「甘い……」 スプーンを握ったまま、有里は女性らしからぬ低い呻きを漏らした。食堂のスタッフに頼みこんで作ってもらったプリンは、一〇倍甘いという宣伝文句を裏切らない味だったが、一般的な日本人の口に合うものではなかった。 「本当に甘いなぁ」 プリンの感想を述べながら、達海は炭酸飲料の赤い缶を引き寄せている。杏仁豆腐に似た味を思い出して、有里は顔をしかめた。頭を働かせるためには糖分が必要なのだと言われても、何事にも限度というものがある。 「有里ちゃん、だから言っただろう」 白いカップを置き、後藤が呟いた。有里のアイデアを耳にしたときから、彼は難色を示しており、プリンの試食も、有里から分けてもらった一口で断念していたのだ。立て続けにブラックコーヒーを流し込む後藤の姿に、有里は彼の舌と胃を案じずにはいられなかった。 「はい。皆の言うとおりでした……」 有里は項垂れた。プリン以上に、自身の考えが甘かったことを痛感する。試作を手がけた食堂のスタッフからは、味の保障はしないと前もって忠告されていたが、まさにその通りの結果になってしまった。 「とにかく一〇に関係させたいんなら、甘さじゃなくて、量を一〇倍にすればいいじゃんか。バケツプリンうまそうだし」 頬を動かしながら達海は言った。ETUがバケツプリンを商品化すれば、彼は卵と牛乳でできているから栄養があるなどと理由をつけて、主食にしかねない。 「ボリューム一〇倍のプリンは、最初に考えたわよ」 「量が多くて値段の高いデザートを、スタジアムで買って食べる人は少ないよ。採算が取れない」 リーグジャパンの公式戦が開催される各地のスタジアムでは、焼きそばやたこ焼きなど屋台の定番に加えて、地域の特産品を使った料理やクラブにちなんだ菓子が販売されている。そこには大勢の人々が列を作るが、たとえ甘党の人間でも、サッカー観戦に行ってプリンだけで満腹になりたいとは思わないだろうし、土産に持ち帰るにはバケツプリンは大きすぎる。 「一番、問題なのは、プリンスプリンっていうネーミングだろ。それから、タンバタンバリン? あれどうなった?」 「とっくに開発中止になりました」 商品名を聞いた同僚は笑っていたが、あれはおそらく、苦笑だったのだろう。黒いプラスチック素材を用いて丹波の髪形を再現したタンバリンは、選手の顔を叩くことに疑問の声が挙がり、商品化には至らなかったのだ。 「丹波さんにも『顔はぶたないで!』って言われたわ」 頬を押さえ、有里は丹波の口調を真似てみせた。だが、自身の立ち上げた企画が二つ失敗に終わった程度で、諦める彼女ではない。プリンの容器が置かれた事務机に、有里はピンク色のファイルを開いた。 「もう一つ、グッズのアイデアがあるの。これ、夕べ完成した企画書」 宇宙を意識した黒い背景に、人間の形をしたロボットが描かれていた。赤と黒の塗装と、胸に輝く数字。左のアーム部分に描かれた黄色いマーク。企画書に記された商品名を見るまでもなく、モデルとなった人物は明らかだった。 「これは、ちょっと……」 「お前、本当にネーミングセンスねぇんだな。いや、これはもう、そういう問題じゃねぇな。なあ、有里。お前の目に、あいつはどういう風に見えてんの?」 スペースキャプテン・ロボ越は、ミスターETUと呼ばれる男の強さと逞しさを前面に押し出し、子どもに喜ばれそうな要素を加えて有里がデザインしたものだった。幼稚園から小学生の男児をターゲットにした商品だが、その親の世代に当たる後藤と達海には不評のようだ。 「メタリックボディって、どう考えても超合金だろ、これ」 「いい響きじゃない。超合金って何だか強そうだし、村越さんに合うと思う」 企画書から顔を上げた後藤が、穏やかだが力強い眼差しで有里に問いかけた。 「なあ、有里ちゃん。この企画書とデザイン、村越に見せられるか? もし、自信があるんだったら、俺は、今は何も言わない」 息を飲み、有里は後藤から顔をそらした。必要であればチームメイトを怒鳴りつけ、フロントにも物申す村越だが、女性や子どもに声を荒げることはない。ただ眉間の皺を深くして、不機嫌そうに黙りこむだけだ。息の詰まるようなその沈黙が、有里には怖い。 「やっぱり、怒られるかな……?」 有里の呟きに、男たちは答えなかった。 「でも、懐かしいな。超合金のロボット。ガキのころ、遊んだもんだよ」 後藤が懐かしげに目を細めた。村越が童心に返ってはくれないものかと、有里は甘い期待を寄せる。だが、超合金ロボットで遊ぶことと、超合金ロボットになることには、光年単位の距離があった。 「ところでさあ、ロボットだからロボ越なのは分かるんだけど、スペースって何か意味あんの? 銀河系軍団?」 新たなプリンに手を伸ばしながら、達海が尋ねた。 「……そんなの、宇宙に決まってるじゃない。スペースキャプテン・ロボ越は、故郷の星から、ETUと隅田川スタジアムのマナーを守るためにやって来たヒーローなの。ロボ越ディフェンスで敵の攻撃を防いで、ロボ越シュートでゴールを決める、台東区のヒーローなんだよ?」 イメージを重視するあまり疎かにしていたロボ越の設定が、突如として有里の頭に閃いた。プリンの糖分が、睡眠不足の脳を活性化させてくれたのかもしれない。 「後藤さん。スペースキャプテン・ロボ越とパッカ君を主役にして、観戦マナー啓発のアニメ作ろうよ。それで、隅田川スタジアムのビジョンで流すの。アニメのキャラクターや持ち物がオモチャになるのはおかしなことじゃないし、村越さんも、きっと納得してくれると思う」 スポーツ選手が宇宙出身のロボットにされることの不自然さに、有里は気づいていなかった。わずかに固い表情を浮かべながら、後藤が問いかける。 「有里ちゃん、昨日、何時に寝た?」 「えーっと。四時半ぐらい?」 「それは昨日とは言わないよ」 そうだそうだ。シャープペンを手にした達海が、ここぞとばかりに同調した。 「この話は明日にしよう。有里ちゃんは今日、残業禁止。定時に上がって、早く寝なさい。これは上司命令だから」 「ええ、何でー!?」 後藤の指示が正しかったことを有里が思い知ったのは、翌日のことだった。寝不足の状態だと、人間は判断力が落ちるだけでなく、一種の興奮状態に陥ってしまう。自身が口走ったことを後悔して、村越の顔を見ることができなかった彼女を待ち受けていたものは、達海が机上のメモ帳に描きこんだ「パッカ・ザ・スミダリバー」のデザイン画だった。 「俺が幼稚園か学校の先生で、これが夏休みの工作だったら、花丸やったんだけどなあ」 丹波の手が円を描くのに合わせて、彼の顔が描かれたタンバリンが賑やかな音を立てた。胴の部分には、細く尖ったプラスチックが接着されていたが、その手触りはパック寿司の人造バランに近い。だからといって、人間の髪の質感をリアルに再現されては、フットボールクラブのオフィシャルグッズが、マニアに評判のオカルトグッズに一変する危険性があった。 「有里が一生懸命なのは分かってるけど、あいつが思いつくグッズって、ハッキリ言って妙な物ばっかりだよな」 「得手不得手があるのは仕方がないですよ。まだ若いんだし、本職は広報なんですから」 堀田の隣で、石神が顎に手を当てた。 「それなんだけど。広報ってのは、グッズの宣伝が仕事だろ。どうやって、アレ売ってるんだろうな」 眼差しの先に、背中を向けた木製の人形が置かれていた。黒田こけしは世間の反響と売上は決して比例しないという教訓と、大量の在庫をクラブに残したが、最大の功績は、選手の安易なグッズ化に歯止めをかけたことだと丹波は思う。タンバリンにならずに済んだ身としては、その点だけは黒田こけしに感謝しているが、購買意欲はまるで起きなかった。 「断る勇気って大事だぞ、椿」 「へ? あ、はい」 自身のロッカーの前で宮野と言葉を交わしていた椿が、勢いよく振り返った。呼びかけに反応しただけで、石神の言葉は聞こえていなかったらしい。不思議そうに瞬きを繰り返す瞳と、わずかに垂れ下がった眉に、丹波は困った顔の柴犬を思い浮かべていた。 「あいつのグッズなら、ペット用品かな。赤崎とセットで、犬用のユニフォームとかさ」 「苗字に絡めて、植物関係かもしれませんよ」 有里が飛びつきそうな企画を提案する先輩たちに、椿が遠慮がちに疑問を投げかけた。 「あの、一体、何の話なんすか……」 ベンチから立ち上がった石神に、肩を触られた途端、椿の顔に緊張と怯えが広がった。東京都内を探し回っても、彼ほど犬の耳と尻尾が似合う成人男子は存在しないだろう。 「まあ、お前はノーと言える日本人になれってことだ」 丹波と堀田だけではなく、ロッカールームで聞き耳を立てていた選手たちが首を振る。椿は困惑した表情のまま、先輩の忠告に頷いたのだった。 |