歴史的所見・文化財


山本山城跡

近江高天原伝説のある山本山(325メ-トル)は、琵琶湖の東岸に沿って賤ヶ岳から南へ続く山系の南端に位置するちょうどお碗を伏せたような形の山ですが、その山頂の山本山城は湖北には珍しく、平安末期築城の古い歴史を持っています。

源義家の弟、新羅三郎義光の流れを汲む清和源氏の一族が近江を本拠地として十五代続き、『玉葉』には、治承四年(1180年)山本義経(義経二人説の一方として知られている)の本拠地を平知盛・資盛が攻撃したことが記されています。源氏の旗あげとともに、平家打倒の挙兵をし、木曽義仲の上洛を助けますが、義仲の滅亡とともに没落してしまいます。その後は歴史のながれに翻弄されるように、浅井氏の支城として阿閉氏の居城となり、木下藤吉郎に攻められて織田方となり、「山崎の合戦」時は明智方となり、その戦いに敗れると城は遂に落ち、廃城となります。

城跡へは麓からと、津里の宇賀神社から遊歩道が整備され、山頂まで歩いて約30分かかります。ここから眺める琵琶湖と竹生島はまさに絶景です。山上には、本丸、二の丸、三の丸、馬の蹴り跡等が残っており、本丸の土塁は高さ2メ-トルを超える大きさを持っています。
木曽義仲が植えたといわれる「見返りの松」や、麓の神社境内には、義経が平家追討出陣の際、鎧をかけ軍議を練ったと伝えられる「鎧かけの松」が往時をしのばせています。(右の写真)

 


常楽寺

山本山中腹にある真言宗泉湧寺(せんゆうじ)派の寺院で、草創は定かではありませんが、山本源氏山本判官義経が祈願所として崇敬していたと伝えられます。その後幾度か兵火にあいましたが、村人に守り伝えられ、明治初年氏神の社地より現在地に移されました。准四国三十三番札所で、薬師如来を本尊とし、密教調刻の面影を残した平安後期作の、絹本著色浬槃(ねはん)図(室町時代)南北朝時代の絹本著色不動明王像、毘沙門天立像、銅磬などがあります。


「鎧かけの松」

風景

山本山の山頂に着くと、眼下にはエメラルドグリーンの琵琶湖、尾上港、葛籠尾崎、竹生島、その彼方には比良山地や野坂山系が見える。南東には鈴鹿山脈や伊吹山、小谷山、長浜の街並みと視界が広く、すばらしい眺望だ。