比叡山メッセージ

A Message from Mount Hiei [English]


 一九八七年八月三日、四日、比叡山開創一千二百年を記念して、平和のために祈るべく「比叡山宗教サミット」に参集したわれわれ、世界の諸宗教の代表者は、世界平和に真摯な思いを寄せる宗教者および他のすべての人びとに対して、心からのメッセージを送りたいと思う。

 平和のために祈るべくわれわれがこの地に共なることは、一九八六年十月、諸宗教の指導者が集ったアッシジにおける世界平和祈願の日のあの開かれた精神をいまここに継承するものである。かの地に集った宗教指導者たちは、自らの宗教的伝統を忠実に守り、自らの信仰を貫きながら、しかも今日の悩める世界に対して、平和と人間の大義に献身しようとする宗教共通の決意を力強く証ししようとした。

 平和の願いは、いかなる宗教にとっても根本的なものであることをわれわれは認識し、かつ主張する。そもそも平和とは、単に戦争がないということではなく、人間どうしの睦み合う融和の状態、人類共同体の実現をいう。およそ正義や慈悲のないところに平和はない。かかる平和こそ、すべての宗教者によって誠実に希求されなくてはならない。

 われわれが祈るとき、われわれはまず平和の務めに相応しからぬことを認めざるをえない。そのゆえに、より忠実に献身しうるよう、自らの内面的革新をひたすら乞い求める。平和のために祈ることは、平和のために働くこと、そして平和のために苦しむことですらある。平和の大義に対する奉仕と犠牲は、さまざまなかたちや方法であらわされ、紛争の解決、核兵器および通常兵器の軍縮、開発、環境の保全、人権、難民への配慮、不正な社会制度の変革などに資する働きとして具現されるであろう。宗教者は、常に弱者の側に立つことを心がけねばならない。

 われわれの使命はあまりに大きく、われわれの力はあまりに小さい。それゆえわれわれは、まず祈りから始めなければならない。われわれを超えた大いなる力によってわれわれの真実の祈りは聴かれ、われわれの切なる願いは顧みられることをわれわれは認識し確信する。祈りや瞑想、さらに感謝を通して、われわれの心と思いは浄められ、ささやかなりとはいえ平和のために役立つものとならしめられるであろう。

 平和のために祈るべくここに集まったわれわれの営みが、世界の到るところで繰り返され、繰り拡げられ、全人類が渇望してやまないこの大いなる平和の賜物が、われわれの時代に与えられんことを切に析る。


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