伝える瞳


 いつの頃からか、刃を向けられることには慣れてしまっていた。それが体に届く前に、相手に致命傷を与える。自分と仲間の命がかかっているなかで、敵を殺さずに済ませる余裕はない。戦った相手の顔など、一人ひとり覚えてはいられなかった。
 それでも、その時振りかざされた短剣の銀の軌跡と、闇を染め抜いたような黒い衣装を、姉の瞳とともに、デニムははっきりと覚えている。

 生き残ったバクラム兵が一人残らず捕らえられたのを見届けると、デニムは息を吐いた。隊のリーダーが倒れれば、戦闘は終わる。しかし、勝ち残った者には、負傷者の治療や戦利品の収集などの仕事が待っている。敵兵の処理も、その一つだ。
「僕たちは、君たちバクラム兵を殺すつもりはない。時期が来れば、君たちを解放する。だからそれまでは、我々の指示に従ってもらいたい」
 低い声で語りかけながら、デニムは捕虜となったバクラム兵の顔を端から順に眺めた。同胞を奪われた怒りの眼差しを向ける者、助からんがために媚びた笑みを浮かべる者、脅えたように目をそらす者。それらを刻みつけるように、デニムは全員の顔を見終えたあと、大きく頷いた。
「デニム、けが人の手当は終わったわよ」
 草を踏んで近寄ってきたオリビアが、デニムの右後ろに立つ。黒い瞳が、デニムの背中と縄をかけられたバクラム兵を交互に眺めているのが分かった。
「仕方ないさ。彼らの口から、僕たちの行動を漏らされては困るからね」
「ええ、分かっているわ」
 オリビアの気遣うような穏やかな声が、自分の言葉が言い訳じみていたことをデニムに気づかせた。ランベスの丘で戦い生き残ったバクラム兵を捕らえるのは、バーニシア城の奇襲を成功させるために必要なことなのだ。それを決断したのはデニム自身であるのに、なぜか後ろめたさに似た思いがつきまとっている。
「これから、どうするの?」
「どうするも何も、城を目指すに決まっているじゃないか。このまま進軍すれば、明日には城に着ける。どうして今になって、そんなことを聞くんだい?」
 軽いが明らかな苛立ちが、デニムの口調に刺を含ませる。爪先で突いた小石が、飛沫をあげて川に転がり落ちた。
「あなたの気持ちを確かめたかったの。それだけよ」
「僕の気持ちだって?」
 デニムの声には戸惑いが含まれている。
「僕の気持ちが何だっていうんだ。いいかい、僕たち神竜騎士団は今、王女救出のために動いている途中なんだ。僕はリーダーとして、作戦を成功させることを考えている。まさか君は、僕が作戦に私情を挟もうとしているとでも言うつもりなのか?」
「そんなことは言わないわ。ただ」
「ただ、何だい?」
 引き寄せられるように、デニムは振り返る。オリビアの大きな黒い瞳が、鏡のようにデニムの顔を映していた。
「戦いに勝つことだけが、あの人を助ける方法じゃない。そう言いたいの」
 オリビアの言葉が、デニムの記憶を甦らせる。かつて刃とともに向けられた姉の冷たく乾いた瞳。心に刺のように突き刺さった眼差しを、デニムは振り払えずにいる。
「そうだね。ただ、姉さんに会うだけじゃ、きっと駄目なんだ」
 再びまみえたとき、カチュアはその瞳でデニムを拒むだろう。限りなく確信に近い予感とともに、デニムは恐れを抱いている。カチュアの瞳にちらつく負の感情が、今までに戦場で味わったものとは異質の恐れを呼び起こしていた。
「そうね。会うだけでは、何も変わらないわ。デニム、あなたとあの人の関係も、あのひとの心も」
 デニムの心の内を知っているのだろうか、オリビアの声は優しい。黒い瞳は、なおもデニムを見つめたままだ。
「あなた、前にシェリー姉さんに言ってくれたことがあるでしょう。愛されていることは分かっているのだろうって。あなたがそう言ってくれたから、私たちは許しあうことができた。言葉に出さなければ、本当に大切なことは伝わらないの。それはきっと、あなたたちにも当てはまることだわ」
 ゴリアテに去られたときも、フィダック城で切りかかられたときにも、デニムはカチュアにかける言葉を見つけられなかった。だが、彼女に届けるべき言葉は、最初からデニムの心の奥に用意されていたのだ。突きつけられた殺意に動揺し、暗い瞳に脅える理由。それこそが、デニムが伝えるべき思いなのだ。大切な人が憎悪に駆られる姿を、デニムは見たくはなかった。
「ありがとう、オリビア。僕はもう、大丈夫だから」
 どういたしましてとオリビアが微笑む。デニムの心に、もはやためらいはない。拒絶されるためではなく、思いを届けるために、言葉で伝えるために、彼は姉に会いに行く。

 そして、デニムの言葉は、カチュアの瞳を暖かな涙で濡らす。


 お待たせいたしました。7000ヒットリクエスト作品です。
マタロウ2様からは、デニムのネタというリクエストをいただいていました。
 カチュア絡みの話にすることが決まった時点で、オリビアに登場いただいたのですが、
もうちょっとシェリーの話題を出してもよかったように思います。
 タクティクスのキャラって、みんな難しいです(涙)……。

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