グランベル軍の到着は、ハイライン軍優勢の戦況を一気に覆した。
 グランベル軍参戦の急報に浮足立つハイライン軍は、シグルドとキュアンに率いられた騎馬部隊に右側面を突き崩され、援軍の到着で士気を取り戻したノディオン軍の突撃を正面に受けた。騎士の国アグストリアの一翼を担うハイライン軍は、決して弱兵ではないが、グランベル、ノディオン両軍の挟撃に抗しきれず、グランベル軍が到着した日の夕刻までに兵力の半数を失った。
 戦いの趨勢は定まった。シグルドはハイライン軍に降伏を呼びかけたが、ハイラインの王子エリオットは申し出を退けただけでなく、逆にグランベル軍とシグルドを罵り、使者を剣で脅した。周囲の部下が制止していなければ、使者は死体となってグランベルの陣営に戻っていただろう。
 敵軍の使者には礼を尽くし、危害を加えてはならないのが騎士の作法である。それを無視した行いに、グランベル軍内だけではなく、合流を果たしたノディオン軍からも怒りの声があがり、シグルドは戦闘の続行とハイライン城の制圧を決断した。
 軍議を終えて天幕を出ると、日は既に落ちており、空の色は濃さを増しつつあった。篝火の爆ぜる音が鎮魂の祈りをかき消し、橙の光がノイッシュの顔を照らした。
「しかしまあ、どうしようもない王子様だな」
 アレクの呟きには皮肉がこもっている。彼の言う「王子様」が、ハイラインのエリオットであることは疑いなかった。
「まったく、騎士の風上にもおけない男だ」
 相槌をうつノイッシュの声にも、自然と力が入る。いたずらに兵を死地に追いやり、非武装の人間に剣を向けるような男に、彼はわずかな好意も持つことができなかった。
 エリオットがノディオンに攻めのぼったのは、留守を預かるラケシス姫を手に入れるためであったという。彼は、ラケシスが投降すれば攻撃を中止するとノディオン軍に呼びかける一方で、配下のハイライン軍にはラケシスを必ず生かして捕らえるようにと命じていた。だが、それは愛情からの行動ではない。ラケシスに二度に渡る求婚を退けられ、エルトシャンにエバンス城攻略を阻まれたエリオットは、ノディオンの国王兄妹を深く憎んでいたのだ。ラケシスの身柄にこだわったのは、自身の手でラケシスを辱めるためだろうと、彼を知るノディオンの騎士たちは口を揃えた。
「戦況も読めないようでは、エリオット王子は先が見えている。ハイラインは後継者に恵まれなかったな」
 頷いたノイッシュの脇を、ノディオンの伝令兵が走り抜けていく。勢いのよい足音が何となく気になって振り返ると、シグルドの天幕に飛びこむ後ろ姿が見えた。
「何かあったのだろうか」
 咄嗟に、夜襲の文字がノイッシュの頭に閃いた。頷きを交わしあうと、二人は軍議を終えたばかりの天幕に引き返した。
 兵士は、ハイライン軍の襲撃を知らせるために走って来たのではなかった。ノディオンのラケシス姫が、シグルド公子に会見を求めているという。シグルドはその申し出を受け入れ、ノイッシュをはじめとする配下の騎士は、慌ただしく出迎えの準備にあたった。
 やがて月が藍色に染まった空に光を投げかけるころ、二頭の白馬に引かれた馬車がシグルドの陣営に現れた。騎士たちの長い列が作った一筋の道を、ノディオン王家の馬車は音を立てて進んでいく。馬を操る年老いた御者の声が、冷えた空気を震わせた。
 シグルドが馬を降りて馬車の扉を開けると、ノディオンの騎士たちから低い囁きがもれた。馬車を降りた女性がラケシス姫だろう。顔立ちは整っているが、エルトシャンにはあまり似ていない。それがノイッシュの感想だった。
「グランベル王国とシグルド公子におかれましては、救援の要請にお応えくださいましたこと、このラケシス謹んで御礼申し上げます」
「ラケシス姫こそ、息災で何よりだった」
 礼法の手本のような挨拶に続いて、グランベル、ノディオン両国の方針が確認された。まずノディオンは、盟主国アグスティに対し、国王エルトシャンの解放とグランベルへの軍事行動の中止を求める。聞き入れられぬ場合は、武力の行使も辞さぬ。そしてグランベルは、ノディオンを支援する。
「我らノディオンは、アグスティに背くのではありません。アグスティの過ちを正すのです。真にアグストリア諸公連合の採るべき道は、グランベルとの敵対ではなく、友好なのです」
 穏やかで落ち着いた声で、ラケシスは語りかける。背の高い騎士たちを見上げる顔に、脅えや虚勢はない。
「ここにおられるシグルド公子は、グランベル王国の代表として、我らに賛同してくださいました。私は彼らの尽力に深く感謝し、アグストリア諸公連合とグランベル王国が、一日も早く、亡きイムカ陛下が築かれた関係を取り戻すことを切に望みます。我らに勝利を!」
 腰の剣を抜き、ラケシスは天に掲げた。柄に埋め込まれた宝石が、小さな輝きを放つ。一人のノディオン騎士が、大声を張り上げた。
「プリンセス・ラケシス万歳!」
 その叫びは、やがて数を増していき、ノディオン軍全体を包みこんで大地を揺らした。気を抜けば空気に呑まれるような気がして、ノイッシュは右手を強く握りしめた。
 まぎれもなく、エルトシャンの妹だ。生まれ持った気品と、人の心を引きつける力。エルトシャンと同じものを、ノディオンの姫は備え持っている。ノイッシュは、容貌だけでラケシスという人間を判断しようとした自身を恥じた。
 騎士たちの歓声を受けながら、ラケシスは剣を鞘に収めた。隣に立つシグルドに何事かを話しかけている。シグルドは答えながら、シアルフィの騎士が立ち並ぶ一角を示した。ラケシスの顔が、シグルドの指の先を見る。人を探しているのだろうか。そんなことを考えていたノイッシュの瞳に、ラケシスの顔が飛びこんできた。見られている。その確信は、決して自惚れではなかった。
「見ろよ、ノイッシュ。ラケシス姫がこっちを見ている」
 気楽な調子のアレクの言葉に、ノイッシュは頷くだけである。息苦しさを覚えて、わずかに顔をそらした。
 ラケシスの視線は、ノイッシュの鎧の紋章に注がれている。赤地に金のイチイの枝を重ねた銀の縦帯の紋章を掲げる、シアルフィ公国建国以来の武門の家に何らかの興味を抱いたのだろう。自身を通して、家と父に向けられる眼差しにノイッシュは慣れている。それでも、ラケシスが家紋から目を離すまでの時間が、ひどく長く感じられた。
「シグルド様と、ここに集うすべての兵士の武運をお祈りいたします」
 短い挨拶は、城に戻るという意志の表れでもある。シグルドの手が、頭を下げた友人の妹を力づけるように肩に置かれ、御者が馬車の扉を開けた。
 馬車に乗りこむ寸前、ラケシスは振り返った。単なる気まぐれであったのかもしれない。その結果、ノイッシュとラケシスの視線が、一瞬だけ絡みあった。
 音を立ててラケシスの馬車が遠ざかる。もしも次の機会があるのならば、月の光の下ではなく日の光の下で彼女を見たい。ノイッシュは唐突にそう思った。


FE小説のコーナーに戻る
目次へ戻る
続きを読む