一肌脱ぎました!


 汗と湿気が体にまとわりつき、セミが理性をかき乱すかのようにけたたましく鳴いている。
 練習場の一画が金色に揺れ、男の目を奪った。心身の不快なものを洗い落とし、溶かしてくれる都会のオアシス。そこに飛びこみたいという欲求は、歩みを進めるごとに増してゆく。親指を立てる女性の微笑に背を押され、彼はTシャツと理性を脱ぎ捨てた……。

「俺たちはグラビアアイドルじゃなくて、プロのサッカー選手なんすよ! 聞いてます!?」
 喚く赤崎の声を聞きながら、世良は携帯電話に視線を落とした。画像の彼は上半身裸でビニールプールに浸かり、かじりかけのスイカを手にしている。トレーニング後のクールダウンをイメージしたつもりだが、水遊び中の姿だと言われれば、強くは反論できない。
「こういう日常の一コマで、本当に女の人ってドキッとするもんスかね?」
「俺に聞くなよ」
 世良の隣で清川が肩をすくめた。二人は一般的な女性の心理に詳しいわけではないが、「真夏のトキメキ」という企画を立ち上げた永田有里が、そこからかけ離れた考えの持ち主であることは知っていた。
 若手選手のポストカードを販売し、台東区の社会福祉法人に収益を寄付する。女性ファンの増加と地域貢献を目的としたプロジェクトの撮影モデルに指名された時、世良は二つ返事で引き受けたものだが、冷静になって振り返れば、果たして脱ぐ必要はあったのかという疑問が湧いてくる。清川の写真は練習中のワンシーンをイメージしたのか、まくりあげたシャツの裾で顔の汗を拭う姿だった。先輩選手の腹筋をチェックする世良とは違い、世の女性たちは無防備に晒された肌に夢中になるのだろう。
「俺はA代表に定着してから、雑誌の表紙で脱ぐ予定だったのに、一枚一〇〇円で安売りされるなんて……」
「お前、アレ狙ってたのかよ」
 トップアスリートやタレントのセミヌードが表紙を飾ることで有名な女性誌を思い出し、世良は顔をしかめた。最近、浦和の越後直が表紙に起用されて話題になったことは知っているが、後輩もそれに続きたいらしい。
「雑誌の表紙なんてスケールの小さいこと言わないで、写真集出すぐらいの気持ちで大活躍しなさいよ。そのころには、このカードもプレミア価格で取引されるんじゃない?」
 印刷会社から送られてきたポストカードの見本を手に、永田有里が言った。ETUの広報部は、トップチームはもちろん下部組織の練習や試合結果も記録に残している。赤崎の今後の活躍次第では、少年時代の写真や半裸でベッドに横たわるポストカードが、お宝としてメディアに公開される日が訪れるかもしれない。
「それに、散々文句言ってる割にマジメにやってたのはこの顔見れば分かるもんね」
 赤崎の苦情を有里が聞き流しているのは、仕事の成果が画像という形で残っているからだろう。確かに、写真からは彼の意気込みが伝わってくる。気合が入り過ぎて昼寝前の表情とは思えないのが、残念なところだ。
「有里さんの言うとおりだ。赤崎、お前がんばったよ」
「リラックスしてないのも、初々しく見えていいんじゃないか?」
「生温かい目で俺を見るの、止めてくださいよ!」
 吠え立てる犬のように赤崎は抗議の声をあげる。暑いのに元気なことだ。その姿に世良が思い浮かべたのは、スタミナ自慢の後輩である。
「有里さん、椿の写真ってもうできてます?」
「もちろん!」
 写真の椿はずぶ濡れで、水の滴るシャツを手にシャワー室に佇んでいた。水分を含んだ前髪が、照れた笑顔に貼りついている。散歩の途中で夕立に遭った犬を世良は連想した。
「俺はこいつを、シャワー室じゃなくて風呂場に入れてやりてぇ」
 撮影に応じただけの後輩に何ら非はないが、頭にタオルを乗せて寮の広い浴槽を独り占めしている宮野に、世良は端に寄れと言いたくなった。
「そう! その気持ち!」
「へ?」
 唐突に響いた有里の声に、世良と清川、赤崎の三人は顔を見合わせた。
「今、椿くんの写真を見て、世良くんはお風呂の湯船に入れてあげたいと思ったでしょう。サポーターやファンの皆にもそんな風に思ってもらいたくて、今回ポストカードを作ったの」
「……俺の場合は、スイカ食いたいとか、暑いから水に入りたいとかですか?」
「人それぞれだろうけれども。季節感って大事でしょう?」
 四季を感じる心と性別は無関係だ。ましてや肌を見せる必要もない。世良はそう思ったが、口に出したところで有里がポストカードの写真を撮り直すとは思えなかった。
 赤崎の写真に目を落とす。ポーズを決める彼を目にした世間の反応が、世良にはどうしても想像がつかなかった。



 椿と赤崎の五輪代表効果もあってか、国内サッカーファンの集まる掲示板やETUサポーターのブログで、ポストカードは発売前から黒田こけしを越える反響を呼んだ。企画の成功を八割がた確信しながら、有里は書きこまれた意見に目を通していく。最近伸びている隅田川スタジアムの観客動員数を考えれば、当初の予定より印刷枚数を増やしても在庫を抱える心配はなさそうだ。
 別の選手のポストカードが欲しい。有里の予想通り、リクエストが多かったのは王子だが、チーム全体の人気を象徴しているのか、ベテラン選手の写真を求める声もあった。
 プロサッカー選手の鍛えられた体に関心が集まるのは理解できる。有里も可能であれば、四〇を越えて現役を続ける古内健の体が見たい。その好奇心に、性的なものは含まれていない。そしてネットの書きこみだけを見れば、世間には彼女と同じ思いを抱いている人間が少なくはないようだ。
「ねえ後藤さん。今度売り出すポストカード、中堅・ベテラン選手バージョン作りたいって言ったら、皆脱いでくれると思う?」
 有里の問いかけに、GMは神妙な顔つきで返事をした。
「……やりすぎると、セクハラだパワハラだって言われちまうから、程々にしとこうな」


投票で選ばれた若手選手のセクシーショットを
ポスターにして販売するという
とあるクラブの企画が元ネタです。
上田くんは未成年なので、有里ちゃんの手から逃れました。

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