サンダーソニアは秘すべき花


 ガラル地方において、ソニアとは決して珍しい名前ではない。
 だが、それがオレンジの髪とエメラルドの瞳の持ち主で、キバナと同世代の女性であれば、同名の別人という可能性は一気に下がる。
「なあ、姉ちゃん。……もしかして『サンダーソニア』か?」
 わずかに跳ねた肩が、彼女の答えだった。懐かしむような、それでいて少し困ったようなソニアの視線が、キバナの肩から上腕のあたりを彷徨う。
「まさか、キバナさんが覚えてるとは思わなかった……」
「覚えてたというよりも、今思い出した」
 8個のバッジを集めたジムチャレンジャーが、名だたるジムトレーナーやチャンピオンとの挑戦権を賭けて戦ったセミファイナルトーナメント。当時10歳のダンデが決勝戦で戦ったのは、彼と色違いのキャップをかぶったでんきタイプの使い手だった。
 幼さの残る顔立ちとたおやかな異名に惑わされた多くの人々を、当時のキバナは冷ややかに見下ろしていたものだ。実力のない者が勝ち残れるほど、ジムチャレンジは甘くはないのである。
 近い将来、必ず戦うことになる相手。だが、キバナの予想に反して、サンダーソニアはセミファイナルトーナメントを最後に、バトルの世界から姿を消した。
 あの日、スタジアムに落ちた雷に吹き飛ばされたかのように。
「てっきり、外国にでも引っ越したと思ってたんだが、まさか研究家になってたとはな。トレーナーはもう辞めたのか?」
 首を振るソニアに迷いはない。トレーナー引退と研究家への転向は、彼女が考えた末に選んだ道なのだろう。そこに口を挟めるほど、キバナは彼女を知っているわけではなかった。
「何だかもったいねえな。オレだって、一度ぐらいは『サンダーソニア』と戦いたかったのに」
「でも、わたしはきっと、キバナさんの相手にならなかったと思いますよ」
 戦わなくて良かったと肩をすくめる顔に、謙遜の色はない。おそらく、彼女は自らの技量に早々と見切りをつけてしまったのだろう。たとえ虚勢でも、自分と相棒は強いのだと断言できる人間でなければ、ポケモンバトルの世界で生き残れないのだ。
「研究家の仕事ってのはオレにはよく分からねえが、このジムにチャレンジャーが来るまではまだ時間があるから、宝物庫は自由に調査してくれていい。必要なら、上の階にも入れるように手配する」
「いいんですか? ありがとうございます、キバナさん」
 嬉しげなソニアの笑みに、キバナは「花が綻ぶような」という使い古された表現を思い起こした。祖母であるマグノリア博士からの課題らしいが、ソニアという女性は調査や研究が好きで、地道な作業が苦にならないタイプなのだろう。
 突然、宝物庫の重い扉が勢いよく開き、キバナは咄嗟に体の向きを変えた。不測の事態に備え、右手がモンスターボールに伸びる。
「ソニアにキバナ……? なぜ二人がここに、いや違う。なぜオレはここにいるんだ?」
 扉に手を掛けたまま、ダンデが首を傾げている。呆れたような声が、キバナの背後から投げかけられた。
「なぜって、自分で歩いてきたからでしょう。ダンデくん、本当はどこに行くつもりだったの?」
「分からん! 委員長と会うのは確かなんだがな」
 ダンデほど待ち合わせに向いていない男をキバナは知らない。二人は当人はもちろん、ガラル地方の人々が認めるライバル同士だが、方向感覚とファッションセンスは圧倒的にキバナの方が上だった。
「これ以上ダンデくんが迷子になったら大変だから、わたしが送っていく?」
「いや、こいつはオレが引き受けるから、姉ちゃんは調査を続けな」
「ありがとうございます、キバナさん。ダンデくんのこと、お願いします」
「頼んだぞ、キバナ!」
 輝くばかりの笑顔に軽い苛立ちを覚えながら、キバナはダンデとともに宝物庫を出た。
「オマエ、研究家の姉ちゃんのこと、今までに一度もオレに話したことなかったよな」
「そうだったか? だとしたら、オレが紹介するのを忘れていたんだな」
 本心なのか惚けているのか、斜め前を歩く男の真意がキバナにはつかめなかった。仮にダンデとソニアが単なる幼馴染に過ぎないのであれば、改めて周囲に紹介する必要はないだろう。
 だが、ダンデにとって、間違いなくソニアは特別な相手なのだ。その証拠に、キバナの手は未だにモンスターボールに添えられている。
 ダンデとキバナは長年の間、渦巻く熱狂の中で闘争心をぶつけ合ってきた。だが、一瞬にも満たないわずかな時間、宝物庫で突きつけられたものは、殺気だった。
 ダンデと戦う自分の姿を想像するのと同時に、キバナの本能が強く危機を訴える。いかなる結果であれ、殺し合いは互いに無事ではすまない。キバナは臆病という言葉とは縁のない男だが、決して無謀ではなかった。
「なあ、ダンデ。オマエはあの姉ちゃんがトレーナーを辞めたこと、とっくの昔に知ってたんだな」
「……ああ。直接、彼女から聞いた」
 階段を降りるダンデの表情を、キバナは無理にのぞき見ようとは思わない。誰にも踏み込ませず、目に触れることさえも許さない心の奥に、望郷の花を根付かせている意味と理由は、ダンデ自身のものだった。
「委員長との待ち合わせなら、とりあえずスタジアムに行け。あのでかいタワーが目印だからな」
「おう、サンキューだ、キバナ」
 大声で礼を述べ、ダンデはマントを翻して大通りを駆けていく。彼を英雄視する人々の大半は、バトル以外の物事には欲の無い男が、その心をただ一人の女性に向けている事実を知らぬまま、声援を送り続けるのだろう。
 ダンデの姿が見えなくなってから、キバナはようやくモンスターボールから手を離した。


チャンピオン時代のダンデさんはソニアさんに対して、
自覚している感情と、
無自覚な感情を抱えているのだと思います。
チャンピオンではなくなり、自分の生き方について考えたときに、
ソニアさんへの感情を整理して、自分自身戸惑いながらも
彼女に対して行動を起こせば良いと思うのです。
そして、キバナさんはダンソニに巻きこまれたり、
ダンデの言動にツッコミを入れたりして
何となく苦労しているイメージがあります。

ポケモン小説のコーナーに戻る