小谷寺

小谷山の麓に建立された真言宗豊山派の寺で、准四国八十八箇所第十四番札所、及び伊香三十三ヶ所番外札所並びに、近江湖北二十七名刹霊場十一番札所となっています。本山は西国三十三ヶ所第八番札所の、ボタン寺で有名な奈良の長谷寺です。
開山は、奈良時代の神亀5年(728年)、小谷山の山頂に六坊一山を建立されたのがこのお寺の始まりで、加賀の白山を開かれた泰澄大師が、白山から伊吹山まで山の峰々に修行道場を建てられたうちの一つが小谷寺です。

開山当時は妙法院常勝寺と言われていましたが、102代後花園天皇より如意輪山という勅額を与えられ、
それより如意輪山小谷寺と改名して勅願寺になっています。
その後、浅井家初代の浅井亮政が小谷山の上に小谷城を築き、寺領交換により小谷山東の麓の北谷に六坊一山全部が降りてきました。そして、浅井家の祈願寺として栄えたといわれています。現在北谷には、常勝寺跡の石碑が立っています。その後、小谷城落城の際に北谷にあったお寺も焼かれてしまいました。
消失20年後の文禄2年(1593年)六坊一山は元のように現在地に再建されました。再建に当たっては、浅井家の祈願時であったことから長政の遺児の3人の娘たち(茶々、お初、お江)の力添えがあったのではと推察されます。
明治時代の廃仏毀釈により、六坊全部がなくなってしまい現在では本堂と隣のお堂を残すだけとなってしまいました。
ご本尊の如意輪観音様は、身の丈22cm、金銅仏で半咖思惟像のお姿で、非常に綺麗な仏様です。現在はお厨子の中に安置されているためお姿を直接見ることはできませんが、写真が展示してあります。また、この厨子は非常に珍しい厨子で、木造ですが「岩造りの厨子」と言われ洞窟のようにできています。
小谷寺にはいくつかの宝物も所蔵されており、国の重要文化財に指定されている仏具工芸品の「孔雀文磐」は、鎌倉時代の弘長3年(1263年)作で、現在は大津市の琵琶湖博物館に展示されています。他には、町指定の重要文化財の「両界曼荼羅」があり、二つのお軸に胎造界、金剛界と、この世に居られるすべての仏様が描かれています。

 

(湖北町伊部高密照円78-0257)拝観料200円