「ぜんっぜん、売れてません」 A4の紙に印刷された表とグラフをボールペンで交互に示しながら、有里は断言した。悲痛や沈痛という言葉とはかけ離れた、逆に開き直ったかのような口調である。厳しい事実を突きつけられても、黒田の表情は変わらなかった。テーブルに置かれた木製のこけしだ。表情はおろか、眉ひとつ動くはずもない。 「逆にさー、これ買った奴が知りてえよ」 達海の率直な問いかけは、村越の疑問でもあった。クラブが選手のグッズを作るのは珍しいことではない。しかし。なぜ黒田をモデルにして出来上がったものが、こけしなのか。売れる見込みはあったのか。どのような人間をターゲットにしたものなのか。村越は商品開発やマーケティングに詳しいわけではなかったが、難しい表情でノートパソコンの画面を見つめている正面の男に、その程度は尋ねておきたかった。新商品のモデルは、村越自身と、彼の隣で行儀悪く足を投げ出して座っている監督だという。グッズであれポスターであれ、チームの顔を務めることに否やは無かったが、正直なところ、自分を題材に妙なものを作られてはたまらなかった。 「黒田さんのサポーターは、発売日に買っていったわよ。ネットでも割と反響はあったし」 「でも売れてねぇんだろ」 鋭い指摘に、有里が不服そうに口を尖らせる。ネットでの反響も、残念ながら売り上げには繋がらなかったのだろう。会議というほどの改まった席ではないのに、村越は発言の前に小さく手を挙げた。 「なんで、こけしなんですか」 「まずは、黒田らしさを前面に押し出す方向で進めていったんだ。背番号と名前だけじゃなくて、顔を出すんだから」 「……他に候補は?」 後藤はノートパソコンの向きを変えた。デジカメで撮影された二枚の写真に、試作という文字が入っている。滑らかそうな陶器の人形と、布の前掛けを着けた石の地蔵。モデルとなった人物は一目瞭然だった。 「頭の感じだけなら、陶器のほうがリアルだよなぁ」 村越の肩越しに液晶ディスプレイをのぞきこんだ達海が感想を述べた。さらに、地蔵も悪くない、前掛けが洒落ているだのと、有里の視線を気にも留めずに好き勝手なことを口にする。 「陶器も石も重いし、何と言っても割れ物だからな。色々あったんだが、結局、こけしに決まったんだ」 詳しいいきさつを語る気は後藤にはないようだった。GMの地位にあるとはいえ、上司だけではなく部下も年長者だらけでは、気苦労も多いのだろう。 「あのね、考えたんだけど」 達海の正面に座っていた有里が、椅子ごと体を斜めに向けた。隣席の後藤に目で促され、彼女は言葉を続ける。 「これ、ただの置物だったのが良くなかったのかも。ショップのスタッフから聞いたんだけど、実はこのこけし、わりとお客さんが手にとってくれてるんだって。それで、みんな同じようなこと聞いてくるらしいんだけど」 「同じようなこと?」 「このこけし、動くんですか? って」 眉間の皺が深くなったことを、村越は自覚した。視界の端に、戸惑ったような後藤の表情が映る。 「だから、ただの置物じゃなくて、動いたり喋ったり、そういう何かがあった方がいいのかなって思ったの。それにしても、変なこと聞くわよね。こけしのどこが動くっていうのよ。回るっていうなら分からないでもないけど」 こけしの頭をつかみ、蛇口をひねるような手つきで回していた有里が、何かに気づいたように後藤を見上げた。 「今からでも、オンライン通販のコーナーに『この商品は動きません』って、注意書き付けたほうがいい?」 「通販のコーナーにはもう注意書きが付いてるからなぁ。くどいような気がするけど、質問が多いのなら、一言付け加えようか」 後藤は再びノートパソコンの向きを変え、公式サイトのオンライン通販のページを開いた。可愛いとも凛々しいとも表現しがたい顔つきのこけしを胸に掲げた黒田が、画面の中で笑みを浮かべている。画像の下に黒く大きく表示された「商品に選手は付いていません」という注意書きが、村越には本気に思えてならなかった。 「私は置物のこけししか知らないんだけど、こけしって、動くの?」 「いや、聞いたことないな。村越は?」 村越は渋面とともに沈黙を守った。もとより、口の立つ男ではない。広報としての勉強不足を痛感している有里に、適切な説明ができる自信はなかった。 「あー、俺、それ知ってる」 三人分の視線が、達海に向けられた。村越の眼差しの奥にだけは、警戒の色が潜んでいる。それを知ってか知らずか、達海は手を伸ばして有里からこけしを受け取った。 「こけしってのは、もとは東北の物だろ。産地によって種類が違って、首が回ったり、頭が動くやつがあるんだよ」 「へぇー、そうなんだ。山形遠征の時に、時間があれば土産物屋さん寄ってみようかな」 後藤と有里は素直に感心している。有里の掌が繰り返しテーブルを押しているのは、見えないボタンを連打しているつもりらしい。想像していた最悪の事態が回避されたことに安堵を覚え、村越は密かに息をついた。同時に、苦い思いがこみ上げる。齢三十を過ぎ、いつしか自分は汚れた大人になりつつあるようだ。 「動くっていうから、てっきり移動するほうだと思っちゃった。玄関に置いてたこけしが、いつの間にか少しずつ少しずつ動いていって、気が付けば枕元にあった、とか」 「どこの怪談だよ。……おい、まさか狙ってやってんのか?」 「そんな訳あるか」 後藤は即座に否定したが、現在のETUでは、空想上の生き物の河童がマスコットを、ファンタジーの本場英国で実績を積んだ男が監督を務めている。さらにオフィシャルグッズが怪談のネタにされる始末だ。リーグジャパンに外国人枠が定められているように、クラブのどこかに、オカルトやファンタジーと呼ばれる枠が存在するのかもしれない。胸に沸き起こった考えに、村越は深い自嘲のため息をついた。はかどらない打ち合わせに、自分は疲れているのだろうか。 「怪談はともかくとして、季節柄、納涼グッズは悪くないな」 「納涼グッズですか」 後藤の提案に村越が想像したのは、似顔絵とチームのロゴマークが描かれた団扇だった。無難ではあるが、奇をてらう必要もなく、わけの分からないオプションを付けられる心配もない。 「怪談の定番って言えば、やっぱり人形だよな。顔つきが変わるとか、髪の毛が伸びるとか」 「達海さん、話聞いてた? いまは怪談じゃなくて、グッズの話してんの」 達海に険のある眼差しを向けた有里が、突然、考えこむような表情を見せた。不意に顔をのぞき込まれ、村越はわずかにたじろぐ。 「髪が伸びる……」 「……人形?」 有里の丸い瞳に、後藤の眼差しが続いた。顔、頭、そして髪。やがて村越から視線をはずした二人は顔を見合わせ、無言で頷きあった。不吉なアイコンタクトに、村越が声をかけるよりも早く、達海の気楽そうな声が響く。 「モヒカンもスポーツ刈りも思いのまま! 髪が伸びるミスターETU人形。……作れんの?」 「作らねえよ」 押し殺した声で、村越は低く呟く。有里の手元のメモに「村越選手:立体×」と書かせるまでに彼が費やした労力は、二部練習やフル出場の比ではなかった。 「……悪くはないな」 完成したグッズの試作品、彼自身が描かれたステッカーや団扇を見せられた村越の、それが感想だった。 「何かリクエストがあれば、早めにお願いしますね。今なら手直しも間に合いますから」 有里は言うが、それならばと容易く応じられないのが、村越という男である。冗談の通じる選手ならば、もっと男前に描いてくれと軽口の一つも叩いたかもしれないが、そのような発想は村越の頭になかった。 「お。このあいだ言ってたやつ、もうできたのか」 通りがかった達海が、試作品の並べられたテーブルに近づいてきた。医務室帰りなのだろう、手にはアイスが握られている。 「……俺のはないの?」 「まだ形にもなってないわよ。達海さんが『テキトーにやってくれ』なんて言うから」 出前だって何だって、適当とか何でも良いっていうのが一番困るの! 有里が柳眉を逆立てる。きつい眼差しが達海を見据え、テーブルに落ちるとともに和らいだ。 「団扇とかステッカーなら、あまり時間はかからないと思うけど……。いっそユニット名でもつけて、セット販売にでもしてみる?」 昨年のファン感を、唐突に村越は思い出す。杉江と黒田がスギクロというユニット名で、男性デュオのヒット曲を歌っていた。本物と違って、こっちは黒田の方が背が低いなどと二人は笑っていたが、練習を積んだのか、歌う姿は様になっており、場内のサポーターを沸かせていた。しかし、達海とユニットを組めなどと言われても、村越には何をすればいいのか、まったく分からない。 「ユニットってお前、俺たちに何やらせる気なんだよ」 「別に何かやれなんて言ってないわよ。やりたいなら、ファン感の時に、歌でも漫才でもやればいいじゃない」 アイスを手にしたまま、達海が考えこむような素振りを見せた。 「今シーズン、もうホームで負けちまってるからなぁ。『シゲユキとタケシ』とかは無理か」 「…………!」 無理なのはそこではない。テーブルに片手を付き、村越は無言で首を振った。 監督をモデルにしたグッズ開発への道のりは遠く、そして険しい。 |