天台宗最古の『宗要集』の成立形態


 

天台宗最古の『宗要集』の成立形態

                    藤平寛田

 『法華玄義』に「宗要」という語の用例が見られる。 「牽衣一角無縷而不來。故言宗要。」「悉皆被拂咸 是方便。非今經之宗要。」「略擧如此因果。以爲宗 要耳。」等である。これらは、五重玄義の「宗」の箇所 に見られる。「宗要」とは、『法華經』のみが佛の自行の 實因實果を表わし宗要として説いたものであるという。(1)  本稿においては、天台宗論義の「宗要」の類聚書である 『宗要集』について、入手し得た諸本を手懸かりに、その 樣々な相傳を分類整理し、『宗要集』の原初形態に迫る目 的で、調査したものである。 <1>  初めに、「宗要集」關係諸本を披見でき得たものに限っ て整理してみる。 『四夜傳』一卷 圓仁草書覺超記(傳全五) 僞撰か 『宗要九十算』一卷 良源(『天台霞標』第七篇卷一=佛                   全一二六)僞撰か 『廟上廟下』二卷 良源記(叡山文庫藏寫本) 僞撰か 『文殊樓決』(宗要深義集)一卷源信(佛全三三)僞撰か 『御廟決』(顯密二門鈔)二卷源信(佛全三二) 僞撰か 『枕雙紙』一卷 源信記(佛全三二)      僞撰か              (長保三年(一〇〇一)記) 『天台宗祕決要集』二卷忠尋撰(叡山文庫藏寫本)僞撰か          (保安二年(一一二一)撰。            正應三年(一二九〇)頃成立か) 『宗要鈔』(教相部)上卷のみ存(青蓮院藏寫本)             (建暦元年(一二一一)成立) 『宗要集私見聞』(小雙紙)四卷(叡山文庫藏寫本) 『宗要如影隨形抄』(宗要集)二卷(西教寺藏寫本) 『故有要』(紅葉惣録)一卷澄豪(日光天海蔵寫本) 『宗圓集』(不書傳)三卷(西教寺藏寫本) 『宗滿集』(宗滿集算題)六卷(西教寺藏寫本)           (文保元年(一三一七)以前成立) 『清澄寺大衆中』一卷日蓮(昭和定本第二)             (建治二年(一二七六)成立) 『政海類聚鈔』八十卷(叡山文庫藏寫本)            (永仁六年(一二九八)頃成立) 『日記』十六卷心賀談(叡山文庫藏寫本)            (正安四年(一三〇二)頃成立) 『宗要集聞書寶樹坊』十八卷頼増談(叡山文庫藏木版本)             (元應二年(一三二〇)成立) 『宗要白光』九卷惠鎭談(天全十八)             (元享元年(一三二一)成立) 『宗要集私聞書光樹坊』十七卷舜増談(叡山文庫藏木版本)             (暦應三年(一三四〇)成立) 『宗要集口傳鈔』二卷心榮談(叡山文庫藏寫本)             (延文元年(一三五六)成立) 『宗要集智晃抄』十卷(叡山文庫藏木版本)             (永和元年(一三七五)成立) 『宗要柏原案立』六卷貞舜撰(大正藏七四)          (應永二九年(一四二二)以前成立) 『宗要抄上之川』六卷信俊撰(天全六)             (長享元年(一四八七)成立) 『桾拾集』六卷定珍集(叡山文庫藏木版本)            (慶長三年(一五九八)頃成立)  以上の諸本の内で、『四夜傳』『宗要九十算』『廟上廟 下』『文殊樓決』『御廟決』『枕雙紙』『天台宗祕決要集』 などは、その成立が鎌倉時代末から南北朝時代初期とされ ている。(2)確認し得た中で、最も古い成立年時をもつのが『宗 要鈔』(青蓮院藏寫本)で、内題下に「建暦元年(一 二一一)始之」とあり、鎌倉時代初期に成立していること は、他の文獻を研究する上でも重要な位置にあると思われ る。その他『探題故實記』等の故實類聚は繁雜になるばか りなので省略した。(3) <2>  「宗要集」については、岩田教圓師、尾上寛仲師、尾崎 光尋師等の研究があり、(4)また近年、大久保良順先生が「天 台口傳法門の成立と文獻化」(5)の中で『宗圓集』と『宗滿集』 の成立等についての詳細な研究がある。  「宗要集」の傳承について、まず拔書整理すると、次下 の十八項目となった。この典據には六書を用いた。(A『宗 要集私見聞』。B『宗圓集』。C『宗要集智晃抄』。D『宗 要集口傳鈔』。E『宗要抄上之川』。F『桾拾集』) @基本となる「宗要集」には4本がある。 ABF  1宗眼集(未再治本、毘沙門堂流祕蔵)  2宗圓抄(再治本、惠心流相承)  3宗滿抄(再治本、檀那流相承)  4宗要集(流布本) A宗要は宗葉で、宗要の究極を紅葉と名く。 ABEF B宗要集を入れた箱を紅葉の箱という。 ABF C檀那には『宗滿集』、惠心には『宗圓集』 BF D宗要集の算題に4の不同がある。 CF  1禪門供奉の次第。第一には四教四門、第二には兼但帶   對の算とする次第。横川の一院に皆用いる。(E)  2無性有性の算を第一とする次第。近來不用。(E)  3北谷の次第。三惑同斷を初めとする。惠光院、竹林坊   に用いる。  4佛・菩薩・二乘・五味・雜・教の六篇に類聚されたも   の。 E慈惠大師一夏九旬に九十の算題を下す。 DE F惠心流には八十四算、檀那流には九十五算。 DE G惠心流八十四算の沙汰は、文殊樓の文殊と惠心僧都の一  夜夢中の問答による。 DE H宗要の算を立てるのに八十九十の不同がある。 E I宗要六部の次第に惠心・檀那の不同がある。 EF  檀那は、佛・菩薩・二乘・教相・五時・雜と列する。  惠心は、佛・五時・教相・二乘・菩薩・雜と列する。 J普通の次第は、佛・菩薩・二乘・五時・教相・雜と列す  る。これは、華臺房明慶が列した。 E K初め慈惠大師が横川定心房にて講談。(以下@) F L慈惠大師社頭において二百箇條を下す。惠心は八十二、  檀那は八十四條の篇目。後、寛印十條を加える。 F M惠心の六部の次第は多寶塔中相承という。 F N九十枝の草案を草續の本とも算續の本ともいい、横川の  經藏に收める。(=D−1・2) F O宗要に三箇度の相傳がある。 F P〔慈惠〕大師在世には、六部の類聚はなく、東陽以來に  部類を分けた。皇覺も同じであり、俊範も分けた。 F Q近代尊法院豎義において、義科に四箇の大事、宗要に三  箇の大事ということを探題が尋ねられた。 F  以上、「宗要集」および「宗要」に關連する概要を纏め てみた。その他にも、例えば『四夜傳』には「宗要九十算」 「宗要集」の語がみられ、(6)『枕雙紙』には「三箇條を宗要 の柱となす」とか「八十算」の語があり、さらに   先學四教四門ノ算。次ニ學五時ノ算。後ニ學自受用ノ   算。可開明一念三千ノ心地。(惠心全三卷五一二) とあって、四教四門−五時(兼但帶對)の次第(=D−1) がみられる。『天台宗祕決要集』には「宗要見聞」とか「宗 要」といった用例が見られる。 <3>  「宗要集」の異義について概觀してみた。多くの異義が 見られるが、本稿では、この内の一二について、触れるこ とにする。  第1に、「宗要九十算」の算題について。これは慈惠大 師と關連して語られることが通説となっている。けれども、 九十算の『天台霞標』所收の算題は、『宗要柏原案立』を 參考に收載されている(7)ので、順序次第やその論目もそのま ま古い形式を傳えているかどうか、信じ難い。そこで、諸 本の算題の順序を比較して見ることにした。  上記D〜Jを基礎に分類する。ただし算題の數は文獻に  よって皆異なるので(書目直後の()内數字は算題數)、  おおよそ相似しているものは、同一視した。比較對照表  は繁雑であるので省略した。 イ四教四門−住上壽命の次第のもの  『宗要集私見聞』(88)、『故有要(紅葉惣録)』(92)  『宗圓集』(90)、『宗要如影隨形抄』(92)  (四教四門−兼但帶對の次第のもの)(D−1)  『文殊樓決』(88)、?『廟上廟下』(72) ロ無性有性を第一とするもの(D−2)  (現在見当たらず) ハ三惑同斷を初めとするもの(D−3)  『宗要集私聞書光樹坊』(94)、『宗要集智晃抄』(94) ニ佛菩薩二乘五味雜教相の六部に類聚されたもの(D−4)  『宗要集聞書寶樹坊』(93)のことか? ホ佛菩薩二乘教相五時雜と列するもの(I檀那流)  『宗滿集』(96)、『宗要白光』(96)(8) ヘ佛五時教相二乘菩薩雜と列するもの(I惠心流)  (現在見当たらず。皇覺「宗要傳授口決」はこの次第)(9) ト佛菩薩二乘五時教相雜と列するもの(J普通の次第)  『宗要集聞書寶樹坊』(93) チ佛五時教相菩薩二乘雜と列するもの  『宗要九十算』(92)、『宗要柏原案立』(94) リその他  『御廟決』(90)  このように分類整理すると、「イ四教四門−住上壽命の 次第のもの」が古い形態を有しているかのようである。  この點については、『宗要鈔』(青蓮院藏)が參考にな る。『宗要鈔』は左記のような形態である。 <表紙>   自播磨大山寺寄進本也     宗要 教相部             青蓮藏 <扉> 宗要 教相部 <目次>   1四教四門事       2初住已上壽命事   3通教教主身相事     4兼但對帶事   5四教證據        6法華教主事   7前三教斷惑位有實人耶  8超次不同   9通教利鈍菩薩被接事   10後三教地位之事   11別教生身得忍      12涅槃四依事   13釋迦彌勒節一事     14宗意退羅漢耶   15通教利鈍菩薩出假事   16塵砂證據事   宗要鈔 上 建暦元年(一二一一)六月五日始之   問。四教四門説皆與實理相應耶   答。  語髣髴シテ意趣暗ニ難知皆與實理相應スト   可答申(以下略)  本書は、表紙・扉に「宗要 教相部」とあり、内題には 『宗要鈔』上とあり、建暦元年(一二一一)六月五日に始 められた宗要論義の聞書本のようである。奧書書寫年時等 は無く、上卷1冊のみ現存する寫本である。  内容は、「四教四門事」より「塵砂證據事」までの十六 論目であり、通途の問答往復の形式を取っている。『宗要 集私見聞』『宗圓集』『宗滿集』などで使われる口傳的表 現は見られない。また、「常義云」「講師答云」「師云」 「寶云」などが見られ、「私云」の注意書きが多く添えら れている。さらに、蓮實房・清朝法橋・慶増僧都・林和尚 ・寶地房法印・明慶といった人名がみられる。  寶地房證眞(一一三一〜一二二〇?)の『三大部私記』 には、諸師先徳の義科書が多數引用されている。(10)けれども、 宗要の類は見当たらないのである。『宗要鈔』は、證眞在 世中に始められていたことは確かであるから、「宗要集」 の原初は、本書より溯ることが考えられる。 <4>  第2には、先に擧げたJ「普通の次第は、佛菩薩二乘五 時教相雜と列する。これは、華臺房明慶が列した。」につ いて考察してみる。「普通の次第」という表現は不明瞭な 表現であるけれども、『宗要抄上三川』(『天台宗全書』 六、六上)には、   普通ノ次第ニ佛菩薩二乘五時教相雜ト列ル事ハ。正覺房ノ五   人ノ師ノ其ノ隨一タル華臺房明慶ト云人ノ列給也。 とあり、この華臺房明慶について、『天台座主記』には、 〈建永元年(一二〇六)〉(一四三頁)   座主權僧正承圓以阿闍梨朝縁前阿闍梨明慶申叙法   橋 〈承元二年(一二〇八)〉(一四四〜五頁)   四月廿八日百箇日參篭社頭。以二宮ノ彼岸所爲御   宿所。於大宮寶前被修法華八講。自同日於   十禪師ノ御輿屋毎日講讚ス法華經一卷。講僧三人撰   三塔修學ノ者。以三箇日爲其ノ一旬。日日相ヒ替リ   互ニ爲問者。互ニ爲講師。一旬ノ終頭互ニ爲講師。   一旬各々賜布施。口別ニ絹一疋ナリ。講師ノ 捧物ハ一   口ナリ。以證眞法印爲毎日證誠。毎一旬賜一重。   證眞寢疾ノ之間以明慶法橋爲證誠(以下略) とあって、明慶は建永元年(一二〇六)に法橋を叙せられ ており、承元二年(一二〇八)には、百箇日參篭の法華八 講が修せられ、證誠の證眞が病気で床についていた間は、 明慶が精義證誠を代行したとある。  三塔總學頭證眞に代って精義證誠したという事實は、明 慶の學識が廣く深いことの證左となり、宗要を六部に類聚 する資質が十分にあったとみることが出来る。  明慶の系譜を以下に列擧しよう。 『顯密宗系圖』(澁谷藏寫本) 探。寶地坊法印。惣學頭 證眞 聖雅已講 宗源(探題・證義)寶地坊法印 圓舜(探題)蓮華房僧都 純覺(探題) 嚴俊阿彌陀房僧都 宗嚴 明慶華臺坊法橋 證圓 永尊寶地房法印 隆眞佛頂坊法橋 『山門法流血脈』(澁谷藏寫本) 證眞 最範 永尊 隆眞 明慶 勝圓 尭仁 『天台法華宗惠心流師資血脈圖』(澁谷藏寫本)  探題。寶地房。寶地房大法印。惠檀兼學東塔東谷佛頂尾 花王院。  地藏菩薩ノ再誕 證眞 聖雅已講   惣學頭 圓舜(探題)蓮華房僧都 繼覺道場房 嚴俊阿彌陀房僧都 宗嚴 宗源(探題・證義)寶地房法印 永尊寶地房法印 隆眞佛頂房法橋 明慶華臺房法橋 忠尋 順耀 永心 覺什 賀祐 範源 良明 覺豪 澄豪 宗延 明慶 皇覺 範源 勝延 忠春 圓定 『日本大師先徳明匠記』(佛全一一一、二七九〜二八〇)  ○阿彌陀坊抄作字事  ○莖。 華臺坊明慶。 ○尊。 隆圓明慶圓能弟子也。  ○觀密。永心宗延明慶方相傳。 明慶は、證眞の弟子であり、忠尋−順耀−永心・宗延方の 人師である。正覺房についてみると、『山門法流血脈』で 正覺房とある勝圓は、『顯密宗系圖』での證圓であろう。 『顯宗家家應公請門流』(青蓮院藏寫本)では、證圓のと ころに「佛眼院流、正覺房阿闍梨」と添書きされている。  以上から『宗要抄上之川』に、「正覺房五人の師の其の 隨一たる華臺房明慶」が、普通の六部次第を配列した人師 として、紹介されていることは、決して架空の相傳ではな く、『宗要鈔』中に明慶の名前が見える事も、また矛盾は ない。  『宗要鈔』成立以前に、どのような「宗要集」が存在し たかは確定できない。けれども平安末から鎌倉初期には、 「宗要」の類聚文獻化が徐々に進められたようである。そ れを「普通の次第」にまとめたのは華臺房明慶である。  以上「宗要集」について、僅かにその一端の整理を試み たに過ぎない。しかも、「宗要集」に關連する問題は山積 みである。特に『宗要集私見聞』『宗圓集』『宗滿集』と 『宗要如影隨形抄』など口傳系文獻との關係などは、今後 の課題としたい。 キーワード 論義 宗要集 明慶 宗要鈔
(1)大正藏三三、六三八上。『望月佛教大辭典』9、三    七七〜九頁を參照。本文へ (2)『天台本覺論』日本思想体系9(一九七三年一月岩    波書店刊)。本文へ (3)『天台宗全書』二〇、三〇一〜三四八頁。本文へ (4)岩田教圓師「宗圓集宗滿集の研究」(『山家學報』    一、六一〜七〇頁)。    尾上寛仲師「宗滿集及び宗圓集について」(印佛研    究一八−二、二六〇〜五頁)。    尾崎光尋師『日本天台論義史の研究』昭和四六年十    月法華大会事務局刊。    清原惠光師「『義科廬談法華玄義』解題」(『續天    台宗全書』論草1)。本文へ (5)『本覺思想の源流と展開』一九九一年一月平樂寺刊。本文へ (6)『傳教大師全集』五卷一六一頁。一七八頁等。本文へ (7)「宗要九十算」には、(佛全一二六、二七六下)    宗要九十算者。慈慧大師所問也。今依柏原案立    録之。故寫貞舜法印之答而載其下 とある。本文へ (8)現在の『宗要白光』は、貞舜の手を經て佛・菩薩・    二乘・教相・五時・雜と分類されている。しかし、    原初形態は金澤文庫本で『宗要口筆抄』では、その    順序次第は確定できない。「二佛並出」には「仰せ    に云く。一流には宗要の算をば此の算に習極むと云    う義有る也。六帖の宗要には佛の帖は初也。(略)    此の一箇條は聖秀私に後日書き入れ了ぬ。」(『天    台宗全書』十八、七下)とあり、また「四教四門」    には「示云。此の事此の流には、宗要の算について、    次第生死を釋する事これ有るべし。その時此の算を    もって第一となす。此の算をもって諸算の大意と習    う也。」(同、一七一下)ともある。惠鎭(一二八    一〜一三五六)講談當初は明慶の次第通りであった    かどうか、更に研究する必要がある。惠心檀那兩流    の区別は後世のものかも知れない。『宗要白光』解    題を參照。『望月佛教大辭典』8、一一六下〜七下。本文へ (9)心賀談『一部目録』や『明傳鈔』を參照。また、拙    稿「惠心流心賀法印の口傳と論義の關係」(天台學    報三四、一一四〜一二九)を參照。本文へ (10)例を擧げると、「慈覺大師三身義」「攝州六即義」 「五大院即身成佛義」「志全内供十如是義」「大僧    正被接義」など多數みられる。本文へ

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