「あのね。おみやげ、ください!」 やや緊張しているアルテナの隣で、フィンは思わず吹き出しそうになった。露店の女主人は明らかに笑いをこらえている。アルテナは、お土産という名の品物が、店先に売られているものと思ったようだ。 緋色の敷物には、金属や石を使った細工物が十ばかり並べられていた。昼のうちに、ほとんどの品が売れてしまったらしい。エッダ教会の鐘が夕刻を知らせたのを機に、左隣では髭を生やした行商人が店じまいを始めていた。 「はいはい。お土産は、誰にあげるの?」 「えっとね、ちちうえとははうえ」 アルテナは、両親を呼ぶ言葉を他に知らないのだった。中年の女主人は、アルテナの言葉に驚いたようだが、すぐに愛想のよい表情に戻った。 「難しい言葉を知っているね。お土産は、お嬢ちゃんが気に入ったものを選ぶといい。きっと喜んでもらえるよ」 女主人は、商人の顔でアルテナとフィンを交互に眺めている。二人を名家の令嬢とその従者だと察したのだろう。間違ってはいないが、まさかアルテナが一国の王女だとまでは考えまい。フィンは店主の動きに気を配りながら、丸い耳飾りを手に取るアルテナを黙って見守った。 「これがいい!」 アルテナが選んだ品は、表面に花の図柄が彫りこまれており、内側に布を張った木箱に収められていた。店先に並ぶ残り少ない商品のなかで、両親への土産に適したものは、それだけであった。 「ありがとうよ。ご両親もきっと喜ぶだろうね」 女商人は丸い顔に笑みを広げ、剣が一本買えるほどの値段をフィンに示した。施された細工の見事さを考えれば、高いものではない。しかし、子どもの土産にはためらわれる価格だった。 「朝は五千ゴールドの値が付いていたんだ。これよりも安くしたら、商売にならないね。せっかくのお祭りなんだ。お兄ちゃん、買っておやりよ」 倍以上の年齢と豊かな商いの経験を持った女商人の巧みな話術に、フィンがかなうはずがない。たたみかけるように放たれた一言が、勝敗を決した。 「お兄ちゃん、まさか駄目だなんて言わないだろうね。お嬢ちゃんは、これが気に入っているんだろう?」 アルテナは、騎士と女商人の会話を不思議そうな表情で聞いていたが、水を向けられるとフィンの袖を握った。 「かうの、だめ?」 フィンを信頼しきった大地の瞳に、わずかばかりの不安が宿っている。アルテナは木箱とフィンを交互に見比べると、首を傾げた。 「いえ、駄目ではありませんよ。買いましょう」 狙いどおりとでも言いたげな女商人の笑みが少し癪に障ったが、フィンは結局、示された金額を受け入れた。 「ありがとう、フィン!」 感謝の言葉とともに、アルテナはフィンの右腕に抱きついた。フィンはどういたしましてと答えながら、アルテナの頭を撫でる。フィン殿は王女に甘いとアルテナの乳母に叱られる理由が、何となく分かったような気がした。アルテナは、父親の瞳でフィンを見つめ、母親の唇で話しかける。そこに子どもの持つ愛らしさが加われば、フィンが逆らえるはずがないのだった。 「はい、おかね」 フィンから受け取った銀貨を、アルテナは一枚ずつ女商人に手渡した。その仕草を好ましく思ったのだろうか、女商人は釣銭を握らせたアルテナの手に、細い鎖の輪を巻きつけた。銀の鎖には、同じ色の小さな鈴がぶら下がっていた。 「おまけだよ。店じまいの前に儲けさせてくれたからね」 「おまけ?」 アルテナは考えこむような表情で、フィンの前に右手を突き出した。鈴をもらった喜びと、知らない言葉への疑問が、幼い心を二つに分けているようだ。 「お土産を買ったから、お店の人がお礼にくれるのです」 「そうなんだ。おまけ、ありがとう」 アルテナは利発な子だ。おまけの意味を理解して、店の人に礼が言える。一人頷くフィンの胸に、親ばかに似た思いが湧いた。 「お嬢ちゃん、お兄ちゃん、次は秋の収穫祭のときにおいで」 「うん。すず、ありがとうね」 女商人から受け取った箱を左腕に抱え、右腕にアルテナを抱いて、フィンは露店を離れた。家路につく人々と夜の町に流れこむ人々が混ざりあう街路で、アルテナの鈴が揺れる。小さなおまけをアルテナはたいそう気に入ったようで、城に戻る道すがら鈴を鳴らし続けていた。 そして、銀色の鈴を気に入ったのは、アルテナだけではなかった。子ども部屋に顔を出したエスリンの腕のなかで、リーフが興味を示したのである。目は閉ざされていたが、小さな顔は確かに銀色の鈴に向けられていた。 「きれいな音ね。アルテナ、もっと鳴らしてちょうだい」 息子の様子に気づいたエスリンが、フィンに向かって右目を瞑ってみせた。小さく頷いたフィンが調子を合わせる。 「ええ、いい音です。アルテナ様、もう一度聞かせてくださいますか?」 「うん、いいよ」 笑って頷くと、アルテナは鈴を鳴らした。右手首だけではなく、腕や足も動かしているのは、昼間に見た踊り子を真似ているのかもしれない。銀の鈴は、暖炉の炎を受けて星のように輝いた。 「あら」 リーフの両目が細く開かれて、姉の姿を正面から映していた。琥珀色の輝きに驚いたように、アルテナは動きを止める。鈴の音が聞こえなくなった途端、リーフは抗議するように唸り声をあげた。 「リーフが目を開けたわ。きっと、アルテナの鈴が見たかったのね」 慈愛の笑みという言葉を、フィンは不意に思い出した。アルテナの右手を握るエスリンの表情は、まさにそれであった。 母がつないだ娘の手を上下に動かすと、鈴が揺れて音を立てた。軽い音、重い音、澄んだ音、濁った音、高い音、低い音。小さな一つの鈴から生まれた音の連なりは、やがて一つの旋律を作り出した。 アルテナは機嫌よく笑い、歌までうたっている。そして、エスリンとフィンの見ている前で、アルテナの左手がリーフに差し伸ばされ、指をリーフの小さな手が握った。 「リーフのて、あったかい」 その何げない言葉が大人たちの心に虹を架けたことに、アルテナは気づいていない。子どもたちを抱き寄せるエスリンと、それを見つめるフィンの目に、それぞれ熱いものがこみあげていた。 祭りの日、アルテナは「お姉ちゃん」になった。 夜になって執務から解放されたキュアンを出迎えたのは、笑顔の妻と忠実な部下、そして母の膝で寝息を立てる娘だった。 「どうしたんだ、アルテナは」 いつもならば、居間ではなく寝室にいる時刻である。娘を起こさないように、キュアンは静かに長椅子に腰掛けた。長卓に酒瓶やチーズとともに置かれた木箱が、自然に彼の視界に入る。 「町で買ったおみやげですって。アルテナね、あなたに開けてもらうんだって、がんばって起きていたのだけれども」 「やはりアルテナは優しい子だな。本当に買ってきてくれたのか。何を買ってきたんだ?」 フィンは曖昧に微笑んで答えない。決して箱の中身を教えてはいけないと、アルテナに強く言われていたのである。それを聞いていたエスリンが、蓋を開けるように夫に勧めた。 箱に収められていたのは、一対の硝石の酒杯だった。表面に三色菫が彫りこまれ、銀の縁取りが施されている。青い杯を箱から取り出して、キュアンは蝋燭の灯にかざした。 「よくできているな。いい品だ」 「さっそく、使いましょうか?」 酒杯は、工芸品に造詣が深いキュアンの目にかなったようだ。エスリンが赤い杯の三色菫を指でなぞりながら尋ねる。 「そうだな。せっかくだから使わせてもらおう」 用意されていた杯を長卓の端に置いて、キュアンは青と赤の酒杯に葡萄酒を注ぎ入れた。皿のチーズをつまむ隣で、アルテナが寝返りをうった。 「アルテナ。素敵なおみやげをありがとう」 父が耳元で囁いた言葉は、夢の国のアルテナに届いただろうか。アルテナは穏やかな寝顔で、母の寝間着の裾を握っていた。 「アルテナ様、手を放してください。寝室に行きますよ」 アルテナを起こすつもりはなかったが、フィンは小声で呼びかけた。伸ばした腕をキュアンが制する。 「後で構わないさ。お前には、聞きたいことがたくさんあるからな」 「そうよ。お祭りのこと、聞かせてちょうだい」 子どもたちを前にしたキュアンとエスリンの幸福そうな表情が、フィンは好きだった。日中アルテナを抱き続けた腕の重い痺れが、彼らの笑顔を見ているだけで和らぐ気がする。 「今日はご苦労だったな。飲むといい」 キュアンが葡萄酒を注いだ杯を、フィンの前に置いた。仕事のあとの一杯の酒は、疲れを心地よいものに変え、体の中で熱く燃えて消えていった。 後日、夜に居間で父を待っていれば母を独り占めできることを知ったアルテナの夜更かしに、フィンは頭を抱えることになる。 |