風を癒すオアシス


「彼女に、そうしろとおっしゃるのですか!」
 怒りとやるせなさと諦めとがまじりあったレオナールの言葉は、その口調の激しさと鋭さで、側で聞いていたヴァイスを少しばかり驚かせた。
 それに気づいていないのか、気づいていながらあえて無視したのか、ロンウェーは顔色を変えずに自分の計画を口にした。
「繰り返すようだが、このアルモリカの住人の中には、バルマムッサで起きたことを対岸の火事としか思わぬものがいるかもしれん。ここならば安全だと思って、戦おうとしない者もいるだろう。だが、それではいかんのだ。ガルガスタンと戦うには、まず、我らウォルスタが団結せねばならぬ。お前にも分かっているはずだ、レオナール」
「……ええ、分かっています」
 ため息が吐かれ、その代わりに他の感情が心の奥深 に押し込められた。公爵の言葉に同意したレオナールに、諦めだけが残った。
「ですが、公爵。お願いがあります。このことは、公爵のご命令ではなく、私個人が彼女に頼んだということにしていただけませんか」
「ああ、構わん。よい返事を期待しているぞ」
 ロンウェーの言葉が契機となって、レオナールとヴァイスは彼の前を退いた。
「あんたみたいな人でも、恋人のことになるとそこいらの人間と変わらないんですね」
 薄暗い廊下を重い足取りで歩くレオナールに、ヴァイスは蔑むように、しかしそれでいてどこかしみじみと言葉を投げかけた。
「からかっているのか?」
「いえ、別に。ただ、毒食わば皿までと昔から言いますから」
「毒食わば、皿までか」
 立ち止まって考え込むレオナールに挨拶を残して、ヴァイスは廊下を曲がり、軽い足音とともに 去っていった。その姿が見えなくなったころに、レオナールは再び歩きだし、階段へと続く薄暗い廊下を歩いていった。
 アルモリカ城は、ガルガスタンの占領下にあった時に内部にかなり手が加えられたために、今では迷路さながらの造りとなっている。現在の城主であるロンウェーも、城内全てを知り尽くしてはいないだろう。レオナール自身も、城内全てを知っているとは断言できなかった。
 しかし、一階のその部屋に向かうのは容易いことだった。今のその部屋の主に、そこを用意したのは、他ならぬレオナール自身だったから。
「アロセール、私だ」
 扉を叩きながら、部屋の主に呼びかける。少しの間を置いて、扉は音もなく中から開かれた。
「レオナール、どうかしたの?」
 部屋の中に通された時、レオナールは蝋燭に照らされたアロセールの顔に、細い涙のあとを見つけた。アロセールは彼を座らせる椅子を引きながら、下を向いてそれを隠そうとしている。
「泣いていたのか」
 言い当てられて、アロセールは隠す必要のなくなった顔をあげた。うなずいて、少しためらってから呟くのを、レオナールは静かに聞いていた。
「することがなくて、一人になっていると、どうしても兄さんのことを思い出すの。思い出したら、 泣きそうになるのが分かってるから、思い出しちゃいけない、考えちゃいけないって、言い聞かせるんだけれども、どうしても、どうしても思い出してしまうの……」
 バルマムッサの虐殺の犠牲となったウォルスタ人五千人の中に、アロセールの兄がいた。この暴挙に、多くのウォルスタ人が怒りを燃やし、ガルガスタン討つべしの声は少しずつではあるが、高まりつつあった。
「早く、戦いが始まればいいのにね」
 背を向けたアロセールの寂しげな一言がレオナールの心を瞬く間に冷やした。胸の中にやってきた冷たいものに、息が詰まりそうになるのを彼は感じた。
「なぜ、そう思うんだ」
「だって、戦いの間は、生き残ることを考えるだけで精一杯だもの。他の、余計なことを考えなくてすむわ」
 それが強がりだということは、すぐに判った。アロセールの、わずかに震える肩に手を伸ばして、レオナールは後ろから彼女を抱きしめた。自分の胸に沸き起こった冷たいものをアロセールの温もりで消し去ろうとするかのように。
「そんなことを、言うもんじゃない」
 うなずくアロセールの瞳から落ちた涙が、レオナールの手には熱い。彼女に犯した、そしてこれから犯す罪を裁く炎は、もっと熱いだろう。そんなことを思いながら、レオナールはアロセールの髪を見ていた。
「君に、頼みがある
」  アロセールを抱いている腕を緩めなかったのは、その顔を正面から見ることができないからなのか、自分の顔を彼女に見せたくないからなのか、レオナール自身にも判らないまま、彼はそれを告げた。
「明後日、町の広場で、集会が行われるのは知っているな。バルマムッサの犠牲者の追悼集会なんだが、そこで君に、皆の前で話をしてもらいたいんだ」
 一瞬の沈黙の後、息を整えたレオナールは、その言葉をアロセールに投げつけた。
「君の、兄さんのことを、話して欲しい」
 虐殺で兄を失ったアロセールに、集まった民衆は同情し、ガルガスタンへの怒りをより募らせるだろう。それはそのまま、民衆を団結させ、戦意の高揚につながる。それが、ロンウェーの目論見だった。
 虐殺で家族や親しい人を失った者ならば、他の者でも構わないのだろうが、たまたま手近にいたアロセールに、公爵は白羽の矢を立てた。
 それを聞いたレオナールは、虐殺を行うウォルスタ人自治区に、公爵がバルマムッサを選んだのは、そこにアロセールの兄がいたからではないかと考えたものだった。無論、それは彼の考え過ぎであったのだけれども。
「ええ、わかったわ。レオナール」
 掠れるように細いアロセールの声が、レオナールを締め付ける。自分が目的を果たしたことを知って、レオナールはため息をつきながら、アロセールを抱く腕に力を込めた。
「ありがとう、アロセール。……すまない」
 アロセールが兄と生き別れたのは、自分の責任だとレオナールは思っている。半年前の戦いにおけるアルモリカ城の陥落を、騎士団長の彼は防げなかったから。追撃をかわして逃げ延びた後、兄がガルガスタンに捕らえられたことを知って、アロセールは泣いた。主と城と部下と民衆とを守り通せなかった無力さを悔いながら、レオナールは彼女を抱きしめて、せめて彼女だけは守り抜いて、傷つけまいと自分自身に誓った。
 半年後、レオナールは自らの手で誓いを破った。ガルガスタンの仕業に見せかけたバルマムッサの虐殺の指揮をとり、アロセールの兄をはじめとする罪のない人々をその手で殺めた。
 アルモリカ城に戻ってからは、兄の死に涙するアロセールを血に汚れた手で支えながら、慰めの言葉をかけた。
 今また、彼はウォルスタの団結という大義名分をもって、まだ癒えぬアロセールの傷口に塩を塗り込もうとしていた。
 自分は、心のどこかで、自分でも気づいていないうちにアロセールを強く憎んでいるのかもしれない。レオナールはふと、そんな思いに駆られた。そんな考えを抱いても不思議ではないほどに、彼は愛しいはずのアロセールを傷つけてしまっていた。

 曇り空の下の広場で、追悼集会は開かれた。ヴァイスが、付近の見回りというもっともらしい理由をつけて 姿を消したことを、レオナールは知っている。年齢の割によく通るロンウェーの演説に、民衆は聞き入っていた。
「諸君。私は、バルマムッサでその命を散らした罪なき五千人の同胞の魂に、次のことを誓った。 一つ、憎むべきガルガスタンを討ち、一刻も早く平和な世を築きあげること。 二つ、バルバトス枢機卿の首をもって、その無念を晴らすこと」
 ざわつく民衆を制するように手を振り、ロンウェーはアロセールを前に引き出した。彼女に呼びかけて、 レオナールも軽く彼女を前に押しやる。
「この女性の兄上は、バルマムッサでその命を落とされた。彼女はその仇を討つために、 命を懸けると言ってくれている」
 人々の目を一斉に向けられたアロセールの顔には、何の感情も浮かんでいなかった。 乾いた声が、人々の耳に入っていった。
「私の兄は、ガルガスタンとの戦いで傷を負い、捕らえられてバルマムッサに送られました。 その傷のせいで、兄は歩けない体になりました。歩けない、逃げることも戦うこともできない兄を殺した、ガルガスタンを、私は許さない。他の誰が許しても、決して」
 言葉を切ってうつむくアロセールは、ある程度の距離を置いて見たならば、泣いているように見えたかもしれない。レオナールは彼女の肩に手をかけて引き寄せ、まだ物足りなさそうなロンウェーに目配せを送りながら、 アロセールを隠すように自分の後ろに立たせた。我に返ったように、ロンウェーが演説を再開する。
「私は彼女の志を立派なものだと思う。彼女の気高いその志が、戦う勇気をこの私に与えてくれた。ガルガスタンの兵力の前に、我々に勝ち目はないかもしれん。しかし、私は戦おう。バルマムッサで散った同胞の無念を晴らし、彼女の志を無駄にしないためにも!」
 誰かが大声でウォルスタ万歳を叫んだ。それに合いの手を入れるように、打倒ガルガスタンの声が響いた。 少しずつ広がっていく声の輪の中に、ロンウェーは最後の一言を投げ入れた。
「我々が望むのは、ガルガスタン人をことごとく根絶やしにすることではない。倒すべきガルガスタン人は、民族浄化を唱えて我々ウォルスタ人を虫けらのように扱った、レーウンダ・バルバトス、ただ一人なのだ!」
 歓声が沸き起こり、ウォルスタ万歳の叫び声が民衆を飲み込んでいった。一人の若者が腕を振り上げるのが、 レオナールの立つ場所からよく見えた。
「俺は解放軍で戦うぞ! バルマムッサの仇をこの手で討つんだ!」
 若者の周りからだけでなく、他の場所からも腕が上がり、同じ決意を高らかに叫んだ。
 民衆と、それに向かってウォルスタ万歳を叫ぶロンウェーを、レオナールは水晶玉に映された光景を見る目で 眺めていた。
 もし、この場で虐殺の真相をぶちまければ、彼らはどうするだろう。熱気に侵されていないレオナールの冷静な頭に、ふとそんな空想が芽生えた。
 罪の無い人々を謀略の犠牲にしたロンウェーと直接手を下したレオナールに指導者失格の烙印をおして、新たな指導者を求めるのだろうか。ウォルスタ全体のためには少数の犠牲も仕方がなかったという言い分を、いつも切り捨てる側に立つ権力者の自己正当化と断罪するだろうか。それとも、自分が切り捨てられなかったことに感謝して、犠牲を見て見ぬふりをしながら、今と変わらずにウォルスタ万歳を唱えるのだろうか。
 もし、犠牲者の中に兄が含まれていなかったとしても、アロセールには見て見ぬふりなどできないだろう。もし真相を知れば、今まで注いでくれた愛情と同じだけの激しさと深さの憎しみを、レオナールに撃ち込んでくるだろう。レオナールが真相を話せないでいるのも、そのことが分かっているからだった。
 けれども、そんな彼女だから、愛しいと思った。彼女を側に留めておきたかった。しかし、そのためならば彼女を欺き、裏切っても良いわけではないことも、彼にはよく分かっていた。
 集会は、熱狂と興奮に人々を包み込んだまま終了した。多くの者が興奮覚めぬまま、解放軍に身を投じるべく アルモリカ城に詰め掛けている。風に頬を打たれながら、レオナールは城へ続く長い行列を、ぼんやりと眺めていた。
「ねえ、レオナール」
 レオナールが振り向いて何か答えるよりも早く、アロセールは額をレオナールの背中につけて問いかけた。
「あんなことを頼んだのは、こうすることが目的だったからなの?」
「ああ、そうだ。……辛い思いをさせて、すまない」
 アロセールの手が後ろから回されて、そのままレオナールの胸を包み込んだ。体を寄せながら、アロセールは首を振る。
「いいの。私がやらなければ、他の誰かが、あの虐殺で親しい人を失った誰かが、代わりにやっていたことだもの」
 聴衆に向けたものと変わらぬアロセールの乾いた声は、遠い砂漠の風を思わせた。そのオアシスになり得るかどうか、レオナールは自分自身に問いかけずにはいられなかった。
「でも、でも私には、あなたがいる。兄さんはもう帰ってこないし、思い出すと辛いけれども、私にはあなたがいてくれるわ。だから……」
 先ほどとは打って変わった潤んだ声で言うと、アロセールはレオナールの背に顔を埋めた。胸にしがみついているアロセールの腕に、レオナールは黙って自分の腕を重ねた。
 愛する者に欺かれ続けることと、愛する者の裏切りを知らされることと、どちらが人間にとってより幸福なのか、レオナールはふと考える。見つからない答えを探すレオナールの耳に、アロセールの声が飛び込んできた。
「ねえ、レオナール。お願いがあるの」

 その日、彼女を見送る時間が与えられたことは、レオナールにとって幸運だった。町の門まで見送りにやってきた彼を見て、アロセールは呆れたようだった。
「今は、戦いの準備で忙しいんでしょう。私を見送る暇なんて、どこにあったの」
 言葉とは裏腹にアロセールは嬉しそうだった。彼女に答えを返すレオナールは、どうしてもしかめ面になってしまう。
「知っている者に君のことを頼んでおくから、何かあったら、すぐにこの町に戻ってくるようにな。無理だけは するんじゃないぞ」
「大丈夫よ。あいつを倒して、すぐに戻るわ」
 解放軍を離脱したデニム・パウエルを討つことをアロセールは望んだ。虐殺の首謀者という濡れ衣を着せられた彼は、裏切り者の汚名とともに多額の賞金を懸けられ、解放軍と賞金稼ぎに追いかけられていた。
「それよりもレオナール。あなたの方がよっぽど心配だわ。お願いだから、無事にこの町に戻ってね。先に帰って、待っているから」
 レオナールはうなずいてから、思い出したように懐から小さな包みを大事そうに取り出した。そして少し屈むと、不器用そうな手つきでそれをアロセールの耳に付けた。
「前に君が欲しがっていたのに似ているものを探したんだが、どうだろう」
 それは、滴をかたどった耳飾りだった。それに触れながら、アロセールは久しぶりの笑みをレオナールに見せた。
「ありがとう、レオナール」
 不意に、軽くて柔らかいものがレオナールの肩にかぶせられた。アロセールがそれを何度か折って結ぶと、 水色の布が飾り紐のようにレオナールの首に巻き付いていた。
「こんなものしかないけれど、あなたにあげる。結構、気に入ってるのよ」
 アロセールはよく、首にスカーフを巻いていた。折り方や結び目の違いだけでただの布切れが形を変えていく様は レオナールを驚かせ、その度にアロセールは大げさだと笑っていた。
「じゃあ、行くわね」
 アロセールの後ろ姿が見えなくなったころ、レオナールは首もとのスカーフに軽く触れてみた。そこにはまだ、 彼女の指先の温もりが残っているような気がした。
 レオナールの首にスカーフを結んでくれたのは、華奢で柔らかな、小さいけれども綺麗な手だった。その手が、この戦乱の時代の中で汚れてしまうことだけは、何としても防ぎたかった。そのために必要ならば、彼はこれからいくらでも汚れることができた。その汚れのために、あの綺麗な手の主に拒まれることになっても。
「レオナール様、こちらにおいででしたか!」
 若い兵士の呼びかけは、ほとんど怒鳴り声に近かった。レオナールは軽く首を振ると、ゆっくりとスカーフの 結び目をほどいた。
「何かあったのか」
 そして、それを丁寧に小さく折りたたんで懐にしまいこむと、アルモリカ騎士団長の顔に戻って、兵士が立っている場所へ向かって歩きはじめた。


 この小説は、友達の龍胆 鷹緒氏のサークル”べくとる。”(旧サークル名:くじらぐも)で
発行された同人誌「私は貴方を許さない」に掲載し、それに加筆・修正をしたものです。

 龍胆くんに良さを説かれ、周りのオウガバトラーたちに攻略法を教わり、
途中でデータが消えたりもしたタクティクス・オウガですが、
私が最初に選んだのは、Cルートでした。
「チャプター2の最初でアロセールに勝てない!」などと叫んでいた私が、
とくにショックを受けたのは、アロセールが仲間になるタインマウスの丘だったのです。
(ここの下のセリフはかなりうろ覚えです。ご了承ください)

アロセール「待て、ヴァイス。お前はあの時、バルマムッサにいたのか?」
ヴァイス 「ああ、いたさ。お前の恋人のレオナールと一緒になぁ!」

私「何ぃっ!?」
 そうだもんな。レオナールさん二十七歳だもんな。恋人とかいたっておかしくないもんな。
  でも、それがまさかアロセールだとはな。いや、別に年齢差は問題ないと思うけど。
 何ていうか、ちょっと、意外。

 と、いうのが、その時の私の率直な感想でした。
そして、レオナールと再会した時に、アロセールがどういう行動をとるのか、興味がわきました。
 残念ながら、私が期待していたようなイベントは何も起きてくれませんでした。
(レオナールとアロセールのイベントを期待した方は多いのではないかと思います)
 そして気がついたときには、このカップリングにはまってました。ええ、どっぷりと。
 そんな訳でこの小説を書いたのです。(あまり理由になっていない気がするけど)

 最後になりますが、、この小説を同人誌に快く掲載してくれた上に、挿絵までつけてくれた
龍胆くんにお礼をいいます。ありがとう。

オウガ小説のコーナーに戻る