本天台のことを問われる 円載に託した延暦寺の『未決三十条』の「唐決」が天台山より届いているのを見る。その後、五台山の巡台を始め、中台・西台・北台・東台を巡礼し、大華厳寺にもどる 6月、大華厳寺において志遠・文鑒よりの受学を終わり、また天台の経疏など37巻の書写を完了する 7月、大華厳寺を発ち、金閣寺や南台を巡礼し、霊仙三蔵の遺跡を見る 8月22日、長安に到着。大興善寺西禅院に宿り、のち資聖寺に住する 10月18日、大興善寺元政より念誦法門を借りて書写し始める。また金剛界大法を学び、五瓶灌頂を受ける |
4月、藤原常嗣死去 7月、延暦寺別当右大臣藤原三守死去 12月、新羅人張宝高、使を遣わして方物を献じる | |
841 | 8 | 武宗会昌元 | 48 | 2月、金剛界曼荼羅を描き終わる。この月、元政より金剛界大法を受け終わり、伝法灌頂を授けられる 5月、金剛界九会曼荼羅を描き始める 5月3日、青竜寺の義真より胎蔵界大法・蘇悉地大法を受ける 8月、日本に帰るための書状を資聖寺を通じて功徳使に提出する。しかし拒否される | ||
842 | 9 | 2 | 49 | 2月、玄法寺の法全より胎蔵界大法を受け、大安
国寺の元簡より悉曇章を重ねて学ぶ 5月、天竺の宝月三蔵に悉曇を学ぶ。この月、円 載からの会昌元年12月18日付けの書状を受け 取る。遣唐使藤原常嗣死去のことなどを知る 10月、呪術などを用いたり、または前科のある 僧尼を還俗させ、財産を没収する勅命がでる 《会昌の破仏の開始》 |
5月15日、円珍、三種悉地の印信を徳円に受ける 7月、嵯峨上皇崩御 承和の変起こる | |
843 | 10 | 3 | 50 | 正月、諸寺の僧尼の還俗を命じる。円仁ら外国人
の僧呼出される。高官仇士良に慰問される 6月、仇士良没し、以後、長安京内は火災などで騒然となる 7月、弟子の惟暁、長安で死去する | 12月9日、円載の弟子仁好・順昌ら新羅人の張公靖らとともに長門国(山 口県)に帰着する | |
844 | 11 | 4 | 51 | 3月、武宗、仏法を憎み、経典を焚焼し、仏像を
破壊することを命令する 7月、円載の弟子の仁好が再び入唐するに際し、円仁・円載に朝廷は金二百小両を支給し、これを託する | この年、安恵、出羽国(秋田・山形県)の講師となる | |
845 | 12 | 5 | 52 | 5月15日、追放令により帰国させられることに
なり、長安を去る 6月、揚州に到着する。劉慎言に経論を預ける 7月、楚州・海州を経て密州に至る 8月、莱州を経て登州に至り、山東半島文登県で船を求めて帰国することを要請する。張詠、円仁を歓待する |
相応、比叡山に登る 比叡山の性海、円仁を救うため中国へ出発する | |
846 | 13 | 6 | 53 | 2月、従者の丁雄万を楚州に遣わし、劉慎言の家にある経典などを取りにやらせる 《5月、会昌の破仏止む》 6月、丁雄万、楚州より経典などを持ってくる 10月2日、円仁の弟子性海、揚州より来て円仁と会う。性海が日本からもたらした「太政官牒」「延暦寺牒」および大宰少弍小野恒柯の書状、勅施の黄金などを受け取る | 3月、武帝亡ず | |
847 | 14 | 宣宗大中元 | 54 | 閏3月12日、張詠が円仁帰国のために造らせた
船に乗れなくなり、船を探すため登州を発つ 6月5日、楚州に至る。乗船を予定していた金珍らの船は、すでに出帆しており、乳山に向うことになる。劉慎言と送別する 7月、乳山で金珍らの船に乗る 9月2日、山東半島赤山浦を出帆して帰国の途につく。同月19日、太宰府鴻臚館に入る 10月、官庫の絹綿を借りて、船上の44人に冬衣を支給する。太宰府に「太政官符」が届き、円仁らの入京を促したが、出発しないでいる 11月、比叡山の仲暁・慈叡・玄皎ら出迎えに来る。大宰少弍小野恒柯の入京に際し、藤原良房・伴善男・小野篁への書状を託す。この月から大山寺神社などに『金剛般若経』の帰国報恩の転読を始め、翌月初めに及ぶ 12月、門弟の南忠が到来する この月、『入唐新求聖教目録』を作成する |
正月、小野篁参議となる 7月8日、仁好、恵運等義空とともに帰国し、円載の表状を奉る 円仁帰国 |
西暦 | 天皇 | 日本暦 | 年齢 | 慈 覺 大 師 円 仁 事 蹟 | 参考事項 |
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848 | 仁明 | 嘉祥元 | 55 | 3月26日、性海・惟正等を率いて京都に帰り奏上す 比叡山に帰り師蹟を巡礼する 法華懴法を改伝する 6月15日、灌頂を行うことが認められる 6月27日、伝燈大法師位を授けられる 7月、内供奉十禅師に補任される 9月、首楞厳院の供養を行い、根本観音堂を建てる この年、常行三昧堂を建てる |
正月、藤原良房右大臣となる 2月、伴善男参議になる |
849 | 2 | 56 | 春、金剛界大曼荼羅を造る 4月、来る5月8日に灌頂を修したいことを奏聞する 5月、始めて灌頂を修し、三昧耶戒を受けた者は一千余人 | 5月、伴善男延暦寺に赴き灌頂を検校する | |
850 | 文徳 | 3 | 57 | 2月15日、仁明天皇の不予により仁寿殿で文殊八字法を修する 3月19日、清涼殿で7仏薬師法を修する 4月、熾盛光法を修すること、並びに惣持院を建立したいことを要請する 9月、惣持院に14僧を置くことが認められる 12月、延暦寺に金剛頂経および蘇悉地経業の年分度者2 人を加えることが勅許される。年分度者4人となる |
3月、仁明天皇崩御 遍昭出家し、円仁に師事する 4月、文徳天皇即位 6月22日、円珍、伝燈大法師位に叙す 11月、惟仁親王、皇太子に立つ |
851 | 仁寿元 | 58 | 8月、五台山念仏三昧法を始めて修す 9月15日、鎮国灌頂を始めて修す この年、仁王会の御前講師となり、また『金剛頂経疏』7巻を著す | 4月15日、円珍、入唐の勅を得て京を発つ | |
852 | 2 | 59 | 12月、参議小野篁死去 | ||
853 | 3 | 60 | 7月16日、初めて灌頂を内蔵寮において修す この年、惣持院の造営が始まる(一説に仁寿元年) | 8月、円珍入唐。天台山に入る | |
854 | 斉衡元 | 61 | 4月3日、天台座主に補任される 7月、浄土院廟供を始めて修す 11月、安恵・恵亮を三部大法阿闍梨とすることを奏請 し、「太政官符」によってこれが認められ三部大法の伝法 灌頂を授ける 11月24日、国清寺風の天台大師供を始めて修す |
4月3日、光定、延暦寺別当に補任される 4月、皇太夫人藤原順子を皇太后と称させる | |
855 | 2 | 62 | 5月、遍昭に菩薩戒を授ける この年、『蘇悉地経疏』7巻を著す | 5月、円珍長安に入る | |
856 | 3 | 63 | 3月21日、文徳天皇に両部灌頂を授け、同時に皇子の
時有(素延)・毎有(算延)らにも灌頂を授ける 7月16日、五台山竹林寺の風に習い、浄土院廟供を行う 9月、皇太子惟仁親王に灌頂を授ける。この時、藤原良 房・明子にも灌頂を授ける |
この年、相応受戒する 6月14日、265僧をして東西寺および延暦寺等14寺に請し、一切経 を読ましめる | |
857 | 天安元 | 64 | 2月、藤原良房太政大臣となる | ||
858 | 清和 | 2 | 65 | 3月、文徳天皇及び他の十余人に戒および灌頂を授ける 8月13日、四王院検校となる 11月、藤原良房より、清和天皇のために『寿命経』を弟 子僧が奉読するよう依頼される |
8月、文徳天皇崩御 8月10日、光定寂す 11月、惟仁親王即位して、清和天皇となる 12月、円珍帰国入京 |
859 | 貞観元 | 66 | この年、仁王会の御前講師となり、また清和天皇に菩薩大戒を授ける 正月、円珍が唐より将来した両部の曼荼羅像を見る 9月、園城寺供養会の導師を勤める |
正月、円珍『在唐記』を著す 円珍、園城寺長吏に補任される | |
860 | 2 | 67 | この年、安楽行品をもって法華三昧を伝える 3月7日、武蔵国の正税穀四百石、上野国の二百石を賜 り、両国において宿祷を行うことの詔を受ける 4月4日、初めて供仏舍利会を行なう 5月11日、淳和太后(正子内親王)に菩薩大戒を授ける 6月、『顕揚大戒論』8巻を著す 8月、重ねて淳和太后に菩薩大戒を授ける 閏10月、門弟の慈叡・承雲・性海・南忠を両部大法阿闍梨とすることを奏聞し、その後、両部大法灌頂を授ける。灌頂を行なった後、感謝の上奏文を書く この年、文殊楼を造るべきの上奏をし、特に造料を賜わる 詔を受ける | ||
861 | 3 | 68 | 6月、五条の太皇太后(藤原順子)に菩薩大戒を授けたとされる。この月、文殊菩薩像を造ると言われる 8月、淳和太后に三度び菩薩大戒を授ける 10月、五台山霊石を五方に埋め、文殊楼が建立落成する | ||
862 | 4 | 69 | 9月10日、惣持院の建立成る 11月20日、『諸位灌頂祕密目録』を承雲に授ける |
安恵、常済内供奉となる 円珍、十巻本『大日経義釈』を勘治する | |
863 | 5 | 70 | 10月、太政大臣藤原良房の染殿第において灌頂を修する。 当日、良房に代って高向公輔に五瓶灌頂を授ける。この月、熱病にかかる | 円珍、宗叡に両部大法を授ける | |
864 | 6 | 71 | 正月13日、諸弟子に遺誡し、遍昭に遺書を送り、宝幢院の常済に密印灌頂を授ける
14日、子刻(深夜12時)遷化 16日、延暦寺の北、天梯尾の中岳に葬られる |
2月、安恵、座主に補任される 10月、文殊楼会を比叡山に修す | |
865 | 7 | 後 | 8月11日、円仁の本願であった不断念仏が始行される | 相応、無動寺建立 | |
866 | 8 | 3 | 7月14日、遺言の千部『法華経』供養会が行われる。 法印大和尚位とともに慈覚大師の諡号が勅によって贈られ、最澄に伝教大師の諡号が贈られる | ||
868 | 10 | 5 | 4月、安恵寂す 6月、円珍、天台座主に勅任。24年間勤める |