村人に声をかけるのを何となくためらいながら、カノープスは畑を眺めていた。秋の日差しに照らされながら大地と向き合う村人たちは、誰もが真剣で、広場でカノープスたちを迎えた時とはまるで雰囲気が違った。 いくつかの畑は既に収穫を終えていたが、それでも村の半分以上のカボチャ畑では、カボチャが収穫される日を待ちながら土の上に並んでいた。畑の上には藁が敷かれ、土がカボチャの葉につくのを防い でいる。雨で跳ねかえった泥が葉につくのは、カボチャを病気にする原因のひとつだ。デネブによると、カボチャという作物は、やせた土地でも育つが、決して手入れを怠ってはならないのだそうだ。 「がんばってくださいよ!」 カノープスの激励に、数人の村人が振り返って、手を振った。カノープスは手を振り返すと、村の道を歩きだした。 小さな村をひと周りもしないうちに、カノープスはジェインの居場所に見当をつけていた。 「よう、ジェイン。こんなところにいたのか」 ジェインは、村長の家の裏の森の木の上にいた。二本の木にロープや木の板を張って作った小屋に隠れていたのだ。 「秘密の隠れ家か、よくできてるな。俺もそっちに行っていいか?」 木の上から頭を突き出して、ジェインはカノープスを見つめた。警戒しているのか、顔が険しい。カノープスはジェインに向かって、パンの入った包みを振ってみせた。 「腹は減ってるんだろ?」 ジェインが口を開くよりも先に、腹の虫が返事をした。ジェインは仕方なく首を回し、辺りに誰もいないことを確認すると、カノープスにたずねた。 「じいちゃんとばあちゃんと母ちゃんと村の人に、ここの隠れ家のこと秘密にしておいてくれる?」 「ああ、約束する。男と男の約束だ」 カノープスがうなずくと、ジェインはカノープスの足元に、大きな結び目が幾つもついたロープを投げた。カノープスがロープを登ってジェインの隣に腰を下ろすまで、あまり時間はかからなかった。 「よくできてるな」 カノープスが心からほめるほど、隠れ家の出来は良かった。体重をかけても、板が揺れたり落ちそうになることはないし、枝と葉が周りを覆い隠していて外からは見つけにくい。さらに、隠れ家の中には板で拵えた棚が置かれていた。 「父ちゃんと一緒に作ったんだ。三カ月前に」 父親の名前を出したときに、一瞬だけジェインの顔が誇らしげに笑ったのを、カノープスは見逃さなかった。 「そうか。お父さんと作ったのか。すごい人なんだな」 カノープスは布の包みを差し出した。それを奪うように受け取るなり、ジェインはパンにかぶりついている。ジェインがパンを食べている間、カノープスは木の上から森の様子を眺めていた。風が木々を揺らし、地面に落ちた葉を撫でた。 「ああ、お腹いっぱいだ」 ジェインは満足げに息を吐いた。その隣で、カノープスは返された布を何度も折りたたみながら、何を話題にするべきか、頭を悩ませていた。そもそも、彼から何を聞き出すのかさえ、考えていなかったのである。 「カボチャのせいで、父ちゃんは病気になったんだ」 呟いたジェインは口を真一文字に結んで、ここには ない何者かをにらんでいた。彼の父親は既にこの世にはいないと思っていたカノープスにとって、ジェインの言葉は驚きだった。 「お父さん、病気なのか」 ジェインの言葉を繰り返しただけのカノープスに、少年は律義にうなずいてみせた。 「大雨から畑のカボチャを守るために、父ちゃん雨の中で仕事して、風邪をひいて、それでもまだ畑仕事してたから、どんどん具合が悪くなって、この前とうとう寝込んじゃったんだ」 カストロ峡谷に大雨が降ったのは、ひと月ほど前のことだ。その時、解放軍は帝国軍と戦っていた。雨で川が増水したために、合流するはずだった歩兵部隊の進軍が遅れてしまい、カノープスたち飛行部隊は当初の予定の半数の兵力で、帝国軍と空中戦を繰り広げたのである。 「父ちゃんが寝込んだときに、じいちゃん、何て言ったと思う? 『秋の収穫までには体を治せ』だって。何で父ちゃんがカボチャなんかのために、そこまでしなくちゃいけないんだよ!? カボチャはただのカボチャじゃないか!」 肩で息をしながらも、ジェインは再び口を開いた。 「だいたい、僕たち家族で食べるだけなら、あんなにたくさんカボチャを作ることないじゃないか。何で父ちゃんたちが、色んな人に頭をさげて、カボチャを売らなくちゃいけないんだよ。僕は、カボチャなんか、だいっきらいだ!」 カノープスたちを歓迎していなかったジェインが、なぜ家庭の事情を話す気になったのか、カノープスには分からない。単なる八つ当たりかも知れなかった。だが、痛みや辛さを他人に打ち明けることで、ひとの心が軽くなる場合もあることを、カノープスはよく知っていた。 「そうか。それでお前は、カボチャが嫌いになったんだな」 大きく、そしてゆっくりとうなずくジェインの頭に手を置いて、カノープスは少年の髪を撫でてやった。 「お前に、いいものを見せてやるよ」 「何するんだよ!」 木に頭をぶつけないように気をつけながらカノープスは立ち上がり、ジェインの体を抱え上げた。驚いたジェインが暴れたが、カノープスは構わなかった。 「怪我したくなかったら、暴れるんじゃないぞ」 そう前置きをしてから、カノープスは空を駆け上がった。音を立てて木の枝が揺れ、葉が地面に舞い落ちた。 「うわあ……」 ジェインの足元に、村を囲む深緑の木々と、茶色と緑色の縞模様の畑が広がっている。ホルキン村を眺めながら、ジェインは思わず歓声をあげていた。 「あれ、僕の家だ」 ジェインが指さすよりも早く、村の民家や広場が小さくなっていった。カノープスはジェインを抱えたまま、さらに空高く昇っていく。 やがて、カノープスとジェインの足元には、夕日に染まったカストロ峡谷が広がっていた。小さくな ってしまったホルキン村は、もはや目をこらさなければ見ることができない。 「カストロ峡谷そのものを見るのは、はじめてだろう?」 興奮しているのか、ジェインは声を出さずにうなずいた。カノープスは片腕でジェインを抱えたまま、ホルキン村の南を指し示した。 「あれがアルマリークの街だ。ホルキン村の野菜は、あの街で取引されてる。カボチャや他の野菜を売ったお金で、ホルキン村は色々なものを買ってるんだ。服とか、農具とか、お前の隠れ家に使ってた釘もそうだな。そのくらいは、お前にも分かってるんだろう?」 ジェインは渋々といった様子でうなずいた。 「うん。月に一度、行商人が来て、色々と物を売りに来る」 次にカノープスの指が弧を描いて示したのは、ホルキン村の南西だった。 「ここからじゃよく見えないけど、あっちの方に、モランっていう村がある。土も水もあまり良くない悪い村でな、おまけにこの前の戦争で、畑も家も何もかも、みんなメチャクチャになっちまった。まあ、そうなった責任は、俺たち解放軍にもあるんだけどな」 カノープスは思い出す。軍隊に畑を踏みにじられた上に家まで焼かれ、荒れ果てたモランの村を。帝国軍を追い払ったことに感謝の言葉を口にしながら、怒りと恨みを隠しきれていなかった村人たちの歪んだ顔を。そして、それらの光景を瞳に焼きつけながら、血のにじむほどに拳を握りしめていた、彼のリーダーの姿を。 「今、モランの村には、カストロ峡谷の色々な街から、食い物や衣服が送られている。ホルキン村のカボチャも、モラン村に送られているんだ」 「そんな、聞いたこともないような遠くの村に?」 「そうだ。お前の家族や村の人たちが育てたカボチャが、遠くの村の人たちを助けているんだ」 「父ちゃんや村の人たちの作ったカボチャが、遠くの村の人たちを……」 考え込んだジェインに、カノープスはさらに語りかけた。 「お前のお父さんは、村でおいしいカボチャを作ることに、誇りを持っているんだろうな。美味しいカボチャを作りたい、いいカボチャを作りたい、食べた人に喜んでもらいたい。そんな風に思ってるんだろう。だから、体を壊してまでも、一生懸命にカボチャの世話をしたんだと、俺はそう思う」 ジェインはきつく目を閉じていた。それは、元気だったころの父親の姿を思い出していたのかもしれなかったし、あふれそうになった涙を堪えるためであったのかもしれなかった。 「とにかく、俺が言いたいのは、お前は、お前の家族がどういう気持ちで畑仕事をしているのかを、もっとよく知って、それから考えなくちゃならないってことさ」 「考えるって、どんなことを?」 「いろんなことをさ。それからな、行動するんだ。考えることと、行動することは、同じぐらい大事なことだからな」 かつて、一族を守るために親友がとった行動を、彼がそうしなければならなかった理由が分かっていながら、若き日のカノープスは受け入れることができなかった。そして、次に行動を起こすまでに、二十五年の歳月を必要とした。それが手遅れでなかったことは、カノープスとギルバルド、そしてユーリアにとって、微かな救いであった。 「まずは、そうだな、お前の家族が作ったカボチャを食べてみろ。いい考えが浮かぶかもしれないからな。さっきだってお前、カボチャの入ったパン食ってたんだからな」 カノープスに支えられて、ジェインは何度も何度も、静かにうなずいた。二人は夕焼けに照らされながら、ゆっくりとホルキン村へ降りて行った。 「デネブに、俺と一緒に来た奴に、お前の父ちゃんのこと相談してみろ。あいつは、ああ見えても薬草とかには詳しいんだ」 「その人、カノープスさんの彼女なの?」 「何、馬鹿なこと言ってんだ。そんなことあるか!」 思わず、カノープスはジェインの耳元で怒鳴っていた。なぜ、どいつもこいつも、口喧嘩ばかりしている二人を見て、仲が良いなどと言えるのか、カノープスにはどうしても分からない。ましてや、恋人同士などと、考えるほうがどうかしている。 「もしかして、むきになってない?」 「なってない!」 カノープスはやや乱暴にジェインの体を振り回した。目を回しながらも、ジェインは笑い声をあげている。 「あっ、あれ、うちの畑だよ」 カボチャの葉が広がる畑を指しながら、ジェインが叫ぶ。畑には、村長とティアナが立っていた。そして、オレンジ色の頭をした何者かが、彼らの畑仕事を手伝っていた。 「まさか、あいつ……」 片手で髪をかきむしりながら、カノープスは畑のそばにゆっくりと降り立った。着地するなり、ジェインが祖父と母親に駆け寄って行く。村長とティアナは驚いた顔で、空から現れたジェインを見つめていた。彼らの傍らにいたのは、一体のパンプキンヘッドで、カノープスの姿を目にとめて丁寧に頭をさげた。 「デネブッ! デネブはどこだっ!」 パンプキンヘッドが挨拶をした瞬間、カノープスは怒鳴っていた。 「デネブさんなら、私の妻と一緒に、家で夕食の支度をして……」 カノープスの勢いに圧されたのか、村長が聞かれてもいないことまでも口にする。律義に自己紹介をしようとするパンプキンヘッドを押しのけて、カノープスは村長の家へと向かっていた。 「デネブッ!!!」 カノープスの大声に驚いた村長夫人が、スープの煮える台所から顔を出した。彼女の後ろから現れたデネブは、どこで用意したのか、白い三角巾とフリルのついたエプロンを身につけていた。 「何よ、大声なんか出して。それと、ホコリが立つから、暴れないでよね」 「聞きたいことがある。畑にいるあのパンプキンヘッドは何なんだ!?」 低い声で詰め寄ったカノープスに、デネブは悪びれた様子もなく答えた。 「あら、もうカボちゃんに会って来たのね。あのコ、いい子でしょう?」 「何がカボちゃんだ。また変なモン作りやがって! だいたい、いつの間にガラスのカボチャなんか用意してたんだ」 「ガラスのカボチャは魔女のたしなみよ。それに、ここの家はお父さんが病気になっちゃって、収穫の人手が足りないの。それに、カボちゃんなら、ジェインくんの遊び相手にもちょうどいいでしょう?」 どうやらデネブは、カノープスが出掛けている間に、村長一家の事情をひととおり聞き出したようである。さらに口を開こうとしたカノープスの鼻先に、デネブは微笑みながらお玉杓子を突き付けた。 「もうすぐ、カボチャのパイが焼き上がるわ。カノぷ〜は、早く村長さんたちを呼んで来て。おなか空いてるんでしょう?」 カノープスは肩をすくめて、家の戸口へと引き返した。 結局、カノープスとデネブは三日間、ホルキン村に滞在した。どういう訳か、カノープスは村長一家だけでなく、他の家のカボチャの収穫を手伝わされ、村人から謝礼として山のようなカボチャを手渡された。村で大量のカボチャを買い入れたデネブはそれを見て、無料でたくさんのカボチャが手に入ったことを、心底羨ましがっていた。 ジェインの父親は、デネブが調合した薬草で少しずつ回復しており、ベッドから起き上がれるようになった。村長一家には新しい働き手もいることだし、しばらくは養生に専念する気のようだ。しばらくは畑仕事中心の生活を離れ、一人息子の遊び相手をするのも悪くはないだろう。 「二人とも、収穫祭が終わるまで村にいればいいのに」 村人全員の気持ちを代表するかのように、ジェインが口をとがらせた。ホルキン村の人々は、村を離れるカノープスとデネブを見送るために、彼らを出迎えた時と同じように、村の広場に集まったのである。 「私たちも色々あって、そういう訳にはいかないのよ。でも、カノぷ〜だけなら、この村に残ること、リーダーが許してくれるんじゃない?」 「どういう意味だ、そりゃ」 「さあ、どういう意味かしらね」 意味ありげに微笑むデネブと、彼女ををにらみつけるカノープスに声をかけ、ジェインは小さな手をさしだした。 「カノープスさん、デネブさん。この村に来てくれてありがとう。僕、カノープスさんと一緒に空を飛んだこと、一生の思い出にするよ!」 カノープスがジェインの手を握ると、肌に冷たいものが触れた。手を開いて見てみると、それは小さなガラス玉だった。 「カノープスさんにあげるよ。僕の宝物なんだ」 「大事にするさ、ありがとよ」 ガラス玉をポケットにしまってカノープスは礼を言い、痛みに顔をしかめながら引き抜いた一枚の羽を、ジェインの上着の胸に飾った。 「大事にしろよ」 「うん!」 満面の笑みを浮かべた顔にわずかに涙を光らせて、次にジェインはデネブに向き直った。少年の目の高さに合わせて、デネブは屈みこむ。 「デネブさんも、父ちゃんの病気を診てくれてありがとう。それと、デネブさんが作ったカボチャのパイ、すっごくおいしかった」 「あら、ありがとう。素直な子って、お姉さん大好きよ。カボちゃんと仲良くしてね」 不意に、デネブはジェインを抱き寄せ、彼の頬にキスをした。それを見ていた村の男たちは、無責任に歓声をあげて口笛を吹いた。当のジェインはというと、顔を真っ赤にして、デネブの唇が触れた場所を指で押さえていた。 「村長さんも、村の皆さんにも、色々とお世話になりました。どうかお元気で」 「お二人もどうかお元気で。我々は、解放軍の勝利を心からお祈りいたします」 村長に続いて、村人たちが深く頭を下げた。デネブは手を振って微笑み、カノープスは照れたように顔をそむけた。 「それじゃ、私たち、失礼します。帰りましょ、カノぷ〜」 デネブは挨拶を終えるなり、さも当然のようにカノープスの首に腕を回した。 「ちょっと待て。俺に、お前を運べっていうのか? 来た時みたいに、グリフォンに乗ればいいだろう」 デネブは細長い指で、村人たちからは見えないようにカノープスの頬をつねった。形の良い顎がグリフォンを指し示す。 「ひどいこと言うわね、この鳥男は。そんなことしたら、いくら私が軽くても、この子がかわいそうでしょう?」 デネブの言葉どおり、グリフォンの背中には、野菜をつめこんだ大きな麻袋がいくつも乗せられていて、人が乗る場所は無かった。カノープスは大きく首を振ると、デネブを抱きかかえ、宙に浮かび上がった。 「皆さん、お元気で!」 ホルキン村の人々は、手を振ってカノープスとデネブを見送ってくれた。二人が彼らに手を振ってい ると、ジェインが赤い羽を握りながら駆けだしてきた。 「僕、大きくなったら、カボチャを作る! じいちゃんのよりも、父ちゃんのよりも、ずっとずっとおいしいカボチャを作る! だから、二人とも、また村に来て!」 カノープスとデネブは顔を見合わせると、真下にいるジェインに、言葉を投げかけた。それは、決して示し合わせたものではなかった。 「楽しみにしてるからな!」 「楽しみにしてるからね!」 再び、二人は顔を見合わせた。足元ではジェインが笑っている。続いてデネブが笑いだし、グリフォンまでもが笑うように鼻を鳴らした。やがて、カノープスが苦笑じみた笑みを浮かべ、次第にそれが笑い声に変わった。 カノープスとデネブの笑い声が聞こえなくなったころ、彼らの姿もまた、ジェインからは見えなくなっていた。ジェインは彼らが飛び立った方角に向かって、もう一度大きく手を振った。 「ねえ、カノぷ〜」 「うん?」 デネブに体をつつかれて、カノープスは呼ばれていることに気がついた。既にホルキン村は小さくなっていて、目を凝らしてもよく見えない。 「ジェインくんにも、こうやって地上を見せてあげたの?」 「まあな」 どこかぶっきらぼうなカノープスの返答に、しかしデネブは怒らなかった。 「最初は、村に来たこと嫌がってたみたいなのに、あの子にはやけに肩入れしてたじゃない。どういう風の吹き回しなの?」 はぐらかそうとしても、それがデネブには通用しないことを、カノープスはよく知っていた。仕方な くといった様子で口を開く。 「誰かが、そいつにとって大事な奴と仲たがいしてるのは、見ていてあんまり気分のいいもんじゃないからな」 デネブはカノープスの彼の首に腕を巻きつけ、あでやかに笑ってみせた。 「なかなか粋なことするじゃない。見直したわよ」 「そいつはどうも」 カノープスはおどけたように答え、翼を広げて風のなかに躍りこんだ。彼らの眼下には、カストロ峡谷の大地が広がっている。 ホルキン村が、新生ゼノビア王国一のカボチャの名産地として人々にその名を知られるようになるの は、数年後のことである。 |