私の旦那さま


 国王の義理の兄にして、王妃の養父。そして王姉の夫。
 公の場において、フィンは常に自らの立場をわきまえ、与えられた役割を果たしてきたが、心の奥底には、レンスターの臣下であるという思いが深く根づいている。妻に対して未だ敬語を用いるのが、その表れであった。
 夫に主家の姫君として扱われ続けていることを、アルテナは受け入れている。寂しさや物足りなさをまったく覚えないわけではないが、地位を得ても決して驕らない夫の人柄に、アルテナは不満を大きく上回る信頼と尊敬を抱いていたのだった。
 惚気まじりの妻の言葉に、フィンは赤い顔で沈黙を守ったが、彼の言葉遣いを槍玉に挙げた弟夫婦は、揃って小鳥のように囀った。
「お姉さま、お姉さまは、本当にそれでよろしいのですか?」
「フィンは戦場での読みには長けていますが、女性の心が分かる男ではありません。言葉がなくても通じあえるなどと考えていては、姉上がつらい思いをされますよ」
 セルフィナの表情を、フィンは唐突に思い浮かべた。近衛騎士を辞し、現在は孤児たちの母親代わりを務めている彼女には、ことあるごとに女性に冷たい、その心がまるで分かっていないと手厳しい評価を受けたものだ。実のところ、フィンは自分が女心の機微や女性の扱いに長けているなどと、一度として考えたことはない。リーフの口調は厳しいが、言っていることに間違いはなかった。言葉と態度で示してもらわなければ、フィンにはアルテナの心は分からないのだ。
「アルテナ様、リーフ様の仰るとおりです。このフィンには、アルテナ様のお心を見抜くような力はありません。私に至らぬ点があれば、どうか仰ってください」
「まずはその言葉遣いを。でも、あなたには難しいでしょうね。私たちが生まれる前から、あなたはレンスターの騎士だったのだから」
 アルテナは苦笑とも微笑とも判じがたい笑みを浮かべた。フィンは眩しげに目を細める。季節の花に彩られたレンスター城の中庭を、かつて快活な笑みとともに駆け回っていた小さな王女は実に可愛らしかったが、王族の一員として国を担う現在の彼女の顔は、凛とした美しさに満ちていた。
「私たちのことを心配してくれるのは嬉しいけれども、あなたたちはどうなの? ナンナは今でも、リーフに敬語を使っているのでしょう」
 問いかけとともに、アルテナは白磁の皿から焼き菓子を手に取った。幼い日を舌が覚えていたのか、蜂蜜や干した果物を生地にまぜたレンスター風の焼き菓子は、彼女の好物のひとつだ。義理の姉のために厨房に立ったナンナは、驚いたように目を見開く。彼女にとって、リーフに敬語を用いるのは、呼吸のように当たり前のことであったのだ。返答に窮したナンナを、夫が庇う。
「ナンナは王妃ですから。常に一歩退いて、私を立ててくれているのです。ですが本当は、言葉遣いなどどうだって良い」
 自らの立場を忘れたかのようなリーフの言葉に、フィンはわずかに眉をあげた。
「家族が私の名を呼んで、笑いかけてくれるだけで、私は心が安らぐのです。まだ小さかったナンナが、はじめて私の名前を呼んでくれた日のことを、私は昨日のことのように思い出せますよ」
 ナンナが頬を染めたのを認めて、リーフは慌てて表情を引きしめたが、その両眼には懐かしげな色が宿っていた。幼かった彼が、自分よりもさらに幼いナンナに名前を呼んでもらおうと手を尽くしていたことを思い出して、フィンは口元をほころばせる。その頬に、妻の手が触れた。
「あなた。いま、リーフたちが小さかったころのことを思いだしているでしょう」
 夫と弟夫婦の驚きの表情を受けて、アルテナは微笑む。フィンの鼻先で、焼き菓子の甘い香りが漂った。
「昔のことを話すとき、フィンはこんな顔をするのよ。懐かしそうな、穏やかな顔を」
 妻から指摘されたことに、フィン自身はまったく気づいていなかった。かけがえのない人と故郷を失い、レンスター再興のために戦い抜いた日々は、彼の心身に深い傷跡を残したが、その痛みと苦しみは時を経るにつれて薄れていたのだった。主君や友人、そして妻と積み重ねた穏やかな時間が、フィンの表情を変えていたのかもしれない。アルテナの言葉を確かめるかのように、フィンは自身の顎に触れた。
「姉上がうらやましいな」
 妻子ある身とは思えないほどに、リーフの呟きは子どもじみていた。
「顔を見れば、フィンの考えていることが分かるなんて」
「それは、夫婦ですもの」
 やや誇らしげに、アルテナは笑った。フィンの些細な表情の変化や心の動きをアルテナが察してくれるのは、フィンが彼女に心をさらけ出し、委ねている証なのだろう。夫婦という言葉がフィンの胸をくすぐったが、それは不快なものではなかった。
「ですが私には、ナンナの考えていることならば分かります。ナンナはいま、お茶のお代わりを用意しようと思っている。そうだろう?」
 リーフは体ごと妻に向き直った。ナンナが先ほどから、四人分の茶器にさりげなく目を配っていたことにフィンは思い至る。彼女は幼いころから、細やかな気遣いのできる娘だった。持ち前の聡明さと優しさで、彼女はいま、家族を支えているのだろう。
「こんな風に気を利かせてくれるナンナは、妻としても母としても王妃としても、とても素晴らしい女性です」
 夫の力強い口調と眼差しから逃れるようにナンナは立ちあがり、新たな茶の準備をはじめた。心なしか、頬が赤いように見える。若い夫婦の従兄たちを思い浮かべて、フィンは軽く肩をすくめた。
 グランベルの国王セリスはリーフの、アグストリアの王であるアレスはナンナの従兄にあたる。解放戦争をともに戦った彼らとの親交は公私ともに深いが、男たちには他愛のないことで張りあい、競いあう癖があった。力比べや飲み比べは、解放軍では若気の至り、あるいは宴の余興として受け入れられたが、自分の愛する女性がいかに素晴らしいかという恋人自慢、妻自慢は、女性に評判が悪かった。悪気がないのは分かっているが恥ずかしくてたまらないと、フィンはナンナに愚痴をこぼされたことがある。
 周囲の苦笑をものともせず、宴の席でセリスやアレスに向けた表情を、リーフは実の姉に向けている。その意味をフィンが考えるよりも早く、アルテナの唇が緩く弧を描いた。
「フィンだって、どこに出しても恥ずかしくない素敵なひとよ。勇敢な騎士で、魅力のある男性。そして、優しい夫」
「未だ姉上に敬語を使っていても?」
「あなたはさっき、言葉遣いなどどうでも良いと、そう言わなかったかしら?」
 フィンはアルテナとリーフの顔を見比べた。勝負を挑む弟と、受けて立つ姉。その眼差しは剣や槍の手合わせを思わせたが、険悪さは欠片もなく、どこか楽しげに感じられた。
 幼くして生き別れたアルテナとリーフには、いわゆるきょうだい喧嘩の経験がない。過去に戦や政治の場において交わされた議論は、公人としての立場の違いからもたらされたものであり、姉弟の諍いとはまったく別のものだ。その二人が、他人が見ればつまらないことで張り合い、子どものように感情を露にしている。姉と弟を隔てた長い時は、やはり時によって埋められつつあるのだ。軽口を叩く妻と義理の弟を、フィンは柔らかな表情で見守った。
「ナンナは菓子だけでなく、料理はどれも得意です。おかげで私たちには好き嫌いがありませんよ」
「フィンだって、私のために夜食を作ってくれたことがあるわ。それに、近ごろは城の花壇で花や薬草を育てているのよ」
 右手でフィンは顔を覆った。その耳に、夫自慢と妻自慢が立て続けに飛びこんでくる。そばに人の気配を感じて顔を上げれば、赤い顔のナンナが立っていた。新たな茶を注ぐ彼女の耳もとに、フィンは顔を寄せる。姉と弟は、二人のやりとりに気づいていないようだった。
「前に、リーフ様の恋人自慢が恥ずかしいと言っていただろう。確かにこれは……恥ずかしいな」
「お分かりいただけました?」
 少し照れたように、ナンナは笑った。


 この話は、サイト開設十周年企画で、橘するめさんからいただいたリクエスト
「FEorトラ7のフィンとアルテナ。リーフとナンナvsフィンとアルテナのようなシチュエーション
(たとえば彼女or彼氏自慢等)」をもとに書いたものです。
 リーフvsフィンは、フィンの性格からして難しいですし、アルテナvsナンナも仲が良さそうで小姑という感じもしません。
そこでアルテナとリーフに対決してもらうことにしました。
 異なる環境で育った姉と弟に、一般的な「きょうだい喧嘩」をしてもらいたかったこともありますが、
それが配偶者自慢になったのは、レンスターのお国柄です。
 マイ設定では、フィンが三年の旅を終えてアルテナと結婚した時点で、リーフとナンナには息子がいます。

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