そして、報いと望みを


「どうすれば私たちは、あなたの手に報いることができるのかしらね」
 アルテナの真剣な面持ちとその呟きを、フィンは左手を包んだ温もりとともに覚えている。
 出撃の二日前に、フィンはシアルフィ城の練兵場でアルテナと槍を合わせた。トラキアの竜騎士として訓練を重ねてきた彼女の槍さばきの奥に、キュアンやリーフに通じるもの、言い換えればノヴァの血筋とも呼べるものを見出して、彼は密かに胸を震わせたものである。
 ノヴァの願ったトラキア半島の統一は、彼女の血と志を受け継いだ王子のもとで果たされようとしている。レンスター再興とトラキア統一を掲げてリーフが兵を興す前から、フィンは年若い主君を命がけで守り、戦い抜いてきた。その功績をリーフは高く評価しており、セリス皇子と戦後の論功行賞について論じた際に、自身の与えうる地位と財貨すべてをもってしても、フィンに報いるにはまだ足りないのだと言い切ったものだが、それを実行に移されれば、国は誕生を前に立ち行かなくなってしまう。フィンが主に求めるのは、臣下の働きに応じた公正な恩賞であり、正直なところ爵位や領地にこだわりはなかった。
 まして、アルテナから恩賞やそれに代わるものを受け取る理由はない。それらを受ける資格があるのは、南の人間、ハンニバルやエダをはじめとする、旧トラキア王家に仕えた人々だけだ。フィンが彼女のために働くことができたのは、守役として仕えていた短い期間と、解放軍で再会を果たしてから今日に至るまでのわずかなひと時に過ぎない。将来のレンスターの統治者である弟のリーフを差し置いてまで、アルテナがフィンに褒美を与える必要はないのだ。
 遠い日のアルテナは、何かと理由をつけてはフィンに菓子や花を差し出していたものだ。臣下への恩賞と呼ぶにはささやかな、しかし幼い善意と好意に満ちた贈り物。彼女の家族や乳母に囲まれた、ままごとの延長のような光景の中で、少年騎士の手がためらいを帯びたことは、一度としてなかった。
 人の上に立つ者としての心構えとして、尽くしてくれた人々への感謝を常に忘れてはならないとリーフに説いたのは他ならぬフィン自身だ。幼かったアルテナにも、彼女にわかるように言い聞かせた記憶がある。リーフとアルテナは、彼に教わったことを目に見える形で実行に移そうとしているに過ぎないのに、フィンは自分と主君の双方に理由をつけて、それらを拒んでいるのだ。健やかに成長した主君に比べ、自分の心はひねくれ、そして磨り減ってしまっている。生きるために必要な食事や眠りにさえも、フィンはもはや多くを求めてはいなかった。
「貴様の無欲さは、もはや騎士の美徳を越えているな」
 グレイドの呟きは、フィンへの賞賛と呆れと気づかいが入り混じっていたように思う。逆に望むものを尋ねれば、至極真面目な顔つきとともに平和な国という答えが返ってきた。
「では、無欲なのは私だけではないだろう。欲がないのは、グレイドも同じだ」
「いいや、違う」
 望むものを得るために、国は平和でなければならないのだと、友人は言った。
「俺は、子どもが欲しい」
 できることならば、ドリアス卿には孫の顔を見ていただきたかった。穏やかに言葉を紡ぎながら、グレイドはわずかに照れた少年のような表情を浮かべた。
 アルスターを逃れた日から、多くの苦難を共に乗り越えてきたグレイドとセルフィナが結ばれたことに、フィンの驚きはない。伯爵家を存続させるために、優れた騎士を婿養子として迎え入れるというドリアス卿の意向を、セルフィナは幼いながら受け入れており、父と同じくらいに立派な騎士に嫁ぐのだと頬を染めて語っていたものだ。そんな彼女を優しげな眼差しで見つめていたグレイドの実直さと槍の腕を高く評価していたドリアス卿が、二人の結婚に異を唱えるはずがなかった。
 レンスターに生涯を捧げた隻腕の騎士の願いであった戦乱の終結と祖国の復興に力を尽くす一方で、グレイドとセルフィナは互いを支え、慈しみ、やがては子を授かるだろう。伴侶や家族、愛する者の存在は、人に力を与える。個人の幸福は、騎士の務めを妨げるものではないのだ。
 自らの幸福を、国と主君のために犠牲にしたという思いはフィンには微塵もない。苦難の日々のなか、リーフの成長をつぶさに見届けることができたのは、臣下としてこの上ない喜びだと思っている。しかしフィンは、亡きキュアンとエスリンにこそ、親としてリーフを見守り、導いてもらいたかった。
 主君の死と祖国の滅亡は、今もなおフィンの心身に深い爪跡を残している。かけがえのないものを失った悲しみさえも、人は生きるための力に変えることができるが、かけがえのないものを守り救う手立てが存在したのではないかという疑問と後悔は、長く重く胸の奥に残るのだ。
 アルテナはまだ間に合うかもしれない。口には出さないものの、彼女がアリオーンの行方を案じていることを、フィンは知っている。解放軍と帝国軍の戦いに未だ決着がついていないように、兄妹として育った二人にも、敵対する以外の道が残されているはずだ。いにしえの時代、ノヴァは兄ダインと断絶し、嘆きのうちに生涯を閉じたが、その悲劇をアルテナが繰り返す必要はない。
 幼くして両親に先立たれた王家の姉弟、イード砂漠に消えたノディオンの姫から託された義理の娘、騎士団再興に力を尽くした友人。時代の流れに翻弄されてきた近しい人々が傷つき、打ちのめされる姿を、フィンは見たくはなかった。
 過去に多くを失ってもなお、フィンにはまだ守りたいものが残されている。かけがえのないものを二度と失いたくはないという思いこそが、彼の願い、心からの望みだった。
 出陣を告げる角笛が、シアルフィ城の中庭に響く。薄暗い天を裂くように舞いあがる飛竜の姿を、フィンは兜の面頬を上げて見送った。


 「真夜中の偶然」から派生したフィンの話です。
欲しいものを聞かれても、すぐには答えられないけれども、失いたくないものはたくさんある。
そんな彼の内面を書きたかったのですが。どこか暗い雰囲気の話になりました。

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