貼りついた米粒


 新たな監督、新たな選手、そして新たな背番号。シーズン開幕を前に、クラブはすでに動きはじめている。
 公式サイトに掲載されるというアンケートの白い用紙を前に、椿は眉を寄せた。趣味や好きな選手、好きな言葉といったリーグジャパンの選手名鑑でもお馴染みの質問には答えられたが、それ以外の項目が埋められない。広報の担当者からは、ウケを狙うのは構わないが、無回答は認めないと事前に釘を刺されており、昨年のように答えられない部分を空欄のまま提出することはできなかった。
「お前、まだ悩んでんのか?」
 廊下から部屋をのぞきこんだ赤崎が、呆れたような声を投げかけてきた。椿の正面のソファに寝そべってマンガ雑誌をめくっていた世良が、状況を説明する。
「こいつ、さっきからずっとこんな調子」
「俺、こういうの、どう答えていいか、ぜんぜん分かんなくて」
 二人の先輩に、椿は重い胸のうちを打ち明けた。長所やセールスポイントを答える、いわゆる自己アピールは椿の苦手とするところだ。体を起こした世良がアンケート用紙を眺め、やがて埋められていない項目の一つを指し示した。その手に、迷いはない。
「やっぱり、お前ならスピードだろ。足速えし」
 礼の言葉とともに、椿はシャープペンシルを走らせたが、そこに脚のような勢いはなかった。トップスピードに乗る前に失速し、動きを止めた手と、助けを請うような眼差しに、世良は首を振る。
「人に頼ってどうするんだよ。お前のアンケートだろ」
 言い返す気にもなれず、椿は目を伏せた。自分の力で解決できることであれば、最初から悩んでなどいない。しかし彼が頭を悩ませているあいだにも、アンケートの提出期限は着実に迫ってきているのだ。就任記者会見の席で「分かりません」を繰り返した監督を見習って「ありません」や「分かりません」で解答欄を埋めるという発想は、椿にはない。教師の温情にすがって締め切りを延ばしてもらえたのは学生時代のことで、成人して社会人となった現在も、それが通じるとは思えなかった。
 腰を下ろしていたソファが揺れ、椿は顔をあげた。部屋に入りこんだ赤崎が、隣でノートパソコンを操作している。やがてクラブの公式サイトが表示された。
「人に頼ってばっかなのはマズいけど、人のを参考にすんのは構わねえだろ」
 俺、去年のアンケート、何て書いたかな。呟きながら赤崎は画面を切り替える。目の前が開けたような思いがして、椿は改めて部屋を見回した。誰かが持ちこんだマンガは、ローテーブルだけではなく床にも積まれていたが、壁際の棚には過去の選手名鑑はもちろん、選手が取材を受けた新聞のスクラップや専門誌のバックナンバーが整理されて並んでいるのだった。
「質問、去年より増えてますね」
 液晶画面の選手プロフィールと手元の用紙を見比べて、椿は再び息をついた。プロサッカー選手としての仕事の一環だと分かってはいるが、昨シーズンに比べて質問が二割増えたアンケートにすべて答えるには、時間がかかりそうだった。
「パッカ君との関係なんて、どう答えりゃいいんだよ」
 それはアンケートに新たに追加された質問の一つだった。長くクラブの顔を務めているパッカ君との間柄を、椿は先輩と後輩と答えたが、正直なところ、選手同士の人間関係はともかく、選手とマスコットの関係にサポーターが興味を持つとはあまり思えなかった。
「赤崎さんは、パッカ君との付き合いって長いんじゃないですか?」
「確かに長いと言や、長いけどな」
「とりあえず、俺はライバルって書いた」
「どこらへんがですか?」
「そりゃ、もちろん人気に決まってるだろ」
 赤崎は世良に向かって軽く鼻を鳴らし、ノートパソコンのそばに自身のアンケート用紙を広げた。しばらく考えたのちにシャープペンシルを手に取る。腐れ縁。腐るという字をパソコンで調べて書き入れるのが、彼の性格の現れかもしれない。
「資格とか特技って、何かありますか?」
 資格とは、足の裏に貼りついた米粒のようなもの。取っても食えないとは言うが、サッカー選手の引退後の人生、いわゆるセカンドキャリアを考えるうえでは重要なものだ。リーグジャパンの選手協会は、指導者ライセンスをはじめとした選手の資格取得をサポートしているし、選手のなかには大学で教員免許を取得してからプロに進む者も少なくはない。だが、椿が思い浮かべた資格は高校時代に受けた検定試験ぐらいで、履歴書やプロフィールに書けるほどのものではなかった。
「別に資格でなくても、特技でいいんじゃねえか? 犬と競争して勝ったとか、何かないのかよ?」
「いや、犬よりかはクマとかイノシシのほうがインパクトあるだろ」
 椿は力なく首を振った。クラブの寮には両親から大量の野菜や果物が送られてくるし、実家の近辺で野生のサルやタヌキに出くわすことも珍しくはなかったが、山育ちというだけで、途方もない誤解を受けているような気がする。それに、クマは自動車並みのスピードで走ることができるのだ。万が一、遭遇したとしても、走って逃げるのは得策ではない。
「クマなんかに追いかけられたら、俺、生きてませんよ……」
 棚から引き抜いた昨シーズンの選手名鑑には、案の定、資格と特技という質問が用意されていた。教員免許や指導者ライセンスなどの資格を記した者もいれば、ゲームや楽器の演奏、書道などの趣味や習い事を答えた者もいる。パスやドリブルというサッカーの技術や、他人と打ち解けるのが得意だなどと自身のコミュニケーション能力を挙げた者も存在したが、どれも椿の参考にはならなかった。その質問を一本の線で済ませられた無回答の選手たちが、羨ましいぐらいだ。
「おい、何だよ、これ」
 怪訝そうな声に、椿と世良は声の主を振り返った。マウスに手をかけたまま、赤崎は液晶画面に向かって顔をしかめている。
「カッパ捕獲許可証……?」
 公式プロフィールの資格・資格の欄に記された文字を読みあげて、椿は赤崎と同じ表情を浮かべた。赤崎の右隣に席を移していた世良の目と口が、大きな円を描いている。カッパ捕獲許可証。選手の資格として記載されている文字は、どうやら椿の見間違いではないようだった。
「ンだよこれ。こんな資格、本当にあんのか?」
「いくらETUのマスコットが河童だからって、これはないだろ……」
 資格とは必要に迫られて、あるいは趣味が高じて取得することが多いものだ。河童を捕まえる許可証。ベテランの選手たちが、どのような意図でそれを取得したのか、椿にはまったく想像がつかなかった。
「パッカ君に何かあったときのために持ってる……わけないですよね」
「ねーよなぁ」
「パッカに何かあったときって、何があるんだよ」
 呆れたように赤崎はマウスをクリックする。カッパ捕獲許可証は岩手県遠野市の観光協会が発行しているもので、代金さえ支払えば試験や講習を受けなくても取得できることが、いくつかのサイトから判明した。ネットでも手に入るらしいから、カッパつながりということで、誰かが冗談で買い求めたのだろう。
「世の中には、色んな資格があるんスね」
「何でもかんでも、持ってりゃいいってもんでもないだろうけどな」
 許可証の裏面には、カッパを捕まえるにあたってのルールが記されているという。赤崎が新たな検索ワードを入力すると、遠野市の観光協会が定めた規則が表示された。項目の一つに、三人の視線が集まる。
「捕獲場所は、カッパ淵に限ること」
「「意味ねぇ!」」
 カッパ捕獲許可証を所持していても、捕獲場所が限られていては、隅田川に住むパッカ君を捕まえる役には立たない。液晶画面に向かって、赤崎と世良は揃ってツッコミを入れた。



 椿がアンケートを提出した数日後に、ETU公式サイトの選手プロフィールは更新された。赤崎のノートパソコンを借りて、椿は自身のページを見つめている。七番のユニフォームに身を包んだ若い男の写真は間違いなく椿本人のものだったが、トップチームに上がったという実感がまだ薄いせいか、自分であって自分ではないような気がした。
「かけっこって、お前、懐かしいモン持ってきたなぁ」
 世良が背後から椿の両肩に手を置き、パソコンを覗きこんだ。
「色々と考えたんスけど、他に思いつかなくて……」
 考えた挙句、椿が特技として答えたのが、かけっこだった。彼の通っていた小学校は小さく、生徒も少なかったが、上級生に何度か勝ったことがあるので、嘘はついていない。
「あのさ。お前、コレの意味分かるか?」
 椿の手ごとマウスを動かして、世良は年長のチームメイトのプロフィールを表示させた。黙秘権を行使します。パッカ君との関係を問われての、それが彼の答えだった。
「モクヒケン、でしたっけ? 犯罪とか裁判とかの何か……だったと思いますけど」
「自分の利益にならないことは話さなくても構わないっていう権利でしょう? ってか、何見てんすか?」
 サッカー雑誌から顔をあげ、ノートパソコンの持ち主は液晶画面をのぞきこむ。世良の指先を見つめ、やがて赤崎は呻いた。
「その手があったか……!」
 無回答という選択が認められなかった難問を巧みに切り返したベテランの知恵に、赤崎さえもが素直な感嘆の声をあげている。来シーズンもプロ選手を続けていられるか否かはともかく、厄介な質問に当たったときに備えて、椿は黙秘権という言葉を心に刻みつけておくことにした。


 テレビで「カッパ捕獲許可証」なるものが紹介されていて、「何じゃそりゃ」と思ったのが話のきっかけです。
 選手の名前は出していませんが、何となく丹波さんや石神さんあたりが、
顔写真入り(現地でのみ購入可能)のものを持ってそうな気がします。
 それにしても、若手トリオは書きやすいです。
 椿くんは木登りが得意で、虫や爬虫類を素手でつかめる若者だったらいいなと思います。
 逆に、赤崎くんは虫などが苦手そうなイメージがあります。
 寮にそういう生き物が出たら、皆で大騒ぎしてそうです。

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