新年の祭りで賑わう街は、寒いながらも熱気と活気に包まれていた。街の大通りの至るところでは、大道芸人が自慢の技を披露し、屋台では温かな食べ物が売られている。時おり打ち鳴らされる楽器の甲高い音も、人々は気にならない様子だった。 思い思いに祭りを楽しむ人々のなかに、一組の親子連れがいた。父親に連れられた二人の子どもは、祭りの様子をもの珍しげに眺めていたが、幼い姉弟の手を引く父親は、祭りではなく、祭りに訪れる人々を、注意深く観察していた。そして、何度か足を止め、その度に振り返っては、後ろの様子にも気を配っていた。彼にとっては幸運なことに、人々は祭りに心を奪われていて、彼の様子には気づいていなかった。 歩き疲れたのか、やがて子どもたちは足を止めた。息子に上着の袖を引かれて、父親は我に返った。 「ねえ、父さん。あれはなんていう木なの? すごい飾りつけがしてあるよ」 息子が指さしたのは、リボンや花で飾られた一本の木だった。その木は街の広場の中央に植えられており、その側では屋台が焼き菓子を売っていた。 「あれはジネの木だ。遠くの山から運んで来て、植えかえたんだろうな。ガルガスタンの民は、あの木を飾って、年の始めを祝うのだよ」 父親の説明を聞きながら、姉弟は何度もうなずき、感心したように声をあげた。父は何でも知っていて、知らないことなど何ひとつないのだと、子どもたちは信じきっていた。 「新年のお祝いの木なんだね。もっと近くで見てもいい?」 「……ああ、いいとも」 父親が言い終えるよりも早く、姉弟は走って広場に駆け寄った。そして、後ろにひっくり返るほどに首を傾けて、飾られたジネの木を見上げた。 「わあ、きれい!」 「すごいや……」 姉弟の興味が、近いうちにジネの木から屋台の焼き菓子に移ることを見越したのだろう、父親は姉弟のあとを追いながら、懐の財布を取り出した。 「父さん……」 それは、父との思い出を振り返っているうちにデニムが行き着いた、幼い日の光景だった。 「デニム、そんなにジネの木が珍しいの?」 幼なじみの少女の声が、デニムを過去から現実に引き戻した。振り返ると、オリビアが木のコップと防寒具を持って、そばに立っていた。 「はい。そんな格好じゃ、風邪をひくわよ」 体の冷えを感じながら、デニムは受け取った防寒具に袖を通した。バハンナ高原の風に体温を奪われていたことも気づかずに、デニムは一本のジネの木を見つめていたのだった。 「熱いから、気をつけてね」 湯気の立つコップには、熱いミルクが注がれていた。オリビアの心遣いに感謝しながら、デニムは受け取ったそれに口をつけた。 「ガルガスタン人のジネの木の習慣、オリビアは知ってる?」 バクラム人の娘に尋ねながら、デニムは再びジネの木を見上げた。長い時間をバハンナ高原で過ごしてきた巨木は、デニムの背丈の三倍ほどの高さがあった。 「国王陛下が生きていらしたころには、ハイム城の庭にも大きなジネの木が植えてあったわ。毎年、飾りつけをしたもの」 オリビアの言い方が気にかかって、デニムは質問を重ねた。 「その木、今はもうないの?」 「ええ……」 オリビアが言葉を続けなかった理由が、デニムには分かっていた。平和な時代には民族融和の象徴であったジネの木は、戦争の勃発とともに、反ガルガスタンの槍玉にあげられたのだ。扇動された民衆や兵士が、飾りつけられたジネの木を斧で切りつける様を頭に描きだして、デニムは顔を歪めた。 「そういうの、残念だよね」 小さな呟きとともに吐き出された白い息は、ジネの木に届く寸前に消えた。思いにふけるデニムには、オリビアの気遣わしげな表情も見えてはいない。 「ねえ、デニム。見て」 デニムの目の前で、黒い髪が季節外れの花さながらに広がった。オリビアは空色の宝石がついたペンダントを首からはずし、器用に木に吊るしてみせた。 「今年も、もう終わりだから」 祝福の聖石を撫でながら、オリビアが微笑んだ。そんな彼女の思いやりをありがたく思いながら、デニムは風のオーブを懐から取り出して、木に飾りつけた。 「ほら。この木を飾るのには、ちょっと寂しいけれど」 二つの小さな飾りが、ジネの巨木の片隅で揺れる。デニムとオリビアは顔を見合わせて、子どものように笑った。 「新しい年は、ここで迎えるのよね?」 オリビアの問いに頷いたとき、デニムの目に光が飛び込んできた。祝福の聖石が、冬の太陽を受けて輝いていたのだ。その時、聖石の光が、デニムにひとつの閃きを与えてくれた。 「そうだ、オリビア。せっかくだから、この木を盛大に飾るの、皆にも手伝ってもらおう。新しい年はここで迎えるんだから、お祝いしようよ」 オリビアが反対することなど、デニムは考えていなかった。彼の考えは当たっていて、オリビアは何も言わずに、笑って頷いた。 夜のバハンナ高原の冷え込みは激しく、焚き火だけでは暖をとるには心もとない。しかし、その夜の焚き火の役目はそれだけではなかった。焚き火の炎が、その照り返しで、飾りつけの施されたジネの巨木を闇の中に美しく浮かび上がらせているのだ。 「きれいねぇ……」 女性兵士たちがもらすため息を聞いて、デニムは満足げに頷いた。 各種のオーブや色とりどりの薬草に飾られて、ジネの巨木は新年を祝うものに相応しい姿を見せている。仲間たちが、デニムの思いつきに快く協力してくれたおかげだった。 「姉さん」 惚けたようにジネの木を見上げているカチュアに声をかけて、デニムは姉の隣に立った。 「子どものころ、どこかの街で、姉さんと僕と父さんと三人で、ジネの木を見かけたこと、覚えてる?」 軽く首を振りながら、カチュアはジネの木に手を伸ばした。次ににカチュアが口を開くまで、長い時間はかからなかった。 「それは確か、ライムかどこかの街じゃなかった? その時にデニムったら、父さんに肩車をしてもらってたのよ。木のてっぺんに付いてる星の飾りをよく見たいからって」 「肩車……」 デニムはそのことを覚えていなかった。だが、彼のジネの木の思い出の片隅には、手を伸ばせば届きそうな場所に輝く、星の飾りがあった。カチュアの記憶は正しいのだろう。デニムの手は自然にジネの木へと伸びていた。 その冷たさが、手には心地よかった。 「変わったわね、色々と。変わってしまったわ」 カチュアの呟きに、デニムは黙って首を振った。 かつてジネの木を見上げた時と比べて、姉弟は大きくなり、背も伸びた。ヴァレリア諸島では王の死後に戦争がはじまり、民族対立が煽られた。デニムとカチュアは幼なじみのヴァイスとともに戦いに身を投じ、多くの人と出会い、別れた。笑って肩車をしてくれた父は天に召され、カチュアは自分の素性を知った。 カチュアの呟きは、移り変わりの激しかった一年を振り返る一言であった。失われたものを懐かしむようでもあった。 「でも、姉さん。どれほど時間が経っても、何がどうなっても、変わらないものもあるよ」 カチュアが顔をあげてデニムを見つめる。デニムは照れたように笑って口を開いた。 「こうやって、新しい年をお祝いする気持ちは、皆が持ってる。新しい年が良い年であるように、皆が願ってる。そういうことって、何年経っても、何かが無くなっても、変わらないものだと思うよ」 照れ笑いを浮かべたまま、デニムはジネの木を仰ぎ見た。民族や思想を越えた、ささやかな願いこそが、人が生きていく上で大切なのではないのかと、デニムは思う。そして、次の新年は、すべてのひとが平和に迎えられるようにと、願わずにはいられなかった。 「おーい、デニム、乾杯するぞ! お前が音頭とれ!」 兵士たちと笑い合っていたカノープスが、大股でデニムの側にに歩み寄って来た。デニムがジネの木を飾ることを言い出した時に、新年の宴を持ちかけたのは、ほかならぬカノープスだった。既に酒を飲んでいるらしく、顔に赤みが差している。 「飲み過ぎないでくださいよ、カノープスさん」 「心配するな。俺を誰だと思ってるんだ?」 カノープスは笑いながら、両手でカチュアとデニムの肩を強く叩いた。肩の痛みに軽く顔をしかめた デニムの前に、葡萄酒入りの杯が差し出された。 「どうぞ、デニム」 オリビアから受け取った杯の一つをカチュアに手渡しがてら、デニムは辺りを見回した。飾りつけられたジネの木を取り囲むように焚き火が燃やされ、その周囲では仲間たちが笑い、酒の満たされた杯を傾け、炙った肉を口に運んでいる。カノープスが声をかけると、それぞれの動きを止めて、仲間たちは一斉にデニムを見つめた。 新しい年を、デニムは彼らとともに歩んで行く。仲間の協力があってこそ、デニムの理想は少しずつ形を成していくのだ。 カチュアとオリビア、カノープスの顔を順に見つめ、デニムは高く杯を掲げた。そして、祈りと願いをこめて、声を張りあげた。 「新しい年に、乾杯!」 |