やがて訪れる日


 アルテナが目を覚ましたのは、トラバントが城に連れ帰った二日後のことであった。
 暑く乾いたイード砂漠の気候と、目の前で繰り広げられた惨劇の双方が、幼い彼女に衝撃を与えたのだろう、実の両親を手に掛けた男の腕の中で彼女は泣き叫び、そして泣き止むのと同時に意識を失った。小さな額の熱さに気づいたトラバントは、城に戻ると同時に、僧侶に命じて看病に当たらせたが、彼女が高熱にうなされながら幾度も父母を呼び続けていたという報告には、眉を寄せずにはいられなかった。
 父に抱かれて竜に乗り、強い風を体に受けながら故郷の大地を見下ろした幼い記憶がトラバントには残っているが、それが何歳のことであったのかは定かではない。だが、彼が長じて竜の扱いを覚え、グングニルとともに王位を継いだあとも、トラキアの大地に実りがもたらされることはなかった。
 レンスターの王女は、三歳の誕生日を先ごろ盛大に祝福されたという。男児に比べて、女児は話しはじめるのが早いというから、会話は成り立つだろう。トラバントの顔を見た途端、両親を殺したことを泣いて責められるかもしれない。
 だが、トラバントとて、アルテナをゲイボルグとともに故郷に返してやることはできない。幼い彼女が生きるためには、トラバントとトラキアという存在を受け入れねばならないのだ。それを拒むのであれば、彼女は両親のもとに送られるだけのことである。幼いとはいえ、ノヴァの血脈を野放しにしておく気は、トラバントにはなかった。
「具合はどうだ」
 アルテナは寝台に横たわったまま天井を眺めていたが、トラバントの姿を認めると、看護に当たっている僧侶に支えられながら小さな体を起こした。まだ熱が下がっていないのか、顔が赤い。
「貴様の名は?」
「アルテナ」
「ここがどこだか分かるか?」
「おしろ」
 砂漠の乾いた空気で喉を痛めたのか、声はわずかに枯れている。僧侶から杯を差し出されると、アルテナは礼を言って受け取った。他人の世話を受けることに慣れているだけでなく、人の上に立つ者としての心構えや礼儀作法も、幼いながら教えこまれているらしい。
 アルテナが水を飲む音と薪が爆ぜる音だけが、寝室に響く。問いを放った男がまるで目に入っていないかのような態度にトラバントが苛立ちを覚え始めたころ、アルテナが細い声で呟いた。
「とてもとても、こわいゆめをみたの」
 それは明らかに、トラバントに向けられた言葉だった。
「アルテナのまわりは、おすなばかりで、おそらから、こわいいきものがくるの。とりよりも、もっとおおきい、こわいいきもの」
 おそらくは、トラキア軍の竜のことだろう。トラバントはアルテナの顔を静かに見つめながら、話の続きを促した。
「こわいいきものが、みんなをたべるの。アルテナはひとりになって、ないていたの」
 眼前で両親が命を落としたのだ。たとえ年齢を重ねていたとしても、容易に受け入れられるものではない。幼い頭と心が、凄惨な現実に夢という形を与えたのも無理はないだろう。しゃくりあげるアルテナに向かって、トラバントは静かに声をかけた。
「だが、こわい生き物は貴様を食べなかったのだろう」
 涙を拭う手を止めて、アルテナはトラバントを見上げた。栗色の瞳は、明らかに父譲りのものである。自身が手にかけた男と相対しているような感覚が、一瞬だけトラバントを包んだ。
「死した者の分までとは言わん。だが貴様はこのトラキアの大地で、強く逞しく生きるのだ。たとえ一人になろうとも、命尽きるその日まで」
 トラバントは、トラキアの王として強さと厳しさを求められ、武勲によって民の声に応えてきた男である。穏やかさや優しさをもって、幼い子どもに接することに慣れてはいなかった。案の定というべきか、アルテナの顔には怯えにも似た色が浮かんでいる。
「わかるか? 父の言うことが」
 声を上げかけた僧侶をひと睨みで沈黙させると、トラバントは再びアルテナに向き直った。音もなく喉が動く。彼のなかの冷静な部分が、仇敵の忘れ形見の言葉を聖なる審判のように待ち受ける己の姿を嘲笑った。
「ちちうえ……?」
 栗色の髪を揺らし、アルテナは小首を傾げる。柔らかな頬の愛らしい娘だ。貧しさや飢えと隣り合わせの暮らしを強いられるトラキアの子どもたちとは違い、レンスターの城で、何不自由なく育てられてきたのだろう。
「そうだ。お前の……父だ」
 目の前の幼子と、そして自分自身に言い聞かせるかのように、トラバントは語気を強めた。ひとり生き残った彼女に憐れみを覚えたわけでもなければ、娘を守るために武器と命を捨てた男の姿に心を動かされたわけでもない。だが、戦場より連れ帰ったときから、トラバントはアルテナを娘として手元に置くつもりだった。
「うん、わかった。アルテナは、ちちうえみたいに、つよくなる」
 わずかに緩んだ頬を隠すかのように、トラバントは頷いてみせた。戦士としての技量のみが、人間の強さを決めるものではないが、いずれアルテナは槍の名手となるだろう。聖痕を宿す者がトラキアの王族に育てられて、武勇と無縁でいられるはずがないのだ。
 空腹を訴えたアルテナのために粥を用意させると、トラバントは自室に戻って長椅子に腰を下ろした。質素だが王者の威厳に満ちた部屋の壁には、精巧な細工の施された一本の槍が立てかけられている。レンスターへの勝利の証とも言えるゲイボルグを、トラバントは使用人はおろか嫡子アリオーンの立ち入りさえも禁じている私室に置いていた。
 レンスターの亡き王太子キュアンは、トラバントと同じようにトラキア半島統一の志を抱いていたが、神器の継承者たちが手を取り合うことはついになかった。王族として、自国と民の利益を求める立場と姿勢が、結果として二人のあいだに天と地ほどの隔たりを生んだのかもしれない。そして、聖痕とともに受け継がれてきた闘争と憎悪の歴史が、共存と対話に至る道を自らの手で断ち切っていった。
 しかし、民の苦しみと怒りの矛先を常に北トラキアの王族、とくに神器の使い手であるレンスター王家に向けていても、トラキア王家は憎しみを覚えるほど彼らを知っているわけでもなければ、親しいわけでもなかった。反逆者となった義兄のために自国の兵を割き、戦場に妻子を同行させるキュアンの行いは、トラバントにとっては一国を統べる者にあるまじき甘さであり、嘲りの対象でしかない。実父の姿を幼いアルテナに重ねても、そこに憎しみの湧き出る余地はなかった。
 やがて訪れる日を、トラバントは想像する。アリオーンとアルテナが竜に跨り、トラキアの空を翔ける姿を。強く、そして逞しく育った二人は、かつてダインとノヴァが振るった槍を携えている。その力は、北だけのためではなく、南だけのためでもなく、トラキア半島全土のために用いられるのだ。
 不意に背筋を駆け上がった冷たい感覚が、トラバントを現実に引き戻した。獣であれば、全身の毛を逆立てていただろう。彼の鋭い視線は、ゲイボルグに向けられていた。
 聖戦士の血や、魔法による契約で使い手を選んでも、武器は武器以外の何物でもない。あるいは、代々の所有者の思念が、縁あるトラキアの血に呼びかけたのしれない。トラバントはその時、ゲイボルグのなかに意思のようなものを感じ取っていたのだ。
 キュアンの娘を連れ帰り、養育すると決断したのは、トラバント自身だ。アルテナが彼を受け入れ、父と呼んだのも、幼いとはいえ彼女の選択だろう。それらの意志が、ひとではないものの思惑によって動かされているだなどと、認められるはずがない。ゲイボルグの柄を荒々しく握り、トラバントは低く呟いた。
「わしはただ、おまえの力が欲しかっただけだ。ゲイボルグの、その力が」


 厳しくはあるけれども、子どもに慕われる父親。
トラ7の会話から想像するに、トラバントとアルテナの親子関係は、おそらく良好だったのではないかと思われます。
 その彼女が、トラキア軍のマンスター攻撃や、解放軍との戦闘に反対したのは、
戦う必要のない相手に対する、厳しすぎるトラバントの姿勢に、疑問や反感を抱いたからでしょう。
 トラバントはアルテナを単なるゲイボルグの使い手(戦力)としてではなく、
物を考えることができる一人の人間として扱い、育てたことが想像できるかと思います。
「ゲイボルグの力が欲しかった」
 アリオーンに告げた言葉に嘘はないのでしょう。
 ですが、それ以外の理由もまた、トラバントは心の内に秘めていた。
 そして、それを誰にも語ることなく戦場に倒れたのだと、そう思うのです。

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