浅井の血筋

● 浅井の血筋

浅井夫人お市像
(高野山持明院像)

長政とお市は4人の子供を生んでいます。長男万福丸は落城の際、関ケ原で磔にされ、直系の男子は絶えますが、お市と3人の

姫は信長のもとへ送られます。絶世の美女と言われたお市は、信長が本能寺で明智光秀に討たれると、柴田勝家のもとに嫁ぎますが、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れた勝家とともに殉死します。
落城の際、17歳の茶々は、妹に「そなたたちは、名族近江浅井家の姫ぞ、見苦しき振舞があってはならぬ」とたしなめたといいます。
後に長女の茶々は豊臣秀吉の側室(淀殿)となり、秀頼を産みます。秀吉没後、秀頼のお袋さまとして大阪城に君臨し、権勢をふるいました。次女お初は、六万石の大津城の城主京極高次に嫁いでいます。三女おごうは徳川秀忠夫人となり、家光、忠長、千姫、東福門院(後水尾天皇中宮、明正天皇の母)等をうんでいます。長女千姫は、徳川一豊臣の架け橋として7歳で秀頼に嫁いでいます。
このように、何れも後世に名を遺しています。
後に心ならずもこの三姉妹は大坂の陣で東西の敵味方に別れることになります。そこには戦国の動乱の世に翻弄された女たちの宿命的な生き方が物語られているのです。
最近、千葉県市原市にある医光寺という寺で、浅井一族の合同位牌が発見されました。医光寺は旗本・三好家の菩提寺で、三好家が浅井家の後裔であることは間違いないようです。これまでお家断絶とされてきた浅井家の家系は、遠い下総の地で脈々と続いていたのです。


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