今のままで十分可愛い


 机の上に置かれた雑誌には、ピンク色の文字で日本代表正GKの名前が記されていた。
 表紙を飾るモデルには、後藤にも見覚えがあったが、若い女性向けのファッション誌とサッカー選手とが、頭のなかで結びつかない。腕を組んで考えこんでいると、雑誌の持ち主が事務室に戻ってきた。トップチームの午前練習が終わったのだろう。
「後藤さん、机の前で何やってるの?」
「いや、何で星野の名前が載ってるのかと思って」
 有里はピンク色の付箋が貼りつけられたページを開いた。先日のアウェイ戦で幾度となくETUのゴールを阻んだ男が、顔の前で両手を組んでいる。差しだされた雑誌を後藤は受け取った。
「意外と重いな」
 雑誌が大きく分厚いのは、万引きや立ち読みを防ぐためのアイデアなのかもしれない。後藤の感想に、有里は呆れたように顔をしかめた。
「インタビューが載ってたから、それ買ったの。サッカーに興味のない若い女の人に、選手をアピールする方法が研究できるし、夏物のチェックもできるし、一石二鳥でしょう」
「本当に何でも仕事に結びつけるんだな、有里ちゃんは」
 苦笑を浮かべて後藤がページをめくっていると、チームマスコットと肩を組んでいる星野の写真が目に入った。川崎のマスコットは、愛嬌のあるデザインが特徴で、女性や子どもに人気が高いという。後藤はそのカットを、ETUの選手のなかでも若い女性に人気のあるジーノとマスコットのパッカくんに置き換えようしたが、男の肩に手を回すことを、頭のなかで一人と一匹が激しく拒否した。
「私、用事すませてからお昼食べるから、良かったらそれまで読んでて」
 デジカメを机に置き、有里は慌ただしく事務室を出ていった。
 ページの大半が星野の写真で占められた記事は、オフの過ごし方やリラックス方法、恋愛観など、プライベートに関する質問が目についた。サッカーの話が少ないのは、雑誌の読者層を考慮に入れてのことだろう。それでも、女性ファッション誌から取材が来るのが日本代表というものだった。
 星野のインタビューを読み終え、何となくページをめくっていると「夏の一か月着回しテクニック」や「モデル50人に聞く夏バテ解消術」と題された特集記事が後藤の目に入った。季節に応じて、衣服や持ち物はおろか、体の内側にまで気を遣う女性の心理は、後藤にはあまり理解できない。彼が知っているのは、有里の給料と、彼女がスカートよりもパンツを好んで着用することぐらいだ。可愛らしさよりも、動きやすさを重視しているのだろう。
「何だ、変わったものを読んでいるな」
 事務室に足を踏み入れた永田会長が声を上げる。営業とともに区役所に出向いていた上司の前に、後藤はフェイスパウダーの広告ページを掲げた。
「有里ちゃんが買ってきたんです。星野のインタビューを読ませてもらってたんですよ」
「あいつのことだ。若い女に受けそうな記事の書き方でも調べる気なんだろう。まったく、雑誌ぐらい気楽に読めねぇのかね」
 肩をすくめた上司に、後藤はやや固い笑みを返した。ワーカーホリック気味の娘の行動パターンは、父親に見抜かれているらしい。
「まあ、気分転換にはなると思いますよ。服も化粧品も、色々と載ってますから」
 後藤は有里の机に雑誌を戻した。そこから見えた彼女の年相応の一面が、後藤の懐かしい記憶を呼び覚ます。彼がまだETUの選手だったころ、居酒屋の小さな女の子は、大人に憧れて、少しだけ背伸びをしていたものだ。後藤を含めた周りの人々たちは、いつでも手を貸せるように距離を保ちながら、温かい目で彼女を見守っていたように思う。上司と部下という立場を忘れた呟きが、後藤の口から零れ落ちた。
「着飾らなくても、有里ちゃんは今のままで十分可愛いのになあ」
「……そういうことは、俺じゃなくて本人に言ってやってくれねぇか」
 永田会長の視線からは、わずかだが確かな困惑が感じられた。後藤に他意はないことは承知していても、面と向かって娘の容姿を褒められて、平静を保っていられる男親は少ない。表情を隠すように顔を撫でまわす上司に対し、後藤がかける言葉を探していると、リズミカルな足音が事務室に近づいてきた。


 後藤さんは無意識のうちに殺し文句を叩きだす人だと思っています。

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