ふるさとのひと


 いつの頃からか、男は彼女を見ていた。しかし、彼女の目は、彼ではない別のものを見ていた。彼女の視界に自分の姿がないことに、男は不満や嫉妬を感じたりはしなかったが、彼女が見つめているものに、軽い興味を抱いた。
 そして、彼女の視線を追うことで、ジュヌーンは簡単にそれを知ってしまった。
 我執のガンプ。
 彼こそが、オクシオーヌの視線を捕らえて離さない者だった。

「確かに、オクシオーヌが何をしようとも、私には何も言う資格はない。だが……」
 ジュヌーンの言葉の後半は口の中で消えて、デニムだけでなく、ジュヌーン自身にも聞き取れなかった。彼の手は大きく震えていて、今にもビールジョッキを握りつぶしかねない。ジュヌーンが、戦闘や剣術に関する相談をデニムから受けたことは何度かあったが、逆にデニムに相談事を持ちかけたことは、今までになかった。
「ガンプさんは猛獣使いですし、オクシオーヌも竜使いですからね。お互いに親しみがわいて、話が弾んだりするんじゃないですか?」
 ジュヌーンのジョッキを気遣いながら、デニムが一般的な意見を口にだした。年齢が近いせいか、デニムはオクシオーヌと仲が良いのだ。
「そんなに心配しなくても、ガンプさんは悪い人じゃありませんよ」
 ジョッキに残っていたビールを飲み干してから、酔いと苛立ちを振り払うようにジュヌーンは軽く首を振った。
「それは分かっているが、君は、何も聞いていないのか?」
 デニムは首を横に振った。デニムはオクシオーヌにとって、兄のような人間だ。彼に尋ねれば、何らかの手がかりが得られるかもしれないと考えていたのだが、ジュヌーンの読みは見事に外れてしまった。
「本当に大事なことなら、僕よりもジュヌーンさんに話すと思いますよ。彼女なら」
 笑みをこぼしながらデニムは言ったが、少し考えてから付け足した。
「そんなに気になるのなら、オクシオーヌに直接きいてみればどうです? まあ、そんなに心配することはないと思いますけれども」
「機会があれば、そうしよう。……世話をかけたな」
 不安はまだ取り除かれてはいなかったが、デニムの気遣いに感謝して、ジュヌーンは頷いてみせた。気づかぬうちに酒を飲み過ぎていたらしく、立ち上がった途端に酔いが回って、両手をテーブルについてしまった。
「ええ。それじゃあ、おやすみなさい」
 デニムに見送られて、ジュヌーンは薄暗い廊下に出た。火照った体を取り巻く、冷えた空気が心地よかっ た。
 オクシオーヌにとって、ジュヌーンは両親と故郷の仇である。彼女に憎まれても当然だとジュヌーンは考えているが、なぜかオクシオーヌは、ジュヌーンを頼れる保護者と見なし、慕ってもいるのだった。
 オクシオーヌが何を考えているか、正直なところ、ジュヌーンには分からない。また、彼自身がオクシオーヌに抱いている感情さえも、つかみきれていなかった。
 娘に恋人ができて、動揺する父親のような気分。
 突如として閃いた言葉を、ジュヌーンは慌てて打ち消した。彼がそんな気分を味わうのは、まだ遠い未来であるはずだった。

 廊下を行き交う兵士たちの足音と話し声で、ジュヌーンは眠りから覚めた。すぐに起きあがろうとしたが、頭の痛みに引きずられて、ジュヌーンは寝台に体を戻してしまった。二日酔いのせいか、寝覚めは最悪のものだった。
 柔らかな日差しが、窓から飛び込んでくる。だが、心地よい朝の訪れを拒むように、ジュヌーンは顔をそむけて両目を閉じた。
「やぁだ、カノぷ〜ってば怒っちゃイヤよ」
「誰がカノぷ〜だ、誰が!?」
 廊下から聞こえる、デネブの甲高い笑い声とカノープスの怒鳴り声が、ジュヌーンの頭を激しく叩いた。思わず両手で耳を塞ぎ、次の瞬間、ジュヌーンは慌てて体を起こした。
 普段ならば、ジュヌーンは朝食を終えた後でカノープスと顔を合わせる。ちょうど食堂で入れ違いになるのだが、デネブとは食堂で顔を合わせたことがない。聞いた話では、デネブはカノープスが食事を終えるころに食堂に現れ、カノープスを引き留めては何かと言い合いをしながら、朝食を済ませるそうだ。
 その二人が朝食を終えているということは、ジュヌーンはかなりの朝寝坊をしたことになる。急いで身支度を整えたが、体は思う通りには動いてくれず、普段よりも余分に時間がかかった。
「よう、ジュヌーン、お前さんが寝坊するなんて、珍しいな」
 赤い髪を揺らしながら笑いかけてくるカノープスに挨拶を返して、ジュヌーンは階段を降りた。食欲はまったく無かったが、食堂に顔だけでも出しておかなければ、デニムとオクシオーヌが心配することを、ジュヌーンは知っていた。

 食堂に足を踏み入れた途端に、温かなスープの匂いがジュヌーンの鼻に流れ込んできた。中を見回すと、食堂の席は半分以上、空いていた。多くの者は、既に朝食を終えているのだろう。さきほどデネブと出会ったのは、珍しいことに、彼女が早起きをしたためだろう。
「ジュヌーン、おはよう!」
 声のした方向を見ると、オクシオーヌが勢いよく立ち上がって手を振っていた。軽く片手をあげて挨拶を返すと、ジュヌーンはオクシオーヌの真向かいの席に腰を下ろした。
「いつもはもっと早いのに、珍しいのね」
 ミルク入りのコップに手を伸ばしながら、オクシオーヌは栗色の瞳をジュヌーンに向けた。朝食の時間にジュヌーンとオクシオーヌが顔を合わせたことは、今までにほとんどなかった。これは、オクシオーヌが寝坊なのではなく、ジュヌーンが早起きだからである。
「ゆうべは寝るのが遅かったからな」
 二日酔いだなどと本当のことは言えないので、ジュヌーンは曖昧に頷いてみせた。
「朝ごはん、取りに行かないの? 早くしないとなくなっちゃうわよ」
 正直なところ、二日酔いのせいでジュヌーンには食欲がなかった。朝食には目もくれず、部屋に戻ってもう一眠りしたいというのが彼の本心だった。
「ああ、そうだな。まだ残っているといいのだが」
「あっ、ちょっと待って」
 立ち上がりかけたジュヌーンを、さらにオクシオーヌは引き留めた。カップをテーブルに置いて、ジュヌーンの髪に手を伸ばす。
「ほら、寝癖。しっかりしてよね」
「……ありがとう」
 オクシオーヌの口調は素っ気なかったが、彼女の親切心はジュヌーンにも伝わった。せめてスープだけでもと考えてスープ鍋に近づいた時、屈強なその男の姿がジュヌーンの目に飛び込んできた。
「ああ、どうも」
「……ああ」
 ジュヌーンが軽く会釈すると、その男、ガンプは横目でジュヌーンを見やり、挨拶らしきものを返した。
 騎士団に加わったころのガンプは、デニム以外の人間と口をきくこともなく、城の外で魔獣たちとともに食事をとっていたが、最近は二日に一度ほどであるが、人の少ないころを見計らって食堂に現れ、食事をしているのだった。
 食事当番の人間からスープとパンを受け取ってジュヌーンが席に戻ると、オクシオーヌは皿の上の果物をフォークで切っているところだった。
「ごはん、それだけでいいの?」
「あまり食欲がなくてね」
 軽く肩をすくめながら、ジュヌーンはスプーンを手に取った。オクオーヌとの他愛のない会話が、頭に澱む疲れと眠気を消し去っていくのが分かる。
 ジュヌーンは、何度かスープをスプーンでかき回していたが、いつの間にかオクシオーヌの手の動きが止まっていることに気がついた。
「……?」
 オクシオーヌは、食堂の一角を見つめていた。その方向には、デニムと言葉を交わすガンプの姿があった。
「オクシオーヌ?」
 ジュヌーンの呼びかけで我に返った拍子に、オクシオーヌはフォークに刺していたリンゴをコップの中に 落としてしまった。ミルクの飛沫が小さくはねる。
「どうかしたのか?」
 オクシオーヌの顔をのぞきこんでいるうちに、ジュヌーンは昨晩のデニムとの会話を思い出した。今こそが、オクシオーヌと話をする機会であるように思われた。
「あのね、ジュヌーン」
 先に仕掛けたのは、オクシオーヌのほうだった。わずかに彼女のほうに顔を寄せながら、ジュヌーンは背筋を伸ばす。そして、オクオーヌがどのような攻撃をしてきても対応できるように、身構えた。
「実は、ガンプさんのことなんだけれども」
「そう言えば、オクシオーヌは最近、彼とよく話をしているようだね」
 その言葉をジュヌーンはある程度予想していたから、問題なく答えることができた。だが、ジュヌーンが気にかけているのは、彼女がその次を何と続けるかであった。仮にオクシオーヌが、「私、戦いが終わったらガンプさんのお嫁さんになるの」などと言いだしたとしても、ジュヌーンには何と言ってやればよいのか、分からない。
「あの人、似ているの」
 オクシオーヌはそう言いながら、口の前で両手の指を組んだ。声が弾んでいるように聞こえるのは、ジュヌーンの思い過ごしではないだろう。
「そうか、似ているのか」
 ガンプは誰に似ているというのだろう。ジュヌーンがその疑問に行き当たったのは、オクシオーヌの言葉に神妙にうなずいた後だった。
「私の村の、大人の男のひと。みんなあんな感じなの。だから、ちょっと懐かしい感じがして」
 椅子から転がり落ちそうになったところを、ジュヌーンは辛うじて持ちこたえた。腰掛けていた椅子が床にぶつかって大きな音を立てる。
「村の……男?」
 オクシオーヌの故郷は、ジュヌーンの手で滅ぼされた集落は、竜使いの村ではなかったのだろうか。ジュヌーンは今までに竜使いの男性を見たことがなかったが、オクシオーヌの村の大人はすべて竜使いであると、当然のように思い込んでいた。
「知らなかったの? 私の村の男の人は、成人したらみんな、猛獣使いになるのよ。それでね、竜使いの資格を得るために、よその国に行って修行するの。男の人でないと竜使いになれない国があるんですって」
 オクシオーヌが竜使いだと知った時のゼノビア人の奇妙な行動を、ジュヌーンは思い出す。カノープスはオクオーヌの栗色の髪を食い入るように見つめ、ギルダスはオクシオーヌのふくらみはじめた胸を、うかがうように横目で見ていたのだ。
 今にして思えば、ゼノビアこそが、男でなければ竜使いになれない国なのだろう。ゼノビア人が女の竜使いを珍しがるのも、無理のないことだった。
「男は、大変なのだな」
「そうよ、中には竜使いの資格をあきらめて、猛獣使いとして一生を過ごす男のひともいるんだから!」
 懐かしそうに故郷を語るオクシオーヌは、どこか誇らしげであったが、軽い目眩に襲われたジュヌーンは、彼女の言葉を聞いていなかった。
 ジュヌーンの目の前に、砂浜と小さな村の光景が広がっていく。小さなオクシオーヌにとって、世界のすべてだった場所。そこには、オクシオーヌがいて、彼女の両親がいる。ほんとうの娘のようにオクシオーヌを可愛がってくれた、親切なおじさんとおばさんがいる。しょっちゅうオクシオーヌと喧嘩をした、いたずら坊主がいる。村で一番大きな家には、物知りの村長が息子夫婦と暮らしている。
 そして、筋肉隆々の男たちは、みんな頭の真ん中が禿げているのだ。のどかな村の穏やかな光景が、一転して汗が臭うむさ苦しい光景に変わる音を、ジュヌーンは聞いたように思う。今は亡きバルバトス枢機卿が竜使いの村を粛正した理由が、何となくだが分かった気がした。
「戦いが終わったら、ガンプさんは村の復興を手伝ってくれるかしら?」
 そう言ってオクシオーヌが言葉を締めくくった時、ジュヌーンは、口の中に苦いものがこみあげてくるのを感じた。喉と唇は乾ききっている。オクシオーヌの言葉を繰り返すことしか、彼にはできなかった。
「村の、復興?」
「ジュヌーンも手伝ってくれる? 村を立て直すの」
 それはジュヌーンに猛獣使いに転職しろと言っているのだろうか。否、ジュヌーンにはそうとしか聞こえなかった。
「だが、私は、猛獣使いには……」
 ただでさえ、ジュヌーンは最近、髪の生え際が気になっているのだ。ひとたび猛獣使いに転職してしまえば、髪は二度と戻って来ないかもしれない。また、今まで竜騎士として戦ってきた、誇りと自負心もあった。
「やっぱり、嫌?」
 ジュヌーンの態度を拒絶の意志だと受け取って、オクシオーヌは顔を曇らせた。それを見てジュヌーンは息を飲む。寂しさのあまり今にも泣き出してしまいそうな、それでいて辛さに必死で耐えている表情。出会ったころの彼女は、よくこんな表情をしていた。
「すまない、私が悪かった」
 だが猛獣使いだけは勘弁してくれと心の中でつぶやきながら、ジュヌーンは頭をさげた。オクシオーヌの表情は、変わらない。
「ジュヌーンさん、オクシオーヌはどうかしたんですか?」
 離れた場所からオクシオーヌの様子を見ていたのか、デニムが声をかけながら二人の側に近づいてきた。
「ああ、デニムくん。実は……」
「あのね、デニム、ちょっと耳貸して」
 ジュヌーンが説明するよりも早く、オクシオーヌはデニムの頭を引き寄せて何事かをささやいた。時折、ジュヌーンの顔を見ながら、デニムは熱心にオクシオーヌの言葉に聞き入っている。
「ダメだよ、オクシオーヌ。そんなわがまま」
 オクシオーヌの口元から耳を離すと、デニムはまず、そう言った。顔をしかめたオクシオーヌには申し訳なかったが、それを聞いたジュヌーンは、安心して静かに息を吐いた。
「ジュヌーンさんにはしばらくの間、忍者として修行をしてもらうんだから。猛獣使いにクラスチェンジして欲しい、なんて無茶だよ」
「そう……」
 再びオクシオーヌはうつむいてしまった。それを見たデニムは、慌ててオクシオーヌを宥めにかかる。
「君の気持ちは分からないわけじゃないけど……」
 そう言いながら、デニムはほんの一瞬だけ、ジュヌーンを見た。その表情に、なぜか嫌な予感がして、ジュヌーンは身構えた。
「何だったら、ジュヌーンさんに頼んで、髪形だけ猛獣使いっぽくしてもらえばいいんじゃないかな。忍者は頭巾をしているし、兜をすれば目立たないだろうし、いい考えだと思うけど。どうです? ジュヌーンさん」
 ジュヌーンは答えない。彼は足音を立てぬよう細心の注意を払いながら、食堂を抜け出そうとしたのだが、扉の前に着いたところでオクシオーヌとデニムに気づかれてしまった。
「もう! ちょっと待ってよ、ジュヌーン!」
 椅子からオクシオーヌが勢いよく立ち上がるのが見えた。駆け出そうとした瞬間、だがジュヌーンは後ろから両肩をつかまれた。オクシオーヌに気をとられていて、他の者の存在に気づかなかったのだ。
「ガ、ガンプさん、なぜ……」
「ありがとう、ガンプさん!」
 ガンプは体の向きを変えると、捕まえたジュヌーンの背中を軽く押して、駆け寄ったオクシオーヌに引き渡した。そのまま、オクシオーヌの礼も聞かずに去って行く。
「捕まえたわよ、ジュヌーン。逃げようったって、そうはいかないんだから」
 オクシオーヌは両手でジュヌーンの首にしがみついて、彼の頭を抱え込んだ。当然、ジュヌーンは振りほどこうとしたが、オクシオーヌは意外に力が強く、それはできなかった。
「オクシオーヌの頼みなんですから、聞いてあげてくださいよ、ジュヌーンさん」
 逃げ場を失ったジュヌーンが目だけを動かしていると、窓から外の景色が見えた。
彼が目覚めた時、外は晴れていたのに、今は雨が強く降っている。
 ジュヌーンの髪を乱暴に撫でながら、オクシオーヌは無邪気な声でデニムに語りかけた。
「早く見てみたいな、ジュヌーンの猛獣使い頭」
「……!!!!!」
 ジュヌーンの抗議をかき消すかのように、外で雷が鳴り響いた。


 この話はギャグですが、実は元となった話は、Lルートを主題にした重めのシリアスだったりします。
 Lルート三章を舞台にして、ジュヌーンが主役の話を書くつもりでした。
 ジュヌーンといえば、竜使いの村とその生き残りであるオクシオーヌの存在が切り離せませんが、
そこで私は、「なぜ、竜使いの村が粛清されねばならなかったのか」を考えました。
 まだ少女であるオクシオーヌがあれだけ強いのですから、彼女の村の竜使いたちは、かなりの戦闘力を持っているはずです。
為政者の立場からすれば、粛清するよりも自軍に引き入れたほうが、役に立つのではないでしょうか。

 竜使いの村が粛清された理由を、私は次のように考えています。
 「竜使いの村は、ガルガスタン王国軍から軍事強力を求められたが、それを拒んだために枢機卿の怒りを買い、粛清の対象となった」

 では、竜使いの村とはどんな村だったのか。私の想像はそちらに向いて行きました。
そして、ドラゴンテイマーには、(ヴァレリアでは)女性しかなることができないという、
基本的な事実に行き当たります。
 ドラゴンテイマーになれないとすれば、竜使いの村の男は何をしているのか。
海の神バスクを信仰しているというから、海の男(=漁師)なのか。ポケモンブリーダーならぬ、
ドラゴンブリーダーでもやっているのか。
それとも、Lサイズユニットを扱っているという点で、ビーストテイマーにでもなっているのか。
 ビーストテイマー! あのハ……ではない、インパクトの強いヘア・スタイル!
 そしてドラゴンの頭蓋骨(にしか私には見えません)をかぶったドラゴンテイマー!

 こうしてみると、竜使いの村とはなかなかスゴイ村であるように思えます。
そして、私は本来のシリアスを忘れ、ギャグ小説の道を突き進んで行ったのでした……。

オウガ小説のコーナーに戻る