記者会見は、予想もしない形で幕を下ろした。 スマートフォンで連絡を取りながら、記者たちは慌ただしく動き回っている。彼らの頭からは、近界民に情報を漏らしたという疑いだけで一人の中学生を責めたてたことなど既に抜け落ちているのだろう。 「いやいや、とんでもないことになったな。今夜のトップニュースは決まったようなもんだ」 愉快そうな声とは裏腹に、林藤の瞳は眼鏡のレンズ越しに冷たい光を放っている。彼が統括する玉狛支部の隊員が、大規模侵攻の責任を背負わされかけたのだ。愉快な心持ちでいられるはずもない。 「さて、修をここに連れてきたのは誰だろうな」 昨夜、意識を取り戻したばかりの修が記者会見のことを知っているはずがないし、病院から外出許可が下りるとは思えない。根付が用意していた会見の筋書きを前もって知っており、なおかつ病院関係者に口利きのできる何者かが修を連れてきたのだ。そして、二つの条件を満たす人間は限られている。 「城戸派も全員一致で動いているわけではないということか……」 「まあ、そのおかげで事は上手く進んだ。修にとっても、ボーダーにとっても」 玉狛支部に戻る林藤と別れ、忍田は車のドアを開けた。スケジュールの都合で城戸派の人間と別行動をとったのは結果的に正解だった。彼らとの思想の違いを、改めて痛感する。 被害を最小限に抑えるのは戦いの基本だ。だがマスコミの追及をかわすために、未成年の一隊員をスケープゴートに仕立て上げようとした根付や城戸の手法に忍田は決して賛同できない。修が姿を現さず、予定通りに記者会見が終了していれば、マスコミは規則を破った訓練生の素性を暴き立てたことだろう。その結果、行方不明となった隊員の関係者や「正義感」に駆られた人間が修に危害を加えても、責任を取る人間はいないのだ。 それを見ている子どもたちは、大人が考える以上に頭が回るものだ。記者会見の裏で描かれていたシナリオを見抜く者も現れるだろう。マスコミや世間の非難をそらすために切り捨てられたものは不信感の種となり、いつしか組織に深い根を張り巡らせる。ボーダー隊員は三門市と市民を守るために戦っているのであり、ボーダーという組織を守るために戦っているのではないのだ。そして最高司令官である城戸が、そんな単純なことに気づいていないはずがない。 あるいは隊員が多大な戦功をあげた玉狛支部への牽制が目的か。巡らせかけた思考とともに、忍田はブレーキを踏んだ。基地の駐車場から関係者専用通路を歩く彼に、すれ違う隊員が会釈する。 「お帰りなさい、本部長」 沢村響子の声が、本部長室に戻った忍田を出迎えた。本部長補佐である彼女は、近界民の出現に備えて基地に残っていたのである。忍田のデスクには、整理された書類が置かれていた。 大規模侵攻以降、忍田は毎日のように除隊届に本部長印を押している。友人が行方不明となり、自身もトリオンキューブにされかけたという本部所属のC級隊員の除隊届には、精神科医の診断書が添えられていた。ボーダーが公表した負傷者のなかに、心の傷を受けた者は含まれていない。隊員のメンタルケアは、今後の組織の課題となるだろう。 「……沢村くん。君は先ほどの記者会見を見たか?」 「ええ。ですがまさか、あんなことになるとは思ってもいませんでした。三雲くんの怪我も心配です」 「そうだな。先ほどのことで悪化していなければいいが」 修の病室に飾られていた花や数々の見舞い品は、彼の交友関係を想像させるものだった。人型近界民の前でトリガーを解除した咄嗟の判断力と度胸を、忍田は高く評価している。規則を破ってでも目の前の人間を助けようとする心構えも個人的には好ましく思うが、世の中にはそこに付けこむ人間が存在するのだった。 「三雲くんは過去に規律違反を犯し、処分を受けた。だがそれを蒸し返し、組織の盾に使うような上司は信頼に値するだろうか」 仕事の手を止めて忍田の言葉を聞いていた沢村が細い眉を寄せた。頭の回転が速く、広い視野を持つ彼女に、忍田は時おり相談を持ちかけている。 「大人の汚さに敏感な若い隊員は、激しく拒絶するでしょう。ですが大人にはそれを隠す知恵、言いかえれば狡猾さがあります。ボーダーは隊員を見殺しにはしない。隊員と世間にそう思わせるための手立てを、根付室長は用意していたのではないでしょうか」 「例えばどんな?」 「……私ならば、嵐山隊を動かします」 嵐山隊はボーダーの「顔」であり、現場である三門市立第三中学校に赴いた当事者である。正隊員の到着を待っていては、犠牲者が出る可能性があった。弟妹を救われた嵐山の言葉には説得力がある。そこに根付が手を回し、中学校の在校生やその保護者のインタビューが雑誌に載れば、修の隊務規定違反に対する世間の風当たりは弱まる。後は、ボーダーの機密を守り大規模侵攻の被害を抑えるためならば民間人の犠牲はやむを得なかったなどと発言する者が現れるのを待てばいい。その人物が修に代わる非難の的となるはずだと沢村はシミュレートした。 「だが、そのやり方では事態が沈静化するまでに時間がかかる。三雲くんの生活に支障が出る可能性も高い」 「ええ。唐沢部長が三雲くんに連れ出したのも、それが理由だと思います」 三雲修本人を会見の場に立たせ、彼自身の口から当時の状況と心境を語らせる。少年の性格を考慮に入れた唐沢の目論見は成功した。マスコミや世間の目は近界遠征に向けられており、もはやその視界に入院生活を送るB級ボーダー隊員が入ることはない。根付には気の毒だが、メディア対策室は当分のあいだ、多忙な日々を送ることになるだろう。 「……私には全く思い浮かばないやり方だな」 「本部長と唐沢部長とでは、普段、相手にしているものがものが違います。それが発想の違いを生むのではありませんか?」 忍田は薄く目を閉じる。戦闘指揮官である彼が普段関わる人間は、現場の隊員やオペレーター、開発室のエンジニアなどのボーダー関係者であり、三門市民の生命と安全を脅かす近界民の迎撃という共通の目的を持っている。戦場では探りあいや駆け引きが必要となるが、それは唐沢が官公庁や企業の人間を相手に繰り広げているものとは性質が異なる。彼は、物事を生死や勝敗では判断していない。 「能力だけではなく、思考までも考えて仕事を与える。それが適材適所ということか。ならば私に向いているのは……」 適性に応じた配置につけるならば、指揮官ではなく前線の戦闘員に戻りたい。忍田が望みを口にするよりも先に、沢村が表情を崩す。それは「やんちゃ小僧」をたしなめる、大人の女性の柔らかい笑みだった。 「本部長が前線に戻られれば、太刀川くんあたりが大騒ぎするでしょうね。ですが、本部長がお一人で近界民を倒してしまわれては、若い隊員が経験を積めません。二十一時から訓練室を一部屋押さえてありますから、そこで存分に戦ってください」 「ありがとう。沢村くんの心遣いを無駄にしないためにも、それまでに仕事に区切りをつけなければな」 デジタル時計に視線を送ってから、忍田はデスクに向き直った。制服は時おり窮屈だが、沢村が側で支えてくれるおかげで、忍田は本部長の職責を果たすことができる。メディア出演の後も、会議の後も、そしてトリガーを手に戦場に赴いたときも、彼を笑顔で見送り、そして出迎えてくれる存在は心強く、温かいものだった。 |