思いは、つながっている


 精巧な彫刻の施された古い姿見の前で、カチュアは黒い上着に袖を通した。白い脚を包む黒いスカートに黒い革靴。脇の寝台には、黒い帽子が無造作に置かれている。化粧気のない表情は暗く、葬儀に参列してもおかしくない姿だが、それが王女となってからのカチュアの日常の衣服であった。
 一国の君主に相応しい衣服を作らせるにあたって、カチュアは王都ハイムの仕立て屋に黒い服を注文した。それを知ったランスロット・タルタロスが、暗黒騎士団との友好の証なのかと愉快そうに呟いたことを覚えている。黒を身にまとうことで暗黒騎士たちのなかに入り込もうとする意志が、まったくなかったとは言いきれない。だが、カチュアにとって、それは喪服であった。
 彼女が悼むのは、たった一人だった。誰からも必要とされず、関心を持たれることもなく、もはや生きているとはいえなくなったゴリアテの神父の娘。カチュアであって今のカチュアではない者のために、彼女は喪服をまとう。ヴァレリアの覇王の娘カチュアは、ゴリアテの神父の娘カチュアとひきかえに、世に現れ出たのだ。今のカチュアには、過去の自分を悼む義務がある。少なくとも、カチュアはそう信じていた。
 正直なところ、カチュアはヴァレリアの覇権になど興味はない。身体に流れる覇王の血が与えた富や権力は、僧侶の教えを受けたカチュアにとって、貴重なものではなかった。彼女の望みは、誰かに傷つけられることなく、誰かを傷つけることなく、静かに穏やかに暮らすことだった。今も昔も、その思いだけは変わらないでいる。
 だが、現実はどうだろうか。机の宝石箱から首飾りを取り出して、カチュアは笑う。明るさや朗らかさとはかけ離れた、苦い笑いだ。平和な生活を望むカチュアの言葉を聞きいれず、戦うことを選んだ弟。命を奪われる危険に常に立たされながら、命を奪い血にまみれる生き方を選んだ彼は、家族の身を案じるカチュアの思いを理解しようとはせず、カチュアは自らの意志でゴリアテに戻った。デニムとの血の繋がりを否定されたときには、何となく納得さえしたものである。血の繋がらない人間を切り捨てるのは、ある意味、当然のことではないだろうか。
 そして、孤独に追い落とされたカチュアに手を差し伸べたのは、養父の仇であるはずの暗黒騎士だった。彼らの手を取った瞬間、カチュアはゴリアテの神父の娘から、覇王の娘へと姿を変えたのである。平和を求め、戦いに背を向けた彼女の行き着いた先は、戦いと深い繋がりを持つ、権力のただ中であった。
 育ての親の仇の手をとったことを、カチュアは親不孝だとは思わない。自分を必要としてくれる者のもとにつく。それだけのことだ。たとえ、彼らがカチュアを必要とするかたちが、どのようなものであっても。
 姿見で首飾りの位置を確かめると、カチュアは静かな足取りで部屋を出た。首飾りの赤い宝石が、一瞬、血の色の光を放った。

 久しぶりに会うデニムは、別れた時に比べて少し背が伸びていた。少年と青年の狭間にある顔立ちは、力強く前を見つめている。彼を姉の目で見ている自分に気づいて、カチュアはいまわしげに首を振った。目の前に現れた男は、カチュアの敵だった。血を分けた兄弟でさえも争いあうこの戦乱の世の中で、血の繋がらない姉弟が戦うことが不思議であるはずがない。かつて姉弟と呼び合った二人は、暗黒騎士団と神竜騎士団とに分かれ、戦う敵となったのだ。
 奇襲によって幕を開けたバーニシア城の攻防戦は、神竜騎士団に有利なまま城内戦へと持ち込まれた。城門と中庭を突破して勢いに乗る神竜騎士団には、連戦の疲れはない。戦況の不利を悟って、ランスロット・タルタロスが撤退を呼びかけた。しかし、デニムの顔を見たときから少しずつ冷静さを失っているカチュアには、それを受け入れることができなかった。戦闘の専門家としてのランスロット・タルタロスの判断も、カチュアには臆病者の言葉にしか聞こえない。
「いやよ、逃げるのはもうたくさんだわ!」
 叩きつけるように叫ぶと、カチュアは矢のように戦いの場に飛び出していた。今までデニムに抱いていた深く激しい感情が、カチュアを突き動かしていた。ランスロット・タルタロスが、彼女の背後で舌打ちした。
 デニムはカチュアの前に姿を現すべきではなかった。どこか遠いところで、カチュアとは関わらずに暮らしていればよかったのだ。そうすればカチュアは、デニムへの深い憎しみを思い出さずにいることができたのに。
 戦いのため、ヴァレリアのため、人々のためという大きなものにばかり気をとられて、一番近くにいたカチュアの胸の痛みを考えもしなかった少年。彼は、カチュアを必要だと言ってくれる人に剣を向け、彼女が新たに得た居場所を奪おうとしている。彼のために心を痛めるのは、もうまっぴらだった。  暗黒騎士の壁を縫うように、カチュアは短剣を構えてデニムへと向かった。デニムは自らの手で倒さなければならない。死んだ者には、感情も思考もない。彼が死ねば、カチュアがデニムに必要とされていないという現実は、消えてなくなる。憎しみは、過去の思い出へと昇華される。そして、カチュアは二度と、デニムに傷つけられずにすむ。
「姉さん!」
 なぜ彼は、未だにカチュアのことを姉と呼び、暗黒騎士団に騙されているのだと訴えかけるのだろう。呼びかけるデニムの声が、カチュアには不愉快だった。暗黒騎士団が、善意や好意でカチュアに手を差し伸べたのではないことぐらい分かっている。だが、たとえ道具であろうと、利用するだけの存在であっても、カチュアは必要とされている。彼女が暗黒騎士のもとにいるのは、そんな理由だった。
「あなたは、私を必要としてくれるの!?」
 その言葉に打たれたように、デニムが目をみはっている。彼の表情が見てとれる距離まで、カチュアはデニムに近づいていた。さらにデニムに近づこうとしたところへ、一人の暗黒騎士が飛び出してきた。彼が振り下ろした剣とデニムの剣が、音を立ててぶつかる。刃と刃が擦れて耳障りな音を立てた次の瞬間、カチュアは姿勢を低くして暗黒騎士の体の影からデニムの懐へ滑りこんでいた。勢いを利用して、短剣を前方に突き出す。
 鈍い手ごたえとともに、カチュアの頬を返り血が濡らした。勢い余って体勢を崩した彼女が床に両膝をついたと同時に、断末魔の悲鳴をあげたのは、デニムではなく、彼と斬り合いを演じた暗黒騎士だった。カチュアの突きと同時に、デニムは一歩踏みこんで暗黒騎士の喉を貫いていたのだ。彼の動きに流されたカチュアの短剣は、デニムの鎧を引っ掻いたのである。その短剣は床の上に転がっており、持ち主の手にはない。短剣の鈍い銀灰色の輝きが、デニムを殺める機会が失われたことを、カチュアに告げていた。
「姉さんを頼む。くれぐれも丁寧に扱ってくれ」
 命令を受けた二人の僧侶が、カチュアの腕を左右からとって、彼女を戦いの輪から離れた場所に連れだした。そのうちの一人の顔に、カチュアは見覚えがあった。デニムが、亡きロンウェー公爵から与えられた兵士の一人で、何度か言葉を交わしたこともある女性だ。見つめられていることに気づいて、彼女は口を開きかけたが、カチュアは話しかけられる前に顔を背けていた。そして、顔を知っている神竜騎士団の人間が彼女だけではないことに気づいたのである。
 暗黒騎士が一人また一人と倒れていく光景を眺めながら、カチュアは両脇を僧侶に挟まれて壁にもたれかかっていた。抵抗しないのは、顔見知りの人間に心を許したからではなく、その必要がなかったからである。
 不利に陥りつつある暗黒騎士団のなかで、団長ランスロット・タルタロスの動きはめざましかった。剣で神竜騎士団の兵士を次々に切り倒し、数を減らしつつある部下たちに鋭い指示を与える。彼がいる限り、暗黒騎士団の敗北はありえないようにカチュアには思われた。そして、その思いは、カチュアだけでなく、今バーニシア城で戦っているすべての者が抱いていたのである。
 デニムと神竜騎士団は、攻撃をランスロット・タルタロスに集中させた。それを察した暗黒騎士たちがランスロット・タルタロスの周りに鎧の壁を作り、神竜騎士団の剣士たちと激しく剣をぶつけあう。  戦いを終わらせたのは、突如としてランスロット・タルタロスの体に降り注いだ青い光だった。光が放つ強い冷気が、カチュアの周りにも流れてくる。隻眼の騎士の体を打ち叩く光は、獣の姿をとっていた。水の召喚魔法フェンリル。氷と雪の青い狼を、カチュアは初めて見た。そして、ランスロット・タルタロスが膝をつく姿も。
「くっ、ここまでか……」
 暗黒騎士団を束ねる男の鎧に、霜が張りついていた。白い息を吐き出しながら彼が懐から取り出したものを見て、カチュアは目をみはった。ランスロット・タルタロスは、自分一人で脱出する気なのだ。部下だけでなく、カチュアまでも置いて。
「待って、置いて行かないで!」
 悲鳴をあげたカチュアを顧みず、ランスロット・タルタロスは転移石の力を解き放った。かき消える彼に向かって伸ばされたカチュアの手は、やがて力無く床に落ちた。
 そして、バーニシア城とカチュアの身柄は、神竜騎士団の手に渡った。

 バーニシア城一階の北側に位置するその部屋に、カチュアはデニムに招き入れられて初めて足を踏み入れた。小さな部屋は薄暗く、長いあいだ使われていなかったとみえて、床に灰色の埃が積もっていた。
「私をどうするつもり?」
 舞い上がった埃がしずまってから、カチュアは口を開いた。どうやら、神竜騎士団とデニムには、カチュアを捕虜として扱う気はないようだった。短剣が返されたことからも、それが分かる。だとすれば、暗黒騎士団と同じように、ヴァレリアの覇権を得るための道具として、表向きは丁重に扱うのだろうか。必要がなくなって切り捨てるその日まで。
「私はヴァレリアの君主ベルサリアよ。あなたの姉さんじゃないわ」
 カチュアを姉と呼ぶデニムの声を、カチュアははねつけた。カチュアの心はひどく疲れきっており、何もかもに嫌気がさしていた。権力の近くにありたいがためにカチュアに群がる人間にも、彼らの手を取ることでしか、ひとに必要とされていることを実感できない自分自身にも。
 なぜそうなってしまったのか、カチュアはぼんやりと考える。ゴリアテの神父の娘でいたころは、父がいて弟がいた。彼らが本当に自分を必要としているかなどと疑問に思う必要もなかったし、彼らの側にカチュアの居場所は当たり前のようにあった。自身の居場所が家族のもとにあることを、逆に言えば、彼らがいなくなれば一人になってしまうことを、カチュアは知っていた。知っているからこそ、それが失われることをひどく恐れた。孤独への恐れこそが、ひとに必要とされたいというカチュアの思いにつながっていた。
 それが理由なのだろうか、デニムが家族として暮らしてきた年月に触れたとき、カチュアは感情の鞭を叩きつけていた。叩きつけずにはいられなかった。
「私を置き去りにしたくせにっ!」
 デニムを責める鋭い言葉ばかりが、カチュアの口をついて出る。彼女を一人にしたのが、デニムであるのか、彼を引き込んだ戦いそのものであるのか分からないままに、強くなじることでしか、カチュアは目の前の少年に心を伝える術を持たなかった。
 デニムは、静かにカチュアを見ていた。カチュアの言葉に反発することなく、控えめに言葉を紡ぐ。子どものころ、カチュアの愚痴の聞き役は、いつもデニムだった。カチュアの目の前を過去の光景がよぎった時、デニムが顔をあげた。
「僕は、姉さんを愛してる」
 カチュアは目を瞬かせた。望んでいた言葉を、突然与えられたとき、ひとはどんな表情をすればいいのだろう。何を思えばいいのだろう。ただ一つ確かなことは、カチュアが知るデニムという少年は、愛という言葉を嘘や偽りで口に出せる人間ではなかった。
 まばたきを繰り返すカチュアに向かって、デニムはさらに言葉を投げかけた。彼が父の死を告げたとき、カチュアは思わず埃だらけのテーブルに手をついていた。暗黒騎士団に連れ去られたときから、彼のことは諦めていたが、その死を目の前に突き付けられると、心が痛んだ。
「父さん……」
 彼との血のつながりはなかったが、カチュアはその人を呼ぶ言葉を他に知らなかった。国よりもカチュアを選んだ人の思いに、娘と呼んでくれた人の思いに、彼が生きているうちに触れたかった。
 大粒の涙が、カチュアの瞳から落ちる。それは、家族の愛情を確かな形で求めずにはいられなかった、自身の弱さを悔やむ涙だった。なぜ、過ごしてきた日々を信じられなかったのだろう。時間とともにあった思いは、常に真実であったのに。カチュアの頭を撫でる父の手は、いつも大きくて暖かかったのに。
「ごめんよ、姉さん。でも、もう離れたりしない」
 約束の言葉が、カチュアの心にしみわたる。子どものようにこぼした涙が、心の曇りを拭い去ったのだろうか。デニムの腕の温もりは、父のそれによく似ていた。子どもだとばかり思っていた弟は、いつの間にかカチュアを支えられるほどに大きくなっていたのだ。そして、カチュアを求めていることを言葉にして示してくれた。
 回り道をして、悩んだ末に、やっとカチュアがたどり着いた場所。それは家族と共にいた最初の場所だった。だが今は、そこに確かな形でデニムの思いと、父の思いがあり、今のカチュアには、それが見える。そして、これから先、二人が離れることがあっても、心はいつも一緒にいる。それが、姉弟の交わした新たな約束だった。
 父の思いが届いたように、デニムが思いを示してくれたように、カチュアがそれを受け入れることができたように。思いは、つながっている。


 お待たせしました。5000Hitリクエスト創作です。
 世紀末覇者さんのリクエストは、タクティクスオウガのデニムとカチュアが主人公、
カチュアの生死が決まってしまう選択肢の所をハッピーエンドでできればシリアス、ということでした。
 時間がかかった理由の1つに、カチュアが非常に書きにくかった、ということがあります。
これは好き嫌いとはまた別の問題なのですが、本当に書きにくかったです。
カチュア一人称で書いたほうが、話が進めやすかったかも。
 カチュアの生死にからむデニム視点の話は、7000HITリクで書こうと思っています。
 何だか尻切れトンボっぽい感じがしないでもないのですが、世紀末覇者さまに喜んでいただければ幸いです。
それと、リクエスト頂いてから8ヶ月もかかってしまい、誠に申し訳ありませんでした。

オウガ小説のコーナーに戻る