言葉はパズル


 国語の時間に、好きなものについて作文を書く宿題が出ました。ただ原稿用紙を埋めればいいのではありません。自分の好きなものを人に紹介するつもりで、好きな理由や良いところを書いて、参観日にクラスメイトや保護者の前で発表するのです。もちろん、有里ちゃんが書くことは決まっていました。
「読んだ人がスタジアムに行ってみようって気になってくれるような、いい作文を書いてくれよ。ウチの広報にでもなったつもりでな」
 ビールジョッキを手に、ETUの笠野さんは笑いました。気ままに町中を気歩きまわっているおかげか、笠野さんは近所の出来事や、有里ちゃんの学校の行事にとても詳しいのです。
「あんまり妙なこと吹きこむな、笠野」
 刺身を盛りつけた陶器のお皿をカウンターに置きながら、お父さんが低い声で言いました。
「別に笠野さんは変なこと言ってないじゃない」
「ETUの広報って言われて、その気になりかけただろう。取材だとかぬかして選手の邪魔するんじゃねえぞ」
 笠野さんが帰ったあと、有里ちゃんはお店の手伝いを終えて学習机に原稿用紙を広げました。まずはサッカーとETUに興味を持ってもらわなければ、試合のチケットは売れません。そして、小学生に人気があるのは、かっこいいものと可愛いものです。考えた末に、有里ちゃんはETUのかっこいいところを書くことにしました。かっこいいものが好きな女の子に比べて、可愛いものが好きな男の子は少ないですし、体と態度が大きなマスコットのパッカ君には、可愛いという言葉が似合わないからです。
「この前のたつみのシュート、かっこよかったよね。あれ、どうやったの?」
 ファンサゾーンでサインや写真を求める人たちの間を縫って、有里ちゃんは達海選手に駆け寄りました。彼は楽しげにボールを蹴ってチームを勝利に導くETUのヒーローです。有里ちゃんは先日の試合で彼が見せた活躍を作文に書くつもりでした。サッカーを知らない人にも、試合を決定づけたゴールのかっこよさは、伝わると思ったからです。
「清水戦のゴール。あれで勝ったのに、まさか忘れちゃったの?」
 アウェイで行われた試合は、前半終了直前に達海が決めたゴールを守り切ってETUが勝利したのです。テレビを見ていた有里ちゃんだけではなく、アナウンサーや解説、静岡まで応援に駆け付けていたサポーターたちも何が起きたのか分からなかった、それは魔法のようなシュートでした。
「……ああ。あのスッと出てヒュッと行って、ビュッと決めたやつか」
「……」
 達海選手はトップチームの松原コーチや有里ちゃんを時々からかいますが、決して意地悪はしません。ですから有里ちゃんには、達海選手ががんばって試合のことを思い出そうとしてくれたことは分かっていました。
 ですが本人なりの努力だけでは、世の中は渡っていけません。達海選手は言葉を使って物事を説明するのが苦手で、インタビューや取材のたびに多くの人を困らせていました。
「後藤さん、どういうことだと思う?」
 有里ちゃんは背の高い姿を探しだして助けを求めました。後藤選手は相手チームの攻撃を止めるのと同じぐらいに、達海選手の通訳が得意なのです。
「何で後藤に聞くんだよ」
「本人の言葉だけじゃなくて、ダイサンシャの、キャク、ええと、キャッカンテキな意見も必要でしょう?」
 口を尖らせる達海選手に向かって、有里ちゃんは胸を張りました。
「俺は試合に出てたから、第三者でも客観的でもないと思うけど」
 前置きしたうえで、後藤選手はセンターサークルの近くから見た達海選手のシュートの様子を話してくれましたが、それは有里ちゃんがテレビで見たものとあまり違いがありませんでした。両チームの選手が入り乱れる中から抜け出した達海選手が左足を一閃。どうやらビュッという擬音は、シュートを表現しているようです。
「シュートするまでの動きが、スッとヒュッ?」
「俺の位置からじゃ、それは見えなかったな。ごめんな、有里ちゃん。頼りにならなくて」
「後藤は悪くない。宿題は自分の力でやるもんだ」
 ごく当たり前のことなのに、何となく腹が立つ一言を残して、達海選手は後藤選手と二人でクラブハウスに戻っていきました。
 スッと出てヒュッと行って、ビュッ。達海選手の言葉をそのまま作文に書いても、シュートの凄さやかっこよさは伝わりません。クラブの広報や雑誌記者の仕事が大切で大変だということを、有里ちゃんには少しだけ知ったような気がしました。
「何でこんなところで宿題やってんだ。部屋でやりゃいいだろう」
「ビデオで調べ物してるの。ニュースが始まったら止めるから」
 お父さんの不思議そうな視線を受けながら、有里ちゃんはリモコンのボタンを押しました。
 達海選手の動きを有里ちゃんは目で追いかけます。彼が左足を振りぬいたとき、近くに清水の選手はいませんでした。解説の人が上手くマークを外したと誉めた動きを、有里ちゃんは繰り返し再生します。隣でテレビを眺めるお父さんは少し退屈そうでした。
「あっ、そうか!」
 ニュースが始まる五分前に、ようやく有里ちゃんは気づきました。両チームの選手がボールを奪い合うコーナー付近から、達海選手はいつの間にか一人だけ抜け出していたのです。カメラはボールを追っていたので、その動きは映っていませんでした。
「スッと離れて……」
 松本選手が放ったシュートが、清水のGKに弾かれます。転がったボールに真っ先に駆け寄ったのは、達海選手でした。ゴール前に走りこんだ一瞬の動きを、彼はヒュッという擬音で説明したのでしょう。ビュッと叩きこまれたゴールに、画面の中の人々が湧きかえっていました。
「やっとたつみの言葉の意味がわかった。これで作文が書けるよ」
 声を掛けたのは練習の後だからと先手を打って、有里ちゃんはちゃぶ台の上を片付け始めました。
「でもどうして、達海にはボールが転がってくる場所が分かったのかな」
「そりゃ、プロの経験と勘だろう」
 有里ちゃんは腕を組みました。お父さんとお母さんは彼女に食材の切り方や火加減を指導してくれますが、料理に入れる調味料の具体的な量を教えてくれたことがありません。お店の秘伝だから秘密なのだと思っていましたが、自分の感覚を他の人にも理解できるように話すのは、プロと呼ばれる人たちでも難しいことなのかもしれません。
「お父さんも、たつみみたいに擬音使うよね。お醤油はドバッじゃなくて、ドバーッと入れろとかさ」
「よりによって、あいつと一緒にするな」
 お父さんが顔をしかめます。達海選手のシュートを作文に書いたように料理の手順と材料をまとめることができれば、きっと役に立つことでしょう。
 擬音やビデオをヒントに言葉を見つける作業は、有里ちゃんにとって難しいものでしたが、同時に楽しくもありました。



 参観日に、有里ちゃんは大きな声で作文を読みました。クラスメイトや大人たちがETUに興味を持ってくれたのかは分かりませんが、先生が花丸をくれたので内容は悪くないと思います。
「よう。ちょうどいい所に来た」
 ETUのグラウンドに着いた有里ちゃんを、達海選手が手招きしました。練習は休憩中らしく、選手たちはドリンクボトルやタオルを手に体を休めています。注意深く辺りを見回してから、有里ちゃんは達海選手に近づきました。
「たつみ、どうしたの?」
「実はな」
 達海選手の表情を見ようとして、有里ちゃんは体ごとフェンスに近寄りました。
「最近、パッカが機嫌悪いんだ。何で作文に俺のこと書かなかったんだって」
 だから今度あいつのこと書いてやれよ。晴れやかに笑う達海選手とは対照的に、有里ちゃんの頭には灰色の雲のように疑問が漂います。それを振り払うように、彼女は声をあげました。
「もしかして、たつみにはパッカ君の言葉が分かるの?」
「いや、あいつ喋んないだろ」
 表情と仕草を見れば、パッカ君の伝えたいことは分かるのだと達海選手は言いました。どうやら彼の瞳には、有里ちゃんには見えないものが映っているようです。それもまた、お父さんが言っていたプロの経験と勘なのかもしれません。
「たつみは試合中でも、そんな感じで色々なことが分かるんでしょう。プロの選手ってすごいね」
 有里ちゃんの輝くような眼差しを受けて、今度は達海選手が反応に困る番でした。二人の会話を聞いていた後藤選手と松本選手が笑います。
「達海は色んな意味で規格外だから、サッカー選手が皆こんなだと思わないでくれよ」
「いっそのこと、有里ちゃんに国語を教えてもらえ。後藤だっていつまでもお前の面倒見てくれるわけじゃないんだぞ。せめて自分の名前ぐらいは漢字で書けるようになれ」
「たつみ、漢字書けないの?」
 知ってはならない秘密に触れたような気がして、有里ちゃんは思わず達海選手の顔を見つめました。その後ろから、休憩の終わりを告げる松原コーチの声が聞こえます。立ち上がりながら達海選手は言いました。
「俺の仕事はボール蹴ることだし、勉強は昔やったから、今できなくてもいいんだよ」
 まるで合唱のように、松本選手と後藤選手の声が重なりました。
「「お前はガキのころから、サッカーしかやってこなかっただろうが!」」


 タイトルは某ゲームを参考にしました。
 単行本十二巻で、コータ君が作文を読んでいましたが、
 有里ちゃんも小学校時代に、ETUのことを作文に書いた経験があると思います。

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